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春にして君を離れ
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春にして君を離れの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.48pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全221件 181~200 10/12ページ
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書評でアガサクリスティーらしくないが面白いとあったので早速読みました。大変面白くて、夫を大変愛していて自分は賢く素敵な主婦だと少しでも思っている方・愛する夫が些か物足りないのではと疑問に思っているあなた、是非この本を読んでみてください。目からうろこです。ひょっとしてクリスティの自虐的な体験告白ではないかと思っています。間違えない夫選びの参考にはなりませんが、結婚生活の正しい過ごし方には些か参考になると思います。 幸せな結婚生活を過ごしている方には、まったくチンプンカンで面白くありません。 | ||||
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この小説を読むと、生きている自分という人間が一体どういう人間なのかがわからないひとや、まわりからどう自分は見えているのかがわからないひとは、もしかしたら哀れで孤独であり、愚かな人間なのかもしれない。そう思えてくる。また、自分はどうなのだろう。自分は果たして日頃賢く振舞っているのだろうか。自分が考えている自分と、まわりからみえている自分とは同じ評価なのだろうか。まさか、もしかしたら・・・。この本を読むにつれ、読者はそのように考えてしまう。つまりこの小説は、現代人が陥りやすい不安と恐怖=社会のなかでの孤独と疎外感を見事に表現しているのだ。(特に人間関係にナーバスになりやすい日本人にとってこの本はセンシティブに感じやすいだろう。)現代では家族関係すら希薄になっておりそれがもはや当たり前のニュースにもなっているが、アガサ・クリスティは、有名作家になって上流社会の仲間入りをしたり、夫との関係も安定しなかったことから、いち早くこうした孤独や不安と戦っていたに違いない。しかもクリスティのすごいところは、自己憐憫に陥いりながら、そこから抜け出したことである。自分を冷徹に観察し、人間に共通する悩みと苦しみにまで昇華させあまねく表現したところがこの本がいまでも読み続けられるゆえんだと思う。 | ||||
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第二次世界大戦を目前に控えたイギリス人主婦の、ミドルエイジクライシスが本書の軸となっています。 文字通り、絵に描いたような良妻賢母の役をこなすことで、人生の難しさから逃れ続けてきた主人公ジョーン。 自分の人生の傍観者として、具体的に人生と向き合ってこなかった夫ロドニー。 それぞれに別々の方法で人生と折り合いを付けてきた三人の子供達。 イギリスから遠く離れた旅先で、ひょんなことから得た内省の時間を活かし、 ジョーンは自分自身、自分を取り巻く世界と正面から向き合うことができるのか? クリスティー本にしては珍しく殺人事件ではない、と見せかけつつ、 自分の人生の殺人者は自分自身だったのかもしれない、という空恐ろしい物語です。 クリスティーとほぼ近い世代を生きた、アン・モロウ・リンドバーグが、 「海からの贈り物」で、やすやすと内省を行っているのとはあまりに対照的。 ジョーンの一家がどんな結末を迎えるのか、是非読んで確かめて下さい。 文句なしのおすすめです。☆5つ。 | ||||
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女性の視点で描かれた 人生の回顧録、とでも言える作品です。 主人公である彼女は 旅行へと出かけるのですが そこでさまざまな記憶が彼女の 感情を揺さぶるのです。 そう、自分の人生は どうにでもなるけど 他人の人生は自分がどうこう言おうが 必ずしも変わるとは変わらないということ。 それは彼女が彼女の長女のある事実を 知ったときによくわかることでしょう。 あの状況下では 頭ごなしに悪いといっても 通用しないものなのです。 その点主人公である彼女は 利口過ぎて彼女の長女に 深い傷を与えてしまいましたね。 そう、あの事件は扱うのが難しいのです。 そして成長していくにつれ 彼女の思い通りには 子供は動いてくれはしないということ、 そして彼女の夫にも… この本を読むと ある意味自分の行き方に自信が もてなくなってしまうかもしれません。 かなり人生の核となる 部分を扱っていますからね。 でもその部分をわかって、 悔いることは重要なのですから。 人って誰しもこういうことは あるのです…人である以上。 ロマンスものだけど、 非常に心洗われる1冊でした。 | ||||
