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騎士団長殺し
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【この小説が収録されている参考書籍】
騎士団長殺しの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.46pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全721件 221~240 12/37ページ
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「日中戦争で、日本軍が南京に入城した時、殺害された中国人は10万人というものもあれば、40万人というものもある」。「主人公の友人の叔父も、徴兵で南京へ行かされ、敵兵?の首を斬らされた」との記述に、著者の大胆さを感じた。 日本は、「あれは中国側のデマ」「大虐殺などなかった」という見解だが、著者は何らかの裏付けに基づいて(であろう。虐殺された人数や「人斬り」行為だけがフィクションとは思えない)、前記のように記している。 南京大虐殺を事実と認めることは、日本ではタブー視されているのだが、著者があえてそのタブーを破ったことは評価したい。 | ||||
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「騎士団長殺し」1部2部。私の評価は実に高い。数日間、この本に惹きつけられて時間がある時には読み続けた。ただただ面白かった。様々な評価が飛び交うが、二冊を読んで思ったことを私なりに書いてみようと思う。この著書で村上春樹は二つのことを一刀両断のもとに見事にやり遂げている。一つ目は、これまでの彼の作品の登場人物の誰かに自己を投影してほくそ笑んだり、自己肥大させてきた読者を一気に切り捨てている。二つ目は、自らの小説手法(手の内)を明かす、だけでなく、メタファーを殺すという表現が意味するように、新しい方法を模索始めるのだと、宣言している。 <1点目についての補足>:およそ作家であれば自分の執筆意図と離反して行く読者たちも相手にしなければならないから、辛いものだと思う。ここ数十年、おそらく「ノルウェイの森」以来、広い読者層が読める本を書き続けてきた結果、登場人物も含めて物語の表層にある部分に自己を投影している読者が増えてきたことは想像にかたくない。村上春樹というのは70年代に鮮烈なデビューを放ってから、まさか「ノルウェイの森」のような作品(私は嫌いでないですが)を書く人物・知性としての連続性を理解できないまま、「ねじまき鳥クロニクル」、「海辺のカフカ」、「1Q84」とどこに彼自身の動機があるのか不明な、しかしそれなりに楽しめる作品群を発表してきた。(私はどれも楽しみました)。これらの中で繰り返し使われてきた大道具と手法、登場人物のテイストがある読者層の心をキャッチしたのでしょう。しかし作家であれば「あの〜僕の本を買わないでください。」とは言えない。ただし今回もそうであるが数冊本のうち一部だけを読んで、コケにされるのも愉快でないでしょう。婉曲な方法でそういう読者たちが去って行くのを仕組む。低評価が多いのだから、成功したと言えるでしょう。 <2点目についての補足>:メタファーというのは隠喩と訳されるが、村上春樹の世界でここ数冊の(私の知る限りですが)重要な手法となってきている。彼のいうメタファーが隠喩なのかアナロジーなのか、はたまた彼が区別するように明喩(英語ではこれもmetaphorですが)なのか、今回登場したイデアも含めて境界線がはっきりしないことがある。まあ、この辺りの議論は別の機会に譲りたい。彼の描く世界ではメタファーが実際の姿形をもった人間になったり、モノになったりしてきた。通常メタファーとうものはそれ自体が一人歩きするような存在ではない。さらに、「騎士団長殺し」の中で村上春樹は”二重メタファー”と言う興味深い表現を一回か二回だけ使っている。否定的な意味合いで。これはどう言うことかというと、「初代メタファー」を記述・描写する時に使った言葉、風景、ニュアンスが刺激となって「次代メタファー」が誕生すること。「次代メタファー」は元来メタフォリックな表現によって何かイメージを膨らませようと意図した原初的な事象とはもうすっかり無関係な世界に入り込む。そこで自在に言葉、イメージの世界を構築し、中を飛び回り、人を殺し、森に入り込みと自在な世界を描く。こういった手法をもう止めますと言う告白が「騎士団長殺し」だ。よくやった!私の推測が正しいとすれば、村上春樹がこれからたどるメタファーのない世界を期待したい。 さてネタバレしない程度に「騎士団長殺し」の分析をしていきたい。大道具、登場人物などは前作までと似たところがあるが、それらが全く異なったコンテクストで使われていることに気がつきました。異なったコンテクストを導入するには同じ大道具、似たような登場人物に再度登場出してもらうのがコンテクストの対比にはベスト。古井戸やら、森やら、同じものが出てきたからといって「自己模倣」という判定を私はつけない。必要があって登場させているのだ。 「騎士団長殺し」はA-B-A’という複合三部形式とも呼べる構成を持っている。免色が現れるまで、現れた後の長大な部分、離れた後がそれぞれA, B, A’である。免色が登場するまでの肖像画家「私」を描く部分は耐え難く退屈で、まるで他人が書いたのではないかと思ってしまうくらい文章にも精彩がない。