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苦役列車
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苦役列車の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.84pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全276件 221~240 12/14ページ
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私は西村さんと同世代。あの時代、20歳前後で日雇いとして日銭を稼ぎ、糊口をしのいでいた人がどの位いたのだろう?まわりを見れば華やかに見える生活をしている人たちが大勢いたのだから、やっぱり主人公は鬱屈するだろうな。この小説の中で「華やか側」にいる対比となる人物は同じバイト仲間の専門学校生。そして、もう少し「より華やか側」にいるのがそのバイト仲間の恋人(慶大生)。主人公との微妙な距離感が非常に上手く書けています。 この本では主人公の鬱屈した気持ちや、だらしなさ、性欲がかなりストレートに表現されています。概してそういった本音をそのままズバリ書くと、2チャンネルのように非常に品がなく、読んでいて嫌な気分になるものです。しかしそこはさすがに芥川賞受賞作(!?)。適度に客観的、またどこかユーモラスな文章で、少なくとも私は全く嫌な読後感は持ちませんでした(ただ、特に女性読者の中にはこの主人公に嫌悪感を持つ人が多いだろうとは思います)。 ともかくも自分の中のどこかにあるネガティブな部分が共感を覚えるのか、この小説をたいへん面白く、一気に読むことができました。 でもこの本が芥川賞に値する純文学なのか、というとちょっと疑問符も付きます。改めて芥川賞の基準って何なのだろうな、と感じました。 | ||||
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薄いので2時間半ほどで読み終えました。 「こうはなりたくないなぁー、」と思っただけでした。('・ω・` ) 不景気な日本を中卒の人がたくましく生きていく話とばかり思い込んでました。 予約で10万部売れたそうですが私と同じ人が多かったのではないかと思います。 内容が悪いのではないですが、内容が『以外過ぎ』でした。(あくまで私見です。) この私のレビューを読んでから読むと先入感を持たずに読めて別の感想に至るかもです。 | ||||
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私小説だからこんな感じだろうか、あまり期待しすぎたから期待はずれでした、 文語的な言い回しが少々癇にさわり、 苦役列車とは大仰で、私の周りには苦役列車にもっと思い荷物を積んだ人生を 送っている人がいます。 総じておもしろくない小説。 | ||||
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なぜ私が西村小説にハマるのか。 これまでの著作を読んできて気づいたのは、これは現在の『男はつらいよ』ではないか、いうことだった。 新たな「寅さん」が観れなくなって、ずいぶん経つ。 同じパターンを繰り返しながら50作近くも続いた『男はつらいよ』にハマっていたのは、まさにそれが同じパターンであったがゆえであり、「寅の帰宅 → いっときの家族団らん → 妄想 → つまらぬことで家族と喧嘩 → 家を飛び出す → マドンナの登場 → ふられる → また旅に出る」という鉄板の流れに身をゆだねることの心地よさからだった。 私は西村作品に、それに似たものを感じるのだ。 「テキ屋稼業と日雇い人足」、「マドンナと藤澤清造」、「自己中なひがみや妄想と行動」、「女好き」、「つまらぬ喧嘩と、女や周囲とのいさかい」、「それでもどこか憎めない」、最終的には「これまでどおり」、といった、ある種の“安心感”にハマるのだ。 私におけるクライマックスは、貫多がぶち切れた時に、同居する女や周囲に吐く怒涛の“呪詛”(寅さんにおける自己中な妄想や、とら屋一家やタコ社長との喧嘩)だ。 本作では、第五節中盤の 「― 理不尽だ」 辺り以降と、その終盤の部分。 吐く内容はオゲレツ極まりないが、寅さんの啖呵売のごときそのキップの良さに、酔ってしまうがようになるから不思議だ。 若者だけでなく中年も含め、貫多と同じ“列車”に乗っている人が増えていること。 また、芥川賞受賞によりテレビや紙面にその姿をさらし、西村賢太≒貫多というビジュアルが与えられ、私小説が映画のようなリアリティを得たことも、この作品および西村の各著作が支持を得ている理由だろう。 盆と正月の「寅さん」が楽しみだったように、次回作を待っています。 | ||||
