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騎士団長殺し
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【この小説が収録されている参考書籍】
騎士団長殺しの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.46pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全721件 21~40 2/37ページ
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単純にみれば、えー、そんな結末っていいのかよーだったけど、逆に、新しい家族像を描いたのかなって思ったら、色々な既存の枠組みを飛越して行く問題作なんじゃないの?!って、思って、ビックリだよ、さすが、村上春樹さんだよってなりました。 井戸掘り、妹、それほどかっこよくないけど、"話をよく聞く"からモテるんだろうな、な受け身男、、などなど、村上さん作品ではお馴染みコンテンツを用いながら、新しい家族、つまり、ひとの新しい繋がりを見せましたね。 親子である理由が、物理的な理由を飛び越えちゃってるあたりが、「それはいいのかよ」ってなったし、怖いけど、近い未来なのかも。人の肉体的結びつきが軽くなり、精神的結びつきが重くなる未来を描いたの? ただ、 お父さんが、生物学的に自分の本当のお父さんじゃないかもしれないって思い悩む子供には、割り切れない話なんじゃないかな、とも。いや、希望をみせたのかな。そんなの飛び越えていけって。 オーディブルで俳優、高橋一生さんの声で物語を聞いたけど、耳で聴く芝居って感じで、続きが気になるエンタメストーリーでした。 騎士団長の「〜あらない。」と、相手が1人なのに「諸君」と呼ぶあたりとか、高橋一生さんの声色が絶妙に、存在のおかしさを含めていて、騎士団長の登場が楽しみでした。 高橋一生さんには実写化したら、主人公と、免色さん、一人二役演じてほしいと真剣に思うくらい、素晴らしい表現力を持った読み手でした。 | ||||
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氏の小説を読んだのは久しぶりです。 20年ぶりくらいかな。 パン屋再襲撃あたりから同時代作品として15年くらい接していました。 もちろん遡るように初期三部作、短編集、世界の終わりとハードボイルドワンダーランドなども読み、ノルウェーの森の騒ぎあり、その後自分が小説というものに興味を失ったというか、他にすべきことがたくさん出てきて距離が出来ました。 そして2023年の夏、まとまった時間が出来て、1Q84、色彩を持たない…、本作と読了しました。 本作は、翻訳もされたギヤッツビーも一部想起させられました。親しんだモチーフが色々顔を覗かせ懐かしい感じもしました。 相変わらずの部分もありましたが、氏の円熟味というものを感じました。 日本語表現に深みが増していて、人物がリアルです。色彩を持たない…では、主人公の1人である女性の放尿描写を入れています。 昔の作品にはなかったと記憶してます。 性描写の具体性は、初期三部作の中で書かれていた「人は放っておいても勝手に死ぬしセックスするから書かない」という方針から、かなり書くようになったのは周知のことと思いますが、これもなんだか旨そうな料理描写と動機を一にしているのかな、もしくは人物にリアリティーを賦与するためか。 今回3作を読んで、過去の作品のことも思い出して考えたんですが、氏の著作は童話みたいというのが正直なところです。 昔の作品よりリアリティーは増しています。 変わったところもあります。 クラシック音楽がかなり多くなっているなと思いました。こうなってくると、映像化がふさわしいと思いました。もともと氏は学生時代に映画脚本を多く読んでいたということですし。 人称にも変化が見られます。氏というと「ぼく」のイメージでしたが、この3作では「オレ」「私」も出てきて少し驚きました。「私」というと、世界の終わりと…の計算士ですが、世界の終わりでは人物にリアリティーは薄くて、どこかに滑稽というかふざけている(良い意味で)ような印象でした。人物の厚みが違うなと。 しかし、今作の主人公は会話では「ぼく」と良い、語りでは「私」と語っています。 相変わらず、ニート(整っている)で清潔で「絵になる」言葉(物を指し示す言葉)が散りばめられていますが、時代と共に変わってきたなと私は思いました。 それは多くの人が使う言葉が変わってきてるからだろう、と。 昔なら氏は「メルセデス」一択でした。