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騎士団長殺し



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騎士団長殺しの評価: 3.46/5点 レビュー 721件。 Cランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.46pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全721件 261~280 14/37ページ
No.461:
(5pt)

フリップ・グラス氏の音楽と共に読むと、、、、^_^

今まで読んだ氏の小説の中では最も感銘を受けました。毎日少しずつゆっくりとストーリーを追い、主人公の行動や考えを自分と重ね合わせとても興味深い体験を共有した気がしました。不思議な話なのに本当にあった話として感じられるのは筆者の力量の賜物だと思います。
スポティファイでたくさんの音楽を聴きながら読み進めたのですが、無数の音楽の中で、フィリップグラス氏のグラスワークスというアルバムを聴いている時が最高に小説にのめりこめ至福の時を過ごせました。
後で調べると2016年に村上氏はグラス氏と朗読会を行なっています。村上氏も本作を執筆の頃グラス氏の音楽を聴いたので両作の相性が非常に良いのではと考えると自分だけが気づいた秘密のようで嬉しいです。他の人はどう感じるのでしょうか。
他の方の星は少し少なめのようですね。村上氏の過去の作品と比べて星をつけているかたも多いようですね。過去は過去、現在のこの小説をじっくりと読み自分が氏が伝えたいことに共感できたので私の評価は高くなっています。2作目に出てくる穴をくぐる時の閉そく感、とても恐ろしかったです。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.460:
(4pt)

とてもキレイな状態で満足

1部と2部を購入しましたが、とてもキレイな状態で満足です。
良い買い物ができました!

強いて言えばあくまで別々に送料がかかっているので、
1冊ずつ梱包でもう一層プチプチで包んだほうが安心感はあるかなと思いました。
と、いうことで★4.5ですかね。
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
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No.459:
(5pt)

描写する才能

村上春樹氏の才能は現実には存在し得ない空間を創造し、それを冒険する景色や心理を描写する能力は抜群だ。
人間の感覚は見る、聞く、嗅ぐ、味る、触る、と五つの方法がある。これらを文字だけで色、匂い、音、感触を伝達する才能が素晴らしい。
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
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No.458:
(5pt)

最近の中で、一番安心して読めた。

村上さんワールドが、たくさん盛り込まれた、読みやすい内容でした。
今までの作品をにおわせる所が、たくさんあって、難解すぎず、凝りすぎず、
読み物として、楽しめました。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.457:
(2pt)

同じような内容の劣化版

文章はどんどん上手くなっているのに反比例して
内容はどんどん薄まっていってる感じ。
ガッカリ。
村上さんの訴えたいことは『ねじまき鳥』あたりくらいまでで
すべて言い尽くされているように思う。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.456:
(2pt)

結局、自分が大好きなんだろうね

春樹ファンには申し訳ないが途中で読むのやめました。今回も軽いから。
しかし一部の春樹ファンへ一言。集団で春樹会ならともかく、カフェでひとり春樹本片手に気に入った文章をノートを広げて書き写すのだけはやめてくれ。どんだけ春樹好きやねん。〜っていうかどんだけ自分が好きやねん。そんなことは家でやれ。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.455:
(3pt)

Idea : 観念、概念 (実在) から Metaphor : 暗喩 (寓喩) への移動に関しての、詳細な説明的ストーリー展開は成功したのか?

話としては、下巻の読ませどころ ≪空間の通り抜け: ある次元から、次 (隣) の次元への移動≫ はあるが、全体として次元とか時間の移動のような要素が少なく、これまでの長編――― 初期の2作品を除いて ―――のようには、読者に特段の咀嚼・熟察みたいなものを要求していない。 読者は素直に書いてあることを楽しめば良い・・・・自分で何も考えなくても楽しめる 「娯楽小説」 とまでは言いませんが。

著者はA地点 ⇒ B地点への、仮定の地下空間 (メタファー) の移動の情景を、物語にリアリティーを持たせるため、微に入り細に入り記述している。 これまでの著者ならそのような親切 (風) な説明をすることは無く、そのために全体のリズムを崩し、もっと悪いことには、極めて冗長になっている (1Q84から顕著、と私は思う)。

