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乳と卵
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乳と卵の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.35pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全153件 121~140 7/8ページ
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| 芥川賞(138回)。改行の無い文章が続く。状況描写は非常に繊細で上手に思う。女性の肉体的特性と心理的特性を書き綴っている。 個人的はあまり好きな文体でもないし物語性も無い様に思う。娯楽として楽しむ文学なのかなと。もちろん普通のヒトが持ち得ない才能を発揮されているのは間違いない。以前養老さんと茂木さんの講演会で奇抜な質問をしていた事を思い出した。哲学や心の問題にも大きな興味をお持ちの方のようだ。 | ||||
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| 前作「わたくし率 イン 歯ー、または世界」の演出された狂気に比べると、ユーモア度というかペーソス度というか、そこいら辺のパラメータを上げて、より一般の理解を得られる作品にチューニングされている。全体的なトーンとしては、ユルイけど悲しいみたいな。 「乳と卵」って意味深なタイトルが、母の豊胸への想いと、娘の初潮に対する恐れと嫌悪っていうベタな意味合いであるってあたりのユーモアが作品を象徴している。母親の饒舌と娘の沈黙ってふたつの文体が、女って生き物にあらかじめ規程されたやるせなさ、哀れさをうまくあらわにしていて秀逸。それと、この母娘を左右に置いた主人公の客観的な視点、思考ってのが、やけに「文学的」なんだよな(作者に近いんだろうけど)。たとえば主題とは離れるけど、「話したか聞いたかした内容のひとひらだけが、ちらりと脳裏を思わせぶりにゆくこと」に対する考察、とかね。最近、俺も歳をとったんで、こういう、シーンは思い出せないのにコンテクストの断片に既視感を持つことって多いんだけど、これなんて文学的。銭湯で幾多の女体を眺めるうちに、“漢字などの、書きすぎ・見すぎなどで突如襲われる未視感”に近い感じを持ってしまった、なんていう純文の先達が再三再四取り上げてきた、“日常の中の突如の意味の喪失なんて”のも手触りとしては懐かしい感じだ。この人、見かけの演出とは相反して、意外にオーソドックスな文学感覚の持ち主なんじゃないだろうか。 そうそう、現代の一葉って世評に対して、作品の中で五千円札の肖像に触れたくだりにはかなり笑わせてもらいました(ベタに返しとこ、みたいな)。この人、ちょっとユーモアあるじゃん。まだまだ埋蔵量ありそうだね。 | ||||
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| つまらなかった。こんなに読み手を無視した小説は久しぶり。誰に似ているとか、文体が斬新だとかそんなせせこましいことはどうでもいい。芥川賞を取っていなければ、こんな小説評価がいいわけない。選考委員は重箱の隅をつついて何か見つけ出し、ことさらにそれをおおげさに思いこむことができる人なんだろう。 | ||||
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| 読点で文章をつなぐだけで、一文がやたら長くて読みにくい文体。 それも関西弁がベースになっているから、 言葉を理解しきれない読者もいるかもしれません。 でも、我慢して読んでいるうちに、この文体が心地よく感じられるようになり、 目が離せなくなったりして。 ストーリーは、豊胸手術をしようとする母と コミュニケーション・ブレイクダウンに陥った小学生の娘が、 東京の妹(娘にとっては叔母)を訪ねた先で言葉を取り戻すというもの。 このあたりの話は、30代男性の僕には最も縁遠いことなので、 ほとんど共感できませんでした。 ただ、ストーリーはこの際重要ではなく、 ディテールに現代を生きる人の見えない叫びが翻訳されています。 その意味では、文学として成功していると言えるのでしょう。 芥川賞選考会でも賛否両論で、絶賛する人もいれば、 石原慎太郎氏なんかはメッタ斬りにしたとか。 ひとつ言えるのは、文学には正解などないということでしょう。 | ||||
