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苦役列車
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苦役列車の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.84pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全276件 141~160 8/14ページ
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満足してます!面白い本で何度も読んでしまいました。また西村さんを読んでみたいと思いました。 | ||||
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日雇い労働の仕事場で仲良くなった日下部との友情を壊してしまうのだが、またこれが自業自得。 仲良くなって間もない日下部に半ば無理やり何万というお金を借りたり、 日下部に彼女ができたと知ったら、嫉妬し、自分から日下部の彼女も含め、3人で遊ばないかと 誘っておきながら、最終的には、日下部、彼女らに暴言を吐き、不快にさせるところなど、 実に大人げない。そんな主人公と距離を置いた日下部の判断は正しいだろう。 育った環境うんぬんより、人を妬むか見下すかしかできない人間は友達ができないのだなと勉強になった。 しかし、主人公の貴多は嫌な奴だが、妙に人間臭くて憎みくれない。 | ||||
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西村賢太の作品は本作以外のものから読み始めた。 貫多を主人公とする私小説であり、いつもの西村節であると感じるのだが、 他作品よりはかなり文章が洗練されているように思う。 難漢字の類を多用され読み方のわからない場合が多いのだが、 ここはKindleを使って読んだのですぐに辞書が引けて便利ではあった。 難しい言葉は鼻につくのだが、この人は文章力がかなりある。 描写するのが上手なのである。 この作品は言ってみれば性根の定まらない10代の若者が主人公であり、 学歴もなく友もなく女もいない日雇いしか出来ない貫多の、とある日常を描いたもの。 日下部という男と知り合い、彼との交流の顛末を描いている。 私小説なんだから当たり前だが、別にどうでもいい日常を描いている。 だけど面白いのである。 何故かといえばそれはやはりこの作家の表現の巧みさに理由があるのではないか。 感情を表現するのが上手なのである。 表題作以外にもう一篇収録されているが、こちらも面白い。 40代の貫多のとある日常。 起伏があって感情に訴えるような場面があるような話でもないのだがやっぱり面白い。 この奇妙な面白さを味わうために、この作家の作品を読み続けたくなってしまう。 関係ない話だが、ハードカバーよりは安いが文庫版よりはちょっと高いKindle版の値付け、 ちょっとどうかと思うんだけどねえ。 | ||||
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自分も学がなく、社会の底辺に属する職業に就いてたので共感する部分は多々ある。 終盤、作者の「ざまぁ~みろ」的なところも納得できる。 でも、文学的な美しさ、爽快感はない。 | ||||
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アマゾンのレビューをちょっと覗いたら高評価ばかりでビックリ。 こんな時代だからこそこんな小説が受け入れられるのかなと。 どうしようもない人間のどうしようもない話。 まさにどん底って感じなんだけど、なぜか小説全体はどんよりしていないし、絶望的でもないし、前向きに読める。 それがこの小説家の素晴らしいところなんじゃないか。 やっぱり小説って言うのは、読み終えたあと何かしらのパワーをもらえるモノが良い小説家駄作かの基準だと思っている。個人的に。 また、小説は読者というか、人々の声を代弁するみたいなことをよく言うが、まさにこの小説はアマゾンのレビューやらを見ても圧倒的な共感を呼んでいる。 そういう意味でやはり芥川賞を受賞してしかるべきなんだろうな。 | ||||
