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春にして君を離れ
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春にして君を離れの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.48pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全221件 161~180 9/12ページ
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主人公の女が子どもや夫に自分の考えややり方を押し付け、 それがまったく子どもや夫のためになっていない典型的な毒親、悪妻 なんだが自分ではその意識がなく最も始末が悪い。 専業主婦は家庭内がすべての世界であり、それを誰も監督する人間が いないことから、自分が偉く、自分の意見が正しいと勘違いする。 世の勘違い専業主婦はこの本を読んで猛省するように。 | ||||
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私の読み方が足りなかったのか、良さを見出すことはできませんでした。 ☆以下ネタバレ☆ 「専業主婦あるある」「上・中流家庭あるある」だと思うのですが。 旅をしたことで(思わぬ足止めをくらったおかげで) 人間的に成長したかと思われた主人公も「あれれ?」という結末でした。 レビューで期待し読んだだけに、残念な感想を持ってしまいました。 こうやって生きていくことは本人にとっては幸せなのかもしれませんが 傍から見るとどうなのでしょう。 | ||||
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己を知ることの怖さ…知らないコトが幸せなのか、不幸なのか。心に響く心理的なミステリー。 | ||||
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実際にこの主人公のような人がごく身近にいた場合、自分たちの本当の感情や真実を面と向かって伝え、心の底から理解させるのは至難の業でしょう(主人公の夫と子供達がついに果たせなかったように)。何故なら、この作品の中の彼女がそうであるように、彼らの行動や論理はその表面と結果だけを捉えれば総じて「正しい」からです。 ごく普通の妻として母として主婦としての立場からは、夫が安定しステータスにも恵まれた職を投げ打って成功も覚束ない事業を始めると言い出したら当然必死で止めるでしょうし、娘が不倫に走ったり、筋の良くない友達や彼氏ばかりと付き合っていたら必死で説教するのは当然ですし、家計を割いて雇っているメイド達には極力完璧な仕事と成果を求めるでしょうし、周囲の殆どもそういう彼女に味方し同情することでしょう。そして、この彼女は夫を世間的に成功させ、子供たちも相応しい伴侶を見つけることができ、彼女自身も友人のように身を持ち崩すことも、知人の妻のように貧困と病苦に斃れることもありませんでした。それは間違いなく彼女の実力の証であり選択の成果です。 だからこそ、彼女の、彼女のような人たちの自己逃避や自己欺瞞を指摘するのは並大抵の人間や努力ではまず不可能ではないでしょうか。おのれの自制心や克己心の乏しさ故に失敗を犯し現実に背を向けてしまう人達の弱さなら簡単に批判できても、なまじ能力や魅力に恵まれている人達がまさにその能力や魅力ゆえに自身の欠陥と向き合うことがない、もしくは向き合わなくて済むように「正しさへ」「現実へ」逃避できてしまうものなのだとは思いも寄らないのではないでしょうか。それこそアガサ・クリスティのような人、およびそういう人が創りあげたこうした作品に触れた人間では無い限り…。 そして、このような逃避や欺瞞に陥りがちなのは決して(一部の、ある種の)女性だけではないということは、終盤近く、一見ストーリーとは脈絡無く唐突に登場するロシアの公爵夫人によってより明らかになります。この夫人はドイツによって引き起こされる大戦(※この作品が出版されたのは1944年)とその顛末を予言し、主人公はそれを信じず直ちに否定するのですが、どちらが正しかったのかは現在の私たちは知っています。この当時にドイツ帝国を支配したナチスは、まさに「心身共に美しく健全で、有能で、勤勉で、おのれの義務に忠実で、愛情と自負に満ちた」、まさにジョーン・スカダモアのような人々によって主に形作られ、支持されていたのですから。 こうした鋭く、恐ろしくかつ厳しいテーマをこれ以上無いほど容赦なく描ききりながらも、秀逸なサイコサスペンスでありながら一級のホームドラマ、そして哀切な恋愛小説であり、そしてやはり最上のミステリーとして仕上げてみせたクリスティの力量にはただただ敬服あるのみです。 | ||||
