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ノルウェイの森
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【この小説が収録されている参考書籍】
ノルウェイの森の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.82pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全812件 381~400 20/41ページ
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実は村上春樹作品に手を出したことがなかったんですが、映画化を期に読んでみました。なんというか、あたたかくて儚い。比較的読みやすい作品だと思うので、普段あまり本を読まれない方でも楽しめるかもしれません。なんで?て感じる部分は、何度かありました。だからこそいいと思います。主人公をはじめ、直子も緑もみんなノルウェイの森という作品の中で生きています。村上春樹にゾクッとさせられた一冊でした。 | ||||
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普段はまんがばかり読んで居ます。 まんがの中の恋物語が日常的なモノだと感じ取って居ました。今回映画化され注目を集めた事もあって興味本位で買いました。レビューでは途中で止めた、等の酷評もありますが、私は逆に上巻の途中から一気に吸い込まれる様に読んで気が付いたら読み終わって居ました。生(性)と死を取り上げた純愛物語。 酷評された方は何が厭だったのか? 精神的病いや性的描写が理解出来なかったのでしょうか。 私自身、鬱病で通院してます。なので読んで違和感はありませんでした。 セックスだって世界中の誰にも当て嵌まる行為です。この作品にはその描写が美しく表現されていて厭味が無くて本当に純粋な作品だと感じました。 何度も読み返したい。映画は未だ観ていません。 いつか映画の方も観て、原作との違いを確かめてみたいです。 | ||||
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映画化されるということで読んでみました。私は好きです。人間の冷たい心と温かい心が丁寧に丁寧に描かれていると思いました。特に印象に残っているのは、直子の姉が自殺したことに対して父親が言った「家系なのかな」という言葉。冷たすぎて泣けました。私にとっては、「心」に何が必要なのかを考えさせてくれる本でした。 | ||||
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60年代の恋愛小説です。映画を見ました。良い映画でした。映画を見終わった後に、ビートルズのCD (ラバーソウル)を買いました。村上春樹は、なぜ、この歌を小説のタイトルにしたのだろう?この小説で何を伝えたかったのだろう?愛に哀しみはつきものだろうか?恋愛するのは人間だけだろうか?いろいろと考えたくなる小説でした。 | ||||
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この人はある意味、「本能的」な作家ではないかと私は思う。理屈は語るけれど、どうも頭で理屈を考えながら文章を書いている感じではない。自分がどうしてこんな文章を書いたかわからない、というような不思議な体験はよくあるが、村上小説にはそういう矛盾のようなものがところどころに感じられる。なんだかよくわからないけれど、理屈では触れられるはずのない「何か」に間違えて触れてしまうような感じである。だから、そこに形のあるもの(はっきりとした「言葉」とか、自分の理解の範疇におさまりきるスケールのもの)を見出そうとする読み手には、「何も見つからなくて腹が立つ」というような反応をひき起こすのではないかと思う。よい小説というのは、読み手ひとりひとりに対して違う「効果」を及ぼすものだと私は思う。それは言うなれば、読み手自身の人間的な「深さ」や「世界観」の反映である。(小説が一方的に「深さ」や「世界観」を提供してくれると考える人は、おそらくテレビの観すぎだと思う。)そしておそらく、日本人にしか響かない「日本文学」と、いろんな国の人々に(なぜか)響いているという「村上文学」との違いも、そこにあるのではないかと私は思っている。日本人にしか響かない、ということは、日本人には理解できて他の国の人には理解できない「スケール」に収まっているということだと思う。思考の「枠組み」そのものが、知らず知らずのうちにローカルなカラーに染まっているのだ。