この作品については、本のタイトルにある、イデア(観念、概念 あるいは実在)がどんな意味で、メタファー(暗喩・隠喩)がどのような意味・意図をもって使われているかについて全く意識しなくとも、物語の内容の味わうための大きな障害とはならない。ただ、これまでの村上の作品を愛していたかなりの人々は言うかもしれない 「それはないでしょ」 と。 モーツアルトの楽曲「ドン・ジョバンニ」に絡ませて、騎士団長殺しの絵画にまつわる物語的説明は素直に楽しめましたが・・・・・

繰り返しになるが、上・下巻共、とりわけ下巻「メタファー編」の特定のEpisodeでの、過分な冗長さが興ざめの働きにしかなっていないのが気になった。 (あくまでも村上春樹の小説としては)、取り上げているテーマも、内容の深みも――― 1Q84に匹敵する ―――凡庸な作品、と感じた。

【結語】
 村上は、『グレート・ギャッビー』 で有名なフィッツジェラルドの晩年 (38歳くらい) の最期の長編 『夜はやさし』 について次のようなコメントを残している。
 【この作品の特質は 「コスト・パーフォマンス」 の悪さにある―――つまり、小説の長さに比して読者の得るものは相対的に少ない。 読者は、何だか肩すかしを喰らったような思いを抱いてしまうことにもなりかねない】 ・・・・・・・と。
相同の事が村上にも起こっていないことを祈ります。わたしは、村上は、今後もいくつかの優れた短編を残すことに疑いは持っていない。 ただ、私は、あと1作品でよいから、ぼーっと読んでいると訳が分からなくなるような、何度も連続して読み返したくなるような 《長編》 作品に触れたいのです。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.454:
(5pt)

初めて村上春樹で泣いた

著書の作品は長年読んできました。
皆さんご指摘のように、既視感たっぷりのお話ですが、
今回は最後、泣けました。初めて彼の作品で。
私たちは通常現実という「現れ」しか確認できないが、
もしかしたらそれは何かの反映であり、
現実を生きる私たちを支えるのは、実は...〇〇〇こと。
ラストの主人公の独白のために、
このながーい1000ページがあったのですね。
登場人物それぞれの人生が絡み合ったストーリがたどり着いたところは、
生きることを導いてくれる、とてもシンプルで精神的な「核」。
新鮮な村上春樹作品でした。
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
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No.453:
(5pt)

村上春樹さん長生きしてね

海外の作家で好きなのはヘミングウェイやトーマス・マンやカミュやサガンです。日本で好きなのは芥川龍之介や太宰治や三島由紀夫です。
さてこの作家たちに共通することは何でしょう?
みんな故人ということです。つまりは新作は読めません。
村上春樹も好きです。好きな作家の中でただひとり新作が読める作家なんです。村上春樹さん長生きしてね。お願いします。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.452:
(5pt)

村上春樹、河合隼雄に会いにいった

直感的に「騎士団長殺し」という絵画が「箱庭」的だなと感じます。どうも、なにか怪しい。

※「箱庭」とは、砂をしいた箱の中に、自由におもちゃなどを入れていくもので、「箱庭療法」(心理療法の1つです)に使用されるものとして知られています。これは心理学者である河合隼雄(先生)が1960年代に西洋から日本に持ち帰り、国内に広げたものです。なんとなく知っていらっしゃる方も多いかと思います。

秋川まりえが週に1度スタジオにやってきて、「私」と1対1になり、肖像画のモデルになるという設定もどこか心理療法を思わせます。やはり、怪しい。まるでクライエントと治療者のよう。
その線にそって読んでみると、「騎士団長殺し」は小説の中では、雨田具彦が描いた絵画として存在しますが、騎士団長・顔なが・ドンナアンナ含めて、このおもちゃ・人形たちを画中に配置したのは、この小説の書き手である村上春樹です。そういう意味では、「騎士団長殺し」という存在は、雨田具彦によって描かれた「絵画」であり、村上春樹の書いた「小説」でありながら、同時に村上によって作られた「箱庭」という存在になっているとも読める。二重メタファー構造になっている。
人を観察し「肖像画」を描くということは、「小説」を書くことでもあり、同時に「心理療法」を行うことと読み替えることができるように思える。
そしてすごいのは、小説の表面上は、画家が主人公の話が書かれていて、これだけでも充分に満足できる物語が語られますが、その裏面では「箱庭療法」を念頭に置いた別の物語が進行している。同じ言葉で描かれた世界が、少しづつ違う意味合いを帯びていく。物語が旋回し、言葉が変装していく。

