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長いお別れ
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【この小説が収録されている参考書籍】
長いお別れの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.36pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全241件 61~80 4/13ページ
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訳者のあとがきもとても価値があると思う。The Great Gatsby好きには必読の書 | ||||
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これぞハードボイルド。やせ我慢の美学。村上春樹の文体はチャンドラーの影響も大きいので、村上作品を読んでるような錯覚を抱く場面もあったり。どいつもこいつも飲酒運転バンバンしてて、時代を感じる。あとがきもボリュームたっぷり。 | ||||
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手放してしまったので、村上氏の訳と比べるために購入しました。 私はこちらの訳のほうが率直な表現で好きです。 | ||||
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極上のミステリー小説と村上春樹氏の文体の二つを味合うことが出来たことは、忙しい私にとって貴重な、潤いのある時間であった。 ほとんど、電車の中や仕事の合間の昼休み時間でしか読めなかったが、今度は充分楽しめた。 実は、20年以上前に、古典のミステリー小説を手当たり次第に読もうと思って、最初に「長いお別れ」清水氏訳を読んだ。しかし、今でも細部までは覚えていなかったが、今度はしっかり頭に入ってきた。 その時は、脳がミステリー小説対応にまだ出来ていなかったせいもあるが、村上春樹氏のなせる技だと、私は思う。 | ||||
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村上春樹さんは 別段私は「ハルキスト」ではありませんが 今までのチャンドラーとは少し訳 が 違うので 結構楽しみに読めますね | ||||
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村上春樹へのインタビュー「みみずくは黄昏に飛びたつ」を読み、 村上春樹がいかに本書に惚れ込んでいるかを知り、 本書を読んでみた。 私立探偵のフィリップ・マーロウは、 億万長者の娘の夫テリー・レノックスと知り合う。 2人は親しくなるが、レノックスは妻シルヴィアへの殺人容疑をかけられ 自殺してしまう。 マーロウは、酒飲みの作家ロジャー・ウェイドの件に関わり、 やがてレノックス事件とウェイドの件は結びつき、 レノックス事件は真の解決に向かう。 ミステリだが、大きな謎もトリックもない。 しかし、読ませる力はある。 「みみずくは黄昏に飛びたつ」での村上春樹の言葉を借りれば “くぐらせてある”からだろう。 単に英語から日本語に変換されているのではなく、 本書は村上春樹によって翻訳されており、 村上春樹を介して英語から日本語に変換されているからだろう。 村上春樹がロス・アンジェルスを舞台にミステリを書いたのが本書である と言われても、私は信じたと思う。 フィリップ・マーロウも魅力的だった。 村上作品に出てくる登場人物に似ていた。 マーロウは42歳で、村上作品の登場人物より少し上に感じたが、 メインストリームでない所で、タフで筋の通った生き方をし、 都会的でしゃれているが、浮ついてはいない雰囲気を醸し出す。 マーロウにはとても惹かれた。 しかし、村上春樹ほどは本書に、のめり込めなかった。 村上春樹は本書のあとがきで“準古典小説”とまで評価していたが、 私にはそこまでは感じ取れなかった。 人物も描き方も魅力的だったが、 肝心の内容にあまり関心を持てなかったからだろう。 村上春樹が本書について語り始めたら、止まらないと思う。 そこまで本書を愛せる村上春樹が羨ましいと感じた。 | ||||
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心の奧で静がに風が吹き続き、読み進めている。村上春樹の世界が重なり素晴らしい作品に私のなかで、 大切にしていきたい1冊に為りました。 | ||||
