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苦役列車
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苦役列車の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.84pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全276件 81~100 5/14ページ
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自分の周りにはいない人だけど、劣等感の塊ではなくても、みんな大なり小なり劣等感に苛まれる。そんな自分でもよりよく生きたい楽しくいたい。 それらの思いが痛いほど伝わって来ました。 | ||||
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ミステリやSFや歴史ものが好きなので面白いものをと思っての読書だが、私小説というジャンルは果たして読んで面白いのか以前から疑問でした。自分のことを土台にして書いた小説だから主人公=作家なのかもしれないが、必ずしもイコールではない創作の部分があるではないか、面白く読んでもらうために少し人格をゆがめたり強調したりすることもあるのではないかと思う。つまり貫多≠寛太、それは当たり前だと言われてしまえばそれまでだが、それならば創作としての私小説を何故読むのか。大学受験予備校の講師に某大学の英文学教授がいて、英文学サマセット・モームだったか、その解説の中で自分自身の人生をそのまま嘘偽りなく文章に出来ればそれは大作になるだろうというようなことを語っていた。それが私小説というものなのかなと考えている。前置きが長くなったが、苦役列車という小説は貫多が15歳という年齢で日雇い仕事でひとりで生活しなくてはならなくたった頃から、小説を書くことを生甲斐に文学賞の受賞を夢に見ている、正しく作家自身のストーリーであろう。学歴もなく立派な親もなく友達もなく孤独に耐えて、酒で紛らし、貧乏な青年が小説の如く小説家になったのであれば喝采に吝かでない。文章は滔々と喋るが如く胸の内を晒し読者の胸を打つものがある(但し共感ではない)。しかし学がない割には普段使われないような難しい漢字がよく出てくる。読書から独学で学んだのだろうか。貧乏で孤独が売りのこの私小説は、芥川賞受賞で有名になりお金持ちになって、孤独でもなくなったら、今後どのような小説を書くのか興味深いところである。この作者の作品はこれが最初で、他の作品も読んでみたい気持ちはあるのだが、ミステリものが控えているので、今度いつになるかわからない。 | ||||
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著者はTVに出演した時のコメントが面白くて、それを機に著者の作品や著者の尊敬する藤澤清造の作品を読み始めたが、芥川賞作品はつまらないと早合点して後回しになっていた。というのも、文筆家の小谷野敦氏(「母子寮前」で第144回芥川賞候補になり、西村氏と賞を競った)が「芥川賞を受賞する作品は概してつまらない」と述べていたからなんだが、実際読むとこれが面白い。独特の文体にユーモアがあって、ニヤニヤしながら読み進めてしまった。選考会でこの作品を強く推した石原慎太郎のあとがきもいい。 | ||||
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読みやすくて1時間ちょっとで読めました。 主人公があまりにもクズ過ぎて(笑)、 こんなクズでも生きていていいのなら 自分なんて胸を張って堂々と生きていいじゃないかと自信がつきます。 西村賢太氏は文学の可能性を広げた鬼才ですね。 | ||||
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私小説とわかってかったけれど、ちょっとうまいブログ・・・かな。 シモネタがしつこい。 | ||||
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19歳、男。人間としての最底辺の生活を中卒以降送ってきた貫多は人足の日当5500円のみを当てにしてその日暮らしを続ける。 このような生活を昭和の時代に、どのくらいの人がおくっているのかは私にはわからないが、その時代を生きるとてつもないエネルギーは現代にないものだと思う。 本書を映画と合わせて観ると面白い。 この本で大きな賞を受賞をする西村賢太の魂を感じた。 2017.3.8 読了28冊目 | ||||
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受賞後のインタビューが面白かったので読んでみたかった本です。最初からの7割程は19歳の主人公の自堕落でどうしようもない日々の話。後半はいきなり40代に飛んで他人の成功を妬みつつ、見返してやろうともがく日々の話かな? ただ、ちょっと考えてみるとこの主人公、うだつが上がらない落伍者の体を装っているが、中卒の日雇い労働者が漠然と夢見てた小説家になり、まがりなりにもそれで食っていってる。これって相当の成功ではない?おまけに受賞候補者にもなっている。小説家になりたいのになれない人がいる中、この人は才能と運をもっていたのです。これに気づくとちょっと冷めます。 まあそれは置いといて、この小説は人間のいやらしい負の面を描きたかったのだろうか?私は飛んでしまった小説家になるまでの心の変化や、そのきっかけなども書いてほしかったです。 | ||||
