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Tetchy さんのレビュー一覧
Tetchyさんのページへレビュー数1426件
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前作『あっちが上海』に続くスラップスティック・エスピオナージュ小説。CIAやらFBIやらモサドやらが出てきて相変わらずドタバタ劇が繰り広げられる。
表紙に書かれた奇妙な動物は中身を見てからのお愉しみということで。 この後、志水氏は『そっちは黄海』という作品を書いて三部作にしようとしたらしいが、やめたらしい。理由は・・・ほとんど売れなかったからだと! |
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雨の降る夜に拾った女、というドラマの1シーンを切り取ったかのようなベタな始まり方をする本書。しかし物語はなんとも行き当たりばったり感が拭えず、消化不良。シミタツ節もこれといって特に感じず、どうしたんだ!?と叫ばずにはいられない凡作。
題名からどうしても読んでいる最中にカーペンターズが流れてしまうのだが、全く内容とは関係がない。 |
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全体的に地味な作品。いや、シミタツの作品は総じて地味なんだけど、耐える男と女の感情の迸りが行間からにじみ出て、地味ながらも非常に濃厚な叙情性を感じるのだが、これに関してはとりあえず金塊強奪を設定してヤクザとか絡めて物語を動かしてみるかといった、浅慮のままで書いてしまったようにどうしても感じてしまう。
最後の唐突に主人公が告白する裏切り者の正体を見抜く根拠が小説では解らない臭いが手掛かりだったので苦笑した。 しかしそれでも最後にシミタツ節溢れる闘争シーンがあるのだから大した物だ。 |
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表紙のエグさにドン引きするが、これはシミタツによるスラップスティック・エスピオナージュ、もしくはスラップスティック・コンゲーム小説とでも云おうか。とにかく前2作で振るった緊迫感溢れ、叙情豊かな独特のシミタツ節は成りを潜め、びっくりするほど軽妙に物語は展開する。冒険小説の詩人という位置付けだっただけに、このいきなりの作風転換はかなりビックリした。そして面白いのだから畏れ入る。
いやあ、ギャグも書けるのか、シミタツは、と感心した一冊。 |
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『飢えて狼』、『裂けて海峡』、『背いて故郷』とシミタツの冒険小説三部作と云われており、しかも本作は日本推理作家協会賞受賞作である。前2作は私のお気に入りでもあり、さらにこれはその上を行くのかと期待して読んだが、案に反して琴線に触れなかった。とにかく長いと感じた。しかもなんだか主人公が自虐的ながらも自分勝手な性格で、自分に酔っているという感じが終始拭えなかった。
まあ、本作も海洋業を生業とする人物設定であるから、ちょっと飽きが来たのかもしれない。北国の寒さだけが印象に残った。 |
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なんともやるせない物語。
つつましく小さな会社を経営していた男が、己の矜持を守るために掛け違えたボタン。それが終末への序章だった。望むと望まざるとに関わらず、主人公長尾に振りかかる災厄の数々。徒手空拳で立ち向かう彼と彼を慕う女性2人の姿が痛々しい。正に昭和の男と女の物語だ。 そして空虚感漂うラストの三行は今なおシミタツ作品の中でも金字塔として残る名文とされている。復刊された新潮文庫版よりオリジナルのこっちの方が断然好きだ。 |
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最近は時代小説に活動の場をシフトした志水辰夫ことシミタツだが、昔はハードボイルド路線のバリバリのエンタテインメント作品を書いていた。
私がこの作家を知ったのはもちろん『このミス』。 過去のランクを見るとほぼ毎年作品がランクインしており、しかも1位まで獲っている作家だから注目しないわけがない。 各出版社の目録を当たってみると、私が彼の作品を集めようとした学生時には既に作品が出ており、しかもその多くが書店で手に入りにくい状況だった故、けっこう探し回った記憶がある。 幸い私の故郷福岡は天神界隈に大型書店が軒並みあり、しかも良質の在庫を抱えていたので博多に遠征した時に一気に買いだめした。まだネット書店などない時代である。 とまあ、学生時代の書店逍遥の思い出話はこれくらいにして・・・。 シミタツデビュー作である本書は北方領土問題を交えた国際謀略小説だ。