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わたしを離さないで
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わたしを離さないでの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.10pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全707件 81~100 5/36ページ
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非常に良いの本を購入しましたが、全体的に状態のいいものではありませんでした。 紙面の色焼けは、多少所ではなく全体的であり、表紙も破けています。 一回目のレビュー、ガイドラインに違反していないのに投稿されませんでした。今回もそうかもしれません。 | ||||
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解説書には「妄想をふくらませて」書いた小説とあったが、 多分、イシグロカズオは知ってしまったのだと思う。 世の中には臓器提供のために産まされた子供たちがいることを。 臓器提供を受けたものたちの存在は子供たちからは見えない。 子供たちがどのような感情をもち、どのように日々を過ごしているかなど構わず まるで虫かごの中の虫を見るように、子供たちの成長を見ているのだ。 つまり私たちの世界には、私たち人間を虫けら同然で上から見て いかようにも料理している人間たちがいることをイシグロは 伝えたかったのではないだろうか 虫けらのような子供たちの愛は切なく哀しい | ||||
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主人公たちは共同生活を経て人間的にも成熟するが、その先の行き場が無いことが物語の中盤で明らかにされ、圧倒的な読後感と共に、救いのない後味の苦さが残る。ただ、冒頭でキャシーが自分たちが幸せだったと語っているが、それはその通りなのだと思う。ヘールシャムでの思い出は記憶に残り、心の中のロストコーナーを訪れることでそれは輝かしく再現される。提供者には叶えられない未来を夢見るのは辛いことであるが、これは他の地で育ったクローンたちには望むべくもないことだった。この本は少しづつでも読み返すとその度に気付かされることがある。何年かしたら再読してみたい。 | ||||
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映画アイランドもショッキングなストーリーだった。本書も予備知識なしで読み進めた。まどろっこしい展開というか異質感・違和感は英米文学からいつも感じるところだ。(本書の前には、ザリガニの鳴くところ(2020年発刊)を読んでいたが、あれも最後にかけて息もつかせぬ展開となった。) こういうディストピアものは嫌な後味で終わります。深刻といってもいい。人類の明るい未来を信じる態度とは反対だが、もしそれが光と影であれば、つまり未来の表と裏となる。どらちもあるということ忘れてはいけないということだと思う。 本書の映画化も2011年にはされているので機会があったら観てみたいと思う。 ついでにいえば、キャシャーン(紀里谷和明監督2004年)にも似たようなプロットがあって思い出した。これもまたディストピアである。 | ||||
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是非読んでください。 | ||||
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映画を見て読んでみました。 自分の現実に向き合う子どもたちの生き方に引き寄せられ2日で爆読みしました!笑 | ||||
