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騎士団長殺し



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騎士団長殺しの評価: 3.46/5点 レビュー 721件。 Cランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.46pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全721件 441~460 23/37ページ
No.281:
(5pt)

誰にだって、「騎士団長」はいるはず

人生、誰だって、思いのままに歩んでいる人は少ないと思う。自分のあるべき人生といまとの落差に葛藤もするし、苦しむことだってある。自分ではどうにもならないことだって多い。でも、この小説は、自分を導いてくれることを「信じる力」があれば、人生を歩んでいくことができると、一人ひとりをそっと後押ししてくれるような優しさのある希望の小説だと思う。主人公の「私」の言葉には安らぎを感じることが多かった。

「完成した人生を持つ人なんてどこにもいないよ。すべての人はいつまでも未完成なものだ」
「この世界には確かなことなんて何ひとつないかもしれない。...でも少なくとも何かを信じることはできる」

「私」の周囲で事件が輻輳して起きるが、第2部の3分の2まで進んでもなかなか収束する気配がなく、どうなるのかと、先がとても気になりながら読み進んだ。村上春樹の文章は、とにかく読者を読ませる。
世の中には、「私」とは対極的な免色渉(めんしき・わたる)のように、思惑を持って必ず布石を打ちながら動く人もいるし、それがうまくいっている人もいる。ただ、この小説は、自分を導いてくれる「信じる力」があれば人生は何とかなると、優しく語りかけている気がする。

「私」が、暗闇の世界でもがきながら歩む場面は、私たちそれぞれの人生で葛藤したりもがいたりしている姿と重なる。人生でうまくいくことなんてそうそうないけれど、自分を導いてくれるものを「信じる力」があれば、人生は歩んでいける。この小説を読んでいると、人との結びつきも、自分の「信じる力」しだいだと、私たちにそっと囁いている気がする。

社会的な成功を治めた人の人生だけが、必ずしもいいというわけではない。人からどう見られようと、自分が幸せだと思ったら、それはそうなのだし、そう思っていいのだと教えている気がする。「私」の新たな家族となった娘が、妻との間にできた子供であるかどうかは関係ない。結びついていると「信じる力」こそが大切なのではないかと、思えてくるのである。「私」が最後につぶやく言葉には、ほっとさせられる。

「どのような狭くて暗い場所に入れられても、どのように荒ぶる曠野(こうや)に身を置かれても、どこかに私を導いてくれるものがいると、私には率直に信じることができる」
「騎士団長はほんとうにいたんだよ」

人生が自分の思いのままにならなくともいいんだと、それぞれの人生を包み込んでくれる優しさを感じる。
誰にだって、「騎士団長」はいるはずだから。
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
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No.280:
(3pt)

第1部はまだ力強い。第2部でガクッ。

若いときに優れた美しい、力のある作品を書いていた作家が、ある年齢を迎えて、疲弊の色を急激に濃くしていくことがある。「文学やつれ」という言葉がぴったりするような、独特のくたびれ方をする。書くものは相変わらず美しいかもしれない。またそのやつれ方にはそれなりの味わいがあるかもしれない。しかしその創作エネルギーが減衰していることは誰の目にも明らかだ。それは彼/彼女の体力が、自分の扱っている毒素に打ち勝てなくなってきた結果ではないだろうかと僕は推測する。これまで毒素を自然に凌駕してきたフィジカルな活力が、ひとつのピークを過ぎて、その免疫効果を徐々に失っていったのだ。そうなると彼/彼女は、従来のような主体的創造を続けていくことが難しくなる。想像力と、それを支える肉体能力とのバランスが崩れてしまったのだ。あとは、それまで培ってきたテクニックや方法をうまく用い、余熱のようなものを利用して作品の形をただととのえていくしかない。
ーーー『走ることについて語るときに僕の語ること』
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.279:
(2pt)