おそらく当時のベンツという言葉が想起させるイメージが、氏のニートな世界にそぐわないとして嫌ったのでしょう。 それを「メルセデスベンツ」と書くようになったり。つまり、氏の選ぶのは、多くの人が使う表現の少し上(ハイソ)な言葉であると感じました。比喩にしてもそうですが、その嗅覚というか感覚が秀でているんだろうなと思いました。 ファンゴッホと書いても、おそらくココアブランドをファンハウテンとは書かないだろうなと。なぜゴッホと書かないのだろう? ジャガーと書いてもジャギュワとは書かないのはなぜだろうかとか。 ズボンとは書かず、(コットン)パンツ、でもトラウザーズとは書かない。 ジャックダニエルズとは書いても、テネシーウィスキーとは書かない、など。 衒学(ペダンティック)やスノビズムになるとカッコ悪くなるわけで、かといって人口に膾炙する表現では、氏はあきたらない。 買ったものを紙袋に入れてくれるような極限られた人しか行かないハイソなスーパーマーケットのイメージが醸せない、ということでしょうか。 その微妙な加減がカッコ良く見えてハルキストとかいう人種を生み出してるんでしょう。 氏が好んでいたというVANのアイビールックは、当時はカッコ良かったのが、時代と共にかえってその「意識しすぎ」、表面的な猿真似感自体がカッコ悪くなってしまい、またしばらくたつと「一周回ってアリ」みたいなね。 日本が成熟し、多様化したということかもしれません。 私は自分が歳を取り、物のイメージを借りて自分を飾るようなことに(元々それほど興味はなかったのですが)興味を失ったというか、懐疑が大きくなってきたせいもあって、氏のまあ簡単にいうとオシャレな描写には魅力を感じなくなったようです。 でも、物語を紡ぐ、表現する力には感嘆しました。 まあ単純に「ああ面白かった」、ということです。 | ||||
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包装もしっかりしていて、綺麗な状態で送られてきました。満足です。 | ||||
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さすがの筆力で4冊読まされてしまったが、後半にさしかかるにつれて、予定調和のような残念な感じが拭えない。 こんなにページが必要な物語だろうかと思う。 ひとつ言えることは、男性というのは、こんなにも自分の遺伝子を分けた子供について実感がもてない、あるいは確信がないのだなということ。 村上春樹さんの作品はたくさん読んできたけれど、「1Q84」のほうがよかったと思った。 作者も読者も変化する。これが私にとって、いま、あまり面白くなくても、また面白く思うときもあるかもしれない。 しかし読み返すには長すぎる。 | ||||
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13歳の子の話す言葉に違和感がありすぎて、芦田愛菜でもあんな返答しないだろってところや、胸の膨らみを気にしてたとしてもぜーーーったいにおっさんにそんな事打ち明けるわけがないので、村上春樹の願望なんだろうなと思うと女の子のシーンは話に没入でき無くなります。あと、やっぱりすぐセックスするところはおなかいっぱいです。 でもストーリーはめちゃくちゃ面白いです! | ||||
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村上春樹の小説は読むたびに新鮮な感覚が得られたのだけど、この作品にはそれがなかった 自分の子どもかもしれない相手に執着する富裕な男と、それに協力することになった画家の話 村上春樹が好きな『グレート・ギャツビー』のアレンジなのだろうけど、かつての恋人を求める話と比べると共感できるところが乏しい いつもの暗いところに潜るモチーフやファンタジックな存在も登場するけど、小説の中でさほど機能していたとも言い難い これらは自己模倣の産物だ この小説を読んで村上春樹は創作者としてピークを過ぎてしまったのだな、と如実に感じられた 駄作と切り捨てるほどひどいわけではないけれど、この話にこれほどの長さは必要ないだろうし、読んでも何かが得られた、認識が深まったという感覚も得られなかった | ||||
