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海辺のカフカ



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【この小説が収録されている参考書籍】
海辺のカフカ (上) (新潮文庫)
海辺のカフカ (下) (新潮文庫)

海辺のカフカの評価: 3.76/5点 レビュー 520件。 Dランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.76pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全520件 161~180 9/26ページ
No.360:
(5pt)

春樹節健在

レビューを見て、この小説への否定的な意見が多いのを興味深く拝見した。
村上春樹の小説(とくに長編)のなかで、この小説がとくにレベル的に劣っていると、私は思わない。
ある意味、いつもの春樹節が、この小説にも過不足なく展開されている。
ああ、またこのフレーズだ。
春樹のクリシェを好む私は、フンフンとその春樹節の展開を味わう。
スタン・ゲッツのアドリブの快楽的なメロディの展開を、身体を横揺れさせながら追うように…。

村上春樹の紡ぎだす物語は、人類が積み上げてきた文化(音楽、文学、絵画、思想…)のこの時点での春樹なりのコラージュとして提出されている。
だから、彼の小説が誰かのパクリだとか、だれそれの影響を受けていると賢しらに言い当てても、あまり意味はない。
もともと、そのように村上春樹は意図しているのだから。
ベートーベンとジョン・コルトレーンとビートルズとプリンスが、同じ地平のなかで時に応じて鳴り響く。
ソフォクレスも漱石もカフカもカーヴァーも、時節を超えて呼応する。
それが彼の世界であり、穿った言い方が許されるなら、そのような方法を選びとらざるを得ない、現代において物語を書かねばならぬものの宿命を感じる。
それは、すぐれてポスト・モダンなありようを象徴しているし、さらに村上春樹が周知のように幅広い読者を得てしまう理由だと思う。
すべてが並列に語られるこの情況のなかで、その非詩的な情況のなかで、春樹の物語にポエジーの在りかを求めている私たちこそ、実は俎上の魚と言わざるを得ない。
面白小説は世の中に数多くあるだろう。
しかし、小説とは何か、なにゆえに私たちは小説を読むのかを問うている小説はさほど多くない。
その意味で、村上春樹はこの真摯に問いに答えようとしている数少ない小説家のひとりであると私は思う。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.359:
(5pt)

高速読書も(たまには)面白い

著者の長編を初めて読んだ。
最初パラパラめくると、奇数章と偶数章で違う話を同時並行的に進めているようなので、
1回目は思い切って奇数章(カフカ君の話)だけを通しで読んでみた。

上下2冊の厚い本なのに、なんと6時間ほどで、ノンストップで読み終えた。
(先日は『吉川本宮本武蔵』を10日もかけて読んだばかりだったので、ビックリ)
謎は多いものの、欠落感もなく、楽しく読むことができた。(森からでられてよかった!)

偶数章はその後2、3日かけて奇数章をベースにして読んだ。こちらは滑稽さとグロテスクが綯い交ぜになっている。
(奇数章と偶数章は直接交わらないことも分かった)

奇数章で面白かったのは、さくらとのやりとり、特に11章。
大きくなったカフカ君のモノを握りながら、普通の身の上話をする。
さくらの感情によって握りの強さが変わる感覚が、評者にも伝わる気がした。

本書の後に、たまたま著者の『アンダーグラウンド』を読む。
どういうわけか本日は地下鉄サリン事件の20周年の日。
それで、グロテスクの舞台となった野方にオウム病院があったことを想いだした。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.358:
(2pt)

