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Tetchy さんのレビュー一覧
Tetchyさんのページへレビュー数10件
全10件 1~10 1/1ページ
※ネタバレかもしれない感想文は閉じた状態で一覧にしています。
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1946年発表の本書、扱われているテーマは連続殺人鬼物。文中にも言及されているが、1800年末から1900年当初にわたって、イギリスを初め、各国ではクリッペンやスミス、ドゥーガル、ソーン、ディーミング、マニング夫妻、ランドリュー、グロスマンといった連続殺人犯の手による犯行が頻発しており、本作はそれらの事件に影響を受けているらしい。そして本作では予め連続殺人鬼の正体は明かされた上で、11年後、それが一体誰なのかという視点で物語は展開する。
このテーマについてカーの行った料理法は絶品である。新進気鋭の演出家の許に送られてきた匿名の脚本を契機に、俳優に田舎の町に行かせて、ロージャー・ビューリーなる殺人鬼になりすまして、殺人鬼の心理を摑ませようというのである。 いやあ、面白いね。しかもその俳優ブルースが、ホテルの記帳の際に、ロージャーとわざと書いて、消すような素振りを見せる演出の凝りようだから、徐々に読者はブルースが本当はロージャーの仮の姿では?と疑いを抱くようになっていくのだ。 そして町中に殺人鬼がどうやら来ているらしいという噂が流れ、惚れられた娘の父親に殺人鬼では?と疑われる中、ホテルの部屋に死体が現れる。しかもその死体が11年前の唯一の殺人の目撃者ミルドレッド・ライオンズというサプライズ。 この辺まではもうはっきり云って作者の術中にまんまと嵌り、クイクイとページを捲らされた、のだが・・・。 そこから煩雑になってしまったなぁ。 死体を前にそれぞれの登場人物が好き勝手に動き回って―それ自体はいいのだけど―、収拾がつかなくなり、最後には軍の戦闘訓練施設跡なんかがいきなり舞台になって、カー特有の怪奇色に彩られた中での悪党との対決。いきなり本格推理小説から通俗小説に移った感がし、戸惑った。 ロージャーの正体はいつもながらこちらの予想と違ったが、カタルシスが得られるほどでもなかった。本作で私が求めたのは、犯人がいかにしてミルドレッドの死体をブルースの部屋に運んだかという点にあったのだが、本作ではそこに主眼は無く、ミルドレッドがどこで殺され、どこに隠されていたかに置かれていた。このトリックこそ、カーが使いたかったものだろうけど、真相としては小さい。 設定の面白さに結末が追随できなかった。 作中で演出家が殺人鬼を扱った匿名の脚本の結末に納得が行かないと述べているが、ある意味、この小説に関するメタファーかなと思ってしまった。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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全体の印象として中途半端な感じがした。小瀬川杜夫と吉敷とのエピソードは吉敷が事件に関わるためのファクターとして付加したようなテクニックを露呈しているし、森岡輝子と小瀬川陽子の電話のエピソード、輝子の行程のエピソードは十分読み応えがあって面白いが、それからがいけない。
唐突に訪れる捕物劇は、およそ刑事小説とは思えないほど、あっけらかんとした物。通常一千枚ベースで作られる御手洗物で使われるテーマをかなり省略したような感じだ。本作は正に量産物の典型だろう。 |
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タイムリミットが無かった分、消極的な印象が。プロットが政治濃かったのもあまり楽しめなかった一因かと。
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錯綜するプロットの中、題名の「蛹」は最もウェートが低かったのでは?