それとは逆に、いろんな国の人々に「響く」ということは、そこに我々が普段それと気づかずに採用している「日本人的枠組み」を超えた何かを表現できているということに(理論上)なる。世界には「自分の知らない何か」があるかもしれないと思える人にしか、そういうものを感じとることはできない。(それはたとえば、他人にものを教わることができるかどうか、というようなことと重なる部分が多い。)「自分がいま理解しているもの」が「世界のすべて」だと思っている読み手に見えるのは、ただの空虚な言葉の羅列と、自分自身の世界観の貧困さだけである。というわけで、私はここにあるレビューを見て、村上文学がどうやら「本物」ではないかなという印象を持ちました(笑) | ||||
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私は日頃かなりの本を読むのですが、ノルウェイの森を読み始めてから上巻の中間辺りでやめてしまいました。高校生の時、国語便覧を参考に読書しまくっていたのですが、この本だけは読破するまで読みたいとは思えなかった。がっかりしました。ストーリーも、人物も私にとって何の魅力もなかったので、BOOK・OFFに売ってしまった。今後、読み直してみたいとは思わなさそう。 | ||||
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上下読みました。何も心に残らない。色々な女性キャラクターとの性描写が豊富なので、男性には青春時代のファンタジーが小説になったようで、楽しめるのかも知れません。私には、登場人物達の浅く見える思考や言動の多くが不可解、時に不快でさえありました。文章は綺麗ですが、それは宝石のカタログの文章みたいなのもので、本質とは全然関係ないけど、読んでいて何となくおしゃれな気分に酔わせてくれるもの、ぐらいの表面的なものしか感じる事ができませんでした。文章として優れた技巧やテクニックや暗喩は理解できますが、ただそれは表面上のもので、そこに本質的な深いメッセージや意味や哲学を感じ取ることができませんでした。主人公の思考があまりにも曖昧で、他人はこんなに曖昧な思考で日常生活を送っているのかと、その点で唯一発見がありました。あまり深い造詣のある本を読んだ事がない人々、もしくは人生で本当の苦悩を経験したことない人々(特に若年層)が、おしゃれな純文学を読んでる自分に酔い知れたい時にはぴったりの小説なんだろう、という印象を受けてしまいました。曖昧模糊とした主人公の一人称形式や、自殺といった要素が純文学の要素なのでしょう。また、性描写やおしゃれな文章も、読者を楽しませる要素でしょう。でも、深さや、哲学や、とにかく心に響くものが何もなかった。思考欠如の曖昧さが文学なのだろうか、という疑問さえ浮かんだ。たぶん、作者と私の感性に接点が一切ないので、共感できる要素を発見できず、とても退屈で浅い小説にしか思えませんでした。男性にとって都合の良い、「純文学という名のカモフラージュをした性描写の多い恋愛ライトノベルって感じです。ファンの人、すいません。大学時代に、当時好きだった男性がこの本を好きだと言っていたので、読んでみました。読んで良かったです。その男性とは感性が合わないことが良くわかったので、それ以来、その男性への興味が薄れました。誰かに「この本の良さを理解できない君は、この文学の深さや哲学、繊細さを持ち合わせていないのだ」と言われれば、喜んで「はい、そういう感性は持ち合わせておりません」と答えたい。そういう感性を持ちたいとも、思えないのです。映画化で再評価されているので、「この本がつまらなかった私の感性は腐っているのだろうか」と疑問に思いアマゾンのレビューを見ました。賛否両論で、私同様につまらないとおっしゃってる方も多く、正直安心しました。アマゾンさん、沢山のレビューを読めるシステムを作ってくれてありがとうございます!話がそれますが、映画「アルマゲドン」もしかり。この映画に感動したという人は、私の中では、思考欠如か、よほど映画を見ていない人、薄っぺらい感動に酔う単純な人、という判断をしてしまいます。それと同じように、この「ノルウェイの森」に感動した人は、私の中では「いい人だろうけど、薄っぺらい感動に流されたり、人の意見に流されたり、物事に対して深い洞察を持たない人」と思わざるを得ない。申し訳ないけど。 | ||||