読後の気分が

「海辺のカフカ」が出た頃結構話題になっていた。「海辺の」という題名にも何か惹き付けられるものがあって、書店で上下巻購入した。そして読んでみた。しかし、途中で嫌な気分になって読書を止めた。それから十年が経った。何で止めたかはもう忘れてしまったが、何の弾みか思い立つことがあって、再び新たに読むことにした。読んでいくと、だんだん記憶が蘇って来た。多分第16章305頁の猫殺傷シ−ンで止めたんだと思う。手馴れた作家の文章なので、描写力があるから、陰惨だ。猫などの小動物の悪戯な殺傷は、未成年の殺人事件に見られる兆候であることも現実にみられることが思い出されて、痛ましく感じた。しかし、この箇所を我慢して読み続ける。
読み続けるに従って、歳月は過ぎ去ったのだなあと感じられた箇所が幾つか見つかった。例えば、第7章113頁「MDウォークマン」、第19章371頁「ジャンボ・ジェット」、第23章465頁「サンスイの旧式のステレオ・コンポーネント」。物語の時代設定は、第12章で「昭和四十七年」と記されているので、西暦1972年だろうが、「海辺のカフカ」の発行が平成十七年で西暦2005年。MDウォークマンは2011年に生産が終了してしまったし、ジャンボ・ジェットの愛称の大型旅客機ボーイング747は日本航空では2011年に全機が退役した。音響機器製造の山水電気は2014年に破産した。これらはもう過去のものとなってしまった。 
第21章421頁には「ソフォクレスの『オイディプス王』」の語句が記され、ギリシャ悲劇の暗喩があって、同章426頁「『お前はいつかその手で父親を殺し、いつか母親と交わることになるって』」の台詞と相まって、神話が想起され、読者に期待させる。オイディプスの語句は「エディプス・コンプレックス」の語句を産んだのだが、確かに父と息子の相克の話のようである。しかし、第19章380頁の、性同一性障害者と思われる者の台詞に嫌な気分に感じさせられる。「つまり女性でありながら、ゲイです。ヴァギ菜は一度も使ったことがなく、聖行為には校門を使います。栗と栗鼠は感じるけど、乳首はあまり感じない。整理もない。」 毎年、ノーベル文学賞の発表の時期には、村上春樹に期待が掛かっていますと、テレビで話題になるけど、どうも腑に落ちないのだ、こういった性的表現には。「ハルキスト」達が読書会を開いていたなんてニュースは不可思議。村上作品に必ずある、執拗と感じられるこれらの性描写は、声を出してトテモ読めません。
デビュー作の「風の歌を聴け」や「ノルウェイの森」を始め幾つか、そしてあの長い「1Q84」も読んできたのだが、本作上巻に続く下巻の第24章18頁の整骨のシーンでは思わず声を出して腹を抱えて笑った、卓越なる文章力。しかし、上巻での期待はこれまでであった。以降頁を操り続けるにつれて失望へと変わっていく。「海辺のカフカ」は「駄作」だと思った。近親相姦からでしょうか、読後にとても嫌な気分が残る。だからいずれ、古書店に売ってしまうか塵箱に捨ててしまおうかと思ってます。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.357:
(2pt)

