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わたしを離さないで
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わたしを離さないでの評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.11pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全714件 101~120 6/36ページ
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| 翻訳で読んで、多分、元の文章が良いんだろうなと思える。 どんなタイプの小説かも最初は分からないのだけど、伏線の張り方、回収の仕方が見事だと思う。 テーマもSFとしてとっつきやすく、幅広い読者にウケそうなテーマでライトな感じ 川端康成もそうなんだけどノーベル賞系は最終的に「だから何なん」としか思えない。若い頃は太宰は読めたんだけどね。 自分で買ってたら多分、投げてる(物理的に) | ||||
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| 2017年ノーベル賞が決まってから,すぐに読みましたが途中で挫折。そしてそれから2回目,3回目とチャレンジしてみましたが,まったく頭に入ってきません。情景が全然浮かんで来ません。人物も表面の姿をなぞるだけで心のひだまでつかめません。そして起伏のない一本調子の話の展開。どうしてでしょう。おそらく,オリジナルの英文で読めたらそんなことはないのでしょうが。やっぱり原文が日本語でないと無理なのかなと勝手に解釈しています。言語の力は偉大です。 | ||||
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| 日系英国人作家で版元がハヤカワなので、試しに読んでみた。 これは駄目だな。とことん合わない。大人買いしなくて良かった。 キャシーは施設ヘールシャムで育った。四方を森で囲まれた施設からは、外に出られない。 毎週健康診断があり、健康でいることを強く求められる。 SFや漫画を読みなれている人なら、これだけで正体がわかるだろう。はい、今考えたので合ってます。 いちおうネタバレに気を使っているが、本当はその必要もないほどベタベタだ。 カセットテープやら運動やらセックスやら、つまらない日常を細々と語るだけで、何も起こらない。 なんとも覇気のない連中だ。最近類似のネタを使った傑作漫画を二作読んだ。そちらの方が百倍は面白い。 生まれた場所で運命が決まっている英国社会を風刺したとか、心の動きを細かく描いたのが偉いとか、 賛美者は言うんだろうね。 「漫画と比べるなんて、おまえはブンガクがわかっていない」と言われるなら、わかってなくて結構だ。 つまらないものはつまらない。私にとってはカスだ。 | ||||
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| 文庫の表紙がカセットテープの写真なんだけれど、実に象徴的である。 心理描写の細やかさ、というか、うまく言えないけど例えば、誰かとのあいだで暗黙の了解となっていた(はずなのに)それを裏切られ、小さく傷つく、みたいな、なんとなくそういうところが日本的だなぁ、とか思った。私小説風というか。太宰っぽい、というか。 彼女は提供者、と呼ばれる人々の介護をする職についている。子供の頃を振り返る。彼女はヘールシャムという施設で育った。 人里離れ、隔離された施設での生活を送る子供達。健康管理が行き渡り、教育を受け、特に絵画だとか詩だとか、創作的なことに比重がおかれていた。それら創作の中から特に出来がいいものを外部から来るマダム、と呼ばれる女性が持ち帰る。 昔『アイランド』って映画を見たことあって、そのせいか健康管理が厳しくされている、というところで彼らがどういう存在か、ということにほとんど気づいてしまった。そして創作に力を入れてる、というのがどういう意図であるかも。 比較的早い段階で彼らの存在理由が明かされるし、ミステリーじゃないので、気づいてしまっても別に支障はないけれど。 あの映画ではユアンマクレガーとスカーレットヨハンソンが真実を知り逃亡する。運命に対する自由意志の勝利だけれど、この物語の登場人物たちは逃げることを試みもしない。ただ運命を受け入れる。 将来、医学だとか遺伝子工学だとか生物工学だとかが進歩した時、こういうことが起こりうるかも、とか思うとなかなかショッキングなモチーフだけれど、人の人生、というのはこういうものなのかもしれない。多かれ少なかれ。 少なくとも、物心ついてすぐ自分の使命がなんであるか、なんて確信が持てる人はそういないだろう。考え、悩み、情報収集し、どうやて生きていくか、なにをやるか、手探りで探っていく。 人間の尊厳とはなんだろう、自我の優先か人間性の否定か、そんなことを考えながら読んでいた。もちろん答えなんて書かれてない。 この小説に書かれているのは、真実を知りたいか、希望を信じたいか、という選択であるし、運命に対しての怒り(たとえそれが不当であってもどうしようもなく怒りとか悲しみとかが沸いてくることがある。というか少なくとも私にはある)であるし、成長に対する恐怖でもある。 キャシーが好きで子供の頃よく聞いていた曲がそのままタイトルになっている。本当は恋の歌なんだけど、子供の頃の彼女は勝手に別の解釈をしていた。 子供ができないと思っていた女性に赤ちゃんができた、とても嬉しいけれど、赤ちゃんが急にいなくなったら、と考えて不安になる、だからベイビー、私を離さないで。 施設にいた頃、枕を赤ちゃんに見立てて、この曲を聴きながら踊っていたのをマダムに目撃される。マダムは泣いていたのであった。 後年、マダムを訪ねていった時、キャシーはこのことを覚えているか、とたずねる。見当はずれな解釈で、勝手に悲しい歌だと思っていた、あなたはその私の気持ちが解ったから泣いていたのではないのですか、と。 枕を胸に踊る少女に、マダムは別のものを見ていた。 科学の進歩、技術の発達、効率の追求。すばらしいことである。だがそれは無慈悲を、残酷を、犠牲を含む世界でもある。厭世観にとらわれての涙だった。 マダムには、キャシーが失われていく古い世界に必死でしがみついているかのように見えていたのだ。 | ||||
