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大いなる眠り
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【この小説が収録されている参考書籍】
大いなる眠りの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.02pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全60件 1~20 1/3ページ
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村上春樹翻訳ということもあり、高校生の時以来、数十年ぶりに読んだ。主人公マーロウが金に潔癖であったり、美女の誘惑にも全くのらないなど、あまりにもかっこよすぎるように思うが、ストーリー自体は想像以上に複雑な構成で大いに楽しめた。イメージではバーボンだったが、意外にもスコッチを飲むのね。村上春樹の翻訳については、特に強烈な個性は感じないが、そのほうが良いかも。次は、「さらば愛しき女よ」を読みたい。 | ||||
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東京創元社が1956年(昭和31)に上梓した世界推理小説全集26巻(双葉十三郎訳)を67年後の2023(令和6)年に読んだ。 出版から二世代が過ぎ、パラフィンも読む端から砕けて剥落していく時の重圧を実感しながら読了したが(もっと凄いのはこの60年でたぶん一度か二度しか読まれなかったと思われる綺麗さ)その後ハードボイルドミステリの歴史に雷名轟かせたこの本、わずか190ページなんですね…。 初めて読んだチャンドラーだが、処女作にして重たく眠く熱い芸風は完璧で、もっとも驚愕したのが次々とむぞうさに人が死んでいく。ところでこの中で死者となるのは男ばかり。 その死があっけなく、また死因が殺人大全集のようにそれぞれまったく異なるのにも驚くことしきり。 こういう事を書くと異様かもしれない。 とおびえつつ書くのだが、その死が即物的であっさりと虫でも潰すように簡単なことと、生死の際があまりに容易、散歩でもするように生死の境を越えるところは、他のいかなるミステリにもない無機質さで、しかも、それぞれの死が妙に官能的なことに声を失った。 著者そんなつもりはないのかもしれないが、たとえば毒でこの世を去るとある人物などは男性性なのか潔くなのか従容としてかそれとも気づかないままなのか、妙に男伊達を感じさせ、銃で世を去る人物は銃声だけが説明であっさりと横たわるのだがそれがまた被害者本人の意志を越えて男の死という感じで舞台から消えていく。 正直、本筋は最後まで説明不足だし、末尾でS・S・ヴァン・ダインのように、しかもそれより簡略、かつなんの証拠もなく2ページたらずで全体像が浮かび上がるのは皆様ご存知あまりにも有名な主人公のセリフだけ、というのはいささかフェアでなくない?とぶつぶつ思うのだが、それを圧倒するなにか、末尾になって出現してあっと叫んだタイトル・ロール 大いなる眠り が惑星のような重量感で描写され、あっけにとられるうちに物語は立ち去ってしまう。 文学的完成度とは不平等なもので、P・D・ジェイムズもその文章の密度で殺人事件の内容以上の迫力を持つのと同じだった。 人生に研磨された年になって書いたことが、やはり大きいのだろうか。 これに先立って、1980年代のスティーヴン・グリーンリーフやダン・キャヴァナー、カーター・ブラウンやレス・ロバーツを読んでいたが、どれほど巧みにそれぞれの時代・地域ごとに活写されていても、最終的にはハードボイルドとはレイモンド・チャンドラーの天才によって顕現した個人の例外的傑作であり、それが個人を越えて余りにも巨大な影響を及ぼしたために後世の小説家たちをも洗脳させ、もしかしたらそれら作家の本来の資質を捻じ曲げてでもフィリップ・マーロウの弟子たちがそれらの著書たちの脳に産み落とされ、かくしてジャンルが形成されたような気がしてならない。 ハードボイルドの読み方としては邪道、異端かもしれない。だが、この作家の本質は死の官能、タナトスと、ミステリの内容としては実は貧弱な展開、そしてそれを覆い隠し、きびきびした描写で全編を支配する重力のような、人を掴んで離さない筆力の三点セットに思われた。 以上、原著が描かれて84年後の感想でした。 | ||||