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私は、この本の最後の一頁を思い出すと、息が詰まり、瞼が震える。 私はいわゆる「泣ける小説」と呼ばれるものが嫌いだ。近年、日本文学を騒がせるのは、そんな「泣ける」が売り文句の小説ばかりで、少し食傷気味ですらあった。 しかし私はこの本を発売前から心待ちにしていた。そのわけからまず話そうと思う。 著者、カズオ・イシグロの名に、ぴんとこない、という方も多いだろう。しかし、映画「日の名残り」の名前なら聞いた事があるのではないか。私はこの作品を、母の勧めで見たのだから、あれはまだ十代のこと。今思うとすべてをきちんと理解出来ていたこというと疑問ではあるが、アンソニー・ホプキンスと、エマ・トンプソンの名演が実に素晴らしかった。そしてそれを引き立てていたのは、広い邸宅の明暗と、イギリスの風景。私はその後、もう一度その光景に会いたくて原作を求め、カズオ・イシグロを知ったのだ。日本語訳された彼の作品は殆ど読んだ。しかし何故か、「日の名残り」で受けたような深い感情の揺らぎは得られなかったような気がする。 それでも私は「カズオ・イシグロ」の名に足を停める。そうしてこの本の出版予定を知ったのは何に於いてだったか、それはもう忘れてしまったのだが、私は題名を分厚いメモ帳に書き付け、いつか読む本リストに付け加えた。それから約一年を経て、やっと私はこの本を手にすることが出来た。 セピア色の柔らかな装丁画の下に眠っているのは、同じくセピア色の風に吹かれた、しかし鮮やかな記憶。 主人公のキャシー・Hは素晴らしい語り手で、その丁寧な語り口は介護人という職業にふさわしいと感じさせる。 話は自身の紹介からやがて、彼女の育った「ヘールシャム」での思い出へと遡っていく。 ヘールシャム。作中特別な場所として描かれる全寮制の施設。そこでは普通の授業のほか、展示会、交換会、販売会などの行事がある。何となく引っかかるものはあるが、幼稚園で同じような「お買い物ごっこ」をやった私は何となくそれを読み過ごす。 仲良し友達もいれば、いじめもある。ごく普通の学生生活。その中でキャシーは、ルースやトミーと言う親友を得る。ルースへの憧れやライバル意識、嫉妬。トミーへの友情と恋。そうした複雑な感情を経験しながら成長していく。そんな輝かしい青春の思い出を暗雲のように取り巻いているのは、「提供者」というキーワード。 16歳になり、「コテージ」での生活を経て、キャシーは介護人になることを決める。 そして介護人として、コテージを出る時に別れたルースやトミーにも再会する。 「日の名残り」の主人公二人(執事と女中頭)は、再会してもその人生を交えることはなかったが。しかし今作に置いてキャシーは、提供者となった二人を介護する中で、かつて言えなかった言葉を伝えることができる。(それはカズオ・イシグロ自身の変化なのだろうか。) 本の題名はジュディ・ブリッジウォーターの「わたしを離さないで」の一説から。 その曲は作中実に効果的に、何重もの意味を持って流れているのだが、私は読み終えて、そこにもう一つ意味を付け加えたいと思う。 私達はある記憶を手放したくないと願う。それと同時に、記憶も、忘れ去られたくないと、手を伸ばすのではないか。ふとした瞬間、その曲のワンフレーズが頭の中を繰り返し流れるように。 「わたしを離さないで」と、何度も、何度も。 | ||||
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読む前と読んだ後で、完全に自分が変わってしまったと体験した初めての小説。人間の底意地の悪さ、傲慢さ、残酷さ、無力さに完膚なきまでに打ちのめされると同時に、不可抗力でそうなってしまう状況、その中でさえ、人間だからこその、美しい思い出があることに、心が引き裂かれるような矛盾とある種の救いを感じた。 カズオイシグロは、「困難な状況を受け入れてしまう人間」「あの時はいいと思ってたけと、あとから思い出すととんでもないことだった」というものを書く名手だが、いまはまあいいと思っている人生も、死ぬ前に思い出したら大きな間違いだったと知るのかもしれない。そういう意味で、この小説を読む前はお気楽に生きていたのが、そうできなくなってしまった。 | ||||
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透明感のある文章とでもいいましょうか。 読んでいて、色や温度を感じるほどリアリティがある描写なのに、どこかファンタジーな雰囲気のある、不思議な感覚で読み進められました。 作品も素晴らしいのですが、無知ながら翻訳がすごいとも思います。 読み終わるのが残念になるくらい、世界観に引き込まれて夢中になって読めます。 読んで期待を裏切らない、本当におすすめです。 | ||||
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作業しながら聴けてとてもよいです。 | ||||
