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乳と卵
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乳と卵の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.31pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全143件 121~140 7/8ページ
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なんか「乳と卵」っていう題名が、いかにもどろ臭そうで、芥川賞っぽくて、手を伸ばさずにいたのですが、読んでみたら表と裏に隠された微妙な母子の関係がけっこうよくて、思ったよりするって読めました。ただ5000円札見るたび、この話思い出してしまいそう…な気がします。 | ||||
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今回だけはゆるしましょう。 二回この手を使ったらダメよん。 石原慎太郎は大嫌いだけど、ちょっぴり芥川賞の選評に 納得するところもある。 関西弁のいいとこが、関西弁ばっかりだと生かされません。 落語や漫談じゃないのだし。 それでも、瑞々しい魅力はある。違う手法で書いてほしいでだけ。 | ||||
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疲れたけど、あたたかい、という感じ。 それにしても、一文が長すぎやしないですか・・? そうでなくても関西弁は活字にすると、非常に読みづらいのに、マルがなくて、え、まだ続くの? という感じでで、だらだら続いていると、疲れる。 だけど、あたたかい雰囲気もすごく伝わってきた。 | ||||
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一言で言えば豊胸手術を決意した姉とその娘との関わりを通して、女という肉体を再発見する女性の物語、だろうか。 同じ「女」という「入れ物」に閉じ込められた魂同士であっても、その「入れ物」(やその変化)に対する嫌悪感や愛着や不安や不快を共有し共感し合えるわけではない。巻子にとっての緑子も、緑子にとっての巻子も、夏子にとっての二人も、不可解だ。同時にどこかでお互いのその感覚を、知ってもいる。知ってはいるけどそこに共感はない。 恐る恐る距離を取っていた三人が急速にぎゅっと近づくクライマックスは滑稽でありながら切実で、強烈だ。 話は変わるが、巻子、緑子は『たけくらべ』の大巻、美登利の姉妹から取ったのだろうし、夏子、は確か一葉の本名のはず。華やかな「性の世界」を背景にして「こどもの世界」の終末を繊細に描いた『たけくらべ』を読み合わせると、なお面白く読める。 | ||||
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最初の一行から最後の一行まで、一切の無駄も隙もない文章。ぐいぐいと読まされて、本当に新人?とびっくりです。前回の芥川賞で前作が候補になった時、町田康にそっくりと非難する声があったそうだけど……違うじゃん。単に大阪弁の語りというならむしろ谷崎潤一郎だし、作者本人は逃げも隠れもせず樋口一葉ですと言ってるんだし、多和田葉子が好きという言葉も出てくるから、おいくつですか?と本当にびっくりです。寺山修司とか岸田理生の匂いもするし、椎名林檎っぽい気もするけど、もうそんなんどうでもええわ、他のどこにもない、古そうでいて新しそうでいて、本当に凄い新人。凄いです。 たとえばもう、15ページから続く飲み屋街の描写ひとつとっても、饒舌というよりは本質のど真ん中を突くストライク。豊胸手術をしたがる母と、初潮を恐れる娘という設定にしても、その母子と語り手の距離感にしても、三日間のできごとがきっちり並べられた作品構造にしても、全てが満点。今日からファンです。 | ||||
