■スポンサードリンク
騎士団長殺し
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
騎士団長殺しの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.46pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全721件 541~560 28/37ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
村上春樹、彼は世界で最も過大評価された作家のひとりでは無く、最も過大評価された作家そのものである。本作を読んで確信した。時間と金の無駄である。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ユニークな比喩を多用した文体は読んでいて楽しいし、画家が画を描く時の心境のついての描写は興味深かった。決して駄作ではない。 しかし、肝心のストーリーやテーマは「ねじまき鳥クロニクル」や「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」との重複感があるし、登場人物も、謎めいた人物、芯の強い聡明な少女、死に行こうとしている老人等、他の作品で登場したような人物ばかりで新味はない。 全体的に、これまでの作品とのマンネリ感は否めない。オリジナリティーが不足しているように思う。また第2部が冗長のように感じた。 いちおう星3つを付けるが、甘い方だろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ストーリとしては、相変わらずの読むものを引き込む卓越した文章力を感じるが、村上春樹独特の奇抜さは目新しいものがなくなった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
南京大虐殺などありもしない事を書いて、この本は中国に利用される事は間違いない。「あの村上 春樹が本に南京大虐殺が有ったって書いてるじゃないか」っていって来るでしょう。そんなでっち上げまで書いて本を売りたいのか、中国ではベストセラーになることでしょうね。こんな作家にノーベル文学賞なんてありえません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ストーリとしては、相変わらずの読むものを引き込む卓越した文章力を感じるが、村上春樹独特の奇抜さは目新しいものがなくなった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
中学生で『羊三部作』と『世界の終わり』にはまりリアルタイムで新作が出る度に読み続けてきました。 どんどん読みやすくなっているし、書かれている世界もリアルに近づいており新しく手に取る人には受け入れやすいかも知れません。 また今回はある程度結末があり物語が完結しているのも良い。 ただ、書かれているものは今までの春樹さんの題材寄せ集めで何の進展も真新しいものも無く、、、これからも読み続けると思いますが、中学生のときに抱いた震えるような読後感にはもう出会えないのかなと思います。 そろそろ、全く違う話を書いて欲しい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
村上春樹の新作長編「騎士団長殺し」をおおむね楽しみながら読んでいます。 主人公が36歳の画家であり、その作品制作過程などがいかにもそうなのだろうなと思わせる巧さで描かれていて感心しています。 またミステリー小説を読むような仕掛け方も巧いなと思いながら読んでいます。 第1部「イデア編」を読み終え、第2部「メタファー編」に入りました。 そこで問題の箇所に至りました。 南京虐殺についての記述 第2部 81Pです。 その前に要点を整理します。 ・主人公が今借りて住んでいるのは日本画の大家である雨田具彦の家である。(具彦はすっかり老いて施設に入っている) ・その屋根裏部屋から「騎士団長殺し」と題された絵を発見する。 ・一方主人公は隣人(といっても山一つ向こうなのだが)の免色(めんしき)という謎の多い男から肖像画を依頼される。(高額の報酬で) ・免色の肖像画を描いた後、引き続きある少女の肖像画を描くことを依頼される。 ・雨田具彦は日本画家に転向する前ウィーンに留学していた。 時代はナチスによるオーストリア侵攻、アンシュルス(独墺合併)の時だった。 ・雨田具彦には継彦という弟がいた。当時(1937年)20歳で東京音楽学校(今の東京藝大)でピアノを学んでいた。 ところが手続上の間違いで徴兵され、南京攻略戦に一兵卒として加わっていた。 ・雨田継彦は翌年(1938年)除隊され学校に戻ったが、復学して間もなく屋根裏部屋で手首を切って自殺している。 大体以上のような設定になっています。 で、問題のP81ですが免色から主人公に電話があります。 