アルファベット・ハウス
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書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点7.00pt |
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サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
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「特捜部Q」シリーズの10年前に発表された、著者のデビュー作。デビュー作だけに、あれもこれもと盛り過ぎた感があるが、オールスンの優れた筆力が随所に表われた力強い作品である。 | ||||
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※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
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共に聡明で体力もあり女性から好かれる容姿を持つ幼馴染の二人が、人生の明暗を分ける話なのだけれど、ここまで舞台設定が重たいと「ジェイムズ楽観主義すぎるからー」で簡単に終わらせるわけにもいかず、読後どこに気持ちを持っていけばいいのかわからなくて、モヤモヤ。いっそジェイムズがなんの落ち度もない性格設定だったら悲しいなりに、もっとスッキリ読み終える事ができただろうに、気球のエピソードがあるばっかりに、例え飛行機が墜落せずに無事故郷に戻れる世界線であっても、いずれジェイムズとブライアンは「楽観主義か悲観主義か」という性格の違い故に、袂を分つことになったんじゃないか…いやいや悪いのは戦争やナチスでジェイムズは被害者だから…と読後の私をあれこれ悩ませる作者は結構意地が悪いと思う。(読後いろいろ考えさせられるという意味で褒めてます。念の為) | ||||
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これはすごかった。前半はずっと軍人用の精神病院の室内の描写が続く。イギリス兵がドイツ人将校になりすましているので、言葉が理解できないが、コミュニケーション不能状態が詐病を隠すための前提となるという、絶妙の設定。これを思いついた時点で小説としては半分成功したようなものだが、普通は避けられてしまう大小便の排泄まで描写し、リアリティを高めている。 病室の内も外も敵ばかりで、唯一の味方とは無関係の芝居を続けるため、会話も手助けもできない。長いけれども緊張感が緩むことなく、読み続けられる傑作だ。 後半に都合のいい偶然の出会いがあるが、ドイツの小さな町なら許容範囲といえるかな。久しぶりにアンリミテッドで引いた大当たりだった。 | ||||
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第二次世界対戦のドイツの精神科病棟に、イギリス兵が患者を装い生き延びる話かと思いきや、幼馴染みの友人を救えなかった葛藤の物語。ヒーローが活躍、 というのでなく、その時々の個人の選択を考えさせられるような物語だと思う。 | ||||
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著者のユッシ・エーズラ・オールスンの特捜部Qシリーズ1作目から6作目まで読み終え、他の作品をと思い、著者の処女作(本格的な小説)の『アルファベット・ハウス』を読むことにした。 時は、「D-デイ」の半年前、1944年1月英国空軍のブライアンとジェイムスの二人がドイツ航空機工場を空爆する編隊(650機)に組み込まれた特殊任務(編隊から離れドイツが新しく建設を始めた施設)の写真撮影だった。 先に読んだサン=テグジュペリ『戦う操縦士』を彷彿とさせるストーリーで始まる。 サン=テグジュペリは、奇跡的に帰還したが、ブライアンとジェイムスの偵察機は、対空砲火により飛行不能となり、二人はパラシュート降下して逃亡を始める。 ドイツ軍のパトロール隊に追われ遮二無二飛び乗ったのがドイツ軍傷病兵を運ぶ列車だった。 その列車には、東部戦線で負傷したドイツ軍SS上級将校ばかりの車両もあり、その車両の中には精神に異常をきたしたものも含まれていた。 逃げ場のない二人は、その車両の中で息をしてない二人を(一人は虫の息だったが)、窓から放りだしてSS上級将校になりすましてしまった。 二人が運ばれたのがスイス国境まで50キロというところにあるフライブルクの「アルファベット・ハウス」という精神障害者病棟だった。 ここからが精神を病んだドイツ将校になりすました二人の苦闘が始まる。 本書の第Ⅰ部は、動けなくなったジェイムスを、心ならずも残してブライアンが「アルファベット・ハウス」から逃亡し、アメリカ兵に救助されるまでの10ヶ月あまりのエピソードで費やされている。 父親が精神病医であったオールスンは、「1950年代から60年代初めにかけて、デンマークでは、”きちがい病院”と呼ばれていた場所で育った」と、本書のあとがきで述べている。 少年のころオールスンが体験したことがこの物語を構想する切っ掛けになったとも語っていたが、アルファベット・ハウスでの描写に生かされているのだろう。 第二部は、1972年(28年後)、ブライアンが戦後手を尽くしてジェイムスの行方を探したが、見つけだすことが出来ないところから始まる。 頑なにドイツに行くことを拒んできたブライアンだったが、ひょんなことからドイツへ行きジェイムスの行方を探すことになる。 偶然に次ぐ偶然が重なるストーリー展開に、異を唱えることもできるが「事実は、小説よりも奇なり」の諺もあるが、「小説は、事実の奇も超える」と唱えながら読み進むから楽しむことが出来るのです(オールスンの筆力によって)。 本書は、「特捜部Q」シリーズと異なり戦時下の物語であるが、著者オールスンが貫いている精神は、暴力にたいし徹頭徹尾嫌悪感を貫く人間を描くことにあるようだ。 仲の良かった幼友達の友情も「時の経過」という残酷な現実を受け入れることしかできないという人間の真の姿を描いている。 ネタバレになるが、ブライアンとジェイムスが、子供のころの思い出の地「ドーバー」でする会話は、ありきたりなハッピーエンドではなく、ほろ苦さを感じさせながら終えるところなどは、さすがオールスンならではと読ませてくれた。 鈴木恵氏の秀逸な翻訳が、本書を読みやすくしてくれたことも附記しておきたい。 | ||||
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上下巻を読んで。ネタバレあります。 上巻は精神疾患を偽装してのナチからの逃亡で、延々と息苦しい描写が続きます。 出口の見えないこの描写が本当に長く重たかった・・・ 下巻は一転して捜索と復讐なのですが、元ナチの悪徳将校たちと戦うのに素人の おばちゃん二人がのこのこ乗り込み、当然あっさり拉致されるなど、上巻の緊迫感 からは信じられない間抜けさが気になりました。 結末も今一つスッキリせず、「走れメロス・あまりに待たされセリヌンティウス すねちゃった版」みたいな感じでした。 「特捜部Q/吊るされた少女」を早く文庫版で読みたいです。 新書版要りますかね? | ||||
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