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苦役列車



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【この小説が収録されている参考書籍】
苦役列車
苦役列車 (新潮文庫)

苦役列車の評価: 3.84/5点 レビュー 276件。 Cランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.84pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全276件 121~140 7/14ページ
No.156:
(4pt)

西村賢太は生粋の作家である

私小説という分野があるのはなんとなく認識していたが、すべての著作が私小説で固められている作家がいるとは知らなかった。
西村賢太の小説は、かつて一冊読んだことがあるが、そのダメっぷりに迫力があった印象がある。
さて、本作であるが、まさに著者の体験をしかもかなり狭い範囲の出来事を小説にしている。
物語としてはその設定から主人公の性格、まわりの人物、どれをとっても完全に矮小である、しかし不思議とおもしろい。
小説を書くということはどこまでも自分を掘り下げる作業である、と、ある作家がいっていた。
そういう意味ではこれほど純粋な小説家はいないかもしれない。
苦役列車 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:苦役列車 (新潮文庫)より
4101312842
No.155:
(3pt)

「環境のせいにするな」というのは恵まれた人だからこそ言えるセリフ

芥川賞を受賞した作品ということだけでなんとなく購入したこの本です。
あまり文学的に高尚な感想が書けないのですが、人間の人となりというのはいくらでも環境のせいにできてしまえるんだな、というのが正直な感想です。
こういうとちょっと極論になってしまいますが、親がいない、親が犯罪者、家がすごい貧乏などのすでに個人ではどうにでもできない環境から「普通」の人レベルになるには、相当の努力、人の助け、アドバイス、運などが必要とされると思います。

中卒の人間がどのように毎日の生活を送っているか(ホームレス予備軍ともいえる)がリアリティをもって感じられた。
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No.154:
(4pt)

これは自分の事だ。

主人公(著者本人)の持つ、強烈な劣等感、僻み、妬み、その他負の感情の数々に、どこか共感してしまいます。

この主人公からは誰しもが少なからず持つ人間の負の部分を嫌というほど見せつけられるのですが、
そう言いたくなる、想いたくもなる気持ちもわからんでもないと妙に納得してしまう。

普段の生活を送る中で、考えるだけでも自分って嫌なやつだなとか、
こんなこと考えてるの誰かに知られたら一発で嫌われてしまうだろうなといった、
表に出すことを許されない感情を
この主人公は時に心の中で、時に酒によった勢いで声に出して晒してしまうのですが、
普段押し殺し続けなくてはならないような感情を代弁してくれているようで、
妙な、なんとも言えない不気味な爽快感があり一気に読み進みました。

ただ、一気に読めてしまい、一気に話しが終わります。
唐突に終わってしまうのでちょっと拍子抜けするかもしません。

巻末の石原慎太郎さんの解説が物凄く簡潔な解説をされていて、言い得て妙だと思いました。
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No.153:
(2pt)

初西村賢太

初めて西村賢太著作を読ませてもらった。あまり好きなテイストではないな。
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No.152:
(3pt)

大筋は忠実な映画が加えた蛇足こそ、

書き手をそう足らしめる欠落であり、作家へ駆り立て、全てを書くに値する宝と化させる呪いと感じた。
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No.151:
(3pt)

どよーん

ある程度、覚悟をしてましたが、辛いです。

主人公の考え方に共感できかねます。。。
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4101312842
No.150:
(3pt)

思ったほどの作品ではないような。。。。

期待して読みましたが、すこし期待外れな作品だと感じます。。。

まぁなんとか最後まで読破しましたが。。。

あまりお勧めのできる本ではない気がしますね。。。
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No.149:
(5pt)

迅速でした。まだ読んでませんが・・・

迅速に発送頂きました。本も綺麗でした。いっぱい買いすぎてまだ読んでません。
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No.148:
(4pt)

いいね。

ま、内容がリアルでいいですね。現代の闇というものが伝わってくる。」
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No.147:
(1pt)

本音は星1個もつけたくない。どうでもいい本。

ほんとうにどうでもいい内容。
文章の繰り返しや、とくに掘り下げるわけでもない無駄な説明が多く、数段落飛ばして呼んでも話の内容がわかる。
芥川賞ってこのレベルなのかと勘違いしてしまいそうです。
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No.146:
(3pt)

オナじ阿呆なら

若い頃、ガテン系バイトを渡り歩いた身としては、
本作を読んで懐かしい陶酔感に浸らせて貰った。
あの頃の錯誤と不安、疲労と鬱屈、そして何よりの野心を思い出した。
――きっとどこかで挽回してやる。