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文体は一人称で、主人公は私立探偵の男。タフで金や暴力にさらされても、決して己の信条を曲げない。そういう、いわゆる本格派のハードボイルドの原点ですね。 最初にロンググッドバイから読んだ私としては、本作の探偵フィリップ・マーロウもまだ三十代前半と若く、女性の扱いが荒っぽく感じられるなど、チャンドラーやマーロウの変化も楽しめました。 文章も後期の作品に比べると描写が長く、ぶんぶん腕を振り回しながら書いている印象です。 しかしながら、そんな諸々の若さを考慮しても、本作は名作と呼ばなければならないと思います。 もしまだチャンドラーを読んだことがないという方には、本書から順番通りに読んでいくことをお勧めします。 | ||||
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1922年にデビューし、アーネスト・ヘミングウェイを祖とするハードボイルド手法を、推理小説に持ち込んで成功させたのはサミュエル・ダシール・ハメットであったが、続いて1933年にハメットと同じく、推理小説パルプ・マガジン『ブラック・マスク』誌でデビューを果たしたレイモンド・チャンドラーは、それまでゴミ扱いをされていた推理小説を文学に引き上げた、ハードボイルド推理小説界の圧倒的存在である。 1939年発表の本作「The Big Sleep」は、そのチャンドラーの処女長編であると同時に、彼の作品に於いての、と言うより、ハードボイルド小説の世界に於ける最も重要な主人公である私立探偵フィリップ・マーロウの初登場作品でもある。 マーロウは出現と同時に一躍有名になった。そして、生涯で7作品しかないチャンドラーの長編小説の主人公は全てマーロウであったのである。 そのスタイルは常に一人称形式。ストーリーはマーロウの視点で描かれ、また、余計な心情の吐露を取っ払った客観的な文体は、ストーリーを分かり難くさせている節もあるが、チャンドラーの長編作品群はハードボイルド小説史上の古典として高く評価されている。 大富豪スターンウッド将軍家に招かれたマーロウ。依頼の内容は将軍の次女カーメンが受けている強請りの解決についてであった。脅迫状の差出人の家の前に張り込んだマーロウは、稲妻の様な閃光と金属的で痴呆じみた叫び声を耳にする。続いて聞こえたのは三発の銃声だった。部屋に飛び込んでみると、そこには男の死体と裸身のカーメンの姿があった。 精神が薄弱な上に、色情の気のあるカーメンはトラブルの種を撒き散らかす。 次々に現れる不審な人物達、複雑化していく事件、更には先んじて起きていた将軍の長女ヴィヴィアンの夫の失踪も関わってくるのであった。 本作は、二度映画化されている。 1946年のアメリカ映画「三つ数えろ」ではハンフリー・ボガートが、1978年にはイギリス・アメリカ映画「大いなる眠り」でロバート・ミッチャムが主演をしているが、二人共役よりも年齢がいっている様に思う。特にロバート・ミッチャムは貫禄が有り過ぎだろう。チャンドラー自身は、一番イメージに近いのはケーリー・グラントであると明言している。 個人の感想をついでに述べれば、本書の冒頭に於ける将軍とマーロウの遣り取りがなかなか個性的で面白い。年老い、人生に飽いた将軍は老い先が短いらしく、普通の人間ならば耐えられられない様な高温の蘭栽培の温室の中で一日を過ごしており、マーロウもその温室に招じ入れられる。 将軍はブランデーを薦め、自分の好みはシャンパンで割ったものだと言うが、ただマーロウが飲むのを見るのみで舌で唇を湿らす。そして、匂いは好きだと言い、タバコを吸うマーロウをじっと見つめる。それから依頼を打ち明け、二人は会話を交わす。そんなシーンだ。 本書は、双葉十三郎の翻訳版である。原書自体が古いのであるから、日本語版の発刊は1956年で本書の出版も1959年。戦争を挟んでいる為にタイムラグは有るがそれでも随分昔だ。当然古くさい表現も有りはするが、時代がそうさせているのだからしょうがない。却って当時を想うに丁度良いと言うものだ。 最近では村上春樹もチャンドラー作品を新たに翻訳しており、試しに少し立ち読みしてみたことはあるが、わざわざ改めるまでの意味が見いだせなかったのが正直なところだ。 | ||||
