■スポンサードリンク
ソラリス
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
ソラリスの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.32pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全136件 21~40 2/7ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
惑星ソラリスに行った心理学者クリスと、ソラリスの海が複製したらしい10年前に死んだクリスの元恋人ハリー。人間ではない、しかし知性や感情もハリーとそっくりでなおかつ複製であるとも認知している複製ハリーへ感情移入したせいか、クリスと(複製)ハリーとのラブ・ロマンスとして読んでしまった。訳者あとがきで解説されていたように、レム自身はテーマは違うところにあるということらしい。ラブ・ロマンス部分は作品を駆動させる装置であるということかもしれないが、でも、複製ハリーの心情がけっこう気になるのだ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
有名なSF作品ですが、47歳にして初めて読みました。謎が謎を呼ぶ作品で、引き込まれてしまいますが、難解は難解でしょう。読み易くはありません。解説を読むと、文字通り、理解し難いものを描くこと自体が目的だったのかと思いましたが。2021年10月の購入ですが、「スタニスワフ・レム生誕100周年記念限定カバー」のデザインが素晴らしいと思います。このデザインの素晴らしさも、今回、この古典的名作を購入した理由の1つです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
こんな難しい内容の本をポーランド語の原著から訳すなんて凄い作業ですね。訳者解説の分量からも、その作業の労力と、訳者の熱量が伝わってきます。 削られていた部分を除いても、旧訳と比べてもかなり内容が分かりやすくなっていると感じました。(それでもかなり難しい内容ですね。特にソラリス学のメタフィクションが延々と続くところが読むのがキツい ^_^;) 海そのものが知性を持ち、なおかつコンタクトすらままならない人類にとっての大いなる"他者"である、というテーマの本作は、刊行された1961年以降の様々な作品(思想?)に計り知れない影響を与えたであろうことは想像にかたくありません。 素晴らしい新訳をありがとうございました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
第三者からみて「意識がある」とは、外的刺激に対し何らかの精神活動を思わせる反応がある状態を言う。しかし主観的には違う。臨死体験では「意識がない」のに、自己は活発な精神活動を行っている。自己が体験する「意識」とは「認識」(本書解説での意味ではない)に他ならない。 ある朝目覚めると私は、昔住んでいた家のいつもの部屋で寝ている。あそこにあれがありこれがあり家具の位置もわかる、何より寝具の感触、それが外界との関わりのすべてだった。ああこんなだった、でも目を開いたらお終いだとじっとしているうちにまた眠ったらしく、次目覚めたときにはすべてが現実に戻っていた。そうか、「外界」とは「認識」に他ならないのだ。外界の「実在」は認識の必須条件ではない。自己は認識を介してのみ自己の外と繋がれるのだと知った。我思う故に我あり。 認識のみが外界との接点であるなら、害意を持たないらしい海が作り出した幻影を、どうして恐れる必要があろう。ハリーは10年前に死んだハリーでないかもしれないが、それでもハリーなのだ。その姿、声、小さな仕草や癖までがすっかりハリーであるなら。ハリーだと認識できるなら、愛すればいい。 また別の朝、横に小さかった頃の私の子が私と手をつないで眠っていた。私に懐いて、朝から寝るまでずっと一緒だった最愛の子、今ではすっかり大きくなって、もう家を出て久しい。けれどそこには小さな手があり暖かい小さな体があって、あの頃と同じ柔らかいパジャマを着てぐっすり眠っている。私はそれをはっきりと感じ、「いま、このまま死んでいけるなら」、そう思った。今この時、心臓が止まって、意識が薄れていくなら、どんなに幸せなことだろう。しかし私に訪れたのは短い眠りに過ぎなかった。 作者の意図の一部だけだろう。しかし認識の問題として私はソラリスをすでに経験している、すでに知っていることを読んでいる。そんな思いが途中から消えなかった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
