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騎士団長殺し
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【この小説が収録されている参考書籍】
騎士団長殺しの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.46pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全721件 201~220 11/37ページ
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この人のここ最近の長編を読んでいて気になっているのは、用意された舞台の大きさがことごとく「背景」と化してしまっていることです。本著においても、せっかく異国の地で起きた悲劇という題材を 用意しておきながら、主人公および物語がそこに直接潜り込むのではなく、ただのバックグラウンドとして咀嚼されるにとどまってしまっています。イデアやメタファーを通じて互いの世界をリンクさせるというところには真骨頂を感じる部分もあるのですが、一方の世界が「伝聞」のままで掘り下げられていないため、今ひとつ心に響いてこないのです。本来なら膨大な資料を読み込み、ディティールを積み上げていくべきところを端折ってしまっている感じ。そんなわけで取ってつけたようなエピローグも蛇足に感じられました。私も長年村上作品を読んできましたが、「嫌な人間」を描くことがつくづく下手な作家だと思います。それでこそドラマは面白くなるのですが、良くも悪くも上品に過ぎます。村上龍はその辺にすごく長けていると思いますが(笑)。 | ||||
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本書は、過去の作品に見え隠れしていた「父性の喪失」のテーマが前面に現れていました。 「父性の喪失」は、求心的な権威を持たない私たちの社会の特徴を表すキーワードの一つです。 目に見える権威を嫌う私たちは暗黙の民意によって、見えない束縛の壁を作りあげています。 作者はこうした問題を入り口にして、意識の底に潜む普遍的な精神世界に読者を誘います。 【水晶の夜と南京事件】 「口ではもはや語ることのできないものごとを、寓意として絵の形にした」 軍国主義の時代を生きた画家は、激しい歴史の渦の下で果たし得なかった理念を絵に描きました。 その絵の寓意を呑み込むとき、個人的で根源的なもう一つの物語に主人公は導かれていきます。 【遷ろうメタファー】 「無の暗闇」の中では、思考は捉えることはできず、自他を認識することはできません。 「有の森」の中で、他者の気配に怯えながら思考し、世界を開示し、自己を見出します。 「二重メタファー」の欺瞞を振り切ったとき、主人公は現実世界に生還することが出来ました。 主人公は自己を覚醒させていくなかで、亡き妹への想いを生きる力へと昇華させます。 【政治的正しさを越えて】 「そびえ立つ強固な壁は、閉じ込められた人を無力にします」 私たちの心はときに、「政治的な正しさ」の高く堅牢な壁に囲まれていないでしょうか。 硬直化したモラルを振りかざす論理は、思考を身動きできなくしていないでしょうか。 作者は、個人が固有の記憶を拠り所として無機質なシステムや誤ったイデオロギーと対峙する自己規範を打ち立て、思考の自由を取り戻す道筋を、この長大な物語全体を通じて示唆しているように感じられます。 【顔の無い肖像】 メタファーの通路で出会った「顔のない渡し守」は、主人公の人格の影を隠し持つ存在に見えます。 結果的に渡し守の導きで主人公は心の外傷を癒し再び人生を取り戻し、社会復帰を果たしました。 そして新しい家族と共に、少なからぬ課題を抱えた社会の行方を見据えるところで物語は終ります。 自己の隠れた本質を直視することは、耐えがたい苦しみを伴うと心理学では言われています。 私たちはその代償となる寓意(メタファー)に触れることで、この物語の主人公のように過去の呪縛から解かれ、自己を再生するきっかけを掴むのかもしれません。 すがすがしい読後感と、新たなテーマを予感させる物語のラストでした。 | ||||
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とてもおもしろく、知り合いにも紹介しました。ハルキストの存在が分かったような気がします。 | ||||
