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訣別
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訣別の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.42pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全24件 21~24 2/2ページ
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巨匠と呼ばれた作家でも、齢を重ねると小説の切れ味が鈍くなる・・・とは考えたくないものの、R.B.パーカーしかりD.フランシスしかり、若い頃の情熱や想像力が失われていく物なのか。それとも、読み手が妙に慣れて肥えてしまっただけなのか。だが以前ならば、途中で伏線と結末が判ってしまう事は無く、予想を裏切られる結果が楽しく、心を躍らせながら最後まで読み切った後は、舞台や映画や食事にも共通する、素晴らしい余韻を感じられた物でした。 さて、作家が齢をとったのか、読み手の私が齢を取ったのか、それとも主人公が齢を取ったがために、その肉体的・精神的限界のリアリティを求めるがゆえに、かつての張りつめた行動が無くなったのか。 とはいえ、読む価値のある本であることは間違い無く、損をしたとは思いません。内容は割愛させて頂きます | ||||
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(注:恐縮ながら、上巻と同じ内容を投稿した) 滅私奉公で、一途なボッシュの生き方は、日本の警察官・公務員・サラリーマンの大半にも、共感を以て読んでもらえるだろう。 コナリーに限らないが、アメリカのサスペンスを読むと、アメリカ人と日本人は、勤労意欲が旺盛であること、誠実さを重視すること(つまり人としての生き方全般)について、かなり分かり合える国民性と感じることが多い。 人種と宗教が違い、太平洋を挟んで物理的距離も遠い国であるが、半世紀を超えても日米軍事同盟が実効性をもつ所以で、距離が近いのに人生観が分かり合えない北東アジアの儒教圏と、対照的である。 コナリーの邦訳を全部読みつくした後、未訳が4作品あるのを知ってTHE WRONG SIDE OF GOODBYEのペーパーバックを、この邦訳発売から1ヵ月ほど前に購入した。 原書を本文20ページかそこら、四苦八苦して読んだところでアマゾンから本書(邦訳上下巻)が届いたので、ペーパーバックを放り出し、1日半で日本語版を読了した。 ボッシュシリーズは、犯罪被害者の変死体から物語が始まるケースが多いが、「訣別」はそうではない。 兼業している私立探偵として、生きている人がクライアントである(途中で変死してしまうが)。 苦労しながら、妨害を受けながら、半世紀前に遡って人の動きを追っていくボッシュの手法、そして要所要所で事件を解決に導く閃き(そして意外な真犯人像)、複線が絡み合うストーリー展開は、「同じパターンの、水戸黄門だなあ」と思いつつ、読み手の私(昨春まで、1/3世紀以上を保険調査員として奉職した)を興奮させ、魅了せずにはおかない。 勿論、ストーリーそのものはフィクションだが、カリフォルニア州を中心とした地理歴史、アメリカ人の日常生活(特にヒスパニック人口・文化の著しい拡張)、司法をはじめとする公的制度、警察官の捜査・調査手法は、ほとんど100%実際のそれに基づいたものだ。 カリフォルニア州の貧乏な小規模自治体警察に、人件費削減を目的とした無給のパートタイム捜査官という職制があるのも、多分本当だろう。 時給3ドルどころかタダ!、究極のコストカットだ(但し、実際には、人一人雇えば、間接経費が年間100万円や150万円はかかる)。 治安分野での無給パートタイム公務員制度(都道府県警の刑事さんに限らず、自衛隊、海上保安庁なども含む)は、人手不足なのに定年退職者が無聊をかこつている我が国でも、取り入れていいのではないだろうか。 【蛇足:間違い探し】 浅学な私の拙訳は省略するが、邦訳下巻で2ヵ所、読み手のリズムを阻害する不自然な訳がある、と私は思う。原書を当たって、やっとストーリーが呑み込めた。 1)第40章後半 下巻p.283(原書p.401) 訳:「住み込みの医官がいたんだ」ポイドラスは言った。「用語をいい加減に使っている。