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大いなる眠り
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【この小説が収録されている参考書籍】
大いなる眠りの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.02pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全42件 21~40 2/3ページ
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マーロウならこういうことはしないよな。マーロウならこうするよな。 それが最近この本を読んでから、持つようになった思考の癖だ。 この本などマーロウを読むと、マーロウというタフな行動規範が出来上がる。 そして惨めで弱い自分とマーロウの距離が測れるようになる。 自然と自分の行動や思考をマーロウに近付けようとする。 村上春樹を始め、多くの人間が同じ経験をし、このシリーズに病み付きになったのだろう。 読書で強くなる、という経験は初めてだった。チャンドラーってもの凄い。 | ||||
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レイモンド・チャンドラー(1888 - 1959)による〈私立探偵フィリップ・マーロウ〉シリーズ第1作 “The Big Sleep”(1939)の邦訳。村上春樹さんによる新訳です。 皮肉屋で、権力におもねらず、権威を挑発し、誰にも理解されない矜持を胸に秘め、ユーモアとタフネスだけを頼りに理不尽と戦う私立探偵。本作において、そうしたマーロウのキャラクター造形は確立しており、これ以後シリーズをとおしてそれは一貫されることになります。内面描写をストイックに削るチャンドラーの文体も完成の域に達してもいます。 それでも本作には、後期にはない若さとエネルギーがうかがえます。マーロウの騎士道精神にもほとんど諦観の影は見あたりません。それゆえにシリーズ後期とは異なる醍醐味を味わえる作品だと言えるでしょう。 残念ながら本作はチャンドラーの代表的翻訳者である清水俊二さんが訳されていなかったため、わりと長いあいだ絶版状態が続いていました作品です。手許にないため旧版である双葉十三郎訳との比較はできませんが、村上さんの訳はいつもどおり、あえて翻訳調を残した硬めの日本語という印象です。 ちなみに以下の原文と訳文は、自らが汚れた世界にいると考えるマーロウが(本作のタイトルである)「大いなる眠り=死」について語る箇所のものです。 “What did it matter where you lay once you were dead? In a dirty sump or in a marble tower on top of a high hill? You were dead, you were sleeping the big sleep, you were not bothered by things like that. Oil and water were the same as wind and air to you. You just slept the big sleep, not caring about the nastiness of how you died or where you fell. Me, I was part of the nastiness now.”(原文) 「いったん死んでしまえば、自分がどこに横たわっていようが、気にすることはない。汚い沼の底であろうが、小高い丘に建つ大理石の塔の中であろうが、何の変わりがあるだろう?死者は大いなる眠りの中にいるわけだから、そんなことをいちいち気をもむ必要はない。石油や水も、死者にとっては空気や風と変わりない。ただ大いなる眠りに包まれているだけだ。どんな汚れた死に方をしようが、どんな汚れたところに倒れようが、知ったことではない。この私はといえば、今ではその汚れの一部となっている。」(本書、p.364) | ||||
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双葉さんが翻訳したものと両方読んだが、こちらの方が読みやすく、不可解な和訳に躓くこともなかった。村上春樹さんの小説は正直好みではないが、この本は作品に対する愛を感じ、とてもよかった。 | ||||
