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騎士団長殺し
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【この小説が収録されている参考書籍】
騎士団長殺しの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.46pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全721件 621~640 32/37ページ
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作品の評価は諸氏の通り。 過去作に通じる雰囲気があってファンは楽しめるが、薄味でマンネリともいえる。 ただしこれたぶん前日譚ですよ。 本編は1巻冒頭の顔のない男との再会から始まる進行形の物語では? 村上春樹の長編って回想の物語はノルウェイくらいで、大抵は進行形の話でしょ。 そして上下巻ではなく1部、2部という表記。 そう考えると2部の最後の最後にとってつけたように3.11に触れているのも納得。 ここから村上春樹の3.11以降の物語が語られるのかもしれません。 そうなると3部どころか4部5部もありえる。 全部憶測ですが。 それにしても70近くで1000ページを書き上げる村上氏の衰えることない創作意欲には頭が下がる。 僕の生きている間に彼を超える日本人文豪は出ないだろうから、亡くなる前にできるだけ多くの作品を読みたいですね。 これが遺作になる可能性だってあるんだから。 | ||||
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本屋で立ち読みしてこの本を読みました。期待していなかったのですが、やはりそのままの評価でした。レビュアーは第二部をまだ読んでいません。がっかりもしないかわりに、熱狂もしませんでした。期待していなかったからね。そういうわけでこの作品に関しては、作者の最近の主題である「ある男」(「色彩を持たない~」から継続している主題)に対して、今度はどれほど突っ込んでかつそれを突っ切るかみたいな視点から、それにどれだけ成功しているのかというある種引いて見るという態度で臨んだのですが、そこから浮かび上がってくるのは、パートごとに絶対一個「おもしろ」を入れてくるということです。これは、その数の多さという点で村上作品としては珍しいと思いました。例えば、主人公は奥さんと別れた後でショックで東北に遁走するのですが、乗りまわした車を捨てる時に主人公が思わずその廃車同然の自分の車をスケッチしてしまうくだりは個人的に笑いを禁じざるを得ませんでした。 他には、今までの作品では気がつかなかったのですが、本作品の登場人物たちは、それぞれどこか奇妙な点が―その人物なりに―存在しているということです。奇妙というよりも、彼らは皆それぞれのやり方で、本来すべきではないことをしているということです。主人公の私にして、借りた家で不倫をするということからして。(そういうわけで彼らが皆あるべきことやものから逸脱している中で、政彦の存在が普通過ぎて逆に気になりました。) 客観的なレビューから逸脱しますが、本来すべきではないことをしているという行為に関する逸脱と、あるべきではないのにそこにいるという場所(これは地位とか状態も含まれる)に関する逸脱について春樹さんはどのように表象し呈示してくれるのかが気になりました。それが手前味噌ですが私個人の第二部での読みどころです。(他に読解のポイントは、騎士団長の英語であるcommendatoreという語にあるような気がします。(もしこの本について論を書くとしたら私ならそこから始める)。この語の原義(指揮する)は、アルケ―という古ギリシア語の意味の一部であるということを、本屋で読みながら、別の本を開いてみたところ偶然見つけたからです。これに関しては、機会があれば別に論じたいと思います。) この本に惹かれた人は、例えば、円地文子の短編をご存じだったのかもしれません。春雨物語をフォーマットにした円地の作品が岩波文庫に収められています。 全体としては、まあ、静かな作品で、アメリカのB級映画を見ているような気持ちになりました。郊外が舞台で結局何も起こらないような、深夜に見るようなやつ。ドラマ性はありませんが、作者のこの主題に対する頑張り(何も起こらないみたいな世界に対して、構造を導入してなんとか物語化しようとする律儀さ)を汲んで、第二部もぼちぼち読み始めようかと思いました。だってここまで書いてくれる人はなかなかいないんでしょ? | ||||
