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Tetchy さんのレビュー一覧
Tetchyさんのページへレビュー数13件
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リケジョの恋の仕方教えます!
そんなキャッチフレーズが似合いそうな森博嗣流理系女子ラヴ・コメディーが本書。しかしここでいう「恋の仕方」とは恋の指南書という意味ではなく、理系女子はこんな感じに恋をしているのだと森氏独特の文体と思考で語られる。 窪居佳那は24歳のとある大学の博士課程の1年。別に男は欲しいと思わないのだが、容姿がいいのか、研究室のM1の後輩鷹野史哉と水谷浩樹の2人は何かと彼女に絡んでくる。それぞれアプローチの仕方は違うのだが。 鷹野は典型的な爽やか系男子でいわゆるモテるタイプ。しかし女っ気は本書を読む限り感じられず、何かと佳那に声を掛けたり、試験の手伝いを申し出たりする。 水谷はどちらかと云えばマイペースで無関心ぶりを装っているが、デフォルメした人形を愛し、佳那はどうもそれが自分をモデルにしているのではないかと疑っている。コンピュータの知識と技術が高いことが次第に解ってきて、それまで眼中になかった佳那は次第に関心を持つことになるのが、彼に関する展開は意外な方向へと進む。 また彼女の周りには友人で同じ剣道教室に通う、花屋で働く藤木美保に友人の家を泊まり渡って暮らしている武蔵坊という巨漢の修行僧(?)に公園で犬の銅像を愛でるホームレスの諸星勝徳。 これらの仲間が佳那に関わってそれぞれ独特な展開を見せる。 そんなリケジョの日常と恋、そして思考と妄想が語られる本書の内容は彼女の日常で起きるちょっとした事件や出来事が取り留めもなく起こって進む。 また恋の話は主人公の窪居佳那だけでない。彼女の友人藤木美保の恋バナも語られるのだ。 合コンで知り合った猪俣と矢崎という男性2人のアプローチを後輩の水谷を使って逃れる件にその事件をきっかけに美保が水谷に好意を抱き、剣道の相手をさせて、情熱的なラヴシーンに発展したりする―このシーンは傑作!―。 また森氏は大学をよく舞台にしているが、私自身も理系学生であったので所々にノスタルジイを感じてしまった。特に夜の研究室に美保を伴って訪れて、そこで佳那と美保、そして後輩の水谷と鷹野の4人で酒宴が催されるシーンなどは、自分も学祭で同じようなことがあっただけに胸に迫るものがあった。 と読んでいて覚えた既視感があった。これはもしかして森博嗣版ちびまる子ちゃんではないか? 窪居佳那の独特な思考と彼女が自分の生活を平穏無事に送らせるために数々の誘いを断るための工作が語られるわけだが、それは何とも拙いもので小学生の悪戯の域を出ない。そして必ずしもそれは成功するわけでなく、寧ろ失敗し、そして意外な展開を招く。 そして読み進むにつれてこの窪居佳那という女性を私は次第に嫌いになっていった。 なぜなら彼女は自分勝手で大した能力もないのに先輩面をし、そして非常に鈍感である。 上に書いたように彼女は自分の身に起きた事象について沈思黙考するのだが、これが非常に長い。長すぎる。 この非常に長い思考は例えば『東京大学物語』の主人公村上直樹のそれを彷彿とさせるが、森氏独特のダジャレがふんだんに盛り込まれており、単なる作者の悪乗りにしか思えない―中には「鯉の病」といった爆笑ネタもあったが―。 そして彼女が考える謎は一般人である我々にしてみれば簡単に解る事なのに、恋愛慣れ、世間ずれしていない彼女はその当たり前のことが解らないため、延々と思考し続けるのだ。読者はとうに答えが解っているのに、この窪居佳那という鈍感女のしょうもなくも不必要なまでに長い思考に付き合わされるもどかしさを何度も何度も強いられる。 特に志保と水谷の剣道シーンに隠された真相は正直終ってからすぐに解るのに、延々「水谷はどうして研究室に自分より早く戻ってくることができたか」と最後まで引っ張る。 酔っ払って正気を失って奇行に奔って素面に戻って後悔するわと理不尽極まりない。 何ともイタイ女性なのである―ところでなぜ森作品に登場する助教授(本書では現在の呼び方准教授になっているが)は押しなべていい男でモテるのだろう。准教授であった作者自身の願望か、もしくは本当にモテたのか―。 また彼女がシャンプーにナンバリングして毎日違うシャンプーを使っているが、これが全く設定に、彼女の性格付けに活かされない。最後の台詞、彼氏になった水谷用に男性用シャンプーも用意しておいてねもさほど気の利いた台詞とは思えない。 どうでもいい女の、どうでもいい勘違いとどうでもいい恋バナを読まされた、そんな読後感が残る作品だった。 この頃の森氏は本当に何を書いても許されたのだなぁ。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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読み手が悪いのか書き手が悪いのか、その答えはここでは解らないが、何とも物語に吸引力が無かった。この前に読んだ島田氏の『龍臥亭事件』が早く読みたくてうずうずしていたのに対し、今回は食指が伸びなかった。あのウールリッチの作品とは思えないほどの印象の薄い内容だった。