読後の気分が

フランツ・カフカはチェコの作家で、「変身」「審判」「城」などの作品を残したが、実存主義文学の先駆者として評価され、不条理な非現実な世界を構築した。本作「海辺のカフカ」の題名に「カフカ」の語が使用されており、また上巻の第21章421頁には「ソフォクレスの『オイディプス王』」の語句が記され、ギリシャ悲劇の暗喩もあって、どういった展開となるかとても期待を持たせた。実際に上巻を読む限り、期待に違わない、続く下巻の第24章18頁の整骨のシーンでは作者の文章力・表現力もあって、思わず声を出して腹を抱えて笑った、卓越なる文章力。しかし、上巻での期待はこれまで。以降頁を操り続けるにつれて失望へと変わっていく。第29章113頁、114頁の15歳の少年と50歳を越えたた初老の女性との性交シ−ンはとにかくいただけない。さらに二人は第31章154頁、第33章200頁とまた性交をする。気持ちが悪くなった。しかも母として性交するのだ。さらに第39章307頁では妹とも交わる。近親相姦は神話上では成立する題材であって、現代ではタブーです。そうでなければ、あるいはSF、例えば遠い未来において、人類が科学の発達で漸く辿り着いた外宇宙の惑星で、親子または異性の「きょうだい」の二人しかおらず、繁殖のために性交をせざるを得ない、こうすることはありえるでしょう。そして、第48章で登場する白い怪物は、安っぽいホラーかスプラッターか、オカルトなんだか、どうも薄気味悪い。「海辺のカフカ」下巻を読みきって、物語上の幾つもの謎は結局明らかにされずに、終ってしまった。その不全感が喪失感を生んで、読後感を醸成させているのであろうが、それは良しとしましょう。しかし、「世界でいちばんタフな15歳の少年になる」というような、本編の重要なテーマは、少年が自ら世界を獲得していく少年の成長だと思いますが、具体性がないので、下巻を読みきって、成長したとは感じられなかったです。「オイディプス」の神話の少年が父親を乗り越えるという大人への階段を昇っていく光景が見られません。これは村上春樹の「駄作」だと思った。また近親相姦からでしょうか、読後にとても嫌な気分が残る。だからいずれ、古書店に売ってしまうか塵箱に捨ててしまおうかと思ってます。
海辺のカフカ (下) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:海辺のカフカ (下) (新潮文庫)より
4101001553
No.356:
(2pt)

もしかして泉鏡花もすこし入っている?

日本的な母性思慕の物語作者として谷崎と泉鏡花があげられるが、
この作品には神話学により親和性がある、泉鏡花からとおぼしいモチーフがちりばめられていますね。
迷宮とか夢の中での近親相姦的交わりとか化け物退治のモチーフは、もちろん『草迷宮』ですし、
佐伯さんが最後に自分の書いたものを第三者に託して破棄させるシーンは、
『春昼』で、ある夫人が親無しの幼い獅子舞兄弟に亡き思い人への手紙を託すシーンを思い起こさせます。
その子供は海で溺れ死ぬのですが、その遺体が上がった時、入水した夫人に抱かれて発見されます。
海が母と子とが再び結びつく世界というわけですね。彼女はきっと「霊魂の行方が分かったのだろう」と鏡花は書いています。
そういう目でみると、『カフカ』のこの本の第47章の最後、
「少女の細い指のすきまから真っ白な時の砂がこぼれていく。波が小さく砕ける音が聞こえる。それは持ち上がり、落下し、砕ける。」なんかは、『春昼』のラストの文、
「渚の砂は、崩しても積る、くぼめば、たまる、音もせぬ。ただ美しい骨がでる。貝の色は、日の紅、渚の雪、浪の緑。」
をあからさまにおもいおこさせます。

こういうところを多めに評価して、辛うじて星二つとしときます。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.355:
(3pt)

ストーリーがよくわからないのですが

よくわからない話だったというのが率直な感想です。

田村カフカ、ナカタさんの2人の主人公の物語でした。

田村君の呪いに苦しめられる人生。それを打開するため家出をし、優しい人たちに助けられて、結局は一度家に帰り卒業までしてから、やるべきことをやってから好きに生きようとした1人の少年の話。
ナカタさんは入口の石を開けて、力尽きて亡くなってしまいました。
そのあと力を引き継いだホシノさんが悪い敵を倒しました。
ナカタさんの話しって結局なんだったのか、理解できませんでした。

それでも、文章がわかやすくイメージはしやすかったです。
あとはストーリーにもう少し共感できればよかったのですが。
海辺のカフカ (下) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:海辺のカフカ (下) (新潮文庫)より
4101001553
No.354:
(5pt)