「騎士団長殺し」という小説は、村上春樹が自分で作った「箱庭」をつかって、作中人物たちを「救えるのか」・「癒せるのか」ということに挑戦した意欲的な小説なのだと思います。さらに言うと、「箱庭」の作者は村上春樹自身ですから、小説の枠外ではクライエントは村上春樹であり、この物語を通して村上自身が救われるのかどうかも問われているように思える。この場合の治療者が河合先生だと仮定すれば、村上は物語を紡ぎながら、地下二階に降りていき、河合先生と「こころ」の対話を実践したのではないかと想像します。「河合先生、ご無沙汰しております」、と。

改めて、この人は超一流の小説家だと思いました。
実は、大変心配していました。ただのスケベなおっさんなんじゃないかと。確かに可能性も高いよなと。そうじゃなかったかも。よかった、よかった。
終盤の屋根裏のシーン、秋川まりえと二人で環をとじるシーンには胸が熱くなります。そこには間違いなく確かな救済の感覚があります。試みは成功したのでしょう。ものすごい達成だと思います。

また、作品(の裏面)をとおして、2006年に脳梗塞で倒れ、その後約1年間1度も意識が回復しないまま亡くなってしまった河合隼雄(先生)への深いリスペクトを感じます。というか、この物語の裏面部分は、はっきり言って河合先生絡みの話ばかりです。
「箱庭療法」に代表されるように、西洋と東洋の「こころ」の橋渡しのような仕事を実践された河合先生は非常に大きな存在だったのだと思います。ここらへんで、一度きっちりと書いておこうという気持ちがあったのかもしれません。

一例ですが、まりえは自分の胸が小さいことをちょっと病的に気にしていますよね。「私」にそんなことを言う。これ、まりえは本当はなにが言いたいのか。
心理療法の臨床的には、「父性」も「母性」も希薄な家庭で育っていて、これからきちんとした大人の女性に成長していけるのか不安だと、言っているんじゃないでしょうか。大人の女性になって社会的なペルソナを獲得できるのか不安だと。でも、この少女はそういうふうには言えないんですよね。言えないから胸のこととして言うんですよね。おそらく。河合先生なら、多分そう受け止めてくれる。「私」もそう受け止めますね。成熟した人間としての自然なやさしさがある。だから、まりえのために地下二階の世界まで潜っていくんだと思います。
まりえの方も地下二階まで潜っているわけですが。ここのシーンもいいですよね。母親の衣服(ペルソナ)に守られるシーン。まりえは母性に触れて戻ってくる。
一方で、本来まりえを救わなければならないのは免色のはずです。まりえは自分の娘であるかもしれないわけだから。でも、彼にはそれができない。その資格がない。穴の中に入ることはできるが、そこから先に潜ることはできない。

そして、物語の最後にシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)が起きる。河合先生の十八番、オハコです。全体のコンステレーションの中で子どもが生まれる。そして、「私」は、その子が自分の子どもだと信じられる。ゆるぎのない確信がある。もはや神話です。自分にとっては。

さらに河合先生絡みで、、、あまりにも長くなるので詳しく書きませんが、西洋の中央統合モデル(例としてのナチス)、日本の中空均衡モデル(例としての日本の戦争、そして免色)に続く、新たな第三の社会モデル(これからの世界で通用する新たな社会モデル)を提出している物語だとも感じました。

以上、すべて一読者の個人的な感想です。当たり前ですが。
ただ、久しぶりに読書を楽しみました。よい時間を過ごしました。混乱したけど。
河合隼雄と村上春樹。真に偉大な仕事をする人間は、本当に謙虚なんだなとも感じました。

※余談ですが、絵画の時代設定が飛鳥時代であることも、河合先生からの連想で、文化庁長官時代に壁画破損問題があった「高松塚古墳」(検索すると、きれいな飛鳥時代の衣服が見られます)→「石室」(例の穴です)→「副葬品の仏具としての鈴」と、きちんとつながりが感じられます。
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
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No.451:
(2pt)

既読感

約2年かけて、村上春樹の全長編小説を古いものから順番に読んできた。本作が最もつまらなかった。この作品に新しさは感じられなかった。本書刊行後、幾つかの書評を読んだが「期待はずれだった」と正直に書かれたものはなかった。批評家の書くものはあてにならない。
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
4103534338
No.450:
(2pt)

