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ソラリス



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ソラリスの評価: 4.32/5点 レビュー 136件。 Aランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.32pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全136件 61~80 4/7ページ
No.76:
(5pt)

人間の理解を超えた知性。

結局は、余りに巨大な知性を前にしたら、人間など、コンタクト処か自問自答を繰り返すしか術がないのだと思います。
ステーションの中で登場人物達は極限状態に追い込まれますが、ソラリスの海がそう仕掛けているのかも判らず仕舞い。
海は、全く別次元の「なにか」なのでしょう。
神すらでもなく、人間の理解を超えた高次元の宇宙とでも言いますか・・・。
作者、レムは、大国ロシアの巨大な歴史のうねりに翻弄された人物だと聞きました。
冷静な筆致の裏に、激しい怒りのようなものを感じます。
巨視的な世界観と、生々しい人間ドラマが交錯する、傑作SF。
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ソラリス (ハヤカワ文庫SF)より
4150120005
No.75:
(4pt)

「未知との遭遇」は必ずしも理解できるものではない

前から持っていたのだが、難解であるとの評価でなかなか手が付かなかった。今回NHKの「100分de名著」で取り上げられて番組を観たことから読んでみた。
結局「未知との遭遇」は必ずしも理解できるものではなく、ソラリスの海は、人間に対しては心の奥にしまっておいた、二度と思い出したくない記憶を現実化するという行為を行うのだが、そこにどういう意図や目的があるのかはわからない。最後に昔の恋人の幻影ハリーを消滅させたように思われるが、本当に消滅したのか、ソラリスにいる限り再び現れるのだろうか。ハリーの出現は苦痛なのか願望なのか。読み進むにあたって「擬態」など訳されてもよくわからないものもあって、あまり細かい描写にはこだわらないほうがいいだろう。
映画も見たが結末があまりにも違っていて、監督と著者が大喧嘩したというのもわかる。
ソラリスの陽のもとに (ハヤカワ文庫 SF 237)Amazon書評・レビュー:ソラリスの陽のもとに (ハヤカワ文庫 SF 237)より
4150102376
No.74:
(5pt)

未知との遭遇

SF。未知の生物との遭遇を描いていますが、なんとも奇妙な展開です。
私は最後が知りたくて一気読みしてしまいました。
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ソラリス (ハヤカワ文庫SF)より
4150120005
No.73:
(5pt)

想像をかきたてられる

普通に読んでいると謎なんだけど、想像しながら読んでいくと、かなり楽しく読める。
割と読みやすかった。
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ソラリス (ハヤカワ文庫SF)より
4150120005
No.72:
(5pt)

未だ真価を理解されざる予言書

久々に濃厚で芳醇な読書時間を楽しんだ。
未知との遭遇に関しては数多のSF映画、小説が描いてるがこれはそのどれとも違う。
基本的に未知なる知性は、結局の所異星「人」であり、そうでなければただの知能の低い化け物である。
そしてそう言った存在は「友好」か「敵意」の単純な二者択一にしかならない。
稀に人でも動物でもない知性が出てくる作品があっても、それは見せかけだけでその思考そのものは人間と何ら変わる事が無い。
だがこの作品に出てくる知性は、「人」でも「動物」でもなく、「思考する海」である。互いを理解するために最低限必要な共通の経験も概念もない。
そんな海が人間達に送って来る唯一のメッセージ(?)は、人間の深層意識にあるもっとも痛い部分を具現化した存在F。
その意味を理解しようと、悪戦苦闘し、結果狂っていく人間達の物語は、あまりに難解かつ不毛過ぎてSF小説と言うより不条理小説の様な印象をもたらす。
しかし、私はこの本を読み終えてソラリスの海は、人間達と同じことをしようとしていただけでは無いかと思った。
作中でも明言されてる通り、ソラリスの海が主人公達を殺す気ならもっと簡単に出来るだろうし、何らかの実験なら修正も無く全く同じ実験を繰り返すのは実験としてはあまりに稚拙だろう。
恐らく海は彼らにしか理解できない合理性に基づきファントムを送り込み人類とコンタクトを取ろうとしたが、結果としてそれは人間を苦しめる以上の意味がなく、しかもそれが苦しみ以上の意味を持たないと理解する事も出来なかったのではあるまいか。
この作中で語られてる事は予言なのではないかとも思う。その予言が正解であるかはまだ分からない。人類は今だ未知との遭遇には至っていないから。しかし何時かその日は訪れるはずである。
そして、人類と未知なる知性との遭遇が、作中の様な見当外れの狂乱と希望の日々を生み出す時、その時こそこの作品の真価を我々は理解するのではないだろうか。
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ソラリス (ハヤカワ文庫SF)より
4150120005
No.71:
(5pt)