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近年の芥川賞作家の中では、確立したスタイルを持っているという点で、 抜けているし、すでに本物だと思います。私小説にありがちな力みが無いのも、この作家の持続性を保証する気がする。題材は陳腐だが、それでも読ませるのも実力だろう。 | ||||
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表題作は芥川賞受賞後の「文芸春秋」で読んだが、単行本は新潮社のナめた装丁に買う気が起こらなかった。それで「落ちぶれて…」は今まで読む機会がないままになっていたが、今ごろになって読むことになった。 まあ、さすがに、うまいし、面白いのだが……。芥川賞作家として読むと、単なる面白話になってしまいそうだ。ビートたけしが文化人になって、全然面白くなくなってしまったのに、お笑い芸人としてしがみつく不様が頭をよぎった。作中で貫多が心配している負け犬としての落ちぶれ方でなく、芥川賞で勝ち犬となった著者の行く末に一抹の危惧を覚えた次第である。 | ||||
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25歳です。だからかもしれませんが、言葉が難しくて「かっこつけてる感じ」に写ってしまってあまり世界に入り込めませんでした。 | ||||
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芥川賞はだいたい読んでるけど、西村賢太は面白いんだよね。 ただ、どうしても毎回同じような感じはしてしまう。 これが芸風だからしかたないし、ぶった切りのアホの豊崎みたいに「これは毎回新しいんだ」という意見も、まあわからないでもない。 | ||||
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芥川賞とゆうので一度読んでみようと思い購入しました。 文才のない私にはどこが良いのか良く解りません。 | ||||
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先ず個人的なタイトルの考察を述べさして頂くと、「苦役」は北町貫多の自尊心、自己嫌悪、悪態な素行、等を全部ひっくるめて「苦役」としており、「列車」とはそれがこれからもずっと続くだろう、と云う至極後ろ向きな題だと私は思った。西村氏の作品の大きなテーマをここで掲げているように感じたのである。 今作は芥川賞受賞作として名高く映画化もされた、云わずもがな西村氏の代表作となった私小説であるが、これ以前から西村氏の著作を愛読してきた者としては「これじゃない」感が多分にあり、理由は迫力不足である。 確かに、面白さは健全であるが、如何せん淡々とし過ぎていると云うか、退屈な気がする。 当然この作から西村氏の私小説に触れる人がほとんどであろうけれども、これが西村氏の本領ではないことを大声にして言いたい。 これより面白い作に、「暗渠の宿」や「小銭をかぞえる」がある。私は「小銭をかぞえる」が現在までの西村氏の著作で一番面白いとおもっているのでお薦めだ。「苦役列車」で終わるのじゃなくて、「苦役列車」で始めてほしい。 | ||||
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久々に度胆を抜かれた作品である。 私小説は初めての体験であるが、ほぼ著者の経験をそのまま作品にしていると考える。(計算もあるだろうが。。) 正直、人間の赤裸々な暮らし、行動や考えをそのまま記述されると引いてしまうところがある。 男性ならニヤリとしながら読む場面も女性は引くであろう。 しかし正直面白い。これからも読み続けたい作家である。 | ||||
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まだ西村賢太が芥川賞を受賞する前のこと。偶然、書店で文芸誌(『新潮』2010年12月号)の表紙に「苦役列車」というなんとも直球なタイトルと西村賢太という未知の著者名を目にし、なんとはなしに心惹かれて、平素はほとんど買うこともない文芸誌を購入してしまった。 帰ってすぐにその「苦役列車」を読んでみた。現代(80年代)を舞台にしたバリバリの私小説であるのが物珍しく、いささか古風な言葉づかいが印象に残った。一気に読ませる力はある小説だとは思ったが、さほど目を見張るような作品だとは思わなかった。 芥川賞受賞後、西村賢太の他の作品を読んでみて驚いた。なんと目を見張るほど面白いではないか! そして、「どうで死ぬ身の一踊り」から始まり「暗渠の宿」、「二度とはゆけぬ町の地図」と読み進むうちに、超マイナーな大正期の私小説作家 藤澤清造への常軌を逸した偏執や、恋人へのせこいDVなど、普通に考えればあまり面白くはならなさそうな題材を、どこかユーモラスで良質なエンターテイメントにしてしまう西村節がどんどんやみつきになっていったのだ。 芥川賞受賞作はあまり面白くない、とはよく言われることだが、西村賢太の小説を読むなら、この作品ではなく他の小説から始めることをお勧めしたい。 | ||||
