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長いお別れ
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【この小説が収録されている参考書籍】
長いお別れの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.36pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全241件 181~200 10/13ページ
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レイモンド・チャンドラーという名前は知っていたが、その作品は通俗的な探偵小説というイメージがあったため、これまで素通りしてきていた。しかし、先日、本屋で村上春樹が翻訳した『ロング・グッドバイ』が山積みされているのを発見し驚いた。村上がチャンドラーを読んでいるというようなことはまったくの予想外だったからだ。そのときは村上の「あとがき」をパラパラと立ち読みしたのだが、村上が引用しているJoyce Carol Oatesの言葉(この言葉はVintage版の裏表紙にも載っている)にただならぬものを感じ、すぐさま原書を注文することになった。読み始めてみると、「格調高い」というのとは少し違う気がするが、たしかに文章はうまい。自分の頭にあることを淀みなく書くことができるという点では、ポール・オースターなどにも同じものを感じる。また、ほとんどの章の始まりと終わりには感情を抑制した静的な描写が使われており、1つ1つの章がまるで1つの完結した小宇宙を形成しているかのような構成は見事である。もう1つ感じたのは、女性の描き方が非常にうまいということだ。例えば、第13章のバーで待ち合わせをしている場面で、Eileen Wadeがさりげなく登場してくる。この女性の描写はまさに息をのむ文章である。字面を追っていくだけでもその艶めかしさがこちらに伝わってくる。 | ||||
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まだこの小説の翻訳を読んでいない方はもちろん、従来の訳ですでに読んだという方にも強くお奨めします。理由はあとがきで村上氏が書いているのですが、従来の翻訳「長いお別れ」ではかなり多くの文章の細部が意図的に省かれている、とのことで、いままで数回この小説を読んだことがありますが、「あれ、こんな場面あったっけ」と、新鮮な驚きがありました。 かなり分厚い本ですが、村上氏の語り口のうまさでぐいぐいと一気に読み進んでしまいます。 こうなると他のチャンドラーの作品もぜひ村上訳で読みたいところです。 また、この小説を読むと村上氏の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」や「ダンス・ダンス・ダンス」がこの小説から強い影響を受けていることがわかります。村上氏のファンの方は必読です。 特に「ダンス・ダンス・ダンス」での刑事との会話の場面などは「ロング・グッドバイ」そのままです。 唯一の難点は最後に明かされるプロットが現代からみればあまりに古臭すぎる、ということでしょうか。 また、フィリップ・マーロウが最後に「徳義」というあまり聞き慣れない言葉を語る(ちなみにこの徳義という言葉はあとがきと帯にも使われています)のですが村上氏がなぜあえてこの「徳義」という古臭い言葉を選んだのか、がこの訳の最大の謎です。 | ||||
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僕は何故、こんなにもマーロウに惹かれるのだろう。 偏屈で、強情で、己を通すことに周りをかえりみない。 そんな人間に、何故惹かれるのだろう?。 マーロウは強い。肉体のみならず、何よりも意志が強い。 マーロウは弱い。財産は全く無く、誰の後ろ盾も持っていない。 マーロウは自由である。 マーロウは束縛されている。己の稼業(しょうばい)に、束縛されている。 マーロウはスーパーヒーローではない。やれる仕事は高が知れているし、 家賃を払うためには、気の進まない仕事もやらざるを得ない。 とても不完全な男。フィリップ・マーロウ。 だがそれ故に、鈍く光る刃物のような魅力を放ち、人を惹きつけるのだと思います。 マーロウの中にある、堅く揺るがない精神。 その強さは生きて行くために必要なだけだと割り切り、 それでいてなお、優しくなければ生きている資格がないと言い切る、男。 故に、ハードボイルドである。 そして僕は、生き方に迷ったとき、マーロウを思い出す。 マーロウという強い男の、強さを。 弱い人間が、挫けそうになったとき、 その強さに少しでも近づける勇気を、分けてもらうのです。 | ||||
