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エンジェルズ・フライト



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エンジェルズ・フライトの評価: 8.50/10点 レビュー 2件。 Aランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点8.50pt

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全2件 1~2 1/1ページ
No.2:
(9pt)

警官による黒人虐待による暴動が起きた今だからこそ読まれるべき作品

ケーブルカーと云えばLAではなくサンフランシスコのそれが有名だが、LAにもあり、それが本書で殺人の舞台となるエンジェルズ・フライトだ。実は世界最短の鉄道としても有名だったが、2013年に運行を停止していたらしい。しかし2016年の大ヒット映画『ラ・ラ・ランド』の1シーンで再び脚光を浴びて運行が再開したようだ。

1冊のノンシリーズを挟んでボッシュシリーズ再開の本書は奇遇にも最近再開されたケーブルカー内で起きた、LA市警の宿敵である強引な遣り口で勝訴を勝ち取ってきた人権弁護士の殺人事件に突如駆り出されたボッシュが挑む話だ。

作者はやはりボッシュに安息の日々を与えない。今度のボッシュはまさに否応なしにジョーカーを引かされた状況だ。
警察の天敵で、何度も幾人もの刑事が苦汁と辛酸を舐めさせられた弁護士の殺人事件を担当することで、世論は警察による犯行ではないかと疑い、刑事も当初はその疑いを免れるために強盗によって襲われたものとして偽装する。現場の状況は警察が偽装した痕跡が認められた上に、射撃の腕前がプロ級であることから容疑者が射撃の訓練をしてきた人間である可能性が高いため、警察関係者にいる可能性も高まる。そしてボッシュはそんな事件を担当する刑事たちに嫌悪され、刑事と思しき人物から脅迫電話まで受け取る。
おまけに被害者は黒人であるのが実は大きな特徴だ。本書はスピード違反で逮捕された黒人をリンチした白人警官が無罪放免になったいわゆるロドニー・キング事件がきっかけで起きた1992年のロス暴動がテーマとなっている。作中LA市警及びハリウッド署の面々にとってもその記憶もまだ鮮明な時期で、エライアス殺人事件がロドニー・キング事件の再現になることを恐れており、少しでも対応を間違えば暴動になりかねない、まさに一触即発の状況なのだ。

作者自身もこのロドニー・キング事件を強く意識した物語作りに徹している。上に書いたように黒人であるロドニー・キングをリンチした白人警官が無罪放免になったのには陪審員が全て白人で構成されていたことが要因として挙げられている。一方エライアスが担当していたマイクル・ハリス事件もまた、事件に関わった警察及び検察官が全て白人であった。コナリーは実際の事件をかなり意識して書いていることがこのことからも窺える。
従って本書では特に白人と黒人の反目が取り沙汰されている。ボッシュ達がこの微妙な、いや敢えて地雷を踏まされたような事件を担当するのも、ボッシュのチームに黒人の男女の刑事がいることが一因であることが仄めかされている。しかしボッシュはそんな市警の上層部の意向に嫌悪感を示し、記者会見に彼の部下を同席することを良しとしない。2回目の記者会見でLA市警の誠実さを示すためだけに同席を強いられたエドガーとライダーはそうすることを命じたボッシュに対して反発心を見せる。彼らは1人の刑事であり、決して特別な「黒人の」刑事ではない。しかしそれを世間に示さなければならないほど、世紀末当時のLAはまだ根深い人種差別が横たわっていたことが描かれている。

ついでに云えば被害者の弁護士ハワード・エライアスの息子の名が黒人解放運動の牽引者である人物の名前がそのまま入ったマーティン・ルーサー・キング・エライアスであることも象徴的だ。

ところで本書ではエピソードとして2つの事件が挿入されている。1つは最近ボッシュが解決して有名になったハードボイルド・エッグ事件。もう1つはエライアスがLA市警強盗殺人課相手に裁判を控えていたブラック・ウォリアー事件だ。

