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騎士団長殺し
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【この小説が収録されている参考書籍】
騎士団長殺しの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.46pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全721件 361~380 19/37ページ
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騎士団長殺し読み終わりました。 思ったよりも下巻を読むのに時間がかかり、 最後にため息が出たところです。 上巻下巻どちらも500ページの厚い本でしたが、 手に取る時の重さに、はっきりと差がありました。 実際はかりで計ったらほぼ同じでしょうが。 あれだけ絶賛していた上巻のかなりの急な下り坂も 下巻に入ると徐々に下り坂の角度が緩くなって行き 気がつくと真っ平らな障害物のない道を ゆっくりと歩いていました。 あと4分の1を過ぎたあたりからは、 逆に少し負荷のかかる傾斜の緩い上り坂を歩いている感じになり 登りきった先にわずかに見える結末は お世辞にも立派とは言えない 地方マラソンのゴール地点のようでした。 読んでいる方もいると思うので内容には触れませんが 上巻の行く先の見えない魅力的なモノたちに心奪われましたが 下巻になり、見えてくる事実、現実に心冷めていくというのが結論でしょうか。 書き手は大きく広げた風呂敷を 最後、丁寧に丁寧に畳すぎたのしょうか。 読み手はそんな家電の取扱説明書みたいな小説を期待しているワケではないでしょう。 広げた風呂敷が例えクシャクシャで終わっても そのシワに何かを汲み取れたら、 それはそれでいいのではないでしょうか。 前に親友で作家の草下シンヤ氏に のり玉の書く話は、始めすげー面白いのに最後イマイチだよねと言われたことを思い出し、大巨匠引き合いに出すのはおこがましいのですが、書き終えることの難しさを痛切に感じています。 ひとというのは、分からないから興味を抱くのか 興味を抱くからこそ分からなくなるのか どちらか分かりませんが 分からないという知的欲求以上に 面白いと感じることはないでしょう。 結果、全貌が明らかになって どんなにつまらないモノだったとしても。 絶妙なバランスで分からないままでいられたら 永遠に虜になれるかもしれない。 そんな話を書けたらな思います。 | ||||
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村上氏を昔から読んでいたものです。私も『穴』に入ろうと、つまり、ユメなのか夢なのか、しばらく読後感は動くことができなかった。ところで『現実』ってナニ。64で終わったのか、【第2部おわり】、とは? | ||||
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毎日寝る前に1,2章ずつ読みました。じっくり、展開を焦らず、1つ1つの章にひたりながら読むのがオススメです。不可思議な出来事が多く起こる中、少しずつ現実と非現実の境目が分かりづらくなるような気持ちを読み進めれば読み進めるほど体感できました。 作品に触れる上で私が意識するのは、「まずは受動的になること」です。なにか自分の中に収まったものを積極的に作品に求めてしまうのは筋違いかと思います。レビューを読んでの感想です。 | ||||
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この作品の1・2部を一気に読み終えた直後の感想は、素晴らしい読書経験をしたということに尽きます。 人間は猫やカラスと違って感覚的世界に張り付いて生きているのではなく、イデアとかメタファーとかいう面倒なものに取り憑かれ、現実と非現実との境界は曖昧で、 真実も正義もどこまで普遍性を持つのか確かではない世界に生きています。それらに一応の境界線を引いて分かりやすく生きるのが日常生活というものですが、この作品は、不思議の国のアリスのように、その境界線を取っ払って非日常の世界を体験させてくれます。 画家であるこの作品の主人公は、人物の深層に隠れているものを取り出して絵に表現しようとします。人工知能の手法の深層学習が、画像認識において、画像の特徴を深層から取り出すように。それはまさに作者がこの作品において意図したことを象徴的に表していると思います。 旧作「国境の南、太陽の西」では、主人公は幼い女の子の父親になりましたが、妻も子も捨てて幼馴染の不倫相手にのめりこんでいこうとします。しかし不倫相手が突然姿を消してしまい、他に行くところもなく、主人公は家庭に戻ってきます。「騎士団長殺し」は、いわば「国境の南、太陽の西」の語り直しではないかとも思われます。イデアとメタファーの力を借りて、主人公はより健全な形で家庭に戻って来られたのではないでしょうか。 | ||||