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色々な本を読み漁ると、途中でふとアガサを読みたくなる。 検索すると、あまりにも評判が良いので 興味を持ち、取り寄せてみた。 この本は、ポアロもミス・マープルも出てこない。 出版当時は、アガサの名前ではなく メアリ・ウェストマコット名で出されたというのに アガサの意図を感じる。 殺人自体が起こらない。 普通の主婦の、ある意味回想録的な部分が多い。 なのに、怖い。 何故って、殺人事件など そうそう日常的にある訳ではなく 他人事のように、傍観者でいられる。 それに比べて、この本は 否応なしに主人公と同じ目線で 自分を見つめ直させられるからだ。 自分を見つめることなど、人生においてそう度々あるものじゃない。 日々に追われ、時間に追われ…そうして年月が経って行く。 後半部分、ジョーンが自分のことを知り、認め、夫に対して 謝りたいと、ひたすら願う気持ちは感動すら覚えた。 なのに…。結局、人はそう簡単に変われるものじゃない。 最後のロドニーの言葉が、自分自身にも棘が刺さる。 この最後の一言には、読み終わった後もしつこく余韻が残る。 今更ながら、アガサ・クリスティーは天才だと思う。 | ||||
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子どもの頃の、残酷なおとぎ話を読んでいるかのようでした。 ラストの救いようのなさが悲しくて、涙を流しながら 不思議なカタルシスを体験したような気がします。 帰りの車内で出会った「悟りの人」サーシャが言うように 幼い頃から家庭を知り、大人になり結婚した私達にとって これは、どこにも誰にでも落ちている話なのかもしれない。 きっと、普遍的な経験で、痛みなのだろう。 そして、それは誰にとっても孤独な体験なのだろう。 「自分を知ってしまうこと」。 「発見した自分が、他人と向き合ってしまうこと」。 愚かな自分を、夫からさえも優しさという名の無関心で 見過ごされていた主人公。今の自分とピッタリ重なりました。 ジョーンという人は、結果的に自分にとっても他人にとっても 「主人公」にはなれなかった。自分が傍観者的であったばかりに。 人はそう簡単に変われない。よね・・・・・。 でもバグダッドの空気が太陽が、彼女に変化を促していた。 帰りの席で同じくした貴婦人が、きっと貴女は変われない、 と警告を発してくれた。チャンスはあったのに・・・。 人生の岐路で、ふと立ち止まって自分を振り返ったとき 過去や現在の事実を直視できるか、そうして変われるか? それがあまりに不条理な事実だとしても? 「きっと、太陽のせいだわ」と白日にさらされた事実を 妄想として切り捨てようとするあたりが カミュ「異邦人」の不条理文学に似てると思いました。 時代的に、戦争(第二次大戦)の予感が生々しいです。 都合の悪いことは排除したり見て見ぬフリをする、 ジョーンが戦争をそのように呑気に捉えている下りも象徴的です。 (ナチスをあながち悪くないみたい、と言ってみたり) この小説の問題提起は、ほんとうに万華鏡のようです。 一人の女性の生き方、夫婦のあり方、親子関係とはなにか、 人類愛とは?より深い孤独とは?人間とは、人生とは・・・ 今回は初見でしたが、この本のどこを読んで 涙を流したのか、よく覚えておきたいと思います。 | ||||
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あるTV番組で、この小説が紹介されていて、内容に興味があったが、自分自身と向き合うようで、ある意味怖れていた。 結婚25周年をまもなく迎えようとしている、主婦ジョーン。彼女が娘の家での滞在後の帰り、砂漠の町で足止めをくらい、自分の人生を振り返る一人の時間をもつ。 ジョーンの回想から、今まで、妻として母として、完璧で幸せであったという自己満足が、崩れていく。「自分がいたから、夫も子供達も幸せで上手くやってきた」と思っていたジョーン。だが、徐々に想いを巡らせていくその様子が、実にリアルであり、残酷で哀しい。使用人にも、文句は言うが、褒めたことがなかった女。 彼女は、自分以外の人間の気持ちを慮ったことなどなかった。 孤独を知った人間は絶望の淵に落とされる。 「家庭内の主婦は、ある意味、専制君主だ」という言葉を思い出した。真実を突いた言葉であり、その専制君主は、自分にとって不都合なことには、目をつぶり、気付かふりをする。夫や子供が異論を唱えれば、「こんなに自分はあなたの事を思っているのに」と、切り返す。 ラストも実にリアリティがあった。気付かぬふり、馬鹿なふり、可愛そうなふりをする・・これこそが自分自身を守る手段であることを知っている。これこそ、「女」なのだ。また、夫のロドニーも「男」のずるさ、優しさの中の残酷さがある。 夫も妻も、「人生をやり直す」ことも「真実をあぶりだす」ことさえ、気力もないのだ。 別れやいさかいは、非常にエネルギーを必要とするもの。そんな時代や年代はとっくに過ぎた中年夫婦の姿が現実。情熱的なドラマを求めたりするのは、若いうちの特権かもしれない。 A・クリスティが「女」と「男」が陥りやすい本質を、残酷な切り口で見事に描いた傑作だと思った。 | ||||
