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ソラリス
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ソラリスの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.32pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全116件 1~20 1/6ページ
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当方科学的な知見は皆無で、さらに哲学・宗教などについてはほとんど無知です。 しかし何故かこの本は、理解できなくとも読んでしまいました。なぜだろう? 色々と、考えさせられる本です。もしも自分が主人公の立場だったら、現われるのは誰だろう? 愛猫だろうか?とか。カフカの「城」を思い出しました。なぜだろう? これからきっと一生、「海」のような生命体について折に触れ考えることになるのは間違いなさそうです。 | ||||
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長所: ・序盤のハードSF描写から、ソラリスでの謎現象の発生まで、展開が早い。 ・読者は、安全圏からエンターテインメントとして読書を楽しむだけでは、許してもらえない。読者も自己の内面や過去の記憶を覗かざるを得なくなる。鏡に読者自身を投影させるような、稀有な小説。 ・私は本書を読了した夜、強い影響を受け、自己の40年前の思い出したくない記憶に関する悪夢を見てしまいました。それほど重い小説です。 短所など: ・新訳版に対して「ソラリスの海の描写や、ソラリス学の部分が冗長」というご意見があります。確かに、これがそのまま映画になったら、睡魔に襲われる部分かも知れませんね。しかし、著者がノリノリでペンを走らせている部分だし、小説全体の価値を下げるものでもないので、付き合ってあげるのが良いのでは。(この部分の一言一句まで理解する必要はないでしょう) ・実際には人間の記憶なんて、ぼんやり、不正確、アバウトなものだから、超リアルに復元するのは不可能なんでしょうね。 | ||||
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今回は三回目だが、あれこんな話だったかな、と思った。まぁ、いつも新鮮なんだ。 「それでも、残酷な奇跡の時代が過ぎ去ったわけではないという信念を、私は揺るぎなく持ち続けていたのだ」ーこの最後の一節で意外にもウルッとなってしまった。これも、初めての体験だった。 | ||||
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ある機会を得てソラリスを読むことになった。ソラリスに関して知識は多少あったが、読み進めるに当たり、新たに感動し、物語の複雑さ、難解さに喜びを感じた。 | ||||
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初めてのSFで、戸惑いながら読み進めました。昔に書かれた小説なので、当たり前なのですが、「ソラリスまで長い宇宙旅行ができる高度な技術があるのに、ステーション内に図書館があり、しかも紙媒体なんだー」と、くだらないところが気になってしまいました。内容的には、人は他人のことを理解したがる(コンタクトをとりたがる)けど、分からないものを分からないままに存在を認めるのもありだと感じました。ストーリーはシンプルで、登場人物(対象)も少なく、あっさりしています。その分、分からない「海」の存在感が大きく感じられました。最後まで不思議な感じで終わりました。 | ||||
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レム三部作 ソラリスの陽のもとに 砂の惑星 エデン 無知性 非知性 反知性 だったかな? | ||||
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異文化でも、異生物でも、異世界でもない、このなんだかわからないものにどうコンタクトするか。人間の想像力を超えるその先を想像できるか? 作者が言うように「はるかな宇宙には「未知なるもの」が待っている」(ロシア語版への作者による序文より) 最後まで読んでも謎解きはない。未知なるものを想像する練習にはなる。 | ||||
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異星人とのコンタクトものは沢山ありますが、この作品は人類に対して征服を迫るものでもなく、服従するものでもない。明らかに人類より優れた科学を持っているが?それは人類に対するギフトなのだろうか? | ||||
