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海辺のカフカ
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海辺のカフカの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.76pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全520件 101~120 6/26ページ
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この文庫を購入したのは、5年前になります。 それから、私は、海辺のカフカの舞台上演を、楽しみにしていました。 フランク・ギャラティの脚本に思いを馳せました。 私が『海辺のカフカ』の舞台に音楽をかけるとすれば、 ラストには、山崎まさよしの『明日の風』なんだよなぁ…なんてことも、想像していました。 『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』と『海辺のカフカ』の世界が表裏一体であるように、 阿川佐和子と福岡伸一の『センス・オブ・ワンダーを探して』と小川洋子と河合隼雄の『生きるとは、自分の物語をつくること』の世界もまた表裏一体を成しているかもしれない…と、他の本を読んでも、『海辺のカフカ』のことを考えていました。 『海辺のカフカ』は、当時、私の脳内で必ず変換される高頻出ワードでした。 「ぼくはまるで即興的なジャズの演奏家のように肉体的に本を読み、まるで身体で世界をキャッチできるように、自分の身体の感度に注意しながら動物のようになりました。」蜷川幸雄「舞台『海辺のカフカ』のパンフレット」より 蜷川幸雄の舞台を観たとき、別世界を観ました。 感じ方は人それぞれ…と、ひとことで済ますのは簡単ですが、 さまざまな感想を得られる程に、影響力のある作品だと思います。 少なくとも、 私には村上春樹作品のなかで、ダントツです。 | ||||
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この文庫を購入したのは、5年前になります。 それから、私は、海辺のカフカの舞台上演を、楽しみにしていました。 フランク・ギャラティの脚本に思いを馳せました。 私が『海辺のカフカ』の舞台に音楽をかけるとすれば、 ラストには、山崎まさよしの『明日の風』なんだよなぁ…なんてことも、想像していました。 『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』と『海辺のカフカ』の世界が表裏一体であるように、 阿川佐和子と福岡伸一の『センス・オブ・ワンダーを探して』と小川洋子と河合隼雄の『生きるとは、自分の物語をつくること』の世界もまた表裏一体を成しているかもしれない…と、他の本を読んでも、『海辺のカフカ』のことを考えていました。 『海辺のカフカ』は、当時、私の脳内で必ず変換される高頻出ワードでした。 「ぼくはまるで即興的なジャズの演奏家のように肉体的に本を読み、まるで身体で世界をキャッチできるように、自分の身体の感度に注意しながら動物のようになりました。」蜷川幸雄「舞台『海辺のカフカ』のパンフレット」より 蜷川幸雄の舞台を観たとき、別世界を観ました。 感じ方は人それぞれ…と、ひとことで済ますのは簡単ですが、 さまざまな感想を得られる程に、影響力のある作品だと思います。 少なくとも、 私には村上春樹作品のなかで、ダントツです。 | ||||
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独特な雰囲気のまま終わってしまった。二人の主人公で二つのストーリーが並行して進み、関連しそうでしない。それぞれの出来事や会話が現実のものなのか夢なのか分からないくらい独特な表現でした。殺人事件や旅やセックスや空想や夢や色々なものがぎゅーっと詰まった作品でした。好きか嫌いかという感想すら言いにくい作品でしたが、別の作品も読みたいとは思いました。 | ||||
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村上作品の長編小説を読むのは初めてでした。 ものすごく高次元の世界に連れていかれてしまったような気分になりました。潜在意識の一番深い層を刺激されたような、登場人物たちの、あるいは村上さん自身の魂の奥深くまで潜り込んでしまったような、そんな気持ちです。こんな本は初めてです。上手く言葉で言い表せません。 | ||||
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恥ずかしながら初めて村上春樹作品を読みました。2つのストーリーが並行して進み、独特な作風と一風変わった登場人物、不思議な設定等が色々と入り交じる。想像していた以上に興味深いと思いました。下巻にも期待。 | ||||
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すごく面白かったです。時間をおいてもう一度読もうと思います。 | ||||