しかし、そんな風に書くと堅苦しく感じるが、それは読後感じる物語の構造であって、読んでいる最中はとにかく息がつまりそうなほどドキドキハラハラする冒険小説だ。 ボートハウスを経営する男、渋谷の許に現れた怪しげな雰囲気を纏った男達。彼らに付回された渋谷は店と唯一の社員の命を奪われる。 男達の1人青柳に接触した渋谷はソビエトの要人の亡命を助けるため、択捉に脱出道具を届けるよう頼まれる。 全てを失った渋谷は引き受け、青柳が用意した案内役の老人とともにソ連領の北方領土の一角、択捉へと向かう。 過去を持つ男がその過去を清算し、つつましながらも人並みの生活を送っていた最中に訪れる過去の亡霊のような仕事。そして手に汗握る択捉島・国後島潜入行にその後、尾行の影を感じる渋谷の緊張感などなど、普通と変わりない日常生活を送る我々には体験し得ない怖さを教えてくれる。 そしてストーリーもさながらその文体はデビュー作にして非常にクオリティが高い。現在シミタツ節と呼ばれている独特の文体が生まれる前の文章は実に堅牢で迷いがない。 これは利用する者とされる者の物語だ。人生の敗残者が生きるために必死にもがく物語だといえよう。特殊な技術を身につけたが故に招いた災禍。なんとも皮肉な運命だ。 さらに物語に厚みを持たせるエピソードにも事欠かない。特に印象に残ったのは主人公の唯一の従業員が亡くなった際にその父親が渋谷と駅で別れる間際に吐露する苦渋の言葉。こういう場面が実に忘れがたい物を心に残す。 また1人、追うべき作家が増えてしまったと苦笑しつつ、満足感を覚えた私がそのときいた。 |
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これも長らく絶版の憂き目に遭っている稲見氏の数少ない長編。
夜な夜な歴戦の猛者たちが集うパブ「パピヨン」。そこに現れたレッドムーン・シバと名乗る男がその中の4人の男に勝負を持ちかける。自分と戦って勝てば三千万円を支払うと。 その男達は己の強さと賞金のために勝負に乗り、シバの待つ山へと向かう。 本書はギャビン・ライアルの長編『もっとも危険なゲーム』の本歌取り作品。 勝負に挑む男達はそれぞれ手裏剣の名人、射撃の名手、怪力を誇る元レスラーと、実に戯画化された人物たち。 ブルース・リーの映画にもなっていそうな設定で、この手の内容に荒唐無稽さを感じ、のめり込めない人には全くお勧めできない作品。 しかしこれほどシンプルな設定も昨今では珍しく、確かページ数も300ページもなく、すっと読めるのが特長だ。つまり色んなことを考えずにただ目の前に繰り広げられる戦いの物語に身を委ねるのが正しい読み方といえよう。 一応それぞれの登場人物の行動原理、人生哲学、生い立ちなども書かれており、ただの戦闘小説に終っていないとだけ付け加えておこう。 個人的にはこの手の物語は大好き。映画化されてもいいくらいのエンタテインメント性があるので、ひそかに期待しているのだが。 |
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ポンプ・アクション6連発銃、ウィンチェスターM12。通称“シャクリ”と呼ばれる一丁の銃が人から人へ渡る。その銃を手にした者たちの物語を綴った連作短編集。
これが稲見氏の小説で一冊の本として纏められた実質上のデビュー作となる。 その端緒となる第一話「オープン・シーズン」は腰だめで撃つ自分の射撃スタイルにこだわった男が落ちていくさまを描いた哀しい物語。これを筆頭に、収められた4つの物語は何がしか魂を震えさせるものを感じさせてくれる。 「斧という字の中に父がいる、ということに今頃気づいた」 という印象的な一文から始まる「斧」は離別し、山に篭って生活する父の許に息子が訪ね、大自然で生きていく術を教えていく、親子の交流を描いた作品。 「アーリィタイムス・ドリーム」はうってかわって洒脱で軽妙な語り口で進むバーのマスターの物語。悪徳業者相手に無手勝流に立ち向かうマスターと彼を慕う若者たちを描いた好編。ハードボイルド調の語りが妄想混じりに挟まれるのが非常に面白い。 最後「銃執るもののの掟」は北の工作員が出くわした老猟師の話。この老猟師の生きることに対する考え・構えは心が震えるものがある。 どれも甲乙つけがたい短編集。軽妙さもありつつ、ストイックさも兼ね備えた、「男」による「男」のための短編集。硝煙の匂いが立ち昇ってくるかのようだ。 ガンに侵されていた著者が生きた証を残そうと著した本作は、まさにこの作者が読みたかった作品を書いたのだという強い思いが行間から立ち上ってくる。 これらの登場人物の考え、思い、譲れない領域などは全て作者自身の影が色濃く投影されている。 デビュー作にして人生の酸いも甘いも経験してきた作者の人間としての懐の深さが窺える作品だ。 これも絶版で手に入らない。全くもって勿体無い話だ。 |
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【ネタバレかも!?】
(1件の連絡あり)[?]