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1週間かけてじっくり読みました。 主人公はフィリップマーロウではありますが、テリーレノックスが大きな影響をもたらしますね。 ハーランポッターの娘であるシルヴィア、その最初の夫でもあり、現在アイリーンの旦那でもあるロジャーウェイド。 ロジャーと離婚後シルヴィアと再婚(初婚の相手はアイリーン)するテリーレノックス。 これらの情念渦巻く物語です。 シルヴィアが殺されるのですが、テリーは殺人者を庇うために、あたかも犯人のように逃亡し、罪をかぶるのですよね。 そして自殺(本当は自殺していない。テリーを護る盟友がいて、彼らが自殺として処理する事に手伝ってくれている)。 しかし、その自殺が、ロジャーウェイドという次なる被害者を生んでしまう。 最後に、テリーが別人としてフィリップマーロウのもとに現れますが、マーロウはテリーの行動によって、ロジャーという第二の被害者が出てしまったことが、見逃せないというか、おそらく許せない。 そしてロンググッドバイ。。。 見方によっては、もっと別の見方があると思います。深いです。 もう一度読むと、違う感慨が得られそうな気がします。 作品の特徴として、ハードボイルド作品と言われるだけあって、心理描写は省かれています。冷血文学とでも言うべき、、、と評価もされていますが、もっともだなと思いました。一方、風景および人物描写は冗長なくらい仔細です。ただ、時にくだくだしく感じてしまい、読み飛ばしたくなるのですよね、、、。他のコメントにもありましたが、リズム感が悪く感じるというのは最もです。 サクサク読めたという方は、風景および人物描写のところを軽~く読み飛ばしながら読まれたと思われます。 作品全体としては、人間追求ふくめた奥深さ、また人間の不確実さなども描かれていて、最近読んだ小説の中で、最も素晴らしいと感じましたし、さすが時代の洗礼を受けても生き残る名作だと思いました。 | ||||
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原文が難解なのか、翻訳が回りくどいのか、会話が一体誰の発語なのかLostすること多数。 もう一回読み返したいけど、やっぱり長いなぁ。。 | ||||
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探偵といえば知的でクールに物事を解決していく。暴漢があらわれてもなんのそのヒラリと身を躱して相手にお説教する。そういうイメージが強い。しかしこの小説の主人公マーロウはそうじゃない。とんでもないタフガイである。ヘミングウェイの主人公ばりのマッチョ思想で相手に突っかかり、場当たり的に行動していく。だが最後には、冷徹そしてクールに推理を終えるのがこのシリーズだ。素直になれない中年マッチョに痺れてみたい人は読んでみるといい。 | ||||
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この小説「長いお別れ」としては、ハードボイルドミステリの最高峰として知られ、私自身最も好きな小説の一つ。翻訳で2回、さらに原書でも1回読んだことがある。(一応大学英文科の出身なので)。こんなに読んでるのに内容は結構うろ覚えで今回大いに楽しみながら読むことが出来た。今帰りの電車の中で読み終えて、「やっぱチャンドラーはいいよな~」と心の中で思いつつ205段の石段に耐えて帰ってきたところだ。 私なりの「ハードボイルド」の解釈は「硬派」。女より男同士の友情を選ぶ、端的に言えばそういう男の生き様を描いた小説で、この話の主人公である私立探偵フィリップ・マーロウは正にそれを地で行っている。私が惹かれるのは、自分自身がそんな生き方とは対極の情けない人間だから。 村上訳には賛否あるようだが、村上春樹自身が私とおなじようなこの小説に対する思い入れを述べているのがたまらない。「ギムレットには早過ぎる」。この名セリフと再会出来ただけでも、チャンドラーファンとしては感に堪えない。 なお、この小説の訳文が誰かに似てると思ったけど、わが愛する日本SF界の至宝神林長平だな。前ブログで「グッドラック 戦闘妖精雪風」について書いたけど、彼の作品ももっと読みたくなった。 | ||||
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本編を読み終わって、家内とグレート・ギャッツビーの話をしていた。その後、村上春樹解説を読んだら、同じような解釈に行き当たり、やっぱりそうか、と思いつつも、何だかその感想すら何かによって作り上げられた虚構かも知れないとも思う。それは、きっと本編のエンディングの影響を明らかに受けていると感じた。 | ||||
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発送が早く、ありがたかったです。 梱包もきれいでした。 良い買物をさせて頂きました。 | ||||