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ハラハラしたりするシーンは少ないので、共感性羞恥でも読みやすかったし、面白かったです。 映画の宣伝などで少し内容を知っていたのですが、知らない状態で読みたかったです。 | ||||
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読了、これはすごい。 いい小説を読みおえたときのあの独特の感覚、感動の余韻につつまれた感じといえばいいのか何ともいいようのない心地いい衝撃と大きな問いを背負わされたような気分。カズオ・イシグロすごい作家だ。 日本人であり英国人でもあるこの作家のことはノーベル文学賞を受賞する前から知ってはいたのだが、はじめて読んだものが本著「わたしを離さないで」だったことは幸運だったかもしれない。本当にすばらしいスケールの大きな作家に出会えて嬉しかったぁーっ。 静かにはじまるこの物語はいわば回想の作品なのだが、一つ一つの大切な記憶をたどるようにきわめて抑制的に描かれている。そう、淡々としていて抑制的、このことは文体としても大きく作用しているようにもおもえる。この小説は本当に自然な感じで作品世界に吸い込まれていく不思議な読書体験となった。 学校なのか宿舎なのかヘールシャムとはどういう場所なのだろう。この施設で育成されていく子どもたち、その過程でおきる奇妙なできごと、親友のトミーやルースたちのようすだけでなく保護管とよばれる教師たちのぎこちない態度や関係性、施設の外からやってくるようにみえるマダムの秘密めいた不可解な行動。 物語はこの施設でトミーたちとともに成長し介護人となった女性キャシー・Hのまなざしで語られていく。つまり、年少期から提供者へと成長していく過程で少しずつこの施設のことがあかされていくことになるのだ。 いうなれば、ヘールシャムが臓器を提供することを目的とするクローン人間を育成するためのものであるという残酷な真実が徐々にあかされていき、ここに関係する提供者や介護人、保護管とよばれる教師たちそれぞれの思惑と葛藤がクールにも壮絶な物語として描かれているのだ。けだし、この怖ろしくも感動的な物語は人間の尊厳と畏怖とともに、《人間存在》の普遍的な問題を孕んだ傑出した作品といえるだろう。 象徴的なできごととして、カセットテープを聴きながらキャシーが枕を抱いて眼を閉じて「オー、ベイビー、ベイビー、わたしを離さないで・・・」とリフレーンを一緒に歌いながら、スローダンスを踊るところをマダムにみられる場面がある。赤ちゃんを産めないこの子たちの間で交わされる「映画俳優になれたらいいな」とか「スターの人生ってどんなだろう」などといった他愛のない会話を聞いた保護管のルーシー先生はこのようにいう。 「あなた方は教わっているようで、実は教わっていません。それが問題です。(・・・略)あなた方の人生はもう決まっています。これから大人になっていきますが、あなた方に老年はありません。いえ、中年もあるかどうか・・・。いずれ臓器提供が始まります。あなた方はそのために作られた存在で、提供が使命です。ビデオで見るような俳優とは違います。わたしたち保護管とも違います。あなた方は一つの目的のためにこの世に生み出されていて、将来は決定済みです。ですから、無益な空想はもうやめなければなりません。間もなくヘールシャムを出ていき、遠からず、最初の提供を準備する日が来るでしょう。それを覚えておいてください。みっともない人生にしないため、自分が何者で、先に何が待っているか知っておいてください」(p127) ルーシー先生のこの言葉は唐突にもあまりに残酷で強烈ですが本質的な問いとして何を意味するのか、物語の終章になってこのことがマリ・クロード(マダム)やエミリ先生の証言によってあかされていく。 ヘールシャムを出たキャシーたちはコテージで過ごすことになるが、ルースのポシブル(親)さがしでノーフォークへと向かう少人数の旅行もこの小説を象徴する印象的なエピソードだ。 カップルとして過ごしたトミーとルースは提供者として、キャシーは優秀な介護人として彼らのお世話をする人生をおくる。そして、ルースは何回かの臓器提供を終え人生の最期をむかえるのだがキャシーにトミーの介護人となるべきだしそうなって欲しいと切望するのだった。 キャシーはトミーの介護人として複雑な想いを抱えながらも平穏に過ごすことになるが、トミーも4回目の提供を済ませクローン人間としての使命を終える。だが、その前にマダムの邸を訪ねたトミーとキャシーは、そこで年老いたエミリ先生とマダムの二人からヘールシャムの活動における思惑と葛藤の真実を知ることになる。すでに、ヘールシャムは閉館しているのだが、彼らが施設で経験した不可解で奇妙なできごとの記憶が謎解きのようにあきらかになっていく。 医学のためとはいえクローン人間の可能性については、いうまでもなく倫理的人道的問題のみならず未解決の複雑な問題がのこされている。特定の目的を前提とした命、理想と現実、ぼくたちは人間の尊厳や畏怖と同時に《人間存在》にかかわる普遍的で哲学的な大きな課題を突きつけられたような気がする。カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」、まさしく魂を揺さぶる作品といえる。 | ||||