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ツッコミどころは多いし、難解なところも多い。 おそらく、外国人には伝わらないニュアンスは、これまでの作品以上に多い。しかし、個人的には刺さる作品でした。ねじ巻き鳥クロニクルと双璧な傑作。 | ||||
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いつもの村上本 人妻とのちょめちょめとかやたら書きたがるんだよな、この人気持ち悪い 面白くないから読み進めるのがシンドイ この人の作品の登場人物の会話は違和感がある常にそんな言葉のやり取りは現実の世界ではないない妄想の世界にばかり浸るのではなく現実を生きたほうがいいよ村上さん、と思う 海外の本を下手な訳者が訳したような文章になってしまっている。それによって妙な違和感を覚える。 随所でみられる作者の独善的かつナルシスティックな表現の数々に本を閉じたくなることがしばしば。 村上作品でなければ、こんな無駄に長い面白くない本は評価どころか出版さえもされない。かもしれない。 | ||||
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皆さんの厳しいレビューの気持ちもわかります。 確かに第1部のラストがかなり期待感を高めるものだっただけに、 それに応えるだけの盛り上がりがあったかというと、不満が残る感じではありました。 おそらく「7年ぶりの長編」という宣伝文句で、「1Q84」や「ねじまき鳥」と同レベルか越えるものを期待して読んだら (僕もそうですが) それはできていないというのが、確かです。 でも! それをもって村上春樹の今を全否定ってのは、ちょっと違うような気もします。 おそらくこれは、「多崎つくる」や、「女のいない男たち」の系譜の通過点ではないかという気がするからです。 むしろ中篇を書くつもりが意外に伸びて長編になった、くらいのものではないかと。 到達すべきゴールはまだ先にあるというか。 (まぁそういう弁護の仕方は、適切ではない気もしますが) 僕が考えるに、 騎士団長という存在が、途中から何かユーモラスなものになってしまったことが失敗だったように思います。 イデアが現実化する、心の中の考えが、現実に人間を影響を与える存在になる。 というのは、偏った考え方や凝り固まった思いが、政治的な力となって力を持って現実世界を支配しようとしている今、 かなり重要なテーマであるように思いました。 むしろ、そういった考えや存在とどう対峙するのか、みたいな方向に物語が進むように思い、期待していました。 でもあまりその方向での新たな局面はなかったですね。 個人的な思いや思索を徹底的に突き詰めていくことで、普遍性や現代性に到達するのが村上春樹の醍醐味だとすると 妻や妹への思いとして描かれたのが、結局や妻や妹への思い以上ではない結末になってしまったのは うーん、やっぱり残念でしたね。 でも、興味深いテーマが投げかけられたことは確かですし、 これほど平易な文章で、精神や心理の奥深くまで旅するような小説を書けるのは彼しかいないのですから、 次作に期待しましょう! いやほんと 村上春樹の新作を楽しみにすることができる時代に生きていることの幸せを忘れてはいけません。 (彼をけなして商売するような本を書いてる人にも言いたいっす) | ||||
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相変わらず文句を書かれまくる春樹作品。 そんなに嫌いなら読むなよとも言いたくなるが、嫌よ嫌よもなんとやらということなのだろうか。 しかし、私もその手の類。 いつも「こんなんありえへーーん」などとツッコんだり、かったるいところは正直読みとばしたりしながらも春樹の新作が出ればついつい買って読んでしまう。 兎にも角にもあの独特なナルシス文体、そして知的っぽい小物(クラシックとか)、井戸やら羊やら今回でいうとあいつとかそういう不思議な奴ら。 とにかくこういうなんやかやの春樹文学を構成している全てがなぜか心を惹きつけて離さないのだ。 