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春にして君を離れ
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春にして君を離れの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.48pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全221件 81~100 5/12ページ
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表面に見えている部分が真実だと疑わない。テレビの言うことや、新聞の書くこと、政府の言い分、いわゆる常識、これを信じていたら戦争に突入したり、気候変動が起きたりする。この小説こそ現代の常識がコロコロ覆っている我々が読むべきではないか、そんな風に思う。多分こんな主人公の様な人、世の中の殆どの人は死んだ時に全てを気づいてそして去っていくのだろう。 | ||||
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翻訳は、もう少し現代風にしてもいいのではないかと思います。 ネタバレです。 一番不幸なのは、間違いなく夫のロドニーですね。「休暇もついに終わりか」の一言に尽きます。 「かわいそうなジョーン」という自分を棚に上げ、上から目線の発言。 かわいそうなロドニー。 こんな男にはなりたくない。 | ||||
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既婚男性にぜひ読んでいただきたい。あなたの奥さんは主人公よりいい奥さんだろうか。 | ||||
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個人的にアガサクリスティの代表作(オリエント急行殺人事件、ABC殺人事件、アクロイド殺し等) は読んでいたのですが、この作品は恥ずかしながら未読でした。 評判が高かったので読み始めたところ、翻訳は非常にすばらしく読みやすい文章ではあるのですが、 読み進めるうちに次第に不穏な雰囲気があらわになってきて「どう考えてもハッピーエンドで終わらないだろ」 という不吉な予感しか感じられず、読み進めるのに非常に時間がかかりました。 終盤で明らかになる真相に(というか、主人公が真相に気がつく瞬間に)明らかなカタルシスはあるのですが、 その後の展開が、もうなんと言って良いのか分からないような重苦しい展開となり、 最後は主人公の旦那さんの重い独白で終わるという構成。 読んだ人は共感してくれると思うのだけど最後の一文を読んだ瞬間に、なんとも言えない気持ちに包まれました。 自分の人生に当てはめてみても、果たして主人公のような振る舞いをしてないか、と考え込んでしまいました。 この小説は殺人事件は無いですし、厳密な意味では推理小説ではないのかも知れないけれども、 アガサクリスティが残したものすごい名作だ、と個人的には思いました。 希有な読書体験をしたい人にオススメな1冊ですね。 | ||||
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いわゆるキリスト教圏ではない日本では馴染みのない「回心=悔い改め」ですが、キリスト教の基本であり最高の美徳でもあります。 自分の愚かさや無力さ、罪深さを実感し、自分が「塵から作られ塵に還る」ただそれだけの虚しい存在であることを認める絶望。 しかしそのような自分のためにも、キリストは命を捨ててくださった、キリストの犠牲によって神との和解が成立したことを受け入れ「生まれ変わる」のがクリスチャンです。 けれども人の心には防衛機制があり、正当化したり忘れたり都合のいい記憶に塗り替えたりしてしまいます。人間には完全な悔い改めというのは、不可能なことなのでしょう。 クリスティーはクリスマスをテーマにキリスト教を皮肉る内容の短編集も書いているので、この小説はもしかしたら、そこまでの「悔い改め」が本当に人間に可能なのか。あるいは「かわいそうなジョーン」には永遠に救いは訪れないのか。というキリスト教の「救い」への問いのようなテーマかもしれません。 この小説の「ジョーン」という語り手は、わかりやすく独善的で、自分を直視できない臆病者として描かれているのでつい「こういう人いるよね」と他人事として 「問題のある誰かさん」と重ねて読んでしまいがちですが、そうやって読んでいる自分こそが、ジョーンと似た状態に陥っているのだと思います。 「いくらなんでもジョーンほど愚かではない、私はもうちょっと人の気持ちに気づけるわ」 あるいは母親としてのジョーンに対して 「ウチも似たような面があるのかな…いや、でもウチは結局、最後は子どものが我を通したこともあるもの。やっぱりジョーンの家庭ほどの問題はない」 こういう読み手は、ジョーンが「私がブランチのようでないことを感謝します」と祈ったのと同じ場所にいるのです。「ジョーンのような鈍い性格でなくてよかった」と。 ちなみに「私が〜のような罪人でなくて感謝します」という祈りは、罪を嘆き、神の哀れみを請う祈りを捧げる罪びとの祈りとの対比で、聖書に記されている有名なエピソードです。「〜さんのような罪を犯していないことを感謝します」という祈りは誤りであり、罪人の祈りこそ神は求めておられる、という教訓として。 | ||||
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登場人物の心理や描写、観察力のある筆が素敵です。こういう作品も書かれていたのですね。 | ||||