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この本を読んだのがいつだったか覚えていないが、確か一連の「羊」作品の後だったように思う。他作品に比べてテーマが恋愛に特化されたのか「純愛小説」と銘打たれたこの作品には正直少々物足りない思いをした記憶があるが、自分なりの問題意識を持って読めば必ず共通のテーマが見えてくるあたりはやはり村上作品だなあという印象が残っている。ぽっかりと空いた心の空洞、喪失感、ふらふらと誘い込まれるようなダンスステップで森の暗闇に迷いこむ感覚。暗闇の連鎖反応。喪失感のロンド。何故何年も前に読んだこの作品のレビューを書く気になったのかというと、このほど映画化されたからではなく、友人が自殺したからだ。頭の中でこのところ、ビートルズの「ノルウェーの森」がリピート状態になっている。(「羊」シリーズやノルウェーの森などこの頃の村上作品での共通の設定として、主人公の友人の自殺というのがある)自分の想像だが村上春樹の小説の起点はここから始まっているのではと感じる。「死」や「暗闇」が、例えば「ダンス・ダンス・ダンス」では古く懐かしい過ぎ去った人や物、彼らのいる「壁」に優しく吸収されはまり込むと抜け出せないような比喩で表わされ、「ノルウェーの森」では「森」という暗喩になっている。「ダンス〜」より若い頃に「ノルウェー〜」が描かれていたのだと思うが、「死」に対する茫漠とした不安が「ダンス〜」ではやや具体的に、そしてより親しみ易い世界になっている。この暗闇への思いを、恋愛という状況に当てはめればこうなる、というのが自分なりに考えた「ノルウェーの森」成立過程だと思った。「喪失感」=「死」ではないが、ある種の弱さを共有した者を亡くす体験が足元を崩されるように引きずり込まれてしまう感覚は、経験したものでないとわからない。そしてこの作品でも、それを乗り越えて「生きる」「再生する」ということは痛い。恋愛状態においてはセックス描写にも「生」と「死」の違いを描き分けていたように思うが、自分なりの解釈でいえば「自分のため」の行為か否かの差のように感じた。評価・好き嫌いの分かれる村上作品だが、サリンジャーやレイモンド・カーヴァーなど寧ろアメリカ現代作家との比較で語られるとそのアウトラインが見えてくるのではないだろうか。最近の村上作品は未読だが、「あり得ない」と言われていた映画化でこの感触は見いだせるのだろうか。 ちなみに、ビートルズの「ノルウェーの森」は、歌詞の前後関係からどうやら「ノルウェー製の家具」とかいった意味の方が正しいそうです。 | ||||
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村上春樹モノはほぼ完読しているほどのハルキストです。まぁ色々な方が厳しい意見を述べていますが、やはり彼は単純に面白い。そして非常に文章が巧い!これだけは言えますね。そして飲んだあとのラーメンのようにスルスルと入ってしまう独特の世界観、これはまさに文学と言うよりは「大人の童話」なんですね。メルヘンを忘れてしまった現代のお父さんたちに、ぜひ読んでもらいたい。しかし……驚いたのは、放送禁止用語である「女性器の名称」をそのまま伏せ字なしで載せている小説だったなんて、みなさんご存じでした?どんな場面に出てくるのか、それを楽しみに読むだけでも価値があったりして? | ||||
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映画が話題になっていて興味を持った。村上作品は今まで読んだことがない。上巻はあまりにテンポが遅く、途中で挫折しそうになりながらも下巻に突入。下巻も3分の2に達しようという頃から一気に引きずり込まれた。さすがにこれだけの支持を集める作家だけのことはある。素晴らしい文章力、ぐいぐい引き込まれ、ワタナくんとレイコさんが行なう直子の葬式の場面では思わず落涙してしまった。しかし、最後の最後でこけてしまった。主人公は上巻の冒頭部分でドイツの空港に着陸していたのではなかったか。そういうエピソードを持ち出すなら、きちんとループするのが常道だろう。それなのに、このワケのわからん終わり方は一体何?性=生という捉え方は理解できる。しかし、名もない女の子とは気軽に(何も考えずに)セックスするのに、直子や緑に対して「挿入」にこだわるセックス感はいかがなものか?「挿入」が「種まき行為」=生殖行為として意味をなすものなら、行きずりの女と寝てしまう行動はいかにも矛盾している。また、登場人物が相次いで自殺するのには閉口してしまった。こんなに自分の命を粗末にしてはいけないよ。直子には最後まで共感できず、印象も薄かった。主人公が彼女にこれまで引きずられてしまったのかも理解できないままだった。生きることに執着し、恥をさらしても生き抜く作品に共感する私は、恐らく村上作品はもう読まないと思う。 | ||||
