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ソラリス



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ソラリスの評価: 4.32/5点 レビュー 136件。 Aランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.32pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全136件 81~100 5/7ページ
No.56:
(5pt)

眩暈がする

正直言うと私は旧訳で挫折していまして再挑戦という意味で新訳を手に取ってみたのですが、今回は最後まで読み進めることが出来ました。

主人公を通して物語を読み進めていくと様々なフィールドの研究者たちが時には熱狂的に、時には諦念を交えながらソラリスという生命体の謎を探求する様子を窺い知ることが出来ます。それはまた飽くなき探求心の象徴であり、ひたすらに敗北を余儀なくされた人類の歴史でもあります。

時折、ソラリスの描写が挟まれるわけですが、変容に富んだ捉えどころのないソラリスに私の乏しい想像力はオーバーフロー気味でした。ソラリスの研究者たちが頭を抱えるわけですね......

冒頭にあるように本書は私にとって難解な部類の本に入ります。しかし、クローズド・サークル的な状況のもと主人公を前にして意味深にして不可思議な行動を取る研究仲間たちや、主人公を巡るラブロマンスが本書のページを捲る手助けてくれました。恐らく、全面的にコンタクトに焦点をあてられていたら再度の挫折を余儀なくされたかもしれません(笑)

最後に、本書を読み通して常に感じていたのは、レムの圧倒的な想像力でした。ここまで緻密に描写をし仮想とはいえ学問の体系や、独自の理論を築く力量には唖然とするしかありません。それが読みにくさの要因となっている感が否めませんが、ただの飾りではなく説得力ある世界を構築するためのファクターとしているのには流石というかしかないです。
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ソラリス (ハヤカワ文庫SF)より
4150120005
No.55:
(5pt)

エンディングは断然映画よりこっち

新旧いずれかの映画をご覧になって興味を持たれた方もいらっしゃると思いますが、まったく違うエンディングで非常に静かに物語が終わります、映画の劇的な終わり方と違って物足りないと感じる方もいらっしゃると思いますが原作者のスタニスワフ レムが言いたかったことがここに凝縮されていると思います。

映画を批判するわけではなく映画は別物として観て面白いと思いましたが、個人的には原作版の静かなエンディングのほうが深く心に残っていて面白いと感じています。
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ソラリス (ハヤカワ文庫SF)より
4150120005
No.54:
(5pt)

なぜ,レムにノーベル文学賞をやらなかった!

というのが,わたしの口癖なんだけど,これほど高度に科学と文学を融合させた小説家がいたろうか? いや,いない。
レム自身科学者だったし,レムと同レベルの科学者でSF作家という人はいると思うが,レムほどの文学性を持った人はいない。

宇宙に生物がいたとしても,人間型である可能性はほぼ無いとわたしは思う。
ここでは,惑星ソラリスの海が生物だ。 レムの作品では,宇宙の他の生物との意思疎通はできないと考える。

わたしも,人間型宇宙生物はいないと思うし,意思の疎通もやはりできないと思う。 宇宙生物はそれほど異質だと思うからだ。

レムの作品はSF好きだけでなく,全ての文学好きの人が満足できるレベルの小説ばかりだと思う。

レム全集の Kindle版 配信を,強く望む。 「天の声」「枯草熱」「リンファーテルの公式を含む短編集」などなど,全部読みたい!
英語だったら頑張って読むんだけど,ポーランド語を今から習得するのは,キツいです。 全集お願いします!
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ソラリス (ハヤカワ文庫SF)より
4150120005
No.53:
(3pt)

そんな切り取り方をされたソラリスという本

ソラリスの新訳が文庫化されたことで読んだ。映画「惑星ソラリス」の昔からのファンであることが
主たる動機である。

 僕にとって本書は読みにくい一冊となった。これは著者の文章のリズムが合わなかったこともある。
途中で延々と著者が語る「ソラリス学の系譜」に、ついていけなかったことも確かだ。著者がなぜ
かような系譜に、淫するが如く、拘ったのかは僕には正直理解不能であった。クトゥルー神話に溺れていった
ラヴクラフトに、少し重なるものも感じた次第だ。

 著者はタルコフスキーの「惑星ソラリス」をこき下ろしていたらしい。ソラリスを「郷愁」という狭い範囲に
閉じ込めてしまった点を難じている様子だ。それは僕にとって例えばキューブリックの「シャイニング」に
対するスティーブンキングの批難にも通じるようで面白い。

