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(短編集)
砂の女
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【この小説が収録されている参考書籍】
砂の女の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.31pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全186件 121~140 7/10ページ
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| 子供の頃「棒になった男」を読んだとき、なんともいえない不思議な感じがしたのを覚えている。 この「砂の女」も、夢の中の物語を読んでいるようだ。 今更私が言うまでもないが、やはり彼は天才である。 なんと言っても、比喩表現が素晴らしい。随所にちりばめられる比喩表現だけで、一つの物語が成立するぐらいである。そいう意味では二つの物語を読んでいたという錯覚さえ覚える、何もかも超越してしまった感さえする。 また、文章のテンポも絶妙だし、何せ気が利いている。そんなわけで、読んでいて退屈などする訳がない。 男の葛藤と、女の達観した姿勢… 最終的にはこういう生活も良いのかもしれないと思えてくる。 自分も現実逃避して、この男のような体験をしてみたいと思うくらいだ。 砂の支配する部落へ主人公の男が迷い込んでいく… 導入部分から、既に物語に入り込んでしまっている自分がいる。 非現実な世界を、とことんリアルに描く。 間違いなく、これは単なる文学を超えた「芸術作品」である。 | ||||
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| この作品では、最初の第1章でいきなり結末が明かされる。 それなのに、男が閉じこめられた砂の底の家から脱出を試みるたびに、今度は成功するかとハラハラしている。 その絶えざる流動によって、いかなる生物をも、一切うけつけようとしない砂。定着をやめて、砂の流動に身を任せてしまえば、もはや競争もありえないはずである。 このように砂に対して言いようのない衝撃と興奮をもつ男が、とある砂に囲まれた部落で、 砂かきをやめれば部落全体がダメになるから男手が必要なのだ、という理不尽な理由から、囚われの身となる。 当然男は、毎日砂をかくことの繰り返しという生活に何の意味も見いだせず、何度も脱出を試みるが、うまくいかない。 どこまで行っても城にたどり着けないカフカの小説のように。 そして、部落の男たちに油断させるため、まじめに砂かきをするふりを続けるうちに・・・。 とにかく、この作品は、それほど長くもなく、比喩を多様した見事な文体で、ぐいぐいと読者を引きつける魅力がある。 一読の価値ありである。 | ||||
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| 砂の女は、安部公房の特徴が表れている作品といえるだろう。安部文学の砂漠的な、どこか、異国的で人間の実存を深く抉るようなカフカ的な側面と非常に日常的なそれでいて、どこにもないような世界が上手に織り込まれている感覚が「砂の女」にも確かに存在している。一体、砂とは何であろうか、主人公の教師は作品の初めから終わりまでこの問題と格闘することとなる。砂は時として、物理的な存在として、また、精神的な幻想の表れとして、我々の前に姿を現す。しかし、この砂は決して、確定された存在では無い、それは、形容しがたい「砂」である。安部公房はかつて言語化できるなら、小説など書かない、小説とは意味以前の何かを描くための一形式であると言った。つまり、この「砂の女」においてもおよそ大意だとか、作者の主張を説明することは無意味であるだろう。 仮に、上述のようなことを前提として、言うべきことがあるとすれば、簡単な感想を提供するしか無いと思う。この小説を読んで、私は自分の実存について考えさせられた。私は一体何の意味を持ちうるだろうか、意味というものは、ともすれば無意味である。しかし、人は意味つまり、目的無しに済ますことができないのだろうか。主人公の教師は、作品の後半部分において、自分がこの砂の穴の生活に目的を感じ始め、穴から逃げて戻ろうとしている「現実」の無意味さを思うが、これは、理由のないことでもない。日々の砂運びの仕事に打ち込むことで安心し、満足感を得る主人公の教師、この心境は、このレビューを書いて意見の提供を目的とする私にも言えることだろう。 以前、アルベルト・カミュの「シーシュポスの神話」を読んだが、「砂の女」において示されているテーマとも実存を問うという点では共通性があるとも感じられる。シーシュポスは永遠に叶わない目的の為に永遠の努力をする。それは、とても幸福なことであるらしい。「砂の女」に出てくる教師も穴から出るという目的のために努力するが、穴から出て、何をするというのか、結局新しい穴に囚われて、努力するだけではないだろうか、少し、私見を述べすぎたが、一つだけ言えることがある。 この作品は小説というだけでは無く、我々自身にとっての重大な問題でもある。 | ||||
