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海辺のカフカ
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海辺のカフカの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.76pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全520件 81~100 5/26ページ
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うーん。ナカタさん&ホシノさんパートは、二人の絶妙な掛け合いとか珍道中が面白かったけど、カフカくんパートは割と倫理的な問題に直結する話がたくさんあったから、嫌悪感と戦いながら読む感じでした。 近親相姦とかレイプ(夢の中だけど)とかね…勿論作中で何度も述べられているようにこれはメタファーなわけで、表面的な事象だけ取り上げて嫌悪するのは勿体ない読み方だとは思う(作中でメタファーがどうとか話しているのはメタ的で、この小説そのものがメタファーであるというなんかややこしい話)。カフカくんは母と交わったんじゃなくて、母「なるもの」と交わったってことが重要なわけで。 それはわかっていても、レイプしながら「選びようのないことなんだ」とか「僕にはどうすることもできない」みたいなシーンはやっぱり嫌だったな笑 というか村上春樹の小説って「それは僕には選びようのないことだったんだ」みたいな台詞すっごい出てくる気がする。少年マンガとかで「運命は変えられるんだ!」みたいなのばっかり見て育った身としてはある意味新しいというか。個人の意志の力を重視していないのだろうか、あるいは個人の意志の力の無力さを表現してるのだろうか。 | ||||
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後半から不思議のハイパーインフレになる展開はいつも通りです。 ドラゴンボールを読む度に感じる、フリーザ編でやめときゃよかったのに…という読後感に似ています。 オイディプス王物語を下敷きにしているにしても、何でも許される訳ではなく、 殊に母子姦通のテーマは、オイディプス王物語が過失、本作が故意という点で、 北欧神話とエロ本くらいの差があります。 藤子不二雄の未発表漫画にユング的解釈を施した、世にも奇妙な物語なんだと自分に言い聞かせ、 這う這うの体で読み切りました。 こんな目に遭いながらも、何年かすると古本を購入してしまうから不思議としか言いようがありません。 | ||||
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久々に村上春樹の長編を読みました。 10代の頃に読み漁ってたあの頃みたいに一気に読んでしまいました。ファンにはぜひ読んでもらいたい小説です。 実際には出会っていない人との関りって、こういう風に繋がっているのかもしれないなー。なんて。 過去、現在、未来。そしてそれらを越えて5次元で繋がり関わっていく人々。 何回も読み返したくなる作品でした。 | ||||
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村上春樹のどこがそんなにいいのだろうか、と思いながらも、 私のように読むことをやめられない人は結構いるのではないでしょうか。 齢を重ねる毎に、パラメーターの左端にある気色悪いから、パラメーターの右端にある尊敬へと、 インジケーターが移動していくのを認めざるを得ません。ま、でも、気持ち悪い感じはなくならないのですが…。 荒唐無稽な筋立てや現実にはあり得ない会話のやり取りは、 虚構という身も蓋もない言葉で一括りにして脇へ追いやり、 スノッブ臭に埋もれた言葉の中から、聞き捨てならない呟きを拾うようにして読んでいます。 海辺のカフカについての感想じゃないですね。 それについては、下巻にて。 | ||||