が、これは演出でしょう、免色が現れた後の世界を虚構であったとしてバラ色にしつらえるための。 免色渉なる人間が現れて俄然「騎士団長殺し」は色めき立つ。いつもの世界が登場する。面白い。詳細はお読みになって楽しんでください。二つだけ大事なことを書きます。Bで村上春樹は「私」と免色を別な人格として分離して描いている。上等のスエードのローファーを履いているのは免色だし、ジャグアに乗っているのも免色。(大した曲を弾かないくせに)スタインウェイのフルコンサートピアノを持っているのも免色。客人を招待するからといって懇意にしているレストランのシェフとギャルソンを家に呼んでケータリングするのも免色。やりたい放題ね。一方の「私」はと言うと免色のすむヴァニティに満ちた世界とは対照的に絵の創作に新しい境地を開拓する勇気を獲得して行く。 二点目はオペラ。「私」の住む借家(ただの借家というのはいいものだ)にはたくさんのオペラのLPが置いてあり、プッチーニなどのイタリアものもないことはないが、「私」が繰り返し聞くのは「ドン・ジョヴァンニ」と「バラの騎士」。「騎士団長殺し」において「ドン・ジョヴァンニ」と「ばらの騎士」は記号ではない。旋律が聴こえてくる、までは要求されないものの、せめて「ドン・ジョヴァンニ」と「ばらの騎士」のあらすじを知っていて初めて「ドン・ジョヴァンニ」と「ばらの騎士」のLPに針が置かれるスタジオの空気が無臭でなく、香り高いものになる。スパイスだけでない。それぞれのオペラはここでは非常に深く筋書きと関わっている。幸い「ドン・ジョヴァンニ」は直接的に扱われているので(何しろ身長60センチの騎士団長が現れるわけだから)モーツァルトのオペラや台本を知らなくとも良いかもしれない。では「ばらの騎士」はどうだろう?爛熟したウィーンを舞台にした恋愛劇「ばらの騎士」は元帥夫人がオクタヴィアンという若き貴公子を愛人として持つが、オクタヴィアンが次第にゾフィーという若い娘に心惹かれて行く様子を見て、苦渋の思いでオクタヴィアンを手放すという実に人間関係複雑しかし爛熟した世界では当然かもしれないことを、当然の顔をして演ずる歌劇。今日びのモラルやら恋愛ルールがここにはない。面白いことにオクタヴィアンは役の上では男性であるが女性(メゾソプラノ)が演ずる。三人がそれぞれの思いを歌う最後の場面は、緊張に満ちた三角関係であるのだが、いずれもの声が女性の声だというやや倒錯的なシチューエーションも興味をそそる。「ばらの騎士」の主要登場人物をメタファーとして村上春樹は使うこともできたであろうが、ややこしい。ここは、すでに登場している「私」、免色などの人物の人間関係と「ばらの騎士」の役者の人間関係がどのように関係づけられるのか、読者が自由連想を楽しむのが良かろう。以上が複合三部形式の長大なBの部分。さて最後のA’とは? 長い長い穴を泥だらけになりながら歩き続け、「私」は地上に戻る。その長い旅は行方不明になったまりえを探しに行くというミッションを抱えているが、実はそんなことはどうでも良い。旅はメタファーを否定する旅である。二重メタファーも。それゆえに旅は騎士団長というメタファーを殺すことで始める。地上に戻った「私」はつきものが落ちたように普通の生活に戻っていく。ユズともよりを戻し産まれてきた娘を愛している。成長を願っている。創作的な絵を書くことはすっぱりとやめてごくごく普通の肖像画作家に戻る。免色は彼の視界から消えている。極上のツイードのジャケットと一緒に。いいんじゃないですかね?新しい村上春樹が泥だらけのセーターと一緒に誕生することを同じ歳の人間として期待したい。 最後に。余計なことかもしれないが、レビューを書く上でのルールを提案したい。5星であろうが1星であろうが評価は買った人の自由。ただしレビューというのは嫌いならその理由を、高評価ならその理由を述べるべきではないでしょうか?「私、嫌い」というのは理由ではない「XXXXXXXだから嫌い」がルールではないでしょうか?根拠を述べるのには「私嫌い」(3字)だけよりも多少の字数が必要かと思う。例えば「XXXXXXXだから嫌い」は12字だ。その前提のもとに暇人と思われることを恐れずにこれまでのAmazon Reviewの5星と1星を第1巻第2巻それぞれから無作為で10個ずつ抽出し(つまり合計で40人のレビュー)、それぞれの字数を数えた。5星の20人のレビュー字数の平均は793字、中央値は493字、最小・最大は173 ・2,658字。1星は同じくそれぞれ267, 134, 903, 34 ・907字でした。40人のレビューの内容にまで立ち入りませんが、私の前提が正しければ(間違っているかもしれませんが)高い評価を与えた人は「私好き」だけでなく評価の理由が添えてあったことになりますね。 | ||||
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「騎士団長殺し」は、 村上春樹の最後の長編小説になるでしょう。 ここにはかつての村上春樹の魅力であるとか、 唯一無比のオリジナリティとかが、まったくない。 ひとことで言うなら、 THE 自己模倣 小説家がもっともやってはいけない行為であり、 それを理由として才能の枯渇と断言してもまったくかまわない、 残念ながら断言せざるを得ないということです。 いかにそれが作家にとって大事なモチーフであり、 逃れることのできないオブセッションであるにしても、 これはダメです。 連ドラの総集編でも作ったつもりなのでしょうか。 これを新作として販売するのは、 控えめに言っても詐欺とどこが異なるのか、 私にはわかりません。 そのデビューからリアルタイムに読み、 新作を心待ちにしてきた私にとっては、 本当に残念だ、 としか言いようがないのですが、 もう村上春樹は新しい長編小説を書くことができません。 | ||||