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この作品は一言で言えば高度なバイオテクノロジーが発達した近未来の物語で、ハードSFとして描くことも可能と思えます。 しかしイシグロ氏は、そうしたテクノロジーも、異様な世界を支える政治もほとんど全く語りません。 十代の少女達の日常が延々と語られ、大きな事件もなく、やがて大人になった彼女達は、このディストピアに運命づけられたエンディングを淡々と迎えます。 なので、これを青春小説として楽しめる方は別ですが、そうでない方は読み通すのにかなり忍耐力を要するかも知れません。 それでも頑張って読み通せば、活き活きと描かれた彼女達の生き様に涙することは出来ますが、そうした表層だけで済ますことが不可能な、語られなかったことの不気味さやグロテスクさが際立ちます。 第一に、この世界を支配し異様なシステムを享受する人々が全く語られません。 第二に、登場人物たちは異様なシステムを当たり前に受け入れ、疑問も持たず、反抗もせず、悲嘆に暮れることもなく、淡々と運命を受け入れます。 ただ、かって彼女達を厳しく教育しながら見守り、この世界のシステムと闘って挫折した教師達だけが、彼女達の運命を悲しむのみです。 深く心に残る作品なのは間違いないですが、読後感を考えると覚悟を持って読まないといけない作品だと思います。 | ||||
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翻訳で読んで、多分、元の文章が良いんだろうなと思える。 どんなタイプの小説かも最初は分からないのだけど、伏線の張り方、回収の仕方が見事だと思う。 テーマもSFとしてとっつきやすく、幅広い読者にウケそうなテーマでライトな感じ 川端康成もそうなんだけどノーベル賞系は最終的に「だから何なん」としか思えない。若い頃は太宰は読めたんだけどね。 自分で買ってたら多分、投げてる(物理的に) | ||||
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2017年ノーベル賞が決まってから,すぐに読みましたが途中で挫折。そしてそれから2回目,3回目とチャレンジしてみましたが,まったく頭に入ってきません。情景が全然浮かんで来ません。人物も表面の姿をなぞるだけで心のひだまでつかめません。そして起伏のない一本調子の話の展開。どうしてでしょう。おそらく,オリジナルの英文で読めたらそんなことはないのでしょうが。やっぱり原文が日本語でないと無理なのかなと勝手に解釈しています。言語の力は偉大です。 | ||||
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日系英国人作家で版元がハヤカワなので、試しに読んでみた。 これは駄目だな。とことん合わない。大人買いしなくて良かった。 キャシーは施設ヘールシャムで育った。四方を森で囲まれた施設からは、外に出られない。 毎週健康診断があり、健康でいることを強く求められる。 SFや漫画を読みなれている人なら、これだけで正体がわかるだろう。はい、今考えたので合ってます。 いちおうネタバレに気を使っているが、本当はその必要もないほどベタベタだ。 カセットテープやら運動やらセックスやら、つまらない日常を細々と語るだけで、何も起こらない。 なんとも覇気のない連中だ。最近類似のネタを使った傑作漫画を二作読んだ。そちらの方が百倍は面白い。 生まれた場所で運命が決まっている英国社会を風刺したとか、心の動きを細かく描いたのが偉いとか、 賛美者は言うんだろうね。 「漫画と比べるなんて、おまえはブンガクがわかっていない」と言われるなら、わかってなくて結構だ。 つまらないものはつまらない。私にとってはカスだ。 | ||||
