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苦役列車
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苦役列車の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.84pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全276件 21~40 2/14ページ
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男という性を理解するのに役立ってます。 西村賢太と筒井康隆を読んで男とはこういうものだと知ることができました。 20代の頃、一回り上の上司に酷い行いをされましたが、男という性がそもそもこうである以上仕方のないことだと思うことができました。 男と関わったことがないため男がどういう性質の生き物が理解できなかったのです。 性的に見るかどうかが女を判別する全てであり、そうでない女は便器のように扱う。 実にシンプルで分かりやすいです。 | ||||
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著者の経験に基づき、人間の汚さ、弱さ、不条理さを生々しく、包み隠さず、そのまま描いている作品で、気付くと夢中で一気に読んでしまいました。 | ||||
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豊海の倉庫バイト、目白の駅前から車に乗りました。 手伝ってくれるトラックドライバーさんがいました。力石みたいな風貌のお兄さんのリフトカーの鋭い動きに、足首持ってかれないように気をつけろ、と忠告してくれたオジサン。夕日を背にした師走の東京タワーがきれいで。不器用で個性的な人たち。バブルの頃、同じ東京で生きていました。 何でもっと勉強しなかったんだろうとずっと後悔し続けて生きています。 | ||||
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わたしは最後まで興味を持って通読できましたが,この作品はきっと読者を選ぶことでしょう。とくに多くの女性は,こういう作品は受けつけないでしょう。華やかさも希望も清潔さも読後の充足感もありません。数ページ読んだだけで「どこがいいのこの作品は・・・」となるでしょう。当然です。そういう世界で生きてこなかった訳ですから。わたしは最後まで読みました。わたしも青春のまっただ中の昭和の時代,様々なアルバイトをやってきました。もちろんその中には3Kといわれるものもありました。わずかな現金を得るために,汗水垂らして働くことも経験しました。きっとそういう体験が体に染みついていて貫多の生き方に共感したからでしょう。しかし,貫多とわたくしの違いがあります。わたしの労働には終わりがありました。しかし,貫多には終わりが見えません。線路は続くよどこまでも,列車は走り続けます。この作品のどこがいいのか。なぜ,芥川賞を取ったのか。まさか,この作品を推した審査員がただ単に「おれにもそういう時代があったなあ」と感慨にふけったからではないのは当たり前ですね。純文学としての魅力や完成度,将来性はどこにあるのでしょう。わたしには分かりません。主人公の貫多が港湾の労務者として働く物語です。「青春」を辞書で調べると人生の春にたとえられる時期。希望をもち、理想にあこがれ、異性を求めはじめる時期と出ています。貫多の青春は,汗,猥雑さ,息苦しさ,不安,孤独感,劣等感,いらだちに包まれています。 | ||||
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私は、愚かにもこの本を手にするまで西村賢太を知らなかった。既に亡くなっている事も。一読して、こんな人生もあるのかと。私は車谷長吉が好きだが、私小説家とは何ぞや?と改めて突き付けられたような気がする。 | ||||
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芥川賞受賞作で映画化もされた表題作よりも、併録の「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」が著者の心の機微を丁寧にすくい取り、その人となりを表しているようで、私は好きです。率直に感動しました。西村作品の中でも上位に入ります。 内容は、貫多がぎっくり腰に苦しみながら自身の近況を省みる、というだけの話なのですが、古本屋でたまたま見つけた(しかも初見はつまんねえわと感想を抱いた)自費出版本を巡る、葛藤の描き方はものすごい迫力だし、「文名をあげた(い)」という衝動にも胸を突かれました。 | ||||
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作者の半自伝的な私小説だが、語られる内容に反比例して文章の読みやすさ、文体の整然さは素晴らしい。ユーモラスで古めかしい言い回しにより語られるのが、主人公の自堕落な生活内容、金によるトラブル、稚拙な理由での友人と揉めた話など、普通なら決して他人に明かしたくない内容を赤裸々に語っていく。愚行を繰り返す主人公に軽蔑と同情を繰り返す反面、自らの中にもこの浅ましい主人公と同じ了見で物事を捉える面がある事を気付かされてどこか他人毎では居られない。 私の本来持っているダメなヤツ好きの性格のせいもあって、すっかり作者のファンになってしまった。 | ||||