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| 砂丘に昆虫採集に出かけた主人公は、砂穴の底に埋もれていく一軒家に閉じ込められ、そこでの生活を余儀なくされる。 隔絶された世界の中で、自己の存在理由を問いています。 人は不条理な状況下に置かれても順応する生物なのかもしれません…。 「納得がいかなかったんだ…まぁいずれ、人生なんて、納得ずくで行くものじゃないだろうがこのまま暮らしていって、それでどうなるんだと思うのが一番たまらないんだな…どの生活だろうと、そんなこと、分りっこないに決まっているんだけどね…まぁ、すこしでも、気をまぎらせてくれるものの多い方が、なんとなく、いいような気がしてしまうんだ…」 | ||||
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| 安部公房の作品の中で最も知られ、読まれているであろう作品がこの「砂の女」。 内容は他のレビューで数多く触れられているため割愛致します。 「砂」という「定着しない物体」の中に放り込まれた男、 男の言う「自由無き世界」、その世界に当たり前のように「定着する女」。 「自由」「希望」「夢」「生きがい」というものに対する 価値観を激しく揺さぶられる作品です。 そして、文学としての評価はさることながら、 この作品の特筆すべき点は、 エンターテインメント作品としても 超一流だということでしょう。 分り易い言葉に文章、情景や心理が手に取るように分る見事な比喩、 否が応でもハラハラとさせられる構成。 ページをめくるごとに読み手も 砂に支配された混沌の世界へ放り込まれることでしょう。 読み終り、砂の世界から解放された時、 何かを見つけ、感じることができるのではと思います。 本書は1962年、今から約50年も前の作品です。 読む前から、「古いんじゃないか?」と、 思ってしまう方もおられるでしょう。 しかし、本書を読めばそれは大きな間違いだったと気付くはずです。 良い作品というのは普遍性が高いため、時代を超越します。 特に、酸いも甘いもを経験している社会人の方には 是非この本を手に取って頂きたい。 | ||||
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| カフカとの対比は指摘されていますが、カミュとの対比はないですね。カミュの「ペスト」との対比がおもしろいと思います。 「ペスト」はある架空の町でペストが蔓延し、その閉鎖された町の中で疫病と戦う人々をたんたんと描いた1947年のフランスの小説です。まあ専門用語とかはいいんですけど、直後から流行する思想である「構造主義」の端緒となった視点が提出されており、その点で有名です。小説ではペストは最後に収まりますが、医師リウーは「ペスト」との戦いが人間がいる限りつづく、「終わりのない戦い」であることに気づきます。ペストのラスト。 ・・・ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴蔵やトランクやハンカチや反故のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを(人々を:引用者)死なせに差し向ける日が来るであろうということを。 砂とペスト、閉ざされた部落と町など、両者の物語は酷似しています。この閉塞感、とらわれる感じは仏教でいう「業」のようなものでしょう。人間がいくら努力しようと、何を発明しようとも、逃れられない運命がある。 | ||||
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| 話の構成自体も凄いのですが、男の末路がどうなったのか、 含みをもたせるラストが意味深で、惹かれます。 落ちることには抗えない魅力もあって、足を絡めとって行くような描写がたまらなかった。 男の生きる気力や意志は、少しずつ砂に吸われていったのでしょう。 むしろ最後は砂とひとつになることを望んでいたのでは、とも。 砂=女という解釈でもありますが、ほんと安部公房はすけべだと思いました。 文体や比喩が美しく、たった数行で、鮮やかに情景が浮かびます。 女のしつこさ、粘つき、静謐さ、神聖さ、一度は読んで欲しい名作です。 | ||||
