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春にして君を離れ
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春にして君を離れの評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.50pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全234件 1~20 1/12ページ
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| 良き妻、良き母として順風満帆に人生を謳歌してきた と思っていたが、と過去を振り返り内省するという内容です。 中盤くらいまでは翻訳特有の文体がすっと入ってこず我慢しながらよんでましたが、途中からは話が盛り上がってきてすっと入るようになりました。 度々、自分自身にグサグサと刺さるシーンがありました。 また、小説を読んでいて登場人物の振る舞いにここまでイライラさせられることはなかったですが、これは故に人物描写がそれだけ鋭いからと言えるかと思います。 | ||||
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| 主人公と同年代である今読んだからこそかもしれないが、ぞっとするような気持ちで読んだ。 人によるかもしれないが、今まで見えていた景色が崩れ落ちていくような気持ちを味わえると思う。 人生の後半生をどう生きるか、おりにふれこの本を読んでいるときに味わった痛みを思いだして自分を戒めたいと思った。名作。 | ||||
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| SNSでみかけて読んでみた。子育て中の女性は絶対読んでください。わたしもまた読み返したいと思います。 | ||||
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| アガサクリスティーは好きだけど、全部は読んでいなかった。主人公と同年代になって久々のクリスティー作品。 途中まで、この話は母に読んでほしいと思って読んでいたが、読み終えて、これは自分の物語でもあることに気がついた。家族との関係、過去の断片的な記憶、自覚的に生きているようで、見えていなかったこと、それらがぱっと急に意味をもち、謎が解けるような神秘体験。その体験を経て尚、失うことが怖ろしくて何事もなかったかのようにその関係を続けてきたこと、そんなぬるま湯のような自身の人生に改めて気づかされる。タイトルもとてもよい。 | ||||
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| この物語の主人公ジョーンは田舎の弁護士の妻として家政を仕切り、弁護士の仕事に乗り気ではない夫をしっかりと働かせ、三人の子どもを育て上げた有能な母である。しかし、彼女は帰国の途上、砂漠の牢獄とも言える薄暗いレストハウスから身動きが取れなくなり、中年にして、ようやく自分の人生を見つめ直さざるを得なくなる。そこでついに彼女は神と出会うような神秘体験をし、これまで無視し続けてきたさまざまな人生上の事件の意味を直視する。しかし、同室になったロシア系の貴婦人との出逢いによって彼女の家族に対する告解と謝罪の純粋な欲求は揺らいでいく。それは、ジョーンが神秘体験を語ったとき、ロシア系の貴婦人が、その体験を「よくあること」として相対化したうえに、その貴婦人は生きるか死ぬかという手術に臨もうとしていることを知ったのだった。アガサ・クリスティの偉業は、この神秘体験の相対化や現実の引力が告解や謝罪の念を吹き飛ばしてしまうことを物語に組み込んだことなのだ。 | ||||
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| アガサクリスティの人間に対する洞察が一つ一つの言葉に刻まれている。時を経て読む毎に気付かされる思いがあります。 | ||||
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| 女性の視点からこれを書き上げたアガサ・クリスティー女史は、本当に深い洞察力の持ち主と言う他はない。タイトル通り、全ての母親に読ませてやりたい内容。とりあえず、絶縁になってもいいから自分の母親に送りつけてやろうと思う。これが貴女ですよ、と。 | ||||