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それっぽっちの報酬のために、君は...との問いかけに、マーロウは答えます。簡潔に、自信を持って。彼の美意識に打たれました。シリーズ1作目の本作品を先に読んでおけば、他の作品がもっと味わえたことでしょう。 | ||||
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チャンドラーの他の長編作品同様、大変楽しみながら読むことができました。 | ||||
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表現が詳しく、デコラテイブですが、描写が多少クドく、凝ってり。 | ||||
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使用感がある本ですが、この金額で読めるのは非常に助かる。また、頼みたい。 | ||||
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かなり昔に読んだ記憶がありますが,そのころはハメットの方がすっきりしていておもしろいなという印象でした。改めて読んでみると,筋がかなり複雑で注意深く読まないと混乱することがわかりました。これは巻末に村上春樹さんが書いてあるとおりです。若いときはじっくり味わって読むことができなかったのでチャンドラーに強く惹かれなかったのかなと思います。今回は訳もこなれていて,とてもゆっくり味わって読み込むことができました。 | ||||
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「大いなる眠り」、というタイトルは、ウィリアム.シェイクスピアの「ハムレット」から採用されている可能性があるとのこと。 教養あるチャンドラーならではのタイトルセンスや、華麗なる比喩が光るのはもちろんだが、双葉十三郎氏の訳文が味わい深い。小生のチャンドラー初体験はこの双葉訳のチャンドラーだったのだ。 冒頭の訳文などは完璧ではないかと思う。川端康成もビックリだ。当時、中学生だった小生は、斬新な比喩にショックを受けた。おもちゃしか知らない少年が大人の華麗なる世界に、初めて触れたような、新鮮な衝撃だったのだ。 確かに、いま読めば、双葉訳は確かに、古い箇所が少なからずあるのは、これは否めない。「〜じゃ。」という将軍のセリフは古色蒼然としている。「もちろんさ」を「モチさ」というのもまた然り。“太陽族みたいな訳文”と言われても仕方ない部分もある。 だがしかし、基本的には格調高い訳文で、清水俊二御大と田中小実昌氏の良さをバランスよく兼ね備えたような趣がある。007で言えば、ショーン.コネリーとロジャー.ムーアの良さを兼ね備えたピアース.ブロスナンのようだ(異論は認める)。 是非とも、復刊を望む。あえてハードボイルドぽくなく翻訳した感のある村上春樹訳と読み比べるのも贅沢な愉しみだと思うからだ。 | ||||
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やっぱり春樹さんの翻訳は、とても、いいです。いっそのこと、チャンドラー全集を出してくれませんかねえ。 | ||||
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僕はチャンドラー・ファンのつもりですが、恥ずかしながら『大いなる眠り』だけはこれまで読了できたことがありませんでした。 何度か挑戦したものの、チャンドラー節に酔う前に倦んでしまい、飛ばし読み流し読みモードに入って、なんとか最後まで読み終わったような感じで終わってしまい、他の長編作品のように何度も読見返すようなことがありません。 ひとつには訳のせいもあるかと思います。清水俊二さん訳のチャンドラーに馴染みすぎているのかもしれません。もうひとつには、ストーリーです。もともとチャンドラーの話しはしばしば脇道に飛ぶ傾向にあるのですが、それにしても『大いなる眠り』はその程度が激しすぎる感じが強く、読み疲れてしまう。みっつめは、映画(三つ数えろ、Hボガート主演)の影響なのですが映画の話しはやめておきます。 そんな僕が、今回初めて『大いなる眠り』を完読することができました。しかも一気に読み切って。 僕はこれまでどちらかというと、清水訳と比べて村上春樹さん訳は、どこかスタイリッシュでスマートなものの、登場人物の熱っぽさやセリフの余韻が清水訳に比べて感じることが少なかった為、村上訳を特に好むことはなかったのですが、今回ばかりは、未完読の大作を最後まで読ませてくれた村上さんに大いに感謝し、同時に翻訳中の様々な辛苦を心から労いたいと思いました。 実際、読んでいて、地の文でもセリフでも、翻訳に苦労されているなと感じる箇所が何度も散見されました。