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| 「ああ、いかにも芥川賞選考委員が好きそうな作品だ」 、というのが読みはじめてすぐに感じたこと。 もう今や若手作家に使い古された(パクられた)感のある 句読点の少ない文章とテンポには今更新鮮味はないけど、 この人の言葉選びのセンスは結構好きかも。 2作とも女として生きることの生き苦しさを感じさせる。 母であること、娘であること、姉であること、妹であること。 そして女であること・・・。 豊胸・初潮・メイク・・・などのキーワードから 女らしくあることに対する恐怖、嫌悪、 逆に女らしくなりたい願望までも描き出し、 文体のややこしさと言葉の選び方で仮面をかぶってるけど、 実は言いたいことはシンプルな作品なのではないでしょうか。 「あななたちの恋愛は瀕死」は 文学なのか、哲学なのか、モード系っぽさなのか、 とにかく何かを狙ってるっぽい空気がプンプンして作為的。 でも「乳と卵」のクライマックスの卵のシーンは迫力がある! 卵を割るたびにこの場面を思い出しそうで、ちょっとしたトラウマ(苦笑) 鼻につく点もある作家だけど、 こんなインパクトのあるシーンを描ける新人ってやっぱり凄いのかもしれない。 | ||||
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| 東京で一人暮らしをする主人公のもとへ、姉が娘を連れてやってくる。 娘を育てるために場末のスナックで働く姉は、「豊胸手術をするんだ」と かつてないくらい意気込んでおり、娘は一言もしゃべらなくなっていた…。 全編、関西弁で綴られており、時折、喋らない娘の心境がノートに書かれたものとして描かれている。 娘なりの母への想いにはジーンとくるが、ラストは「で?」と思ってしまった。 芥川賞らしいというべきなのか・・・。 | ||||
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| 町田康の影響を受けてないとは言わせない。文体から擬音から曖昧さから、そこに女的要素な展開『わたくし率』でもそうだったが、最後の破綻的展開、狂う人びと等などが本谷有希子を彷彿とさせた。 | ||||
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| 文体が力強い。句読点の打ち方が独特で・・・というのはやはり計算された上での書き方だからだろう。 豊胸手術を受けに上京する姉とその子。やりとりされる関西弁。何を表現したいのかは全く分からない。関西文化を安売りしている感すらある。 次の作品はもっと鋭いものなのかな。 | ||||
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| 一般受けする作品はプリンかババロアのようなもの。口当たりよく、つるりと飲み込んで、お腹にたまらない。そこにうんと歯応えのある堅焼き煎餅が出てきたら、強烈な印象を持ってしまうと思う。そんな作家は好き不好きが分かれる。心理描写のおもしろさ、ただし「息継ぎ」しづらく、読みこなすのに根性が要ると感じた。☆は5つでもよいのだが、強い印象、すばらしい作家さんだけに敢えて辛く4つ | ||||
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| とにかく読みづらい。もっと読点で区切ればいいのに、無駄に文章をダラダラと繋げているだけ。所々、おかしな言葉使いも出てくるし、よくこんな文章で芥川賞を受賞したなって感じ。内容もこれといって面白くもなく、全くお勧め出来ません。 | ||||
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| なんか「乳と卵」っていう題名が、いかにもどろ臭そうで、芥川賞っぽくて、手を伸ばさずにいたのですが、読んでみたら表と裏に隠された微妙な母子の関係がけっこうよくて、思ったよりするって読めました。ただ5000円札見るたび、この話思い出してしまいそう…な気がします。 | ||||
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| 今回だけはゆるしましょう。 二回この手を使ったらダメよん。 石原慎太郎は大嫌いだけど、ちょっぴり芥川賞の選評に 納得するところもある。 関西弁のいいとこが、関西弁ばっかりだと生かされません。 落語や漫談じゃないのだし。 それでも、瑞々しい魅力はある。違う手法で書いてほしいでだけ。 | ||||