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作品の流れが悪く、同じことが延々と繰り返されているという印象を受ける。やたらと格調高い芸術作品の名前を並べ立ててくるのもおなじみだが、今作はそれが酷い。 村上春樹十八番の性描写だが、主人公が15歳の少年ということである程度は健全さを期待したが、やっぱりしっかり年上のお姉さんに手コキで抜いてもらっている。 興醒め。 結末も特に気にならなかったので途中退場したが、唯一ナカタさんはキャラクターが立っており感情移入できた。今作ただ一つの評価ポイントである。 | ||||
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周りが何を喋っているのか解らない。人違いされているような感覚。外国語の中に取り残されたような。何も酷い目に遭っていないのに、平凡で幸せなある日、突然、日本中から「酷い目に遭ったねえ」と同情されるような。貴方が知っているという「私」の姿を知らずに生きてきた私が、急にそれを大量に突き付けられても困惑するばかり。一体、人は、そんなに互いに意識し合った狭い世界に住まないといけないものだろうか?人それぞれ生きている、同じ街の中で。すれ違うこともあったかも知れない。けれど最終的には見知らぬ他人なのだ。 むしろ、当時「誰か」を人違いしてしまった人が、2018年の夏にその過ちを振り返るのには、良いトリガーとなる本かも知れないが、間違えられた「私」本人が読むのには適していないのかも知れない、そう思いながらも覚醒するために読んでいる。 | ||||
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いつも迅速な対応でいいのですが、まとめて三冊注文したのですが、一括して届いた。楽しみにしていたしおりになるカレンダーが一枚しかついていなかったのはガッカリ。三冊買ったので三枚つくと思ったんですが、、、、、 | ||||
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新品なのに裏表紙に茶色い汚れ(チョコが溶けてついたみたいな)が付いていて最悪でした。 | ||||
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村上春樹氏の文体は日本的な湿気りが無くサラサラと乾いている。 まるで洋書の訳の様である。 アフターダークの時に感じたことはこの書でも同様であった。 現実と非現実が交差し時間も曖昧である。 登場人物は誰も何かが欠落し、それを探し修復しなければならないと 当てもなく彷徨う旅人のようである。 星野青年が一番まともな人間。 後半につれて面白くなって行き、終わりは一気に読み進んだ。 面白いとは思ったが個人的にはやや肌に合わなかった。 村上氏を詰め込みすぎた気もする。 アフターダークの狭いストレートな感じの方が良かったかな。 主人公が15才にしては賢すぎるような気がする。 自分は、もっと子供でアホだった。 | ||||
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村上作品の特徴である、 並行して異なる人物のストーリーが進んでいく物語。 表現が難しいところが多々あり、わざとそうしているのだとは思いますが、 どうしてもわからない部分もある。 カフカとナカタさんの内側と外側の心の流れは、読み込まないと理解は難しそう。 | ||||
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これまで何度読み返したかわからないほど好きです。 多分村上春樹作品の中で個人的1位の物語。 特に好きなのが大島さんです。 大島さんと図書館にやって来た二人の女性調査員(なんの調査だか)とのやり取りのシーンが印象的です。 2017年~2018年にかけての国会での野党を見るたび、この調査員のことを思い出しました。 想像力を欠いたうつろな人たち。 以下、大島さんの言葉を引用します。 「でもね、田村カフカくん。これだけは覚えておいたほうがいい。結局のところ、佐伯さんの幼なじみの恋人を殺してしまったのも、そういった連中なんだ。想像力を欠いた狭量さ、非寛容さ。ひとり歩きするテーゼ、空疎な用語、簒奪された理想、硬直したシステム。僕にとってほんとうに怖いのはそういうものだ。僕はそういうものを心から怖れ憎む。なにが正いか正しくないかーもちろんそれもとても重要な問題だ。しかしそのような個別的な判断の過ちは、多くの場合、あとになって訂正できなくはない。