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「やっぱ、コミュニケーションよね。」 なんて、ワイドショーの安っぽい批評家か!? みたいなことしか思いつかないんだけど、 大切なことは、うまく語れないことの中にあるのかもしれない。 だから、すれ違ったり、傷つけあったり、 話せるのにノートを使って会話したり? さすが、芥川賞受賞なだけあって、斬新で独特な文章が楽しい。 女性ならではのえぐい部分を、しっかり描写しつつも、そんなにグロテスクにならないのはそのせいか?若いんだか、古いんだか、固いんだか、やわらかいんだか、わからないような。 です、ます調も、断定調もごちゃまぜなのに、自然。 こんなふうに、自由に書き綴って、独特のリズムみたいなのが生まれたら、読むほうも楽しい。 最後は、卵の複線が、思わぬ形で盛り上げてくれて、やっぱりジーンとしちゃうわけです。 | ||||
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この作品、〈女性の生理・身体性〉を突き詰めて描いている。だから、男の私にとっては、なかなか共感はしにくい。何と言うか、生々しすぎる。いや、初めて知った世界だというのではない。いろいろの伝聞や読書経験で、この程度の知識は漠然とではあるが私にもある。それは勿論、他人事としての、実感を伴わない知識に過ぎないのだが。 初潮、思春期を迎えての身体的心理的変化の疾風怒濤ぶりは、男よりも大きいのであろう、と思える。男の私自身ですら思春期の一時期は苦しかった記憶があるが、女性の変化はそれに勝るだろう。〈女は子宮で考える〉なんて表現もある。あるいは♪おんなはう〜み〜♪ 誰の言葉か忘れたが「女は男にとって存在論的他者」という表現があったように思う。で、この小説は女にとっての「存在論的不快」を描いている、と思った。それは成長の一過程で現れるものであって、それを克服というか超克というか、乗り越えて女性の成熟はなされるのだろうが、一時的にはそういう状態になる、と。 そういう意味ではこのテーマはいわばありきたりなのだが、小説の言語表現(樋口一葉風の延々と続く長広舌のねちっこさと深さ)には作者の言語センスのただならぬ才能を感じさせられた。私は韻文はからっきしダメなのだが、その一歩手前の散文で妙技を見せてくれたように思った。 | ||||
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貧しい母子家庭に育ち、生まれ生きることに後ろめたさを感じ、自分が子供を産める大人の女になることを恐れる少女、大阪の品なき京橋のスナックで懸命に働き、豊胸手術に生きる因(よすが)を求める母、二人の互いへの愛情と切なき極限の魂の邂逅の物語です。 小学生の緑子は著者自身の代弁(表現)者であり、本書は著者が描かずにはいられなかった少女期の自分自身へのレクイエムだと感じました。芥川賞の名に恥じない、自身を表現し人間存在の核心に迫った素晴らしい親娘の物語だと思います。 〜以下、著者の日記「そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります」から抜粋〜 「私は子供の頃、生まれてきたことがなぜか後ろめたくて、わけが判らなくて、なぜ毎日はこんななのに、いつかみんな死んでしまうのに、いくら働いたってお母さんはちっとも楽にならんのに、なんで3人も子供を生んで、朝も夜も毎日働いて、みんな死んでしまうのに、悲しいことの方が多いのに、お母さんはそれでいいの。しんどくないの。そんな風に感じていた」 「表現する人はすごいなどと、なんでかいつの間にかそういう馬鹿げた話になっているわけだけど、表現というのは実はほんとうは滑稽で恥ずかしいものだ。表現者というのは大きな声を出してみたり、反抗してみたり、ここに居ますと叫ばなければ、そこに黙って座っていられないどうしようもない種類の人間であって、いわば一番判りやすく欠落した人間であるともいえる」 格差社会が表面化した現在の日本において、貧しさの中、すれ違いながらも互いを思いあう親娘の哀切な物語が芥川賞に選ばれたのは、出版業界や選考委員等々の思惑の域を超えた大いなる意思によるのではないか、ふとそんな気がしました。 | ||||