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| 疲れたけど、あたたかい、という感じ。 それにしても、一文が長すぎやしないですか・・? そうでなくても関西弁は活字にすると、非常に読みづらいのに、マルがなくて、え、まだ続くの? という感じでで、だらだら続いていると、疲れる。 だけど、あたたかい雰囲気もすごく伝わってきた。 | ||||
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| 一言で言えば豊胸手術を決意した姉とその娘との関わりを通して、女という肉体を再発見する女性の物語、だろうか。 同じ「女」という「入れ物」に閉じ込められた魂同士であっても、その「入れ物」(やその変化)に対する嫌悪感や愛着や不安や不快を共有し共感し合えるわけではない。巻子にとっての緑子も、緑子にとっての巻子も、夏子にとっての二人も、不可解だ。同時にどこかでお互いのその感覚を、知ってもいる。知ってはいるけどそこに共感はない。 恐る恐る距離を取っていた三人が急速にぎゅっと近づくクライマックスは滑稽でありながら切実で、強烈だ。 話は変わるが、巻子、緑子は『たけくらべ』の大巻、美登利の姉妹から取ったのだろうし、夏子、は確か一葉の本名のはず。華やかな「性の世界」を背景にして「こどもの世界」の終末を繊細に描いた『たけくらべ』を読み合わせると、なお面白く読める。 | ||||
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| 最初の一行から最後の一行まで、一切の無駄も隙もない文章。ぐいぐいと読まされて、本当に新人?とびっくりです。前回の芥川賞で前作が候補になった時、町田康にそっくりと非難する声があったそうだけど……違うじゃん。単に大阪弁の語りというならむしろ谷崎潤一郎だし、作者本人は逃げも隠れもせず樋口一葉ですと言ってるんだし、多和田葉子が好きという言葉も出てくるから、おいくつですか?と本当にびっくりです。寺山修司とか岸田理生の匂いもするし、椎名林檎っぽい気もするけど、もうそんなんどうでもええわ、他のどこにもない、古そうでいて新しそうでいて、本当に凄い新人。凄いです。 たとえばもう、15ページから続く飲み屋街の描写ひとつとっても、饒舌というよりは本質のど真ん中を突くストライク。豊胸手術をしたがる母と、初潮を恐れる娘という設定にしても、その母子と語り手の距離感にしても、三日間のできごとがきっちり並べられた作品構造にしても、全てが満点。今日からファンです。 | ||||
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| 「やっぱ、コミュニケーションよね。」 なんて、ワイドショーの安っぽい批評家か!? みたいなことしか思いつかないんだけど、 大切なことは、うまく語れないことの中にあるのかもしれない。 だから、すれ違ったり、傷つけあったり、 話せるのにノートを使って会話したり? さすが、芥川賞受賞なだけあって、斬新で独特な文章が楽しい。 女性ならではのえぐい部分を、しっかり描写しつつも、そんなにグロテスクにならないのはそのせいか?若いんだか、古いんだか、固いんだか、やわらかいんだか、わからないような。 です、ます調も、断定調もごちゃまぜなのに、自然。 こんなふうに、自由に書き綴って、独特のリズムみたいなのが生まれたら、読むほうも楽しい。 最後は、卵の複線が、思わぬ形で盛り上げてくれて、やっぱりジーンとしちゃうわけです。 | ||||
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| この作品、〈女性の生理・身体性〉を突き詰めて描いている。だから、男の私にとっては、なかなか共感はしにくい。何と言うか、生々しすぎる。いや、初めて知った世界だというのではない。いろいろの伝聞や読書経験で、この程度の知識は漠然とではあるが私にもある。それは勿論、他人事としての、実感を伴わない知識に過ぎないのだが。 初潮、思春期を迎えての身体的心理的変化の疾風怒濤ぶりは、男よりも大きいのであろう、と思える。男の私自身ですら思春期の一時期は苦しかった記憶があるが、女性の変化はそれに勝るだろう。〈女は子宮で考える〉なんて表現もある。あるいは♪おんなはう〜み〜♪ 誰の言葉か忘れたが「女は男にとって存在論的他者」という表現があったように思う。で、この小説は女にとっての「存在論的不快」を描いている、と思った。それは成長の一過程で現れるものであって、それを克服というか超克というか、乗り越えて女性の成熟はなされるのだろうが、一時的にはそういう状態になる、と。 そういう意味ではこのテーマはいわばありきたりなのだが、小説の言語表現(樋口一葉風の延々と続く長広舌のねちっこさと深さ)には作者の言語センスのただならぬ才能を感じさせられた。私は韻文はからっきしダメなのだが、その一歩手前の散文で妙技を見せてくれたように思った。 | ||||
