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鷺と雪
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鷺と雪の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.96pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全69件 61~69 4/4ページ
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昭和7〜10年の時代を、私のようなものには想像もできない、今の日本と全く異なった時代を、タイムマシンで遡って経験してきた思いがする。作者はベッキーさんに、「善く敗るる者は亡びず」と復活の予言を語らせている。「人形流し」もまた「善く敗るる者」の物語であった。作者は現在の時代の雰囲気からなにかを感じとって、野に叫んでいるのでは? | ||||
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北村薫の作品はいつも楽しい。今回は昭和初期の設定なのに、登場人物には隣人のような親しみを感じる。また、元ネタとなっている事件の選択もいい。大事件ではないが、非常に趣のある事件で、それを見つめていた人や時代がやさしく書いてある。 それでもなお、素直に溜飲が下げられないのは、北村薫が書くミステリーの独自性にある。『日常の謎』を対象としたミステリーという新分野を切り開いた功績は大きいものの、時折、『これってミステリーなの』と思ってしまうことがあるのだ。 本書でも、『上野』と『ライオン』というヒントで『三越』を思い浮かべる読者は少なくないと思うが、それより先の動機は『三越入口の説明板』を読んだことがないとわからないだろうし、逆に『三越入口の説明板』を読んだことがあれば、答えそのものを知っていることになり、ちっともミステリーでない。 『日常の謎』には殺人事件のような強烈な動機がないだけに、つい、ミステリーとしての完成度を求めてしまう。完成度の高さに思わず唸ってしまう作品が多いだけに、『鷺と雪』にミステリーを求めすぎると期待がはずれてしまうかもしれない。 | ||||
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北村薫の作品はいつも楽しい。今回は昭和初期の設定なのに、登場人物には隣人のような親しみを感じる。また、元ネタとなっている事件の選択もいい。大事件ではないが、非常に趣のある事件で、それを見つめていた人や時代がやさしく書いてある。 それでもなお、素直に溜飲が下げられないのは、北村薫が書くミステリーの独自性にある。『日常の謎』を対象としたミステリーという新分野を切り開いた功績は大きいものの、時折、『これってミステリーなの』と思ってしまうことがあるのだ。 本書でも、『上野』と『ライオン』というヒントで『三越』を思い浮かべる読者は少なくないと思うが、それより先の動機は『三越入口の説明板』を読んだことがないとわからないだろうし、逆に『三越入口の説明板』を読んだことがあれば、答えそのものを知っていることになり、ちっともミステリーでない。 『日常の謎』には殺人事件のような強烈な動機がないだけに、つい、ミステリーとしての完成度を求めてしまう。完成度の高さに思わず唸ってしまう作品が多いだけに、『鷺と雪』にミステリーを求めすぎると期待がはずれてしまうかもしれない。 | ||||
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北村さんの作品はとても好きですが、最近の物語はどうしてでしょうか。すっきりと楽しむことができません。 ヒロインはほのかに生身でありながら、少女趣味にもぎりぎり陥ることはない。些細な日常に潜む謎解きが世界の見え方をわずかに変えてみせる。喜劇も悲劇もヒロインの目の前を通り過ぎ、事件は結末を迎えても、読後感として物語は終わらない。 なぜなら、ヒロインは真にそのあり様を変えて主人公として物語に結末をつけることはなく、(成長期の)曖昧さにとどまり続けているからです。