前者の事件は自殺と思われた事件が冷蔵庫に冷蔵されていた固ゆで卵に書かれた日付によってそんなことをする人間が自殺するわけがないと閃いて犯人を捕まえた事件でそれはロサンジェルス・タイムズにシャーロック・ホームズ張りの名推理として紹介され、有名になったのだ。そして犯人だったストーカーは自分の犯行の証拠となる被害者の手記を後生大事に持っていた。

後者は誘拐された自動車販売王として有名なジャクスン・キンケイドの息子サムの一人娘ステーシーが捜査の甲斐虚しく、遺体として発見され、その発見場所がかつて住居侵入と暴行の罪で前科のあるマイクル・ハリスの近くだったことから容疑者として逮捕されたもの。当初はこの被害者家族に世間の目は同情的だったが、裁判でサム・キンケイドがサウス・セントラル地区に販売代理店がない理由を、1992年に暴動が起きた場所に店を構えるつもりなど毛頭ないと応えたことで黒人差別の気運が高まり、無罪判決で釈放された後、ハリス側が今度は自身がが不当な拷問を捜査官から受けたことに対してLA市警を訴えた事件である。そしてこの事件の裁判の直前に担当弁護士で辣腕を誇るエライアスが殺害されるのである。

この事件が実はエライアス殺害事件に大いに関わってくる。むしろボッシュはこの事件を解くことがエライアス殺害事件を解く鍵と信じ、捜査に協力するFBIの方にエライアス殺害事件の方を任せて、自分たちはその事件を追う。

余談になるが、アーヴィングと本部長の取り計らいでこのエライアス殺害事件の捜査はFBIと合同で行うようになる。それに派遣されるFBI捜査官がロイ・リンデルであるのが今回のサプライズでもある。彼はシリーズ前作『トランク・ミュージック』で登場したあの潜伏捜査官。なるほど、こんな手をコナリーは繰り出してくるのかと驚いたものだ。

もう1つFBIで云えば、本書では前作『わが心臓の痛み』が映画化されたことにも触れられており、しかもテリー・マッケイレブはかつてボッシュも一緒に仕事をしたことがあると述べている。これも思わずニヤリとするコナリーの演出だ。

話は変わるがネオ・ハードボイルド小説の代表作の1つにアル中探偵ローレンス・ブロックのマット・スカダーシリーズがある。1976年に始まったこの次世代ハードボイルドシリーズも90年になるとIT化の波には逆らえず、スカダーの仲間の1人TJがパソコンを駆使して彼をサポートするが、このボッシュシリーズでも同様に本書ではボッシュのチームのメンバーの1人、女性刑事のキズミン・ライダーが買春のウェブサイトから隠れサイトであった小児ポルノのサイトへのアクセスし、事件が急転回する。

しかしデビュー作ではまだポケベルで連絡を取り合い―それは本書でもまだ続いている―、その後携帯電話をボッシュが使うようになるが、とうとうインターネットまで登場するようになったとは。
本書は1999年発表だからそれは全くおかしなことではないのだが、ボッシュとインターネットというのがなんともそぐわなく、本書でもボッシュはネット音痴でキズミンがかなり噛み砕いてインターネットのウェブサイトの仕組みについて説明しているのに隔世の感を覚える。世紀末のあの頃のインターネットの認知度はまだそんなものだったのだ。

また今まで色んな苦難に直面させられてきたボッシュだが、『トランク・ミュージック』で新たなチームのリーダーとなり、またグレイス・ビレッツという理解ある上司に恵まれ、しかも運命の女性と感じていたエレノア・ウィッシュと結ばれ、ようやく人生の春を迎えつつあった。しかし本書でまたもや危難に見舞われる。
警察の敵を殺害した犯人の捜査だ。しかも犯人は警察の中にいるかもしれず、お互い理解しあったとされたかつての宿敵アーヴィン・アーヴィングは昔に戻ったかのようにボッシュをマスコミの生贄の山羊に捧げるかのように管轄外にも関わらず呼び出し、特別任務として捜査のリーダーに命じる。
味方の中にも敵がいるかもしれない、そんな四面楚歌の状況にボッシュはいきなり追いやられる。