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作者は1967年生まれというから私とほぼ同世代。19歳ということは1986年バブル直前くらいの時期か。主人公の名前と作者の名前を比較すれば、小説はほぼ事実なのだろうと想像できる。 私もこの小説と同じような冷食のバイトに行ったことがある。私の場合は大学中退してすぐの2月くらいか、新宿駅南口で待ち合わせ専用のバスに乗り、東京湾のどこか埋め立て地の倉庫みたいな場所だった。まあ私の場合はその荷物の重さに10分と耐え切れず、周りの人も見かねて、楽なスタンプ押しの仕事に回されたが(笑)。帰りも確かにモノレールに乗ったから全く同じ職場かもしれない(冷食の○○〇笑)。私は2度とそこに行くことはなかったが、その後は地獄のバイトと揶揄される某パン工場で長年働いたので西村氏と境遇はそれほど変わらないだろう。 小説としてはどうなんだろう、稚拙なような気もするし、マンガ的とも思えるが、確かにリアルではあるだろう。(まあほぼ事実なのだろうから当然か)バブルと言えば、何か皆が浮足立って景気のいい時代だったように今では言われるが、そんなことはない。東京のそこかしで、この主人公や私のように底辺で汗まみれ泥まみれで這いつくばって生きていた奴なんてゴマンといる。と同時に、この主人公の友人のような屈託ない明るくさわやかな人間もたまにはいた。みんなどうしているかなあ。思えばまだあの頃はまだマシだったかもしれない。本当の苦役はこれからかもな。そうならないことを願うだけだ。 | ||||
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表題作は私小説と言うには40代作家の地が語りに滲み出ており、語り手と19歳の主人公との内面に齟齬があり作為臭が強くエンタメ感がある。 アラフォーが20年前を振り返るのか、語り手の透明性を高めて19歳の小説にするかはっきりさせた方がよかったという印象だ。 事実を露悪的に書けば私小説になるわけではない。良い出来ではないと思う。 芥川賞受賞はそのあたりの凡庸さが考慮されての受賞だろう。 選考委員「われわれのライバルにはならない」て感じ。 併録の「落ちぶれ〜」は作者と小説内の貫多に差がなく私小説的リアルが成立してると思う。 水準以上の小説を書く作家だと思う。現代では早い死だった。冥福を祈る。 | ||||
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中卒、貧困、日雇い仕事で食い扶持を稼ぎ、それが無くなったら母親から金をむしり取る、友も恋人も無し。 そんな底辺のどうしようもないクズのどうしようもない生き様を描いた作品。 努力が嫌いなくせにプライドだけは一丁前で、劣等感とやり場のない怒りを抱えたまま悶々とくすぶる様がリアルで身につまされた。 文庫版の解説は石原慎太郎で、芥川賞選考委員だった彼は、西村賢太の同賞受賞を推したという。 そんな石原慎太郎が「西村氏の作品の根底を支えている貧困という主題が、氏が売れっ子になって裕福になることで阻害され、作品の魅力を殺いでかかる危うさが待ち受けているかも知れない」と解説していて興味深かった。 | ||||
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いわゆる「有益な人生」とは対極にある、世の中に何も残さない、何も生み出さないような無益な生き方やある種破滅的とも言える生きざまに、妙な興味を覚えるのはなぜだろう。 西村賢太の作品は彼が生前読むことはなかったのですが、彼が50代という若さで亡くなったとの報道を聞いたこと、また、ここ最近、破滅的な、もしくは大成功と転落のいずれもを経験した人生を送った人物らの評伝*を読んできたことも影響したのかもしれません。 *団鬼六著『真剣士小池重明』 葛城明彦著『ジョーのモデルと呼ばれた男-天才ボクサー青木勝利の生涯』 本橋信宏著『全裸監督』 ディカプリオ主演映画『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(原作未読) 『苦役列車』の主人公北町貫多は、19歳という一つに時代を生きる青年であり、上記に取り上げた評伝の人物のように物語中において成功者として描かれる場面はありません。 しかし、併録されている『落ちぶれて袖に涙のふりかかる』では同じ北町貫多が40代の作家となり、生活は豊かでなくとも、彼の作品が川端康成賞の候補にあがる小説家となり、なんとか食っていけるだけの金は手に入れ、成功の一歩手前にまできています。 といいつつも、根っからの性格は19歳から変わらず、相変わらず不義理をしているため、近づく成功を自ら遠ざけてしまう破滅性を見せています。 「あまりにも無為無策なままの流儀」で生きている19歳の北町貫多。 芥川賞受賞作『苦役列車』のタイトルは 「かかえているだけで厄介極まりない、自身の並外れた劣等感より生じたるところの、浅ましい妬みやそねみに絶えず自我を浸食されながら、この先の道行きを終点まで走ってゆくことを思えば、貫多はこの世がひどく味気なくって息苦しい、一個の苦役の従事にも等しく感じられてならなかった」 との文章からとられたものと思われます。 本書を読むと、貫多の苦役の道行きにつき、なにやら読まずにおれない魅力を感じます。 引き続き貫多ものを読んでいきたい、そう思わせるのは、文庫の巻末解説で石原慎太郎が言う「実はしたたかに生きている人間」を描いているからかもしれません。 | ||||
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そういえば、読んでいなかったと思い、急遽購入。うん、たしかに独特な私小説。だけどなんだろう、何かが印象に残るのかと聞かれれば、ちょっと薄く感じた。海岸沿いの倉庫の日雇い労働者の日常という域を出ていないというか。もう少し他の作品も読んでみようか。 | ||||