 キューブリックの「シャイニング」は僕にとっては大傑作である。キングは、キューブリックに対して「彼はホラーを
分かっていない」と言ったらしいが、どう鑑賞していても映画「シャイニング」は怖い。
 文章で語る恐怖と映像で見せる恐怖の本質的な差がある。後者に関しては、より本能に近い。見た瞬間に総毛たつ
ようなことは時として起こる。見たものを言語化する前に既に鳥肌が立っている状態だ。キューブリックはそこに
訴える。キングの文章力とはまたフィールドが違う話だ。従い、キングの批難は僕には腹に落ちない。

 ではソラリスはどうか。著者がソラリスで語ろうとした、おそらくは、「膨大な何か」がある。それを言語化する
中で「ソラリス学の系譜」を用意しなくてはならなかったはずだ。それに対してタルコフスキーは、ごく一部を切
り取ったように見えたのだろう。
 但し、タルコフスキーの切り取った「ごく一部」の美しさというものがある。「惑星ソラリス」をSF映画だと
考えて観る人はいても、SF映画だと感じて観る人などいないだろう。そんな切り取り方をされたソラリスという
本や、その著者が不幸だとは僕は思わない。タルコフスキーに一部を切り取らせた段階で、本書の勝ちで
あるだろうから。

ソラリス (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ソラリス (ハヤカワ文庫SF)より
4150120005
No.52:
(5pt)

『わかりにくさ』が本質の物語

あまりSFは読まないのですが、美しい装丁とあらすじに惹かれて、一切の予備知識なしに国際線の中で一気に読みました。スッキリさせてくれない、そして悲しい、長い余韻の中で考え込んでしまう物語でした。
ソラリス研究者たちの悪戦苦闘を物語る観察や科学史がこれでもかと緻密に説明されます。思うにそれらは、ソラリスを理解しようとする人類の努力のほとんどが的外れでトンチンカンで意味を為さない事の描写です。
人類の試みがトンチンカンであるのと同様に、ソラリスから人類へのコンタクトもトンチンカンなのです。それ故に人類は混乱し恐怖し悩み苦しみ、悲劇を演じることになります。
この『人とソラリスの噛み合わなさ』こそが、レムの卓抜した想像力が提示した、実在の根本から違う者同士のコンタクトの姿なのでしょう。
ソラリスが遣わす訪問者は、親愛なる者の姿で強い執着と関心を持って人の前に現れます。ソラリスはきっとなぜ人がそれに恐怖するのかどころか、下手すれば恐怖というものすらよくわかっていない。
2周目を読むときには、1周目は不気味で仕方なかった訪問者の懊悩や感情を思いながら読むことになるでしょう。それは、1周目にはあくまで人類たる主人公の主観的視点にいた読者が、地球外生命体という全く得体の知れない絶対的他者の視点を理解しようと考え始めた第一歩なのかも知れません。
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ソラリス (ハヤカワ文庫SF)より
4150120005
No.51:
(5pt)

哲学的思考を潜在的に盛り込んだ、現在でも十分通じる、斬新なSF小説である

一読して損はないと思う
更に、スタニスワフ・レム の作品を読みたくなった
余談ですが、再訳版の「ソラリス」より、物語としては断然読みやすいと思う
ソラリスの陽のもとに (ハヤカワ文庫 SF 237)Amazon書評・レビュー:ソラリスの陽のもとに (ハヤカワ文庫 SF 237)より
4150102376
No.50:
(2pt)

直観的に、、、読みづらい、、、

先に述べている人もいるが確かにSF小説としては非常に読みにくい文体である。
「ソラリス」(沼野 充義訳)は再訳版とのことだが、最初の「ソラリスの陽のもとに」(飯田 規和翻訳)の方が数段物語としては分かり易く読める。
哲学的・情緒的・詩的な文体が好みの方にはよいかもしれない?が私にとっても読みにくく思えた。その結果、
本半ばにしてもともと「ソラリスの陽のもとに」の存在を知り、こちらを読み始めたところ、スラスラと面白さに特化出来た。
内容を十分に理解した上で、又、検閲でカットされた部分の比較において二つを読み比べる点ではいいのかもしれない。
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ソラリス (ハヤカワ文庫SF)より
4150120005
No.49:
(5pt)

