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海辺のカフカ



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【この小説が収録されている参考書籍】
海辺のカフカ (上) (新潮文庫)
海辺のカフカ (下) (新潮文庫)

海辺のカフカの評価: 3.76/5点 レビュー 520件。 Dランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.76pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全520件 301~320 16/26ページ
No.220:
(1pt)

本当に高い評価で良いのか?

大ベストセラーであっても、なかなか村上節が抜けないという期待を裏切れた1品。近年、村上さんはベストセラーを連発している中では、文庫本になってからでもいいやというような気持ちになってしまった。村上ファンには少し劣る作品と思える。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.219:
(4pt)

ふう〜ん、これが、村上春樹か。

遅ればせながら村上春樹を初めて読んだ。朝日新聞の文芸欄で、2000年以降の10年間に出版された書物の中でこの小説が第2位に位置づけられていたので、遂に手に取ってみた。自分がよく読むノンフィクションや歴史もの、経済もの、国際政治ものなどと全然趣向が違う。想像力が漲っていて、ストーリーの展開が重層的、そしてメタファーの使用などとっても技巧的で印象深い。エンターテインメントとしてとても面白い。この小説の思想的傾向として、自分の頭に浮かんできた表現は「urban middle-class intellectual progressive liberalism」。皮肉な意味で使っているわけではない。自分自身、ストーリーの中に出てくる和洋様々な文学や音楽に改めて触れて見たいとの気持ちになった(早速、題名のカフカの作品「変身」を読んでみた)。15歳の少年がクラシックなジャズを好んだり、彼が中高年というべき婦人に恋したり、若干oldiesに流れるところもあるけど、村上春樹が世に広く読まれていることを思えば、このような趣向も一つの大きな潮流かなと思う。この本を読んでいて、日本語表現としてその場になじまない文章が時々出てくることがある。これは、この本が英語訳されることを想定してそうなっているのかなと思ったのだが、どうなんだろう。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.218:
(4pt)

世界はメタファーだ

「君はこれから世界でいちばんタフな15歳の少年になる」―15歳の誕生日がやってきたとき、僕は家を出て遠くの知らない街に行き、小さな図書館の片隅で暮らすようになった。少年時代、その時期にしかない一瞬を扱った小説なのかな。よくある小説のように、現実をわかりやすく、より軽快に、より明快に描くのではなく、メタファーで満たし、より寓話的に、より暗示的に描くとこうなるのかなー、と感じた。「世界はメタファーだ」「この僕らの住んでいる世界には、いつもとなり合わせに別の世界がある」ほかの作品でもよくあるように、2つの世界から物語は語られる。別の世界。今回は対比がとてもくっきりしているように感じた。一つのものが、複数のものと隣り合わせにある。難しいことはさて置いて、ナカタさんとホシノさんのやりとりがすごく良かった。村上春樹はこういう単純なのも書けるんだ。正直、作者の意図とか文学的な価値なんてさっぱり分からない。書いてあることの、半分も理解できない。それでも、なんだかわかった気にはなれました。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.217:
(4pt)

ファンタジー…

読めば読むほど面白いし、二つの物語が不意に互いに絡み合い、一つになっていく過程も、読んでいて時を忘れました。しかし、ガッカリしたのは、私は村上春樹さんの小説を読んだのがこれが初めてなので、彼の特徴や作風を全く知らずに読み進めました。すると、村上ワールドを知らない私は、読み終えた後「謎が全く解決されてない…」と言うどこか期待を裏切られた気分になりました。でも他の作品をよんで、「この物語の中にリアルを求めてはいけないんだ」と思い直しました。魔女ッ子の登場するアニメに「何で魔法が使えるの?」と聞くのと同じことです。それを踏まえて読めば、魅力的なキャラクターたち(個人的に大島さんが一番好きです)や、村上春樹さんの物語を読ませる力にグイグイ引き込まれて、とても味わい深い作品だと思います。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.216:
(3pt)