物語はある金持ちから逃れたカップルがキューバはハバナに着く所から始まる。そこであるバーで写真を撮られるのだが、その瞬間、駆け落ちしてきた女性が何者かに刺され死んでしまう。その凶器が主人公が先ほど骨董屋で購入したナイフだということから逮捕される。しかし、それは主人公が買ったものとは微妙に異なる事を強調し、刑事らとその骨董屋に向かうのだが、主人はそのナイフこそ主人公が買ったものだと主張し、その証拠として領収書を見せる。かくして殺人犯人として連行されることになる主人公は刑事たちの一瞬の隙を突き、逃亡し、復讐を誓うのだった。 冒頭の真実が事実とマッチングせずに読者を混迷の最中に陥れる手法はウールリッチタッチだが、それは別にいいとしても途中の描写に叙情感があまり無く、また物語も起伏に富んでいるようで実は三文サスペンスに過ぎないような展開なのだ。 この作品は絶版にしてもいいと思う。代わりに『黒衣の花嫁』や『死者との結婚』とかを復刊してくれ!! ▼以下、ネタバレ感想 |
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売れっ子のペーパーバック・ミステリ・ライターを突如として襲う謎の空白の時間、そして心当たりのない不気味な独り言。それはもう1人の自分との戦いの序章に過ぎなかった。何かの手違いで生まれたクローン、それはどんなに傷ついても自己再生する生命体で命令に忠実だったが、ある日、自我を求めて自分探しの旅に出、そして真の自分を殺しにやって来る。
主人公マーティは作家クーンツをどことなくタブらせる存在で何にせよキングの『ミザリー』に触発されて書いたのは間違いない。キング作品は未だに読んだことがないので比べることは出来ないのだが、世評の高さを鑑みるに軍配はキングに上がったようだ。 サスペンスの盛り上げ方としてクーンツはこの上なく、物語の核心を出し惜しみして最後まで明かさない。この小説作法がずっと残っており、今回もまたそうである。この手法は読者を最後まで飽きさせない、最後まで付き合わさせる方法としてはかなり有効なのだが、明かされる真相が読者のじれったさを解消するカタルシスを伴うか、もしくは読者の度肝を抜く衝撃の真相でなくてはならない。『ウィスパーズ』然り、『雷鳴の館』然り、最近では『バッド・プレース』がそうであった。 しかし今回は設定が’70年代SFの領域を脱していなく、ある物語の典型を活用にしたに過ぎない。作中やたらと『スタートレック』が出てくるのも作者もそれを知ってのことかもしれない。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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今回のセイヤーズはつらかった。
これはミステリというよりも殺人を織り込ませた大衆小説である。広告業界内幕小説である。 とにかく物語の進行が破天荒で登場人物たちが広告業界人であるがために一筋縄とはいかず、台詞がとにかく多い。それゆえ、いつもより増して引用文が多く、これは私に云わせれば小説のリズムを崩しているようにしか取れなかった。 つまり今回は全くノレなかったのだ。 前評判から評価が二分化するのは解っていたが私が賛否の“否”になるとは思わなかった。元々事件に派手さはないセイヤーズだが、それでもその緻密さとあっと驚くワンアイデアで最高の悦楽を与えてくれていた。 しかし、今回はそれもなく、しかも最後にピーター卿が犯人に自殺を要求するのはどうか?恵まれた人物が貧者の気持ちを解さずに「なら、死ねば?」と突き放しているようにしか思えなかったのだが。 またピーター卿が広告会社で活躍するのもスーパーマン過ぎて食傷気味。 次からどうなるのだろう、このシリーズ? ▼以下、ネタバレ感想 |
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その名が示すようにこれは推理小説でいうレッド・ヘリング物、つまり疑わしき潔白者が何人もいる小説で、セイヤーズにしては珍しく、純粋本格推理小説である。
