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カラマーゾフの妹
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カラマーゾフの妹の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点2.83pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全58件 21~40 2/3ページ
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読んでおどろいた こいつはひどい内容だ アリョーシャ・カラマーゾフの最後もあまりに悲惨 カラマーゾフ第二部を予想するにしても あまりにひどい作品 こいつは偉大な文学への冒涜でしかない | ||||
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★大いにネタバレあり★ 亀山訳の原作を読んでいたので読みました。 原作に残るいろんな矛盾点や現象をうまく「伏線」として利用している。 自分には全くこういう展開を予想することができなかったが 革命軍のくだりは面白いけど、話が急展開過ぎて、説得力に欠けるように感じた。 (当時、ロシアでは次作は皇帝暗殺の話になるという噂はあったそうだが) 人格交代は筋が通っていると感じた。 こんな解釈を与えられたらもう一度原作を読んで見たくなる、そういう作品。 江戸川乱歩賞の選考委員のコメントも掲載されていて読んだが、オマージュというかパロディであることは問題視されていたが、こういう試みは面白いと感じた。 読み終わってから「ハズレ」だったと思うより、過去の大作の続編と銘打てば、購入者もある程度は安心して読書できるのではないか。 まったく話は異なるが、村上春樹はエッセイなどでスメルジャコフの名前でパロディしたりしているが、彼は「カラ兄」にどういう解釈をしているのだろうか。小説の受け取り方は人それぞれであるから絶対書いてくれないだろうけど。 | ||||
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エンターテインメント系の賞に、芸術的な発想で挑戦する態度は、かなりの期待を感じた。選考委員も、その大胆不敵さに、一票を投じてしまったようである。しかし、同じような、脱構築系のスタイルを持つ、京極夏彦氏と、地道な警察小説の今野敏氏は、厳しい評価をしていたと思う。ことに、今野氏は、本作をまったく認めていなかった。それでも、私は、本作者の意気込みには、どこかやられた感があったので、読み進んだ。しかし、結局、期待は外された。というのも、本作は、いい訳とは思えない、亀山訳をもとに、それを通してのドストエフスキーを土台にしているからだ。しかも、わざわざ枚数を稼ぐような持って回った余分な説明、描写も多い。そして、結末は、なにかはぐらかされたようである。つまり、本書は、ドストエフスキーの褌で相撲をとり、それを取ったら(笑)、なにもないといった作品である。いや〜、まったく残念である。また、作者の「私は文学作品をいっぱい読んでいる、文学に通暁しているプロなのだ」という臭さも、全編に漂っている。そこもいただけない。 | ||||
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説得力はあった、と思う。父親殺しの最大の動機は、金目的でも恨みでもいない。 じつは「正義」だったのである。 「罪と罰」でラスコーリニコフが考え出した犯罪哲学とある意味では似ている。 大いなる善行を行おうとしている人間は、たった1つの犠牲など気にも留めない、ということです。 つまり愛する兄弟を救うために何のためらいもなく父親を殺害した。 強すぎる正義感と強固な精神力がそれをさせたのだ。 ラスコーリニコフは殺人後、精神が崩壊した単なる凡人だが この小説の犯人はナポレオンの素質があった、ということである。 皇帝暗殺、という挿話も「大いなる善行」の1つとして描かれており ロシア国民を救うために、皇帝の命を奪おうとする彼ら革命家の「正義」が いかに狂信的なのかを読者に訴えかけている。 そして皇帝殺しと父親殺しを対比させており 犯人には正義を実行するために 彼らを殺す動機があったのだと暗示させている。 謎解き重視の映画や推理小説では ときどき、犯人を捜しているはずの主人公が実は多重人格者で犯人だった というおきて破りのオチがあるが それを逆手にとったようなアイデアで最後まで犯人が読めなかった。 リーザの足が治ったり治らなくなったりする不思議な現象も 実はラストに結びつく伏線である。これは面白い。 | ||||