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日常的に使われないような単語や言い回しが出てくるので、少し前の時代に書かれた小説を読んでいるような気分になった。結句ってなんだろうと、思わず辞書を久しぶりに引いた。 主人公の貫多は勝手気ままで自堕落な生活を送っているように見えるが、私からみたらそういう生活を意志を持って選んでいる、発止とした青年に感じられる。 家賃は平然と踏み倒し、その日暮らしの収入だけで良しとし、それでいて風俗へ行く分の貯金はきちんとしている。世間からはみ出した生き方は意志を持たなければ出来ない。だからこの青年は立派だと思う。社会の枠内から見ると、そんな自由さは真似できない憧れも感じるし、ダメ人間でもいつか何か起こるぞという、夢や将来も感じる。 だけど併録されている「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」の40代になった貫多は、なんだか情けない。腰痛持ちに文学賞の名声を神頼みで待つ始末で、ちょっとあたふたしているようで無様。行く末は孤独死かと思わせられる心細いこちらの貫多に、逆に私はちょっと共感というか親しみを感じた。なかなか面白い二編でした。 | ||||
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前々から読みたかった作品が文庫本になったので購入しました。 まず文学性と反権威を両立させたタイトルが秀逸。 そして中身も正統派の文学作品でありながら、鋭い爪と毒々しさを持った作品です。 10代の頃の貧乏なんて不幸でもなんでもありませんが、”貫多”が真に不幸なのは、 必死で働いてせっかくお金が入っても、しょうもない居酒屋や風俗で散財してしまう、 勤め先で待遇改善のチャンスがあっても理由ともつかない理由で棒に振ってしまう、 そんな非上昇志向な気質を持っていることでしょう。 そしてそのような気質は、なんとか人並みの社会人になった私の中にも間違いなくあり、 この作品を読んでいると、「私の中の”貫多”」に、暗い沼の底へ引きずりこまれるようで 怖い反面、心地よくもあるのです。 解説は石原慎太郎氏。いまや権威の象徴のような石原氏とこの作品は真逆のように見えますが、 氏のなかにもやはり”貫多”がいるとしたら、非常に健全だし心強いことです。 | ||||
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主人公は、所謂ダメ人間であり、それを自認してます。 肥大する劣等感に苛まれ続けながらも、生き続ける。 生きる事そのものが苦役ということなのだ。。。仏教っぽいですね。 日雇い人夫として肉体労働をこなすのは、一見辛く、大変な苦行だけれども、 労働は生活に一定のリズムを与えてくれます。 これが安定感・安心感をもたらしてくれますが、浸り切っちゃうと、思考停止状態に陥ります。 となると、苦行からは抜け出せません。 一度列車に乗っかってしまうと、あとは惰性で終着駅へまっしぐら。 ただ、この安直なリズムを捨てて、 相対する “優れた人たち” と肩を並べて勝負することも、更なる苦行だと描かれています。 もうどこへも行けない、勝負にならない、やってられない。って感じ。 その鬱屈としたストレスが、ネジ曲がった自己愛に変容して、 私小説としてまとまったのが、本作なのでしょう。 ある意味で、ナルシシズムに満ちた私小説らしい私小説なのかもしれません。 そして、最後に主人公の文学への執着が描かれている。結構唐突に。。。 最終的には筆者は、この苦役列車からは飛び降りているのではないだろうか。 そんな意味で、本当に陽の目を見ることのない人々にとっては、ちょっと手厳しいかな。 | ||||