そういう意味で、春樹作品においてストーリーの矛盾だったり意味不明な数多くのシーン、解決されない謎なんていうのはお決まりなところでそんなところをツッコんでいてはヤボなのだろう。 しかし、そうはいっても今回は声を大にしてこれだけは言いたい。 以降ネタバレあり ぜんっっぶ、お前(騎士団長)のせいやないかーーいっっ!! 騎士団長、こいつが全ての原因をつくって事件をややこしくして、一見いいことしているようで、それ、余計なことですからっ!!みたいなことの連続。 最後に明かされる事実に脱力。なんで主人公はあんな死ぬ思いまでしてがんばらにゃならなかったのか。。。 騎士団長さんは主人公にはかたくなに力をかすのを渋るわりにロリコンなのかなんかはしらんが美少女まりえの危機にはなぜか「全力を尽くして」助けようとする。 まりえの危機とは勝手に他人の家に忍び込んで、本人帰ってきてやべーってなってる完全自業自得状態なのだが、騎士団長はとにかく助けたい。 しかし、その助け方は超絶適当で、まりえをとりあえず家主があまり行くことのない部屋に押入れ、とりあえず何日か耐えろというだけなのだ。 まりえは騎士団長が理解できないこと(誰にも理解できない)を言って家主(免色)がヤバいみたいなことを言うのにビビって言う通りにする。 まりえが騎士団長のアドバイス通りに動いた後、家主はすぐに家を出る。騎士団長さん、なぜかここではアドバイスしない。ほかに行かなくてはいけないところがあるからとか言ってどっか行っちゃう。 こうしてまりえは都合よく電源の切れた携帯を持って何日も行方不明になり、主人公は命がけで彼女を助けるため、騎士団長を介して大冒険へ!! って、お前の家の近く(免色さん家)にいるよーー!! かたくなに騎士団長さんはまりえの行方を教えてくれないわりには自分を包丁で殺せとか無理難題ふっかけてくる。 いやいや、言ってやれよ。 免色さんの家にいるって言ってやれよーーっ!! なんて言ってたら、春樹は読めない!! ダメ、ツッコミ!! そんななんやかやも魅力なのだから。 | ||||
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1部はまるで横断歩道を渡るおじいさんのようにゆっくりと落ち着いた展開だったので私も2週間かけてゆっくりと読み進めた。しかし2部になるととたんにスピード感が増して途中で読むのを中断することがとても難しかった。さすがに一日で読むことはできなかったがそれでも3日で読み終えた(私はそんなに長時間本を読むことはできない。)。 とにかく楽しく読めたと言うのが感想だ。私としては「59」で終わりとしておく。「60」以降はいつもの蛇足部分だった。ねじまき鳥の3部、1Q84の3部、つくるの後半。いつものことだ。考えて見ればなんだって絶頂の後にはつまらない後片付けがあるものだ。登山の時の下山、食事の後の皿洗い、セックスの後のピロートーク。 読後になにか残るか。というと、こういう本を読んだことが人生の何かに影響するのは本当に随分後になってからなんだと思う。何かを求めるくらいなら素直に哲学書を読めばいい。 集大成的な本にも思えたけど数年後にまた長編を読めたらうれしいなと思う。 | ||||
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ご挨拶 全国の村上主義者のみなさん、こんにちは。 「騎士団長殺し」が2017年2月24日に発売されてから、ハルキストがどうのこうの、って話題になってますが、地下に潜る村上主義者は意に介しませんよね。実は今回長年謎のまま回収されていなかった個人的な疑問が、「騎士団長殺し」を読んでいる途中で一つ解けましたので、もしくは、解けたような気がしましたので記事にしてみました。早速行きます。 この名言を覚えていますか「時間をかけることを・・・」 「ねじまき鳥」で頼りになる叔父さんのセリフがありましたよね。 「時間をかけることを恐れてはいけないよ。たっぷりと何かに時間をかけることは、ある意味ではいちばん洗練されたかたちでの復讐なんだ」 私は本日「騎士団長殺し」を読むまで、このセリフの言いたいこと、意味合いが分かりませんでした。もちろん、これはあくまで私個人の疑問であり、とっくに得心のいっている方もいるでしょう。ただ、少なくとも私の中ではうまく回収できずにいたので、今回の「騎士団長殺し」にはひそかに期待していました。 流れとして「ねじまき鳥」系の井戸を掘っていく話なのか、それとも「カフカ」的なカラフルでファンタジックな話なのか。私は前者を希望していたのです。2月24日書籍が届き、第1章を読み始めたところ希望は叶えられた、と確信しました。 