・・・

この本からは哲学的なそして真に官能的な芸術を感じなかった。
理と現のはざまで技巧を意識する、その美を自然なものであるとは感じなかったので。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.449:
(3pt)

わけわかめ

村上春樹さんの本をはじめて読みました。
おそらく、生粋のハルキストにとってはたまらないのでしょうが、私の低脳では理解できませんでした。
もちろん読み終えての感想です。読んでる最中も読み終わってもこの本の真理にはたどり着けませんでした。
自分の低脳さに腹が立ちましたね。
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
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No.448:
(5pt)

ジョージ・オーウェルの小説『1984年』を通底奏音として、人間の魂と闇(悪)を描いた『ねじまき鳥クロニクル』『1Q84』に続く三部作完結編(前編)

作中にエピソードが登場するドストエフスキーやジョージ・オーウェル・ゴッホをはじめ、スコット・フィッツジェラルド等、彼等作家とその作品へのオマージュに満ちた小説です。

本書にはまさにジョージ・オーウェルが『1984年』を描き身体を壊したエピソードが紹介されていますが、その1984年が舞台である村上さんの過去の長編『ねじまき鳥クロニクル』、『1Q84』と共に三部作を成す、重要な小説だと思います。

『ねじまき鳥~』には第二次世界大戦のエピソードが深く描かれ、『1Q84』はもちろんオウム真理教を意識した作品ですが、本書『騎士団長殺し』は第二次世界大戦におけるウィーンと中国での虐殺、オウム真理教の事件、更には3・11のことが出てきます。

前作の長編『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』では、リストのピアノ曲を弾くユズという少女がレイプされ、拒食症になり、やがて殺されます。

本書では同じ名を持つ主人公の妻が理性を亡くし、美青年とセックスし、主人公に別れを告げます。

両書において、主人公たちは夢の中でユズを犯す。

『ねじまき鳥~』では、主人公の妻は実の兄におそれく夢の世界(目に見えない世界)で襲われ(犯され)、理性が狂い、浮気をして、主人公を捨てる。

川上未映子が村上さんにインタビューした共著『みみずくは黄昏に飛び立つ』を読めば、恐らく、村上さんは第二次世界大戦やオウム事件などの人類の悪というのは、どこかで主人公を含む我々の心の奥底になる無意識領域の濃密な闇と繋がっていると考えているようです。

本書は少なからずフィンセント・ファン・ゴッホと心を通底させ、幼い頃に妹を亡くし、今は突然妻に去られ心に深い傷を背負った主人公の画家と彼の周りのそれぞれに苦悩を抱えつつも鮮やかな生を持つ人たちの生き様を通し、人間の魂の闇とその救済、そして目に見えないものが存在すること(本書では覚醒に近い存在としてのイデア、『1Q84』ではリトルピープル)を描いた、『ねじまき鳥~』、『1Q84』に続く、スケールの大きな優れた長編小説三部作の完結編ではないでしょうか。個人的にはその三部作の中で『ねじまき鳥~』が最も優れた小説だと思いますが。

~以下、イデア編より教訓となるメッセージ~

(準主人公の)免色は言った。「私は思うのですが、大胆な転換が必要とされる時期が、恐らく誰の人生にもあります。そういうポイントがやってきたら、その尻尾を素早く掴まなくてはなりません。」

「大事なのは無から何かを創りあげることではあらない。諸君のやるべきはむしろ、今そこにあるものの中から、正しいものを見つけることなのだ」

「人物を描くというのはつまり、相手を理解し、解釈することなんだ。言葉ではなく、線やかたちや色で。~略~ ぼくもぼくのことが理解できればと思う。でもそれは簡単なことじゃない。だから絵に描くんだ。」
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.447:
(5pt)

ジョージ・オーウェルの小説『1984年』を通底奏音として、人間の魂と闇(悪)を描いた『ねじまき鳥クロニクル』『1Q84』に続く三部作完結編(後編)

作中にエピソードが登場するドストエフスキーやジョージ・オーウェル・ゴッホをはじめ、スコット・フィッツジェラルド等、彼等作家とその作品へのオマージュに満ちた小説です。

本書にはまさにジョージ・オーウェルが『1984年』を描き身体を壊したエピソードが紹介されていますが、その1984年が舞台である村上さんの過去の長編『ねじまき鳥クロニクル』、『1Q84』と共に三部作を成す、重要な小説だと思います。