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口答えした女の頬を張り飛ばす時代 日本は戦争中、こういうエンタメを作る余裕があったのだろうか 初めてのチャンドラー オーディブルで 何度も図書館で手にとっては、ひどく焼けた紙と確実に目を悪くする汚い印字に放り出していた オーディブルで読む力を使わずとも聞いてればいい いい時代になった これが村上春樹をはじめ二十世紀の作家を夢中にさせたチャンドラー 勉強になる 現代日本でとなると龍が如くの桐生さんみたいになるのかな | ||||
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原文の意図を無視した直訳が目立つ。 | ||||
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大富豪に、娘の博打の借金という名目で、ゆすりをするチンピラをうまく黙らせることを依頼された私立探偵フィリップ·マーロウが、次々とチンピラの抗争に巻き込まれて、その途中やその前に起きた殺人事件をの真相を暴くという話。……例によって、パツキン美女にモテモテで、それを歯牙にも掛けずにひたすら探偵業に徹するマーロウ。……やっぱりその“ダンディズムを気取る“ところは、依然として鼻につく。……しかも話の筋も、支離滅裂で、何を描こうとしたのか、意味が分からない。……“男は黙って酒を飲む“とかいうようなことを“美学“として信奉してるような人が、自己陶酔するために読む三文小説です。……ほんとに鬱陶しい。 レイモンド·チャンドラーには、『かわいい女』でも、苦杯を飲まされているので、あと一回だけ、『長いお別れ』で、チャンスをやるけど、それもダメだったら、それこそ永久にお別れにしようと思う。……仏の顔も3度までって言うし。 | ||||
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私立探偵フィリップ・マーロウの初登場作品とのこと。次々と芋づる式に事件は続いていくが、関係者みんなが触れようとしない靄の中に一人の消えた男がいる? 影を潜めて。静かな沼のように。空気など読まないフィリップ・マーロウはただ一人靄の中に踏み込んでいく。 | ||||
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初めて村上春樹訳のチャンドラー作品を読みましたが、非常に読みやすいと感じました。 そして、若き日のフィリップマーロウという男に改めて惚れ込んでしまいました。 チャンドラーの他の作品と同様に、これからも何度も何度も読み返していこうと思っています。 | ||||
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著者・訳者ともに素晴らしく、名作です。 本に対しては星をいくつも追加したい気持ちですが、問題はオーディブル版。何故ハードボイルドをあんな風に読むのか、制作したのは他の作品とは違う人なのか、それで良しと販売に進めたのか不思議でした。マーロウがまるで好青年みたいな話し方で別人になってしまって 聞くことができませんでした。 オーディブルではタイトルを聞かないと評価することができないみたいですが、聞くに堪えないもの。 | ||||
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面白くなかった。その理由としては、気取った文章を書こうとし過ぎて読むのが面倒くさくなる。また、それを乗り越えてでも読みたいと思うほどストーリーや人物が魅力的ではない。 | ||||
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紙がひどい。わら半紙かと思った。清水さん翻訳の「さらば愛しき…」は最高の手触りで、恍惚の読書を楽しめたが、流石に村上さんはギャラ高いのか、コストカットで、本当にページめくる手触り最悪 | ||||
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財力と名声が故の隠蔽事件の複雑な絡み合いを、薄皮を剥ぐようにして暴いていく私立探偵フィリップ・マーロウの手並みは見事という他はありません。 一癖も二癖もある登場人物達と交わす、人生についての含蓄のある台詞の数々は、ハードボイルドの真骨頂でしょうか。 個人的には、事件に関わる女性達への粋な優しさが印象的でした。主人公、犯人、そして読者の「大いなる眠り」の為に。 | ||||