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稲見一良という作家との出会いは『このミス』である。見慣れない作家が過去にもランクインしているのを見て興味を持ったのが最初。寡作家だったので当時その作品は比較的手に入りやすく、文庫化されていた作品は容易に手に入った。
物語の構成は世俗に疲れて旅に出た若者が出会った男が紡ぐ物語という構成を取っている。その男は石に鳥の絵を描くのを趣味としており、それら石に纏わる、もしくは連想される話という趣向が取られている。 「望遠」はCM会社に勤める男が撮影用の写真を撮るため、何日も寝ずに待っていたが、そこに稀少種の鳥がいるのを発見するという話。仕事を取るか、己が心底欲する物を取るか、惑う瞬間を描いた作品。 「パッセンジャー」は危険と知りながらも敵対する村の近くへ狩りに行った男が目の当たりにする鳥の大量虐殺の話。 「密漁志願」では癌を患って退職した男が狩猟中に出会った少年とのふれ合いを描き、「ホイッパーウィル」ではネイティヴ・アメリカンの脱走兵とそれを捕まえに行った男を描く。 「波の枕」は老人が若かりし頃、難破した船から辛くも逃れて亀に捕まって漂っていた夢を、「デコイとブンタ」は狩猟用の木彫りの鴨の彫刻と少年の冒険譚といずれもメルヘンチックな話。 これらに共通するのは自然の恩恵に対する敬意と慈しむ心だ。読書と銃と狩猟を趣味とした作者が人生の晩年に差し掛かって残そうとした自然に対する思いが優しく、また時に厳しい警告を伴って心に染み渡っていく。 泥臭ささえも感じさせる男の矜持、不器用さ、腕白少年のカッコよさ、自分の主義を愚直なまでに死守する姿勢など、忘れかけていた人間として大切なものを思い出させてくれる。 便利さが横行した現在ではもはやここに書かれている内容はもう既に一昔前の話、老人の昔語り程度ぐらいにしか感じてくれないかもしれない。でも十人のうち一人でもこの稲見一良という作家が残したかった物を感じ取ってもらえればそれで本望ではないだろうか。 私はこの作品を手に取るまでにはずい分と時間が掛かった。ずっと積上げたまま、読むその日が来るのを待っていた。その待っている最中に作者の人となりを知る機会があった。彼自身が癌に侵され、闘病生活の末に生き長らえた事。しかしまだ病巣は残っており、いつ再発してもおかしくない事。そんな背景から彼が高齢になって作家に転身した思いが作品に乗り移っていることを知った。 そしてこの作品に出てくる人物は作者の分身だ。稲見氏の生き様さえも見え隠れして、それまでの歩みを、またはこれからしたいであろう事が語られている。一人の人間として尊敬の念を自然と抱かせてくれる、そんな作品だ。 男ならば是非とも読んでほしい珠玉の短編集。私は永遠にこの本を手元に置いて決して離さずにいようと思う。 |
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綾辻行人氏、法月綸太郎氏、歌野晶午氏、我孫子武丸氏ら4名の島田荘司推薦による作家たちの作品が「新本格」と名づけられ、ミステリ界に新本格ブームが巻き起こった。そのブームに有象無象の新本格作家が続々とデビューし、また消え去っていった。
この斎藤氏もその中の1人であるが、ちょっと毛色が違って、本格ミステリだけでなく、『魔法物語』というファンタジーのシリーズ作品も書いている。 また専業作家ではないようで、何年かに1冊の割合で細々と新作を発表している。 その少ない作品の中で「思い」シリーズといわれるミステリシリーズがあり、本作はその第1作。 推理マニアの大学生大垣は合宿先の殺人事件を見事解決して帰ってきたところだった。同じアパートに住む陣内からその一部始終を話してみろと云われ、大垣はその顛末について語る。 彼は所属するテニスサークルの夏休み合宿で吊橋を渡った断崖にある洞窟と一体となった館に行った。そこで何者かに吊橋が切られ、外界との接触を断ち切られる。それを皮切りにその館で次々と殺人事件が起こり出す。 この内容を見ても本格ミステリのコードを忠実に再現した作品であるといえよう。目新しいところでは物語の時間軸が既に探偵が事件を解決した後であるということだ。そしてそれを聞いた陣内がまんまと犯人のミスリードに嵌ってしまった探偵に代わって真相解明に乗り出すという二段構えの作品となっているところか。 しかしこの斉藤氏の諸作は実に実験性に富んだ作風である。探偵不在の状況で真の探偵が事件を解明するという趣向、探偵役が後日事件を語るということによる事件の最中における探偵役の存在意義、そういったものが見え隠れする。 しかしそのあまりに平板な文章はなんのケレン味もなく、物語にフックが感じられない。実験小説なのだろうが、何の血も通わない人々が行き来し、行動する様子をただ眺めているだけで、推理クイズに特化した作品のように感じた。 寡作家の斉藤氏の文庫作品は全作品が文庫化されているわけではないため、輪を掛けて少ない。さらにそのほとんどが絶版である。しかし書物の森を逍遥して探し当てて読むほどの価値はないというのが私の個人的な意見だ。新本格草創期の幻の作品をぜひとも読みたい方のみお勧めする作品だ。 |
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私が竹本氏の作品を集めだした時はほとんどが絶版状態で、唯一この作品が文庫新刊で発売されたという状況だった。数少ない最近の作品ということで期待して手に取った。
