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春にして君を離れ
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春にして君を離れの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.48pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全221件 61~80 4/12ページ
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ミステリの女王といわれるクリスティの純文学作家としての力量を垣間見る傑作。 職場でパワハラしている女性の大半がこの主人公(ジョーン)と同じタイプじゃないかと思いました。 「ジョーン、われわれ世の親たちが子どもに対して一体どういう仕打ちをしているか、考えてもごらん。お前たちのことはなんでも知っていると言わんばかりの態度。親の権威の元に置かれている力弱い、幼い者にとって、いつも最上のことをしている、知っているというポーズ。むろん、必要上やむを得ぬことといえばそれまでだが。一種の奴隷じゃないか、彼らは。われわれの与えるものを食べ、着せるものを着、われわれの教え込むことをしゃべる。われわれの与える保護の代償としてね。」 「安易な考え方をしてはなりませんよ、ジョーン。手っ取り早いから、苦痛を回避できるからといって、物事に皮相的な判断を加えるのは間違っています。人生は真剣に生きるためにあるので、いい加減なごまかしでお茶を濁してはいけないのです。こんなことをいうのは、ここだけの話だけれど、あなたには少々自己満足の気味があるからです。自分のことばかり考えずに、他の人のこともお考えなさい。そして責任を取ることを恐れてはいけません。人生は不断の進歩の過程です。死んだ自己を踏み台にして、より高いものへと進んで行くのです。痛みや苦しみが回避できないときもあるでしょう。そうした悩みは、すべての人が早晩経験するものなのですから。あなたがそれを知らずに終わるなら、それはあなたが真理の道から外れたことを意味するのですよ。」 | ||||
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バグダッドの娘宅からロンドンへの帰途に足止めになった上流階級の主婦が暇に任せて自分や自分の周りの人々について想像を巡らす。100ページ読んでも何も展開がなく、これはおかしい?と思ってネットで書評を見ると推理小説ではないと判明。期待していた小説でないと分かり止めた。そして誰もいなくなった、復讐の女神、のような謎が謎を呼ぶワクワク感がない。この小説が悪いとは言わないが、クリスティに期待するものでは全くなかった。 | ||||
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"『そう、ぼくがいる』とロドニーはいった。けれども彼は自分の言葉の虚しさに気づいていたのだった。君はひとりぼっちだ。これからもおそらく。しかし、ああ、どうか、きみがそれにきづかずにすむように"1944年発刊の本書は"ミステリーの女王"が別名義で執筆したロマンチック・サスペンス。 個人的には著者の代表的な推理小説『オリエント急行殺人事件』『そして誰もいなくなった』は映画化作品も含めて子ども時代から楽しませていただいていたのですが。別名義、メアリ・ウェストマコットとしての作品は未読だった事から【シェイクスピア引用が印象的なタイトル】の本書を手にとりました。 さて、そんな本書は一応はヒロイン?であるジョーン。優しい夫、よき子供に恵まれ(自分の正しい選択の結果)【理想の家庭を築き上げた】と満ち足りている彼女が娘の病気見舞いを終えてバグダッドからイギリスへ帰る途中で足止めされる中、これまでの人生に向き合っていくのですが。 誰も死なないし、ある意味で特別な事は何も起きない(少なくとも外部的には)本書。主人公と年代が近い【人生の午後世代の私にとっては】また同じく、どちらかと言えば保守的な価値観、つまり【社会一般として恥ずかしくない生き方を選択しなさい!】と育てられてきた1人としては、夫のロドニーの一見優しくも冷徹なセリフに代表される家族との絡みがぐさりぐさりと刺してくる感じがあって【面白くも痛さや哀しさが同居する】複雑な読後感でした。 また、あとがきを56歳と若くして亡くなった『グイン・サーガ』等で知られる、栗本薫が書いているのですが。こちらも久しぶりに懐かしい名前を見たな。と不思議な再会をしたような感覚があって印象的でした。 これまで他人から見ても『理想の人生を歩んできた!』と思いつつも、内心で不安を感じている中年世代以降の方へ。また推理小説以外の著者作に興味を覚えた方にもオススメ。 | ||||
