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黒い瞳のブロンド
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黒い瞳のブロンドの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.25pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全8件 1~8 1/1ページ
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とても程度の良い商品でした。 | ||||
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例えるなら、映画「チャイナタウン」における「黄昏のチャイナタウン」、帰ってきたウルトラマンの「怪獣使いと少年」における「怪獣使いの遺産」の様なもの。良くてもドイルの死後未だに出続けるホームズの二次作品の域をでません。 小説としての出来はそこそこです。単に、1950年代を舞台にしたハードボイルドとすればまあ楽しめます。が、かの名作にしてハードボイルドのみならずアメリカ文学の金字塔「長いお別れ」の続編としたのが頂けない。まず、前作の余韻も思い入れも粉微塵にされること請け合いです。熱狂的なチャンドリアンであればあるほど読むことはお勧めできません。 | ||||
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読み始めはあのマーロウが蘇ったかのような嬉しさも込み上げてきたが、中盤に差し掛かるにつれて違和感が大きくなっていき、クライマックス(と呼べるのであれば)にかけての展開は、読んでいた自分を後悔しなければならないような代物だった。 ネタバレは差し控えるが、ロンググッドバイのラストとは明らかに矛盾した記述なので、パラレルワールドとして捉える他ないのでは。 | ||||
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紙の本をすべて処分してしまったこともあって、今回本書がKindle化されたため購入して再読することにしました。2014/10月に一度読んでいますが、あまり内容を覚えていなかった(笑)。何故今回再販されたのかと言えば、2023/6/16に映画「探偵マーロウ "Marlowe"」が公開されるからに他なりません。監督はアイルランド出身のニール・ジョーダン(「クライング・ゲーム」は傑作でした)。フィリップ・マーロウはリーアム・ニーソンが演じます。(どうかな?彼は私のフィリップ・マーロウのイメージ通りではありません)公開前なので映画は未見ですが、限られた上映館での上映でしょうから、見に行ける可能性はかなり低い(笑)。 そして、今回再読しようとした最大の動機は、翻訳者が故小鷹信光さんだったからということに尽きます。彼の翻訳本がクラウドの中にあることは私にとって必要なことだと思います。 ということで、「黒い瞳のブロンド」について書き忘れるところでしたが(笑)、「ロング・グッドバイ」の続編。マーロウの前に「黒い瞳のブロンド」、クレア・キャヴェンディッシュが現れ、姿を消した愛人を探してほしいとマーロウは依頼されます。依頼を引き受けたマーロウはその男、ニコ・ピーターソンが死んだことを知り、そのことをクレアに伝えますが、クレアはピーターソンは死んでいないかもしれないと答えることになります。そこから始まる「ロング・グッドバイ」後のロスアンジェルスの暗闇。 前半はセンチメンタル・モード全開で悪くありませんが、後半はやはり少し白けたと言えるでしょう。何故かは問うなかれ(笑)。よく出来たパスティーシュとして認めることはできたとしても、例えば「ただの眠りを "Only To Sleep"」(ローレンス・オズボーン )の持つ香気に遥かに及ばない内容だったと言わざるを得ません。それにしても映画はこのストーリーに沿って映画化したのでしょうか?そうならば、無謀な冒険だ(笑)。 レイモンド・チャンドラーのエッセンスは英国を迂回してアイルランドへと向かい実はエイドリアン・マッキンティの著作に受け継がれているのではと考えたりもしました。孤独で家族も友人もなく、勿論財産もない。ミニマムな境遇にありながら権力に動じない心意気を持った男はなぜか<女>たちに繰り返し舞い踊る独楽のように翻弄されます。それはまるで潔く生きることへの贖罪のように彼に作用します。 最終章。マーロウは友人であったはずの殺人課課長補佐のバーニー・オールズにではなく、部長刑事のジョー・グリーンに連絡を取ります。何故なら(ここでまたそれを(笑))、「(本当の)警官にさよならを言う方法はまだ見つかっていない」から。 □「黒い瞳のブロンド フィリップ・マーロウ "The Black-Eyed Blonde"」(ベンジャミン・ブラック ハヤカワ・ミステリ文庫) 2023/6/11。 | ||||