2つの両極端なレビューになった

異星人または異性生物体との意思疎通について、心底考えさせられる。
異星人も私たち地球人と同じ思考回路や思考形態を持つ、と前提して物語が作られることが多い。
私もそう思っていたが、テッド・チャンの『あなたの人生の物語』を読んで、あまりに無邪気だと気付かされた。
なので、パイオニア10号に載せられたメッセージ板は、異星人にとって恐らく何の意味も持たないだろう。
いや、この場合の「意味」って一体何を意味するのだろう。
ソラリスの海は生命体らしい、ということは分かるが、なぜこんなことをするのか? という問いに答えは出ない。
そもそも、地球から遠く離れたソラリスに生命体が存在する、ということ自体が、地球人に何か関係があるのか、というと、ない。
関係ないのに、しかも一方通行だと分かっていて、なぜわざわざ理解しようとしなければならないのか。
地球人には好奇心があるから?
意思疎通できる、理解できると期待するから?
そう考えると、ソラリスの海が地球人の脳内の「何かの部分をキャッチ」して、それを原子ではない粒子で形にする、というのも変だ。
キャッチするということは、疏通するということではないのか。
しかし、この考えに対しては『意思ではなく、核酸の言語によって多分子の結晶の上に書きとめられた絵を取り出したのだ』と身も蓋もない答えがちゃんと用意されている。
そして、その原子ではない粒子でできたハリーは、地球人のように思考した結果、自分の存在を無にする道を選択する。
ハリーの地球人のような思考は、ソラリスの海によって組み込まれたものだ。
これも考えれば考えるほど訳が分からなくなる。
ケルヴィンは、ソラリスの海がケルヴィンを創り出しているかのような悪夢を見るが、もしそれが本当にできあがったら、どうなるのだろう。
残念ながらそれは悪夢で終わってしまった…。
いや、こんなレビューはやめよう。
書きなおそう。
異星に行ったら、死んだはずの人が突然目の前に現れた。
かつて愛し、傷つけ、それがもとで自死してしまった人だ。
どうやらそれは、異星の生命体『ソラリスの海』が作り出したらしい。
となれば、海に何かの意図があり、それを理解したいと考えるのは当然。
そのために「ソラリス学」という学問まで作られた。
しかし、悪戦苦闘の末、「海の意図を理解することはできなかった」と悟るまでの物語、ということになるのかな。
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ソラリス (ハヤカワ文庫SF)より
4150120005
No.48:
(3pt)

SF ? ミステリ? サスペンス? ラブ・ロマンス?

スタニスワフ・レムの代表作で、訳者は沼野充義である。訳者解説にも書いてある通り、「できるだけレムの精神に忠実に、なおかつ日本語として文意ができるだけ明晰に通るように」(p419)訳されているので、おそらく、レムの文章の直訳が多かったのではないか、と思われる。そのため、最初は読みづらさを感じるものの、読み進めていくうちに、その違和感は消え、レム独特の描写の細かい文体に慣れていく。
さて、内容であるが、amazonレビューのタイトルの通り、あらゆるジャンルが重層的に交わった作品である。とは言っても、やはり、メインモチーフはSFである。人類が、人類の思考の範疇から外れた生命体に、宇宙で、出会ったとき、人類はその他者とどのようにコンタクトを図るか、といったことが話の主軸である。その他者とは、惑星ソラリスであり、ソラリスの海である。この海は人類を遙かにしのぐ知的生命体であることはわかっているが、人間のような器官を持った生命体ではないので、人類は、どのようにコンタクトを取っていいのかがわからないままである。その悪戦苦闘の約80年の歴史が、「ソラリス学」であり、この物語の背景となっている。
この本の初出は1961年で、レムはポーランドの作家なので、当時の共産主義圏のユートピア思想へのアンチテーゼといった意味合いが含まれているようだ。人類は、地球上で最高の知的生命体であり、その生命体が築く共産主義国家が、ヘーゲル・マルクス流の発展の最終段階であるという思想である。このような考えを相対化するために、『ソラリス』は書かれたのではないだろうか。
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ソラリス (ハヤカワ文庫SF)より
4150120005
No.47:
(5pt)

SFミステリースリラー

不思議な読後感の残るSFであり、ミステリーであり、怖い怖いスリラー小説である。新訳ということだけど、既訳を読んでいない私にとっては、実に読みやすい日本語ではあった。

 SFにしては、ETとのガチンコ対決もなければ、派手な立ち回りもない。実に、そう、実に哲学的なラヴ・ロマンス、ミステリー&おっそろしいまでのスリラーである。お相手は意識を持った「海」?っていうことがすでに現地ソラリスでは明々白々なことである!