それが北村作品の魅力の背景にあると感じます。ああ、でもこれこそ「少女趣味」の王道なのかもしれません。 とはいえ、終わることのない物語は書き手にとっては辛いものでしょう。最近の作品は登場人物たちが生命感を失っていくようで、少しずつ息が詰まるような印象を受けていました。 ですからこのシリーズの1作目を読んだ時は、おお、これは浪漫な時代に背景をかりた「活劇」だ、物語性の復活だ、いっそ外連味を突き詰めてほしいと、手前勝手に嬉しくなったのですが・・・。時代背景への緻密さが物語の広がりをむしろ奪っていった面が残念でした。 とくに1作目に登場した青年将校の表現は、すでにその時点で2.26事件に連座する悲劇が、容易に想像できるものでした。3作目の「騒擾ゆき」も冒頭にしては、あまりに自明なキーワードであったと思います。 いずれ滅ぶだろう個性を意図的に置いたこと、それを読者に感じさせた点は、ミステリ作家の作為としては素直に過ぎたのではないでしょうか。私には物語を背景に重ね合わせる時に、大きな史実に引きずられたように感じられます。 しばし時を忘れて楽しめる北村作品に再び出会えたことを喜びつつ、傍観者たるを脱しえなかったヒロインを憂いつつ、また安心しつつ感想とします。 | ||||
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北村さんの作品はとても好きですが、最近の物語はどうしてでしょうか。すっきりと楽しむことができません。 ヒロインはほのかに生身でありながら、少女趣味にもぎりぎり陥ることはない。些細な日常に潜む謎解きが世界の見え方をわずかに変えてみせる。喜劇も悲劇もヒロインの目の前を通り過ぎ、事件は結末を迎えても、読後感として物語は終わらない。 なぜなら、ヒロインは真にそのあり様を変えて主人公として物語に結末をつけることはなく、(成長期の)曖昧さにとどまり続けているからです。それが北村作品の魅力の背景にあると感じます。ああ、でもこれこそ「少女趣味」の王道なのかもしれません。 とはいえ、終わることのない物語は書き手にとっては辛いものでしょう。最近の作品は登場人物たちが生命感を失っていくようで、少しずつ息が詰まるような印象を受けていました。 ですからこのシリーズの1作目を読んだ時は、おお、これは浪漫な時代に背景をかりた「活劇」だ、物語性の復活だ、いっそ外連味を突き詰めてほしいと、手前勝手に嬉しくなったのですが・・・。時代背景への緻密さが物語の広がりをむしろ奪っていった面が残念でした。 とくに1作目に登場した青年将校の表現は、すでにその時点で2.26事件に連座する悲劇が、容易に想像できるものでした。3作目の「騒擾ゆき」も冒頭にしては、あまりに自明なキーワードであったと思います。 いずれ滅ぶだろう個性を意図的に置いたこと、それを読者に感じさせた点は、ミステリ作家の作為としては素直に過ぎたのではないでしょうか。私には物語を背景に重ね合わせる時に、大きな史実に引きずられたように感じられます。 しばし時を忘れて楽しめる北村作品に再び出会えたことを喜びつつ、傍観者たるを脱しえなかったヒロインを憂いつつ、また安心しつつ感想とします。 | ||||
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『街の灯 (本格ミステリ・マスターズ)』『玻璃の天』に続く、花村英子とそのおかかえ運転手・ベッキーさんが主人公のミステリー・シリーズ第三弾。本書所収の3短編は、それぞれ昭和9年から11年にわたる3年の物語です。 最初の「不在の父」はある華族の男が失踪し、今はルンペンとして暮らしているらしいという不思議な物語です。それは事実なのか、そしてそれはなぜなのか…。 「獅子と地下鉄」が描くのは東京三越本店近くの和菓子店の少年が夜中に上野で補導されるという事件。少年はなぜひとりそんな行動をとったのか…。 「鷺と雪」は英子の学友が銀座で撮った写真に、台湾にいるはずの許嫁(いいなずけ)が写っていたという怪異談。ドッペルゲンガーは果たしているのか…。 こうした個々の短編は、日常に潜むささやかな、そして罪のない謎を扱った一話完結の物語です。しかし、北村薫がこのシリーズで真に描こうとするのは複数の短編を貫く、堅固で大きなストーリー・アーク(物語の弧)です。 