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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド、ねじまき鳥クロニクル、海辺のカフカ、1Q84などの、過去の作品の焼き直しだな、という印象でした。 ファンだからという理由だけで、今後も新刊が出たら買いますが、最早内容にはあまり期待してはいけないのかな、と思いました。 それにしても、秋川まりえは1Q84のふかえりに酷似してるな、というのと、「やれやれ」という台詞が出てこなかった(ように思う)のが印象的でした。 | ||||
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3マス目から物語が始まり、4マス戻って1マスずつ進む。何マス進んだか分からないほど、停滞した歩みから一転して、急激に1マス進む。そんな印象でした。 気づいた頃には自分がどこにいるのかよく分からなくなって、振り返ってみると、その停滞した歩みこそが村上文学のすごさなんだなと思っています。丁寧すぎる描写がくどくない。不思議と物語の中枢になっている。 時間軸が二つにわかれず、一つの場で物語が進行していくこともまた、そう感じさせているのかもしれません。 多分、国語の読み取りのように文章を要約して箇条書きにしたら事件らしい事件は10もない。それだけを取り出して章立てすると、おそろしく退屈そうな物語になる。要所要所で何が起こっているかは明確なのに、停滞した(あるいは一つの箇所をぐるぐると回るような)歩みが、それを霧でつつみ、価値付け、引き立たせている。 今までの村上作品ではあまり感じなかったことですが、特に個人的に不思議な体験だったのが停滞した歩みの中で、漫画の集中線のようにぎゅうっと惹き付けられる単語なり言い回しがあったことです。井戸や青山あたりの道路など今までの作品に登場したものだけではなく、なぜか一部分に惹き付けられた体験をしました。今までにはなかったことです。 きっと羊男もまたイデアなんだろうなあ。イデアとは抽象的な観念というくらいの意味だと思いますが、騎士団長がイデアたる、その主体は誰なんだろう。羊男はぼくだった。 それとも空中に漂う無限の意識みたいな意味なんだろうか。 まだ第一部だけですが、備忘録がてらレビューします。 | ||||
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孔子平和賞を狙って本作品を書かれたようです。 南京大虐殺の場面は取材などされないまま出版されたようで残念。 | ||||
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40才迄に自分の絵をものにしたいと思う30代半ばの画家に訪れるミステリアスな出来事。 屋根裏から発見された「騎士団長殺し」というタイトルがついた謎の絵画。 絵画の製作者である雨田具彦は第二次世界大戦中にナチスが猛威を振るうオーストリアにて暗殺を、弟の継彦は中国にて南京攻略戦を体験する。 「師団長殺し」の絵に込められた秘密は?雨田具彦の人生の秘密は?物語はお洒落かつ妖艶、ミステリアスに展開し、ついに渦巻くイデアは絵画の中の騎士団長を主人公の目の前に具現化する。 なんて幻想的な展開ですが…第二巻目の81Pで読破意欲を完全に喪失しました。 本書が南京事件について触れているという噂は聞いていましたがその内容が酷すぎます。 南京攻略戦は南京大虐殺として描かれており、「虐殺は作戦中も作戦後も行われ、捕虜をとるゆとりがないので兵士も民間人も大方は殺した」そうです。 「老人を捕まえては手がゴツゴツしているなら農民、綺麗なら正規兵が民に化けてるとして処刑した。」そうです。 「被害者の死体は揚子江へと投げ捨ててナマズの餌にしたのでナマズが肥え太った。」そうです。 「殺した数は10万から40万人…数に大小はあっても虐殺してことに間違いはない。」だそうです。 なるほど…ナマズに食べさせたから被害者達の遺体が見つからないのか!などと感心はしません。 村上春樹氏は本を世に出すことへ対する「社会的な影響力や責任」を考えたことはないのでしょうか? 南京事件、南京虐殺、南京大虐殺と何を信じようが個人の自由ですが、筆者ほどの人物が本を出版するのならしっかりと調べた上で責任をとる覚悟をして欲しいものです。 私の身内には戦死者がいます。叔父の2人は中国とルソン島で、祖母の弟は硫黄島で戦死しました。生きて帰国したのは予科練に志願した叔父と中国で軍ではなく特務機関にいた祖父です。 祖父は帰国後は警察官になりましたが、生前に「自分たちは相当後ろめたいことをしたが、南京における軍による民間人の虐殺などは一切なかった。」