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村上氏の作品はさほど多く読んでいるわけではないが、過去読んだ作品はどれも第一級のエンタテインメント小説であった。 本書は発売当時、過去の作品に比べてさほど評価が高くなかったと記憶しているが、実際に読み始めてみると予想もつかないストーリー展開にぐいぐい引き込まれ、やはり大したものだと思った。ただ、途中で読むのをやめようと思った部分があったのも事実。 そこは南京大虐殺と日本人兵士が捕虜の首を無理やり切り落とさせるという残虐行為を強いるという、極めて政治的な内容をいきなり挿入してきた箇所である。これは老画家とその弟の悲惨な戦争体験として描かれているが、老画家のナチスとの関りについては具体的な内容は一切描かれていない一方、ストーリーにほぼ関係のない弟が日本軍で体験した内容は妙に残虐性が強調されており、非常に違和感を感じた。 村上氏の作品は良い意味でも悪い意味でも無国籍でnon politicalな点に特徴があると勝手に思っていたが、この部分中国や朝日新聞の受け売りのような内容であり、「村上さんどうしちゃったの?」と驚くと共に、もしかしてノーベル賞がどうしても欲しいのか?と勘繰りたくなった。 | ||||
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第一部〜第二部途中までの主人公の画家と謎の隣人との掛け合いが、読んでいて全く飽きない。奇妙で、ちょっと恐ろしさもあるけど、先が気になってどんどん読み進めてしまいました。 第二部後半から最後はぶっ飛びすぎて置いてけぼり感をくらった感じ。 それにしても「街と、その不確かな壁」と共に世間からちょっと離れた隠遁生活の主人公(それなりに刺激はある)に憧れる。 | ||||
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やっと時間ができ、念願の「騎士団長殺し」を読むことができた。通勤の行き帰りの電車を利用し、5日間で読み終えた。充実した時間だった。過去の自身の小説のオマージュであり、村上ワールドを楽しめた。ただ、騎士団長というドラえもんのような存在が登場したりして、子供向けの小説の様相になり、また、長編小説全来の整合性がとれなくなってきていると感じた。これは村上春樹が歳を取った衰えからきているものだと感じた。読者も村上春樹を初めて知った時の斬新さやワクワク感に慣れてしまい、感動も薄くなって来ているのだと思う。とはいえ、今後も村上春樹の作品は読んでいくつもりだ。なぜなら面白くて楽しいからだ。 | ||||
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時間ができて念願だった「騎士団長殺し」の読書ができている。村上春樹の小説を読むのは至福の時間だ。通勤の電車の行き帰り、帰宅してからも読みふけっている。今日で4日目だが、3巻まで読んだ。2巻で騎士団長が顕れ、主人公と会話するようになった時は、子供漫画の乗りになってしまったかと拍子抜けしたが、それからは水準が下がらず、3巻も楽しい村上ワールドを維持したまま、いよいよ最終巻を迎える。13歳の少女・秋川まりえが行方不明となり、どんな展開になるのか楽しみである。 | ||||
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村上春樹の文章は読みやすく、おいしい蕎麦をつるつると食べるように、すらすらと読め、かつ気持ち良くさせてくれる。1巻が面白く、この2巻に突入したが、途中で騎士団長のイデアが顕れ、主人公と話をするようになってから、子供漫画の様相を呈して来た。村上春樹も歳を取ったんだと感じた。文章は以前より上手になった。しかし荒削りの若い頃より勢いがなくなった。まだ途中だが、この作品は面白いが、長編の最高傑作にはならないなと感じている。 | ||||
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やっと時間ができて、念願の「騎士団長殺し」を読み始めることができた。やはり村上春樹の長編はいい。ストーリー展開がワクワクするだけでなく、読み心地がたまらなく良いのだ。至福の気持ちにどっぷりと浸からせててもらえる。こんな作家は稀有である。文庫4冊のうち、まだ1冊を読み終えたばかりで、まだまだこれから楽しめると思うと、何ともいえぬ幸せを感じる。それ程、村上春樹の長編は魅力あるものなのだ。 | ||||