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中学生男子が50近い女性とセックスをするということが生理的に受け付けられませんでした。 主人公が若過ぎるのも、どうもイマイチ。 戦争について、触れるのであれば、もっと掘り下げて欲しかったです。 上記以外は、まあまあです。 ※思えば、この頃から作品を受け付けられなくなってきました。 | ||||
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かなり前に読みましたが、意味不明でした。どうして空から魚?どうしてカーネルサンダースが出て来るの?などなど全く訳の分からない展開に全くついて行けず・・・ 二度と村上春樹の本は読まないだろうと思います。 | ||||
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正直いって、佐伯さんとカフカくんのシーンが気持ち悪い。50歳を超えた女性と15歳の男の子…。気持ち悪いの一言。 男性の目から見た妄想…なのか。 女性の目から見るとアリエナイ。 しかも、家出して、何の苦労もせずに知らない人に助けてもらって食べるのも寝るのも苦労もせずに生きていけるなんて甘すぎるし、非現実的すぎる。 ナカタさんと星野青年のシーンがほっとした。 | ||||
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たぶん1回読むだけではよく理解できない作品です。自分の場合、これを書いているのは2回目に読んだあとです。絵や音楽と同じように、文学も自分なりに理解できればよいのでは。私にはこの小説の中に複数の世界観がいくつも見え、それらの世界観同士が接するときに包容や葛藤、軋轢を感じました。 また、登場人物の成長物語としても読むことができます。主人公だけでなく、佐伯さん、ホシノさん、ナカタさんそれぞれの物語として。 時間をあけてまた読みたい作品です。 | ||||
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どこか儚い中学男子と、それをハナから理解してくれる超懐の深い謎の美女の 「メタフォリカルに?」 「メタフォリカルに。」 というような会話にイラッとくる人は読まなくていいと思います。ごめん、何言ってるのかよくわかんない。って幾度となく思います。 あと必然性がわからない残酷描写も不愉快。この人、よくあるよねこういうの 村上春樹いいよねって言いたい人以外にはお薦めしません | ||||
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純文学の宿命として読み手を選ぶ 片腹痛いのは「この上等なワインの美味さは君には複雑すぎるよ」と言い散らしてる手合 私には不味いんだよ、ヌルすぎて | ||||
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村上氏の意欲作。本来は言葉に出来ないことを、懸命に一番適切な言葉に置き換えていく作業。お疲れ様でした。これは決して少年の成長物語でもなければ、幻想的な世界でもなければ、何かを比喩して書かれているのでもない。私にとっては自分自身に起きた現実の出来事と、それにまつわる言葉にできない思いをすっきりと言葉・小説の世界に展開してくれたので、痛快と言える作品。一生に一度の、雷に打たれたような出会いを実際に経験したことがない人にとっては、この作品を読んでも実感としてこの作品の素晴らしさは理解できないのだと思う。(「理解できない」と言うよりも、「感得できない」と言った方が適切か)若い時期に雷に打たれたような出会いを経験してしまった佐伯さんが、雷に打たれた人の物語を本にしたいと切望したのは当然だし、ナカタさんの先生の身に起きたことも、雷に打たれたように出会った旦那さんのことを一途に思っていたからこそのこと。その場にナカタさんが偶然居合わせ、雷に打たれたような強烈な経験をしたことも避けようがなくそうなってしまった出来事。一人一人の身に起きた雷に打たれたような、そうとしかならない強烈な体験は、本来その人固有の出来事だけれど、それを田村カフカという一人の主人公を軸にして紡ぎ合わせていく構成・技量は素晴らしい。 | ||||
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何がおもしろいのかわかりませんでした 読んだ後に何も残りません 適当に書いたんじゃないかと思わせるほどでした | ||||