過ちを進んで認める勇気さえあれば、だいたいの場合取りかえしはつく。しかし想像力を欠いた狭量さや非寛容さは寄生虫と同じなんだ。宿主を変え、かたちを変えてどこまでもつづく。そこには救いはない。僕としては、その手のものにここには入ってきてもらいたくない。」 国会中継やメディアの切り取り報道で悪魔の証明を求める人民裁判のようなものを延々と見せられ、心が折れそうになりますが大島さんのような人がたくさんいて戦っているのも事実。 大島さんのいる図書館的なものがある限り、大丈夫なんだと思えます。 毎回読むたびにいろんな感想を持てる、素晴らしい普遍的な物語です。 あ、そして星野青年のファンです。 | ||||
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なぜノーベル文学賞の候補に挙がるような作品だかちっともわかりません。 海のカフカもそうですが、村上のオナニー世界の集団オナニストのように思えてなりません。 毎回がっかりする作品ばかりです。 | ||||
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読んだあととりあえず消しゴム付き鉛筆を1ダース買いました。 あと無駄に図書館にいきたくなったのもこの本の影響でしょうね。 | ||||
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この程度で世界で一番タフな15歳とか言わないでほしい(目指してるだけか) 田村より不幸な15歳なんかいくらでもいる。別に難解じゃない、いい歳したおっさんが読めば(なんせ53歳が書いた小説だから) 10代が読んでも性描写しか頭に入らんだろ(上巻のハイライト:21歳のねーちゃんが15歳のガキに手コキ) 相変わらずナチスとか日本軍とか入れたがるよね。批判しか書いてないけど、面白いよ。 | ||||
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下巻のハイライト:50代前半の女が15歳のガキに夜這い、その後やりまくる。しかも母と息子。これ必要か?まぁ別にいいけどね。カフカまでの村上春樹の長編小説を読んできた自分としては、まぁ、そういう展開になるだろうな、と明日の天気のわかるナカタさんのようにわかったが。そう、海辺のカフカというタイトルから想像していた内容とはかけ離れていたが、結局いつもの村上ワールドだった。そういう意味では意外性はなかった。面白かったけどね。上下巻通して作者が言いたいことは、死ぬまで生きろ!だ。 | ||||
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「語られないことで語られる大切ななにか」は、ある時期からの村上春樹の長編小説の一貫したテーマのひとつだが、『海辺のカフカ』はすこし書きすぎている感じがする。書かなくても(明かされなくても)いいことまで書いているように思う。書かなくてもいいことまで書いているとしたら、それは『ねじまき鳥クロニクル』の反響を受けてのことかもしれない。 とはいえ小説はおもしろい。発表順に小説やエッセイ、紀行文、その他を読むことで村上春樹の精神の遍歴のようなものがうかがえてとてもおもしろい。 | ||||
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村上春樹作品のマイベストは人それぞれあると思いますが、私にとっては本作が、「風の歌を聴け」から「騎士団長殺し」までの村上春樹作品中、ダントツの最高傑作だと思っています。 今回4回目の再読となりましたが、やっぱり凄いと改めて思います。読み終えるのが惜しい。いつまでも読み続けていたい、そう思わせる力が本書にはあります。 しかし、なぜぞれほどまでに心惹かれるのだろう。 思うに、まず純粋にお話が面白いということがあるかもしれません。 本作は、村上春樹のユーモア感覚が爆発しています。 カーネルサンダーズと星野青年のやりとりなどは大笑いです。 少年時代の経験により中身が空っぽになった老人ナカタさんの人物設定も絶妙で、猫さんと話をしたり、「はい、ナカタはウナギが好物であります」との話し方もユニークです。 このナカタさんをほっておけない星野青年の存在感も良いです。 