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村上春樹の小説はそこそこ読んでいましたが、レイモンド・チャンドラーの小説は初めて読みました。 長い小説でしたが、スラスラと読むことが出来ました。いい作品ですね。原文でじっくりと読んでみたくなります。 欲を言えば悪役側にもう少し魅力的な人が欲しかったなと思いました。(チンピラに感情移入できなかったから) でも訳者も書いてあるように、これは「テリー・レノックス」を中心に回っている作品なので致し方ないと思います。 テリー・レノックスとフィリップ・マーロウ。この青臭く、儚く、あまりにも切ない関係に非常に強く心を揺さぶられました。 | ||||
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最初はその分厚さにおびえていましたが、読んでみるとあら不思議、すらすら読めてしまう。 買って損はないです。 | ||||
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”博識である上、ひねった特異の言い回しの”チャンドラーのこの長編傑作は、推理小説の範疇を超えてる。”キザで嫌味なスタイル”と”英国贔屓のアメリカに対する味わいの濃い文明批評と社会批判”が重なり合い、訳者の清水氏を大いに刺激し、悩ませてる所がとても新鮮で興味深い。 流石、清水氏の含蓄豊富な語彙力が物を言い、チャンドラーの魅力を我々凡人が共感出来る所まで、最大限にまで引き上げてる。彼はこの時代の自由気まま過ぎるアメリカを鋭く冷たく批判する一方で、この豊か過ぎる大国で慢性的に発生する組織的犯罪に、寛容な面も見せる。マーロウは紳士的とは言えないが、英国的な実直なクレバーさと硬派で無謀とも思える強かさで、この国の得体の知れない闇の世界に敢えて首を突っ込んでいく。それだけ、チャンドラーにはこの大国が魅力的にエレガントに俗っぽく映るのだろう。 私は思うに、これだけの最高傑作を訳すには、それに見合う知の資産と知的好奇心が必要だろう。下手に訳すれば、大衆がいきり立つような、キザっぽく安直な探偵物語に成り下がるケースも少なくない。まさに、清水氏の基本に忠実で実直な高度な教養が、この大作を堅固に支えてる。 誰もがこの『長いお別れ』を翻訳してみたいと思う筈だ。しかし、訳者を選ぶ傑作であるのも事実だろう。読者からすれば余計な装飾で濁らせることなく、チャンドラーの真っ向勝負の実直で純朴な描写にひたすら酔っていたいと願うだけだ。 この作品には3人のエレガントな令嬢が登場する。ともに容姿端麗で、それぞれに強く深い個性を持つ。ハードボイルドに登場しがちな判で押したような美女と異なり、それぞれに特異の生き様を持つ。マーロウは彼女たちの魅力に惹かれつつも、所詮は”50ドルの淫売女”と揶揄しつつ、この国の悪と富と権力と俗社会を痛烈にこき下ろす。 誰もが彼に憧れ、推理小説やハードボイルドを描こうとした。が、あまりにもモノが違いすぎる。そういう私も、チャンドラーといえば、『可愛い女』に代表される探偵小説の大家くらいに思ってた。それが大きな誤りだと判り、とても嬉しくなった。彼の本は誰もが気楽に読めるが、誰もが十全に理解できるものではないと思う。 《あとがき》がとても短くアッサリとしてるのも、清水氏の崇高な知性を漂わせる。これだけの大傑作を締め括る解説となれば、主観的感傷的になり、長々と余韻に浸っていたいものだが、”サヨナラを言うのは、僅かの間死ぬこと”とあるように、この作品に”僅かに酔う”だけで、簡潔に纏め上げ、”短いお別れ”として書き終えてる。全く、最後の最後までマーロウになりきってるのが憎い。` | ||||
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金も伴侶も友達も親も兄弟も組織も出世も必要としない。 必要とするのは少しの仕事と酒と行きずりの女だけ。社会通念上必要と言われるものほぼすべてにノーを突きつける人間。 友達は本当の友達以外要らないというこだわり。 色んなところに頭をぶつけながらも、どれほ孤独な男というのはかっこよく生きられるかという挑戦。 彼は権威と社会通念へのかっこよすぎる反逆者。なんらかの権威に属していても社会通念にへいこらしていても彼の真似はできない。 マーロウに少しでも近づきたいと思う。 | ||||
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ハードボイルドの名作と知りながら、その分厚さと翻訳の相性に不安を感じ、なんとなく手に取らずに十数年。 ある日なんとなくAmazonで検索すると、Kindle版が村上春樹訳で出ているのを見つけ、即購入。 オールドアメリカンの情景、私立探偵、登場人物達の気の抜けない駆け引き。ハードボイルドの世界を村上氏のリッチな文体で味わえる。 読み始めの期待は、訳者あとがきまで変わることなく、満足して本を閉じました。 ちなみに小生、高校生の頃に初めて読んだ村上作品「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」以来のファンです。 | ||||