翻訳書を読んでいるような気分…。

友人の父が使っていた小田原郊外のアトリエに管理人代わりに住むことになった、
肖像画家の「私」。
向かいの山の豪奢な邸宅にすむ男から高額な謝礼の肖像画を依頼されて以降、
それまでの静かな暮らしと打って変わって「私」の周りで不思議なことが起こり
始めた…。

しかしノーベル賞に手が届く大作家にしては、日本語が硬くないか。

…枝がまるで盆栽のように美しく整理され、病気にかからないように丁寧に
処置が施されている。…

「病気にかからないように丁寧に処置…」とはどんな処置なのか。
こんな言い方、まずしないだろう。
ドンジョバンニの騎士団長、オペラや音楽、映画、いかにも翻訳しやすそうな
日本語。
作者は、日本の読者にきちんと向いているのだろうか。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.278:
(3pt)

普通に面白くない小説でした

「1Q84」「色彩を持たない〜」ときて、もう買わない読まない…と思ってた村上本。
TSUTAYAのポイント10倍に釣られ、また…。村上文学は僕みたいなヒトびとにも支えられてるンだろうな?
今回は新潮文庫『宇宙ヴァンパイアー』巻末の対談にて語られた村上センセイの発言に引かれたという動機もあって早速、読んでみました。
先行する辛辣なレヴューの数々にビビりましたが、なんのことはない普通に面白くない小説でした。それでいてサクサク読み進ませる技術は(ある意味)凄い!
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.277:
(1pt)

すごく読みやすい、ただ得るものは何も無い。

今回の『騎士団長殺し』も非常に読みやすく、一気に読めた。
つまりは、何も考えず読めるという事で、
当たり前だがこの小説から得るものは何一つとして無い。

相も変わらず、人生を舐めきった登場人物と、
どうでもいいようなファンタジーめいた
ストーリーをこれでもかというくらいの言い回しと比喩で続けていく。
特に3.11の震災については、
信じられないくらい一人よがりの話に終始して、
彼の3.11に対する思いが、よく理解できた。

この小説を理解できない人は馬鹿というのは
きっとそうなのだろう。
しかし、少なくとも私は小説を読み終わった後は、希望、勇気、絶望それら何でも
いいから・・・感じたいのだ。
何もないというのは一番困る。

ムラカミハルキを読んだ、この作品もそれだけだ。
それだけできっといいのだろう。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.276:
(2pt)

読書する快感(?!)はあった…

旬は今月(2017年3月)中と考え、第一部に続いて更に読み進める。
前巻にも増して、サクサク読める感は更に加速。凡そ24時間で500頁あまりを読了。例によって、取って付けたような“ポスト311"な終章まで、面白くもなんともないのにハイピッチが緩むことなかったのには自分でも吃驚!
そこにはページをめくり、活字に目を走らす心地よさ=“読書の快感"が確かにあった…。
しかしながら、本書が無人島に持参した只一冊であろうと、騎士団長御自らのオススメであろうと、
再読することは
“あらない"
と思う。
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
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No.275:
(5pt)

静かな予感を孕んだ序奏

「私」が暮らす小田原の山の上の小さなアトリエ。
時間・天候・季節の移り変わりを緻密に丁寧に描写している。
風や草木の匂い、光の変化、雲の動き、雨の音、小鳥のさえずりがリアルに感じられ、物語世界に容易に引き込まれてしまう。
そして真夜中に微かに鳴り響く鈴の音。それまで盛大に合奏していた秋の虫たちは一斉に鳴くのをやめ、「私」の耳にはただ微かな鈴の音だけがどこかから響いてくる。物語は静かに動き始める。

批判的なレビュアーの方が書かれているように、たしかに過去の長編と物語の道具立ては重なるところが多い。
「私」はこちら側の世界とあちら側の世界を行き来し、私たちの中に潜むある「邪悪なもの」と対峙する。
それは村上にとっておそらく最も大きなテーマの一つであり、物語を語る上で「壁抜け」するための井戸や石室はなくてはならない道具なのだと思う。
物語の道具立て自体を非難するのは、ジェリー・マリガンに「またピアノ抜きでやるのか?」と非難するようなものなんじゃないだろうか。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.274:
(1pt)