評価が分かれる作品

主人公を軸とする物語とナカタ&ホシノ青年を軸とする物語が同時進行しつつ、徐々にシンクロしていくストーリー。後者の物語がほのぼの珍道中でとても面白い。一方、主人公側の話にはあまりのめり込めなかった。個人的に、頭で色々考える人間よりとっとと行動する人間の方が好きなので(もちろん主人公も行動しているけれど)、それが原因かもしれないし、美味しそうな料理が多いのも一因かもしれない。ホシノ青年は、あの部屋を出てからもネコの言葉が分かる人間なのだろうか。それがこの本で一番の気になるところだ。いずれにせよ、通常の村上作品らしくするすると読めるが、これは村上作品をあまり読んでいないか初めての人の方が評価が高いのではないだろうか。村上作品は、ねじまき鳥クロニクルを境として、方向性が微妙に変わっていったような気がする。その変化を好むか好まないかによって、評価も分かれるだろう。
海辺のカフカ (下) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:海辺のカフカ (下) (新潮文庫)より
4101001553
No.215:
(3pt)

世界で一番タフな15歳への道

「まだなんにも始まってもいないうちから、暗いことばかり並べたててもしょうがないものな。君はもう心をきめたんだ。あとはそれを実行に移すだけのことだ。なにはともあれ君の人生なんだ。基本的には、君が思うようにするしかない。」「そう、なにはともあれこれは僕の人生なのだ。」「しかしなんといっても君はまだ15歳なんだ。君の人生は、ごく控えめに言って、まだ始まったばかりだ。君がこれまで見たこともないようなものが、世界にはいっぱいあるわけさ。今の君には想像もできないようなものがね。」「君はこれから世界で一番タフな15歳の少年にならなくちゃいけないんだ。なにがあろうとさ。そうする以外に君がこの世界を生きのびていく道はないんだからね。そしてそのためには、本当にタフであるというのがどういうことなのか、君は自分で理解しなくちゃならない。わかった?」「そして、もちろん、君はじっさいにそいつをくぐり抜けることになる。そのはげしい砂嵐を。そいつは千の剃刀のようにするどく生身を切り裂くんだ。何人もの人たちがそこで血を流し、君自身もまた血を流すだろう。温かくて赤い血だ。君は両手にその血を受けるだろう。それは君の血であり、他の人たちの地でもある。そしてその砂嵐が終わった時、どうやって自分がそいつをくぐり抜けて生きのびることができたのか、君にはよく理解できないはずだ。いや本当にそいつが去ってしまったのかどうかもたしかじゃないはずだ。でもひとつだけはっきりしていることがある。その嵐から出てきた君は、そこに足を踏み入れた時の君じゃないっていうことだ。そう、それが砂嵐というものの意味なんだ。」「なんだかおとぎ話みたいに聞こえるかもしれない。でもそれはおとぎ話じゃない。どんな意味合いにおいても。」「ナカタさん、ここはとてもとても暴力的な世界です。誰も暴力から逃れることはできません。その事はどうかお忘れにならないでください。どんなに気をつけても気をつけすぎるということはありません。猫にとっても人間にとっても。」「しかし森の中が危険にみちていることを僕は実感する。その事を忘れないようにしなくては、と自分にいいきかせる。カラスと呼ばれる少年が言ったように、この世界には僕の知らないことがいっぱいあるのだ。森の中は樹木が支配する場所なのだ。深い海の底を深海の生き物たちが支配するように。必要があれば森は僕をあっさりとはねつけ、あるいは呑みこんでいくかもしれない。僕はたぶんそれらの樹木に対して、ふさわしい敬意やおそれのようなものをもたなくてはならないのだろう。」「僕はその輝く夜空の下で、再び激しい恐怖に襲われる。息苦しくなり、心臓の動悸が速まる。これほどすさまじい数の星に見おろされながら生きてきたというのに、僕は彼らの存在に今まで気づきもしなかった。星についてまともに考えたことなんて一度もなかった。いや、星だけじゃない。そのほかにどれくらいたくさん、僕の気付かないことや知らないことが世の中にはあるのだろう?そう思うと、自分が救いようのなく無力に感じられる。どこまで行っても僕はそんな無力さから逃げきることはできないのだ。」「僕はその光の中に腰を下ろし、太陽のささやかな温かみを受け取る。太陽の光が人間にとってどれくらい大切なものかをあらためて僕は知る。」
海辺のカフカ (上) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.214:
(4pt)

