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ローマ帽子の謎
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【この小説が収録されている参考書籍】
ローマ帽子の謎の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.98pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全41件 21~40 2/3ページ
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ずっと以前別の翻訳で読んだ時、「読者への挑戦」で言っているように読者に十分な手がかりが与えられているかとい点について、疑問が残りました。この新訳の「解説」に書かれているように、この疑問はやはり正しかったのです。他著の訳は正直言いまして誤訳です。それで、疑問が残ったのでした。本書の訳では確かに手がかりが与えられています。訳者の方、ありがとう! | ||||
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エラリークイーンの「国名シリーズ」はその「読者への挑戦状」もさることながら、そのフェアプレイ精神が発揮されているという点で、つとに有名だが、果たしてクイーンのデビュー作である本書ではどうか。 相当前に他の翻訳で読んだときは、その面白さ、そのフェアプレイさについては、正直なところ、よくわからなかった。 本書の解説者である飯城勇三氏もその点を具体的に示唆している・・・・・ で、この新訳だが、この点をはっきりとクリアーしている、と言っていいだろう。もっとも、当初、読んだ時点ではなかなかそのプロットには気が付かなかったのだが・・・・ そう、全編読み終わって、意外な犯人もわかって。で、最後の最後に飯城氏の解説を読んで「あ!」と気が付いたのだ。 この新訳だからこそ、フェアだと言える。だから、ミステリーとしては珍しいことだが、再読してみようと思わせるのだ。現時点での「ローマ帽子」の決定訳といえる。 この新訳は、エラリーの話す言葉が、少々タメ語気味であるのは、読者の好き嫌いが出るかもしれないが、ローリング・トウェンティ最後の1929年にリリースされたクイーンのこのデビュー作。いいものは全く古くならないということ、改めて感じさせる名作である。 (WEB上の万年カレンダーで調べてみたら、この事件が起きたのは1928年9月の事だった、ということもわかる いい時代になったものだ) 何度もいうことだが、この新訳は名訳であり、今後このシリーズの新訳が次々と出てくることを思うと本当に楽しみである。 | ||||
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ミステリの古典とされる名作の新訳版です。 早川版も品切れのようですので、このような形で旧作が継続して読めるのは喜ばしいことだと思います。 肝心の話は、徹底的に謎解きに特化していて、最初の章で発生した殺人事件の犯人を最終章までに見つけ出すという、それだけの話に特化しています。 サスペンスやアクション、恋愛模様、ユーモアなどは皆無といって良いくらいなので、謎解き自体に興味を持てない人は避けたほうが良いかもしれません。 一方で、なぜ死体の持ち物からシルクハットが盗み出されたのかという謎を中心に据え、その謎が合理的に解決されるさまは、謎解きとしてのミステリを読む、醍醐味に満ちていると思います。 | ||||
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ミステリーをそれほど読んでなくて、有名なエラリー・クィーンを読もうと 第一作を読みました。 さすがは第一作だけあって、洗練されてないですね。 帽子が紛失して、その帽子を巡って大騒ぎするんだけど、 読みながら、それで無ければ当然あそこ探せばいいじゃん! って捜査がそっち方向に向かわないのでちょっとイライラ してたんですが、結局捜査はしてたんだと。 それで「読者への挑戦」=フェアとはなにごと? あとは、翻訳も中学校時代の「○○であるところの××」的な 直訳で、分かりづらいったらありゃしない。 翻訳ってさ、単に「英語の構文説明」じゃなくて、 「意味の通る日本語」にする作業のことを言うんじゃないの? この先この作者の作品を通読したかったんですが、 国名シリーズはみんなこの訳者みたいで、二の足踏んでます。 最近出た新訳版をパラパラッと立ち読みしましたが、こちらは ちゃんとした日本語になっているみたい。 この新訳が出てくるのを待ちたいと思います。 といってもここ2ヶ月ぐらいは出ないみたいね。 | ||||