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アガサクリスティーといえばミステリー小説ですが、この本はミステリーではありません。 いや、ある意味ミステリーかもしれません。 主人公が家に帰る旅の途中に今までの人生についてあれこれと考えます。 詳しくはここには書きませんが、自分の人生について深く考えさせられました。 | ||||
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初めてAudibleで視聴した記念すべき一冊。翻訳の評判の良さから思わず試聴してみたのでした。 9時間もの長い朗読をご年配の女性と思われる方が一人で演じ切っており、とても楽しかったです。 今後この分野は需要が増えるのではないでしょうか。作業しながら聴くことが出来たので一気に読了しました。 中年女性の主人公の皺ひとつない若さは彼女の未熟さを表しているのだけど本人はそのことに気づかない。自分の人生の成功と幸福のおかげだと思っていて、苦労の多い女性たちの老化を哀れみ心の底で蔑んでいる。 一方夫はその女性たちの精神の自由を感じ取れる感受性を持っていて、およそ主人公と釣り合わないのだけども、最後のエピローグではやはり夫婦は似た者同士、共犯者であることを思い知らされる。 主人公はどこにでもいる極めて普通の女性だと思う。自分の献身が家族を守り貢献していることを信じて疑わない。どちらかというと夫の方に英国人らしいシニカルさを見てしまう。主人公は優越感によって自分の人生を肯定しているけども、夫の方も妻を軽蔑し娘たちを味方につけ妻が軽蔑する相手に価値を見出し密かに裏切ることで、妻に対して「優越感」を感じている。似た者同士の夫婦だと思うのだ。 そう考えると、最後の最後の主人公の選択も、致し方ない気もする。既に出来上がった共犯関係を妻の改心によって崩すことを、夫は本心から望んでいただろうか?今更それはもう遅すぎる。ならば共犯関係を継続する。それも一つの夫婦の形とも言えないだろうか。 これは離婚前のアガサの真実だったのだろうか? 登場人物がある状況を共犯的に作り出すのは「オリエント急行殺人事件」を思い出した。 他にもこの夫婦がよく似ていると思われるのは、互いの思い込みの強さで、それは妻だけではない。レスリーの息子の件では、夫の人の良さだけでなく、妻にも一分の理があることがよくわかる。結局この夫婦は両方とも自分に都合のよい物しか見ておらず、見ている物が違うというだけなのかもしれない。どちらにも非があり分があるエピソードや構成力はアガサの人間観察の鋭さでさすがだなと思った。主人公の内面描写も翻訳のよさもあって素晴らしく、ここまでつらつらと自分の内面の真実に向き合える聡明な主人公がこれまで一切周囲の機敏に気づかず独善的だったというのが矛盾に感じられるほど(笑)真に迫った心理描写は、アガサの独白にも聞こえた。 | ||||
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一気に読みました。 登場人物像が画一的で、作者のテーマに誘導される設定だと思いました。 はじめから作者の意図が見え透いていて、手の内がわかりすぎました。 どこかでどんでん返しが待っているのか待っていないのか・・その点だけにサスペンスを感じました。 しかし どんでん返しも無く、ラストも予想通りで・・ ミステリ作家の心理小説としては、このように描くことが限界なのでしょうか。 良妻賢母を自負する裕福で傲慢な専業主婦(存在するとして)を反省させたいのなら ある程度は成功したかも。 | ||||
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電子書籍は初めてでしたが 読みやすいです。 次回も利用を考えています | ||||
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主婦ですが自分を振り返るいい機会になりました。 主人公の女性のようにはなりたくないと思いました。 夫や子供からあんな風に思われたら悲しすぎます。 | ||||