幼馴染に誘われて夏休みに故人の怪奇幻想作家のベルギーの古城を訪れたあなた。しかし気晴らしに来たはずなのに、謎の少女に出会ってから次々と怪事が起こる。 本書の最たる特長は二人称叙述で書かれているところだ。つまり主語が「あなた」なのだ。私は主語が「あなた」で書かれた作品は法月氏の『二の悲劇』と中学生の頃に夢中になったゲームブック以外、読んだことなかった。この二人称叙述で書くことの狙いは読者自身を物語の世界により没入させることにあると思う。ゲームブックはまさに自身が主人公になって物語に参加する趣向の作品だから、当を射ているといえよう。 また作品がミステリの場合はこの二人称叙述を使った叙述トリックが想定される。しかしこれは一人称、三人称叙述と違い、かなり高度なテクニックを要するように感じる。 しかし本作はそんな企みとは全く無縁。単に二人称叙述で書きましたというだけに留まっている。解説者はまるで自分が物語の世界にいるような錯覚を覚える、などと絶賛しているが、全然そんな風には感じなかった。 また本書はゴシック趣味溢れた幻想小説風なミステリであり、なんだか曖昧模糊としたイメージが常に付き纏っている。以前にも書いたが私はこの手の少女漫画趣味的な世界は苦手で、それだけでもう物語に没頭できないのだ。 文体も私が驚嘆した『狂い壁狂い窓』のような凝ったものではなく、実に平板。本当に同じ作家が書いたのだろうかというくらい違っていた。 書かれた年代が違うとこれほどまでに作風が違うのかと落胆したりもした。 結局当時はこれに続く文庫作品が出ていなかったので10年以上もこの作家の作品から離れることになる。 |
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大学でミステリに目覚めた私が各種ガイドブックを読み漁って、手当たり次第にその道の作家の作品に手を出していたのは既に別の感想でも述べたが、その中の1人に竹本健治氏がいた。
この作家の代表作として必ず挙がるのが『匣の中の失楽』。しかしこの作品は当時絶版であった。数年後どこかの書店でノベルス版を見かけたが、文庫本で購入することを原則としているので文庫落ちをじっと待っているような感じだった。 とにかくいわゆる新本格ミステリ作家の方々が影響を受けた作品としても『匣の中の~』の名はたびたび挙がっていたので、この竹本健治という作家の作品とはいかなるものかと各社の文庫目録を調べてみたところ、ほとんど作品がなく、唯一角川文庫だけがこの作品を文庫で出版していた。現在は竹本氏の文庫は各出版社から出ており、容易に購入できるが、90年代当時は実に稀少だったのだ。 本書の舞台は元産婦人科医院を改装した「樹影荘」というアパートを舞台にした作品である。そこに住む男女はどこか歪んでおり、屈折した性格を持っている。そんな彼らに起こる奇怪な出来事。虫が這いずり回り、天井から血がしたたり、生首を思わせるマネキンの首が玄関に放り込まれる。便所には「死」の文字が殴り書きされ、廊下一面に血が流される。そんな怪異に住人たちも疑心暗鬼に捉われ、お互いを疑い出す。やがて住民の1人が首吊自殺を遂げる。それがカタストロフィの始まりだった。 この作品を読むまで私はホラー小説を読んだことがなかった。文字で人を怖がらせるなんて到底できるものではないと高を括っていたのだが、それが間違いだと気づかされたのがこの作品。とにかく怖い。書かれている内容もそうだが、並んでいる文字の字面が怖い。あとがきによればとにかく怖い文章を書こうと使う単語を吟味し、漢字からひらがなの表記、つまり文字が与える印象までを徹底的に考え抜いたのだそうだ。その成果は竹本氏の期待以上に出ている。常に湿り気を纏ったようなじとじとしたような印象と指に血が付いてこすり合わせた時に感じる、あの粘着感。特に最初の産婦人科時代に行われた中絶場面など、いきなりこれかよ!と気持ち悪さに身悶えしたものだ。 昭和の安アパートを思わせる「樹影荘」も舞台効果が抜群だ。六畳一間の日焼けした畳敷きの部屋に天井から1本ぶら下がる裸電球。部屋の隅には照明が届かず、影が常に下りている。そんな風景が終始頭に浮かんでいた。 この作品との出逢いがなければ私は竹本氏の作品を追う事はなかっただろう。数ある作品の中で当時本書のみを文庫として残していた角川書店に感謝したい。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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東京創元社によるオリジナル短編集第4集。