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| 小学5年生のころ「魔法のパイプ」という物語がラジオで放送され夢中になって聞いた。ちょうどテレビが一般家庭へ普及する少し前だった。番組への投書に、これはテレビにならないのですか、というのがあって、パイプの答えはパイプのヒゲが400本になったら出来るということだった。テレビにはならなかったが安部公房という名は覚えた。そして、高校の国語の教科書の「赤い繭」で再会した。以後、安部公房の作品を夢中になって読んだ。それだけ「赤い繭」に大きな衝撃を受けたのだった。 そして20歳のころ「砂の女」も読んだ。たぶんこの砂の中に閉じ込められた生活は現実にはない砂のすり鉢の底だけど、見ようによったら現実の我々の生きている世界そのものだと思ったと思う。 今も多くの若い人たちがこの本を読んでいることに、はじめは何か意外な感じがしたのだが、それはむしろ当然のことだったのかも知れない。安部公房の作品は時代を超えてひきつけるものがあるのだろう。 「砂の女」のテーマは遠く2000年以上の昔にインドでも考察されていたことだと思う。仏教経典にすでにこのテーマを扱っているものはあるのだ。人間の日常の生活をどう捉えるかということにおいて、このテーマはいつの時代も気になるテーマだったのだろう。 これを踏まえてどう生きるかが次のテーマとして当然あがって来る。小説不落樽号の旅―十四万三千年の時空を超えては、その次のテーマを扱っているのか、それとも根本的に日常生活の捉え方を「砂の女」とは別にしているのか定かでないが、砂の女とともに今わたしが気にしている作品です。 | ||||
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| 非常に多くのレビューがすでにあるので、 作品を読んで感じた「こういう人には向いていそうだ」ということを述べるに留めておきます。 特に向いているのは、現代文学と呼ばれる類の小説をいくらか読み、気に入り、もう少し毛色の違う小説を読みたいという人です。 私は文学部でもなんでもありませんが、この小説を読んでずいぶんと衝撃を受けました。 これでもかと続く心情描写に心を揺さぶられます。 逆に向いていないのが、普段ほとんど本を読まない人や、いわゆるライトノベルをメインに読む読者ではないかと思います。 「この小説はストーリーも非常に作りこまれていて魅力的である」という反論もあると思いますが、慣れない読者はなかなか最後まで読めないのではないでしょうか。 エンターテイメント小説と比べて、(上にも書きましたが)地の文による心情描写がこれでもかと続き、読む方の根気もある程度必要とされます。 いわゆる純文学にももっと会話のテンポでトントン話が進むものもありますので、先にそういった作品を読むのがいいかと思います。 | ||||
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| ■概略 ある日昆虫採集のために砂丘へとでかけた男は、村人の策略で砂穴の底にある一軒家に閉じ込められることになる。 降り積もる砂から家を守ろうとする女、あらゆる手を尽くして脱出を試みる男、 村の存続のために男の脱出を妨害し二人の生活を見守る村人たち。 やがて月日は流れ、男は穴の中の生活に順応していき・・・ ■感想 退屈な日常から突如非日常に投げ込まれた主人公の心理状態の変化が、読む者の野次馬根性をくすぐる。 男の状況は、まさに悲劇。現代社会の常識が一切通用しない、理不尽の塊のような暮らし。 立場の弱さから村人の言いなりになるしかない哀れな男の悪あがきとその結末は、 読み終わった時に言いやれぬ憐れみと興奮を覚えさせる。 ■一般的見解 部落社会での生活の不自由さや幽閉生活、そこに見られる人間の残忍な性質といった現代社会へのメッセージ性についての評価が高いみたいです。 有名な文学作品ということもあって様々な研究者によるレビューも多いですが、 なんというか・・・そういうレビューについては深読みのしすぎな感がありました。 作品を文学的に評価する際にはそいういうメッセージ性や社会影響について語る必要があるのでしょうし、 そういう読み方・考え方があるのはわかります。 が、「そういう観点以外からこの作品を語るのは間違っている」というような、 文学的批評を強要するレビューがあったのは気になりました。 最後に、「砂」に関する描写がやけにリアルで、読んでいて不快な「ザラつき」を覚えたとまで言わせるのは、 作者の文章力のなせるワザですね。 ■総括 単純に読み物として面白く、特に難しく考えることなく一気に読み終えることができました。 あと、個人的には、女に関する描写がやけに艶めかしかったのが印象的でした。 | ||||