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| 本書を読んで、私はアルベール・カミュ『異邦人』の主人公ムルソーが殺人の動機を問われて「太陽のせいだ」と答えた場面を想起した。 本書の主人公は病気の娘を見舞ったバグダッド近郊の砂漠の駅に何日も足止めされ、砂漠を歩き回って太陽に照らされるうちに自らの過去を振り返り、弁護士夫人として成功者の人生を歩んできた自己満足の深層にあった醜い姿を幻視するに至る。 『異邦人』の舞台はアルジェリアの砂漠だが、砂漠の厳しい風土と照りつける太陽が人間心理の深淵を白日の下に暴き出す点は共通している。 実は、アガサ・クリスティーの著作を読むのは初めてである。テレビや映画ではたくさん見ているのだが。 本書はミステリーではないと言われているが、殺人こそないものの、ある意味ではもっと恐ろしい日常生活と家族関係に潜むホラーを描いた心理ミステリーと言える。主人公は保守的で偏狭な価値観で夫や子どもを支配し、それを家族への愛だと思い込んでいたが、夫や子どもの気持ちはとっくに離れていたのだ。 この主人公が過去の出来事と自らの行いを省察し、解釈し直していくにつれ、その心理が劇的に変化していく過程(パウロの「回心」まで引用される)を描き出す作家の筆力はさすがである。 ただし、ミステリー作家らしく、最後はどんでん返しが用意されているのだが。 *Kindle版には栗本薫の解説がついていなかった。 | ||||
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| この本では殺人事件は起きません。これは≪心理ミステリー≫です。 そのトリックは、この本とあなたの心理の中に隠されているのです。真犯人は主人公本人、もしくはあなたが共犯者になるかもしれません。殺人が人を殺すことならば、これは真実の自分、心を殺すということでしょう。これだけではネタバレにはならないと思うので、ぜひ読んでいただきたいです。 ただし、これから読むあなたへ1点だけ…校長先生から主人公に伝える「言葉」をよく心にとめることです。そうしなければこの本はただのつまらない「お話」になってしまう可能性があります。 物理的な出来事を追うストーリーではない為、映画のような起承転結、情熱的な展開はありません。しかし、登場人物の心理を読み解くのが面白い人や、著者からのメッセージに気が付いた人には、切なく苦しい情熱的なストーリーと共にゾっとするような最高の心理ミステリーとなるでしょう。 ※ここからは具体的な結末やあらすじは書きませんが、私の感想がネタバレになるかもしれません。もしこの本を読んだ感想が『面白くなかった』『つまらなかった』というものでしたら、ぜひこの先をお読みいただければ幸いです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 読みすすめている途中の感想は『自己欺瞞とはこうも気が付かないものか…』、読み終えてすぐの感想は『人は変わらないのだ』でした。しかしそれは間違いでした。 何故ならば、主人公がこんなにも「真実に気がつかない」はずないのです。そうじゃないと主人公視点で描かれているのに読者の方が先に「気が付く」はずがありません。 主人公は最初から「すべて気が付いていた」のです。 ただ、「気が付いていた」のに、「気が付かないフリ」をしていた、そして砂漠でそのことに「気が付いた」のです。 何もない砂漠ですべてを照らす金色の太陽のもと「気が付いた」というより、”フリ”をしていた自身の「影」を隠せなくなった、暴かれてしまった、ということだと思います。 そして彼女は「変わらなかった」のではなく「変わった」のです。 ただ、元々彼女が在るべき世界には、すべてを照らす金色の太陽はなく、霧が立ち込め「影」との境界が曖昧になる灰色の世界、その世界では周りの人は”気が付いていない彼女”を憐れんでいる、そんな世界なのです。だから彼女は在るべき世界では、在るべき姿で在ることにしたのだと。なにもかも気が付いたから、本当の意味で「変わった」から「自己満足」は辞めてあえて「変わらない私」を選んだのだと、つまりこの先も「自己欺瞞」し続けることで、ありのままの真実の自分を「殺す」ことを選んだのだと、それが主人公が「変わった」証拠だと言えます。 