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岐阜の多治見駅前の本屋で17時頃に購入し 多治見ー名古屋ー東京ー国立と読み続け 家に帰ってもそのまま読み続けて 23時に読み終えた。普通なら車中では眠ることにしているのだが 眠る機会を逸した。 まず 原作が面白い。本作はうかつにも初めて読んだ。抜群に面白い。チャンドラーの本は 数冊を20年前に読んだ程度だった。20年前の僕は尻が青かったということが良く分かった。 洒落た会話や描写が有名なのが チャンドラーだ。それは分かっていたが チャンドラーがそもそも持っていた 乾いた叙情性を 今回初めて感じた。これは 高村薫にも感じるものがある。高村がチャンドラーを好きだという話が出てもおかしくないと思う。両者は似ている。サスペンスという題材を選んだ純文学者という点で。 次に 当然の事だが 村上春樹とチャンドラーの関係である。 本書を読んでいて いくども 村上の本を思い出した。「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」や「ダンスダンスダンス」に出てきた 尋問の場面などは もうそっくりである。村上は以前から チャンドラーから受けた影響について 語ってきたわけだが 今回 村上が本書を訳した事で そのことがはっきりと見えた。 その意味では 村上にとっても いささか「ネタを明かす」というようなリスクはあったのではないかとも思う。しかし それを超えた部分で 村上がチャンドラーをいかに敬愛し 尊敬しているのかという事だと思う。 実際 本書を読んだ事で チャンドラーを読むきっかけになる人は きっと 凄く多いと思う。それは 極東の島で 村上という作家にして訳者を得た チャンドラーの幸せなのだ。 読み終える事が本当に惜しかった。そう思える本も そうざらにはない。 | ||||
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春樹村上の好きな作家の一人にレイモンド・チャンドラーが挙げられていたので、その存在は知っていたが、読んでみるとなるほどと唸るのみ。すごい世界だ。男の世界。 しかし、春樹村上のファンで彼の小説を読んで分かったが、初期の彼の作品の中の乾いたクールな表現がレイモンド・チャンドラーと重なり、「あ、これはレイモンド・チャンドラー的だな」と、特に文末の表現(締め方)で感じることが多い。 何はともかく、次の小説にとりかかる。 | ||||
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ギャツビーからは情感を、チャンドラーからは会話を、そしてカラマーゾフの兄弟からはストーリーテリングを、学んだように思える。ギャツビーでは良く分からなかったが、村上春樹のネタ帳を垣間見るような翻訳作業の一冊。 もちろんテキストの優秀さあってのことなのだろうが、こと会話に関してはもうストーリーや何かに関係なく楽しめるものに仕上がっていると思う。そのうえ丁寧な翻訳作業をなぞるように、もともとハードボイルド特有の含みの多い会話の意味を、ひとつひとつ消化しながら読み進められる。必然的にスピード感は殺されてしまうが、緊迫した球技の試合を解説付きで見ているように、素人が玄人の貴重な技の隅々まで味わえるような魅力がある。雰囲気とスピード感を取るか、驚嘆すべき文章芸の味わいを取るかで旧訳との好き嫌いが分かれるのではないだろうか。それはこの原作をミステリとして読むか、文学作品として読むかの違いかもしれない。 自分としては慣れ親しんだミステリ「長いお別れ」を捨てきれないのが正直なところ。新訳マーロウは少し年をとってくどくなった気がする。でもチャンドラーの文章芸にはあらためて感心させられたし、読むのに時間が掛かるので、長時間楽しめたことは○。本代のモトは取れます。 | ||||
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久しぶりにチャンドラーを読みました。いつも飛行機や列車に乗っているときに読むのですが、この翻訳は、最初の助走部を過ぎると、段々乗ってきて、「いやー、ネズミかギャッツビーが出てきそう」って不思議な感覚で、とても楽しかった。清水さんの翻訳ももちろん素敵でしたが、小説家としてのチャンドラーの『細部への拘り』や『苦味』は村上さんの翻訳にしかないものだと思います。きっと、村上さんは『ギャッツビー』を読むのと同じ姿勢でチャンドラーを読んでいるのだと思います。いつか文庫本になって持ち運びしやすくなったら、また旅のお供にしたいですね。ああ、それから、複数の翻訳は、それぞれ別の世界だと思いますので、比較をするなら原文を根拠に徹底してやって欲しいですね。単なる好き嫌いを、翻訳の良し悪しや、日本語の上手下手と言われてもね。私の比較論はただ一つ。清水訳は、「原文読もうかな」という気にさせますが、村上訳は「こりゃ手に負えない英語だろうな」と原文で読む気をなくします。 | ||||
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ハードボイルドにはまっていた学生の頃にさんざん読みましたが、 村上春樹さんの訳が出たことで、懐かしく読み返す機会をいただきました。 キャッチャー・イン・ザ・ライもそうですが、 大好きな作品を現代によみがえらせてくれた村上春樹さんに感謝です。 一度もチャンドラーを読んだことのない方がいたら、これは絶対におすすめです。 | ||||