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まだ上編、全体の1/4巻なので、物語でなく、朗読のレビューになる 一般的な朗読を連想して聴き始めたのが、章見出しを聴いたところでひどく驚いた いわゆる朗読とも朗読劇ともラジオドラマとも違う、これは新しい演劇じゃないだろうか 原作がそういう形式だから、ということもあるだろうが、読み手が「私」なので、ト書きが存在しない。脚本などで言うところのト書きも「私」なのでト書きではないのだ 登場人物はそれぞれのキャラクターが想起される声で立ち現れる 同年代の男性も女性も大きく抑揚を変えてるわけでもないのに混ざることなく、それぞれの感情を伴う でもそれらは「私」が脳内で思い出している人々なのだ 最初に驚いたのも、勝手に作品の区切りとしてしか捉えていなかった章見出しが、それを発話した人の声で読まれいたからだ。章見出しもただの区切りでないことを主張している 村上JAMでの「夜のくもざる」も素晴らしかったが、高橋一生自身が村上作品の大ファンであるとのことで、彼の中にはすでに登場人物が血肉を持っているのだろう 朗読には読み手の解釈が入るものではあると思うけれど、 読み手がここまで解釈し、腑に落とし、聴き手の前に世界を展開する これは村上春樹原作を翻案し、上演された演劇であると思う 下巻の公開、続く第2部が待ち遠しい | ||||
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普通に面白い、ラスト以外は面白い | ||||
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明らかに「積み残し」があるので、直接の続編ではなく、村上春樹という作家の歴史の中で、次にどう繋がるのかが気になります。 単体の小説としては、あまり人に勧めたいとは思いません。これを読むならねじまき鳥を勧めるかなと思います。 | ||||
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どんな声でどんな口調で、語るのかと思えば、最後まで心地が良く聴くことが出来ました。親友との会話、女性との会話、免色との会話、どれを聴いても聴いている場面が目の前に見える様だった。自分で読むよりも話に惹き込まれて驚いた。下巻もお願いします。 | ||||
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もともと、南京大虐殺は懐疑的だというのが根本にあるにもかかわらず、当初、中国でさえ30万人と言ってた数をなんで40万人に増やすんでしょうか。 アイリス・チャンが言い出した数に同調したんでしょうか?? 村上春樹は中国の回し者??? 好きだっただけにショックです。 | ||||
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4時間くらいで全編読めます。途中のクドクなりすぎた展開の説明と飽き飽きするようなジャズ、ロックやポップスにクラシックの引用、滑りっぱなしのつまらない比喩を多用する部分はすべて飛ばして読んだほうが健全です。飛ばされたところには何の意味もありません。 スプートニク辺りからガクッと力が落ち、1Q84では比喩がごみ溜めの反吐くらい臭くて耐えられなくなり、ライフワーク的に「妻に逃げられた男の奇妙な幻想譚」が、舞台の小道具を少し変えただけで何度も使い回して焼き直されるだけとなり、やたら縦穴と横穴を這いずり回って脳内幻想を飽きるほど書き連ね、あげくのはてに何種類もの女のクリトリスと男の射精(モロだしAV小説か)の虜になってしまった村上春樹さんの「もうこれ以上恥をさらすのはやめてー」の老害的駄作でした。 この人の初期の作品は、文体はグダグダですがプロットが新鮮なので、かえって英訳で読むとすばらしい!と感じてました。風のおとからの鼠三部作、ワンダーランド、クロニクル。どれも世界水準の傑作と言えます。ところがそのあとが転落の一途で涙涙涙!大江、夏目、谷崎、森などの文豪は筆致衰えることなく様々な展開の妙と思索をもたらしてくれる極上品でしたが、春樹さんはいつの間にか階段を踏み外し、頭と股間を何連発かで打撲したのか、二流作ばかり発表した結果、生涯打率は3割を切り「文豪」の地位を失ったのです。悲しい! | ||||
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村上春樹ワールド健在という感じ。不思議なストーリー。ストーリーを楽しむというよりも村上春樹の表現、文章を味わうという方がしっくり来る。その意味で、村上春樹ファンの方はぜひ。初めて読む方なら1Q84の方が入りやすいかもしれないと思います。 | ||||
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村上春樹さんの小説は文章の妙味がある。独特の比喩は秀逸にして唯一無二。またその世界観も独特で村上春樹ワールドに惹き込まれて行く。僕の中では『読む』というよりも『味わう』小説 | ||||
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