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時代は1930年代。イギリス人の弁護士夫人ジョーン・スカダモアは末娘バーバラが暮らすイラクのバグダードに旅する。病気のバーバラを見舞うためだ。そしてイギリスへの帰途、接続列車が遅延したためにテル・アブ・ハミドの宿泊所にひとり留め置かれてしまう。無聊を慰めるために来し方を振り返るジョーンは、夫や子どもたちの不審な仕草や行動に思いを巡らすのだった……。 ------------------- ポワロやマープルのシリーズで知られるアガサ・クリスティが、メアリ・ウェストマコット名義で1944年に発表した長編小説です。 凶悪な事件が起こるわけではなりません。家族にとって最大の幸福を追求し、それを守らんがためにジョーンがこれまで下してきた決断の数々は見方によっては保守の極みであり、彼女はキリスト教信仰に支えられた伝統的家族観の信奉者といえるでしょう。自身がリスクや冒険や変化を恐れるがあまり、夫と子どもたちの人生にもその保守を求めていく妻であり母です。 「自由ですって? 【中略】そんなもの、いったいこの世の中にありまして?」とジョーンは夫に軽蔑的に語ります。 一方、夫ロドニーは「何か事をする前にすべてを綿密に計算し、けっして冒険をしないような慎重きわまる世間というものにつくづく嫌気がさしただけだ」とつぶやきます。 ジョーン自身はいささかも自己の生き方に疑問をさしはさまなかったはずですが、異国情趣あふれる中東への旅が彼女の夢想と妄想に拍車をかけ、やがて自身の生き方に罪悪感を抱くにいたる物語が展開していきます。 ジョーンの生き方、考え方は大なり小なり、ささやかな家族の幸せを維持するうえで求められうる負の側面であり、読者自身の人生観にも沿うところがないとはいえません。ですから彼女の旅路に同行することは、ジョーンの中に読者が自身を見つける旅にもなります。 彼女は後段、自身の生き方について贖罪の念を抱くかに至りますが、その思いが家族に届くことはないようです。エピローグは一転して夫ロドニーの視点から家族の真相が語られますが、それは底なしの哀しみとおののきを読者に与えるものでしょう。 しかし私自身は、ジョーンの生き方を徹頭徹尾斥ける気持ちにもなりませんし、かといってそのすべてをまるまる受け入れることもできません。 ボブ・ディランの楽曲「いつもの朝に」にはこんな一節があります。 “You’re right from your side. I’m right from mine.” (きみの立場からすればきみは正しく 私の立場からすれば私は正しいのだ) まさにジョーンと家族の視点はこのディランの歌詞のとおり。ジョーンだけを断罪することも、ロドニーら家族の視点だけを無邪気に肯(がえ)んずることもするまいと自己を戒めながら書を閉じました。 人と家族の一筋縄ではいかない実相を巧みにえがいた長編小説です。 最後に、この邦訳についても言及しておきたいと思います。 訳者の中村妙子氏がこの小説を日本語に移し替えたのは昭和46(1971)年とのこと。しかしその妙なる訳文は今読んでも決して古びていません。ジョーンの心のひだの揺れ動きを見事に描出していて、ほれぼれします。中村氏の訳文があったればこそ、この小説が今もクリスティの傑作のひとつと数えられるのでしょう。 私はこの小説を堪能しました。 ------------------- 主人公の姓は「スカダモア」とカタカナ表記されていますが、イギリス人の名前Scudamoreは「スク(―)ダモア」とするのが原音に近いといえます。2010年代にサッカーのイングランド・プレミアリーグの最高経営責任者(CEO)だったRichard Scudamore氏は、日本のスポーツ紙では「リチャード・スクダモア」と表記されていました。 ----------------- この小説を読んでいるうちに、以下の小説のことを思い出しました。 ◆モーパッサン『 女の一生 』 :主人公ジャンヌは妻として母としての幸福を夢見て結婚生活に入るものの、そこには決して無垢な幸せが待ち受けていたわけではないという悲劇です。 . | ||||
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考えさせられました。何にもわかっていなかったのではないかと言う思い方、謙虚に振り返っていく生き方、とても感銘を受けました | ||||
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クリスティの代表作はあらかた読んでいますが、私は今作がベストと思いました。 歴史に残るミステリのトリックを数多想像した作家が、これほどまでに人間を深く知悉していたということ自体が信じられない奇跡です。 読書中にゾクゾクと鳥肌が立つような感覚を覚えたのは、久々の体験でした。そして、もっとも恐ろしいのはラストです。この顛末をある種の「やさしさ」と解釈する読者のいるのかもしれません。しかし、私は底の見えない不可思議な人の闇をみた気がしました。 …文学であり、ミステリであり、そしてホラー小説です。 | ||||