The best revenge is to live well. 洗練された形の復讐、と聞いて私が思い浮かべるのは英語の慣用句。 The best revenge is to live well. です。このフレーズには合点がいっていました。誰か復讐したい人がいたとしても、それを直接遂げることは社会的に問題が発生します。例えば、端的な話その相手を物理的に消し去ってしまうと、こちらの心の中に懺悔が残ります。おまけにこちら側には社会的な地位が損なわれてしまいかねないリスクがあります。復讐するつもりで、自分が不幸になってしまっては相手の思うつぼですよね。物理的に殺傷ではなく、何がしかの影響力を行使して社会的な抹殺を試みたとしても同じこと。自分の中にしこりが残ってしまって、復讐を遂げた相手のことが自分の心から離れないとすれば、それは相手にまだ拘りがあり翻ってこちらの心的負担が増えていることになります。 だから、よく生きることが、最高の復讐になる。 つまり、自分が充分満足するような形で生きていて、その復讐したい相手さえも綺麗さっぱり忘れることができれば、全く意に介さないことができれば、それが最高の復讐になります。復讐という気持ちが消えてしまうこと、そして他人も羨むくらいの生活が送れれば、復讐の相手も「くやしい」と思うかも知れない。思わないかも知れない。どちらでもかまわない。そう、それこそが ある意味ではいちばん洗練されたかたちでの復讐 となるのです。洗練というのは、自分が不幸になってしまうようなリスクがない、ということですね。社会的な地位を脅かされることがない洗練された方法。それがto live wellなのだ。そこまでは理解できていました。ただ、その前の部分、 「たっぷりと何かに時間をかけること」 との結びつきがよく分からなかったのです。 【騎士団長殺し】p71に出てくるフレーズ 私はまだ「騎士団長殺し」を全部読んでいません。1Q84以来長編は7年も待たされていたのです。じっくり読み進めたいです。しかし、第1部「顕れるイデア編」を読み始めて「ねじまき鳥」系の流れを確認できたところで、心おどってドキドキが止まりません。そこでp71まで貪るように読んだところ、こんなフレーズがありました。 とにかく、どこかで流れが間違った方向に進んでしまったのだ。時間をかける必要がある、と私は思った。ここはひとつ我慢強くならなくてはならない。時間を私の側につけなくてはならない。そうすればきっとまた、正しい流れをつかむことができるはずだ。その水路は必ず私のもとに戻ってくるはずだ。 ここまで読んだとき、長年の疑問が解消されました(少なくとも私の中では・・・ですが)。 to live well(よく生きること)の中身の話 時間をかける、とはto live well(よく生きること)の中身の話なのです。時間の流れを自分の側につけること。ただ生活のために流されていく人生を送るのはなく、内的な充足を得つつ、自分に納得しながら生きるためには時間が必要です。どれだけの時間が必要なのかは本人にしか分かりません。ただ、時間の流れが自分の味方についてくれたとき、つまり自分が内的に求めていることを得られる感触があるとき、そこで初めて、 I’m living well. と自分に言い聞かせることができるでしょう。仮に復讐したい相手がいるとすれば、自分自身にたっぷりと時間をかけ、時間の流れを見方につけることが、to live wellにつながり、翻って、洗練された形でthe best revengeとなるのです。 疑問を投げっぱなしにして回収しない、という批判 村上春樹の小説には「疑問が回収されず、読者に投げられっぱなしで小説的責任を回避している」などという批判があるようですが、放置ではないのです。小さな声で語られる、良いニュースをこつこつと拾い上げながら、読書再開です。 | ||||
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私は村上春樹の作品をそれほど読んでないので、ずっと春樹を読んできた人のような感想は持てませんが、おもしろかった。物語を追いたくて読むのが止まらなくなる。 『1Q84』は登場人物の一人がエヴァのキャラを連想させることもあってか、アニメ風というかラノベの風味がありましたが、こちらはもっとオーソドックス。物語のはじまりの語り口から、江戸川乱歩の『孤島の鬼』の雰囲気を感じましたが、乱歩好きな方なら自然に楽しめるのではないでしょうか。文章がすっきりしていておはなしがおもしろい。また、主人公が絵について考えることが村上春樹が小説について考えることと重なっているのかもしれないと想像でき、読む側にも自分がどう小説を読んでいるかを考えさせるところがあります。 