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下世話な話ですが気になったので書いてみます、 まず一般的な肖像画のサイトで価格を調べたりしました(Amazon以外のURLは禁止されているようなので載せませんが検索できます) 大きさ(号数)は、乗用車の座席にのせられるくらい(絵具が乾いていない状態だから上向けに乗せていると思われる、立てかけられてはいない)とすると無理のないところでF10号と考えてみよう、 調べたサイトでは写真を元に描かれているようだが、政財界の著名人クラスの、本人をモデルにして描くような専属会社、エージェンシーが前提らしいので一般のサイトより高額を想定していいだろう。 というなかば独断で一作で50万円前後を想定してみる。 その想定からしても「法外な報酬」を免色が提示したというので倍額くらいでは法外とは言えないと考えて、300万円前後を考える、 さらに絵の出来が良いので増額したというので400万円前後ではないか、 という想定はどうでしょう? もしなにか知識やご意見あればコメント下さい。 なお作品については、久しぶりに読書の快楽、を味わったので星五個です、内容について評するのはまたの機会にします。 | ||||
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本書は、肖像画家の主人公が、山懐の別荘地で遭遇した奇妙な体験を通じて、 私が『本当の私』を見つけ出すことの、孤独で危険な道のりが描かれています。 【影の肖像画】 「免色は間違いなくその絵の中にいた。」「彼の抱える謎さえもが、そのままそこにあった。」 免色氏は、現代社会の中心に属する成功者の一人として描かれています。 しかし彼の抱える謎は、私たちの社会に潜む何らかの闇を示唆しているようにも見えます。 【自己の正体】 「お前がどこで何をしていたかおれにはちゃんとわかっているぞ、彼は私にそう告げていた。」 心の内側から迫ってくるその声は、相反する意識と無意識の軋轢を告げています。 それは私たちが宿命的に背負ってきた、罪の意識を象徴しているようにも思えます。 【イデアの顕現】 「あたしは霊ではあらない。あたしはただのイデアだ。」 騎士団長の出現により、抽象的隠喩は具象化したふるまいを始めます。 心に想うことは白日のもとにさらされ、切れば血の出る現実に放たれます。 【人間の業】 「つまりあなたは、ご自分の娘かもしれないその少女の姿を日々双眼鏡を通して見るために、 谷間の真向かいにあるこの屋敷を手に入れた。」 実の娘を遠くから見つめ続ける、免色氏の奇妙で屈曲した生き方。 望むことも、あきらめることもできない運命、それが人間の業なのかもしれません。 登場人物の誰もが、過去に想いを残してジレンマに陥っていることが次第に明らかとなります。 【華麗なる舞台】 絢爛たる邸宅の夜会、華麗なる紳士のスキャンダル、情事の合間の謎解き、 神出鬼没のトリックスター、静謐な心象風景、そして美しい少女の登場・・・。 作者はこうして積み上げた物語の表舞台の裏で、ある企てを仕掛けようとしています。 はたして、主人公は最後に正しき自己の自画像に到達することが出来るのでしょうか。 | ||||
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下世話な話ですが気になったので書いてみます、 まず一般的な肖像画のサイトで価格を調べたりしました(Amazon以外のURLは禁止されているようなので載せませんが検索できます) 大きさ(号数)は、乗用車の座席にのせられるくらい(絵具が乾いていない状態だから上向けに乗せていると思われる、立てかけられてはいない)とすると無理のないところでF10号と考えてみよう、 調べたサイトでは写真を元に描かれているようだが、政財界の著名人クラスの、本人をモデルにして描くような専属会社、エージェンシーが前提らしいのでこのサイトより高額を想定していいだろう。 というなかば独断で一作で50万円前後を想定してみる。 その想定からしても「法外な報酬」を免色が提示したというので倍額くらいでは法外とは言えないと考えて、300万円前後を考える、 さらに絵の出来が良いので増額したというので400万円前後ではないか、 という想定はどうでしょう? もしなにか知識やご意見あればコメント下さい。 なお作品については、久しぶりに読書の快楽、というのを味わったので星五個です、内容について評するのはまたの機会にします。というか正直自分の手にあまる感じもします、何を書いても的外れになりそうで、今回はパスします。。。 | ||||