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マスコミによる批評の数々を眺めれば、久々の本格的私小説といった評価が並んでいるようだ。同受賞作品を一読したところ、確かに際立って個人的な事柄を題材に、恥部や暗部をこれでもかというくらいにさらけ出し、独特の筆致で一編の物語りにまとめ上げている。 だがどうも、おいらが永い間受け入れてきた「私小説」とは異質なのだ。例えば太宰治、坂口安吾といった昭和の巨匠作家たちのような、芸術文学に殉ずるといった志向性を感じ取ることが出来ない。 西村氏の極私的生活の中でのあれやこれやは、派遣事業者によって搾取された貧困が故の困窮だったり、父親が猥褻罪で逮捕されたという身内的の恥的体験だったりと、特殊な環境に由来するのだが、それらを越えるテーマが皆目見当たらない。たぶん作家自身によって設定されることがないのではないかと思われるのだ。 私生活を越えるテーマを持ち得ない作家が芥川賞を受賞する意味は、はてな、如何なるものなのだろうか? 中上健次の再来と評する向きもあるようだが、残念ながら、それほどの凄みも感じさせることはない。 苛酷な労働環境に身を置きつつ「苦役列車」の旅を続ける作家の私生活は惨めで滑稽でさえある。この芥川賞作家は、これからどのような未来を描いてゆくのであろうか? 個人的にはどうでもよいことではあるが、少々の関心は持ち続けていきたいと思うのである。 | ||||
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購入して一気に読みました。描写的に苦手な表現が所々見られましたが苦痛に感じ、本を閉じる程では無かったので一気に読みました。諸方が内容について詳しく述べているので割愛致しますが、もう一度じっくり読みなおしてみたいと思ったのが本音です。主人公の(多分著者ご本人)その日暮らしから小説を書くに至るまでの移行が余りに唐突で「え?!」頭の中に疑問符が散らばってしまいました。芥川賞を受けられた小説なので興味本位で手に取りましたが、「引き込まれた」等、読み終えた充足感は残りませんでした。もう一度じっくり読んでみようと思っています。自分の感想が変わる事を願って・・・ | ||||
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今、テレビに出るのは「もってる」人ばかりだ。甲子園の優勝投手で早稲田に進学し、今季日本ハムに入団した斎藤佑樹は自らを「もってる」と言った。名声もあり、素晴らしい仲間もあり、今は、日本中の報道関係者をもっている。な〜んももってないオレは、口をアングリとして見るほかはない。 テレビではニュースをやっている。直木賞、芥川賞の発表らしい。「道尾秀介」…あ、このまえ情熱大陸に出ていたぞ。才能あり、大ヒット作連発、セレブな友人多数。写真のモデルにもなっていた。こいつももってる奴だなあ。「きことわ」…なになに、慶應義塾大学院生の20代?フランス文学者一家?あ、きれいな人だ。才色兼備じゃねえか。この女性ももってるなあ。 今や、もってる人でないと世に出ることは難しい。傑出した能力、清潔な外観、温厚な性格、つまり紳士淑女でないとダメなのだ。彼らは瞬く間にもってる者同士でネットワークを築き上げてしまう。今流行の「無縁社会」も、もってる人達による囲い込み運動の結果にすぎない。そして、彼らは決して「もってない」我々は視界に入らない。 ニュースは続いている。え、もう一人、芥川賞いるのか。ぱっとしない中年男がでてきたぞ。 「今から、風俗行きます。祝ってくれる友だちもいませんし、連絡する人も誰もいません」 ??? なんだ、こいつは?見事なまでに、もってない!!! オイラはすぐに本屋に駆け込んだ。お金を使いたくないが仕方ねえ。「ボクに『苦役列車』を売ってください」 すげえよ、これは。ここまで魂をゆさぶられたのは久しぶりだ。この孤独感。この孤立感。この虚無感。あがいてもあがいても浮かび上がれない息苦しさ、滑稽さ。これは、もたざる者の、もたざる者による、もたざる者のための書だ。 日雇い先に向かうバスの中から野球場が見える。そう。オイラも何度も見てきた。バスからは決まって野球場が見える。誰もいない野球場が。 圧巻は、日下部の彼女と接点をつくるため、一緒に野球を観に行くシークエンスだ。そこだけ主人公の頭は素早く回る。断じて怠惰ではない。フロイト曰く。「性衝動は自分が思っているよりもはるかに強い」しかし、主人公は失敗してしまう。 『苦役列車』が優れているのは、もたざる者の声を代弁してるからではない。もたざる者が怠惰な海に心地よく浸ったときの苦境をあますところなく描いているからだ。 それにしても、我々にしかわからない世界だ。よくぞ、選考委員の方々が推してくれたものだ。おかげで、怠惰なボクも西村賢太を知ることができた。その僥倖に深く感謝する。 | ||||