人間の心理はそんな簡単なものではない。時には周りだけでなく自身をも欺き、偽り、平穏と均衡を保つ。主人公はとても人間らしい選択をしたのだと思います。 最後に、この本自体がトリックだと思うのは 校長先生が主人公に向けた「言葉」を≪著者から読者へ向けたこの本の読み方のアドバイス≫と捉えたからです。 そしてこの本が「読者を2層に分け、過去の主人公のような読者をあぶりだす、読者の”読み方”をも暴く仕組み」になっていると感じたからです。読者がいかに「皮相的(表面的)に読んでいるか」ということが、この本のもと、明らかになるのです。 でもどうでしょうか・・・この感想それ自体が私の「欺瞞」かもしれない…とさえ思うのです。 | ||||
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| 深く胸に刺さる作品。 特に女性で中年の立場としては考え込まざるを得ない。 思ったのは、毒親の卑怯の可哀想なと言われるジューンだが、作者の視点はそこにはないのではということ。 夫の浮気ののち、11日間の失踪を経て離婚、ミス・マープルを生み出したアガサ・クリスティがそんな一面的な話を書くはずがない。 彼女は最初と最後では明らかに変化しているが、夫を含め周囲は変わっていない。緑色のクッション、コペルニクスの版画に目ざとく気づくジョーン。アドバンテージは彼女にある。彼女は変わらなかったのではなく、変わっていないふりをしたのではないか。 そう考えると栗本薫の解説は、彼女がサーシャのような貴族であったがゆえの間違いでは? 女で母で中年で平凡で、バカにされる要素のみで構成されたジューンの、私はこれは苦闘の末の反逆の物語だと思う。 | ||||
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| ミステリーの骨格を利用した通常の小説です。ミステリーを期待してはいけません。皮肉なラストに、私は少々ガッカリしてしまいました。それは言っても仕方のないことなのですけれど。 | ||||
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| 2024年秋に読んだ作品。ネットで「毒親の思考ってこうだよね」ということで大変評判になっていたので読んでみた。ネットではみんな「怖い怖い」っていう感じだったんだけど、私は主人公のジョーン・スカダモアは「運がいい人だな」と感じた。私もジョーンと同じカテゴリの人間だから。 普通の人は、砂漠の真ん中で瞑想する機会に恵まれて「自分の真実の姿」に気が付くことはまずない。 何も気が付かないままでいたときの彼女の人生の不幸せったらない。それは作品の最後に夫であるロドニーの目線に切り替わって、「可哀そうなジョーン」と言わせているところからも明らかだと思う。もっとも、何も気が付かないでいた場合の方が、ジョーン本人の目線ではより幸せだったとも言える。その皮肉がこの作品の面白さだろうし、ひいては「毒」の語を冠されるヒロイン体質の人々の抱えた問題や矛盾そのものだろう。 そうした本人の自己理解と他者理解が、他者のそれとは大きくズレてしまった「独善・偽善をてんこ盛りにした歩く迷惑」というべき人の実状を、余すところなくきっちりと写し通った作品である点が、非常に優れており多くの人の共感を呼んでいるのだと思う。 話を読み進んでその内容に驚いたというよりは「あぁやっぱりそうなんだな」という納得感を引き出す作品となっていることは間違いない。その点から見て作品のボリュームも、長すぎずちょうど良いと思う。 作品中には主人公のジョーン、その夫ロドニーを始めいろいろと魅力的な登場人物が出てくるし、その人たちと主人公ジョーンのかかわりや心の持ち方みたいなものの変化も面白いんだけど、ジョーンと同じ側の人間として、伝えておくべきことがあるとすれば、次の1点に尽きる。 それは、「その後のジョーン」というものが外形的にどう見えようと、「気づいた・知ってしまった彼女」は、彼女が旅先で見つけてしまった「自分の真実の姿・周りの人が本当に考えていたこと」を「知る以前の彼女」とは違っているということである。知っているか知らないか、これは決定的に違うことだ。 作中にあるように人は簡単には変わらないものだけど、だからといって「何があっても全く変わらない」と決めつけたもんでもない。真実に気づいた「その後のジョーン」がどうなっていくのかということについて、「読者に対しては」想像の余地が残されている点が読後の余韻を味わい深いものにしていると思う。離れていたわずかな期間に妻の身に何が起こったのかを知らないロドニーが、妻ジョーンへ送る目線は以前と少しも変わりがない。でも、我々読者と当人のジョーンだけは、彼女の身に起きた小さな奇跡と変化の兆しを知っている。 こうしてみるととても美しい作品、一読に値する素敵な小説だと思う。 | ||||