実存主義と本質主義という文脈で読む作品

この小説の一つの楽しみ方は「実存主義と本質主義」という文脈で物語を読むことだと思う。
実存主義とは「実存は本質に先立つ」という考え方であり、目に見えるもの(=実存)は本質を表象する存在ではないという概念を踏まえるとナカタと田村カフカの2つ物語中の出来事がどのように関係していくか、という点が理解できるようになる。また、これに加えて、文学的想像力というテーマもある。作者は現実社会と作家の想像物としての文学をどのように位置付けているのか。このような文脈で読めば「芸術における想像力と社会的責任」というテーマで何か伝わってくるものもあるだろう。
違った読み方で何度も再読できる良作だと思う。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.353:
(1pt)

さすがノーベル賞候補

空疎で陳腐で退屈極まる。構成は破綻し、文章は冗長。司書や長距離運転手など実社会の職業に対する理解が致命的に欠落。彼はトラックドライバーを取材したことがあるのだろうか。作家というよりは売文屋。実に幼稚で貧素な小説だ。
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4101001553
No.352:
(3pt)

「海辺のカフカ」って、・・・タイトルで煽り過ぎ?

四国の高松にある“甲村図書館”が、この世とあの世のつなぎ目にある、この世での最後の停留所ともいうべき場所です。その “甲村図書館” であの世に行くための関所が開くのを待っているのが佐伯さん、そして、この物語で最も魅力的な人物ナカタさんです。佐伯さんと、ナカタさんが、本来、あの世で暮らすべき人であることは、ふたりの影の濃さが普通の人の半分しかないことで明示されております。

佐伯さんの息子カフカは、お父さんとの確執で傷つき、自分の損なわれた心を修復するために過去のお母様に会いに行こうとしてます。その関所を開けるカギともいうべき“重い石”を探しているのがナカタさんと、それを助けるトラック運転手の星野さんで、この2つの魅力的なお話が、徐々に収斂していく様が丁寧に描かれております。

 宇宙の淵がどうなっているのか誰も説明できないことからも明らかなように、この世が3次元として完結していない世界であることは、いまでは、小学生でも知識としては知っておりますが、中々具体的な映像イメージとしてとして再現するのは困難です。もっと難しいのは時間の流れ(経過)を説明することです。あの世では、時間の経過の原理が基本的にこの世と全く異なるのでしょうから、それらを文書で表現しようとすると、この作品 “小説らしきもの” のように、違和感・居心地の悪さを感じるのかもしれません。

村上春樹が冗談好きなのかもしれませんが、この作品は・・・・少しやり過ぎ、という感じがします。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.351:
(1pt)

さすがノーベル賞候補

空疎で陳腐で退屈極まる。構成は破綻し、文章は冗長。司書や長距離運転手など実社会の職業に対する理解が致命的に欠落。彼はトラックドライバーを取材したことがあるのだろうか。作家というよりは売文屋。実に幼稚で貧素な小説だ。
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4101001545
No.350:
(5pt)

思いもつかないストーリー展開が魅力の成長物語

村上春樹の海辺のカフカは、文庫上・下刊併せて約1000ページあり、長かった。
海外でも高い評価を受けているという。
15歳の少年、田村カフカと、老人ナカタさんの物語が並行して進んでいく。
カフカ少年は父から離れたい一心で中野区野方から家出し四国の図書館にたどり着く。
少年は父から、自分を殺して母親と交わるようにとインプットされる。
このあたりはエディプスコンプレックスのモチーフが入っている。
一方、ナカタさんは、カフカ少年の父であるジョニー・ウォーカーを殺して中野区を離れ、
やはり四国の図書館にたどり着く。

サイコパスであるジョニー・ウォーカーの家の冷凍庫には殺したネコの頭が並んでいる。
先日あった、佐世保の少女殺人事件の犯人の少女の家の冷蔵庫にも殺したネコの頭が入っていたと報道された。
この2つのことのあまりの一致におどろいてしまった。