小説の構成も趣向を凝らしており、戦後間もない頃を舞台としたアメリカ国防省の極秘資料や新聞記事、教師の手紙を引用するなど、ミステリアスな雰囲気も漂います。 この教師の手紙やジョニーウォオーカーの登場により直接的に「暴力」の存在が描かれます。 この「暴力」の存在については「ねじまき鳥クロニクル」あたりから直接的に取り上げられているテーマです。 そして村上春樹が得意とする「メタファー」が前編を覆っています。 15歳の田村カフカ少年の章に登場する魅力的な図書館の青年大島さんはこう言います。 「世界の万物はメタファーだ。」と。 「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」での「世界の終わり」の世界を彷彿させる場面もあります。 ナカタさんに「影を半分失った」と言わせるあたり、まさに「世界の終わり」の世界が意識されます。 また、村上春樹はその作品の中に、文学作品や音楽を本当に魅力的に紹介する場面がよくありますが、本書を読むと、夏目漱石「坑夫」が読みたくなり、ヴェートーヴェン「大公トリオ」が聴きたくなります。たとえば「坑夫」については次のように触れられています。 「ある種の不完全さを持った作品は、不完全であるが故に人間の心を強く惹きつけるー少なくともある種の人間の」 つまり本書が強く心を惹きつけるのは、本書がある種の不完全さを持った作品と言えるからなのかもしれません。 | ||||
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人生に立ちふさがる深淵を覗き込んだ古の人々は、異界の存在を確信したと言います。 人知を超えた世界との遭遇は、人生のあらゆる矛盾と不条理を呑み込み、「禊ぎ」や「生まれ変わり」と称して、次の一歩を踏み出すきっかけを与えてきました。 「海辺のカフカ(下)」では、少年の数奇な体験を通じて、現代に異界をよみがえらせます。 【生霊のさまよう図書館】 佐伯さんは甲村図書館で過去の思い出を書き綴りながら、死が訪れるのを待っていました。 彼女の想念は、夜になると生霊と化し、死んだ恋人の影を求めて姿を現します。 「たぶん私は、あなたがいらっしゃるのを待っていたのだと思います」 「ナカタの役目はただ、今ここにあります現在、ものごとをあるべきかたちにもどすことであります」 ナカタ老人は、苦しみの終りを告げるために、佐伯さんのもとへやって来たのでした。 彼女のこの世での未練は、老人の手によって焼き払われ、波乱の人生が幕を閉じました。 【過去から未来への懸け橋】 父なるものを殺し、母なるものと交わり、姉なるものを犯したカフカは、やがて死を覚悟します。 「この樹木の厚い壁の中で、道ではない道の上で、息をすることをやめ、意識を静かに闇に埋め、暴力を含んだ暗い血を最後の一滴まで流し去り、すべての遺伝子を下草のあいだで腐らせてしまうんだ。そうすることによってはじめて僕の戦いは終わるんじゃないか」 孤独と絶望の中で人生の深淵を見た者にのみ、異界の入り口に至る資格が与えられます。 それは先の戦時中に異界を体験したナカタ老人が懸け橋となって、カフカへと引き継がれました。 【カラスと呼ばれる少年の闘い】 カラスと呼ばれる少年がリンボで挑んだ「父なるもの」の正体は、この社会を覆う不条理なシステムでした。 「私は猫たちの魂を集めて笛をつくった。(中略)私はここに集めた笛を使って、もっと大きな笛をひとつこしらえようと思っているんだ。もっと大きくて、もっと強力な笛をね。それだけでひとつのシステムになってしまうような特大級の笛だ」 弱きものの犠牲を集めて世の中を維持し、さらに個人の自由を奪って肥大化していく社会の現実。 残念ながら今の私たちには、その現実に対抗する力も知恵も持ち合わせていません。 【異界の復活】 カフカがたどり着いた異界は、日常を写し取ったような穏やかな場所でした。 彼はそこで亡くなった佐伯さんと再び出会い、心を開いて語り合い、そして生まれ変わります。 「お母さん、と君は言う、僕はあなたをゆるします。そして君の心の中で、凍っていたなにかが音をたてる」 本物の死は私たちの想像を超えて、意識を通わすことのできない隔絶なのに対し、異界は私たちの日常の隣にあって、たとえ幽霊や妖怪がいたとしても人間味のある温かな場所です。 そのような神話的世界は、今を生きる私たちにとって、これからも心の支えとなるのではないでしょうか。 | ||||