性描写が多すぎる。子供には薦めることはできません。

とりあえず読んでみました。
かなり時間がかかりました。
といっても、まだ、第一巻だけで、第2巻にはこれから取り掛かります。

とにかく、性描写が多すぎます。
必要性などないと思えます。
まあ、作家ではないので断定はしませんが。
子供には薦めることはできません。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.273:
(5pt)

集大成

ようやく第1部を読み終わりました。
村上春樹という作家が人生の螺旋階段を一段ずつ確実に登っているんだろうなあ、と予想できる内容でした。
羊をめぐる冒険やハードボイルドワンダーランド、カフカにも登場するイデア。ねじまき鳥で取り上げられた穴(井戸)。
免色渉の存在感など、いままでの長編小説では書ききれていなかった(であろう)シンボルがくっきりと立ち上がっている様は今までの作品の集大成、とでも呼べるのではないでしょうか?
賛否両論ある性の問題ですが、性描写がこの作品の目的でないというのは明らかですし、この作品が均衡を保つためには騎士団長の存在と同じくらいの振れ幅のある描写が必要だったのでは?
第2部が楽しみです。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.272:
(4pt)

村上春樹にしか書けない作品

ここまで、賛否の分かれる時点で他の作家との違いを感じている。高度な文学は誰にでも愛される大衆文学では駄目だ。この点だけでも日本で唯一無二の作家である。
否定する人々の意見はこうだ。
南京大虐殺の歴史認識に問題がある、政治思想が合わない
性描写が多く、品がない、女性を見下している
価値観や設定が古く共感できない

南京大虐殺については、彼の思想を表しているのではなくアンシュルスと逆の側面で戦争の悲惨さを象徴的に表しているだけ、ここは敢えて誇張して表現しなくてはならなかった。

性描写は村上春樹らしさ。身勝手な男の本能的な価値観を出すことで、生命をよりリアルに象徴的に表している。このリアリティがないとメタファーとの対比やギャップが出せない。

価値観や設定が古いことも村上ワールドの一つで、今っぽくないところが不思議な世界への入口なのでこれも無くすことはできない。そもそも共感を売りにする大衆小説ではない。

他にも文章が冗長と言った意見や表現力が落ちたと言った意見もあった。確かに早く次の場面に進んでくれないかなとか、ここはどういう意味だ?という箇所は多々あったが、これも作者の思惑通りかと思う。

リアルな世界とメタファーな世界をイデアで繋ぐ、十分 村上春樹らしく十分楽しめた。

エンディングが普通すぎたので★マイナス1

自分自身 村上春樹が好きな作家かと問われると考えてしまうが
読みたくなる作家であることに間違いはない。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.271:
(4pt)

村上春樹作「騎士団長殺し」:概要と感想(含むネタバレ。)

画家である主人公の「私」は、6年間連れ添った妻から理由もなく離婚を持ち出され、友人の父であり著名な日本画家「雨田具彦」が住んでいた山の上の一軒家での暮らしを始める。その家の屋根裏部屋で不思議な絵「騎士団長殺し」を発見したことから、それまで平穏だった「私」の周囲に静かに奇妙な出来事が起き始める。裕福で何一つ不自由ない生活をしているのに、どこか心のなか奇妙な空白を抱えている谷向こうの隣人「免色」氏。「免色」氏が自分の娘ではないかと思い、接近を試みる少女、「秋川まりえ」。突然夜中に鳴り出す鈴の音。鈴の音の鳴る場所−家の裏の雑木林の祠の後ろにあった奇妙な穴。そして、その中から顕れ、自分はイデアだと称する「騎士団長」なる珍妙な人物。