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僕はこの物語を読むのにすごく時間がかかった。 出てくる登場人物が繊細に描写されているからそれぞれの気持ちが理解できて逆に苦しいということもあるし、主人公ジョーンの言動一つ一つに「こいつはなんて利己的な考え方をするやつなんだ」という嫌悪感が生まれたからだ。 また僕はこの本を読んだ後、ジョーンの夫であるロドニーに対する同情心が最も強く残った。自分の置かれている状況が望んでいるものではないと気付きながらも『優しさ』という仮面を捨てきれず、しがらみから脱することの出来ないもどかしさ(本人はそれを認めようとはしていないが)に少なからず共感する部分があったからだ。 しかし、終りにある解説で栗本薫はロドニーを「いやなやつ」という捉え方をしている。この事からもわかるようにこの本を読み終わった後に残る感情は人によって様々だろう。もしかしたら何も感じない人もいるのかもしれない。 この本は読んだ後に他人と感じたことを共有したくなる本だと思う。 僕はロドニーみたいな人生を過ごしたくはない。 | ||||
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メアリ・ウェストマコット名で書かれた小説は、どれも面白い。 メアリ・ウェストマコット名で書かれた小説は、どれにもアガサクリスティの性格を持った人が登場する。 本書では、主人公は、アガサクリスティその人のようだ。 イギリスの女性で、表向きには個人的なことを話さない。 ある理想的な幸せは、危険が少ない、確実な生き方。 夫や子供は、こうあるべきという建前で生きている。 きっと、主人公は、ある年代までのアガサクリスティそのものなのだろう。 アガサクリスティは、主人公のような生き方は、最終的にはしなかったようだ。 外国旅行で、ひとりぼっちになり、自分の生き方に疑問を持ったというのは同じかもしれない。 家に帰ったら、夫に謝ろうとしていた主人公。 しかし、本書を読み進むうちに、最後にイギリスに帰ったら、きっと主人公は、また元に戻るだろうという予感がしていた。 アガサクリスティは、脱皮したが、本書の主人公は脱皮しなかった。 本書の主人公は、自分の家に戻ったら、また、元の誤らない妻に戻ってしまった。 アガサクリスティと主人公では結末が違う。 それが、アガサクリスティの言いたかったことなのではないだろうか。 アガサクリスティの本で、はじめて、文学と言える作品に出会ったと思った。 メアリ・ウェストマコット名で書かれた小説は、本当の意味での文学だと思った。 ps. 本文を読み終えて、栗本薫の解説を読んで、また驚いた。 栗本薫も、アガサクリスティに同感するところがあったらしい。 栗本薫の本の本文はほとんど読んだことがないが、栗本薫の本の、著者のあとがきはかなり読んで、あとがきのファンになっている。 こんなに分かりやすい文章を書く人をほかに知らない。 アガサクリスティもきっとそんな分かりやすい人なのかもしれないと思った。 イギリスと日本の文学者の間に、極東と極西の島国に、さんぜんと輝く文学者の姿。 解説を読み終え、ひさびさに読んでよかった本に出合えた気がしました。 誰がなんといっても、アガサクリスティのBest1です。 | ||||
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たとえ些末事でも忙しなくうちこんでいられる時にはけっして気づかないもの。だが本書のヒロインのように急なトラブルのために文明の利便さ とかけ離れた沙漠の真ん中にとりのこされれば否が応でも自分の現状に疑問符が浮かぶのではないだろうか? ただ事実として、本書を読んだ感想に恐いや哀しいなどのセリフが上がるが、本当にそうか?そう思っていいのか?結局の所、これは単なる事実 だよな。あまりに平凡で非個性な事実。 ただ、その事実にぶち当たっときに人がとる行動は良くも悪くも三種類しかなく、嘯いて認めないか、ただなるようにしかならんと開き直るか、 認めたうえで事実を紛れもない真実に変えようとするか...だ。。 この一冊の教訓が最後の項目にあるのは明らかで、《変える》ではなく《変えよう》とするかだよな。それは《認める》じゃなく《認めよう》 と努力できるかにかかってる。ひどくとりとめないが、それだけ訴えかける内容が抽象的だ。単純だからこそ抽象的。 個人的な解釈ですが、フレキシブルすぎて主体性がないようにみられる人は共有できる価値があって没頭できるのではと。そんな方にお奨め。 | ||||