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| 貧しい母子家庭に育ち、生まれ生きることに後ろめたさを感じ、自分が子供を産める大人の女になることを恐れる少女、大阪の品なき京橋のスナックで懸命に働き、豊胸手術に生きる因(よすが)を求める母、二人の互いへの愛情と切なき極限の魂の邂逅の物語です。 小学生の緑子は著者自身の代弁(表現)者であり、本書は著者が描かずにはいられなかった少女期の自分自身へのレクイエムだと感じました。芥川賞の名に恥じない、自身を表現し人間存在の核心に迫った素晴らしい親娘の物語だと思います。 〜以下、著者の日記「そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります」から抜粋〜 「私は子供の頃、生まれてきたことがなぜか後ろめたくて、わけが判らなくて、なぜ毎日はこんななのに、いつかみんな死んでしまうのに、いくら働いたってお母さんはちっとも楽にならんのに、なんで3人も子供を生んで、朝も夜も毎日働いて、みんな死んでしまうのに、悲しいことの方が多いのに、お母さんはそれでいいの。しんどくないの。そんな風に感じていた」 「表現する人はすごいなどと、なんでかいつの間にかそういう馬鹿げた話になっているわけだけど、表現というのは実はほんとうは滑稽で恥ずかしいものだ。表現者というのは大きな声を出してみたり、反抗してみたり、ここに居ますと叫ばなければ、そこに黙って座っていられないどうしようもない種類の人間であって、いわば一番判りやすく欠落した人間であるともいえる」 格差社会が表面化した現在の日本において、貧しさの中、すれ違いながらも互いを思いあう親娘の哀切な物語が芥川賞に選ばれたのは、出版業界や選考委員等々の思惑の域を超えた大いなる意思によるのではないか、ふとそんな気がしました。 | ||||
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| ほとんどの芥川賞選考委員が賛成したのも納得できる作品。 読みにくい「小さな話」であり、純文学純文学している。しかし純文学らしい深く鋭い味わいも確かにある。 乳と卵子のつながりは選考委員が選評で述べていたようにもう一つストレートには腑に落ちないが、 日記をつけ辞書を調べ言葉の意味に拘る喋らない緑子(小学生)が、物事の根源を哲学的に探っているのに対して、 貧乳で豊胸手術を受けようとする母(中年女)「ほんまのことなんて、ないこともあるねんで」と現実に疲れた科白で応じながら、 二人が激しく衝突する文学ファンの間で評価が高いクライマックスは、 確かに、表現力でも相当に高いものがあるし、意味を考えても、鮮烈だと感じる。 前作とも構造が似ていて、(日記が出てきたり、クライマックスが騒動であること等)、 この作家に幅の広さがあるか疑問もあるけれど、 この小説は「純文学としては」、やはり腕っ節の強い、なかなかの作品であると感じました。 タイトルの「乳と卵」のついて。 衝撃のあるクライマックスの親子対決の、 「母と娘」の意味かもしれませんね。 乳を持つ大人と、卵である娘、の対決という意味。 (貧)乳に悩む女と、卵(生まれたこと)に悩む娘、の対決という意味。 ともかくこの小説は語り手である自分は脇役で、母娘のお話です。 貧乳である母を「父」性的なものと見立て、 「乳と卵」ならぬ「父と卵」という洒落的な含意もあるのかな? などと、 読者がちょっと迷ってみるのも、読者の勝手、読書の楽しみです。 | ||||
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| 最初は何とも読みにくい文章だなあと思っていたが、読み進む内に苦ではなくなりました。 樋口一葉のオマージュだという解説を読んで、納得しました。確かに、長い文の連続でした。少女の名前も緑子というのは、「たけくらべ」の美登利から採ったのかな? 物語は、コンプレックスから豊胸手術をしようとする母親巻子、その娘で初潮への不安と母への愛憎から喋らない緑子、東京でひとり住まいの語り手で巻子の妹夏子の3人だけが登場人物です。夏子の家での二泊三日の生活がすべてです。 内容が内容なだけに、男性の私としては解らないところが多すぎますが、話としては結構面白いと思いました。 文章全体も起承転結がしっかりしていて、しかも、ラストのクライマックスの卵のシーンは最高でした。 | ||||
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