収録作は表題作、「カーテン」、「ヌーン街で拾ったもの」、「青銅の扉」、「女で試せ」の短編5編。 表題作の主人公には名がないが、マーロウだというのが定説になっている。これは『大いなる眠り』の原形とされる作品。 「カーテン」は探偵カーマディが、逃亡幇助を頼まれた友人のラリーが結局自分一人で逃げた矢先に殺されてしまった事から、ラリーの関わった友人の捜索に乗り出す。 金持ちの依頼人と蘭の温室で対面するシーンは確かに『大いなる眠り』にも見られたシーン。 「ヌーン街で拾ったもの」はヌーン街で見かけた金髪の女性の代わりに、一台の高級車から落とされた荷物を拾ったことからハリウッドスターとマフィアとのある企みに巻き込まれる話。 「青銅の扉」は夫婦仲の悪いうだつの上がらない亭主が散歩中、出くわした馬車に連れられ、ある骨董商の競売に参加し、そこで青銅の扉を手に入れるところから物語は始まる。この重厚な扉は実は時空の狭間とも云うべき無の空間に繋がる扉で、主人公がこの扉で気に食わない人間を次々に消してしまうという話だ。 「女を試せ」では再びカーマディが登場。ギリシア人の床屋の主人の捜索でセントラル・アベニューを訪れたカーマディが、たまたま出くわした大男スティーブ・スカラに否応無く彼のかつて愛した女ビューラの捜索に巻き込まれる話。 ここで現れる一人の女を追い掛ける大男は大鹿マロイではなく、スティーブ・スカラ。最後の幕引きも同じようなものだったか?凶暴かつ乱暴で野獣のように思われた大男。自分の目的のためには人を殺す事も躊躇わない大男。だのに女にはこの上ない優しさを見せる。自分を撃った女に対して「放っておいてやれ。やつを愛していたんだろう」と慈悲を与える不思議な魅力を持った男だ。こういう男は多分に母親の愛情に飢えていたのだと思われる。 本作では『大いなる眠り』と『さらば愛しき女よ』というチャンドラーの2大傑作の原型となった作品が読める。長編と読み比べてどう変わったのか確認してみるのもまた面白いだろう。 従ってベストは「女を試せ」。次点は変り種「青銅の扉」か。 この東京創元社が編んだ短編集には抜けている作品もあり、これらを全て補完したのが後年早川書房から出た文庫版短編集である。ただあちらはこちらと区別するためか題名が原題のカタカナ表記であり、なんとも味気ない感じがする。チャンドラーの持つ叙情性は日本語の美しさと通じるものがあると私は思っているのだが、それが見事に損なわれている。 表紙も含め、チャンドラーのイメージに合うのはこちらの短編集なのだがチャンドラーの作品を網羅しようと思うと物足りない。チャンドラリアンにとって日本の出版事情とはなんとも具合の悪いことだろうか。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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東京創元社によるオリジナル短編集第3集。
収録作は「ベイ・シティ・ブルース」、「真珠は困りもの」、「犬が大好きだった男」、「ビンゴ教授の嗅ぎ薬」、表題作の短編5編。 「ベイシティ・ブルース」は特に上昇志向が強く、降格された恨みから犯罪まで犯すド・スペインのキャラクターの濃さは本短編集でも異彩を放つ。 「真珠は困りもの」は恐らく親の遺産で悠々自適に暮らしているウォルター・ゲイジが婚約者の依頼で探偵を務める話。 このウォルターが坊ちゃんで、自意識過剰、自信家なところが他のチャンドラーの主人公と大いに違い、逆に他の短編に比べて特色が出た。特にウォルターがいきなり盗難の犯人と目したヘンリーに真珠が模造である事を話すところなど素人丸出しで、チャンドラーが他の探偵とウォルターをきちんと書き分けていることがよく解る。 「犬が大好きだった男」は失踪した娘の捜索を頼まれたカーマディが唯一の手掛かりとしてその娘が連れていた犬を追って、獣医、強盗犯、精神病院へと次々と場面展開していく。死人も多く、激しい銃撃戦もあり、一番ハードな作品。しかもカーマディが麻薬を打たれて病院に監禁されてしまうシーンは確か長編でもあったように記憶しているがどの作品だったのか思い出せない。ロスマクのアーチャー物でも同様のシーンがあったように思うのだが。 「ビンゴ教授の嗅ぎ薬」はその題名から本格ミステリを早期させるが違う。これもうだつの上がらない亭主が主人公で、彼がビンゴ教授と名乗る奇妙な紳士から、嗅ぐと透明になるという嗅ぎ薬を手に入れる話。その透明になる薬を利用して妻の浮気相手を殺すのだが、そこから通常の透明人間譚とは違った全く予想外の展開を成す。つまりチャンドラーは警察というのは本格ミステリに描かれるようにおバカではなく、そう簡単に容疑者を信じたりするものではない、あくまで問い詰め、とことんまで追い詰めるのだ。そして自説が間違っている事に気づいても決してそれを認めないのだというアンチテーゼを示したのだとも考えられる。密室殺人とファンタジー風味の透明になれる薬をチャンドラーがブレンドするとこんな話になるのだ。 「待っている」は一夜の出来事を語った物語。それぞれの人物が何かを待っている。静かな夜に流れるラジオの音楽など、ムードは満点。限られた空間で起こる一夜の悲劇。それはトニーをこの上なくやるせない気持ちにさせる。その夜、トニーは兄を失ったが、代わりに何かを得たのか?それは解らない。 本書に収録された作品は実にヴァラエティに富んでおり、収録作には外れがない。通常のプライヴェート・アイ物もそれぞれの探偵に特色があり、面白い(特に「真珠は困りもの」のウォルター・ゲイジが秀逸)。チャンドラーらしくない「ビンゴ教授~」もアクセントになっていて、全4冊の短編集の中でこれがベスト。チャンドラーも意外と手札を持っているのが解る作品集だ。 |
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東京創元社によるオリジナル短編集第2集。