表装も中身もきれい 丁寧に梱包して送って頂きました | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
主人公に感情移入できました。 ただ、惑星ソラリスでは私たちの固定概念がほとんど通じないので、活字で表現しようとしている現象をなかなか想像できませんでした。ただ、そこがこの作品の醍醐味なのでしょう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
単行本を3冊読み潰してしまい 今回はKindle版で買いました。 何回読んでも飽きないです。素晴らしい作品だと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ソラリスの海の描写やソラリス学についての話が延々と続きます。 舞台設定は物語において非常に重要なものではありますが、ここまで冗長に描く必要性を感じませんでした。 そしてそれが少しでもわくわくするような内容であればまだ良いのですが、表現が難解でとにかく読みづらく、内容が全く頭に入ってきません。 娯楽性皆無で読むのが苦痛でした。 時間とお金の無駄だった!と思いましたが、どんなに名作と謳われる作品でも、合う合わないはあるな、という勉強代にはなりました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
古い小説ですが、ソラリスを巡る話は、深淵的で読んでいて楽しかったです。けど…それはいいのですが、こんなにも難しい問題を固く取り上げ話にしている割に、恋愛話ともいえないようなくだらない恋愛話が何回も間に繰り返されて、そこを読むのが物凄く退屈でした。読み飛ばすと話が分からなくなるし、けれど何度もどうでもいいような恋愛話がうだうだ繰り返されて…ハードボイルドとでもいうんですかね。当時の人たちは楽しかったのか、どうしてこんな作風の話の合間合間に、浅ーい恋愛話が何度も繰り返されるのか…。おそらく当時の読者のためのお楽しみ部分として書かれてるんでしょうが、そこが一番つまらないという…。話自体は好きなので『ソラリス』としては星5ですが、『ソラリス』以外の部分がハードボイルド版ちゃおみたいな恋愛話なので…。面白ければそれでもいいんですが、そこの部分が一番つまらないですし、ちょっとそこは正直ダルかったです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ハリーが知恵をつけてゆく過程に何故かこの物語の結末がハッピーエンドに思えたが、、、。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ファーストコンタクトの相手が必ずしも人類と同じ形状や思考を持つ必要はない、というのは理解できるしそこを突き詰めるとこのような物語になるのだろう。 ただ、それは言い出したらキリがない話で、作中に登場するソラリス学など虚構に虚構を積み上げたところでもはやそれは作者の作り上げた舞台限定での思考実験でしかない。(ある意味)リアリティを追求しすぎるとエンタテインメントとしては成り立たなくなる。 モビルスーツの性能を突き詰める上で脚は不要であっても、ガンダムを物語として受け入れるのにそれは必要。 哲学を語る文学としては秀逸なのだろう。ただ世でもてはやされているSFの名著、必読書という表現には同意できない。究極のフィクションではあるがこれはサイエンス、ではない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
コロナ禍で懐かしいSF作品を沼野氏訳で改めて読みました。沼野氏曰く、以前60年代に飯田規和氏により日本語訳されていた作品『ソラリスの陽のもとに』はロシア語からの重訳であったため、時代背景から、翻訳されずに削除された箇所があり、その部分が原稿用紙40枚分ほどにもなるとか。本作に触れ感激し、ポーランド語を学び、ロシア・東欧文化研究家にまでなってしまった沼野氏の、作品世界を忠実に伝えたいという並々ならぬ気迫が伝わりました。途中難解な描写があり、何度も睡魔に襲われましたが、まさにそこが削除されていた部分だとのこと、読み応え十分でした。改めて大名作だなと思いました。昭和の時代に飯田氏訳を一度読んだ本作を、50歳を過ぎて改めて、より原文に忠実な新訳で読める機会に恵まれました。