とくに今訳では、日本語で(あるいは現在の米国でさえ)使っていないような当時の言い回しを、日本語に合うよう無理に翻訳するのではなく、可能な限り当時の作品に忠実な言葉で訳すよう努力しているように感じました。具体的なコトバや表現は省きますが、カナ文字外来語と、難しい漢語(おそらくエンタメ小説ではめったに見ない)が、わずかなセンテンスの中に繰り返し同居するという、文学的才能の高い訳者ならではの訳文と言えましょう。そのため、僕のような文学センスがゼロの人間は、読んでいて何度もリズムが崩されました。村上春樹氏がこんなリズムの悪い文章を書くとは思えないので、おそらく原文に忠実に訳し、作品そのままを堪能して欲しいという願いがあるのではないかと、読中、想像したりもしました。 で、あとがきを読んで、やっぱりそうだったようです。村上氏がチャンドラーに対して「おいおい、そこまでやるか…」と言っています。 村上訳本の、あとがきが読むのが楽しみです。訳者である前に、チャンドラーの大ファンであり、研究家であり、その作風に大いに影響を受けた村上氏ならではの、あとがきは、多くの他の評論より遙かに味があります。今回も楽しめました。 当作品は長いお別れに通じる全てがあると村上氏は語っています。 僕には、たしかに共通項はあるけれども、むしろハメットの赤い収穫やガラスの鍵にも似たパルプマガジンっぽさが色濃く残っているように思えたので、新鮮な刺激でした。 ただ、タイトルの訳について、すでに自身が従来のタイトルに馴染んでいるのでそのままにしたと書いているのは正直驚いた。別の理由があったのではないかと考えるのは、下司の勘ぐりだろうか?(だって、これまでの訳は違ったわけだから) | ||||
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チャンドラーの小説は、プロットは曖昧で、ストーリーはそれほど劇的でもなく、ミステリーとしてみると物足りないかもしれない。 それでも読み続けられる原因は、その文体からにじみ出るチャンドラーならではの雰囲気を楽しみたいからなのかも知れません。 たとえばスターンウッド将軍の次女カーメンのくちもとをチャンドラーは次のように描写します。 「小さく鋭い、捕食動物を思わせる歯が見えた。新鮮なオレンジの甘皮のように白く、陶器のように鮮やかだ」 スターンウッド将軍自身の描写は 「かさかさの白髪がいくつかの房になって、頭皮にしがみついていた。まるで野生の花が、むき出しの岩の上で生命を維持するべく闘っているみたいに」 長女ヴィヴィアンの素敵な足については 「ふくらはぎは美しく、踵は細くすらりとして、そのなめらかな旋律は交響詩の一節になりそうだ」 そのスターンウッド将軍と会う温室の植物については 「不気味な肉厚の葉、洗われたばかりの死人の指のような茎、それらは毛布の下でアルコールを沸騰させているような強烈な匂いを放っていた」 などなど、例を挙げればきりがないほどです。歯の白さを陶器の白さに喩えることはできても、オレンジの甘皮に喩えるなんて思いもつきませんが、そんな比喩をさり気なくさらりと使いこなすところがチャンドラーの凄いところなのでしょう。 また、主要な登場人物のみならず、ほんの脇役でも実に魅力的に描きます。 例えば、狭くて小さな書店の女性は、本書の中ではほんの4ページ分しか登場せず、その後も一切登場しないのにもかかわらず、マーロウとの会話は知的で魅力的であり、強く印象に残る。 本書は「ロンググッドバイ」や「さよなら愛しい人」に比べるとちょっと地味な印象です。 しかし、上記のような点に注意して本書を読んでいくと、チャンドラー小説を読む面白みが味わえます。 | ||||
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チャンドラーの小説世界ははじめからもう完成されていた。 独特の言い回しや表現が現代によみがえった感じだ。 レイモンドにこだわりながら翻訳する村上さんに感謝しかないのだ。 | ||||
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チャンドラーの記念すべき第一長編。 威圧的な大富豪と貧しくも高潔な私立探偵の対峙の構造は後続の夥しいエピゴーネンたちに繰り返し模倣されるプロトタイプ。 ハメットの『赤い収穫』と並ぶ所謂ハードボイルドミステリのスタンダードナンバーの如き存在。 創元推理文庫の双葉十三郎訳に馴染んできた者としては今回の版権移動に伴うその絶版は惜しいが、訳者あとがきにあるように既にミステリの枠を超えた存在のチャンドラー作品がアップデイトされるのは全面的に賛成。 卑しい街を行かねばならない騎士としてのマーロウが愛情あふれる訳文で活き活きと味わえる。 『長いお別れ(ロング・グッドバイ)』での憂愁を帯びたマーロウも魅力的だが本作でのチンピラ風な若気の至りを感じさせるヒーロー像もまた魅力。 | ||||