免色は雨田具彦の昔のことなどを色々と調べています。 新しく分かったことがあると言って電話をかけてくるのです。 引用します。 その年(1937年)の十二月に何があったか? 「南京入城」と私は言った。 「そうです。いわゆる南京虐殺事件です。日本軍が激しい戦闘の末に南京市内を占領し、そこで大量の殺人が行われました。戦闘に関連した殺人があり、戦闘が終わったあとの殺人がありました。日本軍には捕虜を管理する余裕がなかったので、降伏した兵隊や市民の大方を殺害してしまいました。正確に何人が殺害されたか、細部については歴史学者のあいだにも異論がありますが、とにかくおびただしい数の市民が戦闘の巻き添えになって殺されたことは、打ち消しがたい事実です。中国人死者の数を四十万人というものもいれば、十万人というものもいます。」 一読して、村上春樹ともあろうものが粗雑な文章を書いたものだと思いました。小説の一登場人物、免色の発言という設定だとしてもです。 基本的に小説家はフィクションの中では何をどのように書こうと自由です。 しかし、このように歴史的事実に言及する場合、もっと慎重であるべきです。 上記引用文を、歴史を余り知らない若い読者が読んだ場合、免色の発言をそのまま「正しいこと」と受け取る可能性が強いことに注意すべきです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ◎この本は予約注文だけですでに130万部売れています。 そして、将来的にはもっと売れ、また多数の言語に翻訳されて、世界の50ヶ国以上の国で読まれることを著者は自覚しているはずです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 特に「南京事件」のような微妙であり、ねつ造や噂に類する情報が多いことがらを書く場合、このように軽々しく、あたかも事実のように書くべきではありません。 殺人、殺人と繰り返している書きかたも問題です。戦闘行為と殺人は違います。春樹氏は免色氏の言葉として民間人の虐殺があったことを規定事実としてしまっています。 引用文の中でも「細部については歴史学者のあいだにも異論がありますが」と断っていますが、その認識があるならこのように断定的に書くべきではありません。 特に数の問題は重要です。 中国人死者の数が40万人という説は筆者は初めて聞きました。 *広島、長崎の原爆での直接の死者数でも合わせて23万人だったと思います。40万という数字がどれほど突飛なものであるか、著者なら分るはずです。こんな数字を書くことが信じられません。 中国の見解でも最大30万人という数だったと記憶しています。 当時の南京市の人口が20万人程度であり、20万を超える数はあり得ないという説が有力だと言われています。 それどころか、そもそも南京虐殺はなかったという説もあるのです。 (何人殺せば「虐殺」になるのでしょうか?) しかも村上春樹は暗にナチによるホロコーストと関連付けるような書きかたをしています。 これは問題表現です。 このような書きかたはすべきでなかったと思います。 ここを読んだあと せっかく小説を楽しんでいた私は一気にしらけてしまいました。 このような軽率な、あるいは安易なことを書く小説家の本を読んでいるのかとがっかりしました。 しかし、気を取り直して続きを読むことにしました。 ところがまたこのことが蒸し返されます。 南京虐殺の細部について 雨田具彦の息子であり主人公の学生時代からの友人、雨田政彦(今の家に住むことを勧めてくれた人)との会話でまた南京虐殺の話になります。 政彦から電話があり、主人公は東京まで出かけ政彦に会い食事をする。その時の会話です。 政彦にとっては叔父にあたる具彦の弟、継彦の自殺の件を主人公がもちだすのです。 遺書があったという。そこには南京で経験したことが生々しく克明に書かれていたという。 (筆者注:ここで筆者はこの話には或いは取材に基づいた、実際の事実があった可能性も考えました。しかしたとえそうであっても、それは一事例であり、南京事件の全貌を伝える「事実」とは言えないと思いました) また引用します。継彦叔父の遺書の中身について、政彦が語る部分です。 P97 「これまで日本刀なんて手にしたこともない。なにしろピアニストだからね。複雑な楽譜は読めても、人斬り包丁の使い方なんて何一つ知らない。しかし上官に日本刀を手渡されて、これで捕虜の首を切れと命令されるんだ。(中略) 殺し方は銃剣で刺すか、軍刀で首をはねるか、そのどちらかだ。(中略) 屍体はまとめて揚子江に流す。揚子江にはたくさんのナマズがいて、それを片端から食べてくれる。真偽のほどはわからないが話によれば、そのおかげで当時の揚子江には子馬くらいの大きさに肥えたナマズがいたそうだ。」 これもまた恣意的な書きかたと言わざるを得ないと感じました。 「真偽のほどはわからないが話によれば」という表現が虚しく響きます。 村上春樹は何を書きたいのでしょうか? 何となく分かるような気もします。