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鏡は横にひび割れて
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【この小説が収録されている参考書籍】
鏡は横にひび割れての評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.31pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全59件 1~20 1/3ページ
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最後まで犯人が分からないいつものアガサクリスティ。さすがです。 | ||||
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この時代に出版されたハヤカワミステリ文庫のクリスティ作品をあつめているので背表紙は要チェックポイントなのですが、状態がよくて満足です。 | ||||
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このミステリの真相が、心をえぐるような悲劇性を帯びていたところ。そこがまず、強く印象に残りました。 そして、ラストシーンでのミス・マープルの言動が凛(りん)として力強く、光り輝いていたところ。胸を打つものがありました。 いやあ、素晴らしかったなあ。ほれぼれさせられましたわ。 訳文は、特に会話文が不出来だと感じました。「なんとかですねえ」と、語尾にやたらと〝ねえ〟が付いたり、意味のとりづらい難解な語彙が突然出てきたり、かなり違和感がありました。 この訳文の初出は、1964年(昭和39年)。 そろそろ新訳版を期待したいところですね。 | ||||
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1962年の作品。アガサ、72歳。 本書『鏡は横にひび割れて』のタイトルの出所を知りたくて購入。 早速、エピグラフに出てきました。 「織物はとびちり、ひろがれり 鏡は横にひび割れぬ 『ああ、呪いがわが身に』と、 シャロット姫は叫べり。 ――アルフレッド・テニスン」 本文111頁にも、少し違う言葉で出てきます。 「鏡は横にひび割れぬ。 ″ああ、わが命運もつきたり″と、シャロット姫は叫べり」(傍点あり) 141頁にも。 「織物はとびちり、ひろがれり 鏡は横にひび割れぬ 『ああ、呪いがわが身に』と、 シャロット姫は叫べり。」 295頁にも。 「鏡は横にひび割れぬ。ああ、わが命運もつきたりと、シャロット姫は叫べり」 432頁にも。 「鏡は横にひび割れぬ 『ああ、呪いがわが身に』と、 シャロット姫は叫べり。」 「もっとも、あのひとは間違えて、呪いという言葉ではなく、命運という言葉を使いました」(432頁) 「呪い」という言葉を「命運」と間違う読者たちがいます。 間違いだって、人によっては「命運」につながる可能性さえあります。 「このかたにとっては非常に幸運だったわけですね――過量の睡眠薬をおのみになったのは、死だけがこのかたに残されたただ一つののがれ道だったのですから」(444頁) 「過量」という間違いが、人によっては「のがれ道」(救い)にもなりうるとは。 また、過量の睡眠薬は、殺人用の毒薬にもなります。 同じ化学物質なのに、飲む分量によってクスリにも、毒薬にもなるのです。 「あれは分量をまちがえると危険な薬です」(438頁) 本書では、「カルモー」(119頁、153頁、168頁、197頁、231頁、437頁) という商品名の薬が「あれ」です。 本書の最後、ミス・マープルは 「ひくい声であの詩の最後の行を口ずさんだ。 彼は言えり。愛らしい顔のおかただ。 神よ、みめぐみをたれたまえ、 シャロット姫に」(444頁) テニスン卿の詩、「レディ・オブ・シャロット」だけでなく、 テニスンの詩集全体も読みたくなりました。 | ||||
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常識的に考えると、自分の罹患していた病名を、当の本人に告げるか?とは突っ込みたくなるけれど、 深く追求しなければ、やっぱり楽しませてくれた作品でした。 どの作品も根底にしっかりとした人間の性が描かれているので、ただの推理小説とは異なり、 永く読み継がれているのだろうと改めて感じました。 | ||||