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| 穴に落ちた、という事実だけでここまで長い文章を書く発想力と構成力は凄いと思う。 読んでいる途中でねちっこさに嫌気を感じることもあったが、読んで損をした気はしない。 精神的強姦の話とか、休日サービスをする父親の話とか、目を背けたくなるようで背けられない閑話も多かった。 然し、救いようのある最後であった。一読の価値あり。 | ||||
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| タイトルのとおり,読んでいるうちに本が砂でざらついてくるような錯覚さえ覚える,脅威の描写力である。 氏の作品には個人的に気になる作品が多く概ね読んでいるが,それらの中でも最高の1冊といえよう。 主人公は,不条理な世の中で折り合いをつけながら生きる運命を背負わされた,すなわち"現代人"である。作品に出てくる砂の壁に囲まれた世界も,我々が日常を過ごしているこの世界も,大きく見れば大差ないのではないか。 このようなことまで感じてしまう。 | ||||
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| 本のページの上にあるのはただ整然と並ぶ活字のみ。 しかしその活字を読み進めてゆくと 匂い、手触り、物音、温度、光、色彩…と 作中からの擬似感覚を実にまざまざと味わされることが暫しあります。 それも文学の醍醐味の一つではないでしょうか。 この小説を読んでいると湿り気を帯びた砂が 身につけているものは勿論、体中、髪の生え際、耳の中でさえも 拭っても拭ってもざらざらと肌に纏わりつくような生々しい感覚を覚えるのです。 砂に閉ざされた剥き出しの男と女。 なんとも読み応えのある、ざらざらとした一冊です。 | ||||
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| 高校生の頃、不条理にあこがれつつ、安部公房の不可思議性が好きでした。 砂の女は、理解を超える不条理性と不可思議性を持っているように思われました。 なぜかは説明できませんが、安部公房が書いているのならそうなのだろうという感じでした。 | ||||
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| 安部氏は「砂」と「壁」を良くモチーフに用いるが、本作はまさに「砂の壁」に取り囲まれた家の中から必死に逃れようとする男を通して、人生の意味、自由と束縛、そして男にとっての女の存在の意義を問い掛けた作品。 男は昆虫採集のため、ある浜辺に行くが、そこは砂に囲まれた村だった。男は「砂の壁」の上から落とされ、ある家に軟禁状態にされる。家には女が一人いるだけである。女がする事は家が潰れないように砂を掻き出すだけである。男は当然、何回も逃れようと"もがく"が「砂の壁」に阻まれ脱出できない。家の倒壊を防ぐために女の手伝いをして、砂掻きをする始末である。「砂漠は清潔である」とは「アラビアのロレンス」中のセリフだが、本作での砂は暴力的である。無形だが流動的で捉え所のない1/8mmの砂の塊。生きるために、ひたすらその砂と格闘する男と女。人生の意味とは、この砂との格闘のように他者から押し付けられた無為な決め事を繰り返すだけなのか。しかし、男の以前の生活は、この束縛された環境と比べ本当に自由だったのか。色々考えさせられる。 男は逃亡の目的もあって女と関係を持つが、無為な生活の中にも女は必要と言う事か。性の営みも他者に強制された無為な行為なのか。女が終始、"丁寧語"を使うのも怖い。そして、女が示す男への貞操と外界への忌避感も印象的である。高度に抽象化・幻想化された物語でありながら、ザラザラしたリアリスティックな感覚を覚えるのは作者の力量だろう。砂を撒き散らしているのは男自身かと思う程である。まさに、「メビウスの輪」。 高度な小説技法で、生きて行く事の意味、自由と束縛、性衝動の意味を問い掛けた戦後文学を代表する傑作。 | ||||