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15歳の少年 カフカ が タフであろうとする。 そのために、家出をするが、 少年くらいのころは 家出をしたいものだ。 それで 自分を見つめなおすことが できれば しめたものだ。 子供から大人に変わるときの危険な年頃。 多感で 一人ぼっちで 孤独を感じる頃だ。 ムラカミハルキは この小説で何を言いたいのだろう。 未完成であることの大切さ なんだろうか。 図書館が好きで 筋力をつけている少年 15歳 という設定から 苦労をしている。 話す内容は ずいぶん大人びている。 夏目漱石の『坑夫』の評価などは 実に確かなものだ。 主人公は 「目の前に出てくるものをだらだらと眺め、 そのまま受け入れているだけです」(222頁)という。 ナカタさん が サリン事件での後遺症のような存在として えがかれ、猫語が話せるという設定はおもしろいね。 小説でしかできないが さて、ナカタさんが どうやって 15歳の少年と絡んでいくのか? 図書館の大島さんは 地主の金持ちで 血友病 という設定。 何かしら どこかに問題を持っているヒトが ムラカミハルキの登場人物である。 大島さんはシューベルトの二長調のソナタに対していう 『ある種の不完全さを持った作品は、 不完全であるがゆえに人間のこころを強くひきつける。 ・・・質のよい稠密な不完全さは人の意識を刺激し、 注意力を喚起してくれる』(233頁) 美容師のサクラだけが まともかもしれないが、ちょっと危ういのである。 田村カフカは どうしようもなくなって サクラさんのアパートに逃げ込む。 そのときに サクラさんのいろんなことを 想像する。 15歳のころは 童貞であり 想像することが 唯一の楽しみかもしれない。 私たちの頃は 外国雑誌を見ても 金髪で豊満な女子のあの部分が 黒いマジックで塗ってあった時代だ。 それを 消しゴムで 一生懸命 消してみたけど 紙が擦り切れて 真っ白なものを見るだけだった。 いまの15歳の少年は 夢がない。最初から見えてしまっている。 かわいそうなもんだ・・。 という話は 脱線しているが。 田村カフカは サクラさんに、ちんちんを握られながら さわっていけないといわれて・・ 『サクラさんの裸を想像していいですか?』(190頁) と聞く。 ふーむ。そんなことを聞けるわけないだろと思うが、聞いちゃうのだ。 それが、ムラカミハルキらしい。 そしてカフカは アイヒマンの本を読みながら 「想像力のないところに責任は生じない」(278頁)といい 続けていう 「夢の中から責任は始まる。その言葉は僕の胸に響く」(同上頁) それが佐伯さんの彼が意味もなく大学紛争のバリケードのなかで 意味なく殺されて、 大島さんは言う 「想像力を欠いた狭量さ、非寛容さ、ひとり歩きするテーゼ、 空虚な用語、簒奪された思想、硬直したシステム、 僕にとってそういうものを心から恐れ憎む。」(385頁) これが 「海辺のカフカ」の重要なミッション にほかならないかもしれない。 想像力のなきものを侮蔑し、想像力を持つものの責任を語る。 さて、これから 一体どのような想像力で 田村カフカは 立ち向かうのだろう。 想像力とは 裸を思い浮かべるためだけにないとは思うけどね。 ムラカミハルキのテーマが 『父親を殺し 母と姉と交わる』ということだった。 15歳という田村カフカの設定は 父親を殺すに ふさわしい設定なんだろうね。 ギリシャ神話、シェークスピアにつながっていく。 古典的なテーマを どうやって処理するのだろう。 田村カフカは 画家の父親に 予言される。 『父親を殺し 母と姉と交わる』 そして 父親は殺された。 ムラカミハルキは 父親を語らないが この本では 父親は 殺すべき対象として 登場する。 想像するチカラで ナカタさんに殺させたのだろうか? ナカタさん は 中野区をはなれ、 カフカのいる場所に 近づいていく。 ナカタさんは 猫と話すことができたのが ジョニーウォーカーを刺し殺すことで その能力が失われる。 しかし、また違った能力を授かることに、 大島さんのカミングアウト。 それは 女であって女でなく オトコであってオトコでない。 そのような設定をおくことで 田村カフカに さまざまな方向を 見つけ出すことができる。 田村カフカは いかにして カフカ に迫っていくのか? | ||||
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ナカタさんとホシノクンの 珍道中が よかったな。 これだけで ひとつの物語になりそうだ。 ホシノクンのイメージが ムラカミハルキにつながる。 想像の中 夢の中で 物語は進行してる様だ。 想像していることが 現実に起こる。 夢の中でのことが 現実に起こる。 そして 現実と非現実が 融合した世界にも迷い込む。 『父を殺し、母と姉と交わる』という父親の予言を 田村カフカは 仮説の世界で、夢と現実のなかでおこなう。 奇妙な 世界のズレを 追い求めていく。 カフカは 自分が変身した 話しを書いたが、 ムラカミハルキは 自分以外の 世界が変身することを書こうとしたのかもしれない。 ナカタさん のミッションが 何故与えられたのかわからない。 ナカタさんは ジョニーウォーカーを殺したが、 田村カフカと関係はない。猫をあくまでも守るということだった。 その関係がないにもかかわらず・・・田村カフカを追いかける。 そして、ナカタさんは一度も 田村カフカと会わない。 「入り口の石」が 共通項となって つながっていく 佐伯さんは入り口の石は 歌で暗示し、しっていた。 しかし、なぜ 大島さんのお兄さんが 入り口に向かったのか 説明はされない。 佐伯さん は 何故図書館に舞い戻ってきたのかわからない。 そういう、物語の破れは あっていい。 田村カフカは 世界で一番タフな15歳。 それは 母を許す ということに絞り込まれる。 そして 仮説である 母の血を受け継ぐ。 父は憎むべき対象でしかないにもかかわらず。 父を許すことをしない。 この物語は マザーコンプレックス というところに 収斂していくのかもしれない。 そして ムラカミハルキのいいたかったことは、 『ことばで説明しても正しく伝わらないものは、 全く説明しないほうがいちばんいい』 見事な オチ でありました。 | ||||