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ここまでの情報と「物語世界においでよ」が「両親の真意」だという事から苦役が存在する真相は何なのかが解明可能なのだ これは「この世界より物語世界のほうがいいよね」へと「誘導」するのが狙いの措置にしか過ぎず 「人々に対し苦役をかす人物」もまた「物語世界の住人」だということが判明するのである つまり「ヒトラーが圧政を行った」の真相も「ヒトラーは物語世界の住人」だからだということが判明するのである 言い換えれば「相対性理論」とは「ヒトラーは物語世界の住人だという事にアインシュタイン博士は気づいた」を意味する図式なのである これは「アインシュタイン博士はこの世界の住人」だという事を意味する図式であり つまり「物語の世界の住人は物語の世界の住人らしくこの世界の住人に対し服従だけしていればいいんですよ」が 「アインシュタイン博士の真意」を意味する文章こそ「相対性理論」だと言う事が判明するのである つまり「アインシュタイン博士はヒトラーに打ち勝った」を「拒絶」する学会関係者もまた「物語世界の住人」だと言う事が判明するのである 言い換えれば改造手術とは「物語世界の住人を対象とした手術」であり 「物語の世界の住人は服従だけする存在」を体現した姿こそ「人間の体は金属でできている」だと言う事が判明するのである さらにいうと「慈しみの心で接しましょう」を「物語世界の住人」に対し訴えかけている事から 「物語の世界の住人はこの世界の住人に対し無償奉仕する存在でなければなりません」こそ「アインシュタイン博士の真意」だと言う事が判明するのである さらにいうと「駄目な奴」も実は物語世界の住人だということから 「駄目な奴にとってのこの世界で暮らすとはこういうものです、だから物語世界に戻りましょうね皆さん」を「駄目じゃない物語世界の住人」に対し訴えかける事こそ 「手術を受ける以前よりも運動能力が劣る」という改造手術の「仕様」だと言う事が判明するのである 言い換えれば「作家と役者には近親相姦の経験がある」とは 「パパとママと性行為したいよ」という「物語世界の住人の願い」に対し作家と役者の両親が「答えた」だけの話だと言う事が判明するのである そして「作家と役者と通常の受け手と編集は物語世界の住人」および「作家と役者と編集はもめている」の2点から 「物語世界の住人の自作自演により物語世界の住人自身が苦しむ行為」こそ苦役の正体だと言う事が判明するのである つまり「この世界より物語世界のほうがいいよね」を訴えかける行為こそ苦役の正体を意味する図式なのである 言い換えれば「何をしたところでありますねそんな話にしかならない」とは 「この世界より物語世界のほうがいいよね」が「機能不全」に陥る事を意味する図式であり 「物語の世界の住人は物語の世界の住人らしく物語の世界で暮らしていればいいんです」 及び「この世界の住人が物語の世界で暮らしてはいけないんです」を「確定」させる事を意味する図式であり 一歩のいう「最悪の事態」そのものだと言う事が判明するのである つまり「相対性理論」と「改造手術」とは「物語世界の住人の行動パターン」が何なのかをアインシュタイン博士は「特定」した事を意味する代物であり 「やはり物語世界の住人に出来るのは機械的作業と機会反応だけでした」の「証拠」を意味する代物なのである そして「最悪の事態」を促す装置こそ「テレビゲーム」だと言う事が判明する図式なのである つまり「物語世界へとおいでよ」こそ苦役をかす真相を意味する図式なのである | ||||
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社会の底辺に弾き出された粗暴な男の 劣等感に裏打ちされたひがみと妬みと虚勢と屈折と 脆さに引きずられた怠惰と欲情と甘えと諦観を 薄汚れた毎日に薄笑いと共に詰めたお話 ***** 第144回芥川賞受賞作品。 もう一方の「きことわ」とは真逆を行く作品。 個人的には、小説として俄然こちらの方が「読ませる」と思う。 「ろくでもない」と言う表現がしっくり嵌まる 生産性ゼロのその日暮らしの自堕落な生活。 19歳の若者の話なのに、 いや19歳の若者の話だから、なのか、 作中にほとばしるのは目を覆わんばかりの負のエネルギー。 およそ綺麗な表現とはほど遠く、汚くえげつなく、 あまりのリアルに一周回ってファンタジーになりそうな、 痰唾 精液 吐瀉物 排泄物ありとあらゆる汚物に塗れ 悪態ついて罵倒しながら それでもナンダカンダで人を求めて どこにも帰着しない毎日を列車は走り行く。 最近よく目にする古めかしい文体だが、 唐突に「~な感じ。」などと口語が顔を覗かせたり。 気性も荒く粗暴な貫多の一人称は「ぼく」で 人あたり良い専門学生の日下部が「俺」だったり。 小汚い言葉を人に平気で吐けるくせに、 「おそば」や「おつゆ」とふいに丁寧な単語が飛び出したり。 巧みに貫多の憎めないお茶目さを表現するあたりが 私小説とは言え緻密に計算されたフィクションのよう。 まるで救いもなく進歩もなく着地点も無いのに 不思議と不快にならない読後感。 それは物語の帰着がどうあれ、 西村氏がどうにもならない人生を私小説を書いて昇華させた、 その過程に立ち合えたからかもしれない。 | ||||