甲村図書館に行ってみたい

オウム事件や神戸の震災など、この作家は前世紀の末あたりから、その作品に於いて、世相を言及、または反映することが多くなった。この作品も、今世紀初めに頻発した15才の(あるいはミドルティーンの)、バスジャックや一家惨殺などの凶悪事件に対して、作家的アプローチをしたものに他ならない。そういう観点から見ると、この作品に何らかの世相に対する警告、又は示唆のようなものがあるかといえば、それは全くない。何か形而上学的な喩え(この作品でいうところのメタファーなるもの)でもあるかと言えば、それもどうかわからない。ただ、主人公が切れやすい15才で、家出をし、残された父親が殺されるという話である。しかしながら彼は家を出るとき、父親の書斎からナイフを持ち出す。これは同時に盗み出す携帯電話と合わせ、非常に象徴的とも思える。加えて主人公、田村カフカの極めて精緻な感情描写で、我々読者は、15才の少年の等身大の実像を知る。つまり、我々大人が認識している以上に、彼らは狡猾であり、内省的であり、冷静であるということ。 これはまさしく、大人に対する作者からの警告に違いない。それにしても作者本来の作風を損なわず、またほどほどに娯楽性を保ちながら、このような作品を仕上げれるのは、さすがである。ただ、村上春樹の作品としてはどうだろうか?嘗ての羊(あるいはねずみ)シリーズやワンダーランドと同様に、曖昧模糊とした、独特の味わいは健在だが、仕掛けはいまひとつである。各章ごとに人物や設定が交互する、いわゆる仕掛け小説は、伊坂幸太郎などが、かなりのエンタメ性を高めているので、そういう意味合いでは、古めかしさすら感じてしまう。ただし、織り込まれた伏線や謎賭けにしても、この作家の手にかかると”文学”としての格調の高さを感じてしまうから不思議だ。下巻の第47章あたりから、なにか書き急いでいる感じが文章に漂っている。これはこの作家の作品としては、大変珍しい現象だ。この作家の作品世界には、時間の長さが重要ではないのと同様に、枚数もあまり関係ないからだ。実際に僕らは、この作品を30枚の短編としても、全12巻の大河小説としても、受け容れることが出来るだろう。つまり、ストーリー性というより”空気感”重視の作品であるということだ。生活様式の詳細な描写(飲食や車などのブランドへのこだわりや、排泄行為など)は相変わらずだが、同様にあけすけな性描写に関して言えば、僕はやや戸惑いを感じた。これも仕掛け(メタファー)なの?と勘繰るにしては、生生し過ぎだからだ。どちらにしても、なんでもかんでもメタファーを疑って読み込むとしんどいし、純文学と受けとめるには軽すぎるように感じた。作家がどう捉えて欲しいのかは僕は知らないが、どうぞご勝手に、というならば、ここまで引っ張ってきたにしては自恣が過ぎると思う。何かを頂戴、という日本の読者よりも、僕はこう感じる、といった海外の読者に受けるのもよく解る。
海辺のカフカ (下) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:海辺のカフカ (下) (新潮文庫)より
4101001553
No.213:
(3pt)