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進まないですね。村上春樹さんの本では初めてですね。読んでいても掻き立てられるものがなくて進まないんですよ。何とか1部は読み終えましたが、まぁこれといって感想もない、というのは初めてです。何ででしょうか。入り込めないんです。 | ||||
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間違った商品が届きました。返品しましたがその手間もかかったので この評価です。人がやっていることなので間違いはあると思いますが今後の努力に期待します。 | ||||
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なんだろう。。。読んでて苦痛。描写が長すぎて展開遅すぎ。 ノルウェイの森から読んでますが、かなりがっかりでした。もちろんイデア編のみ読了、2部読む気が起きないくらいのダメージ負いました。 | ||||
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成仏したお坊さんが「騎士団長」の姿を借りて現れたの? 免色さんの正体は何? 第二部を読めば分かるのかもしれないけど、第一部を読み 終わった段階では、訳が分からん。 小説だから、現実でない世界が描かれていても勿論おかしく ないけど、得体のしれない者が次々に登場するのは気味が悪い。 それに、エロ本でもないのに性描写が多いんだけど、この小説の 中での位置づけが分からない。 これでは、ノーベル賞候補どころか、嫌らしいオッサンが書いた セックスと妄想の書と思われても仕方がないような気がする。 | ||||
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読了。 不可思議な世界を楽しませてもらった。 東北を車で旅する、とか、谷の向こうの家に、ただ目立つというだけで妄想をめぐらすとか、入り口がつくってあって、それが私にはばっちりはまった。 前々から、楽曲の具体名だけでなく、車種を描写することへの引っ掛かりがあったので、それも集大成で良かった。 男性が男性性への恐れを抱く、ということを描いてるのかなー、と非常に簡素ですが、感じました。主人公は、別れた奥さんと初めて結ばれた時のことを、「ようやく自分のものにできた」と振り返っていました。 寂寥感からくる独占欲、といえば、いいのか。しかし、その男の、欲望は、スバルフォレスターの男のような、邪悪なものになる可能性を孕んでいる。 女性性についても、ドンナアンナのように、クローゼットのイフクのように、守る側ではなく、同級生の雨田くんが語るように、得体の知れない存在ですしね。 見る角度が変われば違って見える。たち位置でも変わる 性は複雑ですね。 | ||||
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私にはユズは不思議な人だとしか思えませんでした。むしろ卑怯な人です。自分が妊娠したのが誰かくらい責任を持って、少なくとも離婚はしておくべきでした。 また、主人公も免色さんも、やはりメタファーの中で生きていると思いました。 彼らは地に足のついた生き方ができなくて、全ての物事に意味を見出そうとするのが村上春樹的で現実感がなく、実際に人生を生きていない人のような、夢想の中で生きている人のような、何とも残念な人々でした。 残念な登場人物と、それらの決してお洒落ではない唯の暇つぶしです。80年代だったら、このようなことがお洒落だったのかもしれません。全然ダサいです。 そして、もっと言うと村上春樹が投影されている主人公のITの知識の無さには辟易します。この程度の知識で良く主人公の年齢設定が30代だと言えると思います。この程度のIT音痴は明らかに60代の人の感覚であり、ほとんどスマホとか持ってない世界の話で、なんか全然違和感しかなかったです。 | ||||
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母に頼まれて購入。好みの問題だと思いますが私はまったく面白くありませんでした。 ミステリーのようでミステリーではない、変にエロチックな描写もあって不快。 | ||||
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母に頼まれて購入。好みの問題だと思いますが私はまったく面白くありませんでした。 ミステリーのようでミステリーではない、変にエロチックな描写もあって不快。 | ||||
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廃れたのは文学ではない。民衆の智慧である。 民衆は書を読んでいるのではない。書に読まれているのである。 | ||||
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9月26日午前2時30分読書開始。同午後12時55分読了。10時間かからず読んでしまった。 おもしろかった。騎士団長が出現して話し出したときは、思わず声に出して読んでいた。 日本語はまだまだ可能性がある。 肖像画家という新しいタイプの主人公の出現はいい。著者にもまだまだ可能性がある。 | ||||