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Kindleで購入。ゆっくり読みたかったのに、あっという間でした。 | ||||
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前に読んだ山中司氏の『教養としての言語論』という学術書の中に、「話は若干それますが」という断わりを付して、氏が薦めたい小説として本書が挙げられている。他の推薦図書、〚1984〛の”ダブルスピーク”や〚マイ・フェア・レディー/ピグマリオン〛の”階級と言語”と言った内容に比べて異質感がある。早速読んでみて、論文の趣旨にマッチしていないと感じた。しかし小説自体は、クリスティーの最高傑作とまではゆかないが、充分楽しめた。 山中氏は本書を推薦する理由として、何気ない言葉が「殺人の直接の原因となった」ことを指摘している。この言葉は次のような場面で語られる。 ミス・マープルが住んでいるセント・メアリ・ミードという架空の町、そこの館が売りに出され、買ったのは当代ときめく女優のマリーナ・グレッグと高名監督のジェースン・ラッドの夫妻。広大だが名建築としては価値の薄い建屋を巨額な金で改装したむら氣なマリーナだが、ここを「私の終の棲家」にすると言って大満足である。 村人へのお披露目を兼ねて、セント・ジョン野戦病院協会のチャリティ・パーティが庭園で催される。屋内では夫婦が知人や町の有力者を招待して、小さなパーティを催す。野戦病院協会の当地の幹部であるヘザー・バドコック夫妻も招かれた一組である。 ヘザーはかつてバミューダの野戦病院に看護婦として派遣されていた時、当地を慰問したマリーナと会い、サインを貰ったことがあった。マリーナとの再会に燃え上がり、衆人の中、大声でそのことを話し出す。 この小説のユニークさは「語り手」が3人称多視点であること。二人のそばにいてこの話を小耳にはさんだ人が何人かいるが、誰もが詳しくは覚えていない。最初にこの話をミス・マープルにしたのは館の前所有者でマープルの親友でもある未亡人ドリー・ハントリーである。肝心な話の中身は、「バドコックがこっそり病院を抜け出し、マリーナに会ってサインを貰った」と聞いたと言うあいまいさ。ドリーの関心はむしろ、マリーナがその間、ヘザーの話などは聞いておらずに、「相手の肩越しに正面の壁を見つめて」いたこと。その見つめ方が「一種の凍りついたような表情だった」として、テニスンの長編詩『レディ・オブ・シャロット』の、「鏡は横にひび割れぬ/“ああ、わが命運も尽きたり”(正しくはわが呪いも尽きたり)/とシャロット姫は叫べり」という部分を引き合いに出す。この本の題名である。英国人であれば学校時代に誰もが習ったことのある有名な詩らしい。 その後すぐ、ヘザーは持っていたカクテルをこぼしてマリーナと自分のドレスを汚してしまうという騒ぎを演じ、代わりに寛大なマリーナが手にしていたカクテルを受け取り、それを飲んだ5分後にソファーに座ったまま死んでしまう。司法解剖で毒殺と判断される。事件の始まりである。マリーナは自分を狙ったものに違いないと言い出してノイローゼになる。。 ヘザーもその重大さを意識せず、誰も注意して聞かなかった発言が殺人の原因なのだが、マープルはマリーナの表情に異常な関心を寄せてゆく。山中司氏にはこの運びが、氏の主張する「言語を超える新言語」としての「表情の働き」を論証する好例に映ったのかもしれない。 一旦山中論を離れよう。このミステリーにはもう一つの重大な言質が隠されていることに気付く必要がある。ヘザーの話だけでは、犯人とその意図をつかむことは不可能だが、もう一つの何気ない話が決定的な証拠となって行く。 その話はパーティに臨時に雇われていたグラディスという若い女性が、親友でマープル宅にメードとして通っている若い主婦のチェリー・ベーカーに話したことを、ミス・マープルに何気ないゴシップとして伝えることで明らかになる。グラディスは内輪のパーティで飲み物の用意などを手伝っていたのだが、偶然にマリーナが故意にヘザーの袖に触れて、彼女が持っていたカクテルをこぼしたのを見たという。