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1929年発表の記念すべき第一作。 クイーンの登場こそ探偵小説の真の黄金時代の幕開けといっても過言ではない。 本作は「なぜ被害者の帽子は現場から持ち去られたのか?」という謎を中心に据えているが、全体的な出来ばえはヴァン・ダインの影響が露骨で率直にいって若書きの感は否めない。 しかし「読者への挑戦状」に代表される論理性へのこだわりやスタイリッシュな構成はその後の偉大な作品群をすでに彷彿とさせる。 そして何よりの読みどころは第二次大戦後の苦悩する探偵像とは全く違う、若々しく颯爽としたペタンティックなクイーン青年の姿だ。 新訳によってさらにその印象が新たとなっている。旧訳でお読みの方も一読の価値あり。 | ||||
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国名シリーズの第一作。劇場という巨大空間において、たった一つ紛失したシルクハットから鮮やかな論証劇が描かれる。その大胆な着想と 緻密な論理構築の融合が素晴らしい。独特の舞台設定が手伝って、とても美しい雰囲気を醸し出している。 そして、そんな舞台設定の妙こそクイーンの独創性でもあった。それまでの狭い空間における殺人劇、関係者と当局だけの言わば二次元的な 両要素に、衆人環視の多様な空間を舞台として三次元的な要素を推理小説のリアリティに組み込んでしまった。 この一作、確かに現代の目で見れば意外性も乏しく冗長にすら感じてしまうかもしれない。後の作品にある空中分解すれすれのパズル要素 や、畳み掛ける展開、外連味と、すべてにおいて平板なのかもしれない。しかし少なくとも明確に慣習から解放しようとする意図がある。 それが上述の空間的芸術性。その狙いが決まり、綺麗にまとまった感では出発点にして到達点にも感じる。やはり処女長編にはアレンジセンス 云々では計れない主張を感じてならない。 | ||||
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国名シリーズの第一作。劇場という巨大空間において、たった一つ紛失したシルクハットから鮮やかな論証劇が描かれる。その大胆な着想と 緻密な論理構築の融合が素晴らしい。独特の舞台設定が手伝って、とても美しい雰囲気を醸し出している。 そして、そんな舞台設定の妙こそクイーンの独創性でもあった。それまでの狭い空間における殺人劇、関係者と当局だけの言わば二次元的な 両要素に、衆人環視の多様な空間を舞台として三次元的な要素を推理小説のリアリティに組み込んでしまった。 この一作、確かに現代の目で見れば意外性も乏しく冗長にすら感じてしまうかもしれない。後の作品にある空中分解すれすれのパズル要素 や、畳み掛ける展開、外連味と、すべてにおいて平板なのかもしれない。しかし少なくとも明確に慣習から解放しようとする意図がある。 それが上述の空間的芸術性。その狙いが決まり、綺麗にまとまった感では出発点にして到達点にも感じる。やはり処女長編にはアレンジセンス 云々では計れない主張を感じてならない。 | ||||
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ローマ劇場の観客席で悪徳弁護士が殺害されシルクハットが犯人に持ち去られたという謎を、クイーン警視とエラリーのコンビが解き明かすという内容。 国名シリーズ初期作品全般に言えることだが、本書はとくに捜査状況の記載が詳細すぎて、それが実に退屈で読了までに何度も挫折しかけた。もっと凝縮できなかったものかと思う。 それと、犯人は被害者との取引で被害者に5万ポンドの「紙幣挟み」(紙幣は偽物)を見せたと供述しているが、犯人はその「紙幣挟み」をどうやって処分したのだろう? 仮に最高額紙幣が現在と同じ50ポンドとすれば1000枚でそれなりの量のはずだが、「紙幣挟み」が現場から持ち去られたとか現場で見つかったとかの説明はなく、仮に犯人が持ち去ったとしても劇場から出る際には厳重な身体検査により、劇場内に残していれば厳重な捜査により必ず発見されたはずである。 例えそれが芝居用の小道具で舞台裏にあっても不思議ではないと当初は見落とされたとしても、犯人と被害者との間で5万ポンドの取引が行われたとみなされる証拠が現れた時点で必ずクローズアップされるはずで、にも関わらずそれらの記述が一切ないのは、明らかに作者の齟齬である。 なお、本書の4年後にディクスン・カーが発表した『帽子収集狂事件』の中に見られる帽子に書類を隠すなどは明らかに本書をヒントにしたものだと思う。また、『帽子収集狂事件』というタイトルはおかしいと同書のレビューで指摘したが、本書の被害者こそが「帽子収集狂」であり、本書にこそ『帽子収集狂事件』というタイトルがふさわしい。 | ||||