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いつか読んだような話のオンパレード。 免色さんはグレートギャツビー? 胸や乳首の大きさの悩みを中年にする13歳なんていません。個性的な少女でもそれはありえません。 これはさすがに気持ち悪いです。 第1部後半でようやく話が動き出したかと思ったけれど、第2部に入ったら読むのが苦痛なくらいつまらなくなりました。 村上さんの作品をまさかのパラパラ流し読みで読み終えることになるとは! 1Q84までは面白かったのになぁ。 | ||||
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上巻を読んだときは『色彩~』『1Q84』よりワクワクした。やはり村上ワールドは一人称がいいと思ったぶん、下巻ではがっかりしました。 ① 騎士団長は殺す必要があったのか。騎士団長はなぜそうさせたのか。(まりえは異世界にいたわけでもなく、免色のところにただ出られなくなっただけ。私からすれば出なかっただけ) ② 白いスバルフォレスターの男はそんなに重要なキーでもない(主人公の思い込みに近い)のに繰り返し登場する意味がつかめない ③ ユズがすぐに主人公とやり直ししてしまうこと。ハンサムな浮気相手があまりにも都合よく物語に利用されていること。 ④ 意味のない繰り返し(タマシイ?チシテキ?や、まりえの乳房のこだわりなど)これが物語の雰囲気を支えてるのもわかるが多すぎる。 それでも『色彩~』よりはよかった。一人称のほうが村上春樹らしさが出てると思う・ | ||||
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「イデア」と「メタファー」、 「光」と「闇」、 ひとつの光景の中に、もうひとつの別の新たな光景を浮かび上がらせる。 登場人物の画家がそうであるように、優れた詩人や音楽家、写真家も同様である! 小説のテーマが様々な場面の描写に浮かび上がってきて、読んでいてワクワクさせられる。 また、時折挿入される会話や、引用されるちょっとした話、作品の中で響く音楽が、村上春樹らしい機知に富んだもので、いつもながら質の高さを感じながら読める。 ちょっと残念だったのは、 「私」の深い暗闇については言及しなさ過ぎだったのでは? (バスローブの紐で首を絞めるコトで自覚の内に現れた自らの闇について、、、) そして!免色の闇については、ついぞ作品の中で描写されずじまい! これは作家が意図的に敢えて描写しなかったのかもしれないけれど、個人的には残念で過失にも思える。。。 | ||||
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読み始めは「よしよし」とおもったけれど、展開がちょっとかったるかった。 | ||||
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村上春樹さんの小説が大好きで、今までずっと読んできたファンの一人です。なので、今回の「騎士団長殺し」は、これまでの作品の切り貼りのように感じました。これが初めての村上作品という読者には面白いかも。 | ||||
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☆の数が少ないため、読まない人がいるといけないので☆5個で投票します。村上作品を読むということは、日本人で外国の人とコミュニケーションをとる必要がある人には必須ではないでしょうか。今や村上さんの作品から、アメリカ映画に引用されたりして、教養人のたしなみとも言えると思います。 初期作品から父親との距離感や生活習慣の描き方など一般的な日本人とは相違点も多く、毛嫌いする人も多いですが、日本人の多くが画一的に押し付けられてきた家族観から解放され、救われてきた人たちもきっと多かったかと思います。 本作が村上作品の最初で、残念ながらぴんと来なかった人は、ぜひ「風の歌を聴け」を読むことをお勧めします。楽しく読むためには、村上ワールドへの入り方みたいなものも必要なのかもしれませんから。 | ||||
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村上春樹作品はリアルタイムでほぼ全て読んでます。大好きでした。 が、他の人も指摘されてる冗長で美麗でない文体、しつこい繰り返し、変な比喩に驚きました。ここまで村上春樹の作品で読みにくいと思ったことは無かったからです。 特に少女の乳のふくらみ描写…しつこい〜!ただのロリコンです。 もちろん面白いとこもあり、私には免色が主人公より魅力的なキャラクターでした。邪悪な存在だとしても… そう、主人公は善意のかたまり。主人公が、自分に悪い意図は無いのだ、ということをチンタラ説明するとこが多く、意味わかんないとこが1Q84よりさらに減ったね。 意味わかんない展開、不細工だけど魅力的なキャラクターが懐かしいな。今回の登場人物の大半は整い過ぎていてツルリとしていた。 全盛期ほど夢中で読めなかった。しかしその辺の小説よりはまだまだ全然面白いんですけどね。。。 | ||||
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