主人公、貫多のキャラクターは、その野心の欠落に於いて、著者の小説の
中心人物となり得ている。私小説がそれとして、リアリズム表現されるべき
ものであるならば、彼、貫多は巧みに込められたフィクションだ。
それ故に小説は、ファンタジックな現実を走り出す。

その勢いで作者は何れ罪悪を、父親を、その先々をも捉えることになるだろうか。
そこにはきっと、思想や権力や人の本性の問題も横たわることだろう。
ふと、阿部公房の飢餓同盟が思い浮かぶ。

作家の今後を楽しみにしています。
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No.145:
(4pt)

読みやすい佳作

文体の古めかしさは 以外と気にならない。
絵画で言えば 「額縁」の様なもの。
文章の流れが良いので読みやすい。
「中途半端な自虐」が かえって面白く、読後の爽やかさを誘う。
なお、著者には「痩せて下さい」と言いたい。
本作の主人公は 痩せている方が似合う から。

石原慎太郎の解説が素晴らしい。全てを言い尽くしている。
石原慎太郎を見直した。
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No.144:
(4pt)

やみつきになるダメ男

中卒で怠け者で下劣でコンプレックスの塊。19歳の主人公貫多の特徴である。

私小説の中で躊躇なく露呈される彼の中流層に向けた見当違いの恨みの心情、勝手な妄想、狡猾さ。妬み、僻(ひが)み、嫉(そね)みが延々と連鎖する救い用のない考え癖。
良くもまぁこれだけの負の感情に終始囚われながら正常で居られるもんだと、感嘆さえ覚える。いや、正常で居られずに臨界点を越えた時は暴言と暴力となって迸り噴出するし、またその沸点が低いから周りは迷惑でしかない。

父親の性犯罪という大変な重荷を11歳から背負わされ、これまた沸点の低い母親に育てられた愛情に恵まれなかったという不遇は、中流層に対する僻みを醸成するに充分な温室だったとは思う。しかし両足に嵌められた重い鎖を自ら外す意思も脆弱で、ただただ、性の放出費用とその日食べるための日銭稼ぎを、気持が高揚したか経済が窮地の時だけに行う事から抜けられないのは全て自己責任。

まぁ、そんなことは彼は解っていて、殊勝になることも有るけど、ちょっとした外部からの刺激で殊勝さはとたんに引っ込み、開き直りがムクムクと頭を擡げる。
延々この連鎖だから救われない。

でも、この救い様の無い彼の言動から目が離せずについつい先を読んでしまうのは、彼が自分の代弁者でもあるからだと思う。僕らが平穏に日常を過ごすために心に蓋をしておく負の感情を、彼は思い切り迸らせ、言動で表す。自分を基準にした時に、彼はやり過ぎだろうと思える事には嫌悪を覚えるけど、同意出来る部分も多いにある。例えば怠け者根性とか。

ヒーローが活躍する勧善懲悪のストーリーで非力な自分に代わりヒーローが悪を懲らしめるとスカッとするのとは真逆にあるけど、貫多もまた大人の僕らが抑えている事を開き直って全開にしているので、代弁者なんだと思う。
なので、病みつきになるダメ男。
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No.143:
(3pt)

書き出しに驚いた

西村賢太「苦役列車」は、書き出しに驚いてしまった。

 曩時(のうじ)北町貫多の一日は、目が覚めるとまず廊下の突き当たりにある、年百年中糞臭い共同後架へと立ってゆくことから始まるのだった。

 いきなり「ことば」から始まるのだ。もちろん小説(文学)だから、それが「ことば」でつくられていることは承知しているのだが、しかし、私は驚いてしまうのである。
 「曩時」って何? 私はこんなことばはつかわない。広辞苑で調べると「さきの時。むかし。以前。曩日(のうじつ)」とある。意味はわかったようで、わからない。「いま」ではなく、「むかし」ということ、なのかもしれない。つまり、ここに書かれていることは、「むかしむかし」で始まる「物語」ということなのかもしれないが……。
 うーん。
 言い換えると、ここに書かれているのは「現実」ではなく「物語」なのだ。そして、この小説は、あくまでも「物語」なのである。この小説は「私小説」、西村の体験を描いたものというふうに言われているけれど、それが西村の体験だとしても、西村はそれをあくまで「物語」として提出している。「ことば」の運動として提出しているということになる。
 よくみると、たしかにそうなのである。ここに書かれているのは「日記」のことばではない。「日記」の文体ではない。自分を語るときのことばではない。自分の行動を記すのなら、