『ねじまき鳥~』には第二次世界大戦のエピソードが深く描かれ、『1Q84』はもちろんオウム真理教を意識した作品ですが、本書『騎士団長殺し』は第二次世界大戦におけるウィーンと中国での虐殺、オウム真理教の事件、更には3・11のことが出てきます。

前作の長編『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』では、リストのピアノ曲を弾くユズという少女がレイプされ、拒食症になり、やがて殺されます。

本書では同じ名を持つ主人公の妻が理性を亡くし、美青年とセックスし、主人公に別れを告げます。

両書において、主人公たちは夢の中でユズを犯す。

『ねじまき鳥~』では、主人公の妻は実の兄におそれく夢の世界(目に見えない世界)で襲われ(犯され)、理性が狂い、浮気をして、主人公を捨てる。

川上未映子が村上さんにインタビューした共著『みみずくは黄昏に飛び立つ』を読めば、恐らく、村上さんは第二次世界大戦やオウム事件などの人類の悪というのは、どこかで主人公を含む我々の心の奥底になる無意識領域の濃密な闇と繋がっていると考えているようです。

本書は少なからずフィンセント・ファン・ゴッホと心を通底させ、幼い頃に妹を亡くし、今は突然妻に去られ心に深い傷を背負った主人公の画家と彼の周りのそれぞれに苦悩を抱えつつも鮮やかな生を持つ人たちの生き様を通し、人間の魂の闇とその救済、そして目に見えないものが存在すること(本書では覚醒に近い存在としてのイデアや神の存在、『1Q84』ではリトルピープル)を描いた、『ねじまき鳥~』、『1Q84』に続く、スケールの大きな優れた長編小説三部作の完結編ではないでしょうか。個人的にはその三部作の中で『ねじまき鳥~』が最も優れた小説だと思いますが。

~以下、メタファー編より~

「もしぼくが君を正しく描くことができたら」と私は言った。「君はぼくの目で見た君の姿を、君自身の目で見ることができるかもしれない。もちろんうまくいけば、ということだけれど」「そのためにわたしたちは絵を必要としている」「そう、ぼくらはそのために絵を必要としている。あるいは文章や音楽や、そういうものを必要としている」

私たち(十三歳の妹と私)のあいだには確かな生命の交流があった。私たちは何かを与えると同時に、何かを受け取っていた。それは限られた時間に、限られた場所でしか起こらない交流だった。やがては薄らいで消えてしまう。しかし記憶は残る。記憶は時間を温めることができる。そして - もしうまくいけばということだが - 芸術はその記憶を形に変えて、そこにとどめることができる。ファン・ゴッホが名もない田舎の郵便配達夫を、集合的記憶として今日まで生きながらえさせているように。

「しかしな、諸君。この宇宙においては、すべてがcaveat emptorなのだ」「caveat emptor。カウェアト・エンプトル。ラテン語で『買い手責任』のことである。人の手に渡ったものがどのように使用されるのか、それは売り手が関与することではあらないのだ。」

「試練はいつか必ず訪れます」と免色は言った。「試練は人生の仕切り直しの好機なんです。きつければきついほど、そのあとになって役に立ちます」「あなたは確か36歳でしたね? ~略~ 人生の中でおそらくいちばん素敵な年齢です」

あるいは私はそれらの絵を描くことによって、ひとつの物語を記録しているのかもしれない。そんな気がした。私はそのような記録者としての役割を、誰かによって与えられたのだろうか? もしそうだとしたら、その誰かとはいったい誰なのだろう? そしてなぜこの私が記録者に選ばれたのだろう?
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
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No.446:
(5pt)