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僕はビートルズのファンなのですが、題名にひかれてこの作品を読みました。僕は中一なのですが、性描写が多い小説なので、「こういう本か」と思いながら読んでいたのですが、20ページほど読んだとこで、そういう感情など頭のどこにもありませんでした。僕が考えていた恋と、この作品に描かれていた恋はまったくの別物で、人を愛する難しさなどが、恋愛無経験の僕にとても強い影響を与えてくれた作品だと、僕は思います。 | ||||
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しっかり読みましたが、残ったものはこの小説、色んな意味で浅くね? でした。フィクションとはいえ、全てが嘘っぽく感じるのは、一つに登場人物の背景の説明がなさすぎるからではなかろうか?(まぁそれが狙いなのかもしれないけど)賞を取ったものが良いとは限らないし、星を5つつけるなんてぶっちゃけ不思議でしょうがない。ってか面白い。 | ||||
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昨日映画をみたのですが、なぜこんなに長く映画化(の話もたくさんあったであろうに)されず、20年もたってこのような不完全なかたちで映画化されるのかと疑問ですが、大方の予想通りでした。 この人の小説の魅力は、その軽快なエスプリのきいた会話の妙に多分にあるとおもうのですが、映画のではまったくそれが生かされておらず、(というよりも、会話量がすくなすぎるため、それぞれの登場人物の人となりが十分につたえられないまま上滑りに話がすすんでいく)原作の面白さがまったくでていない。(もしかして、外国人監督だから、日本語で理解もしくは日本語版で熟読してないのでは????)しいて言うなら、松山ケンイチさんにニュートラルなたたずまいがあるので、60−70年代背景の作品の中でも自然な感じがでてました。そのほかは、多分、すべてミスキャスト。(女優さんがわるいというのでなく、(女優陣はそれぞれに魅力的なんですが、)脚本と演出と人選の悪さ。) 一番のミスキャストはレイコさん、その次ミドリ その次直子、ハツミさん。 レイコさんは外見はもっとボーイッシュで、人生の哀感を軽いジョークで流すような、痛々しさのあるもっとも魅力的な登場人物だと思うんですが、キャステイングされた女優さんはなんだか女性っぽすぎて、そういう、笑顔の下にある乾いた哀愁が感じられない。ミドリはもっと現実的でジーンセバーグのような雰囲気の、軽快さのある生き生きとしたイメージで、この点が、この小説の中で、直子の非現実的な静的な美しさのある陰の世界と、ミドリの現実に根を張った動的な魅力の間で主人公が行き来するという対比をなしていると思うのですが、映画ではそのメリハリがでてない。 永沢さんは(ちょっと年齢はちがうが、)イメージとしては佐藤浩市さんっぽいもっと骨太な凄みのある感じで、やはりナメクジのエピソードははずしてはいけなかったと思う。なにより、療養所で3人がもつ、「親密であたたかな」心のつながりを描かなくてはこの話の意味そのものが描けない。また、僕と直子が誕生日を祝った夜に直子が延々と異常なまでにしゃべってぷっつりと糸が切れたようになったところとか、僕とレイコさんが二人で歌って直子の弔いをしたシーンを省いては、そのあとにつながる、関係をもつことの意味が説明できない。 もし原作を読んでない方は、原作は読んで、映画は見ない、もしくは少なくとも映画を先に見ないことをお勧めします・・・・。 | ||||
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1Q84で初めて村上春樹さんの作品を読みました。それまで、松本清張さん、宮部みゆきさん、堂場瞬一さんらの作品を多く読んでいました。村上春樹さんの作品は”すかした純文学”というイメージで食わず嫌いでした。読後の感想は”深さのある現代の純文学”でした。”純文学”と思ったのは夏目漱石さんの作品と共通するものを感じたからです。”現代の”と感じたのは、夏目漱石さんの作品よりも身近に感じたからです。”深さ”を感じたのは、自分自身の事を振り返って考えさせられたからです。登場人物たちに、共感出来る部分と共感出来ない部分はありましたが、「生きていくって大変だ」と思いながら、楽しく最初から最後まで読みました。1Q84のレビューで「性描写が不適切」という感想を複数見ました。この作品にもそういう点があると思いました。しかし、「不可避な性から逃げていない」と感じられ、その点についても私は好感をもっています。他の作品も読んでいきます。 | ||||