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『英文学最高峰のブッカー賞受賞作家ジョン・バンヴィル』が書いたからって「レイモンド・チャンドラーへのオマージュ」にもなっていないし、かといって「リスペクトのこもったパスティーシュ」でもないし、結局「パロディー」にしかなっていません。 ロバート・B・パーカーの方が巧くしかも愛情のこもった「おそらくは夢を」や「プードルスプリングス物語」を書いています。 熱烈なフィリップ・マーロウマニアにしかお薦め出来ません。 | ||||
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図書館で借りて読みました。結論から言うと、チャンドラー作品の愛好者にとって読んでおいて損はないけれど借りて読むだけで十分です(僕は2007年ごろから村上春樹さんの翻訳でチャンドラーの作品世界に入りました)。ここでは「ロング・グッドバイ」の続編的展開がなされますが、確かに途中までは面白い。でも読み進めて行くうちに前作にあったようなSentimento(情感)が感じられない、ということに気付きます。マーロウとテリー・レノックス(シスコ・マイオラノス)との間にかつて友情があったとは感じ難いような会話が終盤続きます。かつての同僚バーニー・オールズ警部補との会話も、この作品では何かよそよそしい。 残念ながらジョン・ヴァンビルさんは女流作家ジョイス・キャロル・オーツが語ったという「チャンドラーの散文は、自意識を抜きにした雄弁の域に達している(The prose rises to heights of unselfconscious eloquence.)地点までには、至っていないというのが本当のところでしょう。この作品を読み進めていっても「ロング・グッドバイ」で感じられた読み手をどこに連れて行ってしまうのだろうか?というドキドキした気持ちにはなれなかった。 なお、最後に本作は読まれる方は、「ロング・グッドバイ」だけでなく、「大いなる眠り」も読んでおくと理解し易くなることを申し添えます。 | ||||
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2005年『海に帰る日(原題:The Sea)』で2005年度ブッカー賞を受賞したジョン・バンヴィルの別名義作品。 物語は『ロング・グッバイ(長いお別れ)』以後。名前だけの人物もふくめてキャラクターも継続して脇を固めている。 本作のマーロウは本家よりもペダンティック。また、注釈がなければわからないチャンドラーと同時代ネタが散りばめられているが、それら過剰なディティールへのこだわりが、反対に、現代の視点から過去を描いているのだという印象を強めていた。 それでもウィットや皮肉のきいた台詞回し、秀逸なアフォリズムなど、いかにもなチャンドラー節が再現されていて、読んでいて楽しくなる。 結末は賛否がわかれそうなところ。苦味のきかせ方は本家ゆずりだが、さほど熱心なチャンドラーの読者でない自分でさえ、『ロング・グッバイ』読後に感じた余韻を消し飛ばされた気がした。“原典”に対する強いイメージを持ち、それを大事にしたい人は読むさい覚悟が必要かもしれない。 ところで。以前ある作家のエッセイを読んで同じくブッカー賞受賞作家カズオ・イシグロもチャンドラーの愛読者だと知っていたが、いわゆる純文学畑の作家からもこうしたパスティーシュ小説が生まれてくるとは思いもよらなかった。あらためてチャンドラーの英語圏の作家における影響の大きさを感じる。 | ||||
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題名はチャンドラーが遺した創作ノートからの引用。 チャンドラーを熟知した小鷹信光氏の翻訳も相まって、本家に比喩やワイズクラックの華麗さは及ばないものの、卑しい街を行く気高く誇り高きマーロウの姿を美しい文章で見事に甦らせている。 チャンドラーがアイルランド移民の子孫であり少年時代を英国で過ごした事はよく知られているが、アイルランド人作家である著者は原典に内包された騎士道的なロマンティシズムにシンパシーを寄せながらも、同様に続編を試みたロバート・B・パーカーのように憧れをあからさまに剥き出しにせず、抑制された距離感を保っている。ことに終盤の展開は原典の愛読者にとっては、いささか衝撃的。その意味ではロバート・アルトマンの映画版『ロング・グッドバイ』を少しばかり想起させるが、あれほど大胆に原作を逸脱している訳ではないので熱烈なマーロウ・ファンも愉しく作品世界に浸ることが出来るだろう。 | ||||
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