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究極の推理小説とはどういうものかというと、その候補の一つは、小説ではないが、紀元前に書かれたギリシャ悲劇が原型を示しているかも知れない。アリストテレス「詩学」が簡便にまとめたように、ここでの物語は「発見」とそれによる「急展開」を中核とする。そして、さらにその中の典型としてはソフォクレス「オィディプス王」が挙げられる。「自分」を発見することで、急転直下破滅へと至る男が主人公で、これがつまりは推理ものの究極と言えるのではないだろうか。 アガサ・クリスティーは、ミステリーの女王の名に相応しく、様々な手法に挑戦している。その要点は、「真相」のすごさというよりはむしろ、「発見」を、どのような形でどのように描くか、それによってどのように読者を驚かせつつ納得させるか、にある。その点から見て、叙述トリックを使った「アクロイド殺し」と「そして誰もいなくなった」は特に傑作の名が高い。しかし、その彼女にしても、犯人=探偵のプロットは、推理小説としては書けなかった。叙述トリックとは読者をだますもので、広く見ればすべての推理小説がそうだ。しかし、主人公が自分の行為の意味を最初は知らず、つまり、自分で自分をだましていて、後になってそれを発見する、というのは、ありそうな気もするが、我々がよくなじんでいる推理小説の型からはかけ離れている。 そこでこのような作品は、別人名義で、「ロマンス小説」として発表された。八割以上がヒロインの内面で展開する。そこで彼女は、たまたま会った学生時代の友人と、天候のために足止めされたトルコ国境の町の荒涼たる景色に触発され、自分を見つめ直す。自分が家人にとってどのような存在であったか、本当は気づいていたのに意識の底に沈めてしまっていたものを、改めて発見するのである。犯罪などまったくないのに、回想と情景描写とが重層的に積み重なる叙述は、この種の小説としては稀なスリリングさを獲得している。 ところで、この「発見」は「客観的な真実」であるのかどうか。そのへんは曖昧にして小説を終えることもできたろう。トルストイ「クロイツェル・ソナタ」はそのように構成されている。この作品は、最後の章で主人公の夫の視点を出して、彼女の「発見」は他者から見ても真実であることがわかる。これはエンターテインメント小説だからだろうか? 必ずしもそうではないようだ。この末尾で、主人公が「真実」を再び無意識へと追いやってしまったこと、それに、もっと短く、世間的な基準からすれば、彼女は「正しい」としか言えないことが示されているからだ。最後にきてこの人生の皮肉には、かなり慄然とさせられた。 | ||||
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評価の高い作品だったので期待した分、残念。人生とは確かにそうなんだろうけど、くどくどと書き込む程の内容では無いと思います。 | ||||
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面白かった!!! おばさんの回顧録かよ!と思ってたら、あれよあれよと引き込まれ一気読み。 ジョーンは自分の通俗的価値観に合わないものを全く受け入れられず家族や周りから疎まれている。 そしてそのことに一切気づいていない痛いキャラ。 そんなジョーンが、砂漠の太陽の元、1人で色々考えていくうちついに真実にたどり着くと言う話。 もしかして自分って嫌われている?皆の幸せを奪っている?ということに、初老のおばさんが気づくと何が起きるのか? エンディングのジョーンがリアルでゾクッとした。 | ||||
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事件が起きるわけではないのにとてもホラー。我が身を振り返らずにいられない。結末も秀逸。いつもと違う環境で、驚くほど心が浄化されたような気分になって変わろう、変われると固く決意するのに、日常に戻ると忘れてしまう。決意が薄れるとかじゃなく、本当に忘れてしまう。誰の日常にも潜むであろう気づかれないホラー。 | ||||
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いろんな感情を呼び起こされる内容ですが、周りを気にしすぎてすぐ遠慮してしまう私はある意味自分の価値観に絶対的自信を持ち、自分の思い通りに、出来事を自分の都合よく解釈して生きてきた主人公が羨ましかったです。 | ||||
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なんて滑稽な主人公、 物事の見方1つで、こんなにも現実が変わる。。。 殺人は起こらないけど、人の心を推理して読んでいくことに、感動を覚える作品でした。 | ||||
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鴻上尚史さんが、ウェブの悩み相談で「友人に絶好されました」という相談者におすすめしていた本です。1944年というからいまから75年前にミステリーの女王アガサ・クリスティがメアリ・ウエストマコットというペンネームで出版した小説ですが、彼女がすばらしいストーリーテラーであるのはもちろん、人間についての透徹した観察眼と、それを社会や時代という大きな文脈のなかで描く意図を有していたということを示している本だと思います。 怖い小説です。大した事件も起こらないのにとても怖い。その恐ろしさが終盤に向かって加速していくのです。主人公のジョアン・スカダモアは異国の次女を見舞った帰りに、乗り継ぐはずだった列車の遅延によって、砂漠の真ん中の簡易宿泊所で数日間足止めとなります。