昭和の初期、巨大な時代の力がうねり、人々を飲み込もうとしています。押しとどめようもない波濤(はとう)を前に、市井の人々は無力であるか、もしくは気がつかない。しかし一方で、この「鷺と雪」の登場人物である軍人たちのようにわずかですが、なんらかの挙に出ようと決意する者たちがいます。 「真実とされていることも、時には簡単に覆る」(96頁)その時代にあって、それでもベッキーさんは「わたくしは、人間の善き知恵を信じます」(242頁)と語ります。彼女の孤高ともいえる姿勢に、心洗われる思いがします。 北村薫はこのミステリー・シリーズで果たして昭和のどこまでを描くのか、そして物語の弧はどこまでつながるのか。楽しみであると同時に、昭和のたどった道を知る身にはつらく痛ましい物語が立ち現れてくるであろうことを感じて、心さびしい思いがするのもまた事実です。 | ||||
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『街の灯 (本格ミステリ・マスターズ)』『玻璃の天』に続く、花村英子とそのおかかえ運転手・ベッキーさんが主人公のミステリー・シリーズ第三弾。本書所収の3短編は、それぞれ昭和9年から11年にわたる3年の物語です。 最初の「不在の父」はある華族の男が失踪し、今はルンペンとして暮らしているらしいという不思議な物語です。それは事実なのか、そしてそれはなぜなのか…。 「獅子と地下鉄」が描くのは東京三越本店近くの和菓子店の少年が夜中に上野で補導されるという事件。少年はなぜひとりそんな行動をとったのか…。 「鷺と雪」は英子の学友が銀座で撮った写真に、台湾にいるはずの許嫁(いいなずけ)が写っていたという怪異談。ドッペルゲンガーは果たしているのか…。 こうした個々の短編は、日常に潜むささやかな、そして罪のない謎を扱った一話完結の物語です。しかし、北村薫がこのシリーズで真に描こうとするのは複数の短編を貫く、堅固で大きなストーリー・アーク(物語の弧)です。 昭和の初期、巨大な時代の力がうねり、人々を飲み込もうとしています。押しとどめようもない波濤(はとう)を前に、市井の人々は無力であるか、もしくは気がつかない。しかし一方で、この「鷺と雪」の登場人物である軍人たちのようにわずかですが、なんらかの挙に出ようと決意する者たちがいます。 「真実とされていることも、時には簡単に覆る」(96頁)その時代にあって、それでもベッキーさんは「わたくしは、人間の善き知恵を信じます」(242頁)と語ります。彼女の孤高ともいえる姿勢に、心洗われる思いがします。 北村薫はこのミステリー・シリーズで果たして昭和のどこまでを描くのか、そして物語の弧はどこまでつながるのか。楽しみであると同時に、昭和のたどった道を知る身にはつらく痛ましい物語が立ち現れてくるであろうことを感じて、心さびしい思いがするのもまた事実です。 | ||||
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現代ではありえない浮世離れした、とよく評される北村薫さんの描く女性達。 芯が強くて、やや引っ込み思案で、「自尊心」があって、・・・とこれは私の感想。 英子嬢は、昭和初期の背景にはしっくりとくる。 学習院に通うお嬢様なのだから、やや浮世離れしているのが似つかわしい。 「鷺と雪」は、英子嬢とベッキーさんシリーズの三作目。 ほのかな恋心を頂いていた青年将校と、思わぬ遭遇。 時代という竜巻の気配。漠とした不安。 久々に、読書を堪能いたしました。 | ||||
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現代ではありえない浮世離れした、とよく評される北村薫さんの描く女性達。 芯が強くて、やや引っ込み思案で、「自尊心」があって、・・・とこれは私の感想。 英子嬢は、昭和初期の背景にはしっくりとくる。 学習院に通うお嬢様なのだから、やや浮世離れしているのが似つかわしい。 「鷺と雪」は、英子嬢とベッキーさんシリーズの三作目。 ほのかな恋心を頂いていた青年将校と、思わぬ遭遇。 時代という竜巻の気配。漠とした不安。 久々に、読書を堪能いたしました。 | ||||
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