カフカ少年は四国の図書館で、自分を捨てた母と思わしき佐伯さんと出会い交わるが、その後佐伯さんは死ぬ。
そして、おそらくナカタさんが「入り口の石」を開いたことにより、カフカ少年は謎の世界
(仏教でいう中陰、つなり死んであの世に行くときに通過する場所のようなところ)に入り込み、
こちらの世界には戻りたくないと思う。
そこで、少年は死んだ佐伯さんと会い、自分がカフカ少年を捨てたのは、恐怖から逃れるためであったこと、
カフカ少年を捨てたのは間違いであったことを伝えられ、自分のことを覚えていてほしいから
もとの世界で生きていきなさいと諭されて戻ってくる。
少年はこの世界で生きていくことを決心する。
サイコパスなるものからの呪いと決別し、死んだ母から必要とされていることを糧に生きていけると感じたのだろう。
成長物語ともいえる。

読んでいくと、思いもつかない方向にストーリーが展開していく。
そこがこの小説の魅力の一つかもしれない。
そして最後まで読んでも謎は謎として残されたままである。
あえて過剰な説明をしない、村上春樹流の小説の書き方だと思う。

音楽好きとして、気がついた点。
映画「ノルウェイの森」の音楽はレティオヘッドのジョニー・グリーンウッドが担当していたが、
カフカ少年のMDウォークマンには、レディオヘッドのキッドAが入っている。
この世とずれた異様な世界の雰囲気が小説にとても合っている。
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4101001545
No.349:
(2pt)

残念

読んでいく中で、赤線がひいてあるページが2ページ有なんとなく残念な思いがした。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.348:
(5pt)

面白かった。

村上春樹の著作を全て読破したわけではないですが彼の最高傑作は「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」だと確信している。本作は2番目に面白かった。実に楽しく読みました。私としては小説は読んでいて楽しければそれで良いのです。出来不出来に云々言う必要はないでしょう。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.347:
(4pt)

今回残念でした

ノーベル文学賞、次回こそ受賞して欲しいですね!!!(^_^)
海辺のカフカ (下) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:海辺のカフカ (下) (新潮文庫)より
4101001553
No.346:
(4pt)

おち無しシリーズ100

ノーベルくん発表まで3時間か、、、。

まあ、皮剥ぎボリスとか、国境の南とかの

功績だけでもノーベルくんに値するわけやけど。

個人的には、翻訳家・エッセイスト・インタビュイーとしての存在感のほうが大きく、そちらのほうがお世話になってるんだよなあ。←知らんがな。

仮に受賞したとしたら、これほど(文章が)平易で大衆に支持されてる作家としては初であり、前代未聞、空前絶後となるやろうなあ。

まあ、ノーベルくんも変わりつつあるから、奪取する可能性は常にある。

で、ニューヨークタイムズの批評家ミチコカクタニさんが地団駄ふんで「ノーベル賞も地に落ちたわねっ」と逆ギレしだすっていう。

そんなことどうでもいいんだが、

「村上春樹なんてキザだから大キライよっ」

って言ってたあの娘の言葉をそろそろ解析せんならんのよなあ。

気障とは何か。

なぜ気障なのか。

どのように気障なのか。

気障であることの功罪。

気障の機能。

などをクリアにしてワクに嵌める方向で。

まあ、基本的には「バリアーを張る」っていうことなんやろけど。

ファン以外(これも大衆)の拒絶反応、あと多数派の女の子たちが毛嫌いする理由、などなど。

そっちを掘ったほうが、世界的作家になった理由を説明する内田樹さんの方向性より、深そうじゃない?
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4101001545
No.345:
(4pt)

なんか生々しい

結局よくわからない。
この主人公は何なんだ。

始めは家出した少年の青春ストーリーかと思ったらどうやらそうではないらしい。
猫としゃべる老人や奇妙な殺人事件、そして空から魚。

現実にありえなさすぎて少しついていけません。
中途半端にファンタジーな気がします。

それでも文章としては読みやすく情景などがイメージしやすいのはよかったです。

んーでもこれで下巻を読んでスッキリするのか、考え物です。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.344:
(3pt)