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それ程多くアガサ・クリスティを読んでいる訳ではないが、それでも、この話は彼女の著作の中では最も恐ろしい話ではないかと思う。 血は流れない。猟奇的ではない。 けれど、即物的な痛みよりも、もっと恐ろしい痛みがこの中には描かれている。 タイトルは美しいながらも、とても悲しく恐ろしい物語だ。 | ||||
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タイトル「春にして君を離れ」に惹かれ、 いくつかのレビューを参考に開いた本。 まぁ、ムズカシイネ。 読む人によって、読むときによって いろいろと考えるだろうなぁ、って感想。 あっちへヨロ、こっちへヨロヨロ。 倒れそうで、倒れなくて。 座り込んでも、起き上がり。 また歩き出す。 何か酔っ払いのようですが、一瞬一瞬は正気で。 そんな私でも面白く読めました。 | ||||
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過去のある部分をふと思い返しては何かに気づき、ふと現実に戻り、また別の時を振りかえっては新しい何かに気づく。その真実に近づいていく過程が巧いです。 主人公は自己中心的で身勝手、前向きすぎな人物。 けれども反省するシーンがあるからか、それほど嫌な人とは思わなかったです。 人を憐れんでいる所はさすがに嫌味ですが…… 問題は、いろいろな場面で人間関係が上手くいってないことを示すサインが出ているのに、見て見ぬ振りをしているところ。 けれども、砂漠で一人考え、今まで自分が得ている情報だけで「周りから見た自分」と「自分と周りの関係」、さらには「夫の秘密」にまで思い到ることができたのだから、本当は鈍くもなく、やろうと思えば客観的に物事が見れる人なんですね。 結局非日常の場所で考えた為に、日常の場所に戻った時には…… 夫は何か嫌な人間です。唯々諾々といいなりになるばかりで、一番身近な人物なのにきちんと向き合わないまま二十数年。しかも心のなかでは主人公を疎んで憐れんでいるのがどうも…… | ||||
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この作品(『春にして君を離れ』)は、作者アガサ・クリスティーの実体験に基づいた告白小説なのではないか?三十代半ばを過ぎて離婚を経験した作者が、ミステリー作家として成功しながら、五十歳を過ぎて夫婦や家族に纏わる問題に悩んだ半生を顧みて心理ミステリーに手を染めたとしても不思議はない。 お馴染みの名探偵(ポアロやミス・マープル)が登場せず、謎めいた殺人事件も起こらない内省的な人間関係ミステリーにも関わらず、読者の混乱を慮ってわざわざ違う筆名(メアリー・ウェストマコット名義)で発表するという周到さも手伝って、却ってミステリー仕立ての恋愛小説として第一級の心理サスペンスの面白さで読者を圧倒する。 砂漠の駅で足止めを喰らった中年女性スカダモア夫人が奇しくも向き合うことになったのは、「こうあって欲しいと思うようなことを信じて、真実に直面する苦しみを避ける方が、ずっと楽だった」自分自身であった。 予期せず再会した女学校時代の友人の落魄ぶりに優越感混じりの憐憫しか感じなかった己の浅墓さ。遠い異国の地で末娘が病気に罹ったのも母親である自分の愛情の欠如が原因だった。話し相手のいない孤独な静寂さの中で、スカダモア夫人ジョーンは見栄っ張りな自分の愚かさを噛み締め、家族に対する無理解、現実逃避の生き方を思い知らされる。 誰もが主人公ジョーンのように、自分に都合よく解釈しながら人生を生きているのかも知れない。だから、本作はそん所そこらのミステリー小説よりも恐ろしく怖い。推理小説の殺人犯ならば特別な利益や怨恨、愛憎の動機を持った人物に絞り込まれるだろうが、本作では万人に代替が利く人間存在そのものを根源的に問うているため、哀しみと恐怖の反芻が生半可では済まない。 成瀬巳喜男の「浮雲」で描かれた腐れ縁の男女の機微が判るようになり、小津安二郎の「東京物語」や黒澤明の「生きる」に身を詰まされる年齢になって本作のような凄い小説を読むと、夫婦や親子であっても擦れ違いが生ずる人間の不思議さ、危うさを痛感させられる。 | ||||