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いつかこの「大いなる眠り」も村上春樹が訳してくれると思っていました。 チャンドラーの作品は邦訳されているものはすべて持っていますが、この「大いなる眠り」だけは唯一早川書房からではなく東京創元社からの刊行であった。 邦訳されたのも1950年代とかなり古く、読むには読めるがあまりに古くさい訳の為、いつかは新訳で読んでみたいとファンなら誰もが思っていただろう。 それが、チャンドラー作品を村上春樹が次々と邦訳することになり、「ロンググッドバイ」「さよなら、愛しい人」「リトルシスター」を経て、ついにチャンドラーファンが待ち望んでいた長編処女作の『大いなる眠り』が新訳によって、しかも早川書房より蘇った!!ありがとう早川書房!! 処女作にして、名作ロンググッドバイとほとんど変わらない完成されたマーロウは素晴らしいの一言。 そして最後に、村上春樹によるもはやあとがきではなく解説と呼べるにふさわしい読むべきに値する文章。 これだけでも読む価値はあると思います。 | ||||
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現在、創元推理文庫から出版されていますが、既に絶版状態が続いているため、 チャンドラー作品をほぼ出版している早川書房に問い合わせたところ、 『大いなる眠り』は村上春樹による翻訳で刊行予定であるとのことです。 ただ、刊行時期は未定とのこと。 清水俊二氏も翻訳していない作品だからこそ、是非とも新訳で読みたい作品です。 皆さん気長に待ちましょう。 | ||||
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自分の職業(双葉流に訳すと商売かな)に対する矜持。 自分のスタイル流儀を貫く意志の強さ。 異性 弱者に対する優しさ。 ありきたりとおっしゃる向きもあろうが、 やっぱり男子たるものかくありたい。 この作品のマーロウが一番好きです。 定番落ちは何とも残念。双葉さんの訳文も歯切れがよくて読みやすい。 東京創元社さま 復刊期待してます。 | ||||
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いわゆるハードボイルドを読んだことの無かった僕は、最初、正直退屈だと感じた。探偵が登場するから推理小説なのだろうけれど、事件の形がはっきりしない。死体が登場するけど、殺人現場の細かな検証が行われるわけでもなく、暗号が登場するけど、それが論理的に解読されるわけではない。 しかし、途中からなぜかはまり込んで、一気に読めてしまった。その原因は、マーロウをはじめとする登場人物の魅力、軽妙な会話、巧妙な情景描写にある。それらが、なんともいいようのない心地よさを生み出しているのだ。そして、読後に感じるむなしさも絶妙である。 僕がこの作品に感じた魅力が、ハードボイルド一般の魅力なのか、チャンドラー特有のものなのか、それとも、この作品特有のものなのか、僕には分からない。だが、この作品が(本格推理の前提を忘れて読めば)傑作であることは間違いないと思う。 | ||||
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双葉十三郎氏(映画評論家)の翻訳ってどんなだろうと思い、読んでみた。 半世紀前の訳で古くなった用語も当然あるが、いかにもハードボイルドというような気取りがないのがよく、まずまず手堅い印象(原文を見たわけではないので、何となくですが)。 作品については、いまさら言うまでもない名作。 マーロウは、もしこんなことで死んだら割に合わないだろうと思わせる行動もあるが、そこはお約束というか、ご愛嬌。 女性に対してはストイックで、感心したりあきれたり。 そんなところも含め、大いに楽しめた。 | ||||
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マーロウ・シリーズの第一作.マーロウだけでなくその他の(ひと癖もふた癖もある)登場人物の描写もいいし,状況描写も巧み.そして読み終わった後に押し寄せるやるせなさというか脱力感もいつもながら.今ではある程度一般的なハードボイルド物の特徴ではあるものの,これが1939年に出版されたというのが何といっても驚きで,偉大な先駆的作品なことを再確認させてくれる. | ||||
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