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長いお別れ
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【この小説が収録されている参考書籍】
長いお別れの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.36pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全29件 21~29 2/2ページ
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元祖である。ロング・グッドバイである。現在巷で溢れている赤と黄色の、拳銃の表紙の、アレである。アレの元祖である。僕は10年ほども前に、本書を読んでいるのだが、正直全く内容を忘れてしまっていた。 今回、例の赤/黄/拳銃本を読んだ後、本書を再読したのであった。ムラカミ版のあとがきにおいて、本書の訳については、若干「細部を端折って」いるとのことであったが、それほど気になるモノではなかった。ムラカミ版との比較を厳密にするほどの野暮はしておらず、原書との突き合せは一部やったのであるが、確かに比喩や挿入文の一部は訳出されていないトコロもあるにはあった。しかし、同時に「アレ?ここ端折ってる?」と当たってみると意外にちゃんと言葉を拾っていたりして、「しっかりやってるじゃん!」てなことも少なからずあった。要するに、訳の端折りは、読むに当たってはほとんど問題にならぬということ。また、やはりムラカミ版が出た「キャッチャー・イン・ザ・ライ」や「グレート・ギャツビー」で強く感じた、訳文の同時代感の喪失というか、要するに「元祖・野崎孝版」の訳文に感じられた古色蒼然たる賞味期限切れ感はなく、「まだまだ、このままでもイケるジじゃん」てな感じであった。映画の字幕も書いていた訳者によるあとがきも洒脱で良く、1976年という文庫版の発行時期の「時代の空気」がそこはかとなく感じ取れて楽しい。1988年に亡くなった訳者は、今回のPlay Back「ロング・グッドバイ」をあの世から、どのように見ているのだろうか? | ||||
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元祖である。ロング・グッドバイである。 現在巷で溢れている赤と黄色の、拳銃の表紙の、アレである。 アレの元祖である。 僕は10年ほども前に、本書を読んでいるのだが、正直全く内容を忘れてしまっていた。 今回、例の赤/黄/拳銃本を読んだ後、本書を再読したのであった。 ムラカミ版のあとがきにおいて、本書の訳については、若干「細部を端折って」いるとのことであったが、それほど気になるモノではなかった。 ムラカミ版との比較を厳密にするほどの野暮はしておらず、原書との突き合せは一部やったのであるが、確かに比喩や挿入文の一部は訳出されていないトコロもあるにはあった。しかし、同時に「アレ?ここ端折ってる?」と当たってみると意外にちゃんと言葉を拾っていたりして、「しっかりやってるじゃん!」てなことも少なからずあった。 要するに、訳の端折りは、読むに当たってはほとんど問題にならぬということ。 また、やはりムラカミ版が出た「キャッチャー・イン・ザ・ライ」や「グレート・ギャツビー」で強く感じた、訳文の同時代感の喪失というか、要するに「元祖・野崎孝版」の訳文に感じられた古色蒼然たる賞味期限切れ感はなく、「まだまだ、このままでもイケるジじゃん」てな感じであった。 映画の字幕も書いていた訳者によるあとがきも洒脱で良く、1976年という文庫版の発行時期の「時代の空気」がそこはかとなく感じ取れて楽しい。 1988年に亡くなった訳者は、今回のPlay Back「ロング・グッドバイ」をあの世から、どのように見ているのだろうか? | ||||
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巻末に村上春樹さんの訳者あとがき「準古典小説としての『ロング・グッドバイ』」が延々45ページにわたって掲載されています。フィッジェラルドのグレート・ギャツビーとレイモンド・チャンドラーのロング・グッドバイの作家間、作品間の対照などです。訳者のこれらの作品に対する愛着と思い入れがよく分かります。 ストーリーは殺人事件に思いがけなく関わりを持った私立探偵フィリップ・マロウを語り手として、実質的な主人公テリー・レノックスの物語です。 金持ちたちの、非生産的でものうげ、そしてアルコールに毒され退廃的な男女の関係、戦争を引きずりまたトラウマを抱えた日々が描かれています。訳者が述べてるようにグレート・ギャツビーとの共通点を感じますが、この手の小説は好きになれません。 | ||||
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10代からのマーロウファン。ギムレットにあこがれて、酒を覚えました。 マーロウの男らしさやストーリーのすばらしさは、従来の清水訳と比べても、ひけをとらないと思います。 もちろん細かいところの描写は違いますが、どちらがよいかは好みの問題でしょう。 村上さん訳だから、マーロウが知られる。なんだか私から見ると本末転倒な気もしますが、これも時代の流れなんでしょうね。 村上春樹も大好き。マーロウも大好き。な私にとってはうれしい一作です。 でも、わざわざ村上訳っって騒ぐほどもないかな。 | ||||