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芥川受賞、おめでとうございます! 純文学エンターテイメント部門、私小説! いったん読み始めると病みつきになるのは、町田康以来かな。 エンターテイメント作家は危機感を持ちましょう。 人殺しも、衝撃の真相もないけれど、 こっちのほうがずっと面白いじゃん、という読者が急増するの、請け合いだもの。 平成の純文学は、面白いだけじゃない。現代人のだーい好きな、癒し効果もありますよ。 自分より駄目な奴がいる? いえ、いえ、その逆です。 だって今の若い人(中年も)たいへんでしょ。 英語喋ってコンピューターを使いこなせなきゃ、もう生きていけません。 いろいろなところから役立つ情報を忙しなく掻き集め、就活に婚活。 一方で、ゆるやかに衰退に向う日本国。 そのうちホワイトカラーもブルーカラーも、メタルカラーだって、海外出稼ぎですよ。 最高学府を出たって、国内だけで通用する学歴。欧米どころかアジアでだって、もう誰も感心しない。ブルーカラーの出稼ぎも、片道数千円の航空運賃でアジアのどこかの国へ行き、発展途上国からやってきた労働者に混じって、日本では考えられないような劣悪な労働環境で汗を流さなくちゃいけない日が、近い将来くるかもしれません。 そんな世の中で、西村賢太氏の小説は、不思議な癒しの力を持っているのではないかしら。 笑いながら、癒される。いいじゃないですか! でも出版関係の方々は、喜んでばかりもいられませんよね。 だって、西村氏は作家になってからのことも、引き続き私小説として書き続けるでしょうから。 笑っていられるのも今のうちかもよん。 | ||||
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西村さんの小説初めて読みました!芥川賞がどのこうのって言われてますが、候補にならなければ手に取らなかった小説がいくつもあり、その中には素晴らしいものがいくつもあったので、やっぱり必要な賞だと思っています。父親のことも本格的にこれから書いていくとインタビューでおっしゃってましたし、これからもっともっと書いていかれると思います。はっきり言って、こんなものじゃないだろうという思いもありますので、これからに期待です。過去の著書を見ていないので何とも言えませんが、もっともっと壊れて、吐きだして、人間の黒い部分をもっと出してほしいです。でも、この方、お父さんの件で人生一変しただけであって、根底にある部分は優しく、文学少年ぽいし、悪ではないのでしょうね。どちらかというと癒し系?すっとぼけた部分があると思う。 | ||||
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この作品は日雇い労働者の、平凡な2人を中心に物語が進んでいくのですが、平凡とはいえ、作者は主人公とその友人・日下部を対照的に描いています。 日下部は両親もしっかりいて、世間の評価的には、いたって普通な人間。日下部は何をするにしても平均的にでき、 世間の批判も受けずに、生きていけます。 それに対して、主人公の父親は性犯罪者で母一人、子一人で、11歳で人生が終わったととらえ、自暴自棄に生きる人間です。 この主人公を作者は徹底的に救いようのない「陰」に貶めていく。世間という枠からはずれ、なおかつ、過去に固執して前を 向けれない人間の末路がどれほど哀れか。そこを作者は主人公を通して、描き出したように私は感じました。 しかもこれは今の日本社会のリアルな実態の一つでもあります。 本来、父が性犯罪者という汚名を着せられたことが、人生を終わらせるほどの絶望的なことであるとは私には思えません。 そこまで世間が冷たいものだとも思えないし。 ただ、この主人公にとっては絶望的であったようです。 なぜなら、主人公は無縁社会の代表例ともいわれる人間で、幼いころから、地域のおじちゃん、おばちゃんも含めて、 なんらいい出会いをもっていなかったからです。親の教育環境も影響して、自信も失い、愛ももてず、友達もいない。 そんな孤独な人間が日本にはわんさかいるんだということが本書を通して伝わってきました。 無縁社会は、確実に社会を陰に貶めていく。主人公が幼き日から誰か一人でも対等に、希望をもって話し合えるような人間がいればどれほど救われたののかな。そんなことを思わずにはいられない作品でした。 | ||||
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勝手な感覚で失礼しますが、 元々の男性不振が、さらに男性嫌いにさせられました。 でも、きっとこれが「雄」の実態ですよね。 プライドとか見栄とか全部取り去った姿なんでしょうか。 いやぁ、とにかく読んでる間、 いや〜な気分が続き、最後に救いがあるかと思って 頑張りましたが、、、 | ||||
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とことん落ち込みたいときに読むとよいかもしれません。なんかだ出口がないままに終わってしまった印象です。すごくごつごつとした感じの文体であり、重苦しい。実際に、このような生活をしている人は多そうな気がします。アングラな横町のイメージで、昔の肉体労働者=立ち飲み屋(コップ酒)のイメージが浮かび、なんとも言えないやるせなさとコンプレックスの塊を投げつけられたような感じでした。(今は立ち飲み屋が割とお洒落となっている様子ですが…)常にトラブルの中に身を置き、イライラしている様子が伝わってきます。 | ||||