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こりゃあ、こまった本。といっても苦虫潰すような「困った」でなく、 「あのコ、イイコなのに、コマッたちゃんなの」の「コマった」に近いが。 名作の改変ないしパロディは、後の世の人の特権だから、何をしてもいい、 とは思いますが、それなりに歴史のある文学賞に値する作品ではないでしょう。 もし、受賞に該当するとすれば、ゴールデンラズベリー賞ではないのか。 つまり、作り手はマジメに作ったつもりなのだろうが、仕上がりは今一つ。 不可解な殺人を扱う『カラマーゾフの兄弟』の設定を活かして、 ミステリに仕立て上げたアイデアは、確かに立派。しかし、なまじっか時代背景を ていねいに描き込んだりしてるだけにドストエフスキーの原作(もちろん邦訳のこと)を 未読の読者は、“これ”で事足れりとしそうで、コワい。 もっとコワいのは、本作を読んだあとで原作に挑んだ人が、原作のいりくんだ筋立てや 登場人物の陰影を読む愉しみについに気づかず、早急な謎解きばかり追求してしまうこと。 はじめに結論ありきの読み方だけが、小説を読む愉しみではない、 という当たり前の作法を台無しにしそうで、コワい。 逆に言えば、それだけ本作の仕込みは、それなりにガッバっているとも言えます。 でも、映画でもありますね。美術よし、衣装よし、でも、肝心の配役がダメ、 人物に魅力が無さ過ぎ、というような作品が(だからまさにゴールデンラズベリー賞候補)。 ネタバレになるから詳しくは書きませんが、人物がすべて類型的で、生彩がない。 「こどもたち」のその後の活動も、時代設定に沿わせた工夫は認めるけれども、 ハリボテの秘密基地みたいなアジトに、がっかり(いっそSF仕立てにすれば良かったのでは)。 また、同時代の大英帝国の名探偵とか、ウィーンの精神科医とか、 虚実をまじえた有名人を陰に陽に登場させているのも中途半端。シラケる。 例の名探偵と精神科医のパスティーシュだったら、昔ニコラス・メイヤーに秀作があった。 有名人をダシにした異国での事件解決モノなら、山田風太郎はじめ名だたる快作がある。 悪や不条理を描いても、それを中和するシャレたセンスとほのかな笑い。 本作に欠けているのは、それ。 でも、有能な脚本家が本作をベースにして(ブラックな笑いを加えて) 舞台化する、という手はある……かも。 | ||||
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おもしろいです。また、近いうちに同じ作者の作品を読もうと思います。 | ||||
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二次創作として楽しめました。 タイトルにもなっている「妹」は、わりと引っ張ったあげくにあまり重要ではなかったような。 カラマーゾフを知らない人が楽しめるかというと微妙だけど、 筆者による「カラマーゾフ事件とは何か」という章は、原作を読むよりよっぽど分かりやすいです。 『悪霊』で撲殺されたリーザや、『二重人格』の主人公ゴリャートキンなどなどが同一空間上で語られていたりして、ニヤリとしました。 イワンだけ救われてアリョーシャがとんでもない結末を迎えるラストはさすがに悲しい…。 こんなにポコポコ殺されたら、アリョーシャ好きな人が怒る気持ちも分かります(笑)。 | ||||
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原作者が生きていたら、、、と思うところもあったけど、十分楽しめました。 意外な展開が楽しかったです。 | ||||
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「前任者」の物語、「カラマーゾフの兄弟」を、筆者と同じく亀山訳で読んだのが、数年前。 そして、今回、その続編をものして乱歩賞に物議を醸した意欲作として話題になった本書を読了。 まずは、その手腕に、素直に驚いた、というのがある。 手腕とは、たとえば原典をいかに消化していたかとか、原典の高みにどれだけ肉薄出来てたかとか、 そういった「原典ありき」の手腕の話ではなく、純粋に、「カラマーゾフの兄弟」という強烈な問題作を この世に残し、第二部を書くと言ったきり勝手にこの世を去った身勝手な「前任者」が残した「謎」の 数々を、いかに解きほぐし、いかにミステリーとして形作ったかの一点、それである。 そもそもカラマーゾフの兄弟はミステリーというくくりだけでは語れない物語だし、 本作はミステリーの枠で見事受賞した物語だ。土俵が、違うと言えば違う。 