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私もこの作品を読んで、おもしろい部分もあると感じたうちの一人であります。たとえば、ヘッセの『車輪の下』やトーマス・マンの『魔の山』の読書描写、ビートルズやジャズの曲の描写などに関してです。が、しかし、私は日本の自殺者数の数を増やしている複合的な要因のうちの一つとして、読者の数も多いがゆえに、このような作品も寄与しているのではないかと考えています。いや、一番問題なのはテレビやマスコミの自殺報道のありかたがまずあげられるでしょう。日本では自殺の問題に関しては普段の風潮としてはそれを取り上げること自体がタブーとされているのに対して(その問題の予防に関して教育の時点で真面目に論じたり教え続けているアメリカなどの国では、自殺率が少なくとも日本に比べて有意に低いのです)、有名人が自殺したり誰かが自殺したりすると、これでもか、というくらいにセンセーショナルに報じたりしています。しかし、日本の自殺の報じ方はWHOの自殺の予防のガイドラインのいくつもの項目を堂々と破っている行為でもあるのです。人間誰でもストレス過多になるとおかしくなることはあるわけで、たまたまそのおかしくなった時にそのような報道がなされていると、そういう方法があるのかという正常でない発想になったりして正常な判断ができなくなってしまう可能性はないわけではありません。いわゆる群発自殺というやつです。ですから、諸外国からすると完全に浮いたそのような報道のありかたをそろそろ考え直す時なのではないでしょうか。話は少しそれましたが、本題に入りますが、私は、たとえば『風の歌を聴け』などの他の村上春樹作品などでも感じるのですが、それらの世界の中では、自殺というものがあたかも当たり前のような、あるいは普通に肯定されているような、あるいは美化されているような印象を受けるのです(もちろんすべての作品がそうだと言っているわけではありません)。私は自殺はよくないことだと考えていますが、その理由としてウェーバーや新渡戸稲造が黒板に文字を書くことすらままならないうつ状態に陥ったにもかかわらずそのあと復活を遂げて、以前にもまして活躍したような事実を知ると(たとえばウェーバーがあの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を書いたのはその後のことです。もし、ウェーバーがうつになった時点で自殺してしまって『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』がこの世に存在しなかったら、と思うとぞっとしませんか)、もったいないということが一つまずあります。もうひとつは自殺によって周りの人でとても傷つき苦しむ人がいるということがあります。まず前提として日本国民に共有されなければならない認識は、自殺は異常なことで決して普通のことではないんだ、という認識です。そういう当たり前の認識が欠けているどころか、このような作品によって、自殺は普通のことなんだという間違った認識を持ったり洗脳されてしまったりすることの方が逆に問題です。しかも、高校生前後などのとても影響を受けやすい時期にこんなものを読んで自殺を肯定するような認識を持ってしまって実際に自殺が起こったりしたならばこんなによくないことはありません。権威に弱い日本人がたとえばフランツなんとか賞とかを取った著者のことを信じこんで、自殺を肯定するような世界観が蔓延することの方がむしろ危険だと考えています。物語でどんなに感動を感じたとしても、それが結果として人を幸せにせず不幸にしたとしたら、なんのための文学や芸術だかわかりません。私は、文学や芸術は人を幸せにするためにあらねばならないと考えています。ゲーテの『ファウスト』は秀作だと考えていますが、『若きウェルテルの悩み』は殺人作だと考えています。そのあとウェルテル効果とかいっておそらくは死ななくてもよかったような命がたくさん自殺したそうです。直接ナイフで刺して殺したというわけではないですが、『若きウェルテルの悩み』を読まなかったら死ななかったという人に対しては、実質上は殺人を犯していることになるのではないでしょうか。ですから、村上春樹の大罪というのは、影響力のある著者であることがかえって、日本の間違った自殺認識を作ったり助長したりしているのではないかということです。繰り返しますが、自殺は肯定するものでも美化するものでもありません。繰り返しますが、自殺は誰でもなりうるストレス過多の状態によってなる異常な精神状態から起こる異常なことであって、普通に肯定することではなく異常なことだという当たり前の認識を日本人全員が共有することが重要です。 | ||||