北町貫多(私)は、目が覚めるとまず廊下の突き当たりにある、年百年中糞臭い共同後架へと立っていった。

 ということになる。けれど、西村は、そうは書かない。あくまで「北町貫多」を「私」という視点ではとらえない。「自動詞」の主語にはしないのである。「自動詞」としての行動を描くときでも、それを対象化する。つまり、つきはなす。
 北町貫多は便所へ行った、ではなく、北町貫多の一日は便所へ行くことから始まるのだ、と対象化する。
 そして、そのつきはなしによって、読者が主人公と向かい合うようにするのだ。読者が主人公になってしまうことを拒絶する。読者を主人公にはしない−−という操作で、主人公を「私(西村)」に引きとどめておく。そういう形での「私小説」である。
 これは同時に芥川賞をとった朝吹真理子の小説と比べるとよりはっきりする。

 永遠子(とわこ)は夢をみる。
 貴子(きこ)は夢をみない。

 ふたりの主人公が登場し、ふたりの行動は「自動詞」として書かれる。「夢をみる」「夢をみない」。そこに書かれているのは「私」ではないが、彼女たちは「私」として行動する。このときの「私」とは、「私=朝吹」ではなく、「私=読者」である。
 ふたりの主人公を、読者は「私」として読みはじめる。それは「私」ではないけれど、小説を読むことで読者は「永遠子(私)」になり、「貴子(私)」になる。ふたりは別個の存在だが、そのどちらにもなる。ときには、同時にふたりになったりもする。
 こういう主人公と読者の「同化」を西村のことばは拒んでいる。「主人公=読者(私)」を拒絶することで、「主人公=西村(私)」という形をとる。
 「主人公=読者(私)」ではない世界では、「ことば」はけっきょく「読者(私)」のものではなく、西村のものである。そのことが、

あ、ここにあるのは、ことばだ、

 という印象を呼び起こすのである。

 しかし、パンパンに朝勃ちした硬い竿に指で無理矢理角度をつけ、腰を引いて便器に大量の尿を放ったのちには、そのまま傍らの流し台で思いきりよく顔でも洗ってしまえばよいものを、彼はそこを素通りにして自室に戻ると、敷布団代わりのタオルケットの上にふたたび身を倒して腹這いとなる。

 若い肉体が書かれているのだが、私には、その肉体よりも、それを描写する「ことば」ばかりが見えてしまう。勃起したペニスは見えない。勃起したペニスを描写する「ことば」が見える。
 「顔でも洗ってしまえばよいものを」ということばには、顔を洗わない主人公ではなく、顔を洗わない主人公を描写する「作者」が見える。
 どの描写をとっても同じである。そこには「主人公」はいない。「主人公」を描写する「ことば」があり、その「ことば」を書きつらねる「作者=西村」がいる。
 なるほど、そういう構造をもった作品が「私小説」なのか、と私は、考えながら納得してしまった。

 もう一か所、具体的に書いておく。日雇い労働の昼飯どき。弁当が配られ、それを食べてしまう。そのあとの描写。

 当然、これでは到底もの足りなく、むしろ底抜けな食欲の火に油を注がれたみたいな塩梅である。

 西村の小説に何度も出てくる「塩梅」。自分のことを語るときにも「塩梅」ということばはつかうかもしれないが、ここではあくまで自分ではない誰かをみて、それを描写している。「食欲の火に油を注がれた」ように感じているときは、そんな自分を「塩梅」というように悠長に描写してはいられない。狂ったように動く感覚を、飢えを語ってしまうのが「自分」のことば、「主人公=私(読者)」のことばである。はげしい飢えがことばになっているとき、読者(私)は、その飢えを私自身のものと感じ、その感じのなかで主人公と一体化する。
 「塩梅である。」という描写(ことば)では、読者(私)は主人公の飢えと一体化しない。離れたところから主人公を眺めてしまう。主人公と読者(私)のあいだに、「ことば」があって、その「ことば」を眺めてしまうのである。そして、あ、この「ことば」が西村なのだと思うのである。
 金がないから主人公は弁当だけですませるが、金のある日雇い仲間は、自動販売機のカップラーメンやワゴン車が売りにきた焼きそばなどを食べている。それを眺める主人公の描写。

 金のある者は弁当と共にそれらを添えておいしそうに食べているさまが、貫多には腹立たしく眺められて仕方がなかった。

 食べている者を眺め、腹立たしかった、ではない。また、腹立たしく眺めた、でもない。「貫多には腹立たしく眺められて仕方がなかった。」と、はげしく動く感情を突き放して描写するのである。「ことば」にしてしまうのである。
 感情を生きるのではなく、「ことば」を生きるのである。
 「私小説」とは「ことば」を生きる作家の生き方なのだ、と思った。あ、こんなふうにして西村は自分を救ってきたのだ、「ことば」を生きることで現実を超越してきたのだ、と感じた。
 これは最近ではめずらしい形の「ことば」と作家の関係であると思った。
苦役列車 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:苦役列車 (新潮文庫)より
4101312842
No.142:
(5pt)