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| 不条理というより現実味を帯びた理不尽な展開にスッと引き込まれます。 さぁどうする?この手の大きな難問を抱え、如何にしてブレイクスルーするかというストーリーを好む当方としては楽しめました。 オチがやはり文学的。部落に監禁されてから最終的に男がとる行動までの表面的な心境の変化に違和感を感じつつも、読後じわじわと男に内在する「教授」というブレのない根幹が故かという解釈もと考えさせられるから面白い。 | ||||
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| 初めて読んでから、かれこれ17年になります。 今でも時々本棚から出して読んでしまいますね。 砂という無機物を限りない手法で表現し、読んでいる者を不快にさせてくれます。 大江健三郎氏が安部公房を「戦後最大の作家」と絶賛しましたが そのなかでも傑作といえるかと思います。 | ||||
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| 映画は遥か昔、大学生の頃に観たのですが、英国の店先でDVDが売られているのを偶然見かけ、久しぶりに原作が読みたくなって本棚から引っ張り出して読んでみた。 言葉を紙面上に紡いで芸術を描くのが文学と言うのであれば、今さらの陳腐な言い方ではあるが、この作品はまさに珠玉の文学だと思う。文学作品には難解なものも多いが、難解であることが文学作品の条件では無い。この作品は難解さを感じさせずに一気に読むこともできる。こういった強引に読み手を引きずり込むストーリー展開から、「よく出来たサスペンス」と片付ける方もいるかもしれないが、ここに描き出される人間の業、辺鄙な部落社会での不自由な幽閉生活の裏返しとして描かれる文明社会への批判、「自由」な社会の住人であるのに関わらず見失ってしまった自己の存在など、作品のメッセージをいろいろと考えながら読むべき作品であると思う。 そういう意味で一度ではなく何度でもくり返し読むことに耐えうる作品であり、読者個人の背景によって様々に共鳴できる要素を持っており、様々な解釈をさせてくれる広がりのある作品だと思う。 | ||||
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| 私にとって安部公房は、「名前だけは聞いた事がある」程度の作家でした。 こちらで評判が良いので読んでみたところ、ぶっとびました! 言葉をこんなにも操れる人がいるなんて…。 ストーリーももちろん奇想天外なスチュエーションと展開と結末で面白いのですが 登場人物の心情や、砂の中に埋もれた村や家の様子。 平坦で易しい文章ではないのに、とても分かりやすい。 それは文章に臨場感があるからだと思います。 臨場感がありすぎて、自分まで口や体が砂っぽくなって来ます(笑) この作品は映画化されたそうですが、私はあまり観たくありません。 安部公房の作品は、行間から各読者の想像を膨らますというよりも 行間を与えることなくストレートに映像が入ってくる感じがします。 映像よりも映像っぽい文章に映画化は要らないのでは…と思うのです。 あらすじは他の方が書いておられるのでその方を参考になさってください。 私はとにかく文章に注目して読んで欲しいです。 | ||||
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| この「砂の女」は映画化もされ、安部公房の作品の中ではもっとも有名(ポピュラー)な小説だろう。 優れた作品はジャンルを越えて「文学」に近づくと私は感じているが、この作品も文学と捉えられている事が多いと思う。 安部公房は海外でも多数翻訳され評価の高い作家だが、日本ではSF小説に分類されることもある。 自分が安部公房を知ったのも、SF関係のレビューからだった。 文学だから小難しいのでは?と敬遠している方がいたら。そんなことは無い大丈夫と教えてあげたい。 すり鉢状の砂底に棲む女の家、昆虫の採集に砂丘を訪れた男は薦められて一晩の宿を取るが、その砂底の家から脱出することが出来なくなってしまう。 来る日も来る日も、砂を掻き出す作業に追われ、砂に埋もれる家で脱出しようとあがきながら暮らす男。 その砂の質感、ざらざらとした細かい砂に侵食される執拗とした描写が実に見事で自身の肌に貼りつく砂を感じさせられながら一気に読了した。 まるでその場に自身がいるかの如き体感をさせてくれる、この筆力があってこそ、の作品だと思う。 難しく考えず、唯の娯楽作品と思って手にとっても十分読書に耐える。読んでみて欲しい本。 | ||||
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