鮫シリーズの中では消化不良の感が強いなぁ、これは。 |
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「金髪の婦人」は面白かったが、総体的にホームズがホームズらしくない。リュパンに力点が置かれているのは仕方ないにしても、ちょっと取り扱いが不平等だなぁ。
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本作もCWA賞受賞でジェイムズ初期の代表作とされている。前回同賞を獲った『ナイチンゲールの屍衣』から名作『女には向かない職業』を間に挟んで発表された本書で再度受賞だから、この頃のジェイムズはまさに油が乗り切っていたと云えるだろう(ちなみに原書刊行は75年)。
今回もダルグリッシュは静養先で事件に巻き込まれる。よく休む警部だなぁと思われないよう、ジェイムズは一応ある設定を施しており、それはダルグリッシュが死の宣告を受けていたというもの。悪性の白血病に侵され、余命わずかと云われ、治療に専念していたら誤診だったという、なんとも滑稽な導入部である。療養休暇が余ったので、知り合いの神父から相談事があるとの依頼を受けて彼が勤める身体障害者の療養所へ向かい、そこで事件に巻き込まれるというのが本書のあらすじ。日本人だと誤診と解った時点で休暇を取止め、職場復帰するのだが、英国人は折角貰った休日だから有難く活用させていただこうと休むんだなあ。御茶の時間なども大切にするし、これが英国人と日本人の人生における余裕の持ち方の違いか。 で、件の神父は死んでおり、なんだかきな臭いものを感じたダルグリッシュはそこに留まり、色々調べると、そこで疑わしい死亡事故が頻発していることが解ってくる。しかもそこにはその施設の創立者が閉じこもって、餓死したといわれる黒い塔があり、さらに経営者の病気を奇跡的に治したと云われるルールドの水なるものも登場する。なんだかカーの作品みたいな曰くつきの伝承が語られるのが今までのジェイムズ作品に無い特徴だ。この舞台設定を意識してか、物語の語り口もどこか幻想味を帯びているような感じがし、なんだか靄がかかっているかのような雰囲気で進む。 しかしこれが非常に私には苦痛だった。かねてより何度も書いているがジェイムズの文体はうんざりするほどの情報量にあり、今回は登場人物もさらに多く、おまけに特殊な舞台設定でもあるので、人物の説明、描写、舞台の説明、描写がもうページから文字がこぼれんばかりに書かれている。初めから終わりまで全て見開き2ページが真っ黒だった記憶がある。しかもさらにページ数は増し、ポケミス刊行当時、最も厚い本であったらしい。その後、ジェイムズの作品は長大化し、この記録を自ら打ち破っていく。 とにかく陰鬱で重く、しかもなかなか進まない話に私はなんども本を投げ出そうかと思った。その後も色んな本を読んできたが、特にこの本は苦痛が先立ったのを肌身で覚えている。 ただ救われたのは意外な真相だったこと。それとダルグリッシュが犯人によって命を奪われそうになり、本書のモチーフとなる黒い塔に救われるシーンだ。ここで前半描写されたある特徴が一助となり、ダルグリッシュが難を逃れるのだが、こういう布石が最後にちゃっかりと活かされる小説というのを私は非常に好むのだ。 ずっと陰鬱だが、最後はなんだか明るい幕切れで、通常ならば終り良ければ全て良しと前面肯定的になるのだが、本書の場合は本当に気がめいる読書で、読み終って本当にほっとした作品だった。 |
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両手首を切断された男の死体がボートの中で見つかり、たまたま休暇を利用してその場所を訪れていたダルグリッシュが捜査に当たるというのが大筋。題名はこの両手首を切られた死体を指しており、わざわざその状態に焦点を当てているならば、作品の謎は犯人は誰かに加えて「なぜ死体は両手首を切断されたのか?」という謎が言及されるわけだが、あまりこの理由について目が開くようなロジックが展開されるのではないというのが正直なところ。
本作はこのダルグリッシュシリーズ、いやジェイムズ作品全般において、私にとって1,2を争う印象に残らない作品である(もう1つは『ある殺意』)。もう漠然とした印象しか残っていないのだが、なんだか文章が上滑りしたような感じがし、珍しくすいすい読め、さらにジェイムズ作品の中でもページ数の少ない作品であることもその原因だと云えるだろう。 あとこれは後にセイヤーズのピーター卿シリーズを読んでから気づくのだが、ジェイムズはセイヤーズをリスペクトしており、本書の題名もセイヤーズの『不自然な死』に由来して(あやかって?)いるらしい。そして最後のクライマックスシーンはセイヤーズの某傑作でのシーンをそのまま拝借したとのことで、これは云われてみて気づいたことである。 ちなみにセイヤーズの『不自然な死』は私にとっては非常に満足する作品だったが、そのオマージュのような本作の評価は上の通り。古今英国女流ミステリ作家の対決は本家が上だったといえよう(まあ、まだこの頃は駆け出しだったんだけどね)。 |
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アダム・ダルグリッシュ警部シリーズ第1作目にしてジェイムズデビュー作。現在刊行されている彼女の諸作品からは想像がつかないほど、本の厚さが薄いことに驚かされるだろう(大げさか)。本の薄さと相まって物語もシンプルだが、では内容も薄いかというとそうではない。