ヒューマニズム? ノーベル賞が欲しいのか?と勘繰りたくなります。 かって村上春樹はディタッチメントの作家と言われていました。 それが1995年(阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件の年です)以降 コミットメントの作家に変貌したと言われています。 こんな形でコミットメントするのならディタッチメントの作家でいて欲しかったとすら思います。 ●読み始めたのだから最後まで読みますが、安易なヒューマニズム表明の作品で終わらないことを望むばかりです。 ◎小説を半分読んだ時点でこのような文章を書くことはそれこそ「不適切」なことかもしれませんが、先を読み進めることをためらわせる程の記述があったので、私としては仕方ないのです。 ここで読むことを止める選択も私にはあるのですから。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
より誤魔化す事なく(悪い意味ではありません)書ききった作品なのかなと思います。その結果なのかどうなのか分かりませんが、これまでの作品の様なリアリティをタイトルにもある主要人物に感じられませんでした。読み終わった後、イマイチかな、老いたのかな、と思った事もあります。同じ穴でもねじまき鳥の方が恐ろしかったなとも。それでも時折雨田氏や免色氏の邸宅を思い浮かべます。イデアとかメタファーとか言うと陳腐な感じもしますが、その用い方は巧みです。登場人物の言葉は筋を追わせるものでなく自然に響きます。好き嫌いはあるでしょうが決して悪くはないんじゃないかと。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
第2部を読んでいる途中で気分を害しました。 第1部、第2部共に そのまま焼却しました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
えっ?と思うようなところがあり、 読んでてイライラするし、憤りさえ覚える。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
上記2種の人間による話題づくりのためだけに存在する本。 ストーリーとかモチーフとかなんてどうでもいいですわ。 もともとそんなん,村上だって意識してないんだから。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
左翼思想の作家さんだからこうなるのもわかってましたが、それ以前に面白くない 長い間やられてるので面白い面白くないのはあるのが当たり前ですが、今回は… 残念です | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
正直、出来は良くない。 何よりも、あの流れるような文体が、変な翻訳語みたいな感じで非常に読みずらい。 わざとやっているのかもしれないが、その理由がわからないし、わたしには確実に作品の魅力を損なっているように感じた。 音楽のように言葉を紡いでいたあの「村上春樹」という作家はどこに行ってしまったのだろう。 短編集「女のいない男たち」では、文体は昔のような独特の匂いは薄れていたけれど、こんな風には感じなかったし、結構面白かったので、この小説は特別出来が悪いような気がする。 進化の途上の足踏みならいいのだけれど。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ハルキストではありませんが、村上氏の著作はほぼ全部読んでます。 一番好きなのは、「国境の南、太陽の西」。この小説だけは何回も読み直してます。傑作だと思います。 さて、「騎士団長殺し」。さすがに手練れの春樹氏だけあって、第一巻はぐいぐいと読ませますね。 絵画についてもかなり勉強なさったんでしょう、なるほど絵というのはそういう成り立ちのものなのか、と絵画鑑賞のど素人の私はいろいろ関心したりしてました。 それにしても、一文無しに近いはずの主人公が妙に金持ちっぽく見えるのはなぜなんでしょう。 あまりぱっとしなさそうな中小企業経営者を親に持つ、特に裕福でもない出自の主人公が、わずか35歳にしてクラシックやオペラ、50年代、60年代ロック、しかもアナログのLPレコードのそれらに通暁しているのはなんだか違和感ありますなー。 こういう人って割といるんでしょうか。そんなことどうでもいいんしょうね、たぶん。 第二巻の穴に潜り込んでいくあたりから、お馴染み村上なんでもありワールドに突入し、まじめに読むのがバカバカしくなってきて、読了するのが苦痛です。 1Q84でも、後半は読み続けるのが苦痛になりましたが、あれと同じ感じですね。第一巻の力強さと第二巻の冗漫さの落差があまりにひどい。 著者が息切れしちゃってるんでしょうか。 