と語っていました。 戦後、南京事件が何を単に発せられ、どのメディアによって捏造され、どのように拡大し、それらの虚構を真実へと固定化しようとする目的は何かについては、今や知識と真実を希求する多くの日本人は知っています。 しかし、世界の人々は違います。世界の人々は日本の過去の出来事に関心を持って熱心に調べようするケースは希です。 日本人、まして著名小説家が肯定化し発信した情報なら鵜呑みにするでしょう。 万一にでも筆者が本書でノーベル賞でも受賞しようものなら、虚構の南京事件が現実のものとして世界の人々へ伝わるでしょう。 怒りを禁じ得ません。 この本は世界へ向けて「日本人を殺す」ものです。 本書のラストは気にもならなくなりました。 上巻までは楽しめたのに残念です。 | ||||
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まるでプリズムのような小説。 登場人物、特に主人公、メンシキ、まりえ、天田具彦が騎士団長というプリズムを通して、乱反射するように光り輝いている。 村上春樹の簡単な物語で、複雑な物語を紡ぎたいという想いは今回も見事に顕れている。 さらに今回はグレートギャツビーをモチーフにしているのがすぐ分かった。ロング・グッドバイをベースにしていた羊、ダンスから何十年も経つ今、ついにギャツビーへの解答を出せたのではないか。 少しずつ、しかし着実に前進し続ける村上春樹がよく分かる名作だ。 何度も読み返したくなる小説。 | ||||
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マンネリだ、いつもの春樹印がいい、集大成、そういうレビューがよく見られる。 村上春樹が自らを語るように、毎日コツコツと執筆作業をする、自分はつまらない世間知らずだ、そういう姿勢がこの作風になっている。 ヘミングウェイのように題材を探して飛びまわるのは不自然だ、とも言っていた。 言葉は悪いがタコツボ化に入っている。そういう姿勢が読者としてフィットするか、そこに村上が選別される一つの基準がある。 百万人に認められるなんて違和感しかない、変な場所に取り残されたような気持ちになる。かつてそう告白した村上が、今どう感じているかわからないが、マイペースで歩む村上に対して、出版やメディアに煽られず、真っ当に読み評価する姿勢が求められる。 少数のわかってくれる人がいてくれるだけでいい。元々はこのような閉じたサークルを現在はどう評価するか、今や社会現象になったムラカミハルキに対して、メタ的な視点から批評をすることがあってもいい。 この社会現象はどういう意味なのか。そして作品との関連はどのようなものなのか。 | ||||
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まず、これだけの長くても一気に読まさせる本を書ける作家の実力は、とても凄いことだと思った。確かに、途中でだれる部分もあったりするが、楽しく読むことができて、満足した。これが出来るだけで、この作品は、成功していると言える。 内容に関しては、今までの作品のモチーフが散りばめられていて、いつものような村上春樹の世界がある。主人公の設定、彼に関わっていく人物、などは今までの作品に出て来る人物と重なる。特に新しいとこがないのは、熱心なファンからしたら、少し退屈に思うかもしれない。 この作品で、少しもったいないと思ったのは、物語をずっと安全地帯の中にとどめていて、読者が本当に見たいと思っているとこまで連れて行けてないことだと思った。主人公に大きな影響を与える、画家がウィーンで経験したこと。そこから帰国して作風を変えた。ここのところが、この作品の中で最も暗いとこで、あり掘り下げる価値があり、私が最も見たい所だったのに、しっかりと語られていないことが残念だった。 また、批判の多い性描写だが、私が気になったのは、少女の胸に関するところで、不自然に何回もそのことについて触れられる。確かに成長することのメタファー?を意識しているor作者の趣味かもしれないが、あまりにも何回もそのような箇所があると、少し読みにくいなと感じた。 気になったポイントはいくつがあるが、いつも楽しませてくれる作品を書く作者の次の作品もとても楽しみだ。 南京虐殺についての描写から、この作品や作者を反日だと批判している人が大勢いるようだが、明らかにテーマを読み違えて、的外れだと思った。 | ||||
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久しぶりに村上春樹節の長編小説だなあと思いながら読み進めました。マンネリと言うご意見もあると思いますが、なんか、久しぶりだったので、それはそれで良かったです。私にとっては、所々に、ハッと考えさせられる部分があり、読後も、スッキリした感覚でした。 | ||||