よくわからない時代とよくわからない人間のためのわかりやすい作品

たぶん、この作品は人によって評価が分かれるだろう。共感できるかどうか個人差が大きいと思われる。私自身は、この本に共感できる部分はまったくなく、この本を読むのは退屈で苦痛だった。カフカとの違いはリアリティの違いである。カフカの小説では、「職業」をもち、社会と関わりのある人物が登場し、社会の縮図が描かれており、興味深く読める。これに対し、村上春樹の小説では、社会との関わりが言葉では記述されるが、それは書物から得た知識や論述であり、社会的なリアリティが感じられない。カフカが生涯、みずから働きながら小説を書き続けたことが、社会的リアリティをもたらしているのではないか。村上春樹の小説に登場する人物は作者の観念の流出として描かれており、その意味ではこの作品は小説ではなく、エッセイや論文の形式でもよかったのである。それでも、現代社会と現代の人間を知るために、梵語の教典でも勉強するようなつもりでこの小説を読んだ。村上春樹の小説が読まれることの社会的な意味に関心があるからである。現実の経験や生活の中で、現在の「生」を実感できている者にとってこの小説は無意味に感じられるだろう。しかし、現在の「生」の存在感が稀薄で自分のアイデンティティに不安を抱いている人はこの本に共感するのではないか。私も学生の頃であれば、この本に共感を持ったような気がする。自分が生きていることがあやふやな感覚、生きていることを実感できない感覚、生きる意味が見いだせないこと、運命に翻弄される感覚。自分のやりたいことが、その瞬間にどうでもよいことのように思え、あらゆることに確信が持てないこと。人間の意識は、現実と無関係に、「森」、「人間」、「生」をいくらでも空想でき、人間の意識は万物を支配する。人間の頭の中では、すべてのものは存在の根拠がなくあやふやであるが、それは人間の意識の産物だからである。人間が生きていること自体が、非常にあやふやで根拠がないもののように思えてくる。 しかし、自分の手、足、目、耳、味覚、皮膚などを通じて実感すれば、現実の自然界は安定した調和から成り立っていることがわかる。あらゆる存在は不可思議なメカニズムを持つが、人間の認識能力がそれに及ばないだけのことである。人間の意識が、安定した自然界に不安定さを持ち込むのである。村上春樹は、「世界はすべてメタファーだ」と述べるが、人工物で構成される都会文明は人間の意識の産物であり、この点が妥当する。自然物はメタファーとは関係ないが、自然物を人間が認識する時メタファーが混入する。人間の意識が隠喩として漏出し、世界を構築したものが、村上春樹の物語なのだろう。したがって、海辺のカフカは現在の社会と人間の意識を反映しているのである。人間の意識がもたらす不安定さは際限がなく、考えれば考えるほど、不安が強まる。カフカの不安定な世界は、人間の意識と、その産物である文化、社会、法律、技術がもたらしたものであり、人の脳ミソの中にのみ存在する世界である。ブータンの人たちやかつてのイヌイット、インディアンなどは、現代の先進国に住む人たちのような存在の稀薄さとは無縁だった。世界(自然)はそんなに難しいものではないのだが、今の社会が人間の生存と存在を難しくしているのであり、それは個人の責任ではない。村上春樹が言うように、小説家は、問題提起するだけで、問題を解決できない。この本は問題提起の本であり、この小説の結論は何の解決ももたらさない。「だから、どうなのか?」という読後感は、それでよいのである。結末部分で、少年が「僕には生きるということの意味がわからない」と言うが、生きることの意味は誰にもわからない。考えることに意味があり、生きる意味を考えないことの方が危険である。現代の戦争を回避するうまい解決策はないが、「人間が人間を殺戮し合う」ことの意味を考える哲学が重要である。現代社会の存在の稀薄さは、現実体験の稀薄さや人工的な現代の社会構造がもたらすものであり、経験、実感、感動などを一歩ずつ積み重ね、自分の実感を大切にし、自分は何かを考えていくことが重要ではなかろうか。誰でも「自分は○○である」と実感するところのものでしかありえないし、それ以上のものでもそれ以下のものでもない。あるがままの自分を実感することが出発点になる。その実感は胎児以降の経験によって形成される。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.212:
(5pt)

想像力次第で。

想像を巡らせばかなり感動にふける事ができる。単純に、ハリーポッターシリーズのようにすごく夢中になれる本だった。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.211:
(1pt)

残念です

以前から立ち読みなどでしか接していなかった作家で、またなにぶん最近も話題の作家ですので、この度ついに購入して通読してみました。・・・というタイプの読者さんの例に漏れないかもしれませんが、結論から言うとがっかりの一言。 全体的に著者の、芸術というよりは文学一般にたいするコンプレックスが炸裂してる感じがしてなりませんね。そのような印象を強くしてしまうのは、たぶん、この小説世界に実現していないものを、登場人物が折々で、過去の作家や作品にちなんで「台詞」として名目的・表層的に発言するシーンが多いことにもあるかと思われます。そこで引用される芸術論や作家論などが、実際の小説の流れにおいて効果的とは言い難く、こじつけのような感じが否めません。またそのような登場人物自体も、その設定されている特異な個性に比して存在感がほとんど感じられないほどに印象が薄い。また表現一般にオリジナリティーが感じられないのですが、これは意図的なものかな?という気もしますが、とにかく読んでみて後に残るものがないですね。文章が読みやすい小説というのも曲者だということを初めて身を持って知った気がします。この本を読んでいた時間は私にとっての「失われた時間」でありその意味では今後は時間を大切にしようという気を起こさせてくれる、そんな本です。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.210:
(5pt)