普通かな~。

現実空間の異世界な話って感じです。
ノルウェーが思いのほか、はまったので
これも~っと思ったら、そうでもなかったw
海辺のカフカ (下) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:海辺のカフカ (下) (新潮文庫)より
4101001553
No.343:
(4pt)

15歳、タフになるための冒険。

やはり著者の文学の一貫したテーマであろう、「孤独」がこの物語でも語られている。
カフカ少年とナカタさんの2つの物語が交互に綴られ、物語は進んでいくわけだが、それはある意味で背反性、ある意味では繋がりを感じる。
15歳という現実的な物事の捉え方を覚え、性的な意味でも成長期にあたるこの複雑な年齢。
それにしてはカフカ少年は幾分、いや大分成熟しており、孤独に対して端正さがあり、考えには芯がある。家出をする課程での成長ももちろんあるが、大人びすぎていると思う。
大島さんやカーネルサンダーズ等、シュールさや斬新さのある登場人物がどの作品よりも登場しているように僕には感じた。それがまた真剣な面白さなので、一層楽しめると思う。
あの深い森は、思うに村上春樹の世界観で言うところの「あっちの世界」なのだろう。
カフカ少年は長い冒険の中で苦しみ、葛藤し、その森に足を踏み入れる事になるが、ある出来事がきっかけで退屈でねじ曲がった現実の世界へ再び戻る事を決心する。
カフカ少年の影であるカラスは、少年自身の心の声だ。それは思春期独特のものだ。
カフカ少年が甲村図書館で本のページをめくり、時折大島さんや佐伯さんと言葉を交わす毎日。15歳で経験するには達観しすぎているが、それはなんだかとても孤独で、静かな悲しみにも似た感情を僕に抱かせた。
切ない歳である事は間違いない。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.342:
(2pt)

読むまい読むまいと思って読んで・・・・。

これまで村上春樹の小説を読んで、好きなのもあれば嫌いなのもあり。
全部は読んでないけど、8割の作品は読んでるくらいの読者です。

高校の時にノルウェイの森を読んで以来、10年くらい見続けているのですが、自分が成長するにしたがって、この人の作風が合わないというか、飽きてきたというか、この人の作品を読んでたら自分が成長できないというか、、、、そういう気がしてきたけど、惰性で読んでいるような状態が続いていて、家にある文庫本なんかも、ときどき読んだりするような感じでした。

この本が出て、売れているというのも知っていながら、そういう、読みたいけど読みたくないという感じで数年経ってから、読みました。

結果、この本を読んで、村上春樹に見切りがついたというか、
もう読まなくていいや、という気持ちになりました。

(それでも時々懐かしさゆえ読みたくもなるのですが)

それから、数年本当に読んでません。
色彩~も、1Q84も、、、、

結局売れてる売れてるって言っても、宣伝に踊らさせてるだけだな、というのがわかりました。
自分がおもしろいと思う本を流行に乗らずに読むほうが自分に向いてるとわかってよかったです。
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4101001545
No.341:
(1pt)

不快、不可解・・・残念

とりあえず最後まで読み通しました・・・途中で何度も挫折しそうになったけど。
もしかしたらおもしろくなってくるかも、ここでやめたら訳解らないままだし、と思って。
結果全くおもしろくないまま意味不明のまま不快感だけが残りました。
これでもデビュー作から大好きでずっと全作品読み続けてきました。同じ作品を繰り返し繰り返し読んできました。
なんだかいいたいことがよくわからないとか他人に言われようが村上春樹氏の世界観が大好きでこれでいいのだと思ってきました。
ノルウェーの森、ねじまきどりクロニクル・・・なんだか適当な終わり方だなぁ、これはないよな・・みたいに失望することも多くなりましたが。
もちろん素晴らしいと思う方々が大多数なのでしょうが個人的には村上春樹ファンをやめることになった作品です。
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4101001553

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