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(短編集)
砂の女
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【この小説が収録されている参考書籍】
砂の女の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.34pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全175件 121~140 7/9ページ
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タイトルのとおり,読んでいるうちに本が砂でざらついてくるような錯覚さえ覚える,脅威の描写力である。 氏の作品には個人的に気になる作品が多く概ね読んでいるが,それらの中でも最高の1冊といえよう。 主人公は,不条理な世の中で折り合いをつけながら生きる運命を背負わされた,すなわち"現代人"である。作品に出てくる砂の壁に囲まれた世界も,我々が日常を過ごしているこの世界も,大きく見れば大差ないのではないか。 このようなことまで感じてしまう。 | ||||
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本のページの上にあるのはただ整然と並ぶ活字のみ。 しかしその活字を読み進めてゆくと 匂い、手触り、物音、温度、光、色彩…と 作中からの擬似感覚を実にまざまざと味わされることが暫しあります。 それも文学の醍醐味の一つではないでしょうか。 この小説を読んでいると湿り気を帯びた砂が 身につけているものは勿論、体中、髪の生え際、耳の中でさえも 拭っても拭ってもざらざらと肌に纏わりつくような生々しい感覚を覚えるのです。 砂に閉ざされた剥き出しの男と女。 なんとも読み応えのある、ざらざらとした一冊です。 | ||||
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高校生の頃、不条理にあこがれつつ、安部公房の不可思議性が好きでした。 砂の女は、理解を超える不条理性と不可思議性を持っているように思われました。 なぜかは説明できませんが、安部公房が書いているのならそうなのだろうという感じでした。 | ||||
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安部氏は「砂」と「壁」を良くモチーフに用いるが、本作はまさに「砂の壁」に取り囲まれた家の中から必死に逃れようとする男を通して、人生の意味、自由と束縛、そして男にとっての女の存在の意義を問い掛けた作品。 男は昆虫採集のため、ある浜辺に行くが、そこは砂に囲まれた村だった。男は「砂の壁」の上から落とされ、ある家に軟禁状態にされる。家には女が一人いるだけである。女がする事は家が潰れないように砂を掻き出すだけである。男は当然、何回も逃れようと"もがく"が「砂の壁」に阻まれ脱出できない。家の倒壊を防ぐために女の手伝いをして、砂掻きをする始末である。「砂漠は清潔である」とは「アラビアのロレンス」中のセリフだが、本作での砂は暴力的である。無形だが流動的で捉え所のない1/8mmの砂の塊。生きるために、ひたすらその砂と格闘する男と女。人生の意味とは、この砂との格闘のように他者から押し付けられた無為な決め事を繰り返すだけなのか。しかし、男の以前の生活は、この束縛された環境と比べ本当に自由だったのか。色々考えさせられる。 男は逃亡の目的もあって女と関係を持つが、無為な生活の中にも女は必要と言う事か。性の営みも他者に強制された無為な行為なのか。女が終始、"丁寧語"を使うのも怖い。そして、女が示す男への貞操と外界への忌避感も印象的である。高度に抽象化・幻想化された物語でありながら、ザラザラしたリアリスティックな感覚を覚えるのは作者の力量だろう。砂を撒き散らしているのは男自身かと思う程である。まさに、「メビウスの輪」。 高度な小説技法で、生きて行く事の意味、自由と束縛、性衝動の意味を問い掛けた戦後文学を代表する傑作。 | ||||
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不条理というより現実味を帯びた理不尽な展開にスッと引き込まれます。 さぁどうする?この手の大きな難問を抱え、如何にしてブレイクスルーするかというストーリーを好む当方としては楽しめました。 オチがやはり文学的。部落に監禁されてから最終的に男がとる行動までの表面的な心境の変化に違和感を感じつつも、読後じわじわと男に内在する「教授」というブレのない根幹が故かという解釈もと考えさせられるから面白い。 | ||||