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とにかく全編を通し、過去に使ったモチーフの繰り返しだらけ。 他の方も同様のレビューをしてるし、たぶんそういう検証サイトとかもあるんだろうけど、ざっと挙げる。 大富豪が丘の向こうの家を見つめる→グレートギャッツビー(春樹作品でないが翻訳までしている大好きな作品) 夢の中で性交し、実際に妊娠→1Q84 井戸を抜けるとイデアの声が聞こえる→風の歌を聴け イデアが人々を「諸君」と呼ぶのも、風の歌を聴けでラジオDJが人々を「君たち」と呼びかけるのも現象は同じであるとみていいだろう。 何故村上春樹がこの作品を発表する必要があったのかよくわからないまま後編へ続く。 | ||||
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私は大抵のこの人の作品を読んでいますが、どの作品の主人公も皆、レイモンドチャンドラ-の探偵小説に出てくる主人公と重なってしまいます。もう感じとか雰囲気がそのままな印象、この作品の主役も探偵活動をしない探偵って感じで主人公の職業は肖像画家、スト-リ-の合間に描かれる主人公の生活描写が本当に冗談なくアホみたいにカッコ付け過ぎ、度が過ぎるくらいええカッコなスタイルシ-ン満載です。彼の作品を何冊か読んだ方ならもうお分かりだと思いますが、大抵(全て)の作品の主人公はジャズが好き、この『騎士団長殺し』でもそれは全開に描かれています。例えば主人公が朝起きると、70年代に作曲された外国のなんたらゆういかにも通好みのジャズのレコ-ド聴きながらその曲のうんちくの説明と同時にコ-ヒ-を飲むあたりのスタイリッシュな場面・・・・読んでてこんなやついね-よみたいなのがてんこもりです。それが逆に笑えてくるのです。そしてもう一つ、この作者の問題点?と言ったらいいのでしょうか、もう大方の人は気づいていると思うのですが彼の書く作品のどの主人公達すべてが作者本人を自らモデルにしているような書き方にしている感じがしてなりません、もしそうなら、この人は自分の顔を鏡で見たことがないのかと思います。気の毒ですがブサイクです。作者を画像検索してその顔写真をアップで印刷してその画像を正面の見える位置において、謎の大富豪、免色さんが主人公を自宅に招待して超一流の雇ったシェフの料理を食べるシ-ンをその画像を見ながら読もうとしましたが数行で限界で爆笑です。とても読めません、マジです。もうはっきりいってスト-リより、主人公の異様に気取った生活スタイルを第三者(読者)が観察するとゆう観点でみると本当にギャグ小説になります。けっして作品は悪くありません、むしろ今年読んだ作品でこれが一番笑えました。最後に残念なのは、免色さんの描写をもっと掘り下げてほしかったです。あの異空間のラストに二重メタファの大ボスが実は免色さんで「お前の事はすべて知っている」と言うあの白いスバルフォレスタの男と同一人物だった、とかで異空間で一大バトルを展開してほしかった、ぐらいのインパクトがあれば星5なのですが・・・・・・ | ||||
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とにかく全編を通し、過去に使ったモチーフの繰り返しだらけ。 他の方も同様のレビューをしてるし、たぶんそういう検証サイトとかもあるんだろうけど、ざっと挙げる。 大富豪が丘の向こうの家を見つめる→グレートギャッツビー(春樹作品でないが翻訳までしている大好きな作品) 夢の中で性交し、実際に妊娠→1Q84 井戸を抜けるとイデアの声が聞こえる→風の歌を聴け イデアが人々を「諸君」と呼ぶのも、風の歌を聴けでラジオDJが人々を「君たち」と呼びかけるのも現象は同じであるとみていいだろう。 そしてもうひとつ、色々な重要な要素に決着を付けないのだ、この小説は。 確かに羊をめぐる冒険だって、ダンスダンスダンスだって、世界の終わりだって、あれが決着なのかといわれれば素直に首肯できないところはある。でも一つの回答にはなっていたようには思う。 しかしこの作品はそういった場所に読者を連れていかない。ペンギンのストラップもフォレスターの男も、免色の闇の部分も、顔ながも、出刃包丁もその意義をしっかり語らないまま終わる。残りページが少なくなり、おいおいこれで終わるのかと思ったらそのまま終わってしまった。 村上ファンはこういうの書いておけば喜ぶんでしょ。という意図が透けて見えて悲しい。 | ||||