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海外出張で時差ボケ解消のため(眠気を誘うため)に本を持参するが、意図とは裏腹にのめりこんで夜更かししてしまった。純粋に面白かった。 ストーリーに関するレビューは割愛するが、訳者のあとがきに引用している著者(レム)自身の「序文(文庫には記載がない)」がしっくりとくる。本書は、未知のものとの出会いとはどのような事かを描こうとした、、、。 異星人などの未知との遭遇を想像するとき、つい自分たちの延長(第二の地球、地球に似た生態)で物事を考えがちだが、本書はその想像を遥かに超えた枠組みでソラリスの世界観を描写している。世界観そのものも、科学的な要素が随所に散りばめられていて、理系の心をくすぐるような内容にもなっている。その世界観の中で、人間らしい恋愛ストーリーが見事に融合されており、本当に良くできたSFだなと感じた。面白いです。 | ||||
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神秘劇のめくるめく多産なる結果は、何世紀にもわたって、地上のいたるところで受容されてきています。でも、われわれ俗人が注意しておくべき要素はそんなには多くなくて、ここでは、「キリストにならいて」の態度について。 タルコフスキーがレムの原作をもとに『惑星ソラリス』をつくっていますけれども、最終場面を中心に神秘にかかわる表現を映像のなかに盛り込んでいて、これは監督晩年にいたるまで継続される振る舞いとなります。 そこで、考えておかなくてはならないのは、通常、偶像崇拝は、キリスト教では、原則として排除してあることで、そして、ロシアの伝統的表現手法のなかにはイコニズムがあって、そこでは当然、「偶像崇拝を否定したうえでの」神秘にかかる表現が許されているはずなのです。 ところが、タルコフスキーは、そういったイコニズムにおける伝統を踏襲しているとは断言できません。父であった詩人アルセーニー・タルコフスキーがロゴスのチカラで、内発的に表出される表現を尊重したように、監督も外形的な表現手法には必ずしもとらわれてはいません。 したがいまして、通常、例えばカトリック信徒において、「キリストにならいて」の態度を尊重して、神秘劇そのもの=キリストの世界、と現在、ここでの信徒の振る舞い=キリストにならいての世界、とを分けて考えるやり方を用いるような場合とは異なり、それらのどちらであるのか分明でない表現が、映画のなかに登場するのです。 さて、本作では、p.302で「不完全さを、本質的、内在的特質としてもっているような神」を思考実験のために持ち出しています。それに対比して、ソラリス現象下での登場人物=自分たちの認識を整理しようとするのですが、この企画が、実は、前掲した監督によるキリスト、キリストにならいての混合の態度と並行していると思うのです。 すなわち、レムの影響をきちんと受けているのでは? | ||||
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レムはタルコフスキー作品に対して、不満を覚えていた箇所もあったと言います。しかし、跪きの最終シーンがありました。死生の境目に、およそコトバが発現させ得る造形の力の粋、しかも内発的なコトバ自体の力を揮わせるのは、父アルセーニー以来の監督のお家芸でした。ただし、「詩人はうそをつかない」のテーゼは、往々にして「詩人には文法の破壊が許される」のテーゼを随伴せしめます。この点まで監督は受け継いでいるのかも知れません。 そして、ソダーバーグ作品に関しては、映像批評の内容をたよりに、レムは、ラヴ・ストーリーとしての脚色に反対する、と発言していたといいます。シナリオでは、人形の蘇生に重点の1つが置かれています。該当シーンの前後の脈絡に、死生観の読み直しの契機があるのですが。単なる映像史の1つとしてではなく、哲学に偏した考察も予備的におこなっておく必要があろうかと思います。人形による殺人、というモチーフもありました。それとの対比も明確に前面に打ち出されています。可惜乎。 | ||||