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私は村上春樹さんの本は読みません。いやエッセイくらいは読んだことがありますけど、そのレベルです。 「長いお別れ」は好きで何度か読んでいて、好きがこうじて原書も買っています。それくらいファンなので今回村上さんの「ロング・グッドバイ」が出るのをを楽しみにしてしていて、発売当日に買って読みはじめて、気になるところは清水訳・原書と比べながら読みました。 感想ですが、訳に関しては村上さんのほうが原文に則って訳していますし、言葉も新しいです。ただ、雰囲気としては、マーロウの、とくにラストのテリーとの会話で感じたのですが、心の揺れが、なぜかストレートに伝わって来ませんでした(たんに自分の読解力不足かもしれません)。もし、長いお別れを読んでいなかったら感動は薄かった気がします。 文学者と映画の翻訳家のちがいでしょうか、少なくともラストの雰囲気は清水さんの訳のほうが日本人としては理解しやすいと思いました。 ただ、巻末のあとがきは最高です。これを読むだけでもチャンドラー好きにはたまりません。 そんなことで★5つです。 | ||||
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最近、村上春樹氏の新訳本が出て話題になっていたので、是非まずは原書でと手にしました。自分が生まれる前に書かれたものとは思えないほど新鮮で印象に残る内容でした。テクノスリラー等の最近の小説ばかり読んでいましたが、ハードボイルド小説の代表作はやはり時代を超えてすばらしいものだと思いました。遅くなりましたがこれからチャンドリアンの仲間入りをしたいと思います。 | ||||
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本書の売りは村上春樹訳でしょうから、これを読んでチャンドラーの文体からの影響、 「羊をめぐる冒険」の構造との類似性などを読み解くのもいいでしょう。 しかし、私が強調したいのは、チャンドラーその人が著したこの作品そのものの素晴らしさ! 人物の陰影が深く、語り手の「まなざし」そのものが魅力的で、 単なるミステリの閾を超越しています。 大部ではありますがどのシーンも味わい深いので、退屈せず、堪能しながら読了しました。 モトは十分とれると思います。 | ||||
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2007年は村上春樹が強い思い入れを持つ、ギャツビーとロング・グッドバイが刊行されて、 とても楽しい時間がすごせました。村上春樹訳は、批判する人もいるし絶賛する人も いるけれど、僕にとっては心から楽しめる、素晴らしい翻訳でした。 どちらも今回の翻訳を読んで、初めて本来の意味が理解できた部分が多かったです。 何故なら、どちらの作品も会話部分が多く、しかも洒落た言い回しや、 思わせぶり、皮肉、反語などの修辞技法の駆使が、人物の心理描写に奥行きを与え、 生き生きとした作品に仕上がっているからです。 清水訳を昔読んだときには、読み取れなかった部分がいくつもあって、 ああ、なるほどと思いながら読み進めていくのは、本当に嬉しいことでした。 とても長い作品ですが、多くの人にお勧めしたいです。 | ||||
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長年、清水氏訳の「長いお別れ」を愛好してきたが、ここまで夢のように酔わせてくれる作品だとは思っていなかった。 風景描写のひとつひとつにさえ、チャンドラーの感性がより血肉となって感じられるようになっている。 さらには、マーロウとテリー、リンダ、あるいはオールズとの会話では、マーロウの人となりや心情がよりリアルでクッキリとしていて、マーロウ好きにはこたえられません。 その上、滑らかさも深みも洒脱さも増し、まさに酔える。 清水訳が「マーロウを見れる」なら村上訳は「マーロウに会える」と言えるのではないか。 | ||||
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すごい思いがいっぱい詰まった翻訳すぎて、本人も書いているようにとても個人的な翻訳です。あまり読んでいる人の入り込むところがない翻訳なのだけど、この翻訳を読んでしまうと前の訳で読む気があまりしない。最近のCDのリマスターに似ている感じです。 | ||||
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チャンドラーと村上さんの共通点は、空気を描くことのできる作家だということだ。 どちらの描く空気もわたしは大好きだ。 The Long Goodbye は、清水俊二さんの訳でも原文でも読んだ。 それを前提として、言うのだけれど。 チャンドラーがこの作品で描いた空気は、清水さんの訳の醸す空気のほうと似ている。 村上さんの訳のほうがより緻密なのに、なぜだろう。 清水さんはひょっとしたら、文章ではなく空気を訳したのかもしれない。 まあそれはともかく、エッセイを書きなぐっても絶対に売れるであろう村上さんが 途方もない時間をかけて取り組んだであろうこの訳本に接して 思い入れの分だけ、原文よりちょっと自意識過剰に思われるマーロウを見るにつけ チャンドラー好きとしては、うれしくないはずがない。 村上さん、ありがとう。 カリフォルニアの都会の日陰の、乾いた孤独のしみ入るような淋しさのよろこびを もう一度思い出すことができました。 | ||||