不完全さの美学。

「シューベルトは訓練によって理解できる音楽なんだ。僕だって最初に聴いたときは退屈だった。君の歳ならそれは当然のことだ。でも今にきっとわかるようになる。この世界において、退屈でないものには人はすぐに飽きるし飽きないものはだいたいにおいて、退屈なものだ。そういうものなんだ。僕の人生には退屈する余裕はあっても飽きているような余裕はない。たいていの人はそのふたつを区別することができない」なにげないセリフに立ち止まるところは、こんな言葉だったりする。僕にだって、もちろんそのふたつの区別なんてのは考えることもできなかったけどこんなにも些細なことでも、言われてみれば「ああ、そうだな」と納得できてしまうものは妙に響く。説得をする人間は醜い。押しつけられたら人は逃げたくなる。しかし本当に良い作品は、いつでも自由な感想を与えてくれる。本は決められた時間に読まなくていい。本当に響く言葉は儚い、貰っても返せないから、魅かれる。それは音楽の詩だったり、物語の登場人物のセリフだったり自分の生き方や哲学を単に疑似化させるだけで人の心には、どんな密な会話よりも、強く居続けるものだなと感じた。
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4101001545
No.209:
(5pt)

静と動

●1回目周りから必要とされない存在である田中とナカタ。 二人は異なった形で、形而上的で象徴的な砂嵐をくぐり抜ける事となる。嵐の中にまっすぐ足を踏み入れ、砂が入らないように目と耳をしっかりふさぎ、一歩一歩とおり抜けようとする…。 ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- ●2回目不可避な運命に対峙した先には、何が待ち受けているのでしょうか。 「先を見すぎてもいけない。先を見すぎると、足もとがおろそかになり、人は往々にして転ぶ。かといって、足もとの細かいところだけを見ていてもいけない。よく前を見ていないと何かにぶつかることになる。だからね、少しだけ先を見ながら、手順にしたがってきちんとものごとを処理していく。こいつが肝要だ。何ごとによらず」
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4101001545
No.208:
(4pt)

ずいぶん遠いところまで・・・

デビュー作からずっと読んできた作家が、ノーベル賞をとるかもしれないっていうのは、なんか不思議な感じ。「物語」の面白さは圧倒的で、謎が結局謎のままなのもいいと思うが、おじさんとしては、性描写の「あけすけさ」は、なんとかならんもんか・・とは思う(必要なんだろうけど)。下巻は、「ホシノ青年」の成長物語の側面がもっとも面白い。こういうフラッと出てきた人物が、だんだん重要になってくるのが、長い小説の醍醐味だと思う。逆に、後半カフカ君が「マイ・フェイバリット・シングス」を口笛で吹いたりすると、「君、15歳じゃなかったっけ?」って、醒めてしまったりする(当然考え抜いてこういう選曲してるんだろうけど、その意図は僕にはよくわかりませんでした)。ホシノ青年が大島さんに、音楽を聴き小説を読むことの意味を問うシーンがもっとも感動的だ。ここで作者は、大島さんの口を借りてこう答えている。「何かを経験すると、僕らの中で何かが起こる。そのあと僕らは自分自身を点検し、そこにあるすべての目盛りが一段階上がっていることに気づく」この言葉に、素直に納得するホシノ君がチャーミング。もう「風の歌を聴け」や「1973年のピンボール」の世界には戻れないんだなあと思うとさびしくもあるが、それはしょうがないことなんだろうな。
海辺のカフカ (下) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:海辺のカフカ (下) (新潮文庫)より
4101001553
No.207:
(4pt)

