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長いお別れ
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【この小説が収録されている参考書籍】
長いお別れの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.36pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全241件 121~140 7/13ページ
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ハードボイルド作品が好きならコレを読まないと!と知人にすすめられ購入!村上春樹の翻訳であるこの作品は同タイトルの書籍の中で秀逸であるとも。実際読んでみて、ハードボイルドとはコレだ!と実感できました。少々厚い本ですがおすすです。 | ||||
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読みたくなりました。おもしろいけれど(まだ読み終えていません)饒舌な村上春樹という感じはあります。 映画はとっても良かった。タイトルはこちらのほうが好きです。 | ||||
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ロング・グッドバイとレイモンド・チャンドラー 村上春樹ファンなら,必ず知っている組み合わせでしょう。 学生時代に『ノルウェイの森』を読んで以来,村上春樹の作品は,ほとんど読みましたが,作中に『ロング・グッドバイ』というタイトルや,『レイモンド・チャンドラー』という人名が良く出てきます。『グレート・ギャツビー』というタイトルや『フィッツジェラルド』という人名が出てくるのと同じくらいの頻度で出てきてたと思います。 数えたわけではないので,何回ぐらい出たのかと聴かれても,答えることはできませんが,そのタイトルや人名を村上春樹の作品で知り, 『そのうち読んでみたいなぁ』 という印象をボクの脳に刻みこむくらいの頻度で出てきたことは確かです。 フィリップ・マーロウという私立探偵が,ひょんなことから知り合った,友人テリー・レノックスの自殺を契機に,謎解きを始め,隠された真実を詳らかにするというストーリーです。 今回,自分自身で読むまでは,この手の小説は,『ハードボイルド』と呼ばれたり『推理小説』と呼ばれたり『ミステリー』呼ばれたりするカテゴリーに分類される,いわゆる『大衆文学』の領域の作品だと思ってました。 『純文学』と『大衆文学』を比べた場合,文章の美しさ,表現の緻密さを追求した作品を『純文学』と呼び,読者の想像力を刺激できるだけの最低限のシンプルな文章で,エンターテインメント性を重視した作品を『大衆文学』と呼ぶものだと,個人的,ステレオタイプ的に認識しておりました。 小説をカテゴライズすること自体がナンセンスなのかもしれませんが,ボクはこの作品を勝手に『大衆文学』にカテゴライズしてました。 しかしながら,フィリップ・マーロウという孤独な探偵の視点を用いて,純文学的に皮肉めいた長いセンテンスで語り,エンターテインメント的な事件を解決に導いて行くという,単純にカテゴライズすることが困難な作品です。 原作が優れていたのか,翻訳が優れていたのか(おそらくその両方だと思いますが)ボクの予想を見事に裏切り,感動を与えてくれました。 500ページを超える大作で,最後に村上春樹による60ページの解説付き。 皮肉だらけの長いセンテンスが多用されているので,多少,文章の理解と読了までに時間がかかりますが,面白い作品です。 ぜひ,みなさんもお試しください | ||||
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あらゆる細部の鮮やかさが村上春樹を思い出させる。 というより、もちろん、村上氏の方がチャンドラーからたっぷり滋養を得たのだ。 登場する人物はどのシーンでもカラフルに美しい(もしくはとことん醜い)ファッションであるし、 マーロウが二日酔いに苦しみながらもオフィスをいつもの手順でてきぱきと片付けていく様子も、 村上作品の読者ならば「ここが源泉か!」とうれしくなるだろう。 プロットそのものよりも、読む者の予測を微妙に裏切りながらズレつづけていく感じがいい。 | ||||