読み方は人それぞれ。人によっては退屈かも。でも、私は好きです。

ポーランド語からの直訳で完訳。
海によって送り込まれた過去の恋人とのラブロマンスと思っていたら大違い。人によって様々な読みが可能なハードSFです。
特に膨大な量のソラリス学の振り返りが印象的、思わず読むのがおっくうになりそうな箇所だけど、なぜこの記述がこんなに多いのかを考えることによって、この小説の深みに触れることができると思います。
異星人なえぬ異星生物である海は敵なのか味方なのか?なぜ過去の人物を送り込むのか?それは攻撃なのかプレゼントなのか。海は何の反応も示さず意図もわからない。
星空間の物語というと、異星人との戦いか友情かといったプロトタイプを排除し、未知との生物とのコンタクトという問題に取り組んだ一冊です。
個人的には、作者の祖国の当時の支配体制である社会主義との関係を考えたくなりました。
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ソラリス (ハヤカワ文庫SF)より
4150120005
No.70:
(5pt)

ポーランド語のオリジナルから全訳。巻末の付録もうれしい

訳者沼野充義さんには心から感謝の気持ちを捧げさせていただきたいと思います。
『ソラリス』を、ポーランド語のオリジナルから全訳してくれたからです。

以前の和訳は、1962年にソ連で出たロシア語版を底本とした重訳であり、そのロシア語版は当時のソ連検閲当局の顔色をうかがいながらおそらくは編集者とロシア語翻訳者がロシア語版から削除した箇所が三章にもわたると推測される(「訳者解説」より)そうです。

さらに、レム自身による「ソラリスのステーション(抄録)」2002年が、本書の付録として巻末に収録されていることも、著者の真意が語られていて、読者にとってうれしかったです。

原作が、検閲、編集、翻訳、映画化というプロセスによって、原作者自身も驚き、怒るほどまったく違った作品に変貌していくのかを、つくづく感じさせてくれました。

訳者沼野充義さんが推測している旧訳の脱落(ないし削除)箇所は、主に「怪物たち」、「思想家たち」、「夢」の三章にわたるそうです。
読者としては、それらの章に特に脱落(ないし削除)あるいは忖度すべき内容が書かれているとは思えませんでした。
1961年当時の歴史的状況が忘れ去られた今となっては、なぜ削除までする必要があったのか、理由を理解することはほとんど困難です。

この長篇小説を読んで、「ソラリスの海」の不思議さが謎として心に残りました。

何かべとべとした怪物のような海。
有機的な変形体で形成される物。
原形質状の機械のように作動し行動(流動)する不可思議なゼリー状の個体。
たった一つの巨大な個体として、惑星ソラリスの全表面を海のように覆って漂っている。
その波立つ表面は様々な形を作り出すことができる。
思考する怪物たちか、思想家たちか。
宇宙の本質について異様なほど幅広く理論的な考察を行う海。
単なる夢か。悪夢か。悪魔の海か。
重さは十七兆トン。
信じがたいほどの規模に肥大し、惑星全体を取り巻く原形質の「巨大な脳」のようなもの。機械を使わないし、それを作ることもしない海。
神経膠腫(グリオーマ)のような海。狂人のような神経症的海。

レム自身の言葉によれば、
「この本はロマンティックで悲劇的な結末を迎える。ハリーは、心から愛する男性を未知の力を持った何者かが研究しようとしており、自分がそのための道具であることを理解する」(417頁)

この「未知の力を持った何者か」とは、「ソラリスの海」です。
ハリーという女性もどきを使って、地球からの「客」を研究しようとしている巨大な脳「ソラリスの海」です。

「ソラリスの海」は、地球人と違って、機械を使わないし、それを作ることもしない海です。
なので、ハリーという「地球の女性もどき」は、地球人がいう人工知能ロボットのような機械ではありません。
自分が「ソラリスの海」の研究のための道具であることを認識するや、「そんな道具の状態に甘んじられず、みずから自分を破壊することを願う」という悲劇的な感性を持った「異星人」です。自分以外の存在の「道具」にされることを自ら拒否する存在です。
なにかしら、地球の女性にも似たような行動をとる人がいますよね。