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ほとんどの芥川賞選考委員が賛成したのも納得できる作品。 読みにくい「小さな話」であり、純文学純文学している。しかし純文学らしい深く鋭い味わいも確かにある。 乳と卵子のつながりは選考委員が選評で述べていたようにもう一つストレートには腑に落ちないが、 日記をつけ辞書を調べ言葉の意味に拘る喋らない緑子(小学生)が、物事の根源を哲学的に探っているのに対して、 貧乳で豊胸手術を受けようとする母(中年女)「ほんまのことなんて、ないこともあるねんで」と現実に疲れた科白で応じながら、 二人が激しく衝突する文学ファンの間で評価が高いクライマックスは、 確かに、表現力でも相当に高いものがあるし、意味を考えても、鮮烈だと感じる。 前作とも構造が似ていて、(日記が出てきたり、クライマックスが騒動であること等)、 この作家に幅の広さがあるか疑問もあるけれど、 この小説は「純文学としては」、やはり腕っ節の強い、なかなかの作品であると感じました。 タイトルの「乳と卵」のついて。 衝撃のあるクライマックスの親子対決の、 「母と娘」の意味かもしれませんね。 乳を持つ大人と、卵である娘、の対決という意味。 (貧)乳に悩む女と、卵(生まれたこと)に悩む娘、の対決という意味。 ともかくこの小説は語り手である自分は脇役で、母娘のお話です。 貧乳である母を「父」性的なものと見立て、 「乳と卵」ならぬ「父と卵」という洒落的な含意もあるのかな? などと、 読者がちょっと迷ってみるのも、読者の勝手、読書の楽しみです。 | ||||
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最初は何とも読みにくい文章だなあと思っていたが、読み進む内に苦ではなくなりました。 樋口一葉のオマージュだという解説を読んで、納得しました。確かに、長い文の連続でした。少女の名前も緑子というのは、「たけくらべ」の美登利から採ったのかな? 物語は、コンプレックスから豊胸手術をしようとする母親巻子、その娘で初潮への不安と母への愛憎から喋らない緑子、東京でひとり住まいの語り手で巻子の妹夏子の3人だけが登場人物です。夏子の家での二泊三日の生活がすべてです。 内容が内容なだけに、男性の私としては解らないところが多すぎますが、話としては結構面白いと思いました。 文章全体も起承転結がしっかりしていて、しかも、ラストのクライマックスの卵のシーンは最高でした。 | ||||
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皆さん言われているように、関西弁でとうとうと流れ続く文章が 独特の味で、楽しんで読みました。 ただ関西弁を自分の言葉としないので、文体による効果と関西弁 による効果との区別がつかない。もちろん両者相まって著者の文 章なのだろうけれども、関西弁での微妙なニュアンスや意味合い がわからない自分としては、本当に味わえているのか?も確信は もてず、やや不安というか、損してるかも感があります。 この文体のまま、標準語に変換したらどんな感じか読んでみたい ものだと思いました。 内容については、たいして中身はないというご意見もなるほどと いう感じですが、女家族で育ったためか、母親と娘の葛藤や、つ いにふたりの間の壁が崩れた場面は心うごくものがありました。 | ||||
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その作品よりも作者本人がセンセーショナルな話題となっている川上未映子の芥川賞受賞作。直木賞の桜庭一樹による「私の男」が傑作だった事もあり、興味深々読み始めたのだが、他のレビュアー諸氏もこぞって触れるように、これが、かなり読みづらい(笑)。 大阪から豊胸手術を受けに上京した姉とその娘を迎えるもう若くない女性の視点で語られる物語。 文節の区切り方と言い回しが独特、しかも標準語と大阪弁がチャンポンで使われ、それが口語体になったり、写実体になったりする。 正直、何度か頓挫したが、彼女が、かって知り合いの女性との豊胸と男根主義の相関関係について論争した回想シーン辺りからようやくその作品世界にノレテきて、一気に読み切った。 主人公たちの“物事”の見方、捉え方が面白く、それを表現するまどろっこしいと思えた文体も読み続けるうちにクセになっていく。 大衆浴場での乳をめぐる洞察のおかしさ。 そして、時折インサートされる、思春期を迎え、“多感”な娘の、母親への複雑な思いが、最後の最後に爆発し、それが切なさを以って、融和と受容の世界にまとめられる意外なウエルメイド感。 文学的才気を感じさせながら、女性身体のデリケートな感性を生理的になまめかしく、時にあっけらかんと描写してみせた作者、埴谷雄高の「死霊」に感激したという作者、やはり、注目すべき存在だ。 | ||||