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村上春樹さんのファンなので、一度読んでみようと思って思い切って購入。 すごく分厚くてびっくりしましたが、面白くてあっという間に読めました。 このシリーズ又続きが読みたくなっちゃった。普段は純文学が好きなんですが、 こういったハードボイルドもいいですね! はまります。 | ||||
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アメリカ文学、ひいてはハードボイルド小説すら初めての作品でしたが、楽しめました。 ハードボイルドなんて現代っ子の私には正反対の言葉であり正反対の生き方だと思いますが、 素直に「かっこいいなぁ」と思わずにはいられませんでした。 マーロウには男の美学とでもいいましょうか、強い拘りや独特の世界観、価値観を感じられ、 更には『ロンググッドバイ』の作風、雰囲気に影響を及ぼしていると思います。 随所に詩的で素敵な表現が多々見られ、硬派だけじゃないセンチメンタルな感想を抱きました。 おそらくはそれが「長いお別れ」の魅力なんだと、素人ながらに考えています。 私はミステリーが好きで初心者ながら色々と手を出しているのですが、 この『ロンググッドバイ』もミステリーの一つとして購入しました。 肝心の物語の中心となる殺人事件、ひいては犯人なのか?という点においても、 準古典ながら新鮮な展開で、これだけでも大変面白かったです。 全体を通して、ちょっと物悲しい……切ない展開が印象的でした。 それがハードボイルド小説たる所以なのかもしれませんね。 最後の会話……ネタバレになるので詳しくは書けませんが、とても印象的でした。 終始男臭い展開だったわけですが、ラストの切なさは、上手く言葉にできません。 ハードボイルドというと怖くて血生臭い展開がありそうで敬遠していたのですが、 この作品は上にも書きました通りセンチメンタルな色が強く、 決して読んでいて嫌な気分になるだけではありません。 ミステリー要素も素晴らしい完成度だと感じたこの『ロンググッドバイ』は、 まさに歴史に残る名作の一冊だと思います。 村上春樹氏の訳に一部気になる点があったりはしましたが、 古い作品をここまで読みやすく現代語訳しているのは率直に凄いと思いました。 訳者あとがきが難しすぎて自分にはよく理解できませんでした(笑)が、 あとがきも含めて読めば、より一層この名作を楽しめると思います。 | ||||
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レイモンド・チャンドラーは本書が初めて、村上春樹は初期のもの中心に文庫を30冊程度……の、女性読者。 ハードカバーで持っていながら、長いあいだ本書を放置していたのは、先にシェル・シルヴァスタイン『おおきな木』の村上訳に触れて、激怒したせい。 翻訳家としての村上氏には、疑問を感じていた。 読んでみて驚いたのは、レイモンド・チャンドラーという作家が思った以上に魅力的だったこと。 ストーリーうんぬんより、作家が「饒舌」であることが魅力的、チャンドラーの文章を読んでいるだけで、豊かな気持ちになる。 ストーリーの面白い小説は巷にあふれているけれど、文章そのものが美しく魅力的な小説は希有。 また、本書に、村上作品の源泉としか思えない表現が数多く含まれていることにも驚いた。特に個人的に大好きだった『ダンス・ダンス・ダンス』との類似に、懐かしさを感じつつ、一気に読了。 ただし、ハードボイルド小説を読んでいるような気分にはなれない。どうしたって「ハードボイルド・ワンダーランド」。けなしているのではなく、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』は『ダンス・ダンス・ダンス』と並び、村上作品のなかで1、2を争うお気に入り。繊細な場面に関しては、村上訳は素晴らしいと思った。ハルキテイストのフィリップ・マーロウを堪能できるのだ、村上ファンには一粒で二度美味しい。 しかし。 動きのあるシーン(殴ったり、銃を使ったり……)になると、いきなり眠い。誰が何をして、どうなったのかが、サッパリわからない。 で、名訳と噂の清水俊二『長いお別れ』も入手、読み比べてみて愕然。清水訳が1時間半のアクション映画だとすると、村上訳は同じストーリーをスローモーションにした3時間映画のように間延びしている。清水訳は原文を省略しすぎている、その点、村上訳は完訳だ、とのことだが、私は断片しか比べていないので、ページ数の問題ではないと思う。 