たぶん、これが最後の作品になるのではないかと思うんですが、次の作品が出てももう買わないと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「海辺のカフカ」以来の久々の傑作を期待していたのですが、出てきたのはむしろ後退した、焼き直しと「老い」ばかりが目立つ小説でした。 ほとんどセルフ・カバーなんじゃないかと思うくらい、彼の著作のプロットやモチーフが多用されているし、それと同時に物語のテンポは従来よりもひどく緩慢に感じました。計1,000ページにも及ぶ長編ですが、本来はこの1/3くらいで書けてもよい内容だと思います。それを懇切丁寧なストーリーテリングと感じるか、冗長と感じるかは読み手によるでしょうが、少なくとも私には筆者の老いだけが強く感じられてなりませんでした。特に第2部後半からは読んでいて大変苦痛だった。 「色彩を持たない〜」のような失敗作を書いてしまったあとのためか、内容的にはおそらく原点回帰的な思いがこめられていて、自己をリブートし、過去の長編で繰り返し語ってきたことに再トライするような筆者の意思を読んでいて感じました(主観ですけど)。 しかし、そこに新規性はなにも感じなかったし、その冗長さからは「話が間延びして長くなってきている晩年のお笑い芸人」のような劣化や鈍化が表れているように思えました。 また、細部についてですが、南京事件に関する扱いの雑さや、2部の最後であまりにも唐突に物語を東日本大震災に絡めてくる点が非常に気になりました。この点だけで、筆者に対する不信感を深めた読者も少なくないと思います。考えたくないことですが、筆者自身が頑なに否定している「賞レースへの色気」を思わず勘繰ってしまい、背筋が寒くなりました。 主人公は30代半ばで、しかしその人物造形の時計は1980年代で止まっていて、それでいて現実に起きた3.11に絡ませるのはめちゃくちゃだと思います。いびつすぎて目眩がします。それは、きちんと「今」を書こうという誠実な態度ではない。残念ですが、その軽薄さと「ずれ具合」は新作発表のたびに深刻になってきていると思います。筆者はいつまで古い時代に留まり、「自分の内省にだけかまけ続ける」物語を綴っていくつもりなのでしょうか? これまでの出版戦略を鑑みると、第1部冒頭のプロローグを受けた「第3部」が登場する可能性もあると思います。「騎士団長殺し」が第3部で大化けする可能性はあるのでしょうか。いずれにしても、村上春樹にはもう残された時間はほとんどないと思っています。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
レビューにひどいことばかり目立ってきました。人目につかない裏庭の穴にでも叫んでください。 ワンパターンみたいなことを言いますが村上春樹が読みたくて読んでいるんです。村上春樹が又吉や湊かなえみたいなのを書いたって読みたくありません。 夢の国からネズミや犬のキャラクターがいなくなったら誰が夢の国に行くでしょう 村上ワールドもしかり。おなじみのキャラクターがいるから足を踏み入れたくなるのです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
免色さんはギャツビーだと思いながら読んだ。フィッツジェラルドの…。で、自分にとってはずっと難解な話だった「ザ・グレート・ギャツビー」についての理解が深まった気がした。長編はやはり村上氏の主戦場だなと久しぶりにわくわくしながら楽しんだ。もし今後第3部が出るなら、レポレッロ(ドン・ジョヴァンニの従者)に対応するキャラクターに期待。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
かつての魅力は文体それ自体に加えて、 形而上の世界と卑近な欲望、物質との接合の 巧みさ、あるいはファンタジー要素と現実との 重なり合いの上手さがあったのだと思いますが、 随分色褪せましたね、と感じました。 装丁はそれなりに上質であるので、 本棚を飾るのには良いかもしれません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
なかった事をあった事として本に書く。 そして日本国民全員を貶める。10代の学生にとても有害です。 このような本は青少年有害図書に指定するべきですね。 断じて容認できるものではありません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
1984に引き続き最後まで読めなかった。 初期の作品が本当に面白かっただけに、実に残念。 それから、歴史の勉強をしっかりやってほしい。 蒋介石は第二次上海事変から南京陥落にかけて何十回と記者会見を開いて日本軍を非難しているが、 市民の虐殺があったなんて当時は一言も言っていない。 もちろん、毛沢東も南京虐殺なんて口にしたことはない。 すべては、戦後に作られたフェイクに過ぎない。 残念ながら今回は著者の知的レベルまで疑いたくなった。 ノーベル賞は夢のまた夢ですな。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!