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村上春樹さんの作品は一度読んだだけでは解りづらい。メインテーマに沿って、さまざまなモチーフが複雑に組み合わされて構成されているからだ。そのモチーフとは、村上さんが蓄えてきた膨大な知識、神話や文学、聖書や詩、音楽、自身の体験、孤独やトラウマも含まれているだろう。海辺のカフカもノルウェイの森も、骨格となっているのはコンラッドの「闇の奥」やロードジムか。それに加え、神話やダンテの神曲などの古典(イザナギもオルフェウスもウェルギリウスも死んだ女を探し求めて黄泉の世界を旅する。舞台が四国なのも=死国としたのか)、また、しゃべる、預言する猫は不思議の国のアリスを、ナカタさんや星野青年は、オズの魔法使いに出てくる心がうつろなロボットや脳みその無いカカシをイメージさせるし、何かに導かれ西の国へ旅する。さらに、『坊っちゃん』(高松が舞台であり漱石もコンラッドのファン)、映画『地獄の黙示録』(原作は闇の奥)の兵士ウィラードも思い起こさせる。それらのモチーフに共通しているのは、何者でもない若者が異界を旅し、闇の支配者を倒し、帰還する、という世界共通の神話や物語だ。それに加え、オイディプス王、金枝編、作家のカフカ(父親と確執)といった父親殺しのモチーフが散りばめられている。現実世界の支配者として父親が、闇の世界の支配者としてジョニー・ウォーカーが交互に出てきて、これはピーターパンのフック船長と共通している。この『海辺のカフカ』という作品には、若者が大人になるための通過儀礼として、旅、恋と失恋、性と生、自我の芽生えと親との戦い、親の死、心の闇が描かれている。人はそれらを乗り越えて成長していくのだと。ただ、これもあくまで解釈の1つ。読み手や読む次期や、あるいは心の状態によって様々な読み方ができるのが村上作品の良さ。 | ||||
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昔の人たちは、神話や伝承の形で様々な心象風景を表現し、時代を超えて語り継いできました。 象徴的な親殺しや子棄て、姦淫が登場する物語は、親子の葛藤を克服して自我の自立を促しているとも言われています。 本書は、主人公の少年が経験する幻想的なストーリーを通じて、今を生きる私たちに求められる現代の神話を提示しているように思えます。 【思春期の砂嵐】 「君はじっさいにそいつをくぐり抜けることになる。その激しい砂嵐を。(中略)何人もの人たちがそこで血を流し、君自身もまた血を流すだろう。」 カフカ少年は、自身の心が生み出す抑えのきかない暴力や、性欲の衝動に振り回されています。 それは、新たな創造へ向かう若者が乗り越えなければならない、古き倫理観の壁を象徴しています。 それを乗り越えられない者は、エディプスコンプレックスを抱え、私の様な凡庸な大人の一員となるのでしょう。 【自己の再生】 ナカタさんは両親から受けてきた暴力と、疎開先での偶発的な出来事が原因で魂を砕かれ、抜け殻のような人生を送って来ました。 「君はこう考えなくちゃならない。これは戦争なんだとね。それで君は兵隊さんなんだ。(中略)今ここで君は決断を下さなくてはならない。」 ジョニーウォーカーによって、ナカタさんの中から怒りや憎しみ、そして勇気が引き出され、彼は魂の影と再会します。 反抗期に表出するそれらの感情を失っていなければ、彼は不幸な人生を回避できていたのかもしれません。 【母と息子の物語】 「君のお母さんは家を出ていくときに、君ではなく、血のつながりのないお姉さんのほうを連れて行った。(中略)君はそのことでもちろん傷ついている」 母に棄てられた憎しみと同時に母に対する愛しさが、カフカ少年の心の奥底に封印されていました。 その矛盾した複雑な心情を受け入れるために、少年は仮説上の母である佐伯さんと向き合います。 それは、生霊を通じて出会い、図書館の記憶を介して対話し、森の奥の異界で互いに理解が深まります。 「海辺のカフカ(下)」では、少年は「世界でいちばんタフな15歳」になるために、全ての呪いを成就させ、新たな神話を体現していきます。 果たしてカフカ少年は、「オイディプス王」のような神話の世界の英雄になることができるでしょうか? | ||||
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