実力が同時代の作家から抜きんでている

年を取ると読書は実用書ばかりになって純文学から遠ざかる

でも彼の「風俗」発言が気になって本書を読んでみて、感動して手が震えた

成功している人間はほんの一握り、もちろんだからこそ「成功者」は少なく、多かれ少なかれ著者のような鬱積した気持ちを抱えて生きているか

もしくは若い時分に無限に可能性があると思った自分が、実は落ちこぼれであった時の社会への妬み僻みを誰もが一度は抱えたのではないか

そんな思いを彼は文学の中に見事に表現している・・・

彼の本を読んでから純文学に目をむけようと2000年以降の芥川賞受賞作をあらかた読んでみた

その中での結論は

「彼は同時代の作家から実力が抜きんでている」
苦役列車 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:苦役列車 (新潮文庫)より
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No.141:
(4pt)

快作

150本近くのレビューがアップされ、その大半に目を通し、多くに感心した手前、もはや気の利いた新しいコメントは難しい。芥川賞受賞の標題作ほか1編を含む当文庫は1年前の刊行。石原慎太郎氏が小説家の肩書きで「魅力的な大男」と題する短い解説を書いており、そこには「成功がもたらすだろう生活の変質の中で、このしたたかな大男がさらに大きくなるのか萎縮するのかその変質に尽きせぬ興味がある」とある(170頁)。

 評者にも確かにそんな読後感があり、いま現在の作者の様子と最新作を知りたくなった(芥川賞受賞からしばらくした後、テレビのインタビューで、作者が「毎月々々銀行口座に100万円入ってくるんですから」云々と答えるのを見たことはあるが)。なお、当文庫の読後の第一印象は、時代に背を向けた若さの悲惨、自暴自棄がもたらす貧窮の苦渋、そして自らを客観視しようとするうえでの巧まざる諧謔といったところか。
苦役列車 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:苦役列車 (新潮文庫)より
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No.140:
(4pt)

生きるってこういうこと

芥川賞受賞作品ではあるのだけど、
西村さんの授賞の際の発言などから女子供が読むにはどうなの〜?ってイメージでした。
でも、女の私でも面白かった!
自分の好きなタイプの小説とは真逆なんだけど、とまらなかったです。
文章もうまい。巧みな言葉のチョイスには思わずにやりとしてしまいます。

ガチの私小説だし、主人公が感じている生きにくさや葛藤が生々しい。
19歳貫太はダメなままで成長も反省もなく、何もなく終わるのがリアル。
そして「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」で40代になった彼を見て、
人生の目的を見つけ、身を削るように生きる姿に凄まじい生命力を感じた。
どこからだってのし上がれる。生きるって泥臭いものなのだ。
19歳から40まで彼はどんな生き方をしてきたのだろう。
それを想像するのも楽しいです。
苦役列車 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:苦役列車 (新潮文庫)より
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No.139:
(5pt)

この作家の出発点

読了後、ドストエフスキーの『地下室の手記』を思い出した。
 自分自身のどうしようもなさを理解しながら、次々に、また不合理な行動をとっていく主人公・貫多。
 たとえ、一瞬に反省するにしろ、やはり、また、同じような、だめ人間の行動を反復していく...
 その様を、『苦役列車』となぞらえ、具体的に、克明に描き出す、西村氏の執念に脱帽した。
 西村氏の画期的な点は、私小説を、通俗化して見せた点にあるといっていいだろう。
 西村氏の私小説には、私小説が持っていた、芸術家を標榜する者たちの驕り、
 あるいは、共産主義的な政治性を有することなく、
 身近な文学として、提示されている。
苦役列車 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:苦役列車 (新潮文庫)より
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No.138:
(3pt)

本文参照

近年の賞(アカデミー賞や日本の各賞など)は選考者の多様な価値観を感じさせられる。その世界の偉い人の判断も一つの相対敵なものである。
苦役列車 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:苦役列車 (新潮文庫)より
4101312842
No.137:
(3pt)

ダメ人間なのは良く分かった

伝え方は上手で、なんともまぁ古風に作られております。

そこまで本を読まない自分としては難しい所もありましたが雰囲気は抜群。

うん、雰囲気は としか出てこない。

ストーリーは面白いとは思わない。
いわゆる【普通】のダメ人間の描きに徹している

ほんとコイツ駄目だなぁという感情のみで、考えさせる事も特にない。

うーん ☆5を付けている人は一体なにに惹かれたのか文才でしょうか

「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」はとてもよかったです。

ただ受賞したのは苦役列車 面白いとは難しいです。
苦役列車 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:苦役列車 (新潮文庫)より
4101312842

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