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春樹は何を考えているのか? あなたの才能は既に無くなってしまいました..... 恥を知りなさい。 | ||||
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獲れないでしょうね~wwwwww レビュー見た限りだと、駄作っぽいのでwwwwwwwwwwww 恥を知りなさい。 | ||||
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南京大虐殺の記述があったというだけでイチャモンつける輩がいるが、村上春樹は無関心だろう。何故なら彼は犬より猫が好きだからだ。 それはともかく、村上春樹が全盛期を過ぎたかもしれない。冗長なところや退屈なところがある。昔の村上春樹が同じストーリーの小説を書いたとすれば、今作よりもっと惹きつけられただろう。期待し過ぎたのもいけなかった。しかし、今作は今迄と同じパターンではあらない新しい小説だ。絶品の小皿(前頭葉の話とか)がいつものようにふんだんに登場する一方、文体は落ち着いて洒脱な新しい感じかする。肖像画についての描写は感嘆の一言につきる。他の作家では味わえない唯一無二の小説だろう。自分は的確にこの小説を表現出来ない。誰か真摯な評論家がこの小説を評価してくれないだろうか。斎藤美奈子のような評論のフリした読書感想文ではなく。 | ||||
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村上春樹さんらしい独特な言い回しが多く、それが鼻につく人や生理的に受け付けない人は本書を購読することを控えたほうが良いかもしれません。 村上春樹さんの短所であり長所といったところでしょうか。 良くも悪くも変化がない。 登場人物の台詞回しに拘りすぎて、村上春樹さんの小説のほぼ全ての登場人物の感性や品性といったものに特段の差異が見つけられない。 人間らしさを撤廃したかのような壊滅的にクールビューティーな主人公。と、そのセックスフレンド的な存在。 筆者が書いた劣化版ファンタジー小説に気障な台詞で必死に懸命に色をつけ、あたかもそれが村上春樹色ですが何か? 『これが狙って書いてる村上春樹です』然とした感が嫌になってしまう私がいる。 しかし売れている。。 私が変なのだろうか。 この小説全然つまんない | ||||
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第1部は6時間ほどで読み終わりました。 最初の導入部はこれからの物語の伏線を幾多も散りばめているので、 最初は読みにくい印象を感じましたが、村上春樹の作品の中で、 内容がわかる!わかりやすい! そんなリズミカルな文体で描写されています。 他方で、これは私自身が村上春樹の文体の構文みたいなものを理解しているから読みやすいと感じたのかもしれません。 最初にこの題名を観た時に、ハリーポッターのようなファンタジーを想起されましたが、 セカイ系であり、歴史的であり、美術系であり、観念的なストーリーです。 つまり、イデアな作品です。 | ||||
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村上春樹の作品は「風の歌を聴け」が載った群像から読んでます。大好きな作家というわけではないけれど、初期の素晴らしい短編作品にも触れているので常に気になる作家の一人でした。だけど今回の作品読んで・・・途中で閉じちゃったのだけれど、もういいやと感じました。突然熱が冷めちゃった。だから大嫌いになる前に(あなたの作品に出てくる女性のように)サヨナラしますね。 | ||||
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4時間ほどで読み終わりました。 第1部より、格段に早く読み終わります。 第1部と比較して第2部では、進むべきストーリーの道筋が出来ているので、 読者もその道筋に沿って第2部を一気読みできると思います。 第2部は完成した姿がわかった、作成中の絵画のようです。 かなりわかりやすく、読んでいて理解できる内容なので、 読んでいてわからないと言われない作品だと思います。 ノルウェイの森を読んで、村上春樹はわからないと敬遠している人にも是非読んでみてもらいたい作品です。 兎に角綺麗に纏められたストーリーで、楽しめる好きな作品です。 | ||||