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| 結婚する前に読んでいたら、間違いなくもっと旦那に対して寛大になれてた。 これから毎日ありがとうと言おう。今からでも遅くありませんように。 | ||||
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| アガサ・クリスティが別ペンネームで書いたシリーズ。そのくらいの予備知識で読み進めると、とても良い読書体験が出来ると思います。 | ||||
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| というのが率直な感想です。 サスペンスというけれど事件的なものなく、中年女性の回想録が続きます。 こんな家族嫌やな、、というのが率直な感想。ここまで子供から毒親扱いされないといけないほどひどい母親でもないし。ちょっと空回りしてるだけ。「したい仕事をできない男は男でない」というセリフがありますが、じゃあ女性はしたい仕事できなくていいんだ?って感じでこの夫も気持ち悪いなって思いました。 やっぱりアガサクリスティの作品で期待を超えてはっとさせられるのは推理小説だなと思いました。 | ||||
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| 人は変われそうで変われないものなのでしょうか。 心に残りました。 | ||||
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| らしいです。なかなか面白かった。 | ||||
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| 表題の通りで、この作品の出来事を端的に述べるなら遠出して、 途中足止めを食らったご婦人が、暇に飽かせてあれこれと思索にふけって自宅へ帰る。 ただそれだけの作品だ。だがそれでちゃんと面白いのだから流石のクリスティである。 元々クリスティはミステリー作家として有名だが、その粋は人物やその関係性の掘り下げ部分であり、 事件や表面的な謎はラッピング部分といって過言ではない。 ホワイダニットさえ書ける余地があるなら、事件さえも不用というのが彼女である。 そういう意味で、本作はクリスティの髄液と言っていい作品だと思う。 内面的に自分を掘り下げて真実にたどり着きながら、 結局は勇気が無く変れない。安易な道を行ってしまうという主人公の選択。 学生自体に校長先生に指摘されたまま、人間はそんな簡単に変れないのよ。 というラストは流石のクリスティだと思う。 この手のタイプの人間が、自分から内証して真実にたどり着き、懺悔してめでたしめでたし! というのではリアリティの無い話だよなあ。と途中まで読んで思っていたので。 たぶんそういった俺の反応も含めて、先生の掌の上なのだ。判っているわよそれぐらい。というわけだ。 | ||||
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| 「ロマンチック・サスペンス」(帯書)と判りにくい分類だがミステリーではない。クリスティーにしては珍しい作品だと興味を惹かれて読んだ。初出は1944年だが、時代は1930年代半ば過ぎ、第二次世界大戦勃発寸前である。 ロンドン近郊のクレイミンスターという架空の街に住む上流中産階級の主婦ジョーン。結婚28年目。夫ロドニー・スカダモアは弁護士事務所を経営、事業は勢況で何の心配もない。子供はそれぞれ独立し、長女はロンドンで「人柄のよい株式ブローカー」に嫁ぎ、長男はローデシアで農園経営。次女はイラクの土木事業局の上級職員の主婦でバクダッドに住む。これらの地域は皆イギリス植民地である。家庭も平穏。彼女は様々なボランティア活動に精を出し、「政治にも積極的な関心を持つ」と言う街の名士である。