グラディスはこの話を、片想いのクレッグ邸のイケメン執事ジェゼッペに注進して、彼の袖を引きたいという意図を隠さない。 ジェゼッペは話を聞いた翌日、休暇を貰ってロンドンに行き、銀行に500ポンドもの大金を預けて帰宅した直後に何者かにピストルで撃たれて死亡する。第二の殺人発生である。グラディスも行方不明になる。 ミス・マープルは自宅にこもったままで、そのような話から組み立てた推理を、又従弟(名称は違っているかもしれない)のスコットランド・ヤードの主任警部ダーモット・クラドックに話し、クラドックが関係者を尋問して行く。これが全てミス・マープルの推理のなぞりなのだと思うと、彼の押しつけがましい態度に笑える。 殺人の方も引き続いて起こる。ジェースン・ラッドの女性秘書エラ・イーンスキーも不可解な行動の後で殺される。最後にはジェーン・マープル本人までもが死亡する。薬の過剰摂取による事故死として処理されるが、本当の原因はわからない。 このように物語は、ヘザーの死を除いて、ジェゼッペの死、エラの死、ジェーンの死の原因と真犯人のなぞ解きをしない。文脈をよく読めば判るはずだということだろうが、読者は作品への参加を強制される。再び山中司氏に御登場を願えば、コノテーションの読みには確実性がないのだと、うそぶかれるのであろう。 その他この小説には、セント・メアリ・ミードという何世代にも亘った牧歌的で風光明媚な農村地帯が、戦後の高度成長に伴って開発され、新住民がやってきて、街の風景を一変させてゆく様子が、ミス・マープルをはじめ老人の視線で語られ、社会学的な話題も提供しているが、多くの人が指摘しているので触れない。 | ||||
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セント・メアリーミードに女優が転居してきて豪邸を購入して再建する。その再建披露のパーティで村人の女性が亡くなるが出席者に彼女を殺す動機は思いつかず、といって女優を殺すことは難しい。女優を殺そうとしたのか、村人を殺そうとしたのが、そしてだれが?フーダニット、ハウダニットにもまして不ワイダニットの光る作品。今となっては驚くことはないが60年前にこのような動機をしかも古典的な作家が扱っていたということに驚かされる。 | ||||
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長らくブランクのある老女優マリーナは夫の力も借りて映画で復帰することを考えていました。撮影を終えて、PRのためパーティーも開きます。そこで謎の薬物死が起こり、命を狙われていたマリーナも神経衰弱から亡くなってしまいました。さて、最初の殺人とマリーナを殺した犯人は誰でしょう?というのが本作です。 犯人は推測できましたが犯行の動機がアッパレで鳥肌が立ちました。2022年現在と同様、約100年前も感染症で抵抗力の弱い子供や高齢者が亡くなっていたようです。感染症で多くの人が苦しんでいる今だからこそ犯人の動機や辛さが理解できました。ぜひ一読をおすすめします。イヤミス好きでも楽しめる後味の悪い作品でした…腹の底から性格の悪い人なんていないのも辛いですね | ||||
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本当に、最後まで犯人はわからなかった。動機も手段も。伏線は小説の初めから散りばめられていて、何気ないやりとりがそこまで大事だったのかと思わせるプロットに唸ってしまう。 タイトルは、犯人はそのことを知った時、まさに、鏡が横にひび割れたのだろうと思う。 また、動機に関わる事案は現代でも問題になっていることもあり、ミステリーとしての衝撃は大きかった。 | ||||
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ストーリーは緩急も穏やかで、トリックも凝っているわけでは無く、全体的に地味な作品です。 しかし、人間の心理が動機の根幹に深く関わるので、登場人物はよく作り込まれており、とても丁寧に描かれています。 そしてその動機は、大体において犯人の身勝手な理由からだったりしますが、この作品は動機が痛いくらいにわかります。わかりすぎます。 終盤で真相に気付いた時には、思わず「あっ!」と声が出てしまうほどでした…。 読後は何とも言えない、しんみりとしたような気持ちにさせられました。 人物描写と動機以外に特筆すべきところは無いくらい地味なストーリーですし、その動機も読み手の年齢や環境によっては共感しづらいものではあるので、万人向けではありませんし、手放しで人に勧められる作品でもないです。 しかし、ネタバレになるので詳しくは書きませんが、共感できるであろう立場の読み手には強くおすすめしたいです。 | ||||