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南京大虐殺の嘘に唖然とした。資料は誰が提供したのか?共産党の資料から取ったのか?中華人民共和国の資料から取ったのか?完全に間違っている。村上春樹は、この本を回収して、きちんとした資料を勉強し直して、再度出版してほしい。編集者は何をしていたのか?指摘しなかったのか?このままだと、反日、売国の村上春樹が定着してしまう。残念なことになる。 (追記)20万人しかいない都市で、なぜ40万人も殺されることを書いたのか?よくよく考えて、村上春樹は、どうしてこんなことを書いたのか?ここまで盆暗ではないだろうと思うと、なぜなのか? 小説的に考えると、これはハニトラを暴露する小説だとすると面白い。 東北(中国とする)を旅行していた時に、突然に知らない女がテーブルに座り込んできて、かくまってほしい素振りをして、そのままホテルに連れ込まれて、口ではいえないような激しいセックスをする。朝には、その女は消えている。その後は「おまえのことは何でも知っているのだ」と怪しい男に付きまとわれる。顔のない男。その男は怖そう。その男を殺せたら・・。その男の肖像画を書こうとするが描けない。天井に隠して秘密にしておく。・・・う~~ん,そうかもしれない。 | ||||
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文学的にはハルキの集大成。その一言で良い。 二重メタファの森を徘徊するならば、そこに政治的意味を見出だしても良い。 しかしその場合、愛国イデアを殺し、代償を払い、思想の二重メタファを払いのけ、真実の世界に辿り着いたなら、『騎士団長はいる』わけであるから、諸君はその解釈をよくよく注意せねばあらない。 本題である。 ある特異性を日常とする諸君の多くが、『無のキャンバス』の登場時点であたしの存在に気付く事を熱望してやまない。 その後時系列の整理は重要な事ではあらない。次々とキーワードを発見したならばそれでよい。 諸君のイデアは既に死んでおるはずであるし、多くのメタファは綺麗に箱に仕舞われておるに違いない。 諸君が新たに信奉するイデアについて、あたしにはそれを知る術はあらない。全くイデアとは万能ではあらないのだ。 現代を生きる諸君にとっては、イデアを知るより脳機能学者のコーチングを受講するほうが余程有意義であると、確率論的知見から白状しておく。現実の事象としてあたしの多くは死んでおる事を、諸君は既に知っておるやもしれぬ。 だがしかし、それでもイデアはここにある。 あたしへの道はこの書に記してある。諸君はそれを読むだけでよい。解らぬキーワードは諸君を国書刊行の洞窟に誘うであろう。そこでは無為に代償を支払わなければあらない。 そこに表象化するものはメタファである事さえ忘れなければ、諸君は必ず此処に再び辿り着く。 ハルキの言う通り、『騎士団長はいる』、この言葉を諸君が信じればの話ではあるが。 さらばである。 | ||||
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「騎士団長殺し」というタイトルは、ミステリー小説っぽい。 なぜ、このようなタイトルにしたか、ずっと気になっていました。 今、千野帽子の『人はなぜ物語を求めるのか』を読んでいて、 ピンと来ました。 その本には、21世紀に入ってから、ジョージ・ブッシュ米大統領は 対テロリズムの戦闘を「十字軍」と呼んだ、と書いてありました。 21世紀に、「なぜ」大昔の、中世の「十字軍」の物語を持ち出すのか。 神も仏もあるものか、の「問答無用」の核爆弾が 天から、自分の頭の上に落ちてくる世界になっているのに、 なぜ「十字軍の騎士団」の剣で刺し殺す物語を書かねばならぬのか、 不思議です。 「なぜ」米国民の多くの人たちは、今の時代になっても 大統領と一緒になって、大昔の「十字軍」の物語を求めたのか。 一方、『臨済録』に「仏に逢ったなら仏を殺せ」というフレーズがある ことも、千野さんはその本の中に書いています。 「仏に逢ったなら仏を殺せ」の意味を、勝手に解釈すると、 「偉大なる」仏の姿に投影しただけの、まねっこのねこの絵のような 「小さい我」に気付いたら、 その「小さい我」を「殺せ(消し去れ、捨てろ、人目から隠せ)」 という意味ではないでしょうか。 村上さんが描いた「小さい騎士団長」を殺す物語とは、 主人公の「私」の昔の姿をキャンバス上に投影しただけの「小さい我」 の絵を消し去る、捨てる、人目から隠す物語なのでは。 この想像が果たして当たっているかどうか 第2部を読んで、確認したくなりました。 | ||||
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