最初のうちこそ、自らの半生がいかに幸せなものだったかを反芻して気分よく過ごしていますが、だんだんやることがなくなってきて、有り余る時間をもてあますようになります。しかも話し相手といえばカタコトの英語を話す宿屋のインド人だけ。となると、あとは自分と向き合うしかなくなります。それこそが彼女がもっとも苦手とし、本能的に避けてきたことでした。日がな「見ず知らずの自分」と向き合うなかで、美しく満ち足りた記憶の上に黒い染みが広がっていきます。砂漠の穴からトカゲが顔を出すように、疑念がチラつきます。よき妻、よき母親、そして幸せな人生をおくってきた「わたし」という人物は、本当に夫のことを理解していたのだろうか、子どもたちに最善のことをしてきたのだろうか、彼らに愛されていたのだろうか……。 ジョアンは夫のふとした言葉、表情、仕草を思い出し、他の女性の影を見ます。折り合いの悪かった長女とのやりとりを思い出し、あれでよかったのだろうかと良き母としての自信が揺らぎます。彼女が同情を装いつつ見下していた同級生になぜか自分の悩みを打ち明けたくなります。 彼女はこれまで、社会学者のクーリーがいうところの「鏡に映った自我」と完全に同一化して生きてきました。それが、話す相手もいない見知らぬ地でいつくるともわからない列車を待つという無為の時間なかで、「鏡の前の自我(「鏡像」を見ている本体)」と対峙したのです。彼女は押し寄せてくる疑念のなかで苦しんだ末、天啓をうけたかのような衝撃的な体験をします。彼女の内側でなにかが変わったのです。 ついに列車も到着し、ジョアンは一路ロンドンへ。途中から同室となったロシアの高貴な女性に、自分の心の内を吐露したり(これまでジョアンは人に本音を話すことはありませんでした)、彼女に対して軽く劣等感を感じたり(それまでのジョアンは他人に対して優越感しか感じたことがありませんでした)と、まるで別人のように振る舞います。そしてロンドンの駅から愛する夫のいる自宅に戻った彼女を待ち受けていたものは……。 SNSの爆発的普及により、わたしたちはこの小説が書かれた当時よりもさらに「鏡に映った自我」に翻弄されるようになっています。自らの浅さ、愚かさ、弱さを遮るもののない砂漠の陽の光に晒されたジョアン。意図せぬかたちで「鏡に映った自我」を客観的に見つめる目を授かります。そのことによって芽生えた根源的な不安に襲われ、正気を失う直前で訪れた気づき、そして感謝と歓喜。しかしそれさえも、鏡の中の自我に結局は吸収されていくのです。 『オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』や吉田修一の『パレード』などにも通じる、「本当の自分」という底なし沼の中にずぶずぶ引き込まれ行くような、そんな怖さを感じます。 | ||||
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ネットでたまたま、ある相談者の参考になれば…とこのタイトルがあり、内容がまるで私の事で読んでいて辛くなりました。 万華鏡の模様の真ん中を彼女は取る手段は選べなかったのかしら…と思いが巡ります。 | ||||
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アガサクリスティーの作品はどれも好きですが、この作品だけは殺人とかその推理を楽しむいつものストーリーではなく、誰もが少しは持っている闇、決して見たくないものに気付かされるところに引きずり込まれました。若い時は自分自身というよりか、母と重ね合わせ考えさせられましたが、自分がこの主人公と近い歳になってくると心を刺されたような痛みを感じます。 この本は、殺人だけがミステリーじゃないと初めて気付かせてくれました。不思議な面白い本です。 | ||||
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誰も決して自分から逃げ切れるものではないのだと いつか必ず向き合わざるを得ないのだと 何度でも突きつけられていくのだと思うのでした。 例え、ロドニーの様な夫がいても 本当の自分自身と向き合わずには生きれないのだと 真の孤独と戦うか、自分をありのままに認めるか 面白い小説でした。 | ||||
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詰まりもなくスラスラと読むことができた。推理ものではなく、途中からあらすじがわかってしまったので、面白かったが評価は4に。人間ってそうは簡単に変わらないのだな、と改めて感じた。 | ||||
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人の心の変遷が大変巧みに構成され、クリスティの推理物しか知らない者にとっては驚きです。彼女のまた別の才能を知りました。むしろ、この本の方が彼女の本領かもしれません。 | ||||
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世話好きで気配りができて、良妻賢母の良き英国夫人がバグダッドの娘の様子を見に行って帰ってくる、ただそれだけの話と言えばそれだけ。 ただ、我が身を鑑みてぞっとする、というある意味ホラー。 | ||||
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わかる。こんな人いる。私の中にもいる。 クリスティーによる巧みな心理描写で 一人の女性を軸に複数の登場人物の心理を 描写した素晴らしい作品。本当にこんな人いると 思わせる描写がすごい。 | ||||
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