カラーマゾフの兄弟を、(それは、あまりにも多くの顔を持つが、あえてその一つ)ミステリーという くくりで見た場合、その結末はある意味妥当過ぎるほど妥当であり、意外性を欠いている。 スメルジャコフかドミートリーか。 いわば「どちらかが彼を殺した」状態である。東野圭吾ファンの方、申し訳ない。 (ちなみに、彼女、ですね。こっちは) 読了した私自身の話になるが、このミステリー的結末という見方をした場合のみ、私は 若干の不満を残して本を閉じた記憶がある。もちろん、それ以外においては大変有意義な 作品であった。大審問官のくだりと幼女虐待とフェチュコーヴィチの弁護と。覚えている シーンは未だに、他人に語り継ぎたくなる。 翻って、本作である。 うん、と、頷いた。犯人は、彼しかいない。 そう。「前任者」の物語を読んだ時から、漠然と犯人は彼であればいちばん収まりがいいような 気はしていた。しかし、それはあくまでも「漠然とした印象」であって、ここまで微に入り細をうがつ 「証明」が出来ていたわけではもちろん、ない。 いわば本作は、数年間の私自身のモヤモヤとした霧を晴らしてくれた作品である、と言える。 だからこそ、私にとっては星5つ以外の評価はありえない。 ただ。 「彼」に対して、いや、「前任者の物語」そのものを心ゆくまで愛した人たちにとっては、 本作が冒涜以上の何者でもなく、したがって大いなる失望の意を示すことを理解できないわけではない。 ミステリーという枠以外で語ってよいなら、私だって大審問官と討論するイワンを見たかったし、 美しく心優しき司祭へと我が身を高めたアレクセイも見たかったし、何より原典の一番の見所というべき、 現行宗教、あるいは社会、あるいは規範における強烈なアンチテーゼを何か一つ、指し示して 欲しかった、という欲求は当然、持っている。 しかしそれは、無理な話であろう。なにしろ前任者の物語は長大過ぎる。 乱歩賞の上限は四百字詰めで五百五十枚。手頃な文庫本一冊に収まる長さしか許されていないのだ。 そういう意味では、筆者の失敗らしい失敗とは、唯一 「カラマーゾフの兄弟を原典に選んだ」 という点でしかない。 凝集してもしきれないほど原典は長大であり、かつ、示唆に富み、アイロニカルという言葉では 語れないほど攻撃的で、かつ、面白い。 だから筆者も冒頭で述べている。 「前任者のあの名作と『同等の』作品を書こうなどと思わなければよいのである」 と。 さらに、前任者の物語に「ある重大な事実を発見した」ことが、執筆動機である、と。 あくまでも私自身の評価ではあるが、その試みは見事に成功している、と思う。 彼以外の犯人はあり得ないし、その決着に至る証拠固めも「妥当」である。 少なくとも、ズルはしていない。私は以前「ダ・ヴィンチ・コード」を読了した時、 この決着はズルだ、と思った。それは、歴史的謎の終着駅が最後の最後には個人、家庭の問題に 帰属してしまったことの怒りが原因だ。 少なくとも、(本作は原典ともどもフィクションである、という違いはあるが)ドストエフスキー という「歴史」の謎は、きちんと歴史的に集結、帰属していると思う。そういう点で、 その慧眼には素直に、恐れ入る。ミステリーで、原典ありきでこれだけの謎を思いつけるって、 すごいことなんですよ。ほんと。 だから、本作は紛う方なくミステリーであり、ミステリーとしてきちんと集結しており、 なおかつ成功している。 何の文句があるというのか。 | ||||
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本編の「カラマーゾフの兄弟」を昨年末 苦しみながら読んだ後だったので、 他の人が酷評するほど 苦しくもなく読めました。 それだけ 元の作品がきつかったから。 13年後のことが本編ではまったく書かれていなかったので、 かなり大胆な発想で、次男、三男を作り変えたのは面白かった。 まあ あまりにも長々とした作品が、消化不良で終わっていたので、 それを解消してくれた 続編 としては 面白かったです。 | ||||
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カラマーゾフの兄弟はもう40年以上も前に読んだことがあったが、内容についてはほとんど覚えていなかった。 その昔、ドフトエスキーとかトルストイとかを図書館で借りてきて、読みあさった時期があったのだ。 ということで、本書は期待して読み始めたのだが、期待に反して、なかなか頁が進まない。 本来であれば、昔のドフトエスキーが思い起され、わくわく感があっても良さそうなものだが、 これではもう一度「カラマーゾフの兄弟」を読んでみようという気もおこらない。 何がどういけないのか、よく分からない。 着想はすごく良かっただけに残念だ。 | ||||