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初めて読んでから、かれこれ17年になります。 今でも時々本棚から出して読んでしまいますね。 砂という無機物を限りない手法で表現し、読んでいる者を不快にさせてくれます。 大江健三郎氏が安部公房を「戦後最大の作家」と絶賛しましたが そのなかでも傑作といえるかと思います。 | ||||
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映画は遥か昔、大学生の頃に観たのですが、英国の店先でDVDが売られているのを偶然見かけ、久しぶりに原作が読みたくなって本棚から引っ張り出して読んでみた。 言葉を紙面上に紡いで芸術を描くのが文学と言うのであれば、今さらの陳腐な言い方ではあるが、この作品はまさに珠玉の文学だと思う。文学作品には難解なものも多いが、難解であることが文学作品の条件では無い。この作品は難解さを感じさせずに一気に読むこともできる。こういった強引に読み手を引きずり込むストーリー展開から、「よく出来たサスペンス」と片付ける方もいるかもしれないが、ここに描き出される人間の業、辺鄙な部落社会での不自由な幽閉生活の裏返しとして描かれる文明社会への批判、「自由」な社会の住人であるのに関わらず見失ってしまった自己の存在など、作品のメッセージをいろいろと考えながら読むべき作品であると思う。 そういう意味で一度ではなく何度でもくり返し読むことに耐えうる作品であり、読者個人の背景によって様々に共鳴できる要素を持っており、様々な解釈をさせてくれる広がりのある作品だと思う。 | ||||
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私にとって安部公房は、「名前だけは聞いた事がある」程度の作家でした。 こちらで評判が良いので読んでみたところ、ぶっとびました! 言葉をこんなにも操れる人がいるなんて…。 ストーリーももちろん奇想天外なスチュエーションと展開と結末で面白いのですが 登場人物の心情や、砂の中に埋もれた村や家の様子。 平坦で易しい文章ではないのに、とても分かりやすい。 それは文章に臨場感があるからだと思います。 臨場感がありすぎて、自分まで口や体が砂っぽくなって来ます(笑) この作品は映画化されたそうですが、私はあまり観たくありません。 安部公房の作品は、行間から各読者の想像を膨らますというよりも 行間を与えることなくストレートに映像が入ってくる感じがします。 映像よりも映像っぽい文章に映画化は要らないのでは…と思うのです。 あらすじは他の方が書いておられるのでその方を参考になさってください。 私はとにかく文章に注目して読んで欲しいです。 | ||||
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この「砂の女」は映画化もされ、安部公房の作品の中ではもっとも有名(ポピュラー)な小説だろう。 優れた作品はジャンルを越えて「文学」に近づくと私は感じているが、この作品も文学と捉えられている事が多いと思う。 安部公房は海外でも多数翻訳され評価の高い作家だが、日本ではSF小説に分類されることもある。 自分が安部公房を知ったのも、SF関係のレビューからだった。 文学だから小難しいのでは?と敬遠している方がいたら。そんなことは無い大丈夫と教えてあげたい。 すり鉢状の砂底に棲む女の家、昆虫の採集に砂丘を訪れた男は薦められて一晩の宿を取るが、その砂底の家から脱出することが出来なくなってしまう。 来る日も来る日も、砂を掻き出す作業に追われ、砂に埋もれる家で脱出しようとあがきながら暮らす男。 その砂の質感、ざらざらとした細かい砂に侵食される執拗とした描写が実に見事で自身の肌に貼りつく砂を感じさせられながら一気に読了した。 まるでその場に自身がいるかの如き体感をさせてくれる、この筆力があってこそ、の作品だと思う。 難しく考えず、唯の娯楽作品と思って手にとっても十分読書に耐える。読んでみて欲しい本。 | ||||
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「際限なく砂掻きを強いられる世界」とは「現代社会」を比喩的に表現したもので、単純化すれば、「アイデンティティの持てない空虚な現代社会の中に居ながら、なおも人間らしく生きるには、どうすべきか」というような事がテーマの、安部文学の頂点と評価される作品です。おもに、この作品を評価されて安部はノーベル賞候補になったと言えます。レビューを見ていて誤読している方が多いようですが、本当の純文学小説なので、比喩の意味を考えながら読んでみると面白いと思います。なお、より詳しく理解するには「増補 安部公房論」(高野斗志美)などの研究書をお勧めします。「部落」の意味を「村意識」や「部落問題」などと勘違いしないで下さい。また、ドナルド・キーン氏のあとがきは無視して下さい。彼は安部公房を最も誤解した研究者の一人です。 | ||||