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感想。なんだこれ・・・。 この作品が作者自身をえがいた私小説なるもので、やがて小説に芽生え川端康成賞候補、芥川賞候補等の文学賞候補に選ばれ、終には芥川賞を受賞すると分かっているのなら、ああそうか、日雇い労働者の底辺の生活から上流社会まで一気にのし上がったのね・・・と想像を膨らませることもできるけど、家賃も払えずフーゾクまみれ、酒まみれ、毎日自慰三昧の主人公の日常をえがいた作品がなーんで一体芥川賞なんてとれるのかねーと甚だ不思議でなりませんでした。 そうか、選考委員はそんな底辺の生活なんて想像するより他にないから、新鮮さもあって選んだのかねーとしか思えません。 解説は石原慎太郎。 因みに夏に映画化されるらしいが、大丈夫ですかねぇー。 | ||||
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主人公の劣等感、19歳に至るまでの恵まれていない過去など、いろいろと共感できる部分はあった。 すべては本題に入るための導入部だと思って読んでいたら、そのまま終わってしまった。 いやに導入部が長い、この後どんな急展開が待っているのだろう。と期待して読み進めたが。一切の期待を裏切り、何も起こらず突然終わった。 仕事は人間のバックボーンであり、過去や、人間形成の過程にリアリティをもたせるための説明はうまい、と思います。 しかし、主人公貫太の本質が実は一切描かれていない気がしてならない。 貫太とは何か。 ここにはその答えが、ない。 描かれていたのは貫太とは、どういうタイプの男か、だけだ。 劣等感や風俗依存、はあくまでその人間の一面に過ぎない。 劣等感と酒好き、風俗好きで24時間は終わらない。 寛太を寛太たらしめる、二人といない主人公の一瞬のきらめきを掴む感じが皆無だった。 自分の本質を見つめることから逃げて走り続ける苦役列車。 このタイトルはよく理解できる。 言っても仕方ないけど、著者に言いたい。 たった19歳で、夢や情熱がなさすぎるね、貫太。金や環境は関係なく。 | ||||
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少し面白い。でも普通だな〜と読み終えて感じた自分にとって 1番唸った箇所は最後の石原慎太郎さんの解説でした。 | ||||
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作者の波乱万丈ともいえる人生を書き写した私小説という事で、貧困と孤独に苛まれ一般的な幸せを羨望しながらも妬む 鬱屈としたストーリーを期待したのですが、全くの期待はずれでした。 父親の性犯罪を機に歪んだ人生を歩まざるをえなくなった主人公に同情はしますが、その呪縛から逃れようとせず敢えて甘受し自らを堕落させていくさまには 稚拙で身勝手と言わざるをえないでしょう。 一事が万事、そのような性根の主人公ですから、社会の底辺を生きる事となっても自らを律する考えは生じず、諸悪の根源は自らの外から振りかかってきたのだと 事あるごとに父親と社会に呪詛の念を吐いています。 主人公にあるのは、刹那的に食欲や性欲を満たしたい欲求と自堕落な性格が招いたともいえる社会からの隔離に対する怨嗟だけです。 このような薄っぺらな人間性しか持たない主人公から紡がれていく物語は実に底が浅く、なんの救いもなければ読後に達成感や考えさせられる事もありません。 それでも何か心に引っかかるものがあるのは作者の文才に因るものなのかもしれません。 そこで私が期待するのは、作者は私小説家とのことなので、ぜひ今までの半生を上回る不幸を体験していただいて、それを基に新たな作品を発表していただく事です。 今でこそ芥川賞受賞作家として脚光を浴びる存在ですが、今のままでは今後発表される作品もこれと大差なく底の浅い不幸を呪った浅薄な内容となる気がします。 すれば、競争の激しい世界なのですから凋落著しい結果となり、人並みを超えた幸せを掴んだあとの没落はさぞ御身に耐え難い不幸となって襲い掛かることでしょう。 その不幸は必ず今までよりもどす黒く淀み、身を引き千切らんばかりの衝動となって作者の作品に反映されると思います。 自らの望む作品を読みたいがために人の不幸を願うのも卑しい限りですが、ぜひより深く昏い作品を作者には書いてもらいたいと思います。 | ||||
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