『ソラリス』の著者レムは、2002年に言っています。
「作者としての私にとって大事だったのは、繰り返しになるが、単に、存在している何者かとの人間の出会いのヴィジョンを創り出すことだった。その何者かは、人間よりも強力な存在であり、人間が持っている概念やイメージには決して還元できない。だからこそこの本は『宇宙空間の恋』ではなく、『ソラリス』と題されているのである」(417頁)

訳者沼野充義先生は、この新訳を原作どおり『ソラリス』と題されました。作者としてのレムの意向を最高に尊重した翻訳に仕上げてくださいました。

翻訳とは、ほんとうに恐ろしい作業なんだなと思いました。
国家当局による検閲制度があるからです。その国の言語への翻訳者が、検閲の存在を怖れ勝手に忖度して、他国の原作者の意向を踏みにじった翻訳にしてしまう。検閲に目を付けられそうな箇所は平気で削除してしまう。現実に、そんなことが歴史上、起きていたのです。

翻案による映画化も恐ろしいと思いました。原作者を本気で怒らせてしまう翻案もあるからです。
映画化する権利を譲った後で、レムは映画監督と三週間も議論した末、監督に「あんたは馬鹿だ」とロシア語で言って、モスクワを発った(407頁)というのですから。
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ソラリス (ハヤカワ文庫SF)より
4150120005
No.69:
(2pt)

読むのが辛い

未知のソラリスの海と繰り広げられるサスペンスには惹かれるものの、この本の大部分を占めるは、難解で読みにくいソラリスの海の描写に、冗長にも思えるソラリス学史であり、私にはこれを読み進めるのがとても苦痛であった。また、科学考証は陳腐で、なぜそのような結論に至るのか全く納得感がない。
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ソラリス (ハヤカワ文庫SF)より
4150120005
No.68:
(5pt)

SF小説のすべての要素を持った作品

SF小説の古典とも言っていい作品なのですが、NHKで取り上げられた時に書棚を探しても見つかりませんでした。
どうも、ソダーバーグ監督の映画を見て、読んだ気になっていたようです。
そのため、今まで持っていた「ソラリス」のイメージとは、徐々に良い意味で懸け離れたものになってゆきました。
映画は、どちらかと言えば「ラブ・ロマンス」としての物語になっていました。
しかし、そうした要素もあるのですが、原作はそんな枠に収まらない遥かに大きな作品でした。
レムの言いたかったことは、宇宙における知的生命体はすべてが「人間」ではないという事でしょう。
「人間」の延長線上にすべての知的生命体がある訳ではなく、思考回路も形態もすべてにおいて想像を絶した存在がありうるという事でしょう。
だからこそ、レムは「欠陥を持った神」に言及するのでしょう。
「神」は、理想としての知的生命体として「人間」を作ったとは言えないという事だと思います。
だからこそのあのラストだと思います。
もう一つこの本から読み取れるのは、「人間」とは何かと言うことでしょう。
「人間」とは全く異なる存在に出会った時、「人間」としての本質を考えざるを得なくなるという事でしょう。
「人間」って、一体何なのでしょうか?
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ソラリス (ハヤカワ文庫SF)より
4150120005
No.67:
(5pt)

これは何だ?

歴史に残る名作に対して「これは何だ?」は失礼だとは思いますけど、捕らえ難さ、多面性はやっぱり何だ?

気が狂ったような登場人物達の行動、ソラリス学なる研究、果ては宇宙船での恋愛まで、全ては人の営みをからかってるのか?

いやはや凄い作品です。「書き物ができることのひとつの極致」と言ったら言い過ぎでしょうか。いや、でも極致だと思います。
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ソラリス (ハヤカワ文庫SF)より
4150120005
No.66:
(5pt)

人間中心主義への批判として、重要なメッセージを含んでいる作品です。

1961年にワルシャワで初版が出たSFの古典的名著。 
 「異質なものとの出会い」を、ラブロマンスも入りながら、科学モノとしても楽しめるように出ていてる物語。
 描写が少々長くて読むのに苦労した部分はあったけど、主人公ケルヴィンの葛藤に読んでいる自分自身も巻き込まれ、引き込まれたし、レムがこの物語に込めた意図にも多分に共感した。
 宇宙空間へ飛び出した人類は、地球外の生命体と出会う。そこで、人類と友好関係を結べるか、結べずに争うことになるか、といった典型的なSFのパターンがある。
 しかし、レムが描きたかったのは、人間がまったく想像もつかない形で「他者」と出会うという可能性もあるのだということだった。 
 