主人公は奇怪な体験を経て一皮むけてあたらしい人生に向かいます。結末に明るい余韻が漂うので、物語世界をくぐりぬけた読者も明るい気持ちになれますよ。自分自身を物語に沿わせて脱皮できるような読書体験ができるんじゃないでしょうか。 「白いスバル・フォレスターの男」が描かれるときは来るのでしょうか? そのためには作家だけでなく、読者の方も耐性をつけておく必要があるのかもしれない。また、それはその存在を認識できていれば十分で、あえて顕在化させなければならないようなものではないのかもしれない。さらに村上春樹が小説を書き続けるとどうなるのか。また、村上春樹ではない作家であれば、別の見解を出してくるかもしれないですよね。そういうお楽しみもまだ先にありそうです。 | ||||
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結論から言ってしまうとエンタメ大衆小説としてかなり面白い作品だ。しかし自己喪失気味の登場人物たちがある不思議な出来事をきっかけに希望(自己回復)の端緒を見出すというテーマは多くの作家によって手垢がつくほど使いまわされており、そういった意味での新鮮さはほとんどない。そこに至る経緯にいつもの春樹節がてんこ盛りでちりばめられているだけで、それが他の作家を一蹴するほどの魅力を秘めているかというとそれはあらないと言える。少し残念なのは後半とくに残り100ページくらいからちょっと端折った感じになってしまったこと。春樹氏独特の少し歪んだ世界観(実存世界の)が希薄なことではないだろうか?イデアが出てきた時点でお手上げになってしまった人も今はネットで簡単にソクラテス、プラトンの考えを知ることができるしメタファーについても同様だ。すぐになじむことができるだろう。春樹氏は手練れだしこの小説自体がもしかしたら巨大なメタファーになってないか今検証中である。すっかり術中にはめられている可能性もある。免白氏(この人自体がなにかのメタファー)という考えはいまだに捨てられずにいる。それにしても騎士団長は愛すべき存在だ。座敷童のような、くるみ割り人形のような。どこかでもう一度お会いしたいものである。 読後色々と気づいたことがあったので補筆しておく。先のテーマとは別にもうひとつ重要なポイントを書き漏らしてしまったようだ。そればやはり「誰もが秘めている内なる暴力の再萌芽を認識し速やかに封印せよ」ということではないだろうか。今多くの国々が右傾化し、第二次大戦後長期に渡ってそれなりに維持された平和が危機に瀕していることに異論はあるまい。村上春樹は直接的にではないが、やはりそのことに心を痛めているようであり、警鐘を鳴らさんとしているように見える。作中でもっと危険な人物は誰かと言うと”私”以外にはいるまい。物語の最初でいきなり妻のユズから別れを切り出される”私”だが、ユズは”私”が彼女の中にユズ自身でなく”私”の妹のコミチの姿をみていたことに早くから気づいていたのだ。そして”私”はその妹コミチを飽くことなく抱き続けていた。暴力の根源は”私”であり、当然試練を受けるのも”私”以外にはいなかった。何度も登場するスバルフォレスターの男。”私”の魔の部分としてのメタファー。この絵を完成させれば彼が”私”に置き換わったのだ。まりえを手にかけていたかもしれない(免色にはまりえを手にかける理由がない)・・しかしすんでのところで”私”は試練を乗り越える。単なる自己回復だけではすまない恐ろしさがこの小説にはある。騎士団長を殺す必要があったのはイデアを一度完全に破壊してリセットし直す必要があったのだろうと今になれば思う。 | ||||
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ノーベル賞の対象であったか否かは2029年以降に明らかになるであろう。本作も内容的には立ち読みで終わりのレベル。 | ||||
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かつて、蓮實重彦氏が、村上春樹氏の小説を「結婚詐欺のようなもの」と評していた。 本作もやはり、結婚詐欺、というかむしろ、離婚詐欺の様相を呈している。とはいえ、これは、決して貶して言っているのではない。 喪失、謎、探索(謎を巡る冒険)、複数のメッセンジャーたちとの出会い、彼らに直感を刺激され、受動的に導かれた先での、内なる邪悪なものとの対峙、そして不意の帰還。 結局、探し求めていたもの(喪失の原因)はどこにもなく、元いた場所に帰ってきながら、そこはもはや、元いた場所とはちがっている。 