物語は富豪の旧家で起きたメイド殺しの捜査にダルグリッシュ警部が乗り出すというもの。富豪の家で起きた殺人事件で当然容疑者はその屋敷に住む人間達と従事する人々という、実にオーソドックスなミステリに仕上がっている。で、この事件を捜査するにつれ、表面では見えなかった人間関係の綾、愛憎入り混じった御互いの感情などの相関関係が浮き彫りにされる。このスタイルはジェイムズ作品特有のものであり、すでにデビュー作から彼女の創作姿勢は一貫しているといえるだろう。特にある感想でも既に述べているのだが、元々ジェイムズ作品の舞台となる場所というのは、実は裏側に潜む悪意などで、ぎくしゃくした人間関係が微妙な均衡で保たれており、それが殺人という行為が崩壊の序曲となり、ダルグリッシュが関係者を彼ら・彼女らに新たな方向性を指し示す導き手という役割を担っていることだ。本作でも外から見ると何不自由なく、平穏無事にその暮らしを継続しているような旧家の人々が実は危うい均衡の上で関係を成り立てさせており、その中心に被害者がいたと解る。 そしてジェイムズがこのデビュー作で最もやりたかったことは被害者の人物像を浮き彫りにすることだろう。通常殺人を扱ったミステリならば、動機を探るべく被害者の周辺を容疑者たちの間を渡り歩くことで犯人像を浮き彫りにしていくのだが、本作では被害者となったメイドの隠された本性が捜査によって見えてくる。未婚の母にして富豪の長男との婚約にこぎつけた、シンデレラのような女性が、実は・・・と解ってくるのはなかなか面白い。 だからといって本作が面白いかというとそうでもない。後の長大重厚作品に比べれば読みやすいものの、既に本作からくどいまでの緻密な描写が盛り込まれており、ミステリ初心者にはすんなり読める類いのものではないだろう。ミステリを求める向きの方々よりも濃厚な人間ドラマを求める方の方が性に合うと思える作家だ。 |
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腹話術師が人形を介して推理を披露するという、キャラクターを作りすぎた感が否めない我孫子氏の第2のシリーズ。しかしこのシリーズはなんと読んでいるのだろう?腹話術師朝永嘉夫シリーズ?それとも腹話術人形鞠小路鞠夫シリーズ?ま、どうでもいいか(ここでは人形シリーズとなってますね)。
本作はその第1弾で4編収録の短編集。軽いイントロダクションといった感じ。 各編のストーリー、真相についてはもう既に忘却の彼方なのだが、それでも2編目の「人形はテントで推理する」は今でも覚えていた。これは発想の転換というか、先入観を利用したミスリードがよく効いている。たしかあとがきか解説でも作者自身お気に入りの1遍であるとの弁が伝えられており、特にチェスタトン張りのトリックが本人はいたく気に入ったようだ。しかしチェスタトンという名前が誇らしげに出てくるところを見ると、やはりミステリ作家はいつかはチェスタトンのような逆説的な作品を物するのが憧れなのかもしれない。 さて元々我孫子氏の作風はライトなのだが、このシリーズではさらにそれが強調されているように感じる。上に述べたように、戯画化が強調された主人公コンビが活躍する点も含め、ライトノベルのようなテイストが強い。だからだろうか、もう一方の速水兄弟シリーズよりもキャラクターが弱いように感じた。設定の割にはあまり残る物がない短編集であった。 |
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現在ではミステリ作家としての名もさることながら、むしろゲーム『かまいたちの夜』の原作者の方が名の通っている感のある我孫子氏。私が彼の作品に触れたのは大学の頃で、まだこのソフトは発売されていなかった。逆に云えば、先に彼の作品を読んでいたからこのソフトに期待し、実際買いもした。
さて彼の作品の最大の特徴は当時ほぼ同時にデビューした綾辻氏、法月氏、歌野氏にはない、コミカルな作風にあるだろう。一読してビックリするのはものすごい軽さ。しかもページ数も他の3人に比べると格段に少ないので、あっという間に読めた記憶がある。 しかしやはり作風は異色とはいえ、最初のミステリは館物と、定型は守っているようだ。気づいてみれば綾辻氏、法月氏、歌野氏のデビュー作は全て館物だ(法月氏は舞台は学校だが、校舎も一つの大きな館だ)。 さて本作では8の字屋敷という、その名そのまんまの8の字の形をした屋敷で起こる2つの密室殺人を扱っている。 で、実は本作は私がもっとも早く犯人を見破った作品でもある。どの段階でと書くと、それだけでもうネタバレになってしまうので書かないが、もうそれはかなり早い段階だった。 だから第1の殺人に関するインパクトは非常に希薄で、逆に第2の密室殺人の方が強く印象に残っている。シンプルが故になるほど!と思ったトリック(?)だった。 この『8の殺人』はシリーズになっており、その後『0の殺人』、『メビウスの殺人』と続く。このシリーズは速水三兄弟という兄が刑事で弟が喫茶店経営、一番下の妹が大学生という3人が探偵役を務めているが、これがまず設定として成功していると思う。ホームズとワトソン2人ではなく、3人、しかも女性を絡めたのがミソだろう。この3人の掛け合いがボケとツッコミ、イジラレ役と絶妙なトリオをなしており、物語の潤滑油となっている。私は笑いこそもっとも難しい技術だと思っているので、我孫子氏が一番作家としては他の三人よりも長けているなぁと思ったものだ。ライトノベルに親しんだ学生がちょっと背伸びしてミステリに手を出そうとした時、我孫子氏の作品はいい入門書になるだろう。 薄さの割にはカー張りに密室講義も盛り込まれており、このへんがやはり他の新本格ミステリ作家同様、マニアであることを自称しているように取れる。この密室講義では古今東西の密室ミステリに触れられているがネタバレまでには至ってなかったように記憶している。 しかし我孫子氏のデビュー作である本書はミステリの水準から云えば、並程度と云えよう。本作はキャラクター性ゆえにこの作家を追いかけようと思った覚えがある。しかしその思いは次の『0の殺人』でいい意味で裏切られる。 |
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