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噂では聞いていたのですが,ここまで予想を上回るとは思っていませんでした。単なるSF小説ではなく巻末の解説にもありましたようにSF哲学(形而上学)ともいえる作品です。SF小説は人間の思考の範囲内でしかなく,また,宇宙研究もバスコダマの頃の大航海時代の域を超えないものとしか思っていました。私の頭で描く宇宙研究は所詮黄金の惑星“Zipangu”を求めるものでしかないと思っていました。もし,本当に純金の星が見つかったら地球上の各国は国旗などを積んだ探索衛星を打ち上げるかもしれません。その中には宇宙軍と称して武器を積んだものもあるかもしれません。ここからはソラリスからのパクリですが,その星には微量の半導体が含まれており巨大な集積回路となっており,電子集合体が潜んでいます。その思考は,自らと同じ重量の元素を増やすこと。金の原子は地球上の重力では生成できないため宇宙から降ってきたとも言われています。では,宇宙でどうやって生成されたのか。そこで飛躍ですが,星と星の衝突で生成されたとすると。その思考体は自らと他の星を衝突させることにより金原子を増やそうとしたら。そのためには,他の星の生命体の思考を電子で操るとしたら。なんとも次元の低い私の宇宙SFですが,ソラリスは1960年代に書かれた遙かに優れた作品であることは間違いありません。 | ||||
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新訳のソラリスはハードカヴァで所有していますが、今回電子書籍でも購入しました。 電子版になったので、参照しやすく、旧版「ソラリスの陽のもとに」と内容を比較しましたが、解説に差分のポイントが記されているので比較して読むことも簡単でした。作品のファンだけでなく、これから新しく読む人にもこの訳をお勧めしたいです。 | ||||
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なし。 | ||||
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「ソラリスの陽のもとに」という小説を読んでわたしの感じたことを書く。 いまから45年前に購入したハヤカワ文庫の背表紙にある短い解説には次のように記されている。 「すみれ色の霞に覆われ、ものうげにたゆたう惑星ソラリスの海。だが、一見何の変哲もなく見える海も、その内部では、一種数学的な会話が交わされ、ソラリスの複雑な公転軌道を自己修正する能力さえ持つ驚くべき高等生命だった! しかしその知性は、人類のそれとはあまりにも異質であった。いかなる理論をも、いかなる仮説をも受け入れず、常にその形を変え、人類を嘲笑(ちょうしょう)するかのように新たなる謎を提出する怪物=生きている「海」。 人類と「思考する海」との奇妙な交渉を通して、人間の認識の限界を探り、大宇宙における超知性の問題に肉薄する傑作!」 2022年の現在に於いて、とりわけこの作品が書かれてから61年を経た現在において上記のテーマはきわめて「現代的」な問題提起として読む者の知性を激しく揺さぶるものがあると思う。 読んでみるとわかるのだけれど、この作品はその一見難解な形而上的展開と同時に古典的とも言える人間の心の問題、人間としての愛と倫理を取り扱うラブ・ストーリーでもあるのであって、わたしはむしろその部分に強く魅かれる。 ポーランドの作家、スタニスラフ・レムによって書かれたこの小説を基にアンドレイ・タルコフスキーによって映画化された「惑星ソラリス」をもう一度この機会に見てみようと思っている。映画では後者が(どちらかといえば)メインテーマになっていて、その切なさは見る者をつきることのない優しい哀しみでいっぱいにするに違いない。 惑星ソラリスの周回軌道上に浮かぶ宇宙船の奇妙な状況をようやく理解し始めた彼のところに、かつて自殺した妻が突然現れる。もちろん幽霊などではない。彼は驚愕するとともに彼女を失った癒しようのない苦痛と悔恨とを改めて喚起される。 これは紛れもない彼女だ、しかし「これは自分の記憶の中にある限りの彼女なのだ」と気づくのにさほど時間はかからなかった。 彼の苦しみはそこから始まる。この「彼女」自身が自分が誰なのか,なぜここにいるのかを知らないからだ。しかも彼の記憶どおり彼を心から愛している。その所作も笑顔も寸分たがわず愛しい彼女そのものだ。 苦しみから逃れようと彼は「彼女」を何度も宇宙船から追放しようとするが、いつのまにかふたたび「彼女」は彼の前に現れる。 やがて彼の苦しみを察した「彼女」液体酸素を飲んで自殺を図る。かつての妻としてではなく「彼女自身」賭して彼を愛すようになったからだ。 しかし、ニュートリノで形作られている「彼女」はすぐに再生してしまい死ぬことができない。苦しみ抜いたすえ、死ぬことができず、再生してしまう。そのことがまた「彼女」を苦しめるのだ。 物語の終盤、彼の同僚の研究者に頼み「彼女」は自分を形作るニュートリノを分解する装置を使って消滅する道を選ぶ。「彼女」が消滅したあと彼はその事実を知る。 彼はこの一連の出来事を神の罰と考えるようになる。そしてその神とは「この惑星ソラリスの海」なのだと確信する。 悲嘆に暮れて窓から海面を見下ろすと、そこに小さな島が形成されていた。彼の見慣れた世界がそこに実物大で再現されていた,彼自身までも。 