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レビューの評価が高かったので購入。あまり心に残る本ではなかった。 | ||||
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レビューをみて評価が良かったので購入。私が理解できないのか、読みこだえはなかった。 | ||||
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読んでいるうちに、これは「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」だなと感じたし、読み終わってもやっぱりそうだと思った。 カフカくんのパートとナカタさんのパートとが交互に語られ、交わらないけれども密接に関わりあいながら物語は進んでいく。 図書館があり、森があり、トレーニングがあり、死者がいて、幽霊もいて、硬くなったアレと優しく導かれるソレがある。 石野卓球の曲は冒頭でああ石野卓球だなとわかる。 もちろんそこにはいくつものヴァリエーションがあるのだけど、決して瑣末ではないそれらの差異を石野卓球という概念がすっぽりと覆ってしまう。 村上春樹もそれと同様であって、多くの非凡な物語があり、それぞれがそれぞれに独創的であるのだけど、たとえば「やれやれ」の一言で「村上春樹的なもの」に内包してしまう。 TMNetworkのGetWildがその特徴的な4音(デンデンデンデン)だけでGetWildを表現してしまうように。 その境地に達すると、いちいち「新規性(もしくは新奇性)」に拘る必要が失われてしまうのかもしれない。あだち充がキャラクターの描き分けにさほど拘らないように。 本作は「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の再構成であり、もちろん新たな、あるいは別の要素もある。 カフカくんのパートとナカタさんのパートは「世界の終わり」と「ハードボイルド・ワンダーランド」ほどには明確に分かれていないし、カフカくんは森には残らなかった。 「GetWild」と「GetWild'89」は、似ているようで別物なのだ。 「ダンス・ダンス・ダンス」あたりまでは熱心な村上春樹の読者であったけれど、「ねじまき鳥クロニクル」あたりから少し距離を置くようになった。 新作のニュースが気になりながらも、結局本作に辿り着くまでに10年以上かかってしまった(本作の初出は平成14年で、私が読んだのは平成28年)。 それでも、私自身が2ヶ月前に東京からバスで高松へ旅行したばかりで、その偶然の一致を思うと、私にとっては「これより早くても、これより遅くても」具合の悪い、ここしかないという運命的なタイミングだったのかもしれないし、「それはずっと前から決まっていたことなのよ」と言われている気にもなる。 もし本作を読んで「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」が未読であれば、是非併せて読むことをお薦めしたい。 その共通点と相違点を照らしながら「すずきのリゾット」でも食べたらよいと思う。 | ||||
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村上春樹の長編は、いつもながら終盤に向かって、ハラハラ・ドキドキの連続だ。長編は「ノルウェーの森」を除き、すべて面白い。駄作「ノルウェーの森」が一番売れたのは皮肉なことだ。この作品も、村上ワールドを堪能できた。ナカタさんが死んで、しばらくして泣いたホシノさんの場面、主人公カフカがラストシーンで流した一筋の涙、何とも言えず、胸が震える。この作品の唯一の失敗は、森の奥深くで佐伯さんが語った、息子を捨てなければならなかった理由だ。無理矢理こじつけるしかなかったのだろうが、明らかに失敗である。生き霊に呪われた一枚の絵に引き寄せられた主人公達が、四国の図書館に引き寄せられ、生き霊は退治され、呪いが解け再生された絵を、主人公が引き継良いで、新たに成長していく。鳥肌の立つ展開だ。村上春樹の解説本では、清水良典著「村上春樹はくせになる」と、宮脇俊文著「村上春樹を読む」が傑作だが、「海辺のカフカ」に対する深い洞察は、清水良典氏の方が上。ジョニー・ウオーカーが佐伯さんの恋人の生き霊であることを解説しているが、まさに秀品だ。ま、とにかく「海辺のカフカ」は、息子を捨てた理由の欠陥を除き、鳥肌の立つ、酔わせてもらえる名作品である。 | ||||
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