収録作は「事件屋稼業」、「ネヴァダ・ガス」、「指さす男」、「黄色いキング」の短編4編にエッセイ「簡単な殺人法」。ベストは「ネヴァダ・ガス」、「簡単な殺人法」。以下、かいつまんで感想を述べる。 「事件屋稼業」はけっこう散文的な内容で、犯人はチャンドラーの定番ともいうべき人物。しかし、依頼を受けて最初に訪れたところに死体があるっていうのはもはやチャンドラーの物語のセオリーのようになってきている。殺す対象が違うような感じもし、犯人の動機もちょっと説得力に欠ける。ただ出てくる登場人物が全て特徴的。最初のアンナからジーター、アーボガスト、ハリエットにフリスキーとワックスノーズの悪党コンビ。そしてマーティー・エステルと、一癖も二癖もある人物が勢ぞろいだ。この作品からプロットよりも雰囲気を重視しだしたのかもしれない。 「ネヴァダ・ガス」は他の短編に比べ、いきなり毒ガス車で人が処刑されるシーンという読者を惹きつける場面から幕が開けるのがまず印象深い。この導入部はハリウッド・ムービーを想起させる。この時既にチャンドラーはハリウッドの脚本家として働いていたのだろう。 「黄色いキング」のレオパーディ殺害の真相は、ちょっとアンフェア。もうちょっと何かがほしかった。レオパーディの造形は良かったが、ちょっと物足りない。 ただ1つ印象に残った文章があった。 「(スパニッシュ・バンドが低く奏でる蠱惑的なメロディは、)音楽というより、思い出に近い」 音楽に関して時折感じる感傷的なムードをこれほど的確に表した表現を私は知らない。どう逆立ちしても思いつかない文章だ。 歴史に残る名エッセイは何かと問われれば私はこの「簡単な殺人法」を挙げる。これはチャンドラーが探偵小説に関する自らの考察を述べた一種の評論。論中で古典的名作を評されているA・A・ミルンの『赤い館の秘密』、ベントリーの『トレント最後の事件』、その他作家名のみ挙げた諸作についてリアリティに欠けるという痛烈な批判をかましている。 その前段に書かれている「厳しい言葉をならべるが、ぎくりとしないでほしい。たかが言葉なのだから。」という一文はあまりにも有名。 本論では探偵(推理)小説とよく比較される純文学・普通小説を本格小説と表現している。そしてこの時代においては探偵小説は出版社としてはあまり売れない商品だと述べられており、ミステリの諸作がベストセラーランキングに上がる昨今の状況を鑑みると隔世の感がある。 チャンドラーはこの論の中で、フォーマットも変わらぬ、毎度同じような内容でタイトルと探偵のキャラクターである一定の売り上げを出す凡作について嘆かわしいと語っている。しかし私にしてみれば、チャンドラーの作品もフォーマットは変わらず、探偵や設定、そして微妙に犯行内容が違うだけと感じるので、あまり人のことは云えないのでは?と思ってしまう。 またセイヤーズの意見に関して同意を示しているのが興味深い。その中でチャンドラーは傑作という物は決して奇を衒ったもの、人智を超えたアイデアであるとは限らず、同じような題材・設定をどのように書くかによると述べている。これは私も最近、しばしば感じることで、ミステリとはアイデアではなく、書き方なのだと考えが一致していることが興味深かった。 最後に締めくくられるのは魅力のある主人公を設定すれば、それは芸術足りえる物になるという主張だ。そこに書かれる魅力ある主人公の設定はフィリップ・マーロウその人を表している。その是非については異論があろうが、間違いなくチャンドラーはアメリカ文学において偉大なる功績を残し、彼の作品が聖典の1つとなっていることから、これも文学の高みを目指した1人の作家の主義だと受け入れられる。つまり本作は最終的にはチャンドラーの小説作法について述べられているというわけだ。 本書はこの「簡単な殺人法」を読むだけでも一読の価値がある。世のハードボイルド作家はこのエッセイを読み、気持ちを奮い立たせたに違いない。卑しい街を行く騎士など男の女々しいロマンシズムが生んだ虚像だと云い捨てる作家もいるが、こんな現代だからこそ、こういう男が必要なのだ。LAに失望し、LAに希望を見出そうとした作家チャンドラーの慟哭と断固たる決意をこのエッセイと収録作を読んで感じて欲しい。 |
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東京創元社は作家の短編を集めた短編集を出版しているが、これが独自に編纂されたものがほとんどだ。数十年後、早川書房が村上春樹氏による『長いお別れ』の新訳版『ロング・グッドバイ』を出版した際、時系列に全ての短編を網羅した短編集を出版した。それらについての感想は後日述べることにする。
収録作は「脅迫者は撃たない」、「赤い風」、「金魚」、「山には犯罪なし」の4編が収められている。後日読んだ感想でしかもはや語れないが、ベストは「金魚」、次点で「赤い風」となる。 正直、1作目の「脅迫者は撃たない」は十分に理解できていないほどの複雑さ、というよりもチャンドラー自身も流れに任せて書いているようで、プロット的には破綻しているように思われた。しかしそれ以外は、最後はきちんと収まり、読後なかなか練られたストーリーだと感心する。その流れるようなストーリー展開から非常に粗筋を纏めるのが難しい作者なのだと気付く。しかしそれでいて読みながら物語と設定が説明なしにするすると入ってくるのだから、やはりチャンドラー、巧い、巧すぎる。 「赤い風」の特色はマーロウ自身が自ら事件に乗り出す趣向を取っている。発端はバーでいきなり殺人事件に巻き込まれるが、それ以降は自ら渦中の女を助け、その女に手を貸すといった具合だ。マーロウの視点で語る本作も、プロットは複雑な様相で物語が流れる。物語の終盤、マーロウの口から語られる事件の顛末は実にシンプルな物であることが解り、チャンドラーのストーリーテリングの妙味がはっきりとわかる。 