(短編集)
蝙蝠か燕か
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毎度おなじみの北町貫太が出てくる。これは勿論、作者である西村さんの分身であろう。”西”が”北”で、”村”が”町”となり、”賢”が”貫”で”太”が”多”である。 従って、内容は小説と言うよりはほぼ事実なのかも知れない。 ここまで、自分の師匠と仰ぐ人に対して、誠実に向き合える人間が果たして何人居るだろうか。 自分の人生の意味を何に見いだすかは人それぞれである。あいかわらず、文体は独特で魅力的である。 出来れば西村さんにはもっと長生きして、面白い作品を多く残して欲しかった。 | ||||
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「雨滴は続く」が西村作品とのお別れだと思っていたので 思いも寄らぬこの一冊には雨滴以上の感慨を持って読ませて頂きました。 驚いたことにいままでの作品の「答え合わせ」になる点が多く、西村賢太の私小説の完結編に図らずも相応しい一冊だと感じ入ります。 藤澤清造全集は西村氏の死去によりおそらくは永遠に日の目を見ることは無くなったかと思いますが、 それもまた定めの流れだったのかな、と 全集を廻る氏の逡巡の下りにこちらもいさぎよく諦めを抱きました。 西村賢太という作家を現代に現出させた事。 それこそが藤澤清造という作家の大きな功績の一つであると、ひとりの読み手として敬意にただ手を合わせる読後です。 西村賢太先生、やすらかに。 | ||||
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短編2作と、中編1作から成る作品集。いずれも藤澤清造がらみの、地味な私小説。 以前の秋恵ものや、アルバイト先や娼婦とのトラブルを題材にした無頼な作風とは、やや味わいを異にする。漢語を多用したスタイリッシュで、リズム感のある西村節は健在だが、以前の、活きのいい作風から、やや落ち着いたものへと、変貌しているのを感じる。 それもこれも、寄る年波のせいか、功成り名遂げたゆえの、生活の余裕のなせる技か?名文ではあるが、やや、物足りない印象はぬぐえない。(例えば表題作冒頭の「東京タワーも、一燭の光も放たぬ赤銅色の静かなる鉄塔と化し、月凍てる払暁の闇に同化している」など、見事な一文ではある。) 表題作でもある中編には、藤澤清造関連本の出版の裏話と昨今の出版事情、特に全集類が古書市場で暴落している現状なども記しているが、この話題は今後の文学の在り方にも影響する重大事ではないか、と感じた。 物としての本と言うものに、こだわりを持ち続けた最後の文士たる著者亡き今、それを痛切に感ずる。(R5.4.23)。 | ||||
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昨年2月に世を去った著者の、おそらく最後となるであろう小説集。 没後すぐに刊行された長編『雨滴は続く』は未完だったが、表題作は完成作としては最後の小説だ。 これまでに刊行された西村賢太の全小説を読んできた者として、何がしかの感慨がある。 収録作3編とも、藤澤清造の「歿後弟子」としての覚悟を扱ったものだ。 最初の「廻雪出航」では、30歳のときに清造の故郷・七尾に部屋を借りる顛末を綴る。いわば、“弟子としての本格的出発”を刻みつけた短編なのだ。 最後の表題作では、死の前年、53歳の「北町貫多」(西村賢太の分身)が、弟子としての決意を固め直す。 つまりこれは、藤澤清造の「歿後弟子」としての原点に回帰し、弟子として歩んだ四半世紀を振り返った作品集なのだ。 『芝公園六角堂跡』の流れを汲む、“小説とマニフェストの中間”ともいうべき内容である。 ゆえに、他の西村作品にあるような娯楽性(酔って暴言を吐いたり、他者を罵倒したり、女性に対する執着を滑稽に表現したり……)は、本書にはごく乏しい。 それでも、この最後の完結作(中編といってよい長さである)で全開される、信仰の域に達したような 「歿後弟子」ぶりには、読者の胸を打つものがある。 《自分の“歿後弟子”道のみが、彼にとっての唯一の生き甲斐であり、くだらぬ編輯者にも頭を下げて、意地ずくで小説を書き続ける理由なのである》(156ページ) | ||||
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一時の流行作家然とした生活を自省し、藤澤清造の没後弟子を自負する原点に立ち返り、生涯のものと定めたはずの事業の完成にいよいよ向かう決意と行動を新たにした矢先、世界的な疫病の蔓延による世の中の停滞が西村賢太氏の目指す営為の進捗を阻んでいく様子が描写されています。 とうに人生を棒に振っていることを自覚・公言し、また大震災のときには比較的超然としていた西村賢太氏が、その最期にこうした時代の大きな渦に、しかも結果としてはもう少しのところで解消されることになる渦に、少なからず巻き込まれてしまったことについて、至極残念に思うとともに、他方である意味においては西村賢太氏らしいのかもしれないとも感じた次第です。 | ||||
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