更にエレノアとの結婚生活もまた破綻しかけている。元FBI捜査官でありながら、前科者という経歴で彼女はなかなか新たな職に就けないでいた。ボッシュも人脈を使って逃亡者逮捕請負人の仕事を紹介したりするが、エレノアはかつて捜査官として抱いていた情熱をギャンブルに向けていた。ラスヴェガスでギャンブラーとして生計を立てていた頃に逆戻りしていたのだ。
ボッシュはエレノアに安らぎと全てを与える思いと充足感を与えられたが、エレノアはボッシュだけでは充たされない空虚感があったのだ。

本書で特に強調されているのは「すれ違い」だろうか。事件の舞台となったケーブルカー、「エンジェルズ・フライト」をコナリーは上手くボッシュの深層心理の描写に使っている。

彼が夢でこのケーブルカーに乗っている時、まず最初に反対側のケーブルカーに乗っていたのはエレノア・ウィッシュだった。しかし夢の中の彼女はボッシュの方を見向きもしないまま、そのまま下っていく。

2回目の夢の時は反対側のケーブルカーではなく、同じケーブルカーに通路を挟んで相手は乗っている。それはブラック・ウォリアー事件の被害者ステーシー・キンケイドだ。彼女は悲しげで虚ろな目でボッシュを見つめている。

一度は近づきながらもやがて離れていくケーブルカー。これを出逢いと別れを象徴している。
一方同じ車両に通路を隔てて乗っている2人の関係性。これは同じ方向に進みつつも2人には何か見えない隔たりがある。
ケーブルカーをボッシュが関わる女性との関係性に擬えるところにコナリーの巧さがある。

夢で見たようにエレノアはボッシュを十分愛せない自分に耐え切れなくなり、しばらく距離を置くため家を出る。ボッシュはエレノアといることに至上の幸せを見出していたのに、それが一方通行でしかなかったことを知り、心が引き裂かれそうになる。
上に向かっていくケーブルカーに乗っていたボッシュとは裏腹にエレノアの心は下降線を辿って行ったのだ。

そしてステーシー・キンケイドもまた同様だ。今度は同じ車両に乗りながら通路を挟んで見つめ合う2人。
我々は同じ車両に今乗っている。ただまだそちらのシートには近づけない。そこにはまだ通路分の隔たりがあるのだと。

すれ違いと云えば、被害者エライアスの家族もそうなのかもしれない。
人権弁護士として貧しき黒人たちの救世主として名を馳せた辣腕の黒人弁護士。しかし彼はその名声ゆえに近づいてくる女性もおり、それを拒まなかった。元人権弁護士でLA市警の特別監察官となっているカーラ・エントリンキンもまたその1人だった。

しかしエライアスの妻ミリーは女性関係については夫は自分に誠実であったと信じていますと告げる。決して誠実だったとは云わず、自分は信じているとだけ。
これはつまりすれ違いをどうにか防ごうとする妻の意地ではないだろうか。世間に名の知れた夫を持つ妻の女としての矜持だったのではないだろうか。つまり彼女とハワード・エライアスのケーブルカーはそれぞれ上りと下りと別々の車両に乗ってはいたが、行き違いをせずにどうにかそのまま同じところに留まっていた、そうするように妻が急停止のボタンを押し続けていた、そんな風にも思える。

今回も多くの人々がボッシュの目の前から消え去る。

娘を亡くした忌まわしい過去を一刻も早く消し去りたいがために引っ越しながら、移転先では2人の死体が残され、そして以前の家では1人の死体が残され、そして誰もいなくなってしまった。

皆が集まる家もあれば、なぜか人が居着かない家もある。ずっと孤独を抱えていたボッシュの家は後者になるのか。
そしてアメリカの政財界にまで影響を与える自動車販売王の家もまた張り子の家庭だけが存在する、不在の家なのか。
事件を調べる者と調べられる者と対照的な2つの家に私はなんとも奇妙な繋がりを覚えずにはいられなかった。

コナリーは刑事を主人公としながら実は警察小説を書くのではなく、あくまでハードボイルドで警察に盾突く卑しき街を行く騎士としてボッシュを描いていることに今ようやく思い至った。