物語は静かながらもふつふつと泡のように湧き上がる謎をたたえつつ進んでいく。

ー「雨田具彦」氏は「騎士団長殺し」の絵に何を込めたのか。
ー「免色」氏が持つ秘密、そして彼の意図。
ー「騎士団長」とは何か。

物語は除々に様相を変えながら展開していく。それがどこに向かっていくかは分からない。謎が謎なのかも不確かであり、そのための確実な答えも与えられない。不確実で覚束ない中、「秋川まりえ」が失踪する。そして、物語は核心を迎える。

「秋川まりえ」を救うためには、犠牲と試練が必要となる、「騎士団長殺し」の絵のように自分を刺し殺す必要があると述べる「騎士団長」。そして、「騎士団長」を刺し殺すことで開かれる「メタファーの通路」。「私」は、そこに足を踏み入れて試練を受ける。

この物語の核心は「騎士団長」が何で、その殺害が象徴するものは何かにある。それに関して、少し考察したい。

騎士団長は自分はイデア、即ち物事の本質であると述べる。それは、見る人により形を変え、いかなる時間、空間、そして蓋然性にも縛られないとも。物語において、「私」のところに現れ、そしてその場その場に応じて必要な言葉を残して私を導く存在としてある。確定的な答えは示さないものの、何をすればいいのか、何が起こるのかを適切に教えてくれる存在。

「騎士団長」とは他律的な道標、即ち、進むべき道を「教えてくれる」存在ではなかろうか。その「騎士団長」を殺すとは、他律的な道標を放棄し、明確な意思を持って進むべき道を自ら選び取ることを意味するのではないだろうか。そして、「騎士団長」を殺して現れた、「メタファーの通路」における試練とは、関連性のみで物事が動く象限(即ち絶対的なものが存在しない場所)から抜け出せるか、即ち、絶対的に頼りにすべきものがない状況で自分の意思で進むべき道を信じて選び取っていけるかではないか。そして、「私」はそれを成し遂げた。

こう考えると物語の多くに合点がいく。それまでの「私」は、才能を持ちつつも周囲に半ば流された形で肖像画を描いてきた。自分の書きたい絵が別にありながらも、生活のために肖像画家としてやってきた。しかし、「私」は、一連の出来事の後、自ら選択して肖像画を描くことを決める。

「娘」に対する「私」と「免色」氏との違いもここに見いだせる。両者とも、自分の「娘」が実の娘であるかについては確信がない。真実が何かも物語の中では示されないし、誰もあえて明らかにしない。しかし、「娘」が自分の娘かも知れないとの不確かな可能性だけで生きる「免色」氏と、「娘」を自分の娘と信じる「私」の間には大きな差異がある。不確実性の中にあっても、信じることで、不確かなものも確かなものとなる。その力を「私」は得た。最後のページに「信じる」というキーワードが強調されていることはその証左ではないか。

世界に確実なものなんてない、しかし、その中で自己の信念で信じるべきものを選び取って、進むことで世界は開けてくる。そのようなメッセージが託されているのではないだろうか。

決して劇的な物語ではなく、退屈に感じる部分もあるかも知れない。しかし、一つ一つの事象に込められた意味、即ち、そのイデアとメタファーを探りつつ読めば、重層的な物語が眼前に現れる。他の村上作品と同様で謎は残り、不確かなまま終わっていく。おそらく続編はないのであろう。不思議な穴や戦争との関連性等で、物語の随所にねじまき鳥クロニクルとの共通点を見いだせる。不思議な読後感を持った作品。☆4つ。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.270:
(5pt)

