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わたしを離さないで
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わたしを離さないでの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.10pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全707件 101~120 6/36ページ
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僕の感性の問題かもしれないが、これを読んで深く考えさせられたり世の中の見え方が少しでも変わったりするということはなかった。しかし物語後半における草原の場面は印象深かった。 世界から見放された若い男女がいる。男は誰もいない原っぱで泥まみれになって飛び跳ね、暴言を吐き、腕を振り回す。やり場のない怒りを爆発させている。フェンスを乗り越えて男に駆け寄った女は、必死で男にしがみつき、やがて落ち着きを取り戻した二人は抱き合いながら無言で立ち尽くす、という場面だ。 あくまで憶測だが、作者の頭には最初この情景がひらめいて、これに肉づけする形でこの小説は書かれたのではないか。クローンやら提供者やらの「設定」は後づけに過ぎないのではないか。 いずれにせよ、これは生命倫理や運命について考えを深めるものというよりも、映像や景色を味わうように鑑賞する小説だと僕は受け止めた。 | ||||
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読みたかった | ||||
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第1章の開始早々「提供者って英語で…ああそういうことか」と気付いてしまい、そこから先が苦行のように長かった。回りくどい文体(と言いますのも、申し上げだ通り、云々)と斜め読みできない朗読の相性は最悪。ただ、クライマックスのトミーの場面はとても良かったので、これを映像で見たいと思い、民放で放映された吹き替え版をワクワクしながら視聴。しかし、ですます調のナレーションがあのイライラを呼び戻してしまい、わずか数分でギブアップした。先に映画を見ていれば違う感想を持ったかもしれないと思うと少し残念。 | ||||
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作者もそこまで思っていなかったと思いますが、まさに中国で実際に起こっていること。 こんな恐ろしく何のハッピーエンドもない作品に没頭してしまうとは思いませんでした。 | ||||
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読むのが辛い…伊坂幸太郎すごい | ||||
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詰将棋や、パズルのピースがはまっていくのを眺めていくような小説。 文章の力があり謎解きも心理描写も風景描写も素晴らしいと思った。 しかし、クローン人間が『【人間】では無い』と公に認められるような世界などあり得るのだろうか。 並行世界のお話だとしても、自然発生した人間と同じ姿をした生物を【人間】と認めない世界など信じられない マダムが恐怖する描写から、もしかしたら、クローン人間が本来の人間の姿とかけ離れていて、この本の中の『クローン人間』というものはタコや豚に人間の内臓を詰め込んだような存在なのかもしれないと思ったが、この文章の描写からは普通に買い物できたり『親』が自分と似ていると考えることから、それも考え難い。 飼い猫飼い犬にさえ、その気持ちに機微があることが心ある人間ならわかるだろう。 まして見た目同じ人間なのに、感情、深い愛情があるかどうか疑うことなどあり得るのだろうか。 教育によって人がどんな残酷な運命にも疑問を持たずに流されてしまうことを描きたかったのだろうか 教育によってヒトが人になること そういうことを考えれば、現状、学ぶことを放棄して暴力に走る世界の兆候を皮肉ったお話なのかも知れない | ||||
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これはすごいその時代の人に問いかける小説ですね。ミステリータッチで描かれているが内容は読むにしたがって深刻にならざるを得ないものです。単なるSFではない、ある科学的な進歩というか?、人間をも人工的にやろうとすればどうにでも造れる世界に現代はある。この小説は2005年に書かれていて、前・中・後でいうと、前段後編になって、明らかに「臓器移植を目的とした体細胞クローン人間」として作られた存在としての「人間」集団を扱っていることが分かる。おそらく、1997年の驚愕事実、「体細胞クローン羊”ドリー”」が作られ、世界的に議論がされことが、「人間クローン」の可能性が世界中で大きな議論になり、2018年には中国でクローン猿の双子が作り出されて大きな批判が巻き起こった。日本では2001年に研究に厳格な規制をかける法律が出来ている。世界中でその科学者や医師の暴走を止める措置が取られている。で、この本に戻るが、彼らは臓器移植のために作られたクローン人間である。しかも、自分のルーツもわからない、生殖機能を持たないので赤ちゃんはできないが、性欲はある、人間なのか得体のしれない何かなのかも判然としない、突然、召集令状が来る、そして、魂があり生きたいという本能もある。とはいえ、生まれてから特別な隠された施設で育てられるせいか、本人たちはそのことに特別に何かの感情を強く持つような書き方ではないので、私は不思議な理解しがたい気持ちで読んでいったが、彼らはそれが「使命、与えられた存在価値」として淡々と受け入れている生活をしていく、私には理解しがたい創作内容が展開していく。自覚できない何かを感じながらと言ってよいような感じである。そして、クライマックスは、後段の第二十二章から始まる。これは書かない方がよいと思うが、より深い人間の深み、いや、クローン人間としての深みとその子供を育てたある少数の保母さん、先生を担った人の経歴、そして彼ら間の思いのすれ違い、見解の違い、そして別れ、さらには臓器提供者としての限界(死)による愛し合う二人の有無を言わせない別れが必然的に起きる。そのことを承知しながらも、・・・・・。この作者が問いかけていることは、現在では遺伝子操作まで進んでいる。読者一人一人がどう考えるのかが、どう考えるのかを文中にある「ホラー映画そのものだね」という男のクローン人間たる人物が、ちらっと口にしている。後ろに英米文学作家氏が解説を書いているが、全く中身に触れない技巧的な下らん解説をしている。これは単なるミステリー小説でもないしSF小説でもない。そういうタッチで描かれているが、現代文明と言われる神をも恐れぬ人工的、科学的進歩と言われる思考及び行為に対して、強烈な異議申し立て、問いかけの書である。すばらしい作品となっている。 | ||||