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新訳でチャンドラーの名作がより良い表現でマーローの人物像が際立ち三作を何度も聴いています。ナレーションも素晴らしい。残念なのは長いお別れだけナレーターがあっておらず聴く気にならない。古屋敷さんの朗読での再版を切望します。 | ||||
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主人公で語り手の私立探偵マーロウは、元警官。 彼は自分を「私」と呼んで、ちょっと気取った一人称単数で語る探偵小説です。 この「私」という自称には、読者としてのワシは終始、違和感を感じましたでごわす。 かと言って、 <僕>では、育ちのよい坊ちゃんぽくて、大人になりきっていないようで、探偵なんかに似合わないし…… ひらがなの<わたし>では、なんとなくやわでオカマっぽいし…… <おいら>では、教養がなく、頭悪そうだし…… <自分>から<自分は>と呼ぶ人間では、 上役の忖度ばかりしている下級の軍人とか警官みたいであります。失礼、敬礼。 自分で自分の行動を決められない組織人っぽいし…… やっぱり<おれ>くらいってことになるのかな。 本書の書名『大いなる眠り』は、 <ザ・ビッグ・スリープ>と、カタカナのタイトルにしてほしかったでごわす。 『リトル・シスター』のように。 ビッグとかリトルは最早、日本語です。「大いなる」とか「ちっこい」とかの翻訳不要。 「小鳥くん(リトル・バード)」(262頁)は、ちょっと小馬鹿にした感じが出てて、 いい和訳だとは思いますが、 リトルは今や、カタカナが書ける小学生でも訳せそう。 幼稚園生だって、ぼくビッグ・バードちってるよ。 「彼女は君にはでかすぎる」(219頁) 「出ていってくれないか、スモール・サイズくん」(220頁) こんな日本語の言外の深い意味だって、中学生でも分かるヤツには分かるよな。ですよね。 「スモール」も最早、日本語です。 「スモール・サイズくん」という「くん」付けのカタカナ書きで必要十分です。 「大いなる」という日本語は、「大」という文字が入っている割には、ビッグな感じがしません。 古臭い、黴臭い、加齢臭のする日本語ダッチューノ。やだ、古過ぎ。 ワシみたいな老人だって、『大いなる眠り』って何じゃい? って訊きたくなるもんな。 死のことか? 大便、小便じゃあ、あるまいし。眠りに大小はない。昼食後のチョイ寝は毎日するけどな。 歳をとれば、 「眠りは浅く、起きているとも眠っているとも見分けのつかんような、情けない代物」(13頁)になる。 睡眠時間だけ多くなるけど、眠った気が全然せえへん。多いなる眠り、なんちゃって。 情けないと言えば、昨日までグレート、グレートを頻発してた、どっかの大統領を思い出します。 大国小国をやたら強調する時代はやっと終わりました。 眠りについても、これからは、電気自動車の時代です。電気羊の眠りを考える時代です。 「死者は大いなる眠りの中にいるわけだ」(309頁) 「ほどなく彼もまた、ラスティー・リーガンと同じ、大いなる眠りに包まれるだろう」(310頁) 読書の好きな読者のワシも既に、一日24時間の半分(12時間)は、多いなる眠りに包まれ、 多いなる眠りの中にいる。じいちゃん、寝過ぎ、の孫の声が聞こえてくるけど。 「シカゴのオーバーコート(棺桶のこと)」(234頁)の中に片足、突っこんでいるわけだ。 ワシはもう半分、死んでいるのか。 本書に登場する老人ガイ・スターンウッド将軍なんて、「三分の二は死んでいる」(18頁) 「ただ時が来るのを待っている」(310頁) 「大いなる眠りに包まれる」日も近いだろう。 「それこそ時間に競争するみたいに」(308頁) 「まず妹をどこかの施設に入れることだ。二十四時間監視のついたところにね」(308頁) 「大いなる眠りに包まれる」までは、二十四時間毎に、無意識の浅い眠りがくり返される。 浅い眠りの中では、無意識の悪行も繰り返される。 恐いことです。 だけれども、「酒は助けにはならなかった」(310頁) 巻末の「訳者あとがき」は、力作です。 題して「警察にできなくて、フィリップ・マーロウにできること」 この「訳者あとがき」を読んで、読者のワシは、思い出しました。 行方不明になった子どもを、大勢の警察や消防団は何日かけても見つけられなかったのに、 スーパーヴォランティアのおじちゃんは、瞬く間に発見した話を。 「…くーん、どこだ?」 「ぼく、ここだよ」 | ||||