 私は、地球外生命体との出会いや、宇宙の謎への好奇心はずっとあったのだけど、なぜ自分たちの貧弱なイメージでそうした問題を捉えるのか、疑問に思っていた。 
 「宇宙人」と聞くとヒューマノイド型を思い浮かべたり、「知的生命体」と聞くと、人間のように個体を持ち、言語を使い、技術を発展させ・・など。 
 
 「ソラリス」で描かれる「他者」(海)は、知的で、思考し、人間の理性を越えている。しかし、それは自分たちの理性を越えているが故に、最後まで人間は翻弄され続ける。ストーリーとしてはシンプルだが、科学的な分析や、神学的な話のやり取り、恋愛など、多様な要素が入っていて、様々な楽しみ方が出来る作品だと思う。 
 そして、レムがこの物語に込めた「人間中心主義」への批判的なメッセージはSFという分野に留まらず、合理主義や科学主義への批判にも通じると思う。 
 映画のほうだと、そうした原作の意図が抜けてしまってるみたいなので、先に原作を読んでよかったと思う。
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ソラリス (ハヤカワ文庫SF)より
4150120005
No.65:
(5pt)

なにがなんだかわからないまま進んでいく心地よさ

途中、SFなのかサスペンスなのか、なんだかよくわからないのですが、ソラリスがそもそもなんなのかわからないまま進んでいく、非常に独特の世界を体感できます。
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ソラリス (ハヤカワ文庫SF)より
4150120005
No.64:
(5pt)

縁を感じました。

学生の頃、タルコフスキの映画を観て、この原作を知りました。最近、具合が悪くて仕事を休んだ日に、NHK-BSで、タルコフスキのノスタルジアを観て、ふっとソラリスのことを思い出しました。また、読んでみたくなり、新訳ではなく、旧訳を古本で求めました。予想もしていなかったのですが、NHKの100分de名著でソラリスが取り上げられ、しかし講師は新訳者の沼野先生。それでも、刺激を受けて再度読み始めました。今週から始まったので、初めての方は、旧訳、新訳、そしてテキストを両手に、難解と言われるレムの世界に入ってみるのはいかがでしょう?
ソラリスの陽のもとに (ハヤカワ文庫 SF 237)Amazon書評・レビュー:ソラリスの陽のもとに (ハヤカワ文庫 SF 237)より
4150102376
No.63:
(5pt)

飯田訳のほうが読みやすい

飯田訳「ソラリスの陽のもとに」のほうが文章表現が洗練されていており、スラスラと場面が浮かび読み進められる。
それに対して、沼野訳「ソラリス」は精密な描写表現を目指していると思われるが、表現が廻りいくどい箇所もあり直観的な理解が遅延する事がある。
この2冊についての読み進め方としては、先ず飯田訳を読み全体を把握した後に、沼野訳でロシア語版の削除された部分や改編された箇所を補完するのが最適解だろう。
少し読み始めてから読書スタイルの戦略を変えてみた。
飯田訳「ソラリスの陽のもとに」を数ページ読んでは、沼野訳「ソラリス」の同じ箇所を読んでみた。
手間と時間は掛かるが、翻訳者の訳の感覚の違いや出版社が自己検閲で削除した部分がよく解った。
ソラリスの陽のもとに (ハヤカワ文庫 SF 237)Amazon書評・レビュー:ソラリスの陽のもとに (ハヤカワ文庫 SF 237)より
4150102376
No.62:
(4pt)

なんせ装丁が素晴らしい


内容の素晴らしさについては
すでに多くのレビュワーの方々が書いてらっしゃるので
わたしはまったく別の面から本書を推したい。

本書、なにが素晴らしいといって装丁が素晴らしい!
装丁について言及されている方が皆無なのが不思議な
くらいだ。
イラスト、フォント、色合い、すべてがバランスよく、
このうえなくセンス良し。端的に「かっこいい」のだ。
わたしの歴代の「ベスト装丁」では1位か2位にくる。

所蔵を前提とするなら、以上の理由から
わたしは早川書房版よりもこの国書刊行会版を
強く推します。

なお、以下も余談的になるが ―

映画マニアのあいだでは
A・タルコフスキーの 『惑星ソラリス』 といえば
ロシア (旧ソ連) の巨匠の傑作として名高いわけだが....