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私はポアロが好きですが、これはマープルが探偵役だからこそ冴える作品です。 マープルの視点で解き明かすのでプロットは圧倒的に家庭的で、小さなヒントはそれこそ冒頭からちりばめられています。細部が命の小説です。小さなピースが見事にはまっていきますので、斜め読みでは読後感がよくないと思います。 犯人もその狙いも全くわからないまま読み進める人もいると思います。最後の伏線回収に驚かれるでしょう。 途中で犯人の手口を見抜く人もいると思います。ハウダニット(どうやって行われたか)が分かったうえでホワイダニット(なぜその犯罪は行われたか)を追っても楽しいと思います。 動機が最初にわかる人もいます。その場合、犯人も同時にわかるわけですが、犯人の心境に思いを馳せながら読むことになるでしょう。 | ||||
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ミス・マープルが大好きです。 単にミステリーを読むだけではなく人間観察出来るから。 この物語のトリックはあっ | ||||
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クリスティーを読み始めて7,8冊目くらいですが、 著者のクセのようなものが読めてきて今回は割と早い段階で犯人と動機がわかりました。 伏線もしっかり張られて回収されてますし、良作だと思います。 ただ、日本語訳のおかしい箇所(283ページ、…言い方になりましたかしらの セリフは男性のもののはずだが語尾が女性口調)があって推理する際に混乱 しますから出来れば訂正していただきたい。その点でマイナス☆1です。 | ||||
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ミステリの女王と呼ばれる著者としては、エルキュール・ポワロと並ぶ、ミス・マープルを探偵役としたシリーズものであり、長編第8作目。 ポワロのシリーズはかなり読んでいるのだが、ミス・マープルものはあまり読んでいなかったので、評価の高い本作品を読んでみました。 1962年発表の作品だが、著者は、1976年に85歳で亡くなられているので、晩年の作品と言ってよいでしょう。それでも、ミステリの醍醐味が十分に味わえる良作でした。 ミス・マープルの住む、セント・メアリ・ミード村にも都市化の波が押し寄せてきていた。その村で、かつて起きた事件の舞台になった屋敷に、映画女優が引っ越してきた。その引っ越しパーティの席上、招待客のひとりが、毒の入ったカクテルを飲んで死亡してしまう…。 ミステリの世界では、フー・ダニット(誰が犯行を行ったのか)、ハウ・ダニット(どうやって犯行を行ったのか)、ホワイ・ダニット(なぜ犯行を行ったのか)という謎の提示の分類があります。本作品では、フー・ダニットについては、一応意外性がない訳ではないですが、「え?この人が?」という驚きはあまりないでしょう。 そこで、多くの招待客がいる中で、どうやって毒がカクテルに入れられたのか、というハウ・ダニットと、どんな理由でその犯行を行ったのか、というホワイ・ダニットが中心になります。中でも、本作品の評価を高くしているのは、ホワイ・ダニットの部分でしょう。この真相を見破るのは相当に困難だろうと思います。 例によって、このミステリの女王は、伏線の張り方が巧いです。 作品の至るところに伏線はありますが、私は、kindleで読んだのですが、物語が始まって10%に達する前に、最初の伏線が張られていることを、読後確認しました。 物語の最初の10分の1までの時点で、張られた伏線。事件が起きるのは、全体の4分の1(25%)くらいなので、それ以前は、村の様子や、ミス・マープルの身近な人たちとのやり取りで、ストーリー的には、あまり面白くはありませんが、そこに、伏線が潜んでいるのです。 現代のミステリと比べると、物語展開は、平板な感じですが、きちんと張られた伏線と意外な真相というミステリの骨格をしっかり備えた良作と感じました。 | ||||