女のために金にもならない危険を冒すところに他の探偵とは一線を画す設定がある。 また終盤に俄然存在感を増すイタリア系刑事のイバーラが非常にカッコイイ。この作品の影の主役と云えるだろう。全然動じないその物腰と肝の据わった態度はマーロウをまだ駆け出しの探偵のようにあしらう。そうこの作品のマーロウはまだ若きフィリップなのだ。このイバーラ、確か他の作品では見なかったように記憶しているが、たった一編の短編で終えるには実に惜しいキャラクターである。 「金魚」はこれぞハードボイルドだといわんばかりの作品。大人しい題名に舐めてかかると、かなりショックを与えられるハードな好編だ。この作品については『レイディ・イン・ザ・レイク』の感想で存分に述べるのでこれだけにとどめたい。 「山には犯罪なし」はもう典型的なチャンドラー・ハードボイルド・ストーリー。今まで読んできた短編と展開は同じく、探偵は右往左往と迷走しつつ、事件の本質に辿り着く。 一つ含蓄溢れた台詞があったので、ここに抜き出しておく。 「主人はあまりにも秘密を持ちすぎます。女性のまわりで秘密を持ちすぎるのは間違いです。」 これらの作品はマーロウの原型となった探偵たち。「赤い風」、「金魚」に出てくるマーロウは後年チャンドラーによって名前を書き換えられた探偵で元々マーロウではない。しかしあまりその造形は長編のマーロウと変わらないように感じた。 しかし短編でこれだけこねくり回したプロットを使うとは思わなかった。ただ中には果たして最初からこんな複雑な構想だったのかと疑問を感じるものがあるが。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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チャンドラーが書いたフィリップ・マーロウシリーズは『プレイバック』が最終巻であるが、その後もチャンドラーは創作意欲を示していたようで、本書は第4章まで書かれた未完の長編をロバート・B・パーカーが書き継いで完成させた。
かなり賛否両論に分かれている(というよりも否の声の方が多いようだが)作品だが、個人的には愉しめた。 何よりもまず驚くのがいきなりあのマーロウの結婚生活から物語が始まるという設定だろう。 結婚相手は『長いお別れ』で知り合ったリンダ・ローリング。しかしチャンドラーが書いた4章で既にこの結婚が破綻しそうな予感を孕んでいる。 そしてチャンドラーが書き残した4章までには事件らしい事件は起こらず、わずかにリップシュルツなる怪しげな男の影を匂わすだけに留まっている。つまり本書のプロットはパーカーによる物なのだ。 リップシュルツなる男からレス・ヴァレンタインなる男の捜索を依頼されたマーロウはその最中に行く先々で謎と死体に行き当たるというマーロウ一連の作品を定型を守った内容だ。 本書の最たる特長はやはりマーロウの結婚生活にあるだろう。探偵稼業という時間が不定期な仕事と結婚生活の両立が上手く行かない事は自明の理であり、パーカーもそれを受け継いで物語を紡いでいる。 この2人の関係にパーカーのスペンサーシリーズの影が見えると云われているが幸いにして私はスペンサーシリーズを読んだ事ないので、かえってパーカーよくぞ書いたと思ったくらいだ。 マーロウの信奉者には卑しき街を行く騎士が結婚生活をしちゃあかんだろうと、夢を覚まさせるような感想が多いが、しかしこれはチャンドラーが残した設定なのだ。 私はいつもにも増して男の女の関係性という側面が盛り込まれ、そこで苦悩するマーロウが人間くさく感じられてよかった。 考えるに今までは介入者として依頼人から受けた依頼を完遂するために他人の家庭に踏み込み、そこに秘められた歪んだ愛情や不幸を見てきたマーロウに実際に家庭を持たすことで家庭内の問題の当事者にしてみようと考えたのがチャンドラーの狙いだったのではないだろうか。しかし理想の男として描いたマーロウはやはり家庭が似合わない男だったことに気づくのではないか?それがチャンドラーの筆を鈍らせていたのではないだろうか。 そういう風に考えると、本作の結末は恐らくチャンドラーが想定していたものとは違うのかもしれない。しかし私はこの結末は好きだ。最後の「永遠に」と呟く2人のセリフは私の中で永遠に残るだろう。 素直にパーカーの仕事に賛辞を贈りたい。 |
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ミステリで最も印象的な文章は何?と訊かれた時に、真っ先に思いついたのはこの台詞、
「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている価値がない」 だった。フィリップ・マーロウの代名詞とも云えるこの台詞が出てくるのはチャンドラー最後の長編である本作なのだ。 マーロウは馴染みのない弁護士からある女性の尾行を頼まれる。弁護士が指示した駅に行くと確かにそこには女がいた。その女は男と会話したり、コーヒーを飲んだり、暇を潰していたが、やがて動き出した。付いた場所はサンディエゴのホテル。マーロウは彼女の部屋の隣に部屋を取り、盗聴する。やがて駅で話していた男が現れ、その女性ベティに無心する。マーロウはベティの部屋に入ってその男を殴るが、逆にベティに殴られてしまう。 その後ホテルを移ったと思われたベティがマーロウの部屋に現れ、無心をした男ミッチェルが移転先のホテルで死体になっているという。