沼野さん、本当にありがとうございました! | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ソラリスと言えば地球人の主人公が、ソラリスの海が主人公の記憶に介入して生み出した、自殺した恋人のコピーのような生命体に苦悩するという、そういう宇宙を舞台にした恋愛ドラマ的な要素もある、神とは精神とは何かというテーマも持った大傑作だとみんな認識している。それは間違いないけれど、 この小説が世に出たのは1961年、ポーランドは共産主義体制、でも共産主義の社会に疑問を感じ始めていた作者にとって、地球人がソラリスの惑星に探索しに行くという設定は、他の国に共産主義を広めることに対する罪の意識という意味もあったのではないか。物語は主人公の精神的な葛藤を重点的に描いているが、主人公がソラリスに探索という目的の侵略?宣伝活動?をすることによって、あの世からデータとして復活させられた恋人の女性のほうが実は主人公より精神的な傷は大きいと思う。小説内では彼女の精神は偽物だからという感じで中盤辺りまでは、かなり軽視されており、それも侵略側が現地の人たちの心理を読み違えていた、人類の歴史の皮肉を表現したという気がしないでもない。 僕にはこれはコロンブスがアメリカ大陸を発見して、現地の人たちの精神や文化を理解できずに、自分たちのキリスト教的な考えや、王制主義国家的な思想で現地の人たちを何か得体のしれない別のものにしてしまった、そして1961年時点においても同じことを繰り返そうとしているのではないかというような、そういう苦い罪意識を宇宙で表現したという感じがするのだが。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
SF界伝説の作品のような評論がありますが、結局何が言いたいのかわかりませんでした。ストーリーも中途半端だし。SFで表現する必要性があるんですかねぇ。凡人にはさっぱりでした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「人間の存在とは何か」それを登場人物の意識と行動を借りて浮き彫りにして行きます。人間とは、常に己の存在を問い続けてる生き物だけれども、きっと人類は滅亡するまで堂々巡りをして止まない。それは人間が有限であるからか、そもそも稚拙な存在であるからか。更に人類が飽くなき興味を抱いて来たソラリスの「海」でさえ、人知を超越した存在なるものの、宇宙の起源の深遠はその遥か彼方にあり、人類と「海」は、その「創造主」からは赤子にも満たない存在であると言う事を最後に主人公は気付く。奇想天外かつ壮大なSF叙事詩。私は先にソーダバーグの映画を観たのですが、作者レムが、とてもその出来映えに不満を抱いていたと言う事は、完読して納得する次第です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
作家の意図とは無関係に、結果として現れてきたものについて羅列してみる。 1.「予め失われた恋人」との「始まると同時に終わっている愛」 他者とは本質的に理解不能なものである。 ハリーは一見、理解不能な他者としての資格を備えているように見えるが、その出自を問えば、ケルヴィンの亡くした妻の記憶が基になっている訳で、人が自らの内面に理解不能な領域を抱えているという当然の認識によれば、ハリーとの愛は自己愛の変種と言えるのかも知れない。 しかしその後ハリーは、自分がケルヴィンの妻とは別人であるとの自覚をもつようになる。 その時、この愛は自己愛の変種ではなく、かつての愛の延長線上にあるものでもなく、新たに生まれたものとなる。 それが自らより他者を優先する真正の愛であるが故に、二人は悲劇的な結末を先延ばしするしかなくなる。 2.「所与ではない現実」 映画化されたものを観れば、(二作とも)繰り返される「うねり、渦巻く海」の映像が催眠を暗示、「現実への懐疑」を喚起する内容となっている。 原作小説においても(映画ほどあからさまではないにせよ)、「海」が語り手であるケルヴィンの脳に何らかの作用を及ぼし、幻覚を見させている可能性は捨てきれないのである。 3.「無力な人間の能動的ニヒリズム」 人の心を読み、無から有を創造できる神の如き他者が、能力のみで意志を持たぬものであった場合、他者の目的を類推することで自らの対応を選択するという戦術は無効となる。 それは作中に幾度か登場する「人間形態主義」の限界でもある。 全知全能のものに翻弄されるとき、運命という言葉が立ち上がる。 とはいえ、生命とは制御不能な環境を受け入れながら、生き抜いていくものなのだ。 シビレル。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