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小説は全然読まないし、 というか、本も読まないのですが 村上さんの小説はほぼ読んでいます。 メタファーやらイデアやら井戸やら壁抜けやら、全然理解できません。 でも、なんだか読んでしまいます。 そして、次の新作も読むでしょう。 次の新作出るまでに期間が空くので 過去読んだ作品をまた読むでしょう。 文章・文体が好きなんだと思います。 あと、村上さん自体も似たような題材で小説書いていることは 認めてらっしゃるみたいです。 そのことに対しては、 人間ってそういうものなんじゃないのか。 小説がどのような流れになっていくのかは、書きながら見えてくる らしいです。 小説の流れは、書きながら自然と生まれてくる・向こうからやってくるのだと したら、何に力を入れるのかというと 文章力・文体らしいです。その力は、しっかり磨き続けるらしいです。 そして、それが更新したり変化したり上達したりしているのであれば 問題ないらしいです。 村上さんの文章で書かれる、人間の地下2階部分の小説を読んでいると フラットに・静かに・落ち着く、そんな状態になってしまって それが好きなんですよね。 雨とか降っているとよりいいですね。 | ||||
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この本を読んだが多くの謎が残りました。 二重メタファー スバルフォレスターの男 騎士団長 これらはいったいなにを表象してるのでしょうか?またはなんの隠喩なんでしょうか? 恐らく私たちが内的にも外的にも向き合わなければいけない課題なのではないでしょうか? | ||||
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「ねじまき鳥~」でピークを迎え「海辺のカフカ」でやや下降するも、ここまでは成長・変化があり、 そこには読者の胸ぐらをつかみ物語世界に引き込む圧倒的な力があったと思います。 その経験があるからこそ、新刊が出るたびに新たな驚き、喜びを期待し購入するわけですが、 海辺のカフカ以降はどれも読んだら忘れてしまうような内容で読んだ後に何の傷跡も残さない、 害のない作品になってしまったと感じていました。 そして今回の騎士団長殺し。 今回こそはと期待しましたが、今までで一番ひどいよ! ねじまき鳥や過去作の模倣と思われる個所が多く、しかしねじまき鳥の足元にも及ばない。 後半に差し掛かり、嘘だろ、この流れで終わらないよな・・・という淡い期待も完膚なきまでに裏切られました。 自信をもって駄作といえます。笑 ファンにここまで言わせるのってすごいことですよ。 大御所になりすぎて周囲の人間が何も言わないのか、言っても聞かないのか。 奥さんのチェック入ってないのでしょうか? 何より、村上さん自身この物語を書く必然性はあったのでしょうか?ないですよね。 新潮社との間に何かのっぴきならない事情があり、無理やり出版させられているのかと邪推してしまいます(笑) こんな駄作を上下巻で販売するなんて、本当にひどいですよ。ファンなら期待してつい買ってしまいますからね。 せめて単行本1冊にまとめてください。上下巻でこの内容だと失望が怒りに転じます。 | ||||
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普通に面白かった。 「イデア」と「メタファー」に拘ったり、「まるで~ように。」を多用して、村上節は健在です。 | ||||