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安部公房は大江健三郎氏もカフカやフォークナーと並ぶ世界的作家としてあげているらしく、また国内・海外ともにとても評価が高い作家だったので氏の代表作であり出世作でもあるこの作品を手に取ってみた。今まで日本文学の傑作級の作品をちらほら読んできたが、確かに、安部氏の評価の高い理由が分かったような気がする。解説もドナルド・キーンが書いていて本自体も豪華だと思う。 生徒に希望を語りながら、結局その生徒達の踏み台となっていく憂鬱で欺瞞に溢れた教師の生活から一度離れるため、主人公は休暇を利用し自身の趣味である昆虫採集を目的に砂に埋もれかかった部落に向かう。日が暮れて宿を部落の責任者に頼むと、三十半ばの女が住むすり鉢状に砂に埋もれた家に案内される。最初はもてなされていると感じていたのだが、家が埋もれない様にするための重労働に理不尽にかり出されていると知って男は苦悩し、様々な手段を用いて脱出を試みる…… あらすじはこんな感じ。一見荒唐無稽の様で実際読む前からそう思っていたのだが、解説にもあるとおり、読んでみると常識から外れた展開をしながらも全く気にならずに主人公の一挙一動に気を取られてしまう。ミステリーというか、文学を読んでいてこれほどハラハラさせられたことは無いような気がする。筆者の独特の比喩やシャープな文体で見事に文学性とスリリングな展開の両立が出来ていると思う。 全体的に見ても良くできた小説だと思う。筒井康隆のもっと暗いイメージと言ったら分かりやすいかも。 | ||||
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あらすじは他のレビュアーの方々が既に上手に書かれているので割愛します。 本作で描かれる、部落のあまりにもべったりとした土着体質には、私個人としては生理的な嫌悪感を感じてしまうタイプですが、逆に学校の教師という社会的日常を保障される存在から、そういう特異な部落の環境に貶められた主人公は、人間にとって必要最低限なものだけで生活する彼らの生活環境に、最終的に一片の真理を見出してしまったのでしょう。「今まで脱出出来た人は一人もいない」というのは、裏を返せば、みんな最後は主人公と同じく、精神的な変容を犯され、脱出する意味自体を失くしたからだということなのかもしれません。書かれているエクリチュール自体は極めて平易なのですが、本書の中で安部氏が真に何を言わんとしたのかを捉えようとすると、一読しただけでは把握し切れないものがあります。もしくは筋としての面白さを追求した作品で、観念的な意味はそれほど含まれていないのかもしれません。この曖昧さは、やはり凄くカフカ的…だとは思いますが、この『砂の女』執筆時には、安部氏はまだカフカと遭遇していなかったというのだから驚きです。 読み終えてすぐの時は、あの結末や作品全体の閉塞感にあまり満足しなかったのですが、時間が経つにつれ、妙に良い印象が濃くなっていくタイプの、不思議な作品のひとつです。 余談ですが、この部落の狡い戦略、知り合いの部落の家庭を想い出してしまいました。「自分で金を稼げば、お前は何でも好きなことして暮らしていけば良い」と父に言われ育てられたらしいのですが、やはり実は初めから父は、その田舎の山奥の部落の職人家業を息子になんとしても継がせる気だったらしく、その父と結婚して苦労を味わった母親が、自分の二の舞だけは避けさせたいために、幼少時からこれ以上ないほどのスパルタ教育を施して、有名大学に行かせたのに、やはり息子の深層心理には父の邪念というか怨念というか執念が常にこびり付いていたらしく、脳裡からいつも離れずに、内定を頂いた二社を蹴ってしまったらしいのです。そういう部落の人は、直接的に言葉で「継げ」と言わないまでも、言葉にせずに間接的に闇の奥へ後継者を引き込もうとするらしく、どう足掻いても逃れ得ない世襲が悪循環と存在しているらしいのです。要するに、彼は生まれた瞬間から既に「罠」に掛けられていたのです。長々すいません、この『砂の女』の描写で想起したまでです。身近な知り合いの話です……。 | ||||
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新幹線の中で一気に読んでしまった。 村上春樹にしろ安部公房にしろ、言語の壁を越えて世界中に読まれる作品 というのは、やはりストーリー自体の骨格というかクオリティが とにかく圧倒的にすばらしい。 時代的古さを感じさせないところもお見事で、 陳腐な表現だけれど、そこらへんの小説とは違うなーと感服。 どうやったらこんなものが書けるのだろう。 「自由が保障されたとたん、自由への欲求がしぼむ」という ことをこんな風に描くなんて、尊敬の一言に尽きる。 直接的暴力のみならず、「無気力」とか「無反応」も、 立派な「卑怯」の一種だと感じた。 うーん、、、「砂の女」みたいな人って、皆さんの周りにもいませんか?? | ||||