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昔、産休中の暇なときに読んで衝撃を受けました。 なぜこの私に犯人と動機が分からなかったのか⁉︎とその当時ものすごく反省しました。 | ||||
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さてこの本のマーブルさんは年を取り、介護の女性が付いてます。セントメアリミード村も時代の変化がせまり、新興住宅地となります。買って「書斎の死体」の舞台となったゴシントン・ホールのお屋敷も売りに出され、買ったのは高名な女優です。看護人の目を盗んで、歩き回るマープル。彼女の推理力は変わらず、最後に思いがけない人が犯人とわかります。そして殺した理由も。私はクリスティの大ファンですが、それは人間の邪悪さが、見かけとは違うところに宿っていることを教えてくれるから。人間模様が素晴らしいからでしょう。 | ||||
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住み慣れた村の景色も変わってしまった。 ミス・マープルは、世話焼きのメイドに年寄り扱いされ、一人で外出することもままならない。 しかし、事件が起きると、マープルは、(いきいきと?)人と物事の真髄を見抜く鋭い眼と、抜群の推理力を発揮するのです。 「ことにわたしは気分がいいのよ。無活動はわたしには向かないし、今までもそうだったわ。現実的な行動方式、それがわたしには長いあいだ欠けていたものなのだわ」 物語の終盤に、登場人物の性質、出来事、事件が交差し、それまで感じていた謎のつじつまが合ったときの、ストンと落ちるような真実に、驚きました。 衝撃度は、『オリエント急行殺人事件』『アクロイド殺し』など、他の有名なアガサ・クリスティ―作品に比べると、そんなに大きくはないかもしれません。 しかし、登場人物の性格と、それに決して矛盾せずに言動、仕草、出来事、各人のそれまでの人生が交わっていく描写が、素晴らしいです。 アガサ・クリスティ―は、身近にいる実在の人物をモデルにしたのではないだろうか、そのように思わせられます。 特に、ある人物の性格については、言葉を変えて繰返し描写されていることが印象的でした。 クリスティ―は、こうした性格の人物に、嫌な思いをさせられたことがあったのでは?と想像を掻き立てられました。 また、何よりも探偵役のミス・マープルが、とても魅力的な人物です。 本作では、事件の聞き込みや現場の調査を進めるのが、主に他の人物であることもあって、彼女のファンには物足りなく感じられるかも知れません。 もし、マープルのことをあまり知らない、あるいは、もっと彼女の魅力に触れたいと思われたら、『火曜クラブ』を読まれることをおすすめします。 短編集ではありますが、本作『鏡は横にひび割れて』よりも彼女の登場が多く、その魅力に多く触れられると思います。 | ||||
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軽くて読みやすく、レトロな英国の情景がきれいで楽しい。意外な犯人とか、動機やトリックの必然性もあって推理物としての読み応えも充分です。 | ||||
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だいぶ前に読んだ記憶がありましたが、本を整理する時に捨ててしまい再度購入です。初期に読んだ物語の情景描写の印象が、現在読み直すと全く違って感じる不思議です。より深く登場人物の気持ちに寄り添えるそんな印象です。 犯人の心の描写、心情、どれもが刺激として残ります。 目撃証言が多いわりに、その見た者の解釈の違い、見たかもしれないがそれが何を意味するのか、犯人の精神描写心の動きが、ドラマよりも読んだ時の何とも言えない不気味さが、読んでいる読者をその世界に誘います。 是非、おススメの作品。ドラマとの違いを感じるのも、一つの楽しみ方です。 | ||||
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