 よく分からないままに話が進行する。問題点をクリアしないままに「私」と妻(?)ハリーとの切実なお話が進行する。巨大な黒人女って何だったんだろう?ベルトン博士の証言に出てきたこれまた「巨大な子供」っていうのは、何?
 何もわからない・・・・何も解決していない・・・・・

 ムンティウスの「ソラリス学入門」で勉強してみようと、大阪・中之島図書館の蔵書検索を調べてみると・・・・・・
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ソラリス (ハヤカワ文庫SF)より
4150120005
No.46:
(5pt)

現代の古典。でも小説としてお勧めはしない

「現代の古典」の完訳版がはやくも文庫化されたことに感謝。

翻訳はたしかにぎこちなく感じるところがある。これは訳者あとがきにあるように
意図的なものだろうと受け止めた。すらすら読みやすいラブロマンスとしてでなく
古典文学として原文に忠実に訳した結果と考えれば、許容範囲だと思う。
(ちなみに私はチェーホフ短編集の愛読者で、沼野氏の力量は常々尊敬している)

古典としての価値は★5つ。

もっとも、それと小説としての面白さは別だ。
人間形態主義を排して思考実験を突き詰めれば、こういう形もあるとは思う。
しかし、地球外理性との相互理解を排し、心の理論の類推を排し、技術水準の類似を
排し、、、という風につきつめると、結局、まったく理解を絶する謎しか残らない。
相互作用が皆無のところには何もストーリーが生まれない。
ひたすら不可解なだけ。

同じファーストコンタクト物でも、たとえばクラークの「宇宙のランデブー」はきちんと
小説作法にのっとっているから、本書にくらべて圧倒的に面白い。

総じて、SF小説の安易な定型を破壊した点には大きな意義があるらしい(だから古典)が、
破壊した先に新しい小説世界を構築できたかというと、どうだろうか?
というわけで、読んで損はないが、あまり期待しないでね、というところ。

(4月30日補足とともに一部削)

この本を「哲学的だ」といって持ち上げる評が米アマゾンなどに見られる。
しかし、それは間違っていると思う。

哲学(自然哲学)というのは、世界の謎に直面したときに、人間の理性を限界まで使って
謎を解明していこうとする営み、知的な構えを意味している。
不可解を不可解のまま放り出すのは、哲学とは正反対で、むしろオカルトという。
小説として捉えれば、結末を放り出す点で、夢オチと五十歩百歩である。

もっとも、不可解をそのまま提示する文学ジャンルもあって、それを怪談という。
本書も怪談だと捉えれば、人物描写が薄いことやストーリーがないことも納得できる。
SF怪談「宇宙耳袋」だと思えば、まあ本書もありかなと、ちょっと考え直した。
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ソラリス (ハヤカワ文庫SF)より
4150120005
No.45:
(5pt)

古典的名作の現代的意義

すでに古典的名作となっているレムの『ソラリス』
地球外生物を人類とは意思疎通を図ることの不可能な存在として描いた本作は
ファーストコンタクト物の新境地を開いた作品として、確かに古典といえるだろう。
しかし現代においてもそのSF小説としての価値は高い。
現代社会においても、しかも宇宙へ出るまでもなくこの地球上においてさえ
人類はいまだに意思の疎通を図ることができない数々の生命体に取り囲まれている。
私たちはそれらの生物と意思を通じ合うことができなくとも協調を図っていかなくてはならないのだ。
旧訳『ソラリスの陽のもとに』における評価の高さはそのままこの完全訳にも当てはまるだろう。
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ソラリス (ハヤカワ文庫SF)より
4150120005
No.44:
(2pt)

嬉しくないです

10年ほど前に国書刊行会から出た沼野訳「ソラリス」が文庫化。
私は35年来のレムファンですが、飯田規和氏による旧訳に慣れ親しんだ者としては正直うれしくないです。
もちろん旧訳が、それ自体カットを含んでいたロシア語版からの重訳だったのに対して、
こちらはポーランド語からの完訳という価値は十分に認めていますが、肝心の日本語が飯田訳の方が数段上です。
もしこちらの訳が先に出ていたらこの作品は今ほど支持されていなかっただろうと断言します。
しかも他の出版社ではなくハヤカワからこれが出ることで、清水俊二氏のチャンドラー作品同様旧訳が今後徐々に扱われなくなって行くことはまず間違いないでしょう。
価格も二割ほどアップ。残念です。
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ソラリス (ハヤカワ文庫SF)より
4150120005
No.43:
(2pt)

ジェネレーションギャップ?