(以下略)」 原文:"They had a house medical officer," he said. "I use that term loosely. ..." ※レビュアー私見:「医官」が、次の文(警備担当者が救急治療の研修を受けていたこと)に素直に繋がらないし、「用語をいい加減につかっている」のが誰なのか、邦訳だけでは主語が誰なのか暫く考えないと見えてこない。 「医官」ということばをポイドラス刑事が使ったのを、自分自身ですぐ不適切だったと訂正した、ことが原文をみるとわかる。 どんな翻訳でも(口語の通訳でも)言えることだが、外国語を1:1で別の言語に言い換えることはできないことは、外国語を学べば学ぶほどわかる。 だから、翻訳で文芸書を読むときは原書を傍らにおいて、引っ掛ったところを確かめながら読む、というスタイルは案外いいかも知れない。 2)第42章後半 下巻p.310(原書p.418) ハラー弁護士の発言 訳:「・・・そのときは、財産からかなりの和解金を交渉で引き出し、テーブルに金と会社を置いたまま立ち去る」 原文:"・・・Then we negotiate a nice settlement from the estate and we go away,leaving money and the corporation on the table." ※レビュアー私見:ここも邦訳だけ読んでいると意味がとりにくい流れである。 邦訳と原書を30分見比べて、古沢氏がThenを「そのときは」と訳した理由がやっとわかったが、ここは大幅に意訳しないと翻訳の読者は話の筋を見失ってしまうのではないだろうか。 【補足】 本国で出版されているのに、現時点で邦訳されていないボッシュシリーズ作品が、本書を除いてもまだ2~3冊あるという。 サスペンスを英語でストレスなく読める人(5%もいるのだろうか?)なら、ペーパーバックを取り寄せて読んだほうが安いし早いが、私を含めておおかたの日本人のために、出版社は邦訳を急いでいただきたい。 | ||||
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マイクル・コナリーの旧作「ブラック・アイス」、「ブラック・ハート」を再読した直後、この「訣別(上・下)("The Wrong Side of Good Bye")」(講談社文庫)を読む。 多くの読者が指摘することになるのでしょうが、これはコナリーの"The Long Goodbye"、"The Big Sleep"であり、そのタイトルはまた、ロス・マクドナルドの「ドルの向こう側"The Far Side of the Dollar"」をも暗示しています。 ボッシュはサンフェルナンド市警察の予備警官として勤務しながら、新たに私立探偵免許を取り直しています。そして、大富豪ヴァンスから(彼は終生独身でしたが)若き日の恋人、或いは二人の間に出来た子供を見つけてほしいと依頼されます。莫大な遺産。相続。ドルの向こう側。一方、彼はサンフェルナンドで発生している連続婦女暴行事件もまた一警官としての使命感を持って無給で追跡することになります。私立探偵と警官。二足の草鞋。まあ、書けるのはここまででしょうね。上巻が終わる間際、共に事件が動き出します。そして、リンカーンに乗ったもう一人のボッシュが現れることになります(笑) 前半は、フィリップ・マーロウのようなボッシュがヴェトナム戦争というアメリカの「現代史」の中でリュー・アーチャーの「血」の物語を丹念に辿り、特に(ボッシュの忘れがたい思い出にも重なる)zippoとヘッセの「荒野の狼」が入った小型トランクが再読した二つの過去の作品を引き寄せながら、ボブ・ホープとコニー・スティーヴンスが登場する件(くだり)で心が震えました。警官としての最高の日は、一読者に「最高のパセティックな歓び」を与えてくれることでしょう。 DNA、GPS、ドローンの存在は時の警察小説を大きく変えてしまったかもしれないと思いながら、そしてそれらが1960年代にも存在していたとしたら西海岸ハードボイルドは果たしてあり得たのだろうかと疑問を呈していたにもかかわらず、マイクル・コナリーはこの物語に於いてもその明らかな答えを速やかに指し示してくれたのだと思います。ミステリという名のカテゴリーにおいて、常に読者はWrong Sideに押しやられながら最後の最後で正しい道筋に押し戻してくれるキックがあることを望んでいるのだと思います。そういう意味では、いつものようにリーダビリティ、マックスのストーリーとハメットの昔から変わらない「正統ハードボイルド」の粋がここにはあります。この小説は破綻のない、もう一つの"大いなる眠り"なのだと思います。 ボッシュはもはや恋愛からは遠く置いていかれ、娘マディのご機嫌に左右される初老の男として描かれながらも、いつまでもその警官の血は熱く、煮え滾っています。 | ||||