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型があるのではなく、たんたんと流れていくようで、読み終ったあとに気がつくと美しい形になっている。そんな物語です。是非一度お読みください。 | ||||
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希望通りの品を、届けて頂き感謝しています。有難うございました。 | ||||
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要点はなんだよ、要点は...。 と、エッセンスだけ抽出して筋をつなげれば、面白いんじゃないかな。 少年と教師のやりとりで、クローンたちの謎が明かされ、引きこまれていくかと思ったが。 臓器提供のため生まれた人間でも、人並みの青春があるということなんだろうけど。 おっさんには、読みすすめるのがかなり辛い。耳年増な文学少女向けかも。 | ||||
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内容が興味深いもので、自分に置き換えてみたら怖くなってしまった。 | ||||
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読み進めるたびに、内容に少しずつ、また少しずつ引き込まれていくようでした。後半にわかる主人公たちの設定もとても意外でした。 | ||||
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…カズオ・イシグロ、「日の名残り」と並ぶ代表作。何度も読んで深く考えたくなる作品です。そういう本との出会いはめったにありません。 クローン人間が主人公だったりするので、設定を考えたらSF的とも捉えられるけど、いくつかの要素がまったくSFとは違う作品に仕立て上げています。 まず、この回想型ともいえる小説のかたちです。カズオ・イシグロは「記憶」というモチーフをとても大事にします。まるで記憶を持っていることが存在証明であり、生きてきた価値そのものであるかのように、主人公は過去を語ります。その語り口に引き込まれます。 もうひとつは、物語の流れそのものが読者を深い思索にいざなうようになっていることです。主人公たちの体験を追体験しているような感覚になっていきます。 彼らは臓器提供されるためだけに生み出されたクローンであることを隠されて、思いやりのある教師たちに囲まれて育ちました。果たしてヘールシャムでの日々は、彼らにとっては意味があったのでしょうか。 彼らは徐々に教師たちの不自然な態度に気づいていき、自分たちで謎を突き止めようとします。その過程は、前に進むというより、どんどん奥に奥にと進んでいくような印象です。存在の意味を知るために、果てしのない井戸に潜っていくような、そんな感じでしょうか。読んでいて自分自身も同じような体験をしているような気持ちになってくるのです。 わたしが思ったことは、ぼくらも彼らと大差はないのだというと。生まれた意味は誰も教えてくれないし、せめてもの慰めとして、さまざまな娯楽や芸術があるだけです。制限のなかで生きている、という意味では、ヘールシャムで過ごした彼らと変わらないのです。 実は映画版の最後の台詞は、「私たちと、私たちが救った人たちに違いがあったのだろうか」「生を理解することなく命は尽きる」という主人公キャシーの思索で終わります。 ぜひ映画と合わせてどうぞ。どちらが先でも楽しめると思います。 | ||||
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生きるとは何か、生命とは何かについて考えさせられる。洋画もある。映画と小説の両方を読んでみるのは初めて。全然内容が異なってくるんだな。 人は誰かのために生かされている。何も考えずにただ生きる。生かされることもできるけど、それではつまらないのかもしれない。自分で何かを選択できることに感謝して、日々を生きていこうと思った。 | ||||
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主人公や女性の話し言葉は気になりませんでしたが、 男性の言葉遣いが、なんというか、昔の映画の吹き替えの言葉遣いというか、古い昭和初期のドラマみたいというか、、、それが気になり過ぎていまいち感情移入できまけんでした。。別の人の訳で読みたいというのが正直なところところです。 | ||||
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この小説を異端な境遇で生きる人間のSF、サスペンスと捉えると大失敗です。起承転結も無い時間を只々無駄にする駄作です。 しかし、これは人生の凝縮で、置かれた状況で精一杯生きる人々が、もがきながら過去の楽しかった事、故郷の思い出、甘い追憶を糧に、現実と折り合いながら生きてゆく人間の物語と捉えた瞬間、180度変わります。 誰しもが経験する過去の甘酸っぱい瞬間や辛い出来事が、限り無い短い文章でこの小説に必ずあると思います。でも、その余韻に浸る事は一切なく只々、抑制し冷静に自分と向き合います。 答えはありません。 それでも前に進む 私見として思いました。 最後の文章がそうです。 物凄く辛い経験をしたけど、前向いていかないといけない。 性格が控え目で何事も分析する傾向の人には向いている作品と思います。 こんな感じの文章が淡々と続きます。 | ||||
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最初から最後まで、誰ひとりとして決められた運命から逃げようとしない。それがとてつもなく悲しい。 | ||||
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「日の名残り」を読んで30年ぐらいたつ。今回は作者が亡くなってしまったということで、一番面白そうな本を手に取ってみた。読んで正解。心象風景、私小説に世界に一気に引き込まれる。ここまで人間の生死、性、やりきれなさを描ききる純文学を久しぶりに読んだ満足感で一杯になった | ||||
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心に残る作品だった。 途中までは主人公のとりとめのない幼少時代を描いているが、あるところから、要所要所で違和感を感じる節があり、気になって読み進めると…… 真実が解ったとき、現在の主人公の心境と読み手の複雑な気持ちがなんとも言えなくて、とても心に残る。 ひとことでは言い表すことのできない、生きることの壮絶なテーマも含まれているように思う作品でした。 | ||||
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すごい作品としか言えない。 ヘールシャムがどこか日本の小学校に似ていた。 教師の苦悩は、クローン人間じゃなくても同じではなかろうか。 | ||||
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