最近のライトノベルや映画、アニメなど感化されているせいか本書の良さがあまりよくわからなった。
なにより、結局のところ「海」が何者なのか、何をしたいのか、人類とどういう関わりをしたいのか等、(読む前は)物語の中核と思っていた「海」について、全く分からなかったのが個人的に納得がいかなかった。

とある書籍のあらすじで、「海」に対する謎解きやアドベンチャーのようなことが書いてあったので、そのつもりで買って読んだが、「スワンプマン」に対する人間ドラマとして読むべき作品

どちらかというと、上記のあらすじを書いた人に文句を言うべきか・・・
ソラリスの陽のもとに (ハヤカワ文庫 SF 237)Amazon書評・レビュー:ソラリスの陽のもとに (ハヤカワ文庫 SF 237)より
4150102376
No.42:
(3pt)

コンタクトのドグマか極北か

20世紀SFを代表するポーランドの作家スタニスワフ・レム(1921-2006)の不朽の名作と云われる、1961年。アンドレイ・タルコフスキーによる映画『惑星ソラリス』(1972年)などの原作としても知られる。

人間は、人間的なるものの類比=アナロジーという方法論以外で以て「未知なる他者」を理解することは可能なのか。 そもそも「未知なる他者」を理解するとは如何なる情況を指すのか。更には「未知なる他者」との関係性は理解する・理解しようとするという機制以外に在り得ないのか。

『ソラリス』は数多ある既存のファーストコンタクトSFに見られるあらゆる人間中心主義(「擬人主義」)的な紋切型――「われわれは人間以外の誰も求めていない。われわれには地球以外の別の世界など必要ない。われわれに必要なのは自分をうつす鏡だけだ。他の世界など、どうしていいのかわれわれにはわからない。われわれには自分の地球だけで充分だ」「われわれは・・・・・・われわれはありふれた存在だ。・・・。そして自分の平凡さが非常に広く通用することを誇りにし、その平凡さのうつわの中に宇宙のすべてのものを収容できると思っている。・・・。しかし、別の世界とはいったいなんだろう? われわれがかれらを征服するか、かれらがわれわれを征服するかのどちらかで、それ以外のことは何も考えていなかった・・・」――を超越したと云われ、哲学的SFの傑作と評価されている。にも拘らず、本作に於いてなお残存しているドグマがある。それを一言で云うなら【出会われる未知なる存在は他者である】ということだ。

ソラリスの海は【他者】たり得るか。然り、ソラリスの海は【他者】である。なんとなれば、「・・・ソラリスの海は一種の数学的言語のようなものによって話をしているらしい・・・」則ち、ソラリスの海は【言語(個物の概念化作用)】を有しているのだ、ひいては【理性】を有していることになる。たとえその形態が人類のそれと如何に隔たったものであろうとも。作中に於いてソラリスの海はしばしば生命体に擬えられてもいる。全ての【他者】は"人間同士と同程度の相互理解"の可能性に開かれている。そうであればこそ、「理解不可能である」ということも可能なのである。

しかし、【非-他者】に対しては「理解不可能である」という機制自体が不可能なのであろうか。他者/非‐他者とは何か、そしてそれが理解可能であるとはそもそも如何なる事態なのか。問いはまだまだ広がりをみせるのか。或いはこれが【他者】とのコンタクトの極北・論理的限界なのか。

地球から遠く離れた惑星ソラリスの海が映し出してみたものが、実は人間自身の内部にある深淵そのものだった。これは、他者理解の可能性の問題について、極めて示唆的だ。
ソラリスの陽のもとに (ハヤカワ文庫 SF 237)Amazon書評・レビュー:ソラリスの陽のもとに (ハヤカワ文庫 SF 237)より
4150102376
No.41:
(5pt)

不思議な魅力を持つ名作

A.タルコフスキー監督『惑星ソラリス』(1972、ソ連)は、インテリ好みのSF映画の傑作としてよく知られている。
原作は、ポーランドの作家スタニスワフ・レムによる本書『ソラリス』(1960)。日本では飯田規和訳『ソラリスの陽
のもとに』(ハヤカワ文庫SF)が、1965年の初訳から長年読み継がれてきた。