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圧倒されたというか、違うものを見せつけられたなと。非現実的な空間だが、非現実的な空間を読者の中に想像させるためには、現実的な要素によって構成させないと浮かび上がらず、説得力も、圧倒させる魅力も持ち得ない。現実的な要素というのは、繊細な情景や物質の描写であり、読者が共有し得る登場人物の感情の描写でもある。飛び道具のように安易に非現実性を呈示する低俗な作品とはわけが違う。 | ||||
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などなど、周囲の文学人間たちが両極端な評価をしていたので、 興味を持ち、読んでみました(先に「壁」を読んでいます)。 感想としては…なんだこれ、面白いじゃないか。読みやすいし。 ラスト約30ページが衝撃的かつ高密度で、もうその部分しか思い出せない。 「200ページ分も何してたっけ?とにかく喉が渇いた気はする」ていう感じ。 まぁその長い前フリがあったからこそ、最後の展開が鮮明に脳裏に焼きつくんだけども。 あと、比喩がたまらなく美しい。比喩の何たるかを知りました。 絶望的で重苦しい世界観、ジメジメと気持ち悪い空気感、男の出した結論、 それら全てを「生理的に受け付けられない」ていう人もいると思います。 最初から清々しく読める人なんて考えられないので、 嫌悪するのはある意味自然な反応であって、内容の是非を研究するというよりも、 読者1人1人が嫌悪の先に下す是非の評価理由それ自体が、1つの研究対象になりそうです。 | ||||
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砂の穴の中に閉じ込められて、砂の中で生活するなんて。普通の人には考え付かない発想です。 カフカ『変身』の、目が覚めたら自分が毒虫になっていた、にひけをとらないぐらいの衝撃があります。 文学本が好きな方には特にオススメです。 | ||||
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「孤独とは、幻を求めて満たされない、渇きのことなのである」(本文より) 「1/8mmの砂の流動」というフレーズが、奇妙に耳に残る。 いまだかつて砂をそんな風にとらえたことはなかったし、とらえた作品もなかったのではないかと思う。 砂漠だというのに砂は乾かず、人間を飲み、人間の生活を、人生を飲んでいく。 緊張するとき、嘘をつく時、水分が足りない時に、人間は口の中が乾くというが、この文学は読むだけで口が渇いてくる。 たぶん、全部の理由が当てはまるからだろう。 乾くのは、砂漠や砂ではなく人の心、渇望とは実によくできた日本語だと思う。 | ||||
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主人公の男ははじめのうち、少しでも自分の名を世に残したいというような野望を持っていますが、突然外の世界から孤立した場所に閉じ込められてしまいます。その閉じ込められた場所というのが、砂の中なのです。 主人公が落とされた砂穴には、古びた家に女性が1人住んでいるきりです。女性は、砂をかきだす仕事を手伝ってもらうために、主人公をいつまでもその場所にひきとめようとします。 本書は”生きる”ために必要な必要最小限のことを教えてくれているのだと思います。私は「砂の女」を読んで、たくさんの物がなくても人間はきっと幸せになれるのだということを学びました。 | ||||
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この「砂の女」を読んで、安部公房のファンになりました。 こんなに独創的で面白い物語を書ける安部公房は天才だ。カフカの「変身」と同じ匂いがしました。 とにかく描写がリアルで、もの凄い臨場感で目の前にこの世界が広がります。 のどが乾いてしまいます。 | ||||
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閉じこめられた砂の穴の中から必死に脱出しようとしている主人公の男は、本当は外の世界も、中の世界も、嘘くささという意味では大して変わりがないということを知っている。 全ての価値が相対化した社会で、それに対して漠然とした不安に苛まれている人間が、“嘘の中にも実感は宿りうる”、という認識へ到る過程の物語。絶望的ではあるけれどもとても温かい。 ともかく、私は何より、「これはとても面白い小説だ!」と言いたい。 | ||||
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