難しいし…

内容は面白いし、深いと思います。ただ、どの年代の人にお勧めなのかがよく分かりませ。思春期の主人公を対象にした作品ながらも、作品の中に登場する心象イメージが強すぎてその年代の人が読むには少々危険な気がします。しっかりとした大人が、「こんなこともあったな〜」と振り返るものでもないような気がするし、村上春樹さんの言いたいことは何となく分かるような気がするんですけど、それで?っていう感じです。日本人の普遍的な問題点がよく表れているようで、作品のレベルは恐ろしい程高いと思います。ただ、その問題点からどうするのか、という問いに対する解答がなく、読み終わった後はイライラして「だから、何なの?」っていう感じでした。現代の日本人について深く考えさせられるような作品です。ただ、それが最後少々無理やりになっていたような気がして、もう少し現実に沿った過程みたいなものがみたかったです。
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4101001545
No.206:
(5pt)

新しい世界へ向かう2つの旅。

世界でいちばんタフな15歳を目指す男の子、田村カフカくんの章と、小学生の時に不可思議な事故にあって、記憶と文字を理解する能力を失ってしまった老人、ナカタさんの章が交互に書かれています。4歳の時に母と姉が出ていってしまい、父親一人にに育てられた田村カフカくんは、父親の「お前は父親を殺し、母と姉と交わるだろう」という予言を胸に、15歳で家出をします。夜行バスで四国にたどり着き、私立図書館の一室に身を寄せることになったカフカくんの、過去との出会い、予言への抵抗、そして新しい世界への旅立ちの物語です。一方、ナカタさんも中野区から何かに導かれるように、四国へと向かい、途中ヒッチハイクをしたホシノくんの力を借りて、“普通の”ナカタさんに戻る旅をします。表裏一体のこの2つの物語は、最終的に繋がっていくのですが、そこには様々な謎が残されたまま、物語は終わってしまいます。村上春樹ワールドというか、あの独特の世界観を解釈しようとするのではなく、あるがままに受け入れてみた方が楽しめるのではと思います。
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4101001545
No.205:
(5pt)

世界のメタファー

誰しも、心の中にある陰と陽。そしてそのメタファー。人生経験を重ねてからまた読んでみると、違う一面でもって迎えてくれる。そんな作品。
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4101001545
No.204:
(5pt)

ただ一人のためだけに書かれた小説

面白いかどうかは関係ない、
ただ一人の読者のために書くと
村上春樹が決心したであろう小説に違いない。
その一人とは、
酒鬼薔薇 君である。
そして同じように
人を殺したいと思っている15歳の少年ために
書かれた小説である。
だから、人を殺したいと思っていない大人たちにとっては
面白くないかもしれない。
それでも構わない、彼の心を何とか救わなくてはいけない
との思いが漲っている。
人を殺したいと思わずにはいられない少年こそが読むべきである。
村上春樹は、
現実を軽くして、読みやすくPOPに書いているように
思う読者もいるだろうが、
特に『アンダーグラウンド』以降、
現実に思いっきり関わっていこうとの志を持っている
稀有な作家に違いない。
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4101001545
No.203:
(4pt)

現代の神話、少年の魂の再生物語

この本は、下敷きになっている話(オイディプス、カフカ、その他の古典)を知らなくても楽しめるが、知っている方が小説の構造を重層的に楽しめる。さらに、愛すべきキャラクターが出てきて、読んでいて楽しい。そして、読後にも、いろいろと謎解きが楽しめる(なるほど、あのとき、入り口が開いちゃって、そのときナカタさんが、、、とか、だから、今回も彼が、とか、少年も、あっちへ行く必要がね、とか)。
 疑問点は、現在の読者層の少年・青年は、そんなに性的なものにとらわれているんですか?ということ、コミュニケーションの不可能な存在、かつ、救済を与える存在としての女性のモチーフが他の村上作品にも出てきて、関係を結んだり、ことに及んだりするんですが、その必要ってあるの?やや淡泊な世代に属す者としては、他の読者の感想を聞いてみたいと思う。こんな風にこの作品について、いろいろ他者と語り合ってみたいと思うのが、この作品の奥深さの証明なのだ。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.202:
(4pt)