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ローマ劇場の観客席で悪徳弁護士が殺害されシルクハットが犯人に持ち去られたという謎を、クイーン警視とエラリーのコンビが解き明かすという内容。 国名シリーズ初期作品全般に言えることだが、本書はとくに捜査状況の記載が詳細すぎて、それが実に退屈で読了までに何度も挫折しかけた。もっと凝縮できなかったものかと思う。 それと、犯人は被害者との取引で被害者に5万ポンドの「紙幣挟み」(紙幣は偽物)を見せたと供述しているが、犯人はその「紙幣挟み」をどうやって処分したのだろう? 仮に最高額紙幣が現在と同じ50ポンドとすれば1000枚でそれなりの量のはずだが、「紙幣挟み」が現場から持ち去られたとか現場で見つかったとかの説明はなく、仮に犯人が持ち去ったとしても劇場から出る際には厳重な身体検査により、劇場内に残していれば厳重な捜査により必ず発見されたはずである。 例えそれが芝居用の小道具で舞台裏にあっても不思議ではないと当初は見落とされたとしても、犯人と被害者との間で5万ポンドの取引が行われたとみなされる証拠が現れた時点で必ずクローズアップされるはずで、にも関わらずそれらの記述が一切ないのは、明らかに作者の齟齬である。 なお、本書の4年後にディクスン・カーが発表した『帽子収集狂事件』の中に見られる帽子に書類を隠すなどは明らかに本書をヒントにしたものだと思う。また、『帽子収集狂事件』というタイトルはおかしいと同書のレビューで指摘したが、本書の被害者こそが「帽子収集狂」であり、本書にこそ『帽子収集狂事件』というタイトルがふさわしい。 | ||||
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記念すべきエラリー・クイーンのデビュー作にして国名シリーズの第1作、そして誰もが知ってる「読者への挑戦状」も本書で初めて挿入されている。 ローマ劇場である夜、芝居の上演中に客席で正装の紳士が殺された。被害者は警察に以前から目をつけられていた悪徳弁護士で、奇妙にも被害者が被っていたはずのシルクハットが紛失していた。一体犯人はなぜシルクハットを持ち去らねばならなかったのか...というのが本書の内容で、そのシルクハットが紛失した謎や犯人が劇場を犯行現場に選んだ謎に解答を与えることで犯人を絞り込む論理は見事の一語に尽きる。 ただ、この殺人1件だけで物語を最後まで引っ張るには冗長すぎる。退屈といってもよい。それと、本書ではクイーン警視の方が主人公のようで、エラリーはそれを助ける脇役のような印象を与える。本書ではまだ、その後のシリーズ展開を見据えたキャラクターづくりや役割づくりがキチンと確立されていなかったのかも知れない。そこが初作の難しさというところだろうか。 とはいえ本書のヒットが後の傑作群を生む原動力になった訳で、そういう意味で本書は極めて重要な作品だと思う。 | ||||
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記念すべきエラリー・クイーンのデビュー作にして国名シリーズの第1作、そして誰もが知ってる「読者への挑戦状」も本書で初めて挿入されている。 ローマ劇場である夜、芝居の上演中に客席で正装の紳士が殺された。被害者は警察に以前から目をつけられていた悪徳弁護士で、奇妙にも被害者が被っていたはずのシルクハットが紛失していた。一体犯人はなぜシルクハットを持ち去らねばならなかったのか...というのが本書の内容で、そのシルクハットが紛失した謎や犯人が劇場を犯行現場に選んだ謎に解答を与えることで犯人を絞り込む論理は見事の一語に尽きる。 ただ、この殺人1件だけで物語を最後まで引っ張るには冗長すぎる。退屈といってもよい。それと、本書ではクイーン警視の方が主人公のようで、エラリーはそれを助ける脇役のような印象を与える。本書ではまだ、その後のシリーズ展開を見据えたキャラクターづくりや役割づくりがキチンと確立されていなかったのかも知れない。そこが初作の難しさというところだろうか。 とはいえ本書のヒットが後の傑作群を生む原動力になった訳で、そういう意味で本書は極めて重要な作品だと思う。 | ||||