幼い頃の想い出に満ちた実家周辺の風景、その色、におい、湖沼部の水の輝き、小川を流れる涼やかな水の音、太陽の光・・・。そのなかを黙想しながら歩く主人公。その場面はこの作品の冒頭の情景とうりふたつだ。 われわれの「現実」とはいったい何なのだろう。 物語の最後に主人公は深い思索へと沈んでいく。 私が前回語った 意識(顕在意識) 無意識(潜在意識) によるフレームワークを寓話として語るとこのような物語になるのかと思うので、ご一読をお薦めしたい。 心に残った主人公の台詞: 「わからない。でも、ぼくにはそれこそが本当に、本当に正しいものじゃないかと思えた。僕が信じてもいいと思えるような唯一の神だ。その神は苦しんでも、罪を贖うわけではないし、何も救わないし、何にも奉仕しない。ただ存在するだけ」 ソラリスの「海」とはそのようななにものかなのだ。主人公にとってもわたし自身にとっても。 | ||||
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削除部分がありません | ||||
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有名なSF作品ですが、47歳にして初めて読みました。謎が謎を呼ぶ作品で、引き込まれてしまいますが、難解は難解でしょう。読み易くはありません。解説を読むと、文字通り、理解し難いものを描くこと自体が目的だったのかと思いましたが。2021年10月の購入ですが、「スタニスワフ・レム生誕100周年記念限定カバー」のデザインが素晴らしいと思います。このデザインの素晴らしさも、今回、この古典的名作を購入した理由の1つです。 | ||||
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こんな難しい内容の本をポーランド語の原著から訳すなんて凄い作業ですね。訳者解説の分量からも、その作業の労力と、訳者の熱量が伝わってきます。 削られていた部分を除いても、旧訳と比べてもかなり内容が分かりやすくなっていると感じました。(それでもかなり難しい内容ですね。特にソラリス学のメタフィクションが延々と続くところが読むのがキツい ^_^;) 海そのものが知性を持ち、なおかつコンタクトすらままならない人類にとっての大いなる"他者"である、というテーマの本作は、刊行された1961年以降の様々な作品(思想?)に計り知れない影響を与えたであろうことは想像にかたくありません。 素晴らしい新訳をありがとうございました。 | ||||
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第三者からみて「意識がある」とは、外的刺激に対し何らかの精神活動を思わせる反応がある状態を言う。しかし主観的には違う。臨死体験では「意識がない」のに、自己は活発な精神活動を行っている。自己が体験する「意識」とは「認識」(本書解説での意味ではない)に他ならない。 ある朝目覚めると私は、昔住んでいた家のいつもの部屋で寝ている。あそこにあれがありこれがあり家具の位置もわかる、何より寝具の感触、それが外界との関わりのすべてだった。ああこんなだった、でも目を開いたらお終いだとじっとしているうちにまた眠ったらしく、次目覚めたときにはすべてが現実に戻っていた。そうか、「外界」とは「認識」に他ならないのだ。外界の「実在」は認識の必須条件ではない。自己は認識を介してのみ自己の外と繋がれるのだと知った。我思う故に我あり。 認識のみが外界との接点であるなら、害意を持たないらしい海が作り出した幻影を、どうして恐れる必要があろう。ハリーは10年前に死んだハリーでないかもしれないが、それでもハリーなのだ。その姿、声、小さな仕草や癖までがすっかりハリーであるなら。ハリーだと認識できるなら、愛すればいい。 また別の朝、横に小さかった頃の私の子が私と手をつないで眠っていた。私に懐いて、朝から寝るまでずっと一緒だった最愛の子、今ではすっかり大きくなって、もう家を出て久しい。けれどそこには小さな手があり暖かい小さな体があって、あの頃と同じ柔らかいパジャマを着てぐっすり眠っている。私はそれをはっきりと感じ、「いま、このまま死んでいけるなら」、そう思った。今この時、心臓が止まって、意識が薄れていくなら、どんなに幸せなことだろう。しかし私に訪れたのは短い眠りに過ぎなかった。 作者の意図の一部だけだろう。しかし認識の問題として私はソラリスをすでに経験している、すでに知っていることを読んでいる。そんな思いが途中から消えなかった。 | ||||
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表装も中身もきれい 丁寧に梱包して送って頂きました | ||||
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