例えば、清水訳では、 「私は彼から眼をはなさなかった。それがいけなかった。私の横でなにかがちらっと動いたかと思うと、肩の先に鋭い痛みをおぼえた。」 とあるのが、村上訳になると、 「その男を余りに長く見過ぎていた。横の方で何かが動いたような気配があり、そのとたん肩先に鈍い痛みが走った。」 なので、次回読み返すのなら、きっと清水訳だが、男くさくとっつきにくいイメージのあったハードボイルド小説、その頂点と思われる傑作小説に「ハードボイルド・ワンダーランド」な繊細さが含まれていた、と知ることができたのは、個人的には、大きな収穫。 | ||||
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この作品は、ずっと前、大学生だった頃に友人が面白かった、絶対読むべきだ、と言っていたので、いつか読まなければいけない(読みたい、ではなく)と思っていた作品で、ただ、ハードボイルド作品に抵抗があり(ハメットの『血の収穫』とジェームズ・ケインの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』を読んで、肌に合わなかった)、ぐずぐずと読まずにきてしまった。それがここにきて読もうと思ったのは、村上春樹の訳本があるのを知ったからで、清水俊二訳は未読である。 そういう状態で本書を読んでみたが、かつて友人が言っていたほど面白いとはどうしても思えない。それは、私が謎解きを主眼にした本格ミステリー好みで、本書がそういう趣向でないからかもしれないが、とにかく冗長で、訳者の巻末解説(いや評論と言うべきか)には作者は本筋に無関係な寄り道の達人、本筋には不要な細部の描写の名人で、その寄り道や細部の描写が楽しいとのことだが、私には煩わしいばかりだった。清水訳ではかなりの文章の省略があるとのことで、訳者はそれが不満で完全訳を目指したとのことだが、私にはあるいは省略のある清水訳の方が合っているのかも知れない。 と、不満足な点をつらつら書き並べたが、この600ページ近い本書を読むこと自体は特段苦痛ではなかった。むしろ、50ページもの(!)巻末解説(むしろ評論であろう)の方が、作者作品や作者の背景、ヘミングウェイやフィツジェラルドの作品を知らないこともあって、読み疲れてしまった。これらを知る人には価値のあるものなのであろうが。 それでも本書を☆4つとしたのは、ラスト近くのマーロウのセリフ、「さよならは言いたくない。さよならは、まだ心が通っていたときにすでに口にした。それは哀しく、孤独で、さきのないさよならだった」のくだりが琴線に触れるものがあったから。このセリフでそれまでの冗長さが帳消しになった。 | ||||
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正直言って、私は作家村上春樹は好きではない。なので、本書を手に取るのをためらっていた。だが、ふとしたはずみで読み出したのだが、素晴らしい翻訳である。もちろん原作が素晴らしいから翻訳も光るのであろうが、極めて読みやすく、どんどん読み進めたくなる名訳である。翻訳家村上春樹については好きになってしまった。 さらに、巻末の訳者あとがきがまた秀逸である。題して『準古典小説としての「ロング・グッドバイ」』である。こんなあとがきは、村上春樹でなければ書けないであろう。最後のアメリカの警察システムの解説なんかも非常に参考になった。 | ||||
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まず皮肉の効いた、事象に感情を直に触れさせない文章がなかなかのもの。そのおかげで話が進まないようでも読み応えがある。 推理で真相をつかんだあとの、余韻漂うけだるさも、古典的だが心地よい。小説の中で一番読んで気持ちいいのはそういう余韻や煮え切らなさかもしれない。 最後の最後に出てくる別の真実も、今ではありふれてるかもしれないが面白いものだった。余韻に浸らせておいて、また少し目から鱗を落とさせる。巧い。 | ||||