是非読まれてみては。

巷で流行る何某が殺され誰某が情緒絡め推理ゲームに人間解釈され過ぎる小説群。そんな小説界を皮肉ったかのようなイデアとメタファー。最後のエピローグはそのような小説に慣れきった者へ作者の温情とも。
自身の生きた人生に照らし読まれた方々もいらっしゃるかとは思う。そもそもイデアを具象化出来た人間は日本に一体何人いるのかと。主人公と妻、雨田親子にメンシキ氏、妹、母にフォレスター男、更には人妻とファミレス女性等、全てにイデアの具象化に繋がる人物であると読まれた方々もいらっしゃるのではないでしょうか。つまりイデアを具象化出来る生きた過程がそれであり、その登場と関わりとメタファーとはどのような人間にも表現し難い部分であるのでは。しかも美術、古典音楽という感覚的要素、生活表情で一変する世界舞台での、イデアとメタファー記述です。
これまでの人生で五感のズレを一つでも経験された方には読み出せば止まらない小説だとは思えます。
カフカに登場する父親、バスの女性等、カフカは少年であり、この本の主人公は何歳か登場する人物との関わりを照らしてみてはどうでしょう。
因みに私は歴史小説と児童文学専門人間で、他は村上春樹氏以外はなんの響き感じない為、参考にはならないとは思います。が、
この本はかなり最近他には無い、かなり深い意味を込めて書かれたのではないでしょうか。改めて、村上春樹氏の凄さを感じました。
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
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No.445:
(5pt)

最高傑作

気になっていた本だけど、忙しくて手を出せないでいた。どうせ面白いだろうけれど、どうせ村上ワールドだろう、などと考えていたのだが、ついフラフラと手を出してしまった。読み始めたら、途中でやめられず一部二部を一気に読んだ。予想と違った。すべてが深化していた。彼のいままでの作品の中で、もっとも文学的完成度が高いと思う。派手さがなくなり、より日常的になり、テーマがたがいに深く絡み合うようになった。円熟するとは、このようなことなのだろう。
 われわれの生活の奥に流れている、そして日本文化の底流に流れている権力者の暴力を見据え、それから解放されたいのだ、というテーマが流れ続ける。これは、いままでの村上春樹で食い足りなかったものを書いてくれていた。そこに焦点を当てて読むと、ものすごく面白い物語なのである。ナショナリズム流行に棹さし、南京事件を取り上げてくれたことには村上春樹に感謝の意を表したい。
 謎解き風のストーリーは、結局はすべてが何事もなかったかのごとく日常性に戻っていく。日常性の奥に隠れているものを描き出そうとすれば、そうなるのは必然であろう。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.444:
(4pt)

そう、クラシック音楽というメタファーが似合うかも。 つまらないと言えばつまらない。

良い作品、とするか。悪いと酷評するか。
どちらにせよ、自分自身の器を露呈するような行為にも近い。
鏡のような作品。
というより、村上春樹は憑依系でふかいふかいところにおりていって書くので、自然とそうなるのだろう。
頭で書いてない。
対談集「みみずくは黄昏に飛びたつ―川上未映子訊く 村上春樹語る―」にも書かれているが
地下二階へおりていく作業なのだ。
ここが広い人や抽斗が多い人はこの作品から、自分の抽斗が開かれるだろうし
地下二階におりていくことが、まだ想像もつかなかったり、目に見えてわかりやすいものを求めるとこの作品ってつまらないです。
ましてや性描写なんかに何かを求めても仕方ない。そういうのはフランス書院文庫に任せましょう。
ただ、この地下二階は全人類に共通する構造のようなものがあるらしく、どの時代でもどの地域でも、きっと共鳴する人が少なくないと思います。そういう意味でクラシック音楽。
そう、クラシック音楽というメタファーが似合うかも。
つまらないと言えばつまらない。
背景や文脈を深く知ったり、人生経験を重ねると、何か引き出せるものがちびりちびりと滲み出てくる。
なんど舐めても、飽きることがない。
村上春樹作品の主人公がよく読むようなロシアのドストエフスキーライクなつまらなさと普遍性がある、のだと想像する。
たぶん違うって思う人は多いだろうけど。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.443:
(3pt)

新刊と聞くとどうしても期待してしまうのだけど・・・

冒頭ひさしぶりの村上ワールドを楽しめましたが途中の描写説明に飽き、読み飛ばした部分も多いです。
結末は、、他のレビューを参考にしてください。。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.442:
(3pt)

ファン以外の人に勧められない

村上春樹の作品、特に長編が好きだけど、この作品は読んでいて辛かった。熱狂的なファンは色々な解釈を楽しみながら読めるにしても、そうでない人にはダラダラ続く盛り上がりに欠ける話にしか思えない。それに1巻で完結出来た内容に思える。反面、余計な登場人物のせいで肝心な主要キャラが描き切れずに終わっている感じがする。正直、残念…パワー不足な内容。
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
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