世紀末を迎えたアメリカの政情不安定な世相を切り取った見事な作品だ。
実際に起きたロス暴動の残り火がまだ燻ぶるLAの人々の心に沈殿している黒人と白人の間に跨る人種問題の根深さ、小児に対する性虐待にインターネットの奥底で繰り広げられている卑しき小児ポルノ好事家たちによる闇サイトと、まさしく描かれるのは世紀末だ。

では新世紀も17年も経った現在ではこれらは払拭されているのかと云えば、更に多様化、複雑化し、もはやモラルにおいて何が正常で異常なのかが解らなくなってきている状況だ。人種問題も折に触れ、繰り返されている。
そういう意味ではここで描かれている世紀末は実は2000年という新たな世紀が孕む闇の始まりだったのかもしれない。
そう、それは混沌。
死に値する者は確かに制裁を受けたが、それは果たして正しい姿だったのか。そして友の死の意味はあったのか。向かうべき結末は誰かが望み、そしてその通りになりもしたが、そこに至った道のりは決して正しいものではない。

結果良ければ全て良しと云うが、そんな安易に納得できるほどには払った犠牲が大きすぎた事件であった。

自分の正義を貫くことの難しさ、そして全てを収めるためには嘘も必要だと云うことを大人の政治原理で語った本書。その結末は実に苦かった。

そして本書では解かれなかった謎がもう1つある。それはマスコミ、TV屋のハーヴィー・バトンとそのプロデューサー、トム・チェイニーに警察の内部情報をリークしていた人物についてだ。つまり今後も警察内部に情報源を抱えて仕事をしていかなければならないことを強いられるわけだ。

ボッシュの息し、働き、生活する街ロス・アンジェルス。天使のような美しい死に顔をして亡くなったステーシーがいた街ロス・アンジェルス。
まさに天使の喪われた街の名に相応しい事件だ。

その街にあるケーブルカーの名前は「エンジェルズ・フライト」、即ち「天使の羽ばたき」。
しかし天使の喪われた町での天使の羽ばたきは天に昇るそれではなく、地に墜ちていく堕天使のそれ。

最後にボッシュは呟く。チャステインの断末魔は堕天使が地獄へ飛んでいく音だったと。
エンジェルズ・フライトの懐で亡くなったエライアスはこの堕天使によって道連れにされた犠牲者。
世紀末のLAは救済が喪われたいくつもの天使が墜ちていった街。そんな風にLAを描いたコナリーの叫びが実に痛々しかった。


▼以下、ネタバレ感想

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Tetchy
WHOKS60S
No.1:1人の方が「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(8pt)

警察組織の壁に挑む、孤高の刑事

ハリー・ボッシュ・シリーズの第6作。難しい事件捜査で警察組織の闇に迷いながらも信念を貫こうとするボッシュの苦しい戦いを描いた、骨太の警察ミステリーである。
長年、ロス市警と対立してきた人権派の黒人弁護士が射殺された。マスコミを始め多くが警察官による犯行ではないかと疑っている難事件の捜査が、本来管轄外であるボッシュのチームに回ってきた。信頼する二人の部下とともに捜査を進めたボッシュは、事件の背景に数年前の少女誘拐殺人事件が関わっているのではないかとの疑念を抱くようになった。だがしかし、世間はロス市警と黒人社会との対立に焦点を当て、ロサンゼルスは人種間暴動の勃発寸前にまで緊張感が高まっていた。焦る市警上層部は、事件の真相解明より暴動の回避を優先し、ボッシュは厳しい立場に追い込まれるのだった。
ロドニー・キング事件の後遺症に囚われたロス市警、ロサンゼルス市の底流に流れる人種間対立を背景にした殺人事件捜査がメインで、それにボッシュの結婚生活という個人的事情が重なった、全体に非常に重苦しい雰囲気の作品である。そんな中で警官としての正義を貫くボッシュの姿は、現代の警察小説の典型例として輝いている。
ボッシュ・シリーズのファンはもちろん、重量感のある警察小説を読みたいというファンに、自信を持ってオススメする。

iisan
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