しかしマーロウが行ってみると死体はなかった。 長編の中でも一番短い本書はあまり事件も入り組んでいなくて理解しやすい。登場するキャラクターも立っているので十分満足できる。 ただシリーズの最後を飾る作品としては物足りなさ過ぎる。 逆に本作がマーロウシリーズの入門書としてもいいかもしれない。 この頃のチャンドラーはもう精神的にも肉体的にもボロボロだったらしい。『長いお別れ』を発表してからの5年間は愛妻の死、イギリス政府と泥仕合をすることになった国籍問題、そしてそれらが心を蝕んだ故にアルコールに溺れ、治療のための入院など、まさに人生としての終焉を迎えているかのようだ。そんな中で書いたのが本作。だからなんとなくマーロウも“らしくない”。そして本作発表の1年後、チャンドラーは没する。 そしてこの題名。これは全く内容と関係ない。“バック”と付いていることから前向きではなく、後ろ向きであることがうかがえる。これはもしかしたら既に自分の作家としての能力に限界を感じたチャンドラーが昔の全盛期をもう一度と望んだ心の叫びなのかもしれない。 舞台がロスでないなど、マーロウにこだわる読者の中では色々と不満があるようだが、個人的にはやはりあの台詞に出逢えた事がうれしく、十分満足できた。 |
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『大いなる眠り』の感想でも述べたが、私が最初に手に取ったチャンドラー作品がこの『長いお別れ』だった。
これには理由がある。まず私はハヤカワミステリ文庫版から手をつけていたのだが、チャンドラーの背表紙に付けられた番号が1番であったのが『長いお別れ』だったのだ。順番を意識して読む私は当然刊行された順というのは古い順だろうと思い込んでいたが、それは間違いだった。そして私はいきなりこの名作から手をつけてしまったのだった。 本作の何がすごいかといえば、『湖中の女』、『かわいい女』とあまり出来のよくない作品が続いた。そして『かわいい女』から4年後、ハードボイルドの、いやアメリカ文学史に残る畢生の名作を書く。一説によれば、チャンドラーが『湖中の女』の後、ハリウッドの脚本家に転身したのは作家として行き詰まりを感じていたのだという。そのハリウッドで苦い経験をした後、書いた作品『かわいい女』の評判もあまりよくなく、チャンドラー自身でさえ、「一番積極的に嫌っている作品」とまで云っている。そんな低迷を乗り越えて書いた作品が世紀を超え、ミステリのみならずその後の文学界でも多大なる影響を今なお与え、チャンドラーの名声を不朽の物にしたほどの傑作であることを考えると、単純に名作では括れない感慨がある。 テリー・レノックスという世を儚んだような酔っ払いとの邂逅から物語は始まる。自分から人と関わる事をしないマーロウがなぜか放っておけない男だった。 この物語はこのテリーとマーロウの奇妙な友情物語と云っていい。 相変わらずストーリーは寄り道をしながら進むが、各場面に散りばめられたワイズクラックや独り言にはチャンドラーの人生観が他の作品にも増して散りばめられているような気がする。 「ギムレットにはまだ早すぎるね」 「さよならを言うことはわずかのあいだ死ぬ事だ」 「私は未だに警察と上手く付き合う方法を知らない」 心に残るフレーズの応酬に読書中は美酒を飲むが如く、いい酩酊感を齎してくれた。 チャンドラーはたった7作の長編しか残していないが、その7作でミステリ史上、永遠に刻まれるキャラクターを2人も創作している。1人は『さらば愛しき女よ』の大鹿マロイ。そしてもう1人が本作に出てくるテリー・レノックスだ。 大鹿マロイが烈情家ならばレノックスは常に諦観を纏った優男といった感じだ。女性から見れば母性本能をくすぐるタイプなのだろう。どこか危うさを持ち、放っておけない。彼と交わしたギムレットがマーロウをして彼の無実を証明するために街を奔らせる。 本作は彼ら2人の友情物語に加え、マーロウの恋愛にも言及されている。本作でマーロウは初めて女性に惑わされる。今までどんな美女がベッドに誘っても断固として受け入れなかったマーロウが、思い惑うのだ。 恐らくマーロウも齢を取り、孤独を感じるようになったのだろう。そして本作では後に妻となるリンダ・ローリングも登場する。 本書を読むと更に増してハードボイルドというのが雰囲気の文学だというのが解る。論理よりも情感に訴える人々の生き様が頭よりも心に響いてくる。 酒に関するマーロウの独白もあり、人生における様々なことがここでは述べられている。読む年齢でまた本書から受取る感慨も様々だろう。 そう、私は本書を読んでギムレットをバーで飲んでやると決意した。しかもバーテンダーがシェイカーで目の前でシェイクしたヤツを。そしてそれを果たした。期待のギムレットは意外に甘かった。多分この本に書かれていたドライなヤツではなく、揶揄されている方のヤツだったのだろう。ただギムレットはチャンドラーのせいで、あまりにもハードボイルドを気取った飲物のように受け取られがちだったので、それ以来飲んでいない。 そんな影響を与えたこの作品の評価は実は10点ではない。全然足りないのだ、星の数が。 ×2をして20個星を与えたいくらいだ。 ミステリと期待して読むよりも、文学として読むことを期待する。そうすれば必ず何かが、貴方のマーロウが心に刻まれるはずだ。 |
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