明かされる騎士団長殺しの秘密❗

歴史的なものと邪悪なものがモチーフだ。日本画家雨田具彦はナチス抵抗運動で処刑された婚約者のドイツ人女性の鎮魂のために騎士団長殺しを描き、南京大虐殺に加担して帰国後自殺した弟継彦の鎮魂のために日本画家になった。イデアとして主人公私に顕れた騎士団長は具彦の観念、すなわち鎮魂を実現するために私によって殺され、その場面を公証人としての具彦が見届ける。もう一人の中心人物の免色とは、ラカン的に表現すれば、自己の主体を性的欲望の対象に消失させることで生きる世俗的人物の権化である。実の娘である秋川まりえを私に肖像画に描かせることで叶わぬ性的欲望を満たし、叔母に接近して現実の性的欲望を満たす。しかし、免色は邪悪なものを象徴するのではない。本作で描かれる邪悪なものとは、ナチスドイツであり、軍国主義日本である。それをメタファーとして表現するのが絵画騎士団長殺しである。このように考えてみると、本作はとても分かりやすく、面白く読める。作中に引用されるジャズやクラシックの作品、とくにショルティ指揮の薔薇の騎士は素晴らしい。また私がとても面白く読んだというスベイン無敵艦隊の敗北に関する新説は、アルマダの戦いという書名の新評論から出た本で、今は絶版、図書館か古書サイトで読まれたし。エピローグに東日本大震災が描かれ、白いスバルフォレスターの男が漁師として登場し、それを見た私は震災と自分の日常生活とのつながりを意識するのだが、これは著者のせめてもの震災の被災者への鎮魂の言葉と受け取れるものか。本作はねじまき鳥クロニクルと類似しているが、邪悪なものを現実世界に登場させず、過去の歴史に求めた点が異なる。少しスケールが小さく感じられるのはそのためだ。また、やみくろやリトルピープルに相当するものとして二重メタファーが登場する点において過去の長編のアイデアを継承する。最後に騎士団長の口調を借りて本作を評価すれば、この作品は、村上春樹の最高傑作ではあらないが、絶対読まねばならぬ作品だ❗
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
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No.269:
(3pt)

わざとなんですかね。

装丁がりっぱで、紙が厚すぎず上品で、(物理的な)読み心地がとてもよかった。またちょくちょく単行本で本を買って読むのもいいなと思わせてくれました。
中身について言えば、絵画創作の過程の描写にわくわくしました。私は絵をかつて絵を勉強していたのですが、また取り組んでみたいなと思わせてくれました。
物語についていえば、うーん、没頭感はなかった。いつもながら(と感じられる)のお金持ちと性生活の話。かつては、美しい上品な人が着こなしているファッションの詳述、料理の詳述なんかは読んでてうっとりもし、くつろげて好きだったのですが。今現在の自分をどこかに連れて行ってくれるような力はありませんでした。これまでに繰り返し読んだ村上作品にあった奇妙さ、あるいは誠実さ、あるいはやはり「若さ」がうしなわれてしまったということでしょうか。
あるいは作者はわざとそうしているのでしょうか。同じモチーフを繰り返し焼き直し、よりコクのある作品世界として定着させる。様式美となるところまで重ね塗りを繰り返し、その先にまったく新しい昇華を企んでいる。そうであったらうれしいです。
もしそうであったなら、少しニヒルなかっこよさも感じるし、次回作もぜひ買って読んでみたいです。
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
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No.268:
(5pt)

過去の作品を読み返しています・・

ほぼ一気に読み終えた後は、今までの集大成的な作品というイメージは持ったのですが、正直どう評価していいかわからないもやもや感が。
そこからしばらく時間がたってみると、ちょっと距離を置いた場所に作品が浮かび上がりました。
「穴」が何なのか、イデアたちが何なのか。今まで以上に分かり易く、後に残る作品だと思います。
それで、過去の作品を読み返してみたい気になって、「ねじまき鳥~」から手に取っています。違う視点から読み直せそう。

南京虐殺事件の被害者の人数が変に問題になってるようですが、ポイントは、加害者はその事実を意識の下に押し込めがちということで、人数ではありません。(それも登場人物のセリフの中)(史実は歴史関係書を読んでいけばいいことですしね)
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.267:
(4pt)