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《ピストル騒動》を上演中のローマ劇場の観客席で、悪徳弁護士が毒殺された。 彼は、複数の人間をゆすっていたらしく、その口封じが犯行動機と考えられる。 当時劇場には、観客、俳優、舞台スタッフ合わせて五十人以上の 人間がおり、誰もが犯行を行うことが可能、という状況だった。 エラリーは、被害者のシルクハットが紛失している ことを唯一の手がかりに、推理を構築していく……。 クイーンの記念すべき処女作にして、《国名》シリーズの一作目。 さすがに一作目なので、のちのシリーズ作品と 比べると、論理構築に切れがないのは否めません。 また、実質、シルクハットの謎だけで長篇を 牽引しているので、冗長のようにも感じます。 枝葉を刈り込み、短篇とは言いませんが、中篇の分量にまで ブラッシュアップすると、スッキリすると思うのですが……、 ただ逆に、一見過剰にみえる部分にこそ、その 作家の本質が宿っているのかもしれません。 さて、本作がデビューとなるシリーズ探偵のエラリーですが、事件の解明を済ますと、 犯人逮捕と《解決篇》はクイーン警視に委ね、メーン州へと旅行に行ってしまいます。 随分素っ気ないようにも感じますが、作者は当初、エラリーとクイーン警視を役割分担 させていく《バディもの》として、《国名》シリーズを構想していたのかもしれません。 また、個人的に印象深かったのは、犯人を特定したにもかかわらず、決定的な 証拠がないため、逮捕に踏み切れないという場面でのエラリーの大胆な提案。 本作より後に発表された作品で、物語の時系列的には本作より過去にあたる 『ギリシア棺の謎』を読んでいると、その提案には感慨深いものがあります。 | ||||
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《ピストル騒動》を上演中のローマ劇場の観客席で、悪徳弁護士が毒殺された。 彼は、複数の人間をゆすっていたらしく、その口封じが犯行動機と考えられる。 当時劇場には、観客、俳優、舞台スタッフ合わせて五十人以上の 人間がおり、誰もが犯行を行うことが可能、という状況だった。 エラリーは、被害者のシルクハットが紛失している ことを唯一の手がかりに、推理を構築していく……。 クイーンの記念すべき処女作にして、《国名》シリーズの一作目。 さすがに一作目なので、のちのシリーズ作品と 比べると、論理構築に切れがないのは否めません。 また、実質、シルクハットの謎だけで長篇を 牽引しているので、冗長のようにも感じます。 枝葉を刈り込み、短篇とは言いませんが、中篇の分量にまで ブラッシュアップすると、スッキリすると思うのですが……、 ただ逆に、一見過剰にみえる部分にこそ、その 作家の本質が宿っているのかもしれません。 さて、本作がデビューとなるシリーズ探偵のエラリーですが、事件の解明を済ますと、 犯人逮捕と《解決篇》はクイーン警視に委ね、メーン州へと旅行に行ってしまいます。 随分素っ気ないようにも感じますが、作者は当初、エラリーとクイーン警視を役割分担 させていく《バディもの》として、《国名》シリーズを構想していたのかもしれません。 また、個人的に印象深かったのは、犯人を特定したにもかかわらず、決定的な 証拠がないため、逮捕に踏み切れないという場面でのエラリーの大胆な提案。 本作より後に発表された作品で、物語の時系列的には本作より過去にあたる 『ギリシア棺の謎』を読んでいると、その提案には感慨深いものがあります。 | ||||
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エラリー・クイーンの処女長編にして、名探偵エラリー・クイーンの登場編でもある本作。発表年が1929年である。まだまだ禁酒法下にあったN.Y.。カポネが悪名を轟かす、St.バレンタインデーの虐殺が行われ、10月には、大恐慌の引き金となる株価大暴落が発生するなど、時代背景をちょっと抑えておくと、情景をイメージしやすいかも。 ミステリ界において「読者への挑戦」というスタイルが初めてとられた作品と記憶してる。が、提示されている情報は、必ずしもフェアではないようなものがチラホラとあるが、「雰囲気を楽しむ」というところで割り切ってしまって良いかもしれない。 なんてったって、劇場に赴く正装にシルクハットが必須の時代なのだ。 劇的に生活様式が変化した時代。科学も大発展を遂げている最中であり、が故に、ミステリ的にはある種の「なんでもアリ」感に満ちた時代である。黎明を過ぎた直後、まさにさんさんと朝日が輝く時代の本格推理の躍動感は十分に味わえると思う。 | ||||