彼女が一番気に掛けているのは世間に対する体面だと判る ジョーンは訪問先のバグダッドからロンドンに帰る途中である。末娘の急病と言う知らせで、「私が傍にいなければ」と急行した。単なる食中毒だったようで既に回復途上。婿にも丁重に扱われて一月以上の滞在になった。現在鉄道宿泊所(レストハウス)で翌朝発のオリエント急行に接続するトルコ鉄道駅への連絡自動車を待っているところ。思いがけなく女学校時代の友人と出会う。落ちぶれて見えるが、ブランチ・ハガードだ。学校時代の憧れであったが奔放な女性で男づきあいも派手、子供を残して出奔し音信が途絶えた。5年前に末息子の出術代が不足だと訴えて来て、要請額の半分を送ったがそのまま。出来ればここで会いたくない相手だが見つかってしまう。幸いバクダッドの夫に会いに行く途中とかで逆方向だった。互いの家庭の近況報告中に、バーバラは謹厳実直なロドニーを「ご主人はまんざら夫の座におさまっているわけでもなさそうな目つきだったわ」と当てこすり、バクダッドのバーバラについても、「心配ないわ。若すぎたのよ。それにこっちの生活が生活だからねえ-、女の子はときにはフラッとするわ」と呆気に取られる謎の言葉を吐く。もう一言別の謎めいた発言も。「何日も何日も自分のとこばかり考えて過ごしたら、自分についてどんな発見をすると思う?」かと。 翌朝は霧雨になった。乗車したバスの乗客はジョーン一名。途中で渡る二つの涸川は水が満ち始めていて時間が掛かり、トルコ鉄道終着駅のテル・アブ・ハミドに到着した時は週3回出るだけの列車はとうに出発し、翌々日まで駅傍のレストハウスに立ち往生する羽目になる。トルコ国境に近い場所で駅とレストハウス以外は砂漠。乾いた空気と果てしない晴天の下に宿泊客はジョーン一人。翌々日に出るはずの汽車も来ないと告げられる。日に三度変り映えのしない食事。持参した本は読んでしまった。たまには何もせずに一日のんびり過ごすのも良い、と意気込んだジョーンも早くもぐったりする。この際バーバラに言われた「何日も何日も自分のとこばかり考えて過ごしたら、自分についてどんな発見をすると思う?」考え事をするしかない。 この先は延々と続く彼女の思考過程だ。自分探しの旅、一種の心理小説である。頭の中にもう一人のジョーン・スカダモアが登場し、彼女がこれまで確信してきたことの全てに疑問を投げかける。先ず先の訪問の際にバーバラが時折見せた戸惑いは何だったのか、に始まり、夫や子供たちや(使用人たちに)頼られ愛されてきたか。家庭を万全に差配してきたと考えてきたが果たしてそうだったか。駄々っ子の独りよがりのように持て余されてきたのではなかったか。夫の常套句「可哀想なジョーン」の意味は何だったのか。私をロンドンで見送った際、発車を待たずに帰って行った夫の後姿がひどく若返ったようだったのはどうしてか。また反対に、弁護士稼業は嫌だ牧場を持ちたい、と言う夫を必死に説得して、現在の豊かで安定した生活を維持し得たのは誰のお陰だったか……とかの自負も湧く。鬱病になりかけたとこで汽車がやってくる。 7日間の帰路を経て無事に自宅に着いたジョーン。砂漠とは異世界の穏やかな故郷の景色、何一つ変わっていない我が家、はたしてどちらの想念が真実だったのか。6週間ぶりに再会する夫にどんな挨拶をする?「ロドニー、許して-知らなかったのよ」か「ロドニー、ただいま……今帰りましたのよ!」か。著者クリスティーのサタイアたっぷりな場面だ。その答えは控える。 もう一つこれもクリスティーのからかいの一つ。帰路の列車で同室したロシアの亡命貴族夫人は「まもなくドイツとの戦争が始まる」と話し、自宅に着く前日、ロンドンで夕食をともにした長女のエイブリルも「戦争が間近い」と言う。「政治にも積極的な関心を持」っているはずのジョーンには及びもつかない予測だ。家庭のことだけが思考限界の上流中産階級夫人への苦笑と読んだ。 | ||||
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| アガサクリスティにこんなテイストの作品があったんだ、と初めて知りました。 大事件は起きないけど、周囲の人生をジワジワとコントロールし削っていく主人公に、脅威を感じた。 ここまでではないにしろ、人を自分の思い通りにする人たちを思い出した。ロドニーが帰宅したとに、ジェーンが選択した方は、、、、、。 これが人間のリアルなんだろうと思った。 | ||||
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