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映画を先に見ちゃったので、青春劇かと思って読んだら全然違ったよ! でもこっちの方が好き。 | ||||
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普段 本など読まない私がTVで西村さんをみて芥川賞?(違っていたすいません)の作品ってことで 一度よんでみようかと購入。数時間で一気に読める量ではあったが、わたしに文学はわかりません・・・・・ 芥川賞? ってこうゆうものなのだなーってことはわかりました。 | ||||
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中年の腹を裂いてはらわたを覗き見たような気にさせる作品。 私小説であるから、著者の西村賢太は、すなわち主人公の貫多なんだろうが、よくもまあ、ここまで惜しげもなく(?)自身をさらけ出せるものだ。ちらりとやっかみや悪意が頭をかすめても、それを封じ込めるのがあるべき大人だが、それをドロドロと吐き出すイタさに、むしろ潔さを感じた。 古式ゆかしい文体が、作品世界をいっそう負のオーラで包み込み、匂い立つようなものに仕上げているようだ。 「苦役列車」は、日雇い労働に明け暮れる青年期の、「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」は文学賞を受賞し始めたもののぎっくり腰に悩む貫多の日常が切り取られている。 このイタさはクセになる。 | ||||
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面白いですね、この方。本よりも実際お話されている姿に良さがあります。 | ||||
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まとわりつくような文体。諦めようとしながら、諦めることもできぬ。 健康な身体が、放出する。 底辺を這いずり回りながら、自堕落になりつつも、お金がなければ、生きて行くことができない貫多。 誰も頼ることなく、一人でさみしく生きようとする。そんな時に、友達と言える日下部がやってきた。 それで、仲良くなるが、沈殿部分と上澄みの世界は違う。 沈殿部分で、上澄みの液につっかかるが、所詮、沈殿部分で生きて行く。 したたかとも言えず、たくましいとも言えぬ。 下層階級の意地も見えずに、ひたすら、いきる。 確かに、列車のように、走り続ける。 どんな 目をしているにだろうか。 | ||||
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真夏に読む一冊といえばこちらの作品。芥川賞の受賞は冬でしたが、物語の季節は真夏から初秋の内容です。じっくりと時間をかけて読んでも、面白いので一気に読み終えるでしょう。また、作者の人物像をそのまま文字にしたようで嫌みがないかな。 | ||||
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価格1円は満足するコストパーフォーマンスです。配送費を削減をして頂けるとさらに嬉しいです。 | ||||
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これまで何冊か私小説を読んだけどダントツに面白く心に刺さった。西村作品をもっと読みたい。 | ||||
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自伝的小説ですが 衝撃的です。 心に強く残った一冊です。 「苦役列車」という言葉が心に残り西村賢太氏の 生きざまは小説にしても衝撃的でした。 | ||||
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惨めでどうしようもない男の物語。 ただそれは作者の才能により鮮やかに情けなくそして克明に書かれている。 西村健太の物語は彼が才能のある小説家であることを意識しなければおそらく世間にも多くいる家庭環境に恵まれず、嫉妬深く、臆病で、怠惰な、何の仕事にも向いていない救われないくずな男の物語だ。 しかし自分に向き合い書かれているからこそ、他人に何かを感じさせるそんな小説だと思う。 | ||||
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芥川賞の発表の際になかなか連絡が来なかったので、「もう駄目だと思ってソープに行くところだった」と言っていたのであまり読む気になりませんでした。最近、時間を持て余し気味なので読んでみました。結構、面白かったです。 | ||||
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