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エラリー・クイーンの処女長編にして、名探偵エラリー・クイーンの登場編でもある本作。発表年が1929年である。まだまだ禁酒法下にあったN.Y.。カポネが悪名を轟かす、St.バレンタインデーの虐殺が行われ、10月には、大恐慌の引き金となる株価大暴落が発生するなど、時代背景をちょっと抑えておくと、情景をイメージしやすいかも。 ミステリ界において「読者への挑戦」というスタイルが初めてとられた作品と記憶してる。が、提示されている情報は、必ずしもフェアではないようなものがチラホラとあるが、「雰囲気を楽しむ」というところで割り切ってしまって良いかもしれない。 なんてったって、劇場に赴く正装にシルクハットが必須の時代なのだ。 劇的に生活様式が変化した時代。科学も大発展を遂げている最中であり、が故に、ミステリ的にはある種の「なんでもアリ」感に満ちた時代である。黎明を過ぎた直後、まさにさんさんと朝日が輝く時代の本格推理の躍動感は十分に味わえると思う。 | ||||
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国名シリーズの第1作。劇場という不特定多数の人間がいる空間で起きた事件を、シルクハットが1つ紛失していたことだけを頼りに論理を積み重ね解決に至るという本格ミステリの規範を示した記念碑的作品。本作以前では、限られた登場人物の中から犯人を探り出すという形が主流だったが、クィーンはこの後もデパート、病院、野球場等を舞台にした作品を発表している。その度、地道に論理を積み重ね真実に迫って行く探偵クィーンの姿は頼もしい。また、作者と探偵役を同名にする、しかも「Queen」という名前を使う趣向は当時話題を呼んだことだろう。国名シリーズはその後の本格ミステリ(の作者と読者)に基準を設けたという点で貴重なシリーズだと思う。 | ||||
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エラリー・クイーンのデビュー作にして国名シリーズ第1弾であるこの作品。 デビュー作であるにもかかわらずエラリー・クイーンの論理的なスタイルはこの時点で完成している。 私はデビュー作だから標準程度の作品だと思って読み始めたのだが、 謎が多数散りばめられていて、飽きずに最後まで読むことができた。 解決編も他のシリーズに劣らない論理性でとても納得できた。 推理小説好きで無くとも、読んで損はないだろう。 | ||||
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クイーンの処女作。クイーンもので初めて読んだこともあって、一番好きな作品。クイーンの作品は、論理的厳密さという点において徹底していて、そこが作品の魅力の一つになっているが、この「ローマ帽子」ではさらに論理のアクロバットも楽しめる。帽子紛失の事実一つからこれだけ多くの情報が引き出せることに、初め読んだときは感嘆してしまった。この思考方法は実生活でも役に立つのではないかと思う。 | ||||
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事件の真相をもとに改めて振り返ると、殺人現場に居合わせた人たちはマヌケ揃いだったということでしょうか(情景を頭の中で思い浮かべてみて下さい。)。「作者が提示した謎は、読者にとっては謎であっても、作中の人たちにとっては決して謎ではない」のは、ミステリー作品としてはまずいと思います。 | ||||
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マンフレッド・リーとフレドリック・ダネイのいとこ同士の2人の合作ペンネーム『エラリー・クイーン』の記念すべき処女作。1928年にマクルーア誌が7,500ドルの賞金でミステリーを公募し、その時にこの『ローマ帽子の謎』で応募したのが始まりだ。2人の合作法は『クイーン談話室』に詳しく述べられているがダネイが登場人物とプロットを考え、リーがそれに肉付けをして小説にするという方法で作り出されていた。本作は見事当選したが、マクルーア社が直後倒産したため、受賞は取り消しとなってしまった。しかし、作品自体はストークス社から出版され、国名シリーズがスタートしたのである。なお、本作はプロットに合う毒薬の教えを乞うたニューヨーク市毒物係のアレクサンダー・O・ゲットラー博士に捧げられている。 | ||||
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