謎かけにあって、迷い込んだ深い闇の中で、その奥底に、かつてのじぶんじしんを見出し戦い、痛苦を乗り越え、信じ難きを信じる力を獲得すること。 歴史社会的な条件に翻弄され、抗い難くわたしを飲み込んだ暴力を、物語において殺すこと。 とても大切な「父親殺し」が、本作でも行われている。 この種の物語を読むことで、読者は読者じしんの、仄暗い領域に触れるきっかけを得ることには、なるかもしれない。 ただ、村上春樹氏の小説を読む行為においては、生身の人間に出会えず、読後、彼らが確かに存在し、働きかけ、揺さぶりかけてきたというような、手応えが残らないという問題があった(これは、単に、私の問題かもしれないが)。 しかし、この点、本作はちがう。 ネタばれになるといけないので、詳しくは書かないが、タイトルとなった騎士団長殺しのシーンにおいて、今までの村上作品においては、感じられなかった生身の、手応えのある存在を、ごく限られたページにおいてではあるが、強烈に感じることができ、作家は、この数ページのためだけに、本作を書いたのではないかとさえ、思われるほどだ。 イデアの感触。 メタファーの捕獲。 それが、いわゆる人間でないあたりが、村上春樹氏らしいところであり、ある種の読者にとっては、もの足りないところではあり、読後に何も残らないなどと言われる所以でもあるのだろう。 極めて暴力的な、悲惨な事柄について語りながら、麻酔をかけられたように、痛みを伴わず、夢のように展開する。 そういう次元を、一歩踏み越えた、とても読み応えのあるくだりが、本作には、確実にあることは、保証できます。 かつて憑かれたように読み、その後唾棄すべきものとまではいかぬまでも、「ここには、人間がいない。これは、小説ではない。無用の比喩だらけの、読むに耐えない作品」などと失礼にも決め込んでいたけれど、物語の魔力に引きずられて、久方ぶりに憑かれたように読んでみた結果、生身の手応えを、はじめて感じることができ、誤解していたのだなと思いました。 個人的な感想ばかり長々とすみません。 何が言いたかったのかというと、かつて村上春樹が好きでたくさん読んだ、けれどいつしか、その肝心のところに触れないフィクションに耐えられなくなった、さて、新作が出たがどうしようか、と迷っている人がいたら、迷わず買って、読むべきだということです。 村上春樹は、本作で、今までの作品作りにおいて避けてきた(もしくは、語るべき時が満ちていなかった)、彼の大事な部分に触れようとしています。 カフカは坂道が好きだった。だが、そのことを知ることが、その作品への理解を深めると思うかね? そう本作で、ある存在が、問いかける。 村上春樹氏は、そういうかたちで、人生と作品は無関係だと言っているようにも聞こえるが、じつは、そんなに単純ではないかもしれない。 例えば、狭いところが怖いだとか、深煎りのコーヒーが好きだとか、小さい頃にたくさんの蜂に刺されただとか、友人が自殺してしまっただとかいう過去、生身に起こったことの記憶=想起は、作品と分かち難く結び合わされている、そう作家は、考えているのではないか。 もちろん、伝記的な事実から、作品を読むわけにはいかないし、そもそも伝記じたい、想像上の生でしかありえないわけだけれど。 とにかく。 力のこもった作品です。 確かに、物語じたいは、世間に流布したファンタジー風とも読めるでしょうし、性的な描写もノルウェイの森の末尾のアノくだりから離れず相変わらずではあるし、背景に描きこまれた調度や絵画や音楽も案外王道でいかにも趣味がいい感じで鼻につくし、シンボリックな「穴」の扱いなどもティピカルすぎてなんだかなあというところもあるし、などなど、色々と皆、文句をつけたくなるものだ。ゴッホとか、セロニアス・モンクとか、ど真ん中を行き過ぎなんじゃないのとかね、思うことは、ほんと、色々、出てくる。 しかし、貶すばっかりの人々は、それを超える作品を、同じようなアプローチで、しかしそうした枠組を食い破って、作らないといけないでしょうね。 彼と相いれないゾーンから、彼の作品をこき下ろすのは容易いが、魂のかたち(オートポートレート)を物語によって描きとるというアプローチで、これを超えるのは容易じゃないよね。 | ||||
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好きです…村上春樹氏の作品… “自由な形式”で、“人生の楽しさや面白さ”を表現して下さっているようで、勇気付けられます。 この作品も、いいと思いました。 最後の100ページくらいで“普通の小説”になった感じがして、不満をもって読んだ部分もありました。 しかし、全体を通して見ると、“途中で止められない”という面白さがあったし、最後の最後は、いい終わり方だと思いました。 次も楽しみ…って、数年後? ははは | ||||