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最初はとても古臭くてつまらない小説に感じ、そのまま読み進めるかどうか迷ったほどでしたが、作者の悪意(と言っていいと思う)に気づいてからは、夢中で読み終わってしまいました。それにしても、こんな話を書く作者も意地が悪いとは思いますが、ついつい登場人物の不幸を願ってしまう私もまた意地が悪いなあと思わされてしまったのでした。 | ||||
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巷で「愛情」と謝って取られがちな心情があって、しかもこいつの厄介なところは、相手の人生も自分の人生も破滅に追いやってしまうという点で愛と正反対の性格を持っていることにある。 これは、「所有欲」「優越欲」と言われるもので、メンヘラとかモンスターペアレントとか呼ばれる人間が陥りがちな「ニセモノの愛情」なのである。 今作の主人公「プア・リトル・ジョーン」はまさにこの人間である。 口では「あなたのため」「子どものため」「生活のため」ともっともらしい先見性をちらつかせている。しかし実際は、夫の職業選択権も娘の恋愛の自由も容赦なく奪いさって、自分の思い通りに操ろうとしているだけなのである。 いったいなぜなのか?原因は二つ。 一つは彼女の抱える、病的なまでのナルシシズム。 「私がブランチのようにならなくてよかった!」 「ロドニーは先見の明がないから、『有能な私』が導かなきゃ!」 「娘たちは若いんだから、正常な恋愛なんてできるはずがない!」 ジョーンはこんな具合に独白する。言葉ではいかにも他人を思いやっているようで、実際はだれもかれもを見下し、ゆえに誰にも心を通わせることがないのだ。 だって、他人は「自分より下」で当たり前なのだから――。 もう一つは、自分でさえ気づかない他人への無関心さ。 ある意味ナルシシズムの延長ともいえるだろうが、彼女はとにかく議論をしない。それは「円滑に会話しているから」などではなく、「すべてをろくに聞かずに突っぱね続けているから」に他ならない。 どうして夫が弁護士でなく農家になりたがったのか。 どうして娘がジョーンの思いもよらないような男と交際したのか。 どうしてブランチが奔放な生活を続けるのか。 聞けばわかることだ。たとえ理解できなくても尊重ならできるはずなのだ。 しかしジョーンは、「愚かだからだ」と安易に決めつけ、そして嘲笑するのだ。 その結果、彼女はどうなったか。 このあたりが、この小説が「ホラー」と呼ばれるゆえんだろう。 結論から言えば、ジョーンは思った以上にみんなから疎まれていた。 夫にはとっくに愛想をつかされ、娘からも距離を置かれ。 ゆいいつ苦言を呈してくれたブランチさえも、最終的にはまた貶めた。 ジョーンはこれからもずっと不平を垂れ続ける。真実から目をそらし続ける。 だからこそ、彼女は「プア・リトル・ジョーン」なのである。 ……ちなみにこの作品を読んで「女って怖い」という人がいますが、違いますよ。 女が怖いんじゃないんです。 「こういう女」が怖いんです。 そしてこういう男も怖いんですよ……。 | ||||
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帯に鴻上尚史の推薦文があったが、その通りの内容だった。アガサ・クリスティ作なので、題名では一般的なサスペンスでは無いと判っていたが、家庭生活を送っている誰にも当てはまりそうな、真実の怖さを感じないわけにはいかなかった。 誰もが経験する日常の危うい真実のミステリー‼ 心に引っ掛かったまま、取れそうにない棘になった。 | ||||
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クリスティの小説ですが推理小説ではありません | ||||
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子育てが終わり第二の人生が始まった女性向けの本です。 物語を楽しむ為の本で実生活で為になる事はありません。 何処かしら東洋人や低い身分の者を見下しているようでアガサ クリスティはあまり好きな作家ではありませんが、 そこを除けば良い内容だと思います。ミステリー本ではなく女性の人生って一体何?的な女の一生のような感じの小説です。 | ||||