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文章が長くて読みにくいのか、だからこそ面白いのか、賛否が分かれているようですが、一つ一つの文が長いのだがシンプルでわかりやすい表現、ごちゃまぜな独特のリズム、一つか三つが妥当なのにあえて二つの視点。これを私は面白いと思い、むしろ読む力が伸びたとも思います。 ストーリーは、女なら誰にでもある体の悩みとの葛藤と、「どうしていいかわからない」親子関係を娘とおばさんという視点から描いてあり、クライマックスのシーンはそれまでの煮え切らない流れを一気に洗い流してくれる爽快さがありました。 ページ数も少なく展開も大きくないので物足りない感はありますが、「なぜかわからないけどよかった」感じがして、「おまけ」の短編もありチョットお得な本でした。 | ||||
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今まで読んだことのない独特の長々と続く文章にははっとさせられたが、実際に中身がある作品かと言われたらちょっと疑問。 最近の芥川賞は話題性や作家の経歴重視で、文学の質とはもはや違う気がする。 しかし不思議とこの方の次回作もぜひ読んでみたいとは思った。 | ||||
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川上さんは少し損をする作家かもしれない。いかんせん文章が複雑過ぎて目が回りそうになるのだ。おまけに、哲学好きとあって内容も分かりにくい。 要するに乳と卵は近頃の流行に逆行している。今売れている本には読みやすくて、読者のモラルを再確認させてくれるようなものが多い。これにサスペンスと感傷が加わればセールス的に満点だろう。しかし、そういった本はハンバーガーと同じで大量生産されるわりには後に何も残さない。 この点、乳と卵は生きたまま読者のもとに届く。分かりにくい文をずっとたどっているとあっと息を呑むような文章に出会ったりして、数行前から読み返えすことが多々あった。村上龍氏によれば一見無秩序に見えてぎりぎりのところで統制されている文章なのだそうだ。そういった文章こそ読む度に発見があって味わい深いものだろう。 話の展開に関しては特別なところはなかった。ここに少し仕掛けがあっても良かったかもしれないが、むしろこの本を読む時は一つ一つのエピソードに注目したほうがよさそうだ。ロボコンっていう中が見えない乗り物から母を眺める緑子の回想などは、このエピソードだけについて一晩中考えたり、想像を膨らませることができる。乳と卵はそういう印象深いエピソードがたくさん詰まった作品である。 乳と卵が低所得者の母子を描いているのも興味深い。似たような境遇の人たちを描くのが流行ではあるが、内容は他の作品と一線を画している。それは必死に働く母親への緑子の複雑な思いによく表されていて、感情を分りやすくて平たいモラルに置き換えることを川上さんは拒んでいる。今回、芥川賞を受賞したことで川上さんの作品は多くの人に読まれることになるだろうが、読者は自分の頭の中で文章が呼吸をしだすことを忘れてはならない。 | ||||
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芥川賞選考委員の石原慎太郎氏は私がこの作品を評価しなかったことを慙愧の念に駆られることはないであろうとの意味の言葉で総括されています。 文章自体は読んでいてうっとうしいと思われる引っ掛かりが無く、文章のうまい作家独特の読み手の心を掴む、上手な文章で、次も読みたいと思わせるものですが、中身は石原氏の指摘するように豊胸手術自体に、豊胸手術をしても、遺伝上、子供まで胸が大きくなるとは限らないのだから自分自身だけが胸が大きくなることに固執して、自分の人生、一代だけの見た目だけにこだわって、いったい何の意味があるのかという疑問は消えないから、中身どうこうより、この本は女性の内面の告白の作品として読むべきで、文章自体はうまいんだから、読み手の心を引き付け、捕らえる作家として期待したいと思います。 | ||||