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一気に読めるが、女子供などにはきつい内容で共感がよべなそう 男性でも、ちょっと忌避感があるひとが多いような作品 私にはおもしろかった。でもこの作品を面白いっていうことが ちょっと恥ずかしい人が多いかも知れない まあドラマ化や映画化もするでしょうし、 そちらの方が楽しみかも さっと読めるので周りで回し読みします。 こんなに話題になる本も珍しい。 | ||||
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もう読んで何日か経つのだけれども、天丼をかきこんで、 そばのつゆを最後の一滴まで飲み込んで、やっと人心地つく、 という食いっぷりが忘れられない。 思い出してはニヤニヤしてしまう。 労働で汗を流した後の飯のうまさは、やっぱり格別だよな と肉体労働のバイトをしていたころを思い出した。(港湾労働ではなく物流系だけど) 三ツ矢サイダーも美味そうなんだよな。 星4ってとこだけど、ご祝儀も兼ねて、星5で。 | ||||
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彼の文章の素晴らしさ、語彙の豊富さは、ちょっと真似のできない熟成されたレベルだと感じる。 話の筋自体はすごく単純だ。 しかし著者のいう苦役とは何も港湾荷役の仕事自体を指しているのでは無いのは明らかである。 普通の人なら脱出することがそれほど困難でもないにもかかわらず、 自らの生い立ちやそれによる狷介で攻撃的な、それなのにプライドが高い性格などの要因が作用して、 そこから脱することのできない貫多の現在の境遇そのものを指している。 だから何も大きなことは起こらないし、淡々とダメな日常生活が続く。 しかしこれこそがこの作品のキモだと思う。 つまり、淡々としたダメな日常的なストーリーだからこそ、 著者の豊富な語彙力や文章力によって読者を一気に引き込む。 何も発想力だけが小説じゃない。 小説に華々しさや荒々しさなどのアイディアだけを求める人こそ偏ってはいないか。 未来や過去を行き来するような未来的な話も小説なら、 こういう古臭くて何もできないダメ人間のくすぶった話だって小説だと僕は思う。 | ||||
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3回読みました。春秋の全文掲載で読みました。まず、苦役列車って題名は、なんなんだろー?僕には意味不明。賞受賞の報道やナンカで、西村さんの写真を拝見したとき、お!しばらくぶりに(いい?顔をしたモノ書きがデテキタゾ・・なんか、ナカガミの様に怒った顔をシテイルゾ・・期待大・・早速・読むよ・・・・)とばかりに楽しみにしていたのに。西村さんとほぼ同年代です。私は、昭和39年の生まれです。んん、あの、これを読んでいてくださる方で、同年代の方?どうでしょう?こんな私小説って何なんでしょうか?僕らの時代の19歳?どんな仕事でも、ありました。たしかに西村さんの様な仕事もありましたし、5,500円が?いいギャラなのか?低い?ギャラなのか覚えていませんが、西村さんの書くこの苦役列車の環境が、私にはどうしても(苦役?)に感じないのです。高等学校へ進まなかった?大学での教育を受けてない?安いアパートに住み(トイレも共同)汚くて不衛生?・・・当たり前でした。大きなお金を援助してもらっていた友人達も僕の周りには、沢山いましたし、彼ら彼女達は、小奇麗なマンションに住んでいました。が?しかし、それは、親の環境ですよね、自分の働きや才能?じゃなかったハズですよね。金が?なかったから、なんとかしようとイロイロ頑張ったり、人間関係を円滑にするべく努力したり、上司に可愛がってもらいたくてイヤイヤお世辞を云ったり。ワードプロセッサが発売されたり、CPが身近になってきたり、携帯電話が必需品になったり、日常のトヤカクに我慢できなくなり全てをヤリナオシテミタリ・・・当たり前ですよね。なんで?苦労?なんですか?なんかこの書き手のこの書き方で苦労?みたいなモノを感じてしまう今のご時世って何ナんだろう?直木賞って、何だ?西村さん?こんな事かいて?僕たちの様な大人になった人間って?もっとやらなきゃならない事が山積してるぜ!何で寝てるんだよイツマデモ!子供達が世界中で苦しんでいたり、国をツカサドル奴らの無能も正さなきゃならないし・手伝うべきだし!近所の老人が路で倒れてたりするし・小学生が変質者に追われているし・なんか!おい!何?寝ぼけてるんだ・・西村さん?そんな事40も過ぎて書き、仕事にするなんて!わかんないよ!ワケわかんないよ。。受賞時写真を今、ヨクヨクみたら、なんかフヤケタ顔だ、怒って無かったよ。。残念。直木賞を選ぶ先生方も、ダメ。。。だめだ。。。。。。 | ||||