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チャンドラーの以前の翻訳(清水俊二訳)では、最後まで読み通せなかった。(清水訳チャンドラーで最後まで読み通せたのは「さらば、愛しき人よ」だけ。しかも「この小説の一体なにが面白いのだろう。」という感想しか湧かなかった。) しかし、今回のは最後まで読めた。しかも、相当面白かった。 以前の清水訳の方が良かったという意見もあるだろうが、要するにそれは趣味の問題に過ぎないと思う。 清水訳の方が良いのであればそちらを読めばいいし、清水訳では読めなかった私のような読者は、村上訳を楽しめばいいだけのことだろう。 以前、清水訳で挫折した方は、村上訳で、もう一度チャレンジしたらいいと思う。 | ||||
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もう20年以上前に本書『長いお別れ』の方で読んでいた。それは村上春樹氏経由では無く当時ハマりまくっていた北方謙三氏から入っていった。で、今改めて読み直してみると、チャンドラーの一切の借り物ではない作風に改めて気付かされた。それと同時に村上春樹氏がこの文章の比喩や会話(人物造型)に如何に影響を受けているかがよく解る。巻末の村上氏の解説にも書かれているのだが、本作のユニークな点は-無論色々あるのだが-ミステリーの本筋と関わりのないディテールに光っている。フィリップ・マーロウを通して語られる様々なエピソードは読みながら思わずにやりとさせられる。そしてフィリップ・マーロウの皮肉なユーモアを交えた会話と人物造型は恐らく多くの模倣を生んだのだと思う。しかし彼はやはりチャンドラーの卓越した才能なくしては決して成立しないオリジナルなものだ。 | ||||
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海外の小説が好きで、いろいろな翻訳ものを読んできたが、村上春樹の翻訳は正直うまくなかった。素人並み。読み始めから違和感と読みにくさを覚えていたが、下手な翻訳も気にならなくなるほどのストーリー展開で、ミステリー好きの私も大びっくりの展開と結末に徹夜で読んでしまいました。それはチャンドラーの力。清水さんの翻訳は省略してあるし。。。清水さんに原文を省略せずに翻訳してもらったら最高だっただろう。 | ||||
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清水訳は、実は「超訳」だったって言うの? 私は、「超訳」のおかげで、チャンドラーを好きになっちゃっていたの? 先に村上訳を読んでいたら、どうでしょう? うーむ。もちろん悪くはないんだけど、いまほど好きにはなっていなかったかもしれないなぁ、と思いました。だって、マーロウが、あまりにも等身大過ぎるのですよ。清水マーロウと比べるとあまりにも「凡庸」過ぎませんか?セリフも、もっさりしていて、くどいし、ガキっぽいし。 でも、マーロウの設定実年齢からすると、こちらのほうが現実味があるんだよなあ。こちらのほうが原作に近いのですよね? あーあ。なんだかつまんないな。 ならば、清水訳で、より原作に忠実な「新訳・長いお別れ」が読みたい、と痛切に思いました。 | ||||
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あの村上春樹も絶賛なんだからおもしろくないわけがない。私自身、このチャンドラーのロング・グッドバイは今まで読んできた本の中で三本の指に入る。そしてフィリップ・マーロウは一番好きな探偵で間違いない。この長さなのに退屈を感じた瞬間は一度もなかった。森博嗣も言及していたが、本当に凄い作家というのはチャンドラーやサリンジャーのようになんでもないような事をここまでおもしろく魅力的に書き上げることのできる人なんだろう。こういう言い方は良くないかもしれないが、まあ日本の作家ではこれはかけないでしょう。 | ||||
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翻訳者がどうこうではなく、単純にアメリカ小説として楽しむことができました。 訳者あとがきでフィッツジェラルド『グレート・ギャッツビー』との類似が指摘されますが、むしろ私はオチのつけかたが訳者の『羊をめぐる冒険』に似てるなという思いを強く持ちました。 また読みかえしたい本です。 | ||||
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昔、旧訳を読んではまったという経験がないので、村上春樹訳と比べて文句を言う、という楽しみ方が出来ないのが残念であるが、さすがのチャンドラーという名文にすっかり魅了され、上質のミステリーを読むという老後の楽しみが一つ増えて嬉しい。 | ||||