しかし、レッド・ヘリング物は誰も彼もが怪しいという趣向であり、とどのつまり、意外な犯人というものが真相にならない。従って、途中で「もう誰が犯人でもいいや」というある種の諦観を抱くようになるのだ。 それは本作も例外ではなく、キャンベルという嫌われ者の画家が殺されるという1つの事件だけで、460ページ弱を引っ張るのはあまりにもきつい。しかもレッド・ヘリングでは尚更なのだ。 さらに今回は西村京太郎ばりの時刻表解析があったりと、好きな人は堪らないかもしれないが、興味がない、いや寧ろ苦手な私にとってみれば、退屈以外の何物でもなく、はっきりいってこの段階で興味を失したのはまず疑いない。 セイヤーズの小説はなかなかノレないのにもかかわらず最後は素晴らしいカタルシスを提供してくれるので今回も期待したのだが、どうも読者を置き去りにしてしまった感が強い。苦言を呈して今回は2ツ星としよう。 |
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私はこれで笠井作品を読むのを断念しました。こういうゴシック調の作品はどうもダメですねぇ・・・。
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この短編集を読んだ限りでは、ロスマクは短編を書けない作家であると云える。意外性を無理矢理でも持たせようとする強引さが目に余る。プロット重視の作家と云われている、又は自分でも云っている、にしては何ともお粗末である。
書かれた年代が現時点では不明だが、このラフさは恐らくアーチャー初期のものに類すると思われる。 あと外的要因として、大阪への旅行を間に挟んだのも大きな原因だろう。その点は自分が甘かったと云わざるを得ない。 教訓:旅先の読書はやるだけムダ。 |
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ハードボイルドのプロトタイプの型にかっちり嵌め込んで作られた印象が強く、従って妙に何も残らなかった。文章は今までの一連のロス・マク作品の中では最も読みやすく、あれよあれよという間に事が進んでいった。事件の手掛かりが容易に手に入るのも気になったし、登場人物各々があまりに類型的過ぎた(トニー・トーレスは若干異なっていたが)。
思うに、ハードボイルドは読みやすくてはいけない文学ではなかろうか。癖のある文書の裏側に潜む作者の主張を一字一字丹念に読み上げることで理解してこそ、探偵の生き様に味わいが増すのではなかろうか。 |
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99%の確率でストーリーを忘れてしまうだろう。終いには何も残らないのでは?と思った。
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解らん!結局オイラにはこういう世界を楽しむだけの創造力とゆとりが欠如しているってことらしい。
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何がどう怖いのかよく解らない。世評とのギャップが大きすぎて正直戸惑っている。
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この作品は正直十分理解したと云えない所がある。カーの作品の中でも随一の難解さを誇る作品だからだ。それは視点人物が誰なのか、非常に判りにくいこと、事件もなんだかぎくしゃくしていること、そしてなによりも冒頭にアンフェアとも取れる表現があることだ。
一応事件を要約すると以下のようになる。 フェル博士が友人のメルスンと共にカーヴァー邸を訪れると、巡査が急いだ様子でカーヴァー邸に入るところだった。不穏な空気を察知した2人が邸に入ると、死体と銃を持った同居人ボスクーム、その友人の警部スタンレーの姿があった。しかし死体には銃創はなく、大時計の針が突き刺さっていた。ハドリー警部が駆けつけ、死体を見た途端、その正体がエイムズ警部だと判明する。彼はデパートで起きた殺人事件の捜査中でもあった。彼エイムズは事件の有力な情報を掴んで、カーヴァー邸を訪れたようで、焦った容疑者が彼を殺害したようだった。 事件は明白のようだったが、奇妙な凶器がそれを阻んでいた。 とにかく人の出入りが激しく、内容は件のデパートの事件も語られ、頭の中を整理するのが非常に困難な作品である。そして皮肉なことにメインの事件よりも語られるデパートの事件の方が面白いのだ。 そして先にも述べたがアンフェア感漂う表現。これはミスリードとは呼べないだろう。単に意外な犯人をこしらえるために、故意にそう書いたように思える。原文がどのように書かれているか解らないが、この文章にどこに力点が置かれているかによって、フェアかアンフェアか判断が分かれるところだろう。ミステリが犯人当てをメインとし、本書もまたその趣向の作品であることを考えると、作者の意図と反して、これはやはり嘘をついたとしか私には思えない。 バランス、叙述、そして内容など全てにおいて、カーの中では出来の悪い作品であると云えよう。 |
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【ネタバレかも!?】
(2件の連絡あり)[?]