沼野充義による新訳は、ハヤカワ文庫版ではカットされていた部分も訳出され、著者の狙いがより鮮明になった印象だ。
従来の版に親しんだ者もこの機会に再読する価値が十分にある。訳者による巻末解説も充実している。

もともと『ソラリス』は、主人公の心理学者ケルヴィンとその自殺した恋人ハリーとの再会の物語として多く語られてきた。
ソラリスの海によって、ケルヴィンへの《お客さん》としてハリーが送られてくる。そのハリーをめぐるケルヴィンの葛藤が
最大の読みどころとされてきた。心理小説としての側面に焦点が当てられてきたのである。

しかし、新訳の再読で、その読みは本来違っていることを確認した。

巻末の解説にもある通り、作者レムの狙いはソラリスという絶対的な他者とのコミュニケーションの不可能性という思弁にこそある。
つまり、SFという形式を使ってしかできない思考実験を十二分に行うことが、この小説のメインテーマなのだ。相当な紙数を
費やして描かれるソラリス学に関する描写や、第8章「怪物たち」での海の作り出す様々な模様の説明がその証拠といえる。
さらに架空の書物であるギーゼ『ソラリス研究の10年』の詳細が、著者ギーゼの性格描写とともに二十数頁にもわたって
記述されていることなどに、思弁SFとしての質がはっきり現われている(183〜206頁)。

この思弁の部分は、実のところ、十分説得的な議論を展開しているとはいえない気もする。表面的な用語の難しさのわりに、
実質的内容がないようにも感じられるのだ。しかし、にも関わらず、ある種の哲学書のもつオーラを本書も持っている。
よくわからないけど、魅力があるのだ。

そして、全体としての難解さ(とそれに伴う読みにくさ)にもかかわらず『ソラリス』は甘いラブ・ロマンスでもある。
ハードSF『ソラリス』のなかで、実はサイド・ストーリーでしかないハリーとケルヴィンの再会に、何故こんなにも魅せられるのか。
何度も繰り返されてきたこの問に、また私もとらわれる結果となった。不思議な魅力をもった名作である。
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ソラリス (ハヤカワ文庫SF)より
4150120005
No.40:
(4pt)

最初から唸らされます

静かな重みで、ジワジワ来ます。映画の惑星ソラリスは全部観ましたが、同じ内容なら、このSFのシナリオ、もう少し何とかハッピーにならないものかと・・・思わずには居られないので、まだ最初の方しか読んでいません。これから時間を置きながら、しみじみと読んでみたいと思っています。評価は本当は★5つでも不足する位だと直感的には十分思うのですが、ストーリー的に、自分が万一主役だったら耐えられないと思う点で、悩んだ末の★4つです。ゴメンナサイ。
ソラリスの陽のもとに (ハヤカワ文庫 SF 237)Amazon書評・レビュー:ソラリスの陽のもとに (ハヤカワ文庫 SF 237)より
4150102376
No.39:
(5pt)

個人的に今まで読んだSFの中で一番難解な作品でした

地球外で生命体が存在するというソラリスという惑星の探査に派遣された学者が様々な体験をし・・・というお話。
この小説に関しては読んでいなくても映画化されたものを観た、或は粗筋は知っているという人が多いと思うので、作品の要諦に触れますが、人間の意識を反映する海が面積の大部分を占める惑星で人間が自分の自我と対面することで、人間とは何か、何故我々は存在しているのか、本当に存在しているのか、というアイデンティティを問うているのではないかと思いました。「我思う故に我あり」という命題がありますが、本当にそれで証明できるのか、もしかしたら全ては妄想で不確定なのではないか、と人間存在の不明瞭さを読者一人ひとりに突き付けているのではないかと思いましたが、見当違いでしょうか。そういう解釈が成り立つとすれば、後続のプリースト「魔法」やオースター「ガラスの街」等に与えた影響は大きいと思われます。サイバーパンク以降、最近のテクノ・ゴシックと呼ばれるものも「ソラリス」なくしてはなかったでしょう。あらゆる意味で源流と言える小説だと思います。
私的には今まで読んだSF小説で一番難解な小説で、ソラリスに関する探究の部分や主人公の内省部分等は数学や物理や心理学の論文を読んでいるようで些か辟易しもしましたが、自己省察に役立つ有益な読書体験でもありました。
ハリウッドで映画にした時は難しい思弁的な部分を全てとっぱらって単なるラヴス・トーリーにしたらしいですが、確かにそういう読み方も可能ですし、そういう部分が作品の多様性に寄与している部分も多々あると思いますが、なんだかねぇ〜とも思います。ピンチョンがオーウェルの「一九八四年」を悲痛な恋愛小説であるところを見逃してはならないと指摘しているのでそういう読み方もありだとは思いますが・・・。
それと今まで翻訳されていたのが、ポーランド語からロシア語に翻訳されたものを更に日本語に翻訳していた重訳だったらしいので、今回はポーランド語から直接翻訳しているということでとても嬉しかったです。重訳はあまり好きではないので。レムは全部ポーランド語からの訳で選集といわず、全集でだしてもらいたいですね。
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ソラリス (ハヤカワ文庫SF)より
4150120005
No.38:
(5pt)