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ずっと気になっていた作家さんだったのに、亡くなったニュースを聞いて初めて西村氏の本を手にとった。 高学歴の作家さんが多い文学界で彼のような「下からの目線」で書く物語が極めて価値があるし、何よりも文体が魅力的。 同じ文章を二度三度と繰り返し読みながら読み進めていたので、一冊終えるのに時間がかかってしまったが、じっくり噛みしめるように味わいたい本。 これから氏の本を一冊ずつ手にとっていくのが楽しみだ。 | ||||
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すげぇリアリティにこれ本人やろと調べてみたらやっぱり本人だった。 おそらく一般の人はこういった自分とは無縁の世界に酷く興味を惹かれるのだろう。 若い頃にはこういった私小説が嫌いだったが、今の年齢ではそれが面白く感じるから不思議だ。 自分と同じ年、早逝されたのが非常に残念。 | ||||
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著者が死去したばかりで、売れていたようですが入手出来てよかった。 | ||||
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①主人公の生活は、著者が尊敬する藤澤靑造の生き方の現代版である。日雇いで暮らし、女郎屋に通い、酒とタバコに遣い果たす。その日暮らしの繰り返しであり、結婚も将来の展望も何もない。 ②藤澤靑造には小説を書くという毎日があり、文壇から無視される義憤があったが、本作の主人公には何もない。 ③性欲を満たすという動物的本能があるだけだ。これを愚かと言えばそれまでだが、あのドストエフスキーでさえ、賭け事にはまり、金を遣い果たし、遊ぶために作品を書いた。生活苦は本人の責任であり、社会の側にあるのではない。プロレタリア文学とは根本的に異なる。 やるせなさに読むのが嫌になる人もいるに違いない。 でも、これが人生だ。作者にとってはこれしかない。 そんな生き方に共感出来ない人は本書を読まない方が良い。 お勧めの一冊だ。 | ||||
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主人公は、生来の孤独で狷介な気質と家庭の愛情や経済の貧困に加えて深刻な犯罪歴のある家族を抱えた生い立ちのコンプレックスが相俟って、社会に馴染めず、中卒で、低賃金の非正規雇用を生業とし、それでいて気宇壮大な野心を有し、飲酒、買淫の身過ぎ、世過ぎで気を紛らわし、普段は卑屈ながら、他人の些細な言動にささくれた心が過剰に反発、数少ない友人やその恋人に悪態を吐く。金の無心も厭わす、厚顔にも返済を反故にする。その後それらを悔い自己嫌悪に陥るのだが、また同じことを繰り返す。主人公は、この永劫続くであろう負のスパイラルにはまり、どん詰まりの鬱屈感に押し潰されつつも、自己肯定と自己否定、希望と絶望の間でもがき苦しむ。この主人公に似た境遇の人は存外少なくないのではないか。その人にとっては小説というより自己の独白録を読んでいる気になるのではないかと思う。 | ||||
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『目覚めた人』 2022年2月5日、西村賢太さんが亡くなった。西村さんは、学なき人間の旗手だった。 父親が性犯罪を起こしたことを知りグレてしまい、中卒で一人暮らしを始め、日雇い労働をしながら粗悪な生をつないだ。29歳の時、留置場にて藤澤清造に共鳴し、歿後弟子となった。35歳で私小説を書き始め、2010年、42歳の時『苦役列車』で芥川賞を受賞し、花を咲かせた。 54歳、わずか12年の開花期は、突然切り落とされて終わってしまった。最近は顔つきもやさしくなって、これからどう変わっていくのか、どう人生を解釈するのか、観察し続けたい人だった。 とにかく惹きつける文章を書く人だったが、魅力はその二面性にあったように思う。一つは、愚者寛太(小説では寛太となっている)の日常である。自らの愚行をあけすけに、露悪的なほどに書く点。これは声に出して笑ってしまうほどの破壊力があった。 もう一方で、藤澤清造への献身。信者寛太としての行動がある。月命日の墓参は欠かさず、清造の卒塔婆を自宅に保管し、ついには清造の名誉を回復しようと自費で清造全集を編纂し、出版を計画するほどだった。 なんとなく、使徒パウロに重なる部分があった。 (藤澤清造とは私小説作家で、晩年は精神を病み、公園で裸体の凍死体として身元不明のまま火葬されたらしい。) 清造への傾倒は、非合理的だけれども美しい何かがあった。救いを求める心と、憐憫の情のようなものだ。それを感じるから、彼の愚行をあざ笑いつつも、彼に畏敬と親愛の感情を覚えるのだと思う。 やっぱり、西村賢太の存在は特別だった。勝ち方を学ぶことのなかった生な人間の生き方を見せてもらった。人生とは禍々しいほど自由だなあと、そんな気持ちを、今持っている。 あなたがいてくれて良かった。あなたは面白く生き抜いた。さようなら、ありがとうございました。 | ||||
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西村賢太氏の死去に御悔やみ申し上げます。 私小説の分野で幅広い活躍に感謝します。 | ||||
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