ネタバレを表示する
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新本格1期デビュー組のうち、この歌野氏は他の三人とはいささかデビューの趣が違う。綾辻氏、法月氏、我孫子氏ら三人が同じ京都大学のミス研出身であり、素人時代からなんらかの形で島田氏と交流を持っていたのに対し、歌野氏は単なる一読者の立場から創作し、島田氏に直接持ち込んだというちょっと変わった経緯がある。この辺については後に述べる。
本作はタイトルどおり、長い家で起こる密室殺人事件を取り扱っている。で、もちろんメインはこの長い家の特性を活かしたトリックにあるのだが、これがもしかしてこれじゃないよなぁと思ったトリックその物だった。誰かは思いつくけど、せいぜい推理クイズぐらいのネタにしかならないと思っていたアイデアで長編を書いたという陳腐な作品だ。一応第2の殺人も起きるが、トリックは同じというのが痛い。連続殺人事件にしてはバリエーションに乏しいが、一度上手く行った手は二度も通じると思うのが犯罪者の心理と捉えると、ある意味リアルなのかもしれない。せめてもの救いはプロローグのミスディレクションがちょっと良かったことか(しかし今こんな隠語を使うのだろうか?)。 物語の裏に隠された内容、犯人の動機だが、最近ニュースで取りざたされている社会問題を扱っているのが興味深い。発表された88年から同じ事件は起きていたのだろうが、それでも単発的な物だっただろうし、現在のように社会人、芸能人、学生を巻き込んでの騒動までにはなっていなかったように思う。だからもし今初めて手に取った読者ならば案外このプロローグのミスディレクションも予想がつくのではないだろうか。ただこの一点を以って、この作品が先駆的であったとか今日性が高いなどというつもりは毛頭なく、これは単なる偶然の産物だったといっても差し支えないだろう。 また他の3人が擁するシリーズ探偵に比べると、本書で探偵役を務める信濃譲二のキャラクターは魅力に欠ける。奇抜な服装を特徴にし、大麻を好むというエキセントリックさを売り物にしているが、どうにも貌の見えないキャラクターだ。大麻を好むのはかの有名なホームズを思い出させるだけだし、なんとなく島田氏の想像した御手洗の影がちらついている。極端に云えば、物語に終止符を付ける安心感というのが感じられないのだ。後の作品でこのキャラクターについて触れることになると思うので、この辺で止めておこう。 さて巷では文庫版の末尾に御大島田荘司による推薦の文章が付せられているのが話題となっているようだ。この文章、本来は解説のための原稿のはずなのだが、作品云々に関してはほとんど(全く?)触れられておらず、歌野氏が島田氏の推薦を受けるまでに至った経緯が細かく記されており、それ自体が1つの物語として面白い物になっているのが特徴的だ。この文章からも冒頭で少し触れた他の作家と歌野氏が一線を画した存在であることがわかる。 なんとなくハンデを背負ってデビューした感のあるこの作家の作品をなぜか私はその頃から中断することなく買い続けて今に至る。2003年に『葉桜の季節に君を想うということ』でいきなり各種ランキング本で1位を獲得した時の感慨はひとしおだった。その辺のことはまた後で触れることにして、このくらいで本書の感想については筆を措くことにしよう。 |
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