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| 良かった。 | ||||
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| 物語の登場人物たちは一見どこにでもいる普通の人たちだけど、全く普通ではない人生を生きている。そのことをナレーション的に説明はされないし、登場人物のセリフにも明言はない。ただ読んでいるうちにいくつかのヒントがあってそれらを拾い集めるとそういうことだろうな、と理解できる程度。だから少しもどかしい思いが後味として残るかもしれない。 | ||||
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| 「日の名残り」の方がよかったかな。 題材自体がSFや他のジャンルでよく見かけるので新鮮味はないし、文学としてこの題材を扱うのであればもう少し凄みのある表現やインパクトが欲しかった。 中だるみもあるし、読後感も残念ながら薄かった。 | ||||
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| 僕の感性の問題かもしれないが、これを読んで深く考えさせられたり世の中の見え方が少しでも変わったりするということはなかった。しかし物語後半における草原の場面は印象深かった。 世界から見放された若い男女がいる。男は誰もいない原っぱで泥まみれになって飛び跳ね、暴言を吐き、腕を振り回す。やり場のない怒りを爆発させている。フェンスを乗り越えて男に駆け寄った女は、必死で男にしがみつき、やがて落ち着きを取り戻した二人は抱き合いながら無言で立ち尽くす、という場面だ。 あくまで憶測だが、作者の頭には最初この情景がひらめいて、これに肉づけする形でこの小説は書かれたのではないか。クローンやら提供者やらの「設定」は後づけに過ぎないのではないか。 いずれにせよ、これは生命倫理や運命について考えを深めるものというよりも、映像や景色を味わうように鑑賞する小説だと僕は受け止めた。 | ||||
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| 読みたかった | ||||
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| 第1章の開始早々「提供者って英語で…ああそういうことか」と気付いてしまい、そこから先が苦行のように長かった。回りくどい文体(と言いますのも、申し上げだ通り、云々)と斜め読みできない朗読の相性は最悪。ただ、クライマックスのトミーの場面はとても良かったので、これを映像で見たいと思い、民放で放映された吹き替え版をワクワクしながら視聴。しかし、ですます調のナレーションがあのイライラを呼び戻してしまい、わずか数分でギブアップした。先に映画を見ていれば違う感想を持ったかもしれないと思うと少し残念。 | ||||
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| 作者もそこまで思っていなかったと思いますが、まさに中国で実際に起こっていること。 こんな恐ろしく何のハッピーエンドもない作品に没頭してしまうとは思いませんでした。 | ||||
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| 読むのが辛い…伊坂幸太郎すごい | ||||
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| 詰将棋や、パズルのピースがはまっていくのを眺めていくような小説。 文章の力があり謎解きも心理描写も風景描写も素晴らしいと思った。 しかし、クローン人間が『【人間】では無い』と公に認められるような世界などあり得るのだろうか。 並行世界のお話だとしても、自然発生した人間と同じ姿をした生物を【人間】と認めない世界など信じられない マダムが恐怖する描写から、もしかしたら、クローン人間が本来の人間の姿とかけ離れていて、この本の中の『クローン人間』というものはタコや豚に人間の内臓を詰め込んだような存在なのかもしれないと思ったが、この文章の描写からは普通に買い物できたり『親』が自分と似ていると考えることから、それも考え難い。 飼い猫飼い犬にさえ、その気持ちに機微があることが心ある人間ならわかるだろう。 まして見た目同じ人間なのに、感情、深い愛情があるかどうか疑うことなどあり得るのだろうか。 教育によって人がどんな残酷な運命にも疑問を持たずに流されてしまうことを描きたかったのだろうか 教育によってヒトが人になること そういうことを考えれば、現状、学ぶことを放棄して暴力に走る世界の兆候を皮肉ったお話なのかも知れない | ||||