〜 寓話と象徴の謎かけに満ちた、想像膨らむ良作。 〜

2000年以降、村上 春樹さんにとっては初めての長編小説作品。
15歳の少年が訳あって家出をし、見知らぬ土地へ向かっていくとの、
基調となる筋立ては、決して奇をてらったものではないし、むしろその
平易な文体と相まって、非常にオーソドックスな印象を受ける。
その物語自体を純粋に楽しむこともできるだろうし、それで物足りない
人は、作品の中に込められた沢山の寓話性と象徴的な出来事から、
答えのない謎かけに、自分なりの想像を巡らすこともできる作品。
全体のトーンが、静かでありながらも何か不穏な空気に満ちている
こともあり、特定の感情を刺激されるかもしれない。僕自身も、一度
体調が思わしくない時には、途中で読むのを止めたことがある。
また、主人公のカフカ少年もさることながら、個人的には脇役として
登場する登場人物の中で、「大島さん」と「ナカタさん」が何を言わんと
しているのか、上巻を読み終わった今でも考えている。
大島さんは、攻殻機動隊のアオイ君を連想させる引用マシーンで、
物語全体の枠組みを形作っていく「語り部」の役割を果たしている。
その手法は、松岡 正剛さんの著作なども彷彿とさせる。
ナカタさんについては、村上さんがずっと書き続けている「失われた」
「損なわれた」ある種のイノセントさの象徴かもしれないが、それも
また作中のある段階で再度「失われた」ように感じられる。
作品の中でも、実際にギリシア神話の引用が多数見られるが、
例えば近親愛・近親憎悪といった原初的なものが多く描かれて
おり、好き嫌いは別として一人ひとりに語りかけるものはあると思う。
▼ 本 文 引 用
ナカタさん、ここはとてもとても暴力的な世界です。誰も暴力から
逃れることはできません。(171)
痛みというのは個別的なもので、そのあとには個別的な傷口が
残る。(384)
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4101001545
No.201:
(5pt)

得意のパラレルワールド

村上春樹得意のパラレルワールドが展開していく。
世界一タフな15歳を目指す「僕」は、昔から「カラスと呼ばれる少年」のアドバイスを受けながら抑圧された日々を送っていた。
そして、15歳になった彼は父親からの自立を目指して、一路高松を目指す。
たどり着いたのは個人が設立したとある図書館。
名前を聞かれ、彼が名乗ったのは「田村カフカ」。
彼は受付の大島さん、館長の佐伯さんと不思議な距離感を保ちつつ、図書館で暮らし始める。
一方、戦時中の小学生時代に不可思議な現象を経て、一切の記憶をなくしてしまったナカタさん。
彼は猫の言語を話すことが出来るために、家出猫を探すことでわずかな報酬を得ながら暮らしていた。
ゴマという子猫を探している時だった。
公園で黒い犬に先導され、とある屋敷を訪れたナカタさんは「ジョニーウォーカー」さんから、とあることを頼まれる。
ふと我に返ったナカタさんは、西へ向かうことにした。
自分でも理由はわからないまま。
道中、トラック運転手の星野青年と行動を共にすることになり、彼らがたどり着いたのもなぜか高松だった。
田村カフカは、佐伯さんが昔出したレコード「海辺のカフカ」と、壁に飾ってある「少年の絵」をきっかけに佐伯さんの心の中に入り込んでいく。
ナカタさんと星野青年は、「カーネルサンダース」の力を借りながら、「入口の石」を探す。
田村カフカとナカタさん。
これまで何の接点もなかった二人が、なぜか徐々に近づいていく。
ファンタジーの香りがするがファンタジーではなく、推理小説風だが、推理小説ではない。
荒唐無稽な現象が続発するものの、この物語の中ではそんなことが当たり前に思えてしまう。
読者はそうやって村上春樹に感化されながら、不思議な好奇心を維持し続けながら、最後まで読み続けてしまう。
やはりこの作品にも、村上春樹のテーマである「生と死」が根底に流れている。
死があることによって生が強烈に浮かび上がる。
しかし、生と死が対極的に描かれているわけでもない。
この描き方が村上春樹独特な雰囲気を醸し出しているのだと思う。
そういえば、田村カフカが森の中で入り込む世界は、「世界の終わり」の街に非常によく似ている。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545

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