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久しぶりにハードカバーでかなりボリュームのある一冊。チャンドラーを読んだのは初めてですが、ハードボイルドという感情描写をできるだけ廃した小説ながら、主人公である探偵マーロウ、周りの幾分影を持つ各キャラクター達ともに、細やかな行動描写と台詞(巧すぎ)により読み進むにつれてしっかりとした輪郭を持ってくるので、内面を多くは語らないマーロウにも次第に感情移入していきます。そして暴かれる真実達にびっくりしながら一気に読み終えると、まぁなんともいえないほろ苦さ。というか煙草臭い哀愁が漂ってくる不思議な読後感。深みのある小説ほど、読後生温く容赦なくからみつく空気に包まれてしまうものですが、これはまさにそういう作品でした。これから何度も読み直す事になるでしょう。チャンドラーが名立たる作家達から崇拝され、ハードボイルドの巨匠といわれる所以は、チャンドラー未読の方でも、この本を読めば納得できる筈。2000円の価値以上のものがあるので、是非一読を。 | ||||
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今回の村上訳でハッキリわかったのが、チャンドラーの第一世界大戦時の負傷経験とアルコールへの逃避がテリー・レノックスとロジャー・ウェイドに濃厚に反映されていたこと。『ロンググッドバイ』のラストを最もデフォルメしたのは、ロバート・アルトマン監督ですが、物議をかもした映画のラストはアメリカ社会の第二次大戦までの帰還兵と、ベトナム帰還兵の扱いの差なんだとハッキリとわかりました(アルトマンの映画は1970年代に物語が設定されています)。 第二次大戦までの帰還兵は、いろいろあったんだろうけど、ヒーローなんだから、とまだ暖かく迎えてくれたわけですが、ベトナム帰還兵はそうではありませんでした。ベトナム帰還兵は逆に神経がおかしいとみなされた末に撃ち殺される可能性だってある、ということをアルトマンは訴えかけたかったんだと初めてわかった次第です。チャンドラーはハリウッドに招かれて映画史上に燦然と輝く『深夜の告白』の脚本も書きましたが、そうしたオリジナル脚本のひとつに、第二次大戦の帰還兵が殺人事件にからむ『青い戦慄』という映画もあります。チャンドラーのオリジナル脚本では帰還兵・ベンディックスが実は真犯人だったという設定になっていましたが、検閲の末、別の人物が犯人に変更されて公開されたといういわくつきの映画なのですが、この『青い戦慄』も観たいと思いました。 | ||||
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ずいぶん以前に清水俊二氏訳で「長いお別れ」を読んだが、正直これほどの感銘は受けなかった。 今回、改めて読んでみると、なぜかフィリップ・マーロウに(テリーや他の登場人物にも)かなり感情移入して読んでいる事に気付いた。 また、マーロウの体温(のようなもの)やタバコの煙、ギムレットのビターな匂い、またL.Aの街にただよう陽炎まで行間に感じ取れる。印象として、素晴らしい訳、素晴らしい「ハルキの作品」と感じた。原文を読んだことは無いが、一語〃丁寧に翻訳している、そんな印象を受ける。もう一度清水俊二氏の訳と読み比べてみたくなった。 読後に感じるある種の寂寥感(のようなもの。言葉足らずでスミマセン)はハルキの「ねじまき鳥…」や「ダンス・ダンス…」などの作品群にも合い通じるものがある。 | ||||
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丁度少し前にペーパーバック版の英文を清水俊二訳の文庫本で参照しながら読んだのですが、有る部分がスパッとカットされてるのではなく、台詞や情景描写中の数語が端折って意訳されてる部分が多々ありました。そう言う意味で今回の村上春樹訳「ロング・グッドバイ」の登場は完全本としても大いに価値があると思います。 清水訳の味わいも捨てがたいのですが、極端な意訳をせず丁寧に一語一語訳してあるだけに、村上訳の方がオリジナルの世界をストレートに感じさせてくれます。あの名台詞の数々も素敵です。 どちらかと言うと清水訳の方が意訳の幅が広い分、よりセンチメンタリズムを感じさせてくれる気がしないでもないですが、村上訳は、深々と地味にその辺りが胸に響いてくる感じですね。 いずれにせよ、この名作が新たな訳で読めるのは喜び以外の何物でもありません! | ||||
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なんと言っても「ギムレットを飲むには少し早すぎるね」。あの台詞がくだけたんだ。それだけ現代的に、そして読みやすく翻訳された。それにしても長かった。だけれども、最高に面白かった。 | ||||
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