愛を叫ぶ

愛を叫ぶ

SFというジャンルの中で、かなり珍しい題材を扱った作品。
意識を持つ海・海によって作り出された人間の存在。
人間の「意識」とは何か。与えられた刺激に対してまるで
そもそも自律的に反応するかに見える「海」は、人間が理解できる「意識」を
持っているのか。
海の意識が「目的」とすることは何か。単なる「反応」と「自律的意識」は
判別できるものであるのか。
「海」によって生み出された「人間」は、人間に「反応」するだけではなく、
「意識」を持ちうるのか。
主人公はその「恋人」の存在に苦悩する。

なにやら小難しいことを述べているように思えるが、この作品では
主人公の心の動きや、抽象的とも思える観念を長々と述べながらも
冗漫な箇所は少しもない。

不思議な緊張感と共に、物語は始まる。
主人公の前に出現する、確かに「海によって生み出された恋人」ではあるが
人間とどこが異なるのかさえ曖昧になる、確かに「意識」を持った存在。

海もまた不可思議な存在。
あるものを分析し、生物までも生み出すことができるのにも関わらず、
海には「目的」も、「何かを生み出しそれを利用する意識」もない。
この「海」には、人間が通常持ちうる「知性」や「理性」が果たして
あるのか。

主人公の内面や「海」を把握しようとした人間の苦闘を描き、
派手な箇所はほとんどない。
しかし、最後まで一気に読み通せる力強い文章。

一読して、この題材ではかなり好みが分かれだろうと思った。
後に映画化されたこの作品の評価も二分されたのも頷ける。

通常の「SF作品」とは一線を画す。
まさに名作であるとは思うが、SF的要素が少なく、ハードSF等を読みたいと
思った人は、読みにくいだろう。

いかなるジャンルであっても、文学作品は存在しうる。その明証になろう。
ソラリスの陽のもとに (ハヤカワ文庫 SF 237)Amazon書評・レビュー:ソラリスの陽のもとに (ハヤカワ文庫 SF 237)より
4150102376
No.37:
(4pt)

インターフェイスと、コミュニケーションの不可能性

SFの古典作品。

 人類以外の知的生命体が、人間とコンタクトを取るのに、「ヒューマノイド・インターフェイス」を作って、という発想を初めて世に出した作品か。昨今でも、そういった発想の作品は散見される。ハルヒなんかもそうか。

 ただ、そのインターフェイスを人類側に差し出した「ソラリスの海」が何を望んでいるか、という部分が、この作品の神秘性を高めているのかなと思う。
 「海」は、何らかの意図を持っているのかもしれないし、何もないかもしれない。不可解な存在であり、いかようにも解釈できる。この作品も、色々な解釈が可能だろう。

 最近は宇宙への憧れは薄れてきて、反動でか「宇宙兄弟」のような漫画作品が出てきたり、と、こじんまりしたSF、フィクションが多いような気もする。その点、スケールの大きい作品で、今でも十分に楽しめるかと思う。

 個人的には、ソラリスに着いてからずっとバタバタが続く展開が、今一つだったが、作者の知識量の多さなどを感じさせられて、それなりに充実した読書体験となった。
ソラリスの陽のもとに (ハヤカワ文庫 SF 237)Amazon書評・レビュー:ソラリスの陽のもとに (ハヤカワ文庫 SF 237)より
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