"私に望みはなかった。しかし、私の中ではまだある期待が生きていた。それは彼女の後に残された、ただ一つのものだ。"1961年発刊の本書は、人間以外の理性"未知の他者"との接触は可能か?の問いを軸に、精神分析、ラブロマンス他のメタ小説としても読み解けるSF小説不朽の名作。 個人的には、随分前に著者と解釈の違いを巡って【大喧嘩が起きた事で有名な】タルコフスキー監督の最初の映画化作品(1972年)を観てから、なかなか原作を読む機会がなかった事から今回、本書を手にとったのですが。 難解な印象だった映画と違い、ググッとテンポよく宇宙ステーションを訪れる所から始まり【限定された空間、登場人物】の間で起こる奇妙な現象を一人称視点でサイコホラー的に描く序盤から、絶対的他者性の前に次第に【無力感、必然としての物語の停滞、倦怠】へと転換していく本書は読みやすくも、合間にソラリス学というトリビア的重層的世界の紹介も挿入される事で、奥行きや深みのある読後感を与えてくれました。 また、映画において特に顕著であった様に本書の主要テーマとしては、あくまで【地球外理性との接触】であるとは言え、訪れたものの心理の奥底まで睡眠中に読み取り、つくりあげられた【恋人との再会、関係性の変化、再びの別れ】といったラブロマンスの要素は作中では語り尽くされていないからこそ読者に想像の余地を与えてくれていて。仮に著者の意図とは違っても、こちらもシンプルに胸を打たれます。 絶対的に違いのある他者との接触を描く作品、哲学的な作品を探す誰か、あるいはオールタイムベストなSF小説を探す誰かへ。またペンギン・ハイウェイ好きな人にもオススメ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
なんとなく、ソラリスの「海」と理解し合っていくという話かなと思って読み始めましたが、最後まで理解し合えないものとして、それを受け入れていく話だったので驚きました。訳者解説にもありましたが、テンプレートに沿った解釈を自分もしていたのだろうなと思い、考えさせられました。 オーウェルの「1984年」を読んだときにも思いましたが、SF小説の設定の細かさがすごいなと思いました。ソラリス学という学問の体系とその描写にかなりの文字数が割かれていて、この設定を考えるのは大変だったろうなと思いました。 ケルヴィンが最初にハリーをロケットで追い出すところや、ハリーを受け入れるところなど、異常事態にある人間の行動がよく描写されているなと思いました。 もやっとするところもあって、ケルヴィンがソラリス・ステーションに到着する直前に自殺した(とされている)ギバリャンについて、なぜそうなっていったのか等が最後までわからなかったのがもやっとしました。ケルヴィンの恩師だったり、そこそこ重要人物だったような気がしますが。ケルヴィンにとってのハリーがギバリャンにとっての巨大な黒人女性だったのかなと読み終わってから思いましたが、最も心の底に残っていたのがその黒人女性だとするとギバリャンに対しての謎がより深まる気がしました。 スナウトの人格・行動・動機などが捉えにくかったなと思いました。ソラリス・ステーションの環境で精神的に滅入っていたのかも知れませんが、支離滅裂な行動が多かったように思いました。 訳者解説で映画が異なる解釈で制作されたという話があり、著者が不本意だったとのことですが、原作のまま映画を作成するのは難易度が高く、観客に理解してもらうのに苦労するばかりで売れないだろうなと思いました。 自分はSF素人ですが、ホラー要素もあり、恋愛要素もあり、ミステリー要素もあり・・・と様々な要素が盛り込まれていて、SF史上の名作と言われるのも納得の作品だと思いました! | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
表現がいちいちクドくて、読むに堪えない。。 他の方も指摘してるように翻訳のクオリティーの問題なのだとおもわれる。。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
海がコンタクト対象だったらとの発想が面白い。 SF好きは必読かも。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!