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人間が隠している本当の感情、それに気付く過程、環境を的確に表現している作品です。素晴らしい作品ですが、個人的にはアガサクリスティーの推理ものが好きなので少し物足りなく感じました。個人的な好みを抜かせば素晴らしい作品です。 | ||||
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学生の頃は理解できなかったので読み返す為に購入しました!!アガサ・クリスティーの中で一番好きな作品です!! | ||||
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アガサクリスティーと言えばミステリーですが、 この作品では人は死にません。 事件も起きません。 ミステリーでもチラチラ垣間見える、 登場人物の心の機微がこの作品では存分に楽しめます。 文章が美しいので、思ったよりずっと楽しめました。 | ||||
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思春期の頃、栗本薫さんの書評が乗った帯に釣られて買いました。衝撃的でした。そして、今、時を経て読み返してみれば、主人公に寄り添う自分がいました。人はみな、自分が見たいものを見、聞きたいことを聞く。それが真実であろうとなかろうと。自分自身を見詰め直すチャンスを得てそれを知ったとき、今までの自分を変えるのは本当に難しい。私は変われるだろうか。変わりたいのだろうか。これからもこの本を胸に自問自答することでしょう。一生ものです。 | ||||
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純然たるミステリーではないのですが、主人公ジョーンが自分で自分は何者なのかという謎を推理するという意味では、一種の推理小説と言えなくもない小説です。 ですから、ネタバレになりかねないので、詳しくは書けません。 とにかく哀しい小説。 | ||||
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この訳ではなく、ミステリーロマンスから出ている『オリエントから愛をこめて』(どうしてこんなタイトルになったんだ!?)と原文で読んだことを最初にお断りしておく。 それでもレビューを書きたくなったのは、ロドニー派がだいぶ少ないからだ。 主人公ジョーンと自分を重ねてみるのならば、確かに残酷な男に見えるかもしれないが、私は自分をロドニーと重ねて読んだ。 ジョーンのような人たちと、何度も何度も分かり合おうと、真実に目を開かせようとしてきたが、結局、彼女(たち)は別の世界の存在なのである。 どうしても理解しあえない相手と、関係を解消できなくなってしまったとき、できることは諦念を持って出来る限り日々をやり過ごしていくことではないだろうか。 真実に目を向けさせようとすることは不毛で、お互いを傷つけるだけで、日常の中では絶対に成功しない試みなのである。(Only saints can do.とあるように) もう一点、ロドニーを擁護しておくと、彼は子どもたちに対してはいい父親だと思う。 | ||||
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ロドニーがジョーンに真実を言わなかったのは、女の武器をもって人生を潰された事への復讐だとしたら! | ||||
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すぐに読める本かと思ったら、とんでもない、なかなか読めなかったのは、言葉一つ一つにアガサクリスティの心理分析が 入っていたからだと思う。ついに原文まで読みたくなって、買ってしまった。クリスティの推理作家ではない、ほんとうの 作家の本物の作品だと思った。 | ||||