翻訳者の解説 (あとがき) によれば、作品解釈をめぐって
原作者レムとタルコフスキーの間で 相当「大人な喧嘩」
があったそうである。
原作者レムは 『惑星ソラリス』 を酷くこきおろし、
タルコフスキーに 向かって「あんたは馬鹿だ」 とまで
言い放っている (笑)
( 翻訳者は両人の資質の違いを、上手く表現している―
タルコフスキーは 「郷愁の人」、レムは 「違和感の人」であると)
もちろん上をもってして『惑星ソラリス』の評価が揺らぐことはないのだが、
映画版 のカルト的人気と考え合わせると、このエピソードはとても興味深い。
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ソラリス (ハヤカワ文庫SF)より
4150120005
No.61:
(4pt)

人それぞれ

面白いかは人それぞれです。読んでみたい人は、読んでみてください。
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ソラリス (ハヤカワ文庫SF)より
4150120005
No.60:
(5pt)

幼き創造主

いやー…
SFファンとしてこの小説を完全な翻訳で読めるのは幸福の至りとしか言いようがない。
人間の悲しみについての、哀切な、哲学的な物語と、ハードSFが一体化した、稀有な傑作。

ネタバレになってしまうが、とりとめのない感想。
訳者の後書にあるとおり、この小説はどのような受け止め方でもできると思うが、こういう受け止め方もあるんだという参考に。

「お客さん」はソラリスがニュートリノを凝集させることによって分子?レベルで人間を模造して作ったもの、いわば生きた幻だ。
ソラリスは人間の似姿を創造した。でも何のために?と問うなら、自問しなければいけない。われわれは自分が何のために創造されたか知っているのか?
物語の終盤でケルヴィンが言う「欠陥を持った神を崇める信仰」とはグノーシスのことだろう。ソラリスはわれわれを造ったのとは違う、別の幼き創造主(デミウルゴス)、またはそれに比肩する何かなのだろう。

なぜわれわれは不死身でないのか、愛する者との身を引き裂かれるより辛い別れをなぜ経験しなければいけないのか?
われわれは永遠に答えの出ない問いを問い続ける宿命だ。他の知性体がこの宇宙にいたとして、それを必ず理解できるなどと思わない方がいい。ましてや他の星の知性体が人間と似ていることを期待するなど余りにも幼稚。だって、われわれは自分たちの創造主の意図すら理解できないのだ…

そして、何のために作られ、壊されるのかさっぱり分からないまま多大な犠牲を払ってミモイドや対称体を調べ続けるソラリス学者たちは、顕微鏡や望遠鏡を片手にこの世界と格闘する科学者たちとあまりに似ていないだろうか。
この小説は現実の壮大な戯画でもあるのだ。

この小説のラストもまた、多義的な受けとめ方ができるものだが、それでもわれわれはこの世界を理解しようとする努力を止めないんだ、という前向きなものだと考えたい。
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ソラリス (ハヤカワ文庫SF)より
4150120005
No.59:
(4pt)

圧倒

1961年に東欧ポーランドで発表されたSF小説。今読んでも設定等に古さを感じるところがなく関心した。知性をもった海という未知との遭遇を通じて主人公の思考が愛や神について深く掘り下げられいく過程に圧倒された。
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ソラリス (ハヤカワ文庫SF)より
4150120005
No.58:
(4pt)

人間の理解を超えている ソラリスの海

島地勝彦が薦めていたので、読んでみた。

訳者あとがきに、作者の創作意図がうかがえる文章が掲載されており、

宇宙は、人間の理解を超えていて、人間の知性で理解しようとすることの限界を説いている。

『「かれら」の文明が「われわれ」の文明と全く違った道を進んでいるとしたら。

クリスの目前にいるハリーも、ハリーであってハリーではない。』

クリスは人間の知性、感情をもって、ハリーに愛情を感じだすが、それは決して海の策略ではない。

主人公クリスは、「不完全さを、本質的、内在的特質としてもってる神」の存在を想像した。

幼稚な神、不完全な神、『それは何も救いはしないし、何の役にも立たない、ただ存在するだけ』。

長く世界の人に読み継がれている作品だけに、根底に哲学的深淵を感じる。いい読書体験ができた。
ソラリスの陽のもとに (ハヤカワ文庫 SF 237)Amazon書評・レビュー:ソラリスの陽のもとに (ハヤカワ文庫 SF 237)より
4150102376
No.57:
(4pt)

不思議な世界観だった

ロシアの友人に勧められて読んだ本。(作者がロシア人)一言でいうと「おもしろい」です。ただ、抽象的な表現や難しい専門的な用語があり、たまにその部分を何度も読み返したりしたりもしました。この表紙が、本の世界観をうまく表現してると思います。じっくり本の世界に浸りたいと思うときにお勧めしたい本です。
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ソラリス (ハヤカワ文庫SF)より
4150120005

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