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アガサの推理小説はポアロも、ミス・マープルもそれ以外も読んできた私だが、この作品は「怖い」殺人事件があるわけでない。しかし、子育ての終わった3人の子の母が5日間、砂漠のど真ん中の駅の宿舎で足止めを受けた偶然のために、明らかになっていく「恐るべき家族の虚像」愛とは何か?恐るべき勘違いではないか?平穏無事と思っていた人生がリアルタイムで「全然平穏無事」でなかったことが明らかになる。気が付いた夫人はイギリスに帰って、どうするか?長女に会い、夫に会う。砂漠で気づいた自分か?元の自分か?どっちを選んだのか?その結果、妻はどうなり、夫はどうなるのか?家族は? 最後の最後までハラハラで読みました。 砂漠での半ば自殺未遂のような放浪までした妻の取った最後の態度とは? 世の古今東西を問わず、普遍的な問題だったと思う。 臨場感があって「怖い」、そして極めて現代的な問題を扱っている。読んだものすべてが、何らかの感想を「持たざるを得ない作品」であるところがすごい。 アガサをただの推理小説作家を思っていた私が浅はかだった。 この作品に引き込まれていくのは「そして誰もいなくなった」以上だ。 読めばわかると思う。表紙の絵もなかなかいいと思う。 アガサの最高傑作だと思う。「アクロイド殺し」よりすごい作品だ。出あえてよかった。 | ||||
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ポアロやマープルのシリーズをある程度読んだ後に手にした作品でした。 ミステリーじゃないので迷ったのですが、思わせぶりなタイトルに惹かれ。 最初は波がなく退屈そのもので「失敗したなぁ」と思ったのですが、 半分を過ぎるあたりからは一気読みでした。 身近な筈の家族が、実は深く恐ろしい葛藤と欺瞞を生む温床になるとは…。 人間なので熱しも冷めもしますが、 その残酷さを実に美しく完璧な形で読まされた、という感じです。 “彼”の最後の言葉――凍りつきます。 | ||||
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毒親の話。毒親が自分を見つける話。ときいて 「それはさぞや胸がスカッとするだろう」 と読み始めました。 しかし、いやぁ、深い。 「親の価値観」を「あなたのため」だからと押し付けてくる親。 「ああ、いるよねー」「うちの親もこれあるある」と読んでいましたが …これは、自分のことなのかもしれない。 今はそうではないかもしれないけれども将来そうなるかもしれないのでは ないか?夫に、友人に、実はこんな迷惑をかけたりしてるのでは ないか? 深く自省することを「うつっぽい」と表現し、そういった 自分にとっては気持ちよくないテーマから逃げていたことを反省した。 今はこの小説をまだ受け止めることができた。 でも10年後、20年後、いつか「この主人公がどうしてみんなに憐れまれているのか わからないわ」と思うときが来るかもしれない。 その時、私は主人公と同じ状態になっているのだ。 自分の状態を判断するために、この本は本棚に入れておこう。 同じ本は2回読まないが、この本は何度も読みたい。いや、読みたくなくても 読まなくてはいけない、と思った。 子供はまだ小さいわ、とか 子供どころか独身ですけど?という あなたももしかして「友達から」クスっと笑われてることがあるのかも しれないですよ。怖い怖い話でした。 | ||||
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本書の話を女性特有のものとして扱って欲しくはない。 男だって、来し方を振り返るときは多い。 でも、こういう振り返り方って、ちょっと欝っぽい。 もし自分がこういう風になったら病院いくかも。 怖い本だと、私は思う。 小説としてのひとつの完成形を見たような気がする。 | ||||
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人を愛するということは その人の人生をも左右すること? 幸せの価値は人それぞれ。 あの人 気の毒だなーと思っても その人にとっては幸せだったりする。 相手に良かれと起こした行動も 疎まれきらわれたりする。 いつの時代も 難しい問題です。 考えさせられる 作品です。 | ||||
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愛する人のために何かをしてあげて、 そして実際に喜んでもらえた、という経験は、 誇らしい記憶として何度も呼び起こされるものです。 でも、愛する人は、うわべで笑っていただけだったのかもしれない。 あの人のようにだけは、なりたくない。 そういう哀れみの目で見下していた人間よりも、 自分のほうが嫌われ者だったりするのかもしれない。 でも、これまでの生き方を変えるほどの、転機ってあるだろうか。 どの登場人物も人格は不完全で、人間臭く、 それぞれの中の正しさを貫き、そしてお互いがすれ違います。 もやもやと決着のつかない雰囲気が、現実味を帯びて迫ってきます。 内面の叫びを描いた作品なのに、視覚の描写がとても具体的。 退廃的な絶望があっけなく克服されると同時に、 虚構めいた希望は見事に砕け散ってしまう。 人は、自分の心の範囲でしか世界を解釈できないという事実が、 そよ風に乗って吹き付けてくるような、そんな感じがしました。 | ||||
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