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稀代の読書家・松岡正剛の愛弟子・大音美弥子がサイト「ほんばこや」の「いろは本箱」に『春にして君を離れ』の書評を寄せていると知り、以前、強い印象を受けた本書を無性に読み直したくなってしまった。 『春にして君を離れ』(アガサ・クリスティー著、中村妙子訳、ハヤカワ文庫)は、数々のミステリで知られるアガサ・クリスティーの数少ないミステリでない作品の一つである。 ヒロインのジョーン・スカダモアは、成人した3人の子の母であるが、夫・ロドニーの目には「物事に打ちこみ、万事をてきぱきとかたづける有能さ。首筋の線の若々しさ。皺一つない美しい顔。快活で、自身にみち、愛情に輝いている」と映っている。 ジョーンは、バグダードに住む末娘を見舞うため、周囲の反対を押し切って英国を旅立つ。この6週間の旅行中に、彼女は心を激しく揺さぶられるような経験をする。本書の終盤は、この経験の息詰まるような描写の連続で、本当に息苦しさを覚えるほどだ。そして、最終段階に至って、読者は強烈な逆転パンチを食らうことになる。このストーリー展開の巧みさは、さすが、「ミステリの女王」と呼ばれたクリスティーだけのことはある。 ジョーンの前に登場するのが、ジョーンとは何もかも正反対のレスリー・シャーストンという女性である。「後ろめたげな目ざしの前科者の夫をもったレスリー――酒に溺れている夫との貧しい生活、病気、そして死。・・・レスリーはちっともみじめでなんかなかった。沼地でも、耕地でも、川の中でも、構わず歩いて目的地に到達しようと心を決めている人のように、幻滅にも貧乏にもめげずに、彼女は歩んだ。快活に、もどかしげに・・・」、「彼は改めて彼女の勇気に感嘆したのだった。それは自分のための勇気以上のもの、愛する者のための勇気であった」。 私がこの作品から強い印象を受けたのは、3つの理由による。 第1は、愛とは何か、夫婦とは何か、勇気とは何かが、厳しく追求されていること。 第2は、価値観を共有するとはどういうことかが、具体的に語られていること。 第3は、人間が真に変化するとはどういうことがが、クリスティーの冷めた目で捉えられていること。 「あの日、アシェルダウンで彼女と10月の太陽を浴びながら一緒に――しかしひどく離れて坐っていたとき。あの苦悩、そして狂おしいまでの憧れ。二人の間には4フィートの距離があった。それ以上近づくことを恐れたからだった。・・・二人の間の空間は、憧れの火花に満ちみちていた」――本書の中で、私の一番好きな箇所である。 | ||||
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普段、小説は読まない。途中で飽きてしまってそのまま・・・になる私が、人に薦められてしぶしぶ読み進めていくうち・・どんどん引き込まれ、一気に読み終えてしまった。 読み終えた後、しばし呆然としてしまった。わたしも・・・という怖さもあってか。 人は自分のことは見えない。 人を愛すると言うこと、本当の幸せとは何か、とても考えさせられる一冊だった。 アガサ・クリスティーは万人に共通する人の心の奥深さや、動きを観る才能に優れていたと思う。 何十年も前に書かれたものではあるが、不朽の名作であることは間違いないと思う。 | ||||
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アガサ・クリスティーが、「アガサ・クリスティー」という名前ではない他の名前で出版した6冊の本の中の1冊。 アサガ・クリスティーと言えば、推理小説なのだが、これは推理小説ではないから、犯人も何もでて来ない。 この本、どんなジャンルかと言われたら凄く難しい。 ただ、最後は背筋がぞっとする。 この主人公を自分に置き換えて読んでみた時、果たして自分はこの主人公と同じなのか、違うのか…。 同じであったら救われない…。 しかし、多かれ少なかれ、この主人公と同じ部分を誰でも持ち合わせているのだろうとは思う。 ★4つというのは「もう1度読んでみたい」という意味なので、これはそうとうレベルが高いです。 万人が読んで面白い本だと思います。 お薦め! | ||||
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1ヶ月の米国旅行から戻って、読みかけだったこの本を再び手にとって読み始めた.。英国の中流家庭の婦人ジョーンがバクダットにいる娘の介護を終えて英国へに戻る途中、予期せ災害で砂漠の真ん中の鉄道宿泊所に数日滞在せざるを得なくなったところから物語は始まる。いつ来るかも分からない列車を待ちつつ、無為な時間を過ごすうちに、自分の来し方に思いを巡らせる。独白のように子育てのこと、夫の仕事、夫が好意を感じていた知り合いの女性のことなどが語られていく。眩しいほどの太陽のもと、考えれば考えるほど答えが見つからない主人公の苛立ちと子供達や、優しく働き者だが困難な事や決断を避け気味の夫。