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| これはすごいその時代の人に問いかける小説ですね。ミステリータッチで描かれているが内容は読むにしたがって深刻にならざるを得ないものです。単なるSFではない、ある科学的な進歩というか?、人間をも人工的にやろうとすればどうにでも造れる世界に現代はある。この小説は2005年に書かれていて、前・中・後でいうと、前段後編になって、明らかに「臓器移植を目的とした体細胞クローン人間」として作られた存在としての「人間」集団を扱っていることが分かる。おそらく、1997年の驚愕事実、「体細胞クローン羊”ドリー”」が作られ、世界的に議論がされことが、「人間クローン」の可能性が世界中で大きな議論になり、2018年には中国でクローン猿の双子が作り出されて大きな批判が巻き起こった。日本では2001年に研究に厳格な規制をかける法律が出来ている。世界中でその科学者や医師の暴走を止める措置が取られている。で、この本に戻るが、彼らは臓器移植のために作られたクローン人間である。しかも、自分のルーツもわからない、生殖機能を持たないので赤ちゃんはできないが、性欲はある、人間なのか得体のしれない何かなのかも判然としない、突然、召集令状が来る、そして、魂があり生きたいという本能もある。とはいえ、生まれてから特別な隠された施設で育てられるせいか、本人たちはそのことに特別に何かの感情を強く持つような書き方ではないので、私は不思議な理解しがたい気持ちで読んでいったが、彼らはそれが「使命、与えられた存在価値」として淡々と受け入れている生活をしていく、私には理解しがたい創作内容が展開していく。自覚できない何かを感じながらと言ってよいような感じである。そして、クライマックスは、後段の第二十二章から始まる。これは書かない方がよいと思うが、より深い人間の深み、いや、クローン人間としての深みとその子供を育てたある少数の保母さん、先生を担った人の経歴、そして彼ら間の思いのすれ違い、見解の違い、そして別れ、さらには臓器提供者としての限界(死)による愛し合う二人の有無を言わせない別れが必然的に起きる。そのことを承知しながらも、・・・・・。この作者が問いかけていることは、現在では遺伝子操作まで進んでいる。読者一人一人がどう考えるのかが、どう考えるのかを文中にある「ホラー映画そのものだね」という男のクローン人間たる人物が、ちらっと口にしている。後ろに英米文学作家氏が解説を書いているが、全く中身に触れない技巧的な下らん解説をしている。これは単なるミステリー小説でもないしSF小説でもない。そういうタッチで描かれているが、現代文明と言われる神をも恐れぬ人工的、科学的進歩と言われる思考及び行為に対して、強烈な異議申し立て、問いかけの書である。すばらしい作品となっている。 | ||||
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| 型があるのではなく、たんたんと流れていくようで、読み終ったあとに気がつくと美しい形になっている。そんな物語です。是非一度お読みください。 | ||||
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| 希望通りの品を、届けて頂き感謝しています。有難うございました。 | ||||
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| 要点はなんだよ、要点は...。 と、エッセンスだけ抽出して筋をつなげれば、面白いんじゃないかな。 少年と教師のやりとりで、クローンたちの謎が明かされ、引きこまれていくかと思ったが。 臓器提供のため生まれた人間でも、人並みの青春があるということなんだろうけど。 おっさんには、読みすすめるのがかなり辛い。耳年増な文学少女向けかも。 | ||||
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| 内容が興味深いもので、自分に置き換えてみたら怖くなってしまった。 | ||||
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| 読み進めるたびに、内容に少しずつ、また少しずつ引き込まれていくようでした。後半にわかる主人公たちの設定もとても意外でした。 | ||||
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| …カズオ・イシグロ、「日の名残り」と並ぶ代表作。何度も読んで深く考えたくなる作品です。そういう本との出会いはめったにありません。 クローン人間が主人公だったりするので、設定を考えたらSF的とも捉えられるけど、いくつかの要素がまったくSFとは違う作品に仕立て上げています。 まず、この回想型ともいえる小説のかたちです。カズオ・イシグロは「記憶」というモチーフをとても大事にします。まるで記憶を持っていることが存在証明であり、生きてきた価値そのものであるかのように、主人公は過去を語ります。その語り口に引き込まれます。 もうひとつは、物語の流れそのものが読者を深い思索にいざなうようになっていることです。主人公たちの体験を追体験しているような感覚になっていきます。 彼らは臓器提供されるためだけに生み出されたクローンであることを隠されて、思いやりのある教師たちに囲まれて育ちました。果たしてヘールシャムでの日々は、彼らにとっては意味があったのでしょうか。 彼らは徐々に教師たちの不自然な態度に気づいていき、自分たちで謎を突き止めようとします。その過程は、前に進むというより、どんどん奥に奥にと進んでいくような印象です。存在の意味を知るために、果てしのない井戸に潜っていくような、そんな感じでしょうか。読んでいて自分自身も同じような体験をしているような気持ちになってくるのです。 わたしが思ったことは、ぼくらも彼らと大差はないのだというと。生まれた意味は誰も教えてくれないし、せめてもの慰めとして、さまざまな娯楽や芸術があるだけです。制限のなかで生きている、という意味では、ヘールシャムで過ごした彼らと変わらないのです。 実は映画版の最後の台詞は、「私たちと、私たちが救った人たちに違いがあったのだろうか」「生を理解することなく命は尽きる」という主人公キャシーの思索で終わります。 ぜひ映画と合わせてどうぞ。どちらが先でも楽しめると思います。 | ||||
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