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自分をとことん暴いて、さらけだして、「どうだ、俺ほどどん底はそういないだろう!」 作者は意気がっているが、ここまで開き直り自分を客観視できるのは、きちんとした知性が必要だ。 事実、自分と正反対の日下部を敵対視するのでなく親しくなりたい、対等になりたいという主人公がなんだか愛おしい。 まっとうな生活はできないけど、まっとうに暮らす人間にも少しは敬意みたいな感情を持っている。 どん底の生活をしても、何処からか薄日が差してくる。精神の根っこは病んでいない。 これがバブル時期の若き日を書いたという所が「私小説」なんだが、昨今の社会状況を思うとリアルだ。 この作者は人を動かす術を心得ている、と感じた。 | ||||
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小説、ましてや純文学とは無縁の私ですら、この「苦役列車」は面白くスラスラと読めてしまった。同じ平成という時代を生きる一人のダメ男として、似たようなコンプレックスや願望を持ち、似たような行為をする主人公、北町貫多に素直に共感する所が多かったからだろう。一方で著者の西村賢太氏がインタビューで「自分よりダメな人間がいると思ってもらえれば・・・」と語っていた通りに、「いくら私がダメ人間とはいえ北町貫多よりは余程ましだ」という上から目線で安心して、半分面白がりながら「ほんとにこいつ(北町貫多)はしょうがないなー」と他人事のように読めた事もあるだろう。 もう一つの小説「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」では、文学賞というものを散々コケにして、文学賞を欲しがる作家を俗物扱いしながら、実は北町貫多自身が誰よりも文学賞を欲している一番の俗物だったということを恥も外聞もなく告白している。 このような読みやすい(「読みやすい」というのは西村氏の優れた技量による)純文学の私小説作家の存在は貴重である。読者が抱えている他人に対する卑俗なコンプレックス、嫉妬、妬み、厭らしさなどを吸収し、その代わりにカタルシス、自己の存在の安心感というものを読者に与えてくれるからだ。 | ||||
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正直、作者の経歴に興味を持ち読みたくなった本だった。 もう一方の文学一家に育ちきっと何の不自由もなく育った「お嬢様」作家とかことごとく違った作品だ。 ある意味殺人と同じくらい忌み嫌われている「性犯罪」を犯した父を持ち、母からも愛を受ける事なく育った作者のただひねくれた性格から 起こった出来事なのだからそれこそ「自己責任」の一言で終わるものかも知れない。 しかし、作家として「書きたい」という思いと「作品」の中には熱すぎる熱気と汗と泥臭さがドン!と読む側に伝わってくる。 その臭さがまったく嫌な感じがしなかったのが不思議だった。 また次の「作品」を読みたいと思わせる十分な「作品」だと思う。 | ||||
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受賞後のインタビューによると、本作の内容は「9割方、自身の体験談」だと言う。私小説に一生を捧げる意志を標榜している作者らしい言説だが、その姿勢も上述の回答もファイクだとの印象を受けた。元より、身辺に起こった出来事をそのまま綴るだけでは文学足り得ず、何らかの創り込みが必要であるが、本作の特徴は以下の点にあると思う。 (1) 「主人公貫多=作者」のように見えて、作者は貫多を突き放し戯画化している。貫多の行動・心理描写を通じて笑いを取っている感もある。 (2) ワザと昭和初期の私小説作家のような文体・言葉遣いをして、それらしい雰囲気を醸し出す一方、親しい事を「intimateな」等と貫多に似合わない表現をして、読者に妙な違和感を抱かせている。 (3) 貫多の置かれている状況を、就職難・雇用不安と言った現代社会情勢に合わせている。ともすると、貫多の身の上に共感を覚える読者もいるかもしれない。あるいは、貫多に対し優越感を抱く読者もいるかもしれない。 (4) 貫多に対比する人物として日下部というスノッブな男を配し、二人の距離間を「友人めいた関係→反目関係」として描き、貫多の孤立性(孤高ではないだろう)を浮き彫りにしている。 作品のテーマとしては(3), (4)が主で、日常がどんなに困難でも人はそれなりに生きて行かねばならない、という趣旨だと思う。だが、貫多の性格・行動は常識の範囲内であり、ピカレスク小説という程に日常を逸脱している訳ではない。(3)の現代社会情勢が無ければ注目さえ受けなかった作品なのではないか。その意味で、「創り込み」が足らないように映った。 | ||||
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