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チャンドラーの作品を読むのは2冊目。おもしろいですね。マーロウの冷静でシュールな姿が素敵です。今回もミステリアスな内容になっていて、どうストーリーが展開されるのか楽しみながら読みました。 | ||||
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驚くことに、作中でいくつか起こる殺人のうち、未解決のまま本編が終わります。 「誰が犯人なのですか」と聞かれた作者は「知らない」と答えたそうです。 これは読者の想像に任せる、という意味ではなく、本当に何も考えてないのだと思います。 この作品に限らず、マーロウ物はチャンドラーが別で書いた短編をいくつもつなぎ合わせて書かれていることが影響しているそうです。 でもそんなの関係ねえ。 マーロウが抽斗からウイスキーを飲んだり、タフな振る舞いをするこの空気を吸いたくて何度でも読んでしまいます。自分にとって大切な感情を呼び覚ますために想い出の場所に立ち返るように。 ところでマーロウ物にでてくる「オールドフォレスター」はあまり出回ってないようで、私が立ち寄ったいくつかのバーではおいてませんでした。 | ||||
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推理小説や探偵諸説は好きなのですが、どうも翻訳モノは言い回しが独特なことが多く、読んでいてじれったく感じてしまい、若いころはともかく、年を取ってくるとあまり長続きしません。 そんな中、こちらの作品は有名な村上春樹の新訳版ということで、何気なく手に取ってみました。村上春樹の作品は読んだことがないので、どんなものかと最初はドキドキしておりました。しかし、読んでみるとやっぱり言い回しが気になってしまい、回りくどい喋り方にイライラすることに。やっぱりダメかと思ったのですが、なぜか先の展開が気になり始め、気が付くと二週間、毎日読んでいました。 仕事が終わって寝る前の、少しの時間に読んでいただけなのですが、読んでいない間はフィリップ・マーロウがいる世界を早く読みたくてウズウズしてしまう自分にビックリしました。本の中の世界に引っ張られているというか、不思議な感じでした。 チャンドラーの独特で、かつ、魅力的な世界観が確立しているとして高い評価を受けている本作ですが、それを追体験させてくれた翻訳に感謝しています。久々に小説で楽しい時間を過ごせました。 | ||||
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村上春樹はもちろん、カシオ・イシグロ他たくさんの作家がレイモンド・チャンドラーの大ファンだという。いったい魅力は何なんだろう。つまるところ文体の力というしかないのか。情景描写・行動描写・会話の奥深さ、機知にとんだ比喩があり、主人公のマーロウの行動そのままに物語が進み、次々にいわくありげな人物が出てくる。そういう文体の吸引力に魅力が凝縮されているに違いない。事件自体は糞だし、しょうむないやつも盛りだくさんだ。現実世界もこんなふうに乾ききったものと言いたいんだろうし、それでこそハードボイルドと言われるゆえんかもしれない。 | ||||
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ずっとレイモンド・チャンドラーという名前は知っていて、ついにこの方の著作を初めて読みました。 主人公のマーロウは特別体術に優れているとか銃の名手とかいうわけではなく、度胸と機転でその場その場をしのいでいくのがハードボイルド・テイストなのかなと思いました。探偵としての倫理を守る、どこか一本芯の通ったようなスタイルが渋いなと感じました。 戦前アメリカの法制度とその裏のやりとりの雰囲気が伝わってくるようで面白かったです。公権力と裏の権力の比率はある程度大げさに書かれているかもしれませんが、当時読んだ人が納得できる程度にはあっているのかなと思いました。 登場人物の中では、ちびの情報屋のハリー・ジョーンズが最も男気のある人物であるように思いました。 翻訳については村上春樹氏の翻訳は避けたかったのですが、前の翻訳者のバージョンが容易に手に入らなかったので仕方なくこのバージョンを購入しました。翻訳ツールでも使ったかのような直訳で、後書きでは「原文を活かすためにあえてそうした」と書いていてひどい話だなと思いました。 | ||||
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