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いまどき、チャンドラーもないだろうって感じで最後まで読んでしまったけど、これでも、面白いっていうのかなあ。村上は、16、7歳くらいのときにはじめて読んで、以後、原書と清水訳を交互に読んできたらしい。翻訳は、25年くらいで新しく訳されるほうがいい、と村上は言っているが、ついに自分でやってしまった。 お世辞にもいいとはいえない安っぽい装丁に、村上は一言、「ありがたい」とは言っているが、内心、「なんでこんなんやねん!」と思っているのは見え見え。 これを読んだ直後、向田邦子の「男どき女どき」を読んだ。余りの現実感とギャップに戸惑い、不思議な感じになるよ。 | ||||
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あとがきからも伝わってくるように、非常に訳者の思い入れの強い作品である。 しかし、得てして思うのだが、訳書の場合、作品の思い入れが強すぎるほどに文体から訳者の顔がのぞいてきて、読んでいてうっとうしくなるものである。評論家の豊崎氏が「村上氏の訳したものは全部村上氏のトーンになっていて、つまらない」と語っていたが、これは当てこすりでもなんでもなく、一抹の真実なのだと思う。 90ページにも渡る大部なあとがきにおいて、村上氏はフィリップマーロウを純粋仮説の存在として定義している。つまり、生身の人間が抱える自意識のくびきを超え、あらゆる二律背反・逆説を同時に体現することの出来る仮説的な存在(実際にはありえない存在)であると。しかし、そのような仮説された自我を呈示される必要のないほどに、我々生身の人間が小説以上にアンチノミーかつ混沌とした存在であるのは新聞の三面記事を読むまでもなく自明である。生身の人間にはもちろんマーロウのような一貫性はないが、それは一貫性自体が小説(しかもハードボイルドという領野における)という結構の上で初めて可能なものだから仕方がない。 いずれにせよ、訳者の思い入れの強さが翻って小説へのアプローチを迂遠なものにするという逆説がこの訳書では体現されている、と個人的には思われる。 作品自体は過分もなく優れたものであり、そのストイックさと親密さの同居はやはりこの領域におけるマイルストーンだと思う。次は原書で読むとよいだろう。 | ||||
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チャンドラーの名作である本書が当代随一の作家・村上春樹によってあらたに世に出ることになった。「長いお別れ」(清水俊一訳)は台詞の素晴らしさとテンポのよい訳で広く人口に膾炙した本であったが原書を大幅に削除した点や古さを感じさせてしまう訳語などの点で些か本棚に埋もれてしまう感は否めなかった。村上訳による「ロンググッドバイ」はこのような問題点をクリアにし新たな古典としての存在として位置づけられる様に思う。村上本人もそのような意図で翻訳作業に及んだようである。名作との格闘という点においては大変評価したいし、違う角度からこのチャンドラーの名作を読書できるは読者冥利に尽きる。しかし、清水訳ではじめて接した時のマーロウの輝きは正直みられなかったように思う。マーロウが村上春樹の小説の主人公の二重写し(カーボンコピー)に見えてしまい、本来のマーロウ像がかすれてしまっているのが残念である。やはり翻訳のリズム、台詞の切れ味などでは字幕屋出身の清水の足下には到底及ばないのだろう。そこでお奨めしたいのが清水訳と村上訳を両方読んでみるという作業である。前者は文庫なので鞄やポケットに入れ暇なときに読んでみると良い。後者はかさばる重さなので週末当たりjazzを聴きながらゆっくりと読んでみるといいかもしれない。いずれにしても選択肢が増えたのは喜ばしい。名作の資料価値という点からもこの本を評価したいと思う。その息吹がよもや文学的になりすぎたとしても。 | ||||
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ストーリー・翻訳ともすごくよく出来ているし、今読んでも面白いと思うのですが、 どうしてもマーロウには共感できないのです。 それは、言いすぎでは?とか、 それはいくらなんでも冷たいんちゃう?とか思ってしまうんです。 オレがタフじゃないからなのか? あるいは、そうかもしれない・・・・。 なので★3つです。 | ||||
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グレート・ギャツビーとこのロング・グッドバイを村上春樹訳で読んでみて思ったのは、やはりかなりの影響をこの二冊から受けて村上春樹という作家が出来上がったんだなということ。スピード感やハードボイルド臭さは清水俊二訳のほうがあるけれど、新訳は読みやすく、素直に物語に入って行ける。初めて読むならこっちがオススメです。 | ||||
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