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マチネの終わりに
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マチネの終わりにの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.84pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全387件 221~240 12/20ページ
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終盤に心うばわれました。綺麗な文章と何とも胸を突く展開でした。 | ||||
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メディア?の評判良かったから読みました。 久々の恋物語。 蘊蓄だらけ?まあ、芸術わかる人とそうでない人を対比して書いてあり、自分は、わかる人!?のような錯覚。 主人公の気分で読んでいたのかも。 それは快感、 でも途中で、邪魔が入るところが許せず、そこから飛ばし読みしちゃいました。 終わり、よし。 ずっといたくなる気持ちいい世界でした、 | ||||
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文章はうまいのに、起承転結の「転」の部分がとても安っぽくて、御都合主義という感じでした。 また絵に描いたような主人公で、どこか空々しく感じました。絵に描いたような人生、悩み事すら「絵に描いたよう」 また都合のいい時に東北大震災が出てきて、予定調和な終わり方が気になりました。 | ||||
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良かったけど、 私には読み終わった感動はあまりありませんでした。 登場人物みんなが美しく書かれていて、 そういう恋愛小説と感じました | ||||
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昔から、甘酸っぱい青春恋愛モノよりも、切なく泣ける大人の男女の恋愛模様が好きで、胸がぎゅっと締めつけられるような切ない気持ちになれる小説を探していました。著者の平野啓一郎さんは、当時史上最年少の若さである21歳で芥川賞受賞。本作は、「アメトーーク」の読書芸人で、芸人の又吉さんとオードリー若林さんに推薦されていました。 主人公の天才ギタリスト蒔野と、ジャーナリストの洋子は初めて出会った際、わずか数時間話しただけでお互いに強烈に惹かれあいます。しかし洋子には婚約者が。東京、ニューヨーク、パリ、バグダッドを舞台に二人の想いは何度もすれ違い、運命が二人を引き裂こうとします。 ・知的な男女の会話をたのしむ 男女の会話に焦点を当てた小説と言えば、田辺聖子さん著「言い寄る」、映画で言うとビフォアサンライズ。「マチネの終わりに」では、駆け引きをするような言葉のやりとり自体は多くなく、世界情勢・音楽・文学に関する知的な会話が繰り広げられている。しかし、その内容はお互いのことが好きだということの表現でしかないのではないかと思わせる。知的な会話の裏に隠された、あなたのことが好き、という心。真正面から口説くよりも何倍もロマンチック。蒔野と洋子のような会話を、自分もだれかとしたくなる。 ・すれ違いばかりで切ない。ラストも泣ける。 一瞬で恋に落ちた二人だったが、大人だからこそそれぞれ複雑な事情を抱え、恋愛に対してストレートに行けない。好きなだけでは叶わない、報われない大人の恋愛にとにかく泣いてばかりだった。結末は映画「ララランド」を思い出した。 「フィアンセにはしない方がいいな、その話は。」「どうして?」「惚れてるのがバレるから。」 | ||||
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アメトークで気になり読みましたが、、、とても後味悪かったです。こんなに繊細な薪野が早苗のような女性と結婚し、子供まで作ったのが意味わかりません。 洋子の話す内容も高尚すぎて共感できず。。 | ||||
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物語の背景に、常に音楽が流れているのが感じ取れ、心が潤ってきました。 | ||||
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登場人物に静かに揺れる情熱と切なさに心を揺さぶられた。一気に読んだ。 | ||||
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美しい「ブンガク」に酔っ払う 作者も酔ってるし読者も相当酔ってないと読めない 自己陶酔の極みのような小説でした | ||||
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新聞広告で見つけた 逸品です。是非 皆さんもよんでみてください。 | ||||
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丁寧な心理描写をじっくり読むのが楽しかった。ですがストーリーは昼ドラのようです。笑 登場人物の心の流れをじっくり考えながら読めるタイプの人にはオススメな本です。 | ||||
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小説を読むことが苦手だったのに、こんなに早く読めた本は無かったです。大人な恋愛ですね。はまりました。ありがとうございます。 | ||||
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きれいな文章。展開もわかりやすい。登場人物一人一人の気持ちになれる。切なくなって、でもしょうがないのかなって思える。そんな小説でした。 | ||||
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今まで読んだ恋愛小説で一番でした。 まるで映像を観ているかと思うほどグイグイ引き込まれ、あっという間に読んでしまいました。 | ||||
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曲芸の痛みを知る人たちにとって救いとなる作品。音楽と才能を、40代の恋の揺らぎを、今ある世界を文で表すとは、こういうことなのだと快く読むことができた。儘ならないことも、時が経てば、不幸せではない。 | ||||