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本書『ロング・グッドバイ』は、村上春樹ファンには必読の書である。 村上春樹が何度も丁寧に検討した上で訳し直している労作だから。本書は、訳文が594頁もある上、「訳者あとがき」が50頁続く。村上春樹がつむぎだす文字が本書にあふれていて、読者がおぼれそうになる文量だ。本書の厚さにまず圧倒される。訳者が真面目に真摯に真剣に考え抜いて、たゆまずあゆまず長い年月をかけぬけて翻訳に取り組んできた、訳者の長い人生のおもみがずっしりと手に重い。このおもい思いが伝わってきて、気分が重くなる。村上春樹のようなベストセラー作家が、この準古典小説の翻訳にうちこむ姿には、言葉が出ない。 本書奥付の増刷回数は、ファンのあつい支持を示している。なんのふあんもない。ボクも立派な自称村上春樹ファンのつもりである。だけど『ロング・グッドバイ』に関しては、原文も読んでいないし清水俊二訳の「長いお別れ」も読んでいない、ファンの風下にも置けん奴なんだ。 先日、何気なく煙草に火を点けるようにテレビのスイッチを点けたら、ロバート・アルトマン監督の映画が流れていた。ので、なんとなく見た。そしたら、なんとなく本も読んでみたくなった。ネットで本を注文しようとサーフィンしてたら、原文と清水訳と村上訳の3冊を読み比べた本が目に付いたので、その本を読んでみた。その本には、村上訳の ”September Morn” が「気になった」と書いてあった。なんで気になったのか知りたくなって、とうとう本書を注文した。 本書『ロング・グッドバイ』333頁には、 ”September Morn” が「『九月の暁』のごとく遮るものもなかったが、絵画にあるようなはにかみの色はなかった。」と適切に訳されている。編集という観点からも、『九月の暁』が絵画であることが、村上訳では『』が付けられており、絵画という一語と相まって、一目で分かる。さすが丁寧な訳と編集者のおかげだ。 「セプテンバー・モーン」と言えば、9・11の朝のアメリカ同時多発テロ事件を思い出す人も多いだろう。ニール・ダイアモンドの「セプテンバー・モーン」という曲も良かったな、高齢者には。村上春樹さんもこの曲を聴けば、なつかしく思い出すのでは。 | ||||
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フィリップ・マーロウ42歳の格好良さは群を抜いている。ライセンスを与えられた私立探偵請負人であり、殺しの経験を問われて躊躇せずに「ある」と応える、その覚悟のほどよ。 「スカッチをストレートで」(p422) バーに自然に溶け込む振る舞い方は、ぜひ見習いたい。 偶然から知古となった浮浪者然の男、テリー・レノックスとの短い交誼を経て、突如殺人容疑者となった彼の国外逃亡を何も言わずに扶助するマーロウ。警察による「体に問う」尋問にも耐え、退屈な留置所暮らしは、しかし突如打ち切られる。 なかったことにされる殺人事件を横目に、新しい依頼に従事するマーロウだったが、テリー・レノックスを想う彼を、絡みに絡まった運命の糸がある終着点へ導いてゆく。 ・第二次世界大戦の記憶も新しい1950年代のアメリカ。古き良き時代の新聞記者、大富豪、独特の保安官システム、検事、地方マフィアと多彩な登場人物。カリフォルニア州が舞台だけあって、南米諸国出身者の登場人物も多い。 ・世界最強の大国となった祖国、民主主義国家アメリカの文明への批判の件は痛快だ(p322,p496)。この偽善的な社会システムがそのまま現代日本の姿でもあり、どう対峙するかを問われるな。 ・イギリス海軍機動部隊の突撃、ナチスによる捕虜虐待、男3人の友情。そして「とるにたりない嘘」と「自分だけの思い出」(p421)が、ある女を極限にまで駆り立てる。 ・しびれるシチュエーションと含蓄に富んだセリフの数々に酔いしれること幾たび。 濃い、苦いコーヒーは「疲れた人間には血になるのだ」(p447) 「正直にいおう」と、私はいった。「そんな考えもなかったわけじゃない」(p505) 正しいことをしようとして夢中になること(p481)、それを信念と呼ぶ。 530ページを経たラストシーンはやはり印象深い。本当のさよならは「もう言ってしまったんだ」。 男の眼に光る涙は、ギムレットの味がするのだ。 | ||||
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