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うん、どう考えても評価は高くないな、というのが正直なところだ。 あの「カラマーゾフの兄弟」の続編、という体裁の作品であり、もちろんかなり高いハードルに挑戦したという意欲は評価する。 しかし、やはり乱歩賞選者の一人が述べているように、オリジナリティが低いと見られてもしょうがないところではある。 しかも、もっと強烈な謎とロジックが展開されるのかと思ったら、やはり本作も昨今の乱歩賞の枠に収まってしまっている。 すなわち、ミステリ+アルファのアルファ部分が、どうしても読後に記憶に残ってしまう。 それが、どうしても本作をミステリとしては低く評価してしまう要因の一つでもあるのだ。 もちろん、本作のようなチャレンジ精神あふれるミステリは大歓迎である しかしそれも、ミステリとしての強力な謎とロジックを伴っている、ということが大前提である。 本作の最大の謎が「カラマーゾフの兄弟」の謎解き、というのでは、やはりちょっとと思ってしまう。 さらに新たな強力な謎が提示され、それに関する堅いロジックが備わっていたらよかったのだが。 ベストテン誌での評価が良かっただけに、非常に期待して読んだ分、失望感も大きかった、というのが正直な感想である。 | ||||
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私は、読む前から「ドストエフスキーが書いたものではない。パロディーだ。」と意気込みを入れてから読み始めたので、楽しく読めました。(もちろん、納得いかない部分もあります。たとえば、アリョーシャがああいう感じに至った経緯が不十分だなと感じました。) この物語をドストエフスキーが書いたというのなら、間違いなく☆は4つもあげられないでしょう。多くの方が言われているとおり、ドストエフスキーの複眼的な視点・多重的な思想が盛り込まれていないからです。 しかし、これはあくまで高野さんの作品であり、江戸川乱歩賞審査員も本書の最後のページで述べているように、高野さん流カラマーゾフを評価したものです。そう割り切って読むと、かなり面白く読めるのではないでしょうか。ミステリー小説色が強いです。ビリーミリガンとなんとかにんのなんとか、っていう(すいません、本の名前忘れましたが、多重人格のお話のあれです)本がお好きな方にはおすすめです。 | ||||
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とにかく読みづらいですね。 久々に1ページめくるのに、これだけの労力を要する作品に出合いました。 それが内容のつまらなさによるものか、翻訳調の文体によるものかは自分自身も定かでは ありません。ただ、どうも近年思うのは、「このミス」での評価と、一般読者のそれが乖離して いるのが目立つ点です。 私も乱歩賞受賞作が「このミス」にランクインするのは稀少なので、大きな期待を持って購入 しましたが、待っていたのは大いなる苦痛だけでした。 内容はともかく、とにかくとにかく読むのが苦しかったです。 しかしこの作者を本当に評価するのは、全くのオリジナル作品を読んでからにしようと思っ ています。 | ||||
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ウン十年来のミステリファンで、乱歩賞受賞作は毎年読んでいます。 一方ロシア文学は、こども向きのリライト版で小学生の頃読んだだけで、恥ずかしながら本書の原典も読んでいません。 本書の著者はプロのSF・ファンタジー作家のようですが、その作品も読んだことがありません。 このような立場で、同じ様なミステリファンのためにレビューします。 結論。全く面白くありません。 大胆な「つかみ」やサスペンスも意外性もない。 主人公を始め登場人物に魅力がなく、言動が生き生きとしていない。 無用な説明的文章が多過ぎ、スピード感が極めて乏しい。 読み進めるのが苦痛な程の重苦しい文章は、受け取り方によっては重厚ということかもしれませんし、 原典の厚み・重みや時代背景を反映しているのかもしれません。 それが作者の狙いの一つかもしれないとも考えられます。 しかし、原典を読まれている方々のレビューを拝見しても批判的なものが多く、 成功しているとは思えません。 「カラマーゾフの兄弟」の続編という着想を形にするのは、プロの作家の試みとしてあってもよいでしょうし、 相当の努力も必要だったと思いますが、そもそも江戸川乱歩賞に応募すべきだったのでしょうか。 本作の受賞に「最後まで反対を表明した」という今野敏選考委員に賛成です。 乱歩賞作家となった以上、著者には今後もミステリを書いて頂く必要がありますが、 今回のような手が二度と使えないという前提で、果たしてどのような作品を上梓されるのでしょうか。 昨年の受賞作2作も、なぜ受賞したのか首を傾げざるを得ない作品でした。 最近の乱歩賞の選考には疑問を感じざるを得ません。 | ||||