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滅私奉公で、一途なボッシュの生き方は、日本の警察官・公務員・サラリーマンの大半にも、共感を以て読んでもらえるだろう。 コナリーに限らないが、アメリカのサスペンスを読むと、アメリカ人と日本人は、勤労意欲が旺盛であること、誠実さを重視すること(つまり人としての生き方全般)について、かなり分かり合える国民性と感じることが多い。 人種と宗教が違い、太平洋を挟んで物理的距離も遠い国であるが、半世紀を超えても日米軍事同盟が実効性をもつ所以で、距離が近いのに人生観が分かり合えない北東アジアの儒教圏と、対照的である。 コナリーの邦訳を全部読みつくした後、未訳が4作品あるのを知ってTHE WRONG SIDE OF GOODBYE(邦題:訣別 上下)のペーパーバックを、この邦訳発売から1ヵ月ほど前にに購入した。 原書を本文20ページかそこら、四苦八苦して読んだところで邦訳上下巻が届いたので、ペーパーバックを放り出し、1日半で日本語版を読了した。 ボッシュシリーズの物語は、変死体から始まるケースが多いが「訣別」はそうではない。 無給の刑事と兼業している私立探偵の依頼仕事として、生きている人がクライアント(途中で変死してしまうが)だ。 苦労しながら、妨害を受けながら、半世紀前に遡って人の動きを追っていくボッシュの手法、そして要所要所で事件を解決に導く閃き(そして意外な真犯人像)、複線が絡み合うストーリー展開は、「同じパターンの、水戸黄門だなあ」と思いつつ、読み手の私(昨春まで、1/3世紀以上を保険調査員として奉職した)を興奮させ、魅了せずにはおかない。 勿論、ストーリーそのものはフィクションだが、カリフォルニア州を中心とした地理歴史、アメリカ人の日常生活(特にヒスパニック人口・文化の著しい拡張)、司法をはじめとする公的制度、警察官の捜査・調査手法は、ほとんど100%実際のそれに基づいたものだ。 カリフォルニア州の貧乏な小規模自治体警察に、人件費削減を目的とした無給のパートタイム捜査官という職制があるのも、多分本当だろう。 時給3ドルどころかタダ!、究極のコストカットだ(但し、実際には、人一人雇えば、間接経費が年間100万円や150万円はかかる)。 治安分野での無給パートタイム公務員制度(都道府県警の刑事さんに限らず、自衛隊、海上保安庁なども含む)は、人手不足なのに定年退職者が無聊をかこつている我が国でも、取り入れていいのではないだろうか。 【蛇足:間違い探し】 浅学な私の拙訳は省略するが、邦訳下巻で2ヵ所、読み手のリズムを阻害する不自然な訳がある、と私は思う。原書を当たって、やっと呑み込めた。 1)第40章後半 下巻p.283(原書p.401) 訳:「住み込みの医官がいたんだ」ポイドラスは言った。「用語をいい加減に使っている。(以下略)」 原文:"They had a house medical officer," he said. "I use that term loosely. ..." ※レビュアー私見:「医官」が、次の文(警備担当者が救急治療の研修を受けていたこと)に素直に繋がらないし、「用語をいい加減につかっている」は、邦訳だけでは主語が誰なのか暫く考えないと見えてこない。 「医官」ということばをポイドラス刑事が使ったのを、自分自身ですぐ不適切だったと訂正したことが原文をみるとわかる。 どんな翻訳でも(口語の通訳でも)言えることだが、外国語を1:1で別の言語に言い換えることはできないことは、外国語を学べば学ぶほどわかる。 だから、翻訳で文芸書を読むときは原書を傍らにおいて、引っ掛ったところを確かめながら読む、というスタイルは案外いいかも知れない。 2)第42章後半 下巻p.310(原書p.418) ハラー弁護士の発言 訳:「・・・そのときは、財産からかなりの和解金を交渉で引き出し、テーブルに金と会社を置いたまま立ち去る」 原文:"・・・Then we negotiate a nice settlement from the estate and we go away,leaving money and the corporation on the table." ※レビュアー私見:ここも邦訳だけ読んでいると意味がとりにくい流れである。 邦訳と原書を30分見比べて、古沢氏がThenを「そのときは」と訳した理由がやっとわかったが、ここは大幅に意訳しないと翻訳の読者は話の筋を見失ってしまうのではないだろうか。 | ||||
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