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今から30年以上前、ミラン・クンデラは、『存在の耐えられない軽さ』の中で、政治(プラハの春)と運命と恋愛について書いた。主人公の一人、外科医のトマーシュは、「運命的な」出会いをしたテレザと添い遂げようとするものの、運命って本当にあるのか、それが運命の出会いなのか、疑いを最後まで捨てきれない。彼は「人生はこうであるべき」という信念を持つが(ベートーベンの歌詞から来ている)、「テレザと過ごす運命だ」ではなくて「テレザと過ごす義務がある」という感覚が反復的にトマーシュに訪れる。彼は、人生のこの二通りの解釈をめぐり思い悩む。別に、相手のことが好きならそれでいいではないか、というようにも思えるが、そうではない。トマーシュの人生は、そういう意味で政治的であり、倫理的である。愛人を作りまくって、一見軽薄な人生を送る外科医の人生が倫理的であるというのはちょっとおかしいのだが、恋愛感情だけに流されず「こうすべきだ」という感覚を持っているという意味で倫理的である。ついでに言うと、トマーシュは、政治的信条をつらぬき、気に入らない書類への署名を拒み、名誉ある大病院の外科医の職を失って、職業的には破滅する。 トマーシュには何人も愛人がいる。その中で、特別な愛人の一人であったサビナは数々の男と関係するが、彼女の場合は、簡単にいうと「悪い」女で、裏切りを重ねることが人生の楽しみだった。 <人生のドラマというものはいつも重さというメタファーで表現できる。われわれはある人生が重荷を負わされたという。その人間はその重荷に耐えられるか、それとも耐えられずにその下敷きになるか、それと争い、敗けるか勝つかする。しかしいったい何がサビナに起こったのであろうか? 何も。一人の男と別れたかったから捨てた。それでつけまわされた? 復讐された? いや。彼女のドラマは重さのドラマではなく、軽さのであった。サビナに落ちてきたのは重荷ではなく、存在の耐えられない軽さであった。> (p. 157) ややかたちは違うが、ここで書かれている「重さ」というのは、トマーシュの人生における「運命」と似ている。この作品において、人生に意味をもたらすのは、裏切りではなくコミットであり、偶然ではなく運命なのであるが、サビナは、男に運命とかそんなものを感じることなく、重荷を背負わない人生を送る。そんなものに振り回されたくないと。しかし、一方で、ここに書かれている通り、そんな軽い人生には耐えられそうにない。 この小説の登場人物たちは、「重い」「運命的な」人生の方が意味があるのだろうなという価値観を持っているようだが、同時に、「軽い」人生、「義務感」で突き動かされる人生を過ごしているのでではないかと悩んでいるようでもある。現代の読者にも共感できる部分はあるが、こういう作品は、当時の社会の空気、イデオロギー色の濃い時代によりよくフィットしたのだろう。 平野啓一郎の『マチネの終わりに』は『存在の耐えられない軽さ』への平野の返答のように思える。どちらの小説も国際的な展開を見せ、主要人物の多くは英語・フランス語・自国語を喋るインテリか芸術家で、運命的な男女の出会いの場面で小説が始まる。謎の紹介されない語り手が物語を進めるところも同じ。音楽が小説の主要な小道具となっているところも似ている。 『軽さ』の登場人物が、自分の人生の軽さや、運命について悩む一方、『マチネ』の登場人物は、どちらかというともっとイノセントである。主人公の一人蒔野は、30歳後半まで独身貴族を貫いている音楽家であるが、別に気難しくて結婚できないとかそういうことではなく、鬱屈したところがなく、冗談を好む好男子である。一方で、実務に弱く、大事なところで携帯電話をなくしたりするだらしない男でもある(音楽家としては一流であるが)。トマーシュがベートーベンのテーゼを巡って哲学的に悩むのとは対照的に、蒔野はより純粋素朴に音楽に向き合い、日々の人生を楽しもうとしている。 もう一人の主人公、蒔野と運命的な出会いを果たす洋子は、イラクで取材をするジャーナリストであったが、ある日自分が泊まっているホテルでテロが起きて、その後、「なぜ自分が生き残ったのか」悩む。イラクに戻ることに心理的抵抗を感じる一方、「戻らないとならない、戻って取材を続けないとならない」という気持ちを持つ。この感覚は、『軽さ』の登場人物の感覚に似ているのだが、結局、洋子はイラクには戻らず、別の人生を選択する。例えば『軽さ』のフランツが、気が進まないにもかかわらず「参加しないとならない」という政治的コミットから、カンボジアでの抗議行動に参加するのと対照的である。(ちなみに、そこでフランツは傷を負い、障害を負う)。洋子が最終的に選ぶのは、イラクへの政治的なコミットではなく、自分の生活、自分本位の人生である。別に、「運命だから」ということではなく、「そうしたいから」選択をする。洋子のその選択の結果、彼女のフィアンセが傷つくことになり、そしてまた、洋子も自分の選択の結果、無傷だったとはいえないのだが、洋子が自分で取った選択と失敗、そしてその後の回復というのが、この小説の持つもっとも力強いメッセージで、読者の胸を打つ。 この小説は、現代の日本人に対し、偶然とか運命とか、政治とか個人とか、仕事のしがらみとか、そういうややこしいことは考えず、純粋に恋愛に向き合うことの美しさを伝えてくれる。好きならいいじゃないかと。平野啓一郎がこういうのを書くというのは意外だった。仕事とか政治とか、いろいろなしがらみに疲れている人に、『マチネ』おすすめです。 | ||||
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今の状況に「なぜ?」と思ってしまう、受け入れがたいことは間々ある。後悔することも沢山ある。でも、過去は変えられる。静寂の中で鳴るギターの音色を思い浮かべつつ、少し気持ちが楽になったようです。 | ||||
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切なくて泣けるのは久しぶりでした。このあと何冊か恋愛小説を読みましたが、マチネの終わりに が良すぎて どれもいまいちに感じてしまっています | ||||
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崇拝する平野啓一郎氏の繊細なヒトの感情のゆらぎの描写に震えます | ||||
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原作は「ジャンプ」ですね。 それを読むとマチネの終わりにがいかに幼稚で付属品が多く“世間受け”を狙った商品だとわかります。 ラストは「神様のボート」かな? あちこちとってつけたような構成にゲップが出そう。 売れるために書いた本だと思いたいです。 | ||||
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