こういうシチュエーションは多かれ少なかれ誰の身にも覚えがあることだろう。日常に埋没していると、自分自身の事を深く考える事はあまりないが、ひとりの時間が不意に訪ずれたら否応なく向き合わざるを得ないが、それは、かなり難儀な事だ。 今回の旅行でアリゾナの砂漠気候の中で数週間暮らし、肌がヒリヒリする程の熱気と乾燥を経験し、主人公の気持ちを自分の事のように追体験できた。自分自身についても考える事が多く、強く印象に残った本だった。良き人とは「自分のためではなく、他人に手を差し伸べられる人」と言われるが、自分の価値観の下に行動する事の弊害と言った事も起こり得るしとこの本を読んで感じ、いよいよ複雑だな〜と、迷路に入り込んでしまった感覚に捉われている。 | ||||
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母・妻・職業婦人(ときどき)ですが、54歳にしてこの本に出会いました。 初めは「ああ、またとてつもなく、おもしろい本に出会った」と勿体なく、惜しみ惜しみの気持ちで味わっていたのですが、次第に、あまりにも「うち当たる」(=沖縄方言で、「自分自身の問題と重なりあって他人事でなくなってしまうどちらかというと否定的感情を味わう」の意)ので、苦しくなって、休み休み読み進めました。結局、頭と心を休憩させながらも、そして、身を切られる思いをしながら、最後まで読むしかありませんでした。一度読んだだけでも、たくさんのことを学びましたが、これからも、何度も読み返し、新しいことを学ぶに違いないという予感がします。こどもを育てるということの底の深さが今は、一番印象に残っています。少しだけ、世の中を、もっと敬意と保留と謙遜の態度を持って見ることができるような気がします。生きているうちにこの本に出会えてよかったと思います。 | ||||
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普通の小説と評されていますが、心の内に沸いた疑問・違和感を追って行き 遂には真相に至るという展開はミステリーと言って良いでしょう。 そこはやはりクリスティです。 しかしながらその内容はと言うと、私にはそれほど優れたものには思えませんでした。 誰かのレビューに「人間と言うものを見事に喝破した作品」の様な事が書かれてましたが、「それほどか?」と言うのが正直な感想です。 「人間に対する観察」という意味で言えばミス・マープルのシリーズの方が遥かに人間について教えてくれます。ただ、こちらは部分部分で直接的でない表現で示唆される形なので分からない人には分からないのかも知れませんが。 ポワロやマープルに慣れ親しんだ身にとっては、この作品はちょっと鈍くさい感じがします。何も改まって言わなくても分かってますけど?という感じでしょうか。 しかしこうした作品でクリスティが広まるならこんなに素晴らしい事はありません。 この作品が教えてくれる「気付き」は「ミステリ」の根幹そのものです。 事件があるからミステリなのではありません。 そしてその「気付き」は視界を開き、あらゆる事を教えてくれます。 クリスティが読まれ続けている理由がそこにあります。 この作品にとどまらず、他の作品にも手を伸ばして頂ければと思います。 | ||||
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年を経るごとに変わり行く夫婦の心、そして元来持っている気性はかわるのか? 理想の夫婦を目指して、夫のステイタスや経済面、子供の将来まで自分が計画してきた妻、現実的な事に追われて人の感情面をおろそかにしてきた時、彼女に何が起こり、そして結末は? 真実に悩んだ事のある人にお薦めしたい。彼女の旧友のように生きたい?彼女のように生きたい?女性としてどう生きたいか? 難しく考えもできるし、蜃気楼とも読める。やはり、アガサは好き。 | ||||
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怖いですねぇ 何が怖いかって、夫のエピローグです 主人公である妻の話でありますから、 当然妻の行く末ばかりに気を取られているわけではありますが… 弁護士として「有能」な夫に陪審員(読み手)の私はすっかり… あぁ〜 プアgebara そんな夫の声が聞こえてきます クリスティーの凄さがわかりました ぜひご一読を | ||||
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