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最初の10Pでよむのをあきらめた。 たいくつでたいくつでおもしろくもなんともないのだもの。 | ||||
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「カラマーゾフの妹」という題名は何かの比喩かと思ったら、作者が本当にミステリ仕立ての続編(イワンによる事件から13年後の調査)を意図したという事を知りまず唖然とした。冒頭から期待感ゼロである。「カラマーゾフの兄弟」が「アリョーシャ=新しいキリスト」とする超大河小説の第一部として執筆された事は周知の通りだが、その続編を意図するとは"身の程知らず"もいい所である。 イワンが多重人格という設定は、ドストエフスキー自身の「二重人格」の九等文官ゴリャートキンの引き写し。アリョーシャを中心とした(元)少年使徒達が皇帝暗殺を企てるという設定も原作の引き写し。この革命集団のリーダーがロケットを開発したり、計算機を開発したりするのはSFめいているし、この計算機用のプログラムを書く天才少女の名前がエイダというのはAda(=世界初の女性プログラマ=DoD制定のプログラミング言語)の引き写し。作者自身のアイデアは一体何処にあるのだろうか ? また、本作で採り上げられる"進化論"の件を読むと、作者が進化論を理解していない事も良く分かる。ミステリ的趣向がお粗末なのは言うまでもない。 何より、原作(者)に対する敬慕の念が全く伝わって来ない点が致命的で、原作ではあれ程深みのあった登場人物達が単なる記号と化している。取り柄が皆無の作品で、単なる時間潰しにしかならなかった。 | ||||
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これは世界文学の金字塔と言われる「カラマゾフの兄弟」の設定を借りたエンターテインメントである。 ドストエフスキーが当初予定していたが急逝したため書かれなかった2作目を意図したものではない。 つまり「カラマゾフの兄弟」の登場人物、キャラクター、背景、ストーリーを借りているが、フョードル殺害後の13年後から別な物語が始まると理解した。 「カラマゾフの兄弟」本編で繰り広げられる饒舌な登場人物による独特の世界観や哲学的対話の継承、展開は期待すべきではないと思った。 サブストーリーの道具立てに無理があったり、一連の事件の真犯人を取り巻く状況などストーリーに無理が感じられる部分は多々あるが、完成度としてはミステリーの佳作レベルといった感じではないか? 「カラマゾフの兄弟」をベースとした意欲的な取り組みとして個人的には評価したいと思う。 | ||||
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ほかの方も書いているけど、着想は面白い。 前半部分は、まあまあ。ただ中盤以降にガックリ。文体が原因だろうが、全体に軽い。 フランスの文学理論家ピエール・バイヤールが『アクロイド殺し』や『バスカヴィル家の犬』の再読に挑んでおり、それなりに面白かったので、本作も、純粋なミステリーではないにしてもミステリー的な要素を持った『カラマーゾフの兄弟』の読み直しとしても期待したが、その面でも、イマイチ。 SF的要素もあるが、それも中途半端。せっかくツィオルコフスキーを登場させるなら、もう少し工夫があってもいい気がする。 とにかく盛り込みすぎ。続編か、読みなおしか、徹底した娯楽小説か、そのうちの一つだけに絞っていたら、もう少し良かったような気がする。 | ||||
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丁度この前の春にドストエフスキーのカラマーゾフを読んで なんていいタイミングなんだと思って購入しました。 推理小説として読むのであれば、 真犯人の意外性はよかったのかもしれませんが 原作小説のファンという視点から見ると なんでもかんでも辻褄が合えばいいっていうものでもないですよね。 特に妹の設定は違和感がありすぎて困りました。 原作でアリョーシャや、イワンいった原作で 私に衝撃をもたらした彼らは、この作品には登場しませんでした。 もちろん偉大すぎるロシアの作家と同じ感動が得られるはずもないのですが せめてもっと期待した以上に娯楽的消費小説だと 明記して販売して欲しかったです。 | ||||
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