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評価が1か5が多くを占めるのが興味深いです。評価が低い人は、文学とはみたいな堅苦しさに囚われている気がします。ビートルズやビーチボーイズがお洒落な言葉か、セックスの描写は必要なのか?読み手のコンプレックスに感じます。ビートルズやビーチボーイズはお洒落な人じゃなくても聴きます。パスタくらい家で作って食べます。誰かの事を笑います。そして村上春樹が過去に書いているように「人はほっといても人と寝ます」それらはただの日常です。生活です。そして、「死もその一部」なのです。ただの人間です。 | ||||
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ずっとベストセラーを続けていたので、気になり読みました。じわじわと私の心に滲み込んでくる不思議な感覚が忘れられません。この感覚は、他の村上作品でも感じられる独特な「感触」とでもいうか・・・小説を読まなくなった多忙な現役世代におすすめします。 | ||||
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現代文学の最高峰と名高いこの小説のテーマでのもある限りない再生と喪失。でも私は、この小説からは果てしなく続く喪失しか感じ取れませんでした。本能で愛し合い、惹かれあい、悲しみの果てにまた愛し合い。人間らしさといえばらしさかもしれないのですが、そこに読者がどうやって感情を移入し、共感できるかが大きく関わってくるのではないかと思います。この小説が当時、一大ブームを巻き起こしたのには、この作品の内容以上に村上春樹という小説家が今までとは違う作風を世に送り出したということが大きかったんじゃないかと思えます。でもやはり、現代文学史の中で名を轟かす人物が書く小説なので文体は美しく、とても綺麗で、作品に吸い込まれていきます。私は村上さんの作品は世界の終わりやねじまき鳥などのハードボイルド系が好みなのもあるのであえてこの評価にいたりました。 | ||||
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映画化、ということで話題になっており、その流れに誘われてこれだけのベストセラー作品を今回初めて読んだ。内容に関しては、「テンポが遅すぎる」「難しい」「感情移入できるわけがない」これに尽きる。村上春樹氏の著書は『1Q84』を手にしたが、どうしても我慢できず、申し訳ないが挫折した経験がある。今回もそうなるかもしれないと思いながら読み進めた。事実、何度も何度ももう読むのなんてやめてしまおうとした。しかし、やめることができなかった。し、やめたくなかった。読み終わって何が得られたかと聞かれても答えることはできそうにない。好きな登場人物はと聞かれたら永沢だ。「俺は空を見上げて果物が落ちてくるのを待ってるわけじゃないぜ。俺は俺なりにずいぶん努力をしている。お前の十倍くらい努力してる」人間というものが理解し合うのはとても難しいし、不可能に近い。それでも私たちはこの不完全な世界の中で生きていかなければならないのだ。 | ||||
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この小説が大流行したのは学生の時だ。読もうかどうしようか迷ったが、友人が「エッチなシーンばかり多くて気持ち悪い小説だ」と言ったので読むのをやめた。ベストセラーへの反発もあった。それから、20年近くを経て、今初めて読んだ。読んでよかったと思った。とはいえ学生時代によんでいなくてよかった、あのころなら、なんてふしだらな人たちばかりの小説だと呆れていただろう。登場人物たちの行動は、あまり納得できるものではないし、私から見て、理解に苦しむ行動を繰り返している。正直言って、親しく付き合いたいような人間は出てこない。あまりお近づきになりたくないと思う人の方が多い。だが、それぞれの人物の感性、ものの見方、人生への向き合い方のようなものは、たとえ突飛ではあっても一貫性があり、よって、描かれている人物像はすべて、強烈な輪郭を持っている。後半を読み終えた後で書いているので、前半のみの感想をあえて書くのは難しいが、「直子」の感性は一生かかっても理解できないだろうと思った。そして、「緑」のたくましさに魅かれた。同級生に「緑」がいても、友達になれるとは思わないが、いろいろな大変さのなかで自分を貫き、家族との不和を抱えながらも地に足をつけて生きている。それから脇役ではあるが、地図を愛する「突撃隊」くんに共感を覚えた。 | ||||
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