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村上春樹は文体が生理的に受け付けなくて読めなかったのですが、1Q84と騎士団長殺しだけは最後まで読めました。 1Q84のときはマザーとドーターで、「作品と作者と作家性(あるいは世間の作家に対する評価)の関係」みたいなものについて書いているなと感じましたが、騎士団長殺しは、編集や読者に求められている「綺麗で分かりやすくて評価されやすい作品」を書くよりも、「自分の書きたい事を書きたいように書きたい。良さは分かる人だけが分かってくれればそれで良い」という、作家自身の抱えている芸術家的な欲求について考察している気がしました。 よってこの二作品は、ある意味では連作のようなものなのかなと感じました。 売れっ子作家には恐らく2種類居り、 A.書きたいものを書きたいように書いて、それが世間に評価される天才 B.世間に求められる作品を狙って書いて評価される秀才 のいずれかに分類されると思います。 作中で言うとAが騎士団長殺しの作者であり、Bがオーダーされて肖像画を仕上げる主人公です。 村上春樹は本作を書き、世に出してみることで、自らが「書きたい事を書きたいように書いた作品」が、世間にどう評価されるのか? を確かめてみたかったのではないかと推測します。 (そして物語の結末として主人公が肖像画家に戻っていくように、恐らく次回作からはまた、「読者の読みたい物語」を書くつもりなのでは無いでしょうか) 技術的な面で、興味深い部分が多かったです。 例えば章のタイトルが本文中に出てくる章と、総括した言葉で表されている章は、どちらかが現実で、もう一方が非現実なんだろうなと思ったり。 「騎士団長殺し」と聞いて真っ先に浮かぶイメージは間違いなく油絵である筈なのに、物語を読み進めるにつれて「日本画」だとしか考えられなくなっていく説得力の持たせ方であったり。 この作品自体がある意味「ハルキ流小説の書き方」の参考書となっており、小説家を目指す人にとっては、なかなか刺さる内容になっているのではないかな、と感じました。 | ||||
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この話自体が未完成品なのでしょうか全体通して不必要な話も線も消してないという。 2部後半では別のストーリーをくっつけたような奇妙な感じがしました。 読むことのできない正規ルート?では何人か行方不明になっていそうで心配です。 それともまだ細い横穴に引っかかっているのでしょうか。 読んでいる途中では村上春樹は終わったと思いましたが読了後は あえての平行世界つなぎ合わせ不完全小説を未完成に見えるかたちで完成させた変態だと思いました。 | ||||
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例の賞の発表も終わり、静かになりましたので読み始めました。期待通りのハルキワールドで、読み始めると頭がそれに切り替わります。読んでいて安心感があります。 | ||||
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たとえば、核心から目を背けることなく、淡々と生きるしかない。好き嫌いがあるだろうが、様々な提言を否定できる人はいないはず。敗北感、無力感、喪失感、孤独と向き合いつつも、保つべきものの意味。純粋に読む過程が楽しい。 | ||||
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普通に小説として楽しんだ。春樹作品としては1番ではないです。IT業界などにも焦点をおいていてとても興味深かったです。 | ||||
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なんか、読者をスポンサーにつけたドンキホーテが「井の中」に旅立つ冒険記という感想です。 読まないのでこの表現であっているかどうかも分かりませんが… レビューを読ませるだけのパワーはお持ちのようですね。 長編と高額商品はレビューの存在がとても助かります。 | ||||
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1部のレビュー数に比べ、2部のレビュー数が3分の2程度なのは上出来な証なのかもしれません。 ただ、南京虐殺について触れたレビューを拝見して、ものすごい数のスルーがあることに驚きました。 ここの部分だけでも致命的な気がするのですが、何とも思わない方々がこの作者を評価しているのであれば、仲間には入りたくはありません。 どのような背景でこの部分を書いたのか興味がわきますが、自分の中から著者を排除するほうを選びます。 レビュアーの皆さんありがとう。 | ||||
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