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Microsoft Word2007で「ちちとらん」と入力して、変換ボタンを押すと、「父と蘭」と出るところ、「ちち」は「乳」であり姉巻子の豊胸手術、「らん」は「卵」であり巻子の娘であり同時に「私」の姪でもある「語らない」「筆談少女」緑子の、いわゆる卵子と精子が結びつく準備体制が整った女体の神秘・初潮を描き出す、シンガー川上未映子の芥川賞受賞作。 饒舌であり、かつまた大阪弁の面白さ、悲しさ、喜びを納める手腕は前作を凌駕するゆえ芥川賞という事になったのかどうか知らねど、途切れない、長く続く文章の続き具合の心地よさに、思わず脱帽、荒唐無稽の純日本文学のときめきに新たな国民作家の誕生!という掛け声しきり。日本文学を海外に翻訳本で出版する傾向が多い昨今、どういう風に訳するのやら、今からもって超心配するのは余計なお世話。 このお話の最後の最後、あの語らない少女緑子が、母親に向かって一気にしゃべりまくるその親思いの言葉の端々に我々読者は、涙、涙、ああ涙。 | ||||
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登場人物は,たぶん作者と同年輩の女性主人公,そのお姉さん(39歳),その娘(もうすぐ初潮年齢)の3人。基本は主人公の視点から描かれ,合間合間に娘の日記が入る。 樋口一葉に影響を受けたという「,」で延々と紡ぐ長い文章は, リズム感がよいため,意外によみにくくもない。 しかし,内容は,たとえば,自分が常日頃の生活の中で小さい出来事に直面しながら, 言葉には出さないけど,心の中でつらつらコメントし続けているあれこれを, ひたすらそのまま文章にし続けてみた,それを読まされている,という感じ。 コメントの対象は「女の体」である。 乳房があって,卵子を持っていて,毎月生理が来て,これってなんなの, 女ってなに,女の体って何, こういう「女の体」を器として生きている「私」ってなに,っていう たぶん女なら誰もが,自分の生理の出血や乳房を漫然と見つめながら つらつら考えたことがあることを 何で他人の文章として改めて読んでるの,わたしって。 という,ちょっとアホらしい感じもする。 で,なんじゃこりゃと思いながら読んでいると,突如として物語が「玉子」を小道具に収束。 これが芥川賞なのですか,現代文学にはついていけないということか・・・・と, 最近,連続して思う感想を,今回も心の中でつぶやいてしまいました。 | ||||
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改行なしでえんえんとつづくうたうような文章が、 読み始めは少し読みにくく感じるのだが、 慣れると読みやすく、気持ちいい。 ただ、文体の面白さに反して 話の展開は芥川賞的というか、 おさまりがよすぎるというか、 起承転結的な感じで物足りなく思った。 賞取りに行ったということもあると思うし、 分量的なことも考えるとしょうがないのかどうか……。 | ||||
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第138回芥川賞受賞作品。前回候補作『わたくし率 イン 歯ー、または世界』の文体は強烈に個性的で、この文体のままやっていくつもりかな?と思っていたら、テイストを保ったままずっと読みやすくなっている。個々の文章は異様なまでに長いのに、大阪弁モノローグ主体の文章の流れに身を委ねていると、苦労せずに情景やら心象風景やらが頭に入ってくる。見た目と違って読者に優しい小説だ。ストーリーも最後にきちんとカタルシスがあり、作風は180度違うけれども、著者の敬愛する村上春樹並みにサービス精神が溢れている。受賞第1作「あなたたちの恋愛は瀕死」も収録。文章はオーソドックスで大阪弁も登場しないが、主人公の息遣いまで聞こえそうな文章は紛れもなく著者独特のもの。小説を書き始めて間もないのに、すっかり個性を確立していて頼もしい。 | ||||
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