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「羊」「鼠」「ノルウェイ」など、村上作品に通底するモチーフが息づく完訳です。訳文の中においても、「訳者あとがき」においても。 村上さんは「若い読者のための短編小説案内」をはじめとして、自身の小説作法(「システム」)を、いろんなところで読者に見えるようにしてくれています。それをやってしまうと、物語作家をとりまく、ある種のミステリアスなところが薄らいでしまうのではないかと思うところもありますが、基本的には僕は村上さんのその姿勢には賛成です。きっとこの人は「なぜ自分は小説を書いているのか」というところに、いまでも根源的な落ち着きのなさ、問いかけを覚えずにはいられないのだろうと思います。本質的、本格的な小説家である所以ですね。 本書の「訳者あとがき」では、そこのところが、ある種の痛切さを感じさせるくらいに、率直に、(悪くいえば)くどくどと、記されています。村上さんの説明を真に受ければ、ということですが。 村上作品に慣れ親しんだ人が「ロング・グッドバイ」を読んだときに、この会話、ないし流れや運びはどこかで聞いたことがあるよ、と感じるとしたら(きっとあると思います)、村上さんが高校生のころに「ロング・グッドバイ」を読んで受け取ったエッセンスが、「羊」「鼠」「ノルウェイ」などを通じて大人の作家になってから一応は消化、昇華された、でもその跳ね返ったお釣りみたいなものが今度は時を経て翻訳をしたときに「ロング・グッドバイ」のほうに過剰に反映されてしまった。しかも、彼はそのことをわかっていて自分に許している、それくらいこの作品が好きだから。そういうことではないかと僕は想像します。 だって、フィリップ・マーロウは、あのようには村上語でしゃべったりはしないですよね。はんちく、もそう。少なくとも彼らは原著では村上訳とはちょっと違った言葉遣いをしています(と、僕は感じます)。翻訳というのはもうちょっとドライで価値中立な作業であるはず。 したがって、それらを含めて、清水訳のほうがいいかといえば、「抜け」はたしかにあるけれど僕は清水訳のほうが好きな部分も少なくないです。 だから逆に「ムラカミ的」完訳であることを受け入れられるのであれば、本書のほうを推します。村上さんは(当然かもしれませんが)翻訳者としての資質より、小説家としての資質がどうしても上回ってしまうからこうなってしまうのでしょうね。受け入れることに抵抗のある読者にとっても、それはそれとして現時点で最高水準の翻訳だよ、ということは請け負ってかまわないと僕は思います。 以上、中立中性の翻訳などありえないことを踏まえた上で、「読者の贅沢」を込めて減点1、でも気持ちは星5つ。すばらしい本です。 追記:異性愛にはきわめてストイックで、むしろ同性愛的、友情よりである本書が、ムラカミ的回路に受容され、通過するとどうして「ノルウェイ」にたどり着いてしまうのか、そこのところは誰かがきちんと追いかけるに値するテーマであると思います。 | ||||
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村上春樹の原点のひとつ 個人的には、 訳の良い作品は、 原書を読みたくなります。 本書も強くそう思いました。 キャラクターがとても良く、情景がリアルに伝わってきます。 疲れた時、 気持ちがもやもやした時読んでください。 ひとは死にますが、 セックスはありません。 | ||||
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文庫版としては、すごいボリュームで、この価格は納得である。 チャンドラー作品、また村上作品の入り口としてもいい作品。もちろん、何冊も読んできた方にもお勧め。 ただ、個人的には、今回この作品を読むにあたって、どうも村上春樹の翻訳、ということを意識しすぎてしまったように思う。 チャンドラー(もちろん翻訳した他の作家も)に村上春樹が影響を受けているというのは、周知の事実だと思うが、最後のエピソードや、随所で出てくる表現やセリフに、村上作品、特に「羊をめぐる冒険」とかぶる場面が多くあり、入り込めなかった。 もしかすると、アンチ村上春樹で、村上作品を全く読まない人にこそ、適した作品なのかもしれないと思う。 | ||||
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