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なかなか、読みにくいです。やっぱりノルウェーフォレストは最高でした。 | ||||
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好きです…村上春樹氏の作品… “自由な形式”で、“人生の楽しさや面白さ”を表現して下さっているようで、勇気付けられます。 この作品も、いいと思いました。 最後の100ページくらいで“普通の小説”になった感じがして、不満をもって読んだ部分もありました。 しかし、全体を通して見ると、“途中で止められない”という面白さがあったし、最後の最後は、いい終わり方だと思いました。 次も楽しみ…って、数年後? ははは | ||||
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第1部の方にも感想は書きましたので、別の内容で。 私が一番好きな長編は羊シリーズ、中でも「ダンス ダンス ダンス」。あの作品は、死や喪失感をまるで手に取ることができるがごとく、見事に表現されていました。物語の展開も面白く、ストーリーテラーとしての村上さんも素晴らしいものでした。伏線は、伏線としてあるべき姿に落ち着き、読了感は再読へとループするほどでした。 「騎士団長」は登場人物が「ダンス」に似ている点も有り非常に期待を込めて読んでいました。 1部は、マンネリ感も否めないとは思いつつそれなりに村上ワールドを楽しんでいたのですが、南京大虐殺のくだりや、免色とまりえの役不足、2部での、まりえの失踪がただ免色邸に閉じこめられていただけというスケールの小ささ、ゆずとの復縁の安直さ、東日本大震災を取り上げが説得力が全くないこと、等から読後のがっかり感は半端では有りません。 戦争なら戦争に、震災なら震災に、テーマを絞って、もう少し深く書き込めば良かったのでは、と思います。 セクシャルなシーンは、「ノルウェーの森」が強烈だっただけに、今更特段気になりませんでした。 今は「職業としての小説家」を読んでいるのですが、こちらの方が数段面白いです。 まあ、新しい作品が出れば読むのですが(この後気持ちが変わり、もう新品では買わないだろうと思います…。)、アンチの方の気持ちも分からないではあらない、と思う、ここ何年です('・ω・`) 結局、二度読みする気はさらさら無いので、メルカリで売りました | ||||
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文字で描写するセンスは独特で無二のものだと思うし、長編ゆえに疲れますが、ここで騒がれているほど悪くはなかったというのがまず感想です。 日常の物語なのだから、それに倣ってゆるやかに本の世界に片足を入れていけばそれなりに楽しめました。 ただそれは村上春樹を読んだということなのだと思います。私はそこまで深く読み込もうとはしなかったしできませんでした。 ひとつだけ言えるのは、読み手の意思が物語に干渉すると自分も登場人物になってしまうので、特に政治的なことは切り離して考えるべきです。 私は過去の村上作品をすべて読んだわけではないので過去作の反復性についてはわからないけど、冗長に感じるところもあり、 第1部は両手で本を持っていたけど、第2部で穴に入っていくあたりからはコーヒー片手にBGM何にしようかな、とか他のことしながら読んでいたので どっぷりハマれる作品ではなかったと言えますが、読了後(それが何かは人によるが)考えさせられるのは相変わらずの村上春樹だったと思います。 | ||||
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過去の作品のコピペのようなストーリー。 尻すぼみな展開。ページ合わせのような結末。 狭い世界観…。 前作も駄作と感じ、今回こそはとの期待を持っていましたが、残念ですが裏切られました。 これで100万部も印刷したら、資源の無駄遣いですよ。村上さんの作品こそ、電子書籍でお願いします。 村上さん、今後はエッセイだけで良いですよ。 翻訳も面白くないので。 あらない、あら~ない。 (追記) これを機に、本当に村上春樹を卒業しました。 手持ちの本は、全てリサイクルショップへ。 結構、私の青春だったのですが、手放しても何とも無いものですね…。 今まで、ありがとうございました。 | ||||
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