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とても恐ろしい作品である。 その昔読んだときはすごいなーとしか感じなかった。 主人公の年齢もあってむしろ自分のことは置いておいて親に重ねて読んだりしていた。 その主人公の年齢をとうに越した今再読して衝撃を大きく受ける。 自己認知と他己認知がこんなにずれていることはあり得るのだろうか。 本人が選んで夫や家族に与えてきた価値観は家族には何の魅力もなくむしろ苦痛にしかなっていないことが、 本人に家族が向き合うことなく回避し続けることが、 それを本人が全く認識していないことが、 そしてそれを本人が自覚してそのGAPに衝撃を受けても、生活を関係性を変えずに生きて行くことが。 これが自分のことだとするとこんな不幸なことはない。 出来上がってしまったそして変えることが難しい自己を、近しい大切な人にとって少しでもより良いものにできればと感じている。 以前持っていた昭和61年の八刷版には翻訳の中村妙子さんのご本人のインテリジェンスを表すキルケゴールに関するあとがきがありました。 現在の版には存在しないこともあり、一部引用します。 非常に示唆に富んだ内容です。キルケゴール難しすぎて読めないですし。 -------------------------------------- こんな「あとがき」にキルケゴールを持ち出すのはどうかとも思うが、「春にして君を離れ」を読み返しながら私が「死にいたる病」の一節を思い出して、ジェーンの哀れさが人ごとならず身に沁みたのは偽りのないところである。 絶望というものは必ずしも外からの衝撃によらないでも、自省というものを通じて明らかになり得る。 そしてこの自省とともに一種の分離作用が始まって、自分の環境とか、外界、またそこからくるさまざまな影響と本質的に区別されたものとして、 自己自身への注目がはじまる。 ジョーンは友人との何気ない会話をきっかけに、過去の出来事を新たなめで見直す。砂漠の静寂の中で、過去の出来事は一つ一つ息を吹き返し、次から次へと波紋を呼ぶ。 しかし、自制によって自己が自己自身を引き受けようとするとき、自己の必然性の中で多くの困難に遭遇する。 弱き自己はこれらの困難の前で尻込みをする。 さらにまた、自省を越えて、もっと深刻に彼のうちなる直接性を粉砕するようなものが現れるとき、自己は絶望する。 人間は自己を放棄することになかなか承服できない。彼の絶望は、自己自身であることを望まない絶望なのである。 そこで彼は一時難を避けて、危機が過ぎ去るまで待とうとする。そして危機が去ったと知ると、もとの古巣にもどって、かつて自己を捨てかけた、その所からまたはじめようとする、、つまり変わり映えしない自己を引き受けて生きて行くのである。。 -------------------------------------- | ||||
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今年の初めに英国の石黒さんの小説を読んだ。普段読まないジャンルだが、面白かった。だから、たまにはこの様なジャンルの小説も良いかなと思い購入した。じっくりと読み通したいと思う。 | ||||
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クリスティーの本は何冊も読んでいますが、殺人事件が起きないのでこの作品は敬遠していました。 しかし評価が高いので読んでみたら、まさかのこれがクリスティー作品の中で一番のお気に入りに。 子育てを終えた中年女性である主人公が、過去の自分の言動を振り返る、ただそれだけの話です。 しかし次第に不安感に襲われ、追い詰められていく描写が見事です。 そしてこの主人公の過去の言動が、読み手である私自身の過去にもあるのではないかと気付くと、急に背筋がゾッとしました。 今まで意識していなかった心の奥底を抉られたような感じでした。 主人公の心の変遷に読み手まで巻き込んでしまう、人間の本質を描いた傑作でした。 | ||||
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あなたの目を通して見た世界、あなたの目を通して見た周囲の人々は、本当にあなたの解釈した通りに存在し、行動し、感情を持ち、あなたが定義づけた通りにあなたを扱ってくれているのでしょうか? 本当に??? なんとも地味な筋書きなんです。けれどこれは、探偵役も、犯人役も、被害者役も主人公という立派なミステリー。その要のトリックは、人間の傲慢な自意識。だからこの小説はきっと、千年経っても廃れないことでしょう。 | ||||
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