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文庫の表紙がカセットテープの写真なんだけれど、実に象徴的である。 心理描写の細やかさ、というか、うまく言えないけど例えば、誰かとのあいだで暗黙の了解となっていた(はずなのに)それを裏切られ、小さく傷つく、みたいな、なんとなくそういうところが日本的だなぁ、とか思った。私小説風というか。太宰っぽい、というか。 彼女は提供者、と呼ばれる人々の介護をする職についている。子供の頃を振り返る。彼女はヘールシャムという施設で育った。 人里離れ、隔離された施設での生活を送る子供達。健康管理が行き渡り、教育を受け、特に絵画だとか詩だとか、創作的なことに比重がおかれていた。それら創作の中から特に出来がいいものを外部から来るマダム、と呼ばれる女性が持ち帰る。 昔『アイランド』って映画を見たことあって、そのせいか健康管理が厳しくされている、というところで彼らがどういう存在か、ということにほとんど気づいてしまった。そして創作に力を入れてる、というのがどういう意図であるかも。 比較的早い段階で彼らの存在理由が明かされるし、ミステリーじゃないので、気づいてしまっても別に支障はないけれど。 あの映画ではユアンマクレガーとスカーレットヨハンソンが真実を知り逃亡する。運命に対する自由意志の勝利だけれど、この物語の登場人物たちは逃げることを試みもしない。ただ運命を受け入れる。 将来、医学だとか遺伝子工学だとか生物工学だとかが進歩した時、こういうことが起こりうるかも、とか思うとなかなかショッキングなモチーフだけれど、人の人生、というのはこういうものなのかもしれない。多かれ少なかれ。 少なくとも、物心ついてすぐ自分の使命がなんであるか、なんて確信が持てる人はそういないだろう。考え、悩み、情報収集し、どうやて生きていくか、なにをやるか、手探りで探っていく。 人間の尊厳とはなんだろう、自我の優先か人間性の否定か、そんなことを考えながら読んでいた。もちろん答えなんて書かれてない。 この小説に書かれているのは、真実を知りたいか、希望を信じたいか、という選択であるし、運命に対しての怒り(たとえそれが不当であってもどうしようもなく怒りとか悲しみとかが沸いてくることがある。というか少なくとも私にはある)であるし、成長に対する恐怖でもある。 キャシーが好きで子供の頃よく聞いていた曲がそのままタイトルになっている。本当は恋の歌なんだけど、子供の頃の彼女は勝手に別の解釈をしていた。 子供ができないと思っていた女性に赤ちゃんができた、とても嬉しいけれど、赤ちゃんが急にいなくなったら、と考えて不安になる、だからベイビー、私を離さないで。 施設にいた頃、枕を赤ちゃんに見立てて、この曲を聴きながら踊っていたのをマダムに目撃される。マダムは泣いていたのであった。 後年、マダムを訪ねていった時、キャシーはこのことを覚えているか、とたずねる。見当はずれな解釈で、勝手に悲しい歌だと思っていた、あなたはその私の気持ちが解ったから泣いていたのではないのですか、と。 枕を胸に踊る少女に、マダムは別のものを見ていた。 科学の進歩、技術の発達、効率の追求。すばらしいことである。だがそれは無慈悲を、残酷を、犠牲を含む世界でもある。厭世観にとらわれての涙だった。 マダムには、キャシーが失われていく古い世界に必死でしがみついているかのように見えていたのだ。 | ||||
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良かった。 | ||||
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物語の登場人物たちは一見どこにでもいる普通の人たちだけど、全く普通ではない人生を生きている。そのことをナレーション的に説明はされないし、登場人物のセリフにも明言はない。ただ読んでいるうちにいくつかのヒントがあってそれらを拾い集めるとそういうことだろうな、と理解できる程度。だから少しもどかしい思いが後味として残るかもしれない。 | ||||
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「日の名残り」の方がよかったかな。 題材自体がSFや他のジャンルでよく見かけるので新鮮味はないし、文学としてこの題材を扱うのであればもう少し凄みのある表現やインパクトが欲しかった。 中だるみもあるし、読後感も残念ながら薄かった。 | ||||
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