最低限のマナーを守ったレビューをするべき。醜い。

私が読んだ限りでは星一や二を付けるほどの駄作には到底なり得ないですね。それと買う気になれませんとかレビューを見る限り駄作ですねとか買ってもないのにレビューをする粘着質のアンチが多いんですね。レビューは読んだ人間がするものですよ。手にしていない人間のレビューなんて誰も求めていません。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.266:
(2pt)

もう長編はむりかな

読み通すのがかなり苦痛でした。少なくとも私にはもう興味がある文体では無くなりました。お互いに年をとったということでしょうか
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.265:
(1pt)

そんなよくない

なんでこの人の作品がここまで評価されるか謎

図書館で借りてフルで読んだけど、1Q84同様不快になるだけだった
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.264:
(5pt)

これはこれでいいと思う。

これはやはり村上春樹だ、誰が何と言っても、今のところは彼にしか描けない世界、失くした後の物語なんだと強く思う、そして何よりも強い優しさを感じる。たまさか、読んだ時の自分自身の心持ちのせいでしかないが、何だか救われた気がしたからということもある。
 読了してすぐにこれを書いているから記憶違いがあってもなくても許してほしいが(すぐに読み返す気にならないボリュームも相変わらずだ)、最初に引用した音楽はシェリル・クロウの最初のアルバム(たしか聞いていたのが朽ちる途中のプジョー205だなんていいじゃんって思った)、…いきなり描かれる世界はシーンがどこであっても日本から見たアメリカを感じさせ、それでいて期待したものと同質なんだと思う。つまり、村上春樹のデビュー作以降、批判してきた文壇と呼ばれるところにいる人たちと近い人たちにはわからないだろう世界でいいと思う(それにしてもここの星のつけかたはひどいかな、本当に読んでいるのかなとすら思う)。
 小難しさは別にして、そもそも面白いものは面白い、それでいいと思う。一人称で浸る格別の世界は村上春樹でなくてもいいのかも知れないが、氏の「ノルウェイの森」以降の世界、それらへの強磁性みたいなものを感じる人であれば読んだ方がいいと思う。読まなくても何も問題はないのだから(多分そうでしょう、笑)、約千頁にわたる物語はとてもと思うのならばそれはそれで幸せなことなんじゃないかと。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.263:
(4pt)

この着地で良いのか?

久し振りの長編という事で読書中は面白く読む事が出来ました。免色というキャラも魅力的だし、主人公が描く肖像画や物語のキーである「騎士団長殺し」も実際見て見たいなぁと思わせる程模写が素晴らしい。ただ、読後感は今までの長編に比べスケールが小さい話だったなという印象。「騎士団長殺し」という異様な絵画作品が生まれるバックボーンとしてナチス占領下のウイーンや南京大虐殺が出てきますが、あくまでバックボーンの意味合いで止まっていて、ねじまき鳥クロニクルのノモンハンやシベリアの強制収容所のエピソードで感じたような深みを感じません。最終章に触れられる東日本大震災の模写も中途半端な感じで本当にこれで終わりなのかな?というモヤモヤした感じか残ります。この後また第3部が出るのか、期待感というよりはちゃんと着地した作品にして欲しいなと思いました。
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
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No.262:
(1pt)

総集編ですか?

学生時代から40年近く、村上さんの小説は長編、短編ともに全て読んできましたし、単行本も文庫本もKindle版も全て購入している読者です。
最近の村上さんは長編より短編の方が、未だに何度も繰り返し読みたくなる作品が多いですね。
女のいない男たち、も素晴らしかったし新鮮さがありました。今でも何度も読み返します。
長編では、色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年、はやや消化不良感はありましたが、村上さんの中でまだ新しいものが現れていると思います。
本作はどうでしょうか?余りにも過去作品のツギハギではないですか?
どうしたのですか?ノルウェイの森の冒頭の、あの